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理不尽な必然ー黄昏時と銀の鈴  作者: 中山 みどり
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春の日

 高校の入学式を終えて、美緒は駅に続く坂道を母と歩いている。高校は駅から急な坂道を上がった丘の上にあった。白い花びらがまるで紙吹雪のように舞っている桜並木のトンネルを二人は無言のまま歩いている。

 長く続く坂道を二人はただ駅にむかって急いでいる。その時、美緒は季節外れの制服を着た少年に目がとまった。美緒の高校の制服は濃紺のブレザーに紺色を基調に濃いグリーンを配したタータンチェックのプリーツスカートだった。男子も同じ色のブレザーにスカートと同じ色調のタータンチェックのパンツだ。少年はブレザーを着ずに白いシャツとパンツだけだった。明るい色の髪は光のせいで、金色に輝いているように見える。どちらかといえば背が高く、長い手足をしている。切れ長な涼しい目元で、欠点と云えば少し口が大きいくらいだろうか。薄い唇をしていた。

「ママ、あの子」

 と言いかけた時

「目を合わせちゃダメ、知らん顔してなさい」

 母は厳しい口調で言うと強く美緒の手を引いた。美緒も母に合わせて歩調を早めた。母は見たことのないほど厳しい表情をしている。美緒はその横顔に驚いた。そうして、そのまま強く手をひかれ急いで駅に向かった。

 電車の中でも美緒はけわしい表情の母の横顔を見ていた。母は視線に気づいたのかチラッと美緒の方を見た後、また視線を正面に向けている。ただ、その目は何もとらえていない。家までの道、商店街を歩いている間も二人は無言のままだった。

――こんな時、母と娘はどんなことを話すのだろう。二人でいる時の沈黙の時間には慣れていたはずなのに......

 美緒はややうつむきながら母の歩調に合わせて足早に家にむかった。駅から十分ちょっとで白い二階建ての建物が見えてきた。目立たないどこにでもあるようなごく普通のこじんまりした家だが程よく配置された木々で全体が調和している。春を待っていたように咲いている花々が華やかで平凡でありふれた建物の欠点を感じさせない。母と二人きりで歩いてきた沈黙の時間はやけに長く感じられてやっと家にたどり着いた美緒はふうッと息を吐きだした。門扉のそばには沈丁花が植えられている。その萌黄色のつややかな葉の間には白と紅色の小さな花が手毬のように集まっていくつも咲いていた。玄関までの短いアプローチは沈丁花の甘い香りがした。その甘い香りを大きく吸い込むといつのまにか美緒は早足になっていた。

「ただいま」

 玄関を開けるとすぐ祖母が小走りに出てきた。出迎えてくれた祖母はこの頃一回り小さくなって急に年をとった感じがした。

「疲れただろう。お茶を入れようね」

 六年前、祖母の家で同居し始めた頃の祖母は年よりもずっと若く見えた。時には母と姉妹だと間違われることもあるほどだった。そのころと同じように今も髪は染めていて、薄化粧でシンプルな服装をしている。ペールピンクのセーターにブルーグレーのパンツ姿は同世代の女性に比べれば若々しい。それなのにどこか寂し気なのが年老いたと感じさせているのかもしれない。

 食卓には美緒の好きなハンバーグとクリームシチューが用意されていた。特別な時だけ使われるローラアシュレイのテーブルクロスが美緒の目に入った。ピンクのバラで彩られたテーブルクロスは美緒のお気に入りだ。

「わあ、私の好きなものばかり、おばあちゃん、ありがとう」

 美緒ははしゃぐように言いながら、母の方をそっと見た。母は相変わらず、無表情のままだ。二人の様子を見ながら、祖母がゆったりとした口調で言った。

「そう、よかった。美緒はこのテーブルクロス好きだものね」

 いつも通り父はなかなか帰ってこなかった。

「今日は早く帰って来ると、約束していたのに」

 美緒がつい言葉にすると、母が険しい目をして振り返った。

 その様子を見て祖母はあわてた。

「そろそろ、いただこうか。二人とも着替えて来るといいよ。料理も冷えたようだから、温めなおそうね」

 そう言われて美緒が着替えようか迷っている時だった。ドアが開く音がして父が現れた。美緒は思わずふうッと息を吐いていた。

――パパ、早く帰ってくれてありがとう。

そっと心の中で呟いて父の方を見た。父の手には美緒の好きな近所の洋菓子店の包みがあった。いつも帰りが遅いので、父をまじまじと見るのは久しぶりだった。白髪が増えたようで眉間には深くしわが刻まれている。小さい頃は大きくて本当に頼れる自慢の父だった。運動会で父と手をつなぎ走った時を美緒は今も覚えている。みんなから「お兄さんみたいでかっこいい」と言われた。その時のなんとなくくすぐったいような弾んだ気持ちは一等賞の景品、鉛筆と共に今も机の引き出しに大切にしまっている。

――あの時とはすっかり変ってしまった。あの黄昏時の一瞬がなければ。

そう思っても何もならないと何度も言い聞かせたはずなのにまた後悔している自分が腹立たしかった。

 祖母は嬉しそうに言った。

「じゃあ、ご飯にしましょう」

 母は視線を父に向けたが、ただ黙って顔をそむけた。

「美緒、入学おめでとう。制服、似合ってるぞ」

「パパ、お帰りなさい。あ、ありがとう。見てもらおうと着替えずにいたの」

 美緒は父から包みを受けとった。そして大げさにはしゃぐようにいった。

「わあ、レモンパイだ。大好き、ありがとう」

 父は黙って微笑んだ。弟の好きだったチョコレートケーキは祖母が仏壇に供えている。母は相変わらず黙ったままだった。ルームウエアに着替えて四人は静かに食事を始めた。


 新学期が始まると、早速、部活の勧誘が始まった。毎年どこの学校でも聞こえてくる弾んだ声が春の学園にあふれている。

「今年はかわいい子いるかな。やっぱりだめか」

「まあ、期待するな、こんなもんだろう」

「あ、あの子可愛くないか」

「もう、止めろよ。あ、気づかれたみたいだぞ」

「おい、岩井と山口、あのポニーテールの色の白い子、勧誘して来い」

 美緒はどちらかといえば小柄で色が白かった。黒目がちの大きな瞳でやや小さな口元はふっくらしている。つややかな黒髪は結んでポニーテールしている。

 岩井は美緒に声をかけた。

「テニス部に入りませんか」

 一瞬、美緒は入学式に見かけた季節外れの制服を着た少年だと思った。けれど、よく見ると髪の色は少年の様な栗色ではなく黒髪で背が高かかった。口も普通の大きさでくちびるはどちらかといえばふっくらしていた。全体の雰囲気も微妙に違う。

「これといって、やりたいことないかな」

「そうね。文化部もいいかな?」

 中学からの同級生ユリと二人で話している時に勧誘してきたのが岩井達だった。美緒とユリは中学の時テニス部に入っていたが、テニスに情熱を注いだわけでもなかった。ただ、他にこれといってやりたいことも見つからない。

 結局、美緒達は少年らに勧められるままテニス部に入った。


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