めぐるひまわり
七月のお日様が照り付ける。
農園のおじさんが先日種まきした畑を、僕は歩いている。さっき、小さな緑色の物がたくさん見えたんだ。あれは何だろう。僕の好奇心は止まらない。
生まれてひと月、歩くのも上達し、そう遠くない処までなら一人で行ける。
お母さんは「外は危険がいっぱいよ。お散歩は暗くなってから」と言うけれど、僕はお日様が好き。
「いいかい、あたし達は夜行性なんだよ」
「夜行性ってなぁに?」
「夜に活動する性質ってこと」
「僕、暗いの嫌だな」
「誰に似たのかしらね」
お母さんは首を捻る。
だって、気持ち良いよ。あんまり暑いのは困るけど、お日様の光を吸い込むと、何だか清らかになる気がするんだ。
畑の小さな緑は双葉だった。
鼻を近付けて、ふんふんと臭いを嗅ぐ。
「こんにちは」
「……こんにちは。誰かの息がかかると思ったら、あなただったのね」
「ぼくは、アライグマ」
「私は、ひまわり。少し前に外に出たの。お日様や風が素敵ね」
ひまわりは、少し伸び上がって柔らかな緑の双葉をプルプルと震わせた。
「君も、お日様が好きなの?」
「大好きよ。もう少しすると、毎日、東から西へと、お日様を追い掛けるようになるの」
「追い掛けるくらい好きなんだね。僕もお日様が大好きだよ。友達になれる?」
「お日様が大好きなもの同士ね。よろしく!」
それから、僕は毎日、畑に出かけて、ひまわりと過ごした。お母さんや兄妹は、お日様が好きじゃないんだって。
「ねぇ、君は東から西に、お日様を追い掛けるんでしょ? じゃあ、西を向いて、一日が終わるよね。次の日は、西から追い掛けるの?」
ふふっと、ひまわりは笑った。
「実はね、夜の内に東向きに戻るのよ」
「へぇ、すごいね!」
「東向きに戻って、お日様が昇った時から、沈むまでずっと追いかけるの」
毎日お日様を追い掛けるひまわりは、ぐんぐん背が伸び、大きな葉っぱをたくさんつけた。僕は、ひまわり畑の葉陰で、お昼寝をする。これだけ茂れば、いつも、ちょっかいを出して来るいたずらカラスだって、見つけられないさ。夏の日が過ぎて行く。
「アライグマさん、アライグマさん、風の中に雨の匂いがする。もうすぐ、土砂降りになるから、お家に帰った方がいいわよ」
ある日、ひまわりは遠くの黒い雲を見つめていた。
僕は、鼻をひくつかせる。
「これが、雨が降る前の匂いなんだね。教えてくれてありがとう。じゃあ、また明日」
僕が帰ってしばらくすると、雨が降り始め、次第に風が吹き荒れ、嵐になった。
「お母さん、怖いよう」
震えながら兄妹と一緒に母親にくっ付いた。
「大丈夫よ。人間の作った小屋は、きっと大丈夫」
とはいうものの、屋根や壁に打ち付ける雨風の音や振動は激しくなっていく。
僕は、ひまわりが心配になった。
屋根も壁も無い畑に立つひまわりたち。
明日、晴れたら、朝一番に見に行こう。
翌日、嵐は去り、そこかしこにある水溜まりは、青空を映していた。濡れた草を走り、僕は、畔に置いてあるトラクターの陰から、ひまわり畑に飛び出した。
「ひまわりさん、大丈夫?」
畑のひまわりは、よろけたものもあったが、折れてはいない。
「良かった」
「根を深く張っているから、大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
ひまわりは、嬉しそうに微笑む。
「あ」
僕の胸にぽっと温かな光が灯った。
何日かすると、よろけたものも、ちゃんと立ち上がる。ひまわりは強いなぁ。
「ねぇ、今日ね、アゲハ蝶が来てくれたのよ。あんな風に何処へでも行けたら素敵ね。色んなものを見れるのでしょうね」
「何を見たいの? ひまわりさんが見たいものを、僕が見て来てお話してあげる」
「そうね。この畑の向こうには、何があるのかしら」
僕は、畑の向こうまで一生懸命走って行った。
お母さんに「川があるから、行ってはいけない」と言われていたのだけれど。
そこには、たくさんのお水がドウドウ流れていた。
「これが川?」
僕も見るのが初めてだった。近付くと危ないって、お母さんが言っていた。流されたら死んでしまうって。だから、僕は遠くから、川を目に焼き付けた。
「川? があるのね」
ひまわりは目を輝かす。
お水が、後から後から流れて来ることや、大きな石や小さな石が、敷き詰めたようにたくさんあること。僕は見て来たこと全部を話した。ひまわりが喜んでくれて嬉しい。
その日から、僕は、畑から動けないひまわりが見たいものを見に行っては、お話してあげた。
「ありがとう。アライグマさん。おかげで、知らないものをたくさん知ることができた」
「じゃあ、わたしは」と言って、ひまわりは、僕の知らない雲や虫の名前を教えてくれる。
「あのモクモクしているのが入道雲よ」
「あれは、綿雲」
「ここを見て、小さな丸い虫。テントウムシよ。嫌な事をするアブラムシを食べてくれるの」
僕は雲の名前や虫の名前を覚えた。
やがて、ひまわりは、つぼみを付け、美しい黄色の花を咲かせた。
「すごい! きれいが、たくさん! まるで小さなお日様みたいだ」
見上げると、青空の入道雲を背景に黄色の花が揺れている。淡い緑と黄色の迷路を、僕は、はしゃいで走り回った。
そして、ふと、気付いた。この頃、ひまわりは、お日様を追いかけていない。
「花が咲くとね、私たちはお日様を追いかけずに、ずっと東を向くようになるの」
「そうなんだ」
「私たち、動かなくなったら……」
ひまわりは、考える様に言葉を切った。
「何?」
「……予感がするわ」
「え? 予感って?」
「ううん、何でもないの。私たちは、精一杯咲くだけ」
ひまわりが咲いて、しばらくたったある朝、農園から、ブルブル、ゴウゴウと大きな音がした。何かを走らせているような、低く重い音。地面が細かく揺れている。
「お母さん!」
僕は怖くなって、兄妹と一緒にお母さんにくっ付き、小屋の中で身を寄せた。
「トラクターの音だね」
お母さんは、耳を澄ました。
「今日は、お散歩禁止よ。巻き込まれたら、死んでしまう」
怖い顔で僕をじっと見る。生まれて初めて聞く音は、一日中、畑の方から聞こえていた。
次の朝、お日様が昇ると、僕は急いでひまわり畑に出かけた。昨日の大きな音、ひまわりが心配だった。
「おはよう! ひまわりさん!」
畔に置いてあるトラクターの陰から、いつものように畑に飛び出した。
しかし、そこにひまわり畑は無かった。トラクターに掘り返されて、ふかふかになった黒い畑が、晴れ渡った空の下、見渡す限り続いていた。
「えっ……」
僕は、何が起こったのか分からなかった。夢を見ているのではないかと、自分の前足をちょっと噛んでみたら、痛かった。
「ひまわりさんたち、何処へ行ったの?」
視線を落とし黒い土をよくよく見ると、緑の葉っぱや黄色い花びらが千切れて混ざっていた。これって、まさか。
「何で……」
涙でにじんで、前がよく見えない。
泣きながら走って帰り、お母さんに話した。
「……そう。人間は、肥料にする為にひまわりを育てるのよ」
お母さんは、僕の顔を慰めるように舐める。
「お花が……、咲いたばかり……だったのに」
僕は、ひっくひっくと鼻をすすり上げた。
「種を作るために、花には栄養がいっぱい蓄えられるの。だから、花が咲いて、しばらくしたら、すき込んじゃうって、聞いたよ」
ひまわりが言っていた予感って、こういうことだったのか。胸が真っ黒な空っぽになって、息をするのも辛い。
あれから、僕は昼間にお散歩はしない。お日様よりも、ひまわりが好きだったことに気付いたけれど、ひまわりは、もういない。好きだったお日様を見るのが辛い。ひまわりを思い出してしまうから。
僕は、夜行性のアライグマなんだ。
暗い闇にこそこそ生きるアライグマ。
夜になったら、お母さんや兄妹と一緒に外に出て、食べ物を探すんだ。
「ごらん」
お母さんが、暗い空を見上げた。
「お月様だよ」
まん丸で光っていて、お日様によく似ている。
僕はお月様を見上げ、光を吸い込んでみたけれど、寂しくなるだけだった。
ひと月ほど経ったある朝、また畑の方が騒がしかった。ひまわりがいなくなった畑は、あれからずっと放置されていたのだけれど。
夜になってから見に行くと、畝が出来て、何かの苗が植わっていた。
「キャベツだよ。大きく育ったら、食べようね」
お母さんは、鼻をくんとして笑った。
冷たい北風が吹く頃、キャベツは結球し、冬毛になった僕たちは、夜の畑でかぶりつく。
ガブリ! モシャモシャ
「あ」
知っている、この気配。
懐かしいひまわりの気配がする。
大好きだったお日様の匂いを思い出す。温かで清らかな匂い。
「……そこにいたんだね」
僕はキャベツの甘みを噛み締める。
「とっても、とっても、美味しいよ」
涙がこぼれた。