3.あの人たちは良いわね
お弁当作りは「台所は狭いから」と取り上げられ、洗い物は「自分がゆっくり食べられないから」と取り上げられた。
「台所は女の聖地」と聞いたことがあるから台所に女は二人もいらないんだな。と、当時はそれくらいにしか思ってなかったが、私以外の他人には「うちの嫁がやらないから」って言っているらしい。
これは義姉から聞いた話だが、義母は義父との結婚を親戚中に反対されたが、それを押し切って結婚した経緯がある。
だから、親戚中から差別を受けてきて生活して来たらしい。
「こんな人たちに負けない」と、必死になっていたそうだ。
そんな経緯があり、自分は優れていると、他人に認めさせたいのだ。
義母の「承認欲求」は目に見える人全員、多方向に向いている。
例えるなら「無指向性」のマイク。
「マウントを取りたい」「私はあなたより上」「誰よりも私は優れている」を証明したのだ。
逆に自分が見て、少しでも他人が羨ましいと思うと、「マウント取られた」って思うらしいのだ。
一方、私は「うちはうち、他所は他所」がモットーだ。
私の知らない人に私が悪く言われても、私には正直どうでも良いし、痛くも痒くもない。
誰に何言われても良い。
自分が優しくしたい人に優しくして、仲良くしたい人と仲良くなりたいだけだ。
私の「承認欲求」は「単一指向性」のマイクだ。
だから、根本から義母とは合わない。
育ってきた環境も意見も合わないなら、私がそこを認めて勝手にさせる方が摩擦はない。
義母が言いたいなら言わせておけば良い。
私に反論はない。
まぁ、それも義母には気に入らなかったんだろう。
散々親戚から反論されまくってきたから、私のように反論しない、批判しない、素直に話を聞いて従う…と言うのは気に入らないんだろう。
義母にはない考え方だから。
まぁ、私もね。
めんどくせぇから従っただけだし、怒ると疲れるし、疲れるのは嫌だし、どうせ言っても無駄だし、無駄な時間は生産性に欠けるから。
だから、マウントも好きに取れば良いと思っていた。
そんなある日。
義母が買い物に行きたいと言い出した。
家には夫しか車を持っていないので、仕方なく夫が車を出す事にした。
その日、義母は朝から機嫌が悪く、ずっと黙って部屋に引きこもっていた。
それでも買い物はしたかったらしく、車を出せと言い出したのだ。
これ以上機嫌を損ねるのはもっとめんどくせぇ事になるから、と夫は渋々出かける準備をする。
「もっとめんどくせぇ事」と言うのは、のちに知る事となるのだが、今は割愛する。
支度を終えて、義母と義父、私と夫で玄関を出ると、目の前を車椅子に乗った40代位の息子と散歩する70代位の母親が通り過ぎた。
その親子はご近所さんだが、私は話をした事がないので、親子の事情など知る由もない。
義母はその親子が通り過ぎ、見えなくなった時、何を言い出すかと思えば
「あの人たちは良いわねぇ。国から補助金貰ってバリアフリーの立派な家に住んでるんだから。」
私は開いた口が塞がらない。
発想が斜め上すぎる。
「いやいや、あの人たちにはあの人たちの苦労があるんですよ?それは言い過ぎですよ、お義母さん。」
と、私が言うと、義母は不機嫌そうにこう言う。
「何言ってるの?生きてるだけで国からお金貰えるんだからラッキーじゃない。」
は?コイツ何言ってるの?
私にはこれ以上何も言えなかった。
高齢の母親が、車椅子の息子の面倒を見ている。
それがどれだけ大変な事なのか、想像すらしていないんだろう。
義母の頭には「楽してお金貰えて羨ましい」しかないのだ。
意味が分からない。
ああ、だからか。
そんな事を言う人だから友達いないんだ。
私は納得してしまった。
でも、良いんだ。
うちはうち、他所は他所。
我は我、他人は他人なり。
義母が他人にどう思われようが、知ったことじゃない。
私には関係ない。
私は私の人間関係を築いて、今の生活を円満に過ごせればそれで良い。
勝手にすれば良いわ。




