第12話 生徒会へようこそ
そろそろ書き溜めてきたストックがなくなりそう
「!?」
心は驚愕した。目の前で人の形をした黒い霧がゆらゆらと佇んでいる。霧人だ。しかもそれはすでに目と鼻の先にまで迫っていた。
(ぜ、全部片付けたはずじゃ……!?)
本来の彼女の実力ならば、霧人の接近を許すなどという失態を演じることはなかっただろう。だが、怪物を倒して役目を果たしたという事実が油断を生み、祐人に対する敵意が注意力を鈍らせた。
「このっ……!」
心は慌てて剣を構えようとしたが、霧人はそれよりも早く移動を済ませた。瞬く間の彼女の体は黒い霧に覆われる。
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
「心ーッ!」
「副会長!」
「――!」
霧人に全身を包まれた心は、苦しむように激しく叫んだ。それを見た青空と早織は彼女の名を呼び、凪雲は声にならない叫びを上げる。その時だった。心の体に突き飛ばされるような横からの衝撃が走り、彼女は霧人の中から弾き出された。
「うわぁぁぁぁぁ!!!!」
辺りには再び叫び声が響く。だが、それは心のものではなかった。先程の絹を裂くような甲高い叫び声ではなく、もっと低い……そう、男の声だ。
(い、一体……何が……?)
「あぁぁぁぁぁぁ!!!!」
何とか正気を取り戻した心が振り返ると、そこには霧人に包まれながら叫び声を上げる祐人の姿があった。
「大丈夫か、心!?」
「あ、あたしはどうにか……それよりも何でこんなことに……?」
「あぁぁぁぁぁぁ!!!」
「五十嵐くん、しっかりして! 五十嵐くん!」
心は駆け寄ってきた青空に状況を尋ねる。その後ろでは祐人が叫び声を上げ、早織が懸命に祐人の名を呼んでいる。凪雲は今にも泣き出しそうな顔でおろおろとするばかりだ。
「彼が君を突き飛ばしたんだ! それで代わりにあの中に……!」
「なっ……! 何でそんなことを! 止めなかったの!?」
「止める間もなかったんだ!」
「五十嵐くんを助けてください! どうにかならないんですか!? 副会長の力で!」
口論を始めた二人の間に早織が割って入る。
「む、無理よ……この状態で霧人だけ切るなんて……下手すればあいつごと……」
「そ、そんな……!」
三人が話している間に霧人は徐々に薄くなり、やがて消えた。祐人はがくりと膝を突くと、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
「五十嵐くん! しっかりして!」
駆け寄った早織はしゃがみ込むと、必死に祐人に呼びかける。
「あぁ……あ……」
「五十嵐君! 気を確かに持つんだ!」
「しっかりしなさい! 五十嵐祐人!」
青空と心もそれに続く。だが、祐人の声は次第に弱々しくなっていく。もはや叫ぶ力すら残っておらず、うめき声を上げるのがやっとという有り様だ。そして――
「あ……」
それっきり祐人の声は途絶えた。さっきまで彼の体はブルブルと小刻みに震えていたが、今はもうピクリとも動かない。
「五十嵐くん!? う、嘘だよね……? 五十嵐くん! 五十嵐くんッ!!」
「……」
早織は名を叫びながら祐人の体を揺すった。だが、反応はない。
「……クソッ!」
「あ、あたしのせいで……」
青空は悔しそうに両手を握り締め、心は真っ青な顔で唇を震わせる。凪雲は虚ろな目で茫然と立ち尽くしている。絶望と悲しみが辺りを支配する。
「五十嵐くん! 五十嵐くんッ!!」
「……」
早織は必死に祐人の体を揺するが、やはり返事はない。
「広瀬君……彼はもう……」
そんな彼女に青空は静かに声をかける。その口調は重く、そして暗かった。それはもう何もかもが手遅れであるということを暗に示していた。
「そ、そんな……いやぁぁぁぁぁ!!!!」
早織は祐人の体にすがりついて叫んだ。
「……うーん」
「!?」
「!?」
「!?」
「!?」
四人は驚愕した。完全に事切れたと思った祐人が息を吹き返したからだ。
「い、五十嵐くん!?」
「い、生き返った……のか!?」
「なんですか? 生き返ったって。人をそんなゾンビみたいに……」
そう言いながら祐人はむくりと体を起こした。
「いや、だって君、完全に……」
青空はそう言いかけたが、はっきりと「死んでいた」と伝えるのは混乱させるだけだと判断し、言葉を濁した。
「だ、大丈夫なの? すごく苦しんでいたようだけど……」
心配そうに尋ねる早織に祐人は答える。
「えっ? あ、うん。確かにさっきはすごい絶望感に襲われて『これでは……死んでしまう!』と思ったけど、美味しいお菓子のこととかを考えてどうにか耐えたよ」
「そんなことで耐えられたの!?」
「うん。でも結局途中で意識を失っちゃって……気が付いたらいつの間にか綺麗なお花畑の中にいてさぁ。そんでその先には河原と大きな川があって……うわぁ! これ死んでる時のアレだ! 完全に死んでるよ、これ!」
「だからそう言ってるのに!」
「でもそうすると……」
早織がツッコミを入れると、祐人は真剣な顔をしてぽつりとつぶやいた。
「戻って来れたのは、みんなのおかげなのかも……」
「どういうこと……?」
「……花畑の中で声が聞こえたんだ。みんなが僕を呼ぶ声が。でも何か少し変な感じだったんだよなぁ。聞こえるっていうより、直接頭の中に声が響いてるみたいな……」
「そうか……良かった……間に合ったんだな……」
その言葉を聞いた青空は安堵したように、深い溜め息を吐いた。
「無事で……本当に良かった……もし五十嵐くんまでいなくなっていたら……わ、私……」
そう言うと早織は両手で顔を覆い、声を震わせる。
「わ! そ、そんな泣かないでよ広瀬さん。僕なら何ともないから。ほら、このとーり!」
早織の涙に祐人は、自分は平気だとアピールするために慌てて立ち上がった。さらに話を変えるべく、意識を失っている間に何が起きたのかを尋ねた。
「あ、そうだ! 霧人はどうなったんです?」
「……消えたよ。完全に消失……いや、消滅したらしい」
「消滅……? 倒したんじゃないんですか?」
祐人の言葉に青空は首を横に振る。
「おそらく……君の中に取り込まれたと考えるのが一番妥当だろう」
「取り込まれた? あぁ、そういえばそんなこと言ってましたね。霧人が人を襲うのは、自らを取り込ませて絶望を薄めるためとか。いやー、それにしてもまさか臨死体験まですることになるとは。よし、明日から『不死鳥』もしくは『不死身の五十嵐』と名乗ろう」
「……ふざけんなッ!! 下手したら死ぬところだったのに何をヘラヘラ笑ってんのよ!?」
いつもの調子で軽口を叩く祐人に、心は声を荒げた。怒りで声を震わせながら彼女は続ける。
「あ、あんたはあたしを助けて満足かもしれないけど……! それで残された方はどんな気持ちで生きていくか分かってんの!? そんな独りよがりの身勝手な自己犠牲であたしが喜ぶと思ったわけ!?」
「な、何もそんな風に言わなくても……」
「落ち着くんだ、心! ……すまない五十嵐君。これも君を思ってのことなんだ」
凄まじい剣幕に圧倒されてたじろぐ祐人を気遣うように、青空が助け舟を出す。
「さっきも話した通り、この強化スーツには精神を安定させる効果がある。だから霧人に襲われても僕らは耐えられる。しかし君はそうじゃない。君のおかげで心は助かったが、下手をすれば君は命を落としていたかもしれない。むしろ……何故無事なのか不思議なくらいだ。心はそれで君を咎めているんだ」
「そ、そうだったんですか……確かに言われてみれば軽率な行動だったと思います……心配かけてすみませんでした……」
「……」
一転して殊勝な態度で反省を述べる祐人に、心は口ごもったように黙り込む。そして僅かな沈黙の後、意を決したように口を開いた。
「なんで……あたしを助けたのよ……命の危険を犯してまで……」
「なんでって……だって助けてもらったから」
「……助けた?」
「昨日今日と助けてくれたじゃないですか。昨日は霧人、今日はあのでかいカニみたいな怪物から」
「べ、別にあんたを助けたわけじゃ……あたしはただ自分の役目を果たしただけで……」
「それでも助けられたのは事実だし……それに同じ生徒会の仲間じゃないですか?」
「……」
「あとは献身的な姿勢をここぞとばかりに見せつけることで、仲間として認めてもらおうという打算的な考えもなきにしもあらず」
「……普通そういうことは黙ってるもんじゃないの?」
「包み隠さずに本音を言うことで、逆に誠実さアピールになるんじゃないかと思って」
「なるか! ……たく、さっきまで死にかけてた奴の態度とは、到底思えないわ」
「見直しました?」
「……ある意味ね」
「これだけ冗談が言えるのなら、本当に大丈夫そうだね。ところで心。五十嵐君に何か言うことがあるんじゃないのか?」
青空から指摘を受けた心は決まりが悪そうな顔を祐人に向けると、ぽつりと口を開いた。
「……ありがと。助けてくれて。認めないなんて言って悪かったわ、撤回する」
その言葉を聞いた青空は満足そうに頷くと、祐人に向き直った。
「色々あったが、これでようやく全員が君のことを認めたわけだ。改めて生徒会へようこそ。新しい仲間として君を歓迎するよ。よろしく、五十嵐祐人君」
「こちらこそよろしくお願いします! 七星将の一員として、これから頑張ります!」
「よろしくね、五十嵐くん」
「……(ぺこり)」
青空に続き早織は歓迎の挨拶を述べ、声が出せない凪雲は頭を下げて歓迎の意を示した。
「あ、これはどうも」
祐人はお辞儀をした凪雲にぺこぺこと頭を下げ返す。
「……フフッ」
そのどこかユーモラスな様子に思わず早織が笑みをこぼすと、釣られるように凪雲も笑顔を浮かべた。それを見た青空もまた、ふっと微笑んだ。心が尋ねる。
「どうしたのよ、ニヤニヤして」
「二人の笑顔を見たらつい、ね。やっぱり彼を引き入れて良かったよ。おかげでずいぶん雰囲気が明るくなったと思わないか?」
「まっ、そうかもね。明るいというより騒がしいって感じだけど。っていうか……」
心は青空の意見に同意しつつ、声を潜めた。
「七星将って、ルビおかしいだろ!!」
そして叫んだ。しばらく泳がせてからの渾身の一言。それは見事なノリツッコミだった。