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第20話 誰かのために

心温まる家族のお話

 その日の夜。帰宅した祐人はミゾノスポーツで購入したおニューのバッティンググローブの使い心地を確かめるべく、庭先で素振りを行っていた。しっとりと吸い付くようなフィット感は安定感抜群で、フルスイングしても少しもグリップが滑らない。グローブによって摩擦が抑えられてる証拠だ。これなら肉刺(まめ)の予防に大いに効果を発揮してくれることだろう。

 調子よくブンブンとバットを振っていると、遠くから車のエンジン音が聞こえてきた。音のする方向に目をやると、白いライトバンが走ってくるのが見えた。ライトバンは坂道を駆け上がって家の敷地内に入ってくると、広い庭の一画にゆっくりと停まった。

「おかえり。早いね、今日は」

 祐人は運転席から降りてきた眼鏡の男性に声をかけた。男性は答える。

「ただいま。現場から直接戻ったからな。こんな時間まで自主練か?」

「バッテを買ったから、どんなもんか試してたんだよ。それにもう試合まで時間はないし。少しでも力になれるよう頑張らないと」

「すごい責任感だな。偉いぞ! さすが我が息子」

「それほどでも……ある!」

 父の称賛の言葉に謙遜することなくバットを振ると、窓に面した大きな掃き出し窓がガラリと開いた。中から顔を出した女性が祐人に声をかける。

「ご飯よー。あら、お父さん。おかえりなさい」

「ただいま。今日は何だい?」

「今日は豚肉が安かったから、とんかつにしたわ」

「お! いいねー。ちょうど食べたいなと思ってたんだよ」

「いいでしょー? 最近作ってなかったものねー。ほら、祐人も。練習はそれぐらいにして、手洗ってらっしゃい」

「そうだぞ祐人。母さんの美味しい手料理が待ってるぞ」

「分かった。すぐ行くよ」

 祐人はそう答えると、外したバッティンググローブをポケットに突っ込みながら家へと引き上げた。玄関の片隅にある傘立てに持っていたバットを放り込み、浴室に併設された洗面所に移動する。手洗いを済ませてダイニングに向かうと、テーブルの上には人数分のとんかつの皿が並んでいた。

「はい、ご飯とお味噌汁。あと冷蔵庫にサラダがあるからそれも持っていってー」

 味噌汁をお椀によそいながら母が指示を出す。祐人は指示通りにご飯と味噌汁を運ぶと、冷蔵庫からサラダとドレッシング、そしてとんかつソースを取り出してテーブルに並べる。とんかつ。ワカメの味噌汁。サラダ。山盛りのキャベツ。ごきげんな夕飯(ゆうめし)だ……

 部屋着へと着替えを済ませた父も揃うと、家族の団欒の時間が始まった。

「いただきます。……うん! 柔らかくて美味い! やっぱり母さんの料理は最高だな! 祐人もそう思うだろ?」

「うん、店で出せるレベルだよ」

「うふふ、そう言ってもらえると作った甲斐があるわ……はぁ」

 二人の褒め言葉に母は嬉しそうに笑ったかと思うと、僅かに表情を曇らせて溜め息を吐いた。

「どうしたんだ、母さん? 溜め息なんか吐いて」

 父の問いに母は答える。

勇人はやとにも食べさせてやりたいなぁと思って。ちゃんと食べてるのかなぁ、あの子……」

「なーに、勇人だって子供じゃないんだ。ちゃんとやってるさ」

 今話題に上がった人物は、五十嵐家の長男だ。祐人は父の転勤に伴って両親と引っ越してきたのだが、訳あって兄は家に残って一人暮らしをしている。

「でもねぇ……あの子、ぼーっとしてるところあるから……」

「この間連絡した時は、楽しそうにしてたよ?」

「そうそう。念願の一人暮らしとキャンパスライフを満喫してるさ」

「そうだといいんだけど……」

「そんなに心配なら母さんも連絡してみたら?」

「そうねぇ、そうしてみるわ」

 祐人の提案に母は頷く。それを見た父は祐人に話を振った。

「うん、それがいい。ところで祐人。学校の方はどうだ? もう慣れたのか?」

「そりゃもうバッチリだよ。クラスでは中心的存在だし、生徒会では次期会長候補として一目置かれてるし、野球部では令和の怪物と恐れられてるし」

「すごい転校早々っぷりだな。スター街道まっしぐらじゃないか」

「それはすごいわねー」

 祐人の軽口に父は調子を合わせ、母は本気とも冗談ともつかない相槌を打った。五十嵐家におけるいつもの光景だ。

「ただちょっと、困ってることがあって」

「何だ? 悩みごとか?」

「野球部のことなんだけど、うちの野球部ってもう5年も試合に勝ってないらしいんだ。どうすれば勝てるようになるんだろう?」

 祐人の問いに父は答える。

「そりゃあ練習あるのみだろう」

「でも『勝つために猛特訓!』って感じじゃないんだよね、部員のみんな。部活には毎日来てるから、やる気がないわけじゃないとは思うんだけど……かといってそこまで練習熱心ってわけでもないし……」


『来月には夏予選が始まる。でもきっと今年も一回戦負けだろうな』

『えー? でもみんな毎日頑張って練習してるじゃん』

『無駄だよ。あいつらには勝つ気がないんだから』


 数時間前の健太とのやり取りを思い出した祐人は、彼の言葉を引用する。

「あ、そうだ。『勝つ気がない』?」

「勝つ気がないんじゃ勝てなくて当然だろう。そうなったらもう意識から変えていくしかないな」

「意識かぁ……でもどうやって?」

「きっと野球部には『練習したって意味がない』という空気があるんだろう。5年も勝ってないんじゃ無理もない。でもそこで1勝でもできれば、その空気はガラッと変わるはずだ。『練習すれば勝てるようになる、無意味なんかじゃない』ってな。勝利の喜びを知れば、次も勝ちたいという欲が出てくる。そうなれば自ずと練習に励むようになると思うぞ」

「つまり……次の練習試合で勝てればみんなの意識も変わるかもしれないってこと? でも結局練習不足をどうにかしないと、勝てるかどうか微妙なんだよなぁ……どうすればみんなが真剣に練習に取り組むようになると思う?」

 祐人の疑問に父が答える。

「こういう場合は口で言うよりも、行動で示すのが一番だろう。頑張ってる人を見ると『自分も頑張ろう』って思うだろ? それだよ」

「なるほど……行動で示すか」

「……料理ってね」

 二人のやり取りを聞いていた母がぽつりとつぶやいた。

「料理?」

「食べる人の顔を思い浮かべながら作ると最高に美味しくなるの」

「そうなんだ。でも……それと野球部に何の関係が?」

「何だ、分からないのか? 祐人」

 抽象的な母の話に祐人が疑問を口にすると、訳知り顔の父が問う。

「父さんは分かるの?」

「みんなに美味しい料理を振る舞って、結束を高めよう。そういうことだろ? 母さん」

「……ううん。全然違う」

「全然違うじゃん!」

「違った! すまん!」

 父のおとぼけ発言に祐人がツッコミを入れる中、母は話を続ける。

「今日だってお父さんと祐人の食べる姿を想像しながら作ったの。このとんかつも、ただ揚げたわけじゃなくてね? 筋を切って、肉叩きで叩いて、下味をつけて、それから揚げたの。ちょっと手間はかかるけど、そうするとぐっと美味しくなるのよー?」

「そうか、それでこんなに柔らかいのか」

 母の言葉に父が感心した様子で頷く。

「たまに作るのが面倒な時もあるけど、美味しい美味しいって言って食べてくれるのを見ると、『作ってよかったな、次も頑張ろう』って思えるの。それと同じなんじゃない?」

「同じって?」

「自分のためだと難しくても、誰かのためなら頑張れるってこと」

「誰かのためか……よーし!」

 祐人は僅かな時間何かを考えたかと思うと、決意したようにつぶやいた。

「おっ、何かいい考えが浮かんだのか?」

「いや、ぜーんぜん」

「浮かんでないのか!? 何か思いついたみたいな雰囲気だったぞ、今!」

 父のツッコミを受けながら、祐人は答える。

「とりあえず何かできることがないか考えてみるよ。二人とも、ありがとう!」

「そうか、頑張れよ」

「無理しない程度にねー」

「野球部といえば、今日練習中にこんなことがあってさぁ」

 祐人は両親に礼を言うと、明るい口調で話を続ける。こうして今日もまた、穏やかな家族の時間は過ぎていくのだった。

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