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第4話 少女と猫と黒い霧

今回でようやくあらすじの導入部分まで終了

 ある日の夕方。一日の授業を終えて真っ直ぐに帰宅した祐人は紺色の上下揃い(セットアップ)のジャージに身を包み、家の庭先で準備運動(ウォームアップ)に励んでいた。膝に手を当てた屈伸を皮切りに膝回し、伸脚、アキレス腱伸ばし、手首回し、足首回し、腰回しと入念に体を動かす。およそ15分を費やしてしっかりと準備を整えると、祐人はゆっくりと走り出した。

「はっ、はっ、はっ……」

 浅い呼吸を繰り返しながら一定のペースで走る。薄雲が広がり少し肌寒いが、体を動かすにはむしろちょうどいい。じめじめとした嫌な感じもなく、走るにはうってつけの気候だ。

 毎日のランニングはこの島に来る前からの日課だった。中学校に進学して野球部に入部した際に体力強化のために始めたのだが、その習慣は部活を引退した後も続いていた。

 近所の探索も兼ねているため、走るコースは毎日バラバラだ。この島には何があるのか、家の近所に何があるのかを走りながら確かめるのも楽しみの一つだった。

 おかげで色々なことが分かった。家の近くにはコンビニ(引っ越して来た日に食料を調達した例のコンビニだ)があり、そこからさらに30分程走った先に大型のスーパーがある(五十嵐家の日々の食卓は、このスーパーに支えられている)。学校までは全力で走れば10分足らずで着くことも分かった。朝のホームルームは8時30分からなので、仮に寝坊したとしても8時20分に家を出れば何とか間に合う。しかしこれは万全の状態で走った時の記録なので、寝起きにこのタイムが叩き出せるかどうかはまた別問題である。

「はぁー、はぁー……」

 ある場所へとたどり着いた祐人は足を止め、浅い呼吸から深い呼吸へと切り替えて息を整えた。周囲をフェンスで囲われたその場所には大きな木が等間隔に三本立っており、それぞれの木陰にはベンチが設置されている。手前には滑り台とブランコ、奥には水飲み場とトイレらしき建物が見える。どうやら小さな公園の様だ。祐人は中へと足を踏み入れると、水飲み場の水道で顔を洗った。ランニングで火照った顔に冷たい水が気持ちいい。

「ふぅ、さっぱりしたぜ!」

 祐人はそうつぶやくと、濡れた顔を拭いながら隅にあるベンチに腰を下ろした。夕焼けのオレンジが辺りを照らす中、そよ風が木々を揺らし木の葉たちがさわさわとさざめく。穏やかすぎる程に穏やかな時間。一日を振り返るにはぴったりの状況(シチュエーション)だ。公園のベンチにぼんやりと佇みながら、祐人は今日あった学校でのやり取りを思い返した――


「ふわぁーあ……」

「ずいぶん眠そうだね。まだ二時間目なのに」

 二時間目の現代文終わりの休み時間、大きな欠伸をした健太に祐人が尋ねる。

「今日は朝練があったからな。早朝から体動かしてそれから授業なんて、眠くならない方がおかしい」

「わかるー。朝練後の授業ってきついよねー。特に二時間目が辛いんだよね」

 二人の会話にうんうんと頷きながら育美が加わる。

「そうなんだよ。もう半分、気ィ失ってたわ」

「だよねー」

 顔を見合わせて互いに同意する二人に祐人は素朴な疑問を投げる。

「二人は何部だっけ?」

「俺は野球部」

「あたしはバスケ部」

「ドスケベ?」

「全国のバスケ部に謝れ!」

「イガは帰宅部だっけか? 部活はやらないのか?」

 祐人のボケに育美のツッコミが炸裂する中、健太が尋ねる。

「何か入ろうかなーとも思ってるんだけど、どうも時期がねぇ」

「時期?」

「一年だったら『新しい環境で心機一転頑張るぞ! うぉぉぉぉ!!』ってなるけど、二年から入部となると色々と気まずそうでさぁ。もし仮に入部した場合、三年生は先輩として……二年生は同期? それとも先輩? 一年生に至っては年齢的には後輩だけど、先に入部したという意味では先輩だし。どう接すればいいのか考えただけで夜も眠れなくなりそうな気がするんだよ」

「気がするだけかよ」

「確かに二年から部活始めようなんて人、そういないよね」

 祐人の答えに育美が同意する。

「すでに形成された人間関係の中に飛び込むのって勇気いるんだよ。ご存じの通り、僕って人見知りだからさ」

「存じてねーよ。どこの世界にあんなふざけた自己紹介する人見知りがいるんだよ」

「あの時はなけなしの勇気を振り絞って頑張ったんだよ」

「あれがなけなしの勇気だとしたら、五十嵐くんの勇気は常人の1000倍はあるよ」

「天高くひろがる勇気! キュアウィング!」

「臆面もなくそんな台詞吐ける奴のどこが人見知りなんだよ!」

「そりゃもう心開いたからね。心開いた相手にはガンガン行くよ」

「だとしたら開きっぱなしじゃねーか!」

「まぁ……五十嵐くんが人見知りかどうかは置いといて、言いたいことは分かるよ。だったらいっそ、新しい部活でも作っちゃえば?」

「新しい部活?」

「そ。新しく作っちゃえば、『全員新入部員!』ってことで先輩も後輩もないわけだし」

「なるほど、その手があったか! これはもう作るしかないな……」

 真剣な顔をしてつぶやく祐人に健太が尋ねる。

「何部を作るつもりなんだ?」

「トロピカル部」

「トロピカル部!?」

「……また始まったよ」

「なーんてね。半分冗談だよ」

 驚きの声を上げる育美と呆れ顔の健太に、祐人は笑いながら答える。

「半分は本気なのかよ」

「さすがに高校二年にもなってトロピカル部って……ねぇ?」

「……どの口が言ってるわけ?」

「とにかくやるんなら何かこう……人の役に立つ活動がしたいな」

「人の役に立つ活動ねぇ……だったら生徒会は?」

「生徒会?」

 疑問を浮かべる祐人に対して育美は続ける。

「学校や生徒のために活動してるわけだから、人の役に立つって言えるんじゃない? 上下関係も運動部に比べれば厳しくなさそうだし。まぁ、詳しくは知らないんだけど」

「うーん……」

「不服そうだね。生徒会は嫌なの?」

「別に嫌ってわけじゃないけど……」

「『けど』何だよ?」

「我がトロピカル部と生徒会には浅からぬ因縁が……」

「結局プリキュアじゃねーか! プリキュアの話ばっかだな、こいつ!」

「っていうか『我がトロピカル部』って、もう虚構(アニメ)現実(リアル)の区別ついてないよね……」

 祐人の発言に健太はツッコミを入れ、育美は呆れ顔で苦笑いを浮かべるのだった――


「今日もパーフェクトコミュニケーションだったな……んっ?」

 祐人がベンチの上で学校での楽しいひと時を思い返していると、足元に何か柔らかい感触がした。視線を落とすと、そこにいたのは小さな黒い猫だった。刹那、蘇るあの日の記憶。

(この警戒心0の人懐っこさ……()()()の猫か?)

 訝しく思いながら撫でてみると、黒猫は気持ち良さそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。

「……よし、お手!」

 その様子を見た祐人は意を決したように、黒猫に手を差し出した。すると――

「あああああああ!」

 次の瞬間、祐人は叫び声を上げた。左手に走った衝撃(いたみ)によって祐人は確信した。この猫が島に初めて来た日の夜に出会った猫だということを。叫び声に驚いた黒猫はあの日と同じように、草むらへと逃げていった。

「またしても情けない声を上げてしまった……誰もいないからいいようなものを……!?」

 顔を上げた祐人は驚愕して声を失った。視線の先に人がいたのだ。制服姿の小柄な少女が驚いたような顔をしてこちらを見ていた。

(あの制服は……)

 祐人は少女の制服に注目した。黒いセーラー服に同じく黒いスカート、胸には赤いスカーフを着用している。それは祐人が通う高校の女子の制服だった。つまり彼女は同じ学校の生徒ということになる。だが、その顔に見覚えはなかった。

(いつからいたんだ……!? 聞かれたか……? あの情けない声を……。もし聞かれてたとしたら、恥ずかしすぎる……!)

 瞬時にそう判断した祐人はある行動に出た。

「いや、あのですね? 実はさっきまでここに猫がいたんですよ。その猫に手を噛まれてしまって、驚きと痛みで思わず声を上げてしまったというわけで……僕は決して怪しい者ではありません」

 祐人が取った行動、それは弁明だった。しかしそれはどう考えても逆効果だった。いきなり見ず知らずの相手が話しかけてきたら誰だって警戒するだろうし、口をついて出た「決して怪しい者ではありません」という台詞はより一層、胡散臭さを強調していた。

「……」

 少女は何も言わずにただ困ったような表情を浮かべると、ぺこりと頭を下げて走り去っていった。

「うぅ……完全に不審者だと思われた……違うのに……どこにでもいる普通の高校生なのに……」

 一人取り残された祐人が羞恥心に(さいな)まれていると、どこからともなく風が吹いた。湿り気を帯びた嫌な風だ。風はどうやら霧を運んできたらしく、公園の一帯にもやもやと立ち込めてきた。

「!!」

 その光景を目にした瞬間、祐人はすぐさま異変に気が付いた。霧に色がついている。そう、()()()()


『黒い霧が出たらすぐに逃げろ。でなけりゃ死んじまうぞ』


 頭の中に数日前に聞いた和子の台詞が蘇る。汗で体が冷えたからか、それとも「死」という言葉が脳裏をよぎったからか、祐人は自分の手足が冷えていくのを感じた。

「はぁ……はぁ……!」

 それと同時に心臓の鼓動は速く、呼吸は荒くなっていく。怒り、憎しみ、悲しみ、不安、恐怖、絶望……。ありとあらゆる負の感情を混ぜ合わせたような真っ黒な感覚が全身に広がっていく。

(このままここにいるのは……まずい……!!)

 直感的にそう感じ取った祐人は口と鼻を覆うと、黒い霧を避けるようにして公園の出口へと向かう。

「はぁー……はぁー……」

 無事に出口にたどり着くと、深呼吸を繰り返して乱れた息を整える。

「黒い霧……本当にあったのか……」

 幾分か落ち着きを取り戻した祐人は、公園内に立ち込める黒い霧を眺めながら小さくつぶやいた。と、その時だった。

「な、何だ……?」

 祐人は再び異変に気が付いた。もくもくと広がり続けていた黒い霧が徐々に小さくなっていく。いや、違う。まるで意思を持ったかのように、一か所に()()()()()()のだ。集まる程に霧はより濃く、より黒くなっていく。まるで金縛りにかかったようにその光景を眺めていると、霧はある姿を形作った。

「!!」

 それが何の形なのかに気付いた祐人は驚愕して言葉を失った。()だ。霧は集まり、人間のような形を作り出したのだ。霧が集まってできた黒い人影はぼんやりと佇んでいたかと思うと、不気味な程にゆっくりとこちらに顔を向けた。見ている。目も鼻も口もない真っ暗な顔がこちらを見ている。さらにその黒い人影は何かを求めるかのように腕を伸ばし、ゆらゆらと近付いて来た。

「う、うわぁぁぁぁ!!」

 恐怖した祐人はたまらず叫び声を上げると、一目散に逃げ出した。

「……」

 標的を失った黒い人影は誰もいなくなった公園で、ただゆらゆらと蠢いていた。

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