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第8話 驚きの管理──沈黙で縛る同盟

「総理、到着しました」


防衛省の黒塗りの公用車が、郊外の県道を外れ、さらに細い道へと入っていく。

舗装は途切れ、タイヤが小石を弾く音が車内に響く。

冬の曇り空は低く垂れ、吐く息がガラスに淡く映った。


天城一誠は、窓の外に流れる里山の景色を眺めながら、指先で膝を軽く叩いていた。

この場所の正確な位置を知るのは、国内でも片手で数えられる。

首相である自分が直に足を運ぶのは、今日が初めてだった。


「総理、こちらです」


案内役の防衛装備庁職員が指さした先に、小さな木造の門があった。

大学の構内と呼ぶにはあまりにも質素で、看板すらない。

むしろ廃校跡のような風情だ。だが、その奥で行われている研究は、日本の未来を左右するかもしれない。


中に入ると、石油ストーブの匂いが漂い、床板はぎしりと軋んだ。

白衣の老人が一歩、二歩とこちらへ歩み寄ってきた。

小柄で、腰はやや曲がっているが、瞳は異様なほど澄んでいる。


「お待ちしておりました、総理。……遠路を」


「教授、急な訪問を許していただき感謝します。直接見て、聞いておきたいことがある」


握手は短く、力は控えめだった。

研究室の奥へ案内される途中、天城は壁一面に貼られた波形データや数式を目で追った。

どれも専門外の者には意味を成さないが、ただの学術研究ではない匂いがあった。


奥の実験室は、意外なほど狭かった。

中央の机に置かれたのは、長さ一メートルほどの金属製チューブ。

その脇には、モニターとノートパソコンが置かれ、若い院生らしき二人が何やら設定を確認している。


「これは……?」


「模型です。核弾頭を模した多層構造体を、我々が開発した場制御装置で内部から崩壊させます」


教授の声は静かだったが、その内容は衝撃的だった。

天城は眉を動かさず、さらに促す。


「実際に、見せてもらえますか」


院生の一人がスイッチを押すと、モニターにCG映像と実験データが並行して映し出された。

金属チューブの内部に、不可視の波が流れ込む。

一瞬の後、表面には亀裂が走り、中心部が粉末状に崩れた。


「……誘爆も、暴発もなしに、消える?」


「はい。爆縮に必要な構造を物理的に破壊するため、核反応は起こりません。発射前でも、飛翔中でも、到達前でも、原理的には可能です」


教授の言葉が、天城の胸の奥に冷たい針のように刺さった。

これは防御の域を超えている。

核抑止の土台そのものを覆す技術だ。


「なぜ、これまで報告しなかった?」


「……総理、我々は軍事研究を目的としていません。ですが、このままでは米国や中国に奪われる危険がある。防衛省の一部が興味を示し、あなたに会わせろと言ってきたのです」


老人の瞳には、わずかな恐れと、誇りが同居していた。


天城は短く息を吸い、吐いた。


「教授、この技術は今日から政府直轄とします。拠点は分散し、あなた方の身辺は私が守る」


そう言い切った瞬間、院生たちの表情が強張った。

守られるということは、同時にもう後戻りできないことを意味する。


廊下を戻る途中、天城は一度だけ立ち止まった。

窓の外、冬枯れの畑の向こうに、灰色の空が広がっている。

この空の下に、核の傘など存在しない世界を、現実にできるかもしれない――。


だが、それは同時に、既存の秩序を根底から崩すことになる。

天城は唇をわずかに結び、胸の奥でその重さを受け止めた。


◇◆◇◆◇◆


夜の官邸は、外観だけなら静かだった。

だが、その内部は昼間以上に研ぎ澄まされた気配に満ちている。

天城は執務室に戻るなり、秘書官に短く指示を出した。


「今夜は……五人だけだ。名簿は、お前も覚えているな」


「はい、総理」


数分後、分厚いカーテンで外光を遮った一室に、選ばれた五人の顔が揃った。

防衛大臣、国家安全保障局長官、外務大臣、内閣官房副長官、そして防衛装備庁長官。

全員、表情を固くしている。


「……単刀直入に言う。今日、ある研究室で見た技術について話す」


天城の声は低く、しかし響きは鋭かった。

全員が身じろぎもせず耳を傾ける。


「核弾頭を、物理的に無力化できる装置だ。暴発も、核反応も起こさない。飛翔中でも破壊可能だという」


一瞬、室内の空気が変わった。

防衛大臣が思わず息を飲み、外務大臣が眉間に深い皺を刻む。


「……総理、それは本当ですか」


「私の目で見た。試作品だが、原理はすでに成立している」


机上の地球儀が、暖色のランプに照らされ、赤い影を壁に落としていた。

天城はゆっくりとその地球儀を回しながら、言葉を続けた。


「諸君、これは単なる防衛技術ではない。核抑止の前提を覆す。つまり、米国の核の傘は、我々が望めば必要なくなる」


その言葉に、場の空気が一段と重く沈んだ。

局長官が、声を絞り出す。


「……総理、それは同時に、米国との同盟基盤を崩壊させます」


「分かっている。だからこそ、ここにいる者以外には口外しない。明日からこの研究は政府直轄とし、拠点を分散。情報漏洩は絶対に防ぐ」


防衛装備庁長官が、ためらいがちに口を開く。


「総理、技術の成熟にはまだ時間がかかります。加えて、この存在が外国に知られれば……必ず奪取工作が始まります」


「だから守る。だが、それだけではない。この技術は、米国が今後我々をどう扱うかをも変える。次期政権交代……4年後を見据えた時、彼らが日本を同盟の内に置き続ける理由は薄れるだろう」


外務大臣が頷きながらも、慎重な口調で問う。


「では総理、この技術を外交カードとして切るおつもりですか? それとも……隠し続ける?」


天城はしばし沈黙した。

窓の外では、冷たい雨がガラスを叩く音が小さく響いている。


「隠す。しかし、必要な時には切る。その判断権は私が持つ。今はまだ、米国を正面から敵に回す時ではない」


彼の声は穏やかだったが、その裏に確固たる意思があった。

五人は互いに視線を交わし、やがて誰も反論しなかった。


会議が終わったのは、日付が変わる少し前だった。

退出する面々を見送りながら、天城は机の端に置いたままのフォルダに視線を落とした。

そこには研究室で受け取った、詳細な設計図と理論式が入っている。


(もし、この国が本当に核の傘を離れたとき……我々はどこへ向かう)


答えはまだ見えない。

だが、その方向を指し示す羅針盤は、すでに手の中にあった。


秘書官が静かに近づき、声を落とした。


「総理、米国大使館から面会の要請が入っています。……至急で」


「理由は?」


「“新しい安全保障対話”についてとだけ」


天城は小さく笑みを漏らした。

まるで、風の匂いを嗅ぎ取ったかのように。


「……明日だ。こっちも、用意がある」


その夜、官邸の窓から見える街の灯は、雨に滲んで揺れていた。

天城は背もたれに深く身を沈め、静かに目を閉じた。

頭の中には、研究室で崩れ落ちる金属チューブの映像が何度も再生される。


核という象徴が、砂のように崩れ落ちる瞬間。

あれは、単なる実験ではなかった。

日本の立ち位置を変える可能性を秘めた、時代の裂け目だった。

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