2月中旬のある日
その日は前日より若干暖かかった。
午前、家のチャイムが鳴る。
インターフォンのカメラに映ったのは初老の男性。
茶色のコートに帽子、マスク姿で姿勢が良い。
違和感を感じるほど生き生きとした表情でインターフォンからの反応を待っている。
脳内パターン分析の結果、ある推測が導き出される。
(これは……宗教の勧誘だ。)
そうなると対応は時間の無駄である。
例えばインターフォンに出たとする。
信仰の素晴らしさを延々語り始めるので、なかなかこちらのターンにならない。
強引に遮るパターンもあるだろう。
ようやく断れたとする。
七転び八起きである。百戦錬磨の彼らはただでは帰らない。
「教本をポストに入れてもいいか」と聞いてくるのだ。
興味がないと断っている人にそれでも食い下がろうとするメンタル。
そこにどれほどの可能性を感じているのか。
もしやノルマなのか?在庫を減らすことで徳が積めるのか?
こちらとしては資源の無駄遣いにしか思えない。
そもそも高齢者が多く住むこの地域で勧誘して回るのは効率悪いのではないだろうか。
社会経験の浅い若者の方が釣れそうな気がするが……退職して時間ができるので寄合所感覚で入信する人がいるのだろうか。
そんなことを考えながら居留守を決め込む。
2回目が鳴ることはなかった。
夕方、再びチャイムが鳴る。
今度は中年女性だ。
再びパターン分析が走る。
(またか。。)
我が家のチャイムを鳴す人間は3パターンしかない。
配達員か、鍵を開けてもらおうとする我が子か、宗教の勧誘だ。
それ故、ほとんど鳴ることはないのに今日はなんて日だ。
午前と同じことを考えながら居留守する。
今回も2回目はなかった。
18時ごろ、ルーティーンワークとなっている運動が終わった頃、帰宅していた次男が声をかけてきた。
「パパー。ちょうど瑞穂ちゃんがお兄ちゃんにチョコレート届けてくれたよ。」
その瞬間、今日が何の日か気付く。
チョコレート会社の陰謀にまんまと引っかかる日だ。
そこから今日一日の違和感が振り返される。
ひょっとしてさっきの女性は瑞穂ちゃんのママだったのではないか。
瑞穂ちゃんは確か塾に通っているとかで帰りが遅かったはず。
だからママが代わりに届けに来た可能性。
若干の申し訳無さを感じつつ、さらなる可能性に気付く。
「まさか午前中のおじいさんも……」
いやいや、まさかね。
それにしても生き生きとしてたな。。違和感を感じるほどに。。