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第2話 静かなる布石──四年後への影

 所信表明演説を終えた瞬間、天城一誠は議場を覆う熱と冷気の両方を、肌で感じ取っていた。与党席からは拍手が送られたが、その手のひらには、賛同と不安が入り混じっている。野党席は沈黙を貫き、眼鏡の奥からこちらを計りにかけるような視線が突き刺さる。


 ──予想通りだ。

 誰もが「刺激的すぎる」と思ったに違いない。だが、ここで軌道修正をする気は毛頭ない。むしろ反発の中にこそ、この国を変える余地がある。


 演説後、控室に戻る廊下で、防衛大臣の葛西が追いついてきた。

「総理、あの“将来の防衛体制の自立”のくだりですが……外務省から、早くも米大使館経由で問い合わせが来ています」

 天城は足を止めず、短く答える。

「想定内だ。返答は『方針検討の一環』で構わない。焦らせるな」


 会議室に入ると、官房長官の諸星が待っていた。

「総理、経済界からは為替と株価への影響を懸念する声が出ています。特に自動車と半導体は、米国市場の動向次第で揺れるでしょう」

「だからこそ、今から選択肢を増やす。米国一辺倒からの多角化は、4年あれば形になる」

 その「4年」という言葉に、諸星の眉がわずかに動く。総理が狙っている“タイミング”を察しているのだろう。


 午後には非公開の閣議が開かれた。表向きは経済対策と安全保障の現状確認だが、実際には「独立防衛構想」の下準備」が議題だ。

「国内造船所の稼働状況を再調査しろ。潜水艦と駆逐艦の建造ラインを増設する可能性を検討する」

「サイバー防衛部門は予算を倍増。表向きは『インフラ防護』名目で通せ」

 一つひとつの指示は、あくまで合法の範囲だ。だが、それらは後に一本の線として繋がる。表の議事録からは見えない“設計図”を、天城は頭の中で引き始めていた。


 夜、総理公邸の書斎。窓外に霞が関のビル群が静まり返るのを見下ろしながら、天城は机上の資料に目を通す。

 そこには、米国大統領選挙の世論調査と、主要候補者の政策分析が並んでいた。赤い付箋が貼られたページにはこう記されている。

《ネオ・アイソレーショニズム(新孤立主義)傾向強し──同盟維持に消極的》

 まるで自分のために用意された駒だ。だが、米国の世論をその方向に動かすには、まだ長い仕込みが要る。


 電話が鳴る。外務省北米局長からだ。

「総理、在米のシンクタンク経由で、アメリカ保守層への情報発信ルートを確保できそうです」

「よし、文化交流や経済協力の名目で動かせ。表では“親米”を装い、裏では“米国の負担減論”を広めるんだ」


 受話器を置いた天城は、ゆっくりと背もたれに体を沈めた。机上の海図のように広がる未来図には、まだ線が引かれていない場所が多い。だが、それらは一つずつ、確実に描かれていく。

 目指す港はただ一つ──日米安保からの離脱、その後も生き残れる国家構造の確立だ。


 彼は窓の外を見やり、小さく呟いた。

「転舵の準備は、もう始まっている」


◇◆◇◆◇◆



 翌朝の閣僚懇談会は、表向きは「経済成長戦略の見直し」と題されていた。だが会議室の長机に並んだ資料には、細かい字で“防衛産業活性化”と“地域拠点強化”の文字が並ぶ。

 天城は冒頭で、何気ない口調で告げた。

「地方造船所や電子部品メーカーへの投資を拡大する。名目は雇用創出だが、将来の安全保障にも資する。ここに異論はないはずだ」

 大半の閣僚は頷いた。雇用と票田の確保、誰も表立って反対できる理由はない。


 しかし、会議後に経済産業大臣の村瀬が近寄ってきた。

「総理……米国製装備の輸入契約に支障が出かねません」

「契約は続ける。ただし、国内生産の比率を上げるだけだ。米国への依存は今の半分で十分だ」

 天城の目は村瀬の目を外さない。その視線に押され、村瀬は小さく頷き、去って行った。


 午後、総理公邸の地下会議室。そこには政権中枢の中でも選び抜かれた六人が集まっていた。防衛省、外務省、内閣情報調査室、そして経産省からの少数精鋭だ。

 テーブル中央に置かれたモニターに、米国議会の最新動向と防衛予算の議事録が映し出される。

「こちらは米国防総省の公式見解ですが……来年度以降、インド太平洋へのプレゼンス削減案が内部検討されています」

 防衛省の高城局長の報告に、天城は薄く笑みを浮かべた。

「削減の動きは歓迎だ。だが、日本が慌てて空白を埋めに行く姿は見せるな。代わりに、自分たちで埋める準備を進めるだけだ」


 情報調査室の川村が口を挟む。

「総理、米国メディアへの露出戦略ですが、現段階では“日本は信頼できる同盟国”というメッセージを強調すべきです。安保離脱の意図を嗅ぎつけられぬように」

「その通りだ。表のメッセージは従来通りの親米路線。裏の計画は、必要な時まで眠らせておく」


 会議は二時間続いた。議題の半分は、あえて日常的な事務案件に費やされた。誰がどこで何を話しているか、外に漏れる情報の“温度”まで管理するためだ。


 夜、天城は官房長官の諸星と二人きりで、総理公邸のバルコニーに立った。東京の夜景の向こう、遠くに赤く瞬く航空機の灯りが見える。

「諸星……今の日本は、まるで借り物の甲冑を着た兵士だ。立派に見えるが、中身は守られていない」

「だから自前の甲冑を作ると?」

「そうだ。米国が作った盾を借りて戦う時代は終わる。だが、それを国民に飲ませるには時間がいる。少なくとも──」

 天城は夜空を仰いだ。

「──米国の政権がもう一度変わる、その瞬間までは」


 その翌日、天城の所信表明を受けて、新聞各紙は大きく社説を展開した。

 『現実性に欠ける理想論』

 『自主防衛?財源と人材は?』

 批判的な見出しが並ぶ一方で、地方紙のいくつかは好意的だった。『地方産業に追い風』『雇用創出に期待』──これこそ、天城が狙っていた二重効果だった。


 一方、米国大使館では動きが早かった。外務省幹部に対し、非公式の「説明要請」が入る。外では笑顔を見せ、内では睨みを利かせる──それが彼らのやり方だ。

 天城はその報告を受けても、ただ一言だけ返した。

「会う必要はない。返答は書面で、外交辞令をなぞるだけにしろ」


 数日後、地方の造船所に新しい試験設備が搬入された。報道発表では「環境規制に対応した新型船舶開発」と説明されている。しかし、設計図の一部は、防衛用途を見越した仕様だった。

 現場監督が小声で言う。

「総理、本当にこんなことができるんですか?」

 天城は笑わなかった。

「できるかどうかじゃない。やるんだ。今のままでは、この国は沈む」


 夜遅く、書斎の机上に置かれた分厚いファイルを開く。そこには、過去四十年間の日本の防衛予算推移と、国内生産比率の詳細なグラフが並ぶ。天城は鉛筆を走らせ、一本の線を引いた。

 それは、四年後の米国政権交代を境に、一気に独立防衛へと転舵する計画のラインだった。


 窓外には月が浮かんでいる。その光を背に、天城は静かに呟いた。

「海図は描き終えた。あとは、この国をそこまで運ぶだけだ」

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