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第8話 神の恵み

神の恵みって人の名前みたいですね

「名前……名前……うーん……」

 何かのきっかけにならなかいかと声に出してみたものの、効果はない。どうしても自分の名前が思い出せない。実に奇妙な感覚だ。

 広瀬早織。佐上心。浦上青空。浦上凪雲。

 目の前にいる生徒会の四人の名前は問題なく覚えている。試しに家族やクラスメイトの名前も思い出してみたが、それも覚えていた。

 さらには住所、年齢、生年月日、身長、体重、血液型などの個人情報もはっきりと覚えている。どうやら記憶の中から自分の名前だけが綺麗さっぱり抜け落ちてしまったようだ。こんな不可解なことがあるのだろうか?

「……名前でしょ? 名前……名前……なまえー? ……なっ、ぎっ、ぐっ、あらー?」

 何とか沈黙を避けるために言葉を紡ぎ出そうと試みるが、口を衝いて出てくるのは間の抜けた声ばかりだ。その様子に見かねたように早織が声をかける。

「もういい? そろそろ"説明"を……」

「……ョブズ」

「えっ?」

「スティーブ・ジョブズ……?」

「違うよ!? 何で!?」

「でもほら、証拠にちゃんとiPh〇neも持ってるし」

「持ってるから何!? iPh〇neユーザーの証拠?」

「せめてジャージじゃなくて、ジーンズと黒のタートルネックだったらねぇ」

「服装の問題でもないよ!」

 自分の名前は忘れてもユーモアは忘れない姿勢に、早織は思わずツッコミを入れた。普段見せているクールな姿からは想像もつかない程に見事なツッコミだった。そんな二人のやり取りを眺めていた心は、心底呆れた様子で口を開いた。

「……あいつマジで何なの?」

「いや、僕に聞かれても……でも何だか……」

 青空の含みのある返答に心は再び尋ねる。

「何よ?」

「少し……似てると思わないか?」

「……似てるって、あいつが? どこがよ」

「あの周りの状況とかお構いなしに冗談を連発するところとか……」

「はんっ! それこそ冗談でしょ。あんなの、ただふざけてるだけじゃない」 

 心は明らかに不機嫌な口調で青空の意見を否定した。そんな中、凪雲は早織と祐人のやり取りを静かに眺めていた。懐かしいものを見るような穏やかな視線で、口元には微笑さえ浮かべている。それを見た心は彼女に問う。

「……凪雲もそう思うの?」

 不意に声をかけられた凪雲は驚いたように肩をびくりと震わせると、心の顔をじっと見つめた。そしてどう答えようか散々と迷った挙句、やがておずおずと頷いた。どうやら二人は、あの男子生徒に誰かの姿を重ねているようだった。

「バカなこと言わないでよ! どこが似てるって言うわけ!? ()()()はあんなふざけた奴じゃないっ!!」

 その瞬間、二人を激しく非難するかのように心は声を荒げた。悲鳴にも似た憤慨の叫びは、その場を静まり返らせるには十分だった。

「……すみませんでした」

 重苦しい空気の中、祐人は神妙な顔をして謝罪の言葉を口にした。心は尋ねる。

「……何であんたが謝るのよ」

「だって……僕のせいで怒ってるんですよね? 『あの人はあんなふざけた奴じゃない』って……だから……ごめんなさい」

「別にあんたに謝られたって……」

「……自分をジョブズと言い張ってすみませんでした。本当は違うと分かっていたのに……」

「そっちかい! あたしが言ってるのは……! はぁ……もういいわ」

 心は呆れた様子で溜め息を吐くと、そう言って話を打ち切った。辺りに再び沈黙が訪れる中、その静寂を打ち破るように祐人が口を開く。

「さて、僕の小粋なジョークで場も和んだところで話を進めましょうか」

(和んでない)

(和んでないよ)

(和んどらんわ)

(和んでない……)

 四人はそれぞれ心の中で全く同じツッコミを入れた。彼らの想いが一つになった瞬間だった。いつもの調子を取り戻した祐人は、軽快に話を続ける。

「今のこの状況……僕が名前を思い出せないのも、今までの話と関係があるんですよね? そうじゃなければ、自分の名前を思い出せないなんてどうかしてますよ。それもピンポイントに自分の名前だけなんて」

「……どうやら本当に真面目に話を進める気があるようだね。広瀬君、もう一度頼む」

 そう言うと青空は再び早織に何かを依頼した。早織は小さく頷くと、口を開く。

「あなたの名前は?」

 早織は先程と同じ質問をした。

「いがらし……ひろと……」

 それを聞いた瞬間、彼の口は自然に動いた。口を衝いて出たのは、紛れもなく慣れ親しんだ自分の名前だった。

「そうだ! 僕の名前は五十嵐祐人(いがらしひろと)だ!! うぉぉぉぉ!!」

 ようやく自分の名前を思い出した祐人は興奮したように叫んだ。

「いやー、スッキリしたー! ずっとモヤモヤしてたんだよなー。なんでこんな簡単なことが思い出せなかったんだろ? ……っていうか、何で急に思い出せたんだ?」

「それこそが広瀬君の力……そして神の恵みさ」

 不思議そうにつぶやく祐人に答えるように青空が言う。

「広瀬さんの……力? 神の恵み……?」

「神は人々に恵みと災いをもたらす……霧人を"災い"とするならば、それに対抗できる力が"恵み"ということになるだろうね」

「???」

 頭の上にいくつもの疑問符を浮かべた祐人に、青空はさらに説明を続ける。

「僕たちにはこの島を守る役目がある。代々そういう家系でね。そしてその役目を果たすために、僕たちは神からそれぞれ異なる力を授けられた。広瀬君の場合、人の記憶を操るのがそれに当たる」

「なにそれすごい」

 人の記憶を操る力。あまりにも現実離れしていてにわかには信じられない話だが、祐人には心当たりがあった。それもつい最近、()()()のことだ。

「つまり……僕が急に名前を思い出せなくなったのも……?」

 そう尋ねながら視線を送ると、早織はこくりと頷いた。

「じゃあ、広瀬さんが霧人に関するみんなの記憶を全部消してる……ってコト!?」

 青空は答える。

「さっきも言ったように、霧人はとても危険な存在だ。下手をすれば命を落とす。そんなものが身近にいると知れたら、人々は恐怖でパニックを起こすだろう。その恐怖が引き金となり、新たに大量の霧人を発生させかねない。そうなってしまっては僕らの手に負えない。むしろこの島で平和に暮らすには、何も知らない方が幸せなんだ」

「えー……でも僕それ、知っちゃったんですけど……」

「……ずいぶんとあっさり信じるわね」

 素直に話を受け入れる祐人に対し、心は訝しむような口調で尋ねる。

「そりゃ普通は信じませんよ、こんな話。でも昨日今日と散々不思議な目に遭ってますからね。実際に記憶を操る力も体験したし、信じるしかないでしょうよ」

「そうかもしれないけど……でも少しは疑問に思うこととかないわけ?」

「疑問? ありますよ? たとえば記憶を操るって具体的にどういう仕組みなのか? とか、戦うにしても四人じゃ戦力不足なんじゃないか? とか。昼間は学校だってあるし、深夜や早朝に現れたら対処できないような……」

「その点は問題ないよ。サポートがあるからね」

「サポート?」

「詳細はいずれ話そう。共に活動していれば、話す機会も出てくるだろう」

「んっ? 共に活動? どういう意味ですか?」

「単刀直入に言おう。君には生徒会に入ってもらいたい」

「ちょっと、青空!? どういうつもりよ!」

 意味深な言い回しに思わず尋ねると、青空はそう切り出した。祐人が反応するよりも早く心は抗議の声を上げた。早織も凪雲も驚いたような表情を浮かべている。どうやら生徒会への勧誘は青空の独断のようだ。

「分かりました! 入ります!」

「お前は何で二つ返事なんだよ! 少しは躊躇とかしろよ!」

「……彼は昨日今日と立て続けに霧人に遭遇している。何か理由があるのか? それとも単なる偶然か? それは分からない。だからこそ確かめる必要があると思うんだ。もし彼に災いを引き寄せる何かがあるのなら、それを利用しない手はないだろう」

「五十嵐くんを囮にするってことですか?」

 祐人と心をスルーして話を進める青空に早織が尋ねる。

「言い方は悪いけど、そういうことになるね。でもこれは彼の身の安全を保護する意味もあるんだ」

「保護……ですか?」

「災いを引き寄せるということは、常に危険に晒されているのと同義だ。僕らと行動を共にすれば、いつ襲われても安心だろ? 僕らはわざわざ奴らを探し回らずに済むし、五十嵐君は逃げ回らずに済む」

「……それはあくまで霧人を引き寄せられればの話でしょ? 襲われたのが単なる偶然で、引き寄せる力なんてものがなかったとしたら? わざわざ生徒会に入れるメリットなんてないと思うけど」

「その時は表の仕事を手伝ってもらうよ。生徒会として活動している以上、本来の仕事も疎かにはできないからね。書類整理や備品整理なんかが溜まってるだろ? 心だってこの間、『人手が足りない』って言っていたじゃないか」

「……」

 青空の言葉に心は黙り込む。その顔は明らかに不満気で何か言いたそうな様子だったが、理路整然とした説明に反論が見つからないようだった。

「広瀬君と凪雲もそれでいいかな?」

「私はそれで構いません」

「……」

 青空の問いに早織は同意を示し、凪雲も異論はないというように、こくりと頷いた。二人の支持を得た青空は改めて祐人に向き直った。

「というわけで、今日から君は生徒会執行部の一員だ。よろしく、五十嵐祐人君」

「こちらこそ不束者ですが、末永くよろしくお願いします」

「……結婚の挨拶かっての」

 恨めし気にやり取りを見ていた心がぼそりとつぶやく。唸るような声で絞り出されたツッコミは、潮騒にかき消されて消えていった。

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