第2話『つちや足袋店の一足』
「いぶき、あんたまた怒られたと?」
玄関を開けると、祖母の静かな声が出迎えた。
久留米の郊外。瓦屋根の古い平屋。母が忙しい時はいぶきがここに泊まっていた。
「まあね。協調性がないってさ」
靴を脱いで上がりながらそう答えると、祖母はふうんと笑った。
「人に合わせるのが、いつも正しいとは限らんよ。自分の“型”を持っとる人は、強かけんね」
「“型”……?」
ふと、座敷の隅に目が止まった。
桐の箱。小さく、“つちや足袋店”と筆文字の焼き印がある。
「それ、あんたのひいばあちゃんの足袋。戦争が終わってすぐ、つちやで買うたらしいよ。今はムーンスターっちゅう会社になっとるけどね」
「へぇ……ってムーンスターってあのスニーカーの?足袋ってスニーカーの祖先じゃん!」
蓋を開けると、白く柔らかい布地の足袋が出てきた。
少し黄ばんでいるけど、縫い目は丁寧で、底は分厚い。
「……履いてみていい?」
「よかよ。どうせ捨てきらんし、いぶきに使うてもらえたら嬉しかよ」
縁側で足袋に足を通す。シュッとしたつま先、ぴったり吸い付くような履き心地。
(なにこれ……裸足みたい)
思わず、庭に出た。草の感触、砂のきしむ音。足の裏で地面を感じる。
そのまま、ポーチに入れていたボールを取り出す。
トウでリフティング。内側、外側、ヒール、肩、頭。
昨日見たパフォーマンスを真似してみる。
すると、不思議なほど動きが“決まる”感覚があった。
(これ……合ってる。ボールとの距離が、いつもより近い)
軽く跳ねながら足袋でボールを蹴る。
風が吹いて、祖母の干していた絣ののれんが揺れた。
ボールがその下をすっと抜ける。
「……私の蹴り方、これかもしれない」
祖母が縁側に座り、お茶を啜りながら言った。
「昔はみんな足袋ば履いてたとよ。畑仕事も、踊りも、祭りも。
地面とよう繋がっとったと。……今の人は、そういうの薄うなったね」
いぶきは頷いた。
“地面とつながる”——それは、自分が失っていた感覚だったかもしれない。
部活では周囲に合わせろと言われた。自由に蹴れば叱られた。
でも、この足袋を履いて蹴る自分は、誰にも縛られていなかった。
夜、帰り際。
「これ、借りていい?」
「持っていきなさい。けど、踊るならちゃんとおしゃれにしなさいよ」
祖母がそう言って、古い刺繍糸の箱を出してくれた。
「可愛かとが、いちばんよ」
いぶきは笑った。
その夜、スマホで「フリースタイルフットボール 女子」で検索した。
まだ少ない。でもゼロじゃない。
「足袋」を履いた、自分なりの“型”が、そこから始まろうとしていた。