第23話 変化の功罪
長ぇな、野球回
夏の予選前最後の対外試合を翌日に控えた金曜日の放課後。野球部に一人の部員が復帰した。足を負傷して部活を休んでいた安達である。練習前、久々にユニフォームに袖を通した安達は一堂に向かって頭を下げる。
「予選前の大事な時期に抜けちまって、みんなには色々と迷惑かけたな」
「そんな気にすんなよ」
「そうそう。別に好きで怪我したわけじゃねーだろ?」
「仕方ないって」
「くよくよすんなよ」
「足の方はもういいのか?」
「あぁ、医者からは『もう大丈夫』と言われてるよ」
「そうか。ま、あんま無理すんなよ?」
「無理して悪化でもしたら、元も子もねーもんな」
「あぁ、ありがとう。すまないみんな」
安達が礼を言うと、部員たちは威勢よく声を上げる。
「つーわけで安達も戻ってきたことだし、改めて今日も練習頑張ってこうぜー!」
「おー!」
「よっしゃー!」
「やってやろうぜー!」
一同は気合十分にグラウンドへと駆けていった。安達は残っていた健太に声をかける。
「何かずいぶんやる気に溢れてないか?」
「俺たちは変わったんだよ。あいつのおかけでな」
「……あいつ?」
そう言うと健太はグラウンドの方を指差した。その先にはある人物の姿があった。
健太の言う通り、野球部は変わった。練習中にふざける者はいなくなり、誰もが真剣に自分たちの課題に取り組むようになった。先に行われた休日練習もまた、彼らの変化の表れだ。
今まで彼らは休日の練習を避けてきた。表向きは「面倒だから」という理由だったが、それ以上に彼らは諦めていた。どれだけ必死に練習しても望むような結果は得られず、待っているのは毎年1回戦敗退という不名誉な現実。彼らは薄々思っていた。「いくら練習したところで、どうせまた負けるに決まっている。努力なんてするだけ無駄だ」と。いくら足掻いても変わらぬ状況に彼らは徐々に腐り始め、いつしか足掻くことすら止めてしまった。
だが、祐人だけは違っていた。それは祐人が諦めるということを知らない不屈の男……だからではなく、経験の違いが理由である。
祐人は引っ越してきたばかりの部外者で、この島について知らないことの方が多い。当然野球部の弱さについても知らない。健太からこの5年でただの1度も勝利したことがないという事実は聞き及んでいたものの、それはあくまで情報として知っているだけだった。
負け続けることで自信を失っていった部員たちと違い、祐人にはその経験がなかった。そのため彼らの認識には齟齬があった。部員たちが「練習しても無駄」と悲観する一方、祐人は「真面目に練習すればどうにかなる」と楽観していた。つまりはまだ諦める段階にすら至っていなかったのだ。もし祐人が彼らと同じ境遇だったなら、彼らと同じように勝利を諦めてしまっていたことだろう。ある意味、経験不足による無知さが功を奏したとも言える。その無知さ故に、祐人は純粋にチームの勝利を信じていた。
そしてそんな無知な純粋さが、燻ぶっていた部員たちの心に小さな火を灯した。祐人が真剣に練習に取り組む姿が、チームに貢献する姿勢が、彼らに変化をもたらした。今までの練習不足を取り戻すために健太が提案した休日練習にも、反対する者はいなかった。真面目に練習に取り組むことで、彼らは失った自信を少しずつ取り戻していったのだった。
「集合―!」
号令をかけて部員たちを集めた健太はこう切り出す。
「明日はいよいよ予選前最後の練習試合だ。というわけで試合に出るメンバーを決めたいと思う。とは言ってもライト以外はいつも通りだけどな。問題は……」
そう言うと健太は安達、山田、祐人の三人に順に視線を向けた。その様子に何かを察した安達が言う。
「生憎俺は治ったばかりで本調子じゃない。しばらく練習から離れて勘も鈍ってる。出すんなら俺以外のどっちかにしてくれ」
「うーん……」
健太は考える。安達の言い分は一理ある。いくら練習試合とはいえ、怪我明けの人間を出すのはいかがなものか? ここはイガと山田のどちらかを選ぶべきか……やはりイガか? しかし野球部の今後のことを考えると、山田に経験を積ませた方が……でも今まで俺たちのために頑張ってくれたイガを蔑ろにするのも……
「……よし」
少しの間考えた後、健太は意を決したように口を開いた。
「4回まではイガ、5回からは山田に出てもらう。それでいいな?」
健太が提示したのは両者を出場させるという折衷案だった。中途半端ではあるが妥当な案に、部員たちは同意を示すように頷く。そんな中、一人の部員がおずおずと手を上げた。
「あの……」
「どうした? 山田」
それは野球部で唯一の1年生である山田だった。
「せっかくの機会なんですけど……その……やっぱり……今回は辞退を……」
「はぁ?」
そう声を上げたのは安達だった。安達はそのまま山田に詰め寄る。
「どういうことだよ? 山田、お前試合に出たくないのか?」
「……」
「黙ってないで何とか言えよ。辞退ってどういう意味だって聞いてんだよ!」
「おいおい……落ち着けよ」
見かねた健太が安達を宥める。
「明朝体とかゴシック体とかのことで、英語ではフォントとも……」
「お前は何なんだよ!?」
と、同時に祐人にツッコミを入れる。悪びれる様子もなく飄々と祐人は答える。
「辞退がどういう意味か聞かれたから……」
「それは『辞退』じゃなくて『字体』だろ!」
「ナイスツッコミ!」
「うるせぇ!」
「それにしてもややこしい事態になってきたね。『じたい』だけに」
「うるせぇっつってんだろ! 黙ってろ!」
「……何で急に辞退なんて言い出した? 今まで練習を頑張ってきたのは何だったんだ? 試合に出るためだろうが!」
騒ぐ健太と祐人を無視して、安達は山田を問い詰める。
「……」
「おい、黙ってないで何とか言ったらどうなんだ?」
「落ち着けって、安達。どっか怪我でもしたのか?」
「いえ……そういう訳じゃ……」
「一緒にプロ目指して、ドラフトの目玉になろうって言ったじゃないか!」
「確かに言ってましたけど、自分は言ってませんよ!!」
祐人にツッコミを入れる山田。それを横目に見ながら安達は問う。
「じゃあ何だよ? 理由を言え理由を」
「……自信がないんです」
「自信がない? そんな理由で? ふざけんなよ!」
「……」
声を荒げる安達に山田が委縮して黙り込む中、祐人は安達の肩にポンと手を置いた。
「……なんだよ」
「ふざけてごめん」
「お前じゃねーよ! 確かにお前も大概ふざけてるけど、ベクトルが違うんだよ!」
「Chu! ふざけててごめん」
「山田の方がましに思えてきたよ!」
「山田くんの方がマシマシ?」
「言ってねーよ! 二郎系か!」
「この島にも二郎系って概念あるんだ」
「あるわ!」
加速する安達のツッコミ。
「『自信がない』って、今まで真面目に練習してきたじゃないか? それでも不安なのか?」
脱線した話を軌道修正すべく健太が事情を尋ねると、山田はおずおずと語り始めた。
「……もしまた自分のエラーで撒けたらと思うと、試合に出るのが怖くて……」
「『また』? どういう意味だ? お前が試合に出たことなんて一度も……」
「……実は一度だけあるんです。この野球部に入る前、小学生の頃の話ですけど」
「……経験者だったのか。それで?」
「地元の少年野球の試合です。小5の夏……ベンチスタートだった自分は、途中から試合に出ることになりました。レギュラーメンバーの負傷交代で……」
ぽつぽつと山田は語る。
「4対3……1点リードで迎えた9回表。2アウト満塁の場面で打ち上げられた、何てことのない平凡なライトフライ……それを自分は取りこぼしたんです。結局、そのエラーが原因で試合は逆転負け……それがきっかけで自分は少年野球を辞めました」
「はっ! アホらし」
山田の告白に、安達が吐き捨てるように鼻を鳴らす。
「そんなに試合に出るのが怖いんなら辞めちまえよ。どうせ俺らが引退したら部員はお前だけ。部として成り立たなくなるんだ。辞めるんなら早い方がいいだろ?」
「野球やってりゃ誰だってエラーぐらいするさ。いちいち気にするようなことじゃないぞ」
厳しい口調で攻める安達とは対照的に、健太は山田を諭すように話す。
「野球でメシ食ってるプロだって、エラーする時はするんだぜ?」
「俺たちだって数えきれないほどエラーしてるしな」
「何度俺のエラーで試合を落としたことか」
「お前は反省しろ!」
「俺たちは変わったんだ。生まれ変わった新生野球部として頑張ろうぜ!」
健太に呼応するように他の部員たちも口々に山田を励ますが、山田は首を横に振る。
「それが怖いんです……変わったことが……」
「変わったことが怖い?」
健太の疑問に山田は答える。
「確かに野球部は変わったと思います。毎日勝つために真剣に練習するようになった。今までと違って……今までのままだったら、きっとこんなに思い詰めることもなかったと思います。エラーして負けても、それが当たり前だったから。でも今は違う。今は勝利のために全員が本気になっている。そのムードを壊さないか心配なんです……自分のミスでチームの足を引っ張らないか……!」
山田は自分が抱えている不安や恐怖を、正直に告白した。それらの負の感情は祐人が野球部に起こした変化の副産物だった。変化とは必ずしも、良い結果だけをもたらすとは限らないのだ。
『下校の時刻になりました。校内に残っている生徒は速やかに下校しましょう』
その時、校舎に取り付けられたスピーカーから下校を促す放送が流れ始めた。
「怖いたって……ただの練習試合だぜ?」
「本人が出たくないって言ってんだ。出さなきゃいいだろ」
「俺もそれでいいと思う」
「いや、夏の予選のことを考えたら、ここで経験積ませるべきだ」
「確かに……助っ人である五十嵐に出てもらうのも、何か違うよなぁ」
「どうすんだ? 健太? 明日のライト」
「……」
部員の問いに健太は黙り込む。
『下校の時刻になりました。校内に残っている生徒は速やかに……』
夕闇が迫る中、再び下校を促すアナウンスが流れる。結論は出ないまま、彼らは辺りに響く無機質な放送をただ黙って聞いていた。




