14.信用できない
私がしっかり覚えているのは、HCU(高度治療室)に移された後あたりからだ。
パニック発作で一時的に免疫力が低下した為、サルモネラ菌食中毒が発症。
それに伴うアナフィラキシーショック、だったらしい。
これは私の人生の中でもなかなかの重大事変だった。
もう二度とゴメンだ。
ICU(集中治療室)に1日、HCUに3日、一般病棟の個室に3日入院。
個室だったのは細菌性の食中毒だったから。
それに伴って、コロナ禍云々関係なく面会謝絶だったと聞いている。
私の病室に来る看護師さんたちが、防護服とマスクを着て入室するくらいだ。
当然だ。
そして意識がはっきりしだしてからは、早く帰りたい一心だった。
てっ君は分離不安症気味だったので、少しのストレスでも調子が悪くなる。
私はてっ君が心配すぎてとにかく「早く帰りたい」しかなかった。
そして、一般病棟の大部屋に移された朝。
主治医の診察の際
「血液検査の結果も良好ですし、回復も順調ですね。今日から大部屋ですが、何か不便やストレスはありますか?」
と、聞かれ、私は即答した。
「うちの猫が心配なので家に帰りたいです!」
看護師さんたちには四六時中言っていたので、主治医は笑いながら
「猫ちゃんを大事にされてるんですね。体調は安定してますし、今日退院しますか?」
と、言ってくれた。
私は意気揚々と
「帰ります!ありがとうございます!」
と、答えた。
主治医は
「免疫力はだいぶ回復しましたが、体力が著しく低下しているので、1週間は自宅でゆっくり静養する様に。」
と、強く念を押された。
そして、この時に処方された抗不安剤は、今でも定期的に処方されている。
迎えには実母が来てくれた。
実母は私がいない間の家の様子を逐一教えてくれた。
義姉夫婦が私の家にいた事。
てっ君は義姉に良く懐いている事。
義父の葬式は終わり荼毘に付した事。
義兄は仕事があるから帰ったが、義姉はまだうちにいる事。
義父の亡くなった事による色々な手続きを、今義姉がやっているという事。
今日から夫が仕事復帰した事。
義実家の猫たちは、夫が毎日お世話をしていると言う事。
そして、てっ君は元気という事。
家に帰ると、義姉が出迎えてくれた。
てっ君はきっと私にべったりに…なってはくれなかった。
「あ?やっと帰って来たん?」的な顔して振り向いただけだった。
…悲しい…でも、てっ君が元気で良かった、とほっとした。
私はてっ君に近付いて、しばらくずっと撫でていると、機嫌を直したらしく、ソファーに飛び乗って
「おい、寝ようぜ」
と、言わんばかりに横になって私を見た。
いつものてっ君の仕草を見て安心して、てっ君と一緒に昼寝をした。
まさかこれが最期になるなんて思いもしなかった。
昼寝から目覚めると、もうてっ君の夕飯の時間だった。
私はてっ君の夕飯を出して、家事を始めたが、義姉が
「ゆっくりしてて良いよ、私が出来ることはするから。」
と、言ってくれたので言葉に甘えた。
しばらくすると夫が帰宅した。
夫と義姉と私で話し合いが行われた。
内容は勿論義母の事だ。
「追い出した」経緯もある為、義姉は私に申し訳ないを繰り返していた。
私の入院中、義母の退院は3週間後に変更になっていた。
あと、2週間で退院になる。
退院は良いとして、私は気になることがあった。
「ところで、お義母さんはどこに退院することになったんです?」
私が聞くと、夫が答える。
「うちだけど?他に行く所ないし、ねぇちゃんところは遠いし、義兄は転勤族だから、また移動になるかも知れないから、お母さんの面倒見るのはできないから。」
しれっと言う夫。
まぁ、そうなると思ってはいたけど。
それでも、こんな重要で尚且つ私が一番の被害を被る様な事案を、私のいない所で閣議決定されるのは腑に落ちない。
「んで、私は何をすればいいの?言われなきゃ何もしないよ。根に持ってるって思ってくれていいけど、追い出されたこと忘れてないし、追い出された以上何かをする義理も義務もないから。」
と、少し突き放す言い方をした。
どうせ今ここで拒否した所で何も変わらないと分かっているから。
「基本何もしなくていいよ。いつもと同じ様にやってくれれば。お母さんの事はついででいいよ。俺達の洗濯のついで、夕飯作るついで、掃除するついで、そんな感じ。お母さんの為に何か特別なことはしなくていいよ。」
だから、その「ついで」がめんどくせぇんだよ。
2人分が3人分になっても変わらないと思ってるんだろうけど、分かってねぇな。
各家庭のやり方があって、それを義母が教えてくれなくて、仕方なく私のやり方で「ついで」にやってたら、義母が気に入らなくて追い出されたんでしょうが。
と、思っていると、義姉が
「嫁ちゃんのやり方でいいし、それが気に入らないって言い出したら追い出していいから。お母さんも行く場所がないのは理解してるからそんな事言わないと思うし、言い出したら人じゃないから。だからこき使ってくれるとありがたい。リハビリにもなるし、私からも強く言っておくから。それに何かあったら、遠くでも私がすぐフォローしに来るよ。」
と、言った。
私としても、夫と義姉を困らせたいわけではない。
私もそこまで子供ではない。
人生は妥協の連続だ。
「分かりました。お義母さんはどの部屋に住まわせるの?」
と、話題を変える。
「一階の和室は広いからそこ使って良いってお義母さん(私の実母)に言われたからそこにする。」
夫が答えた瞬間、不安がよぎった。
「待って。その部屋だと祖父母のお仏壇あるじゃん。困るんだけど。」
私はちょっと不安げにそうに言う。
「何で?」
夫は何でそんなに不安なのか理解していないようで、聞き返す。
「私、お義母さんがいる部屋に入るつもり無いから、お仏壇のお世話できなくなるし、お仏壇壊されたくない。」
と、私が言うと、
「さすがに壊したりしないから大丈夫だよ。」
夫は首をかしげる。
「信用できない。」
私は即答。
「何が信用できないんだよ?」
夫が少し不機嫌に言う。
さすがに幼い頃から義母のヒステリーに耐えてきたから多分分からないのだろう。
「機嫌悪くなって、部屋に閉じこもって、夜中出てきて、お皿ガチャンガチャン割ってた人をどう信用しろと?八つ当たりでもされたらたまらないわ。」
私が強く言うと夫が黙る。
そう、機嫌が良いなら良い。
しかし、義母が機嫌を損ねると天の岩戸が発動する。
自分のものを投げるだけなら良い。
好きにすれば良い。
でも、投げたものの当たりどころが悪くてお仏壇壊されない保証はないのだ。
「分かった、それは絶対させないし、お仏壇のお世話をさせるから。」
夫がそう言うと義姉が
「嫁ちゃんが心配するのは分かる、あの人機嫌悪いとなにするか分からないから。でも、お仏壇なんて高いものを壊す勇気はないと思う。弁償なんてお金ないから。」
と、言った。
なるほど、夫と義姉は私を「説得」しているのだ。
義母をここに置くための説得。
納得はしてないけど夫と義姉の言い分には妥協はしてるんだよ。
ただ、どうしても納得も妥協も出来ない部分があるだけ。
普通なら義母本人が私に頼み込んでくるものじゃないの?
自分の生活圏の確保を他人任せってなんなんだよ。
私に直接電話する事も出来ないの?
バカなの?死ぬの?
それがあるから妥協出来ないのだ。
「はぁ…。」
今、いない人間にそれを言っても仕方ない。
私はため息をつきながら
「分かりました。それでいいです。ただし…。」
と、説得に応じた。
さっきも言った通り、夫と義姉を困らせるつもりは毛頭ない。
今ここで私が反論したら、困るのは夫と義姉だ。
二人はどうしても私を説得するしかない。
だから、折れるしかない。
義母が来た時、もしかしたら義母本人から頼まれるかも知れないから、ここは折れるしかないのだ。
だが、二人には分かっていない。
お仏壇を守るためにも「義母のご機嫌を毎日取らなきゃいけない」という義務が発生することを。
しかしこれ以上腹をたてて嫌がってても、埒があかないし生産性もない。
「譲れないものが2つあります。」
と、切り出した。
「何?」
義姉が聞いてきた。
「てっ君は触らせません。絶対。」
と、言うと、夫が答える。
「もちろん、触らせないよ。お父さんの葬式の時、お母さんが一度ここに来たんだけど、てっ君全然お母さんの所行かなかったから、てっ君もお母さん嫌いみたいだから。」
は?来た?ぶち殺されたいの?
「義母が来た?まさか…てっ君触らせたわけじゃないでしょうね?」
私は夫を睨んだ。
「触らせるわけねぇじゃん。さっきも言ったけどてっ君があいつに近づかなかったし。ねぇちゃんにはべったりだったのに、あのババァには全然近付かなくてさぁ。」
なら良かった。
ん?でもてっ君が近付かないって珍しいな。
と思っていたら、夫が続きを話し出す。
「あのババァ、てっ君に会う前は「てっ君と暮らせるの楽しみ」とか言ってたのに、自分に寄ってきてくれないからって「かわいくない!」とか抜かしたから触らせるわけねぇだろ。」
は?アイツ何言ってんの?
他人のお宅のお猫様は、そもそも近付いてくる方が珍しいんだよ。
クソが。
それに、義実家でお前と暮らしてたお猫様たちはどうするんだよ。
まぁ、いいや。
てっ君に危害ないなら。
「それなら良いよ。極力てっ君にストレスかけたくないから近付くのもご遠慮ください。」
私はぴしゃりと言った。
そして義姉が
「もう一つは?」
と、聞いてくる。
とても言いづらかったが、ここで引いだらダメだ。
自分の意見はきちんと言わないといけない。
「義母にこの家で死んで欲しくないんです。」
私ははっきりと言った。
義母がこの家にいる時に死なれたら、この家が穢れる。
そう思ってる私は性格が悪い。
そう思う私をよそに義姉は
「そんなの当たり前だよ!あの人がこの家にいる時に死なれたら、この家が穢れちゃうって思ってるんでしょ?アレだけの仕打ちをされてるんだから当然だよ!だから、何年もここで住まわせる事は絶対させないから安心して。」
と言ってくれた。
そう言ってくれるなら、私はもう何も言う事はない。
その時だった。
てっ君が急に吐き戻しをした。
それから、てっ君の調子が急に悪くなった。
よだれが止まらずに、水も飲まない。
吐き戻しも激しく、夜も昼も眠れていなかった。
病院に連れて行って注射しても調子は良くならず、てっ君の身体からは薬液の匂いが漏れていた。
おそらく、もう身体が薬を受け付けなかったんだろう。
私は寝る間も惜しんでてっ君のそばにいた。
しかし4日後、てっ君は息を引き取った。
この話はここで詳しく語るのは辞めておく。