第86話 神竜の寝所(前編)
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
飛竜に乗り、蛇帝の使徒たちの里ソルコブに降り立った櫂たち。そこで彼(女)を待っていたのは、「暗殺者の里」というイメージとは裏腹の人懐っこい住民たちであった。
「村長のソンジと申します。御子様がた、ようこそお越しくださった」
獣毛の敷物の上に胡坐をかいた老人は、櫂たちを前に手をついて深々と頭を下げる。するとその後ろに控えていた老婦人や妙齢の女性達もそろって頭を垂れる。
彼らよりも一段高い壇上に正座していた櫂は、それを受けて自分も深々と頭を下げてしまった。人から敬われることには全くと言って良いほど経験がなかったが故に。
蛇帝の使徒たちの里ソルコブは、白竜山麗において山頂に近い斜面に拓かれた集落であった。蛇のように蛇行しながら伸びる道に添って建てられた石造りの家屋と小規模な耕作地。その頭頂部に当たるなだらかな平地に建つのが、櫂達が招かれた村長の屋敷であった。
「はじめてまして、内匠…いえカイ・タクミです。こちらこそお招きいただき感謝申し上げます」
櫂が改めて名乗るとソンジは皺だらけの顔に笑みを浮かべ、今度は軽く頭を下げる。それは最初の儀礼的な会釈よりも気安く、櫂にはそこにこの老人の温厚な人となりを見る事ができた。
「サピア、大任ご苦労であった。神竜様もきっと喜ばれるに違いない」
続いてソンジは部屋の脇に控えていたサピアを労う。櫂達を遥か西の地より導いてきた美女は粛々《しゅくしゅく》と頭を下げた。
「神竜様には明日お目通りいただくとして、今宵はどうぞ旅の疲れを癒してくだされ」
「はい、ありがとうございます。では早速お言葉に甘えさせていただきますね」
櫂はそう言って、自分の前に置かれていた木製のお盆の上から、陶器製のグラスを手にする。中に注がれていたのは乳白色の液体で、顔を近づけると爽やかな柑橘類の香りが漂う。
村長が歓迎してくれる前から置かれていたそれに、櫂はずっと興味を惹かれていた。満を持して口に運ぶと櫂の口の中に懐かしさを覚える味が広がる。
(の、飲むヨーグルトですねこれ! それよりはずっと薄くて甘さも控えめですけど……)
櫂が察した通りそれは家畜の乳を醗酵させた乳酒であった。ただし酒としてはアルコールの度数も少なく、更にそこに果汁を加えているので未成年の櫂も安心して口にできる飲料であった。
その他には塩茹でした肉に香辛料をまぶしたものや、薄い生地に刻んだ肉と野菜を包んで揚げたパン、薄くスライスした硬いチーズ、そして煮込んだ根菜をいれたスープと素朴ながらもボリュームのある馳走が次々と運ばれてくる。それらは険しい山道をひたすら登って来た櫂たちの腹と心を存分に満たしてくれた。
ちなみにそれらの料理は客人のみならずこの部屋に集まった村人たちにも振る舞われており、客間はたちまち宴会場と化す。
「何だか楽しいわね、こういう雰囲気」
櫂の隣に腰を下ろしたミカゲは賑やかな宴の様子に眼を細め、懐かしそうに呟いた。
「ええ、私もです。そう言えばミカゲさんと王虎の民の村に招かれた時も、こんな感じで歓迎してもらいましたね」
数カ月前、帝都を出奔して諸国連合へと向かった旅路を思い出して櫂も懐かしさに浸る。住む場所や文化は異なれど、小さな集落に生きる人達はとにかく客人をもてなすのが好きなようだ。
「……ただ、あの村と比べると随分偏っていると言うか、女性と子供ばかりですね」
櫂が指摘したように客間に集まって宴に参加していたのは妙齢の女性や櫂よりも年下の子供達が大半を占めており、村長と番兵を除けば成人男性の姿がほとんど見られない。
「ベルタさんはどう思います?」
「はひっ!? わ、私ですか~? 言われてみれば確かに~その通りですけど~でも、そんなものだと思いますね~」
櫂に話を振られるまで乳酒をちびちびと(※比喩ではない)と飲んでいたベルタは、赤らんだ頬に手を当てながらも「取り立てて奇異に思うことはない」と答えた。
「極北の地に限らないでしょうけど僻地の集落なんてこんなものよ? 男や若い女性は出稼ぎに行って村にはおばさまや子供が残っているの。帝国やあの村みたいに農耕で食べていける集落なんて一部でしかないのよね」
ミカゲはそう説明したが、日本の地方都市に生まれ育った櫂にとっては実感の湧かない話であった。生活はおろか収入を得る手段も身近に用意され、故郷を離れなくても生きていける時代と国はそれだけで恵まれているのだ――少なくともこの世界に生きる者ならば誰しもそう考えるだろう。
「ではサピアさんたちが暗殺者を続けているのも――同じ理由なのですか?」
「ええ、その通りです御子。ここは子供や年老いた者達を養うのでやっとの場所です。ですから我たちは村の外に出て行ったのです」
宴が始まると櫂たちの側に移動していたサピアは、櫂が投げかけた疑問に頷いた。
「ですが……我のような蛇帝の使徒は命を殺めるのが目的なのではありません。蛇帝の使徒はただ誓約を守るだけ」
「誓約、ですか」
「はい、人は契約を交わす際にそれを履行できない場合についても誓いを立てます。具体的には――信義に基づいて金銭の貸し借りをする場合など」
サピアのその言葉を聞いた瞬間、櫂は彼女が言わんとした事を即座に察した。
「――あ、つまり蛇帝の使徒の目的は、借金の取り立てなのですか?」
「そうとも言えますね。尤も契約を履行できない者からは、金銭以外のものを頂くことになりますが」
サピアのはぐらかすような物言いに、櫂は思わず顔を引き《つ》攣らせてしまう。
蛇帝の使徒は殺人を目的としない。しかし彼ら彼女らが動くのは往々にして「貸した金を返せない相手に、契約不履行の対価を支払わせる」時に限られていた。
「借りた金を返さないとこうなるぞ」という脅しと戒めの代行者として見せしめに命や身体の一部を奪う――その任務に誰よりも忠実で相手を選ばない事から、蛇帝の使徒は大陸全土で「最凶の暗殺者」と恐れられるに至ったのである。
「では……エルナがかつて蛇帝の使徒と戦ったのも――」
「ん、そう。借金してた貴族が家財を全て手放す前に殺されると困るからって、局長が言ってた」
揚げパンを口いっぱいに頬張りながらエルナは語り、その回答に櫂とサピアはそろって「なるほど…」と頷いた。もっともその理由は異なっていただろうが。
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そして翌朝――チーズの入った粥とふかした芋で朝餉を済ませた櫂たちは、晴れてソルコブの里よりもさらに上層に位置する神竜の寝所へと向かうこととなった。
村長の屋敷から伸びる石段をひたすら上り、時間にして二刻ほどで櫂たちは寝所の入り口に到達する。そこは岩壁をくり抜いて建てられた巨大な石門であり、均した道が奥に向かって伸びていた。
それを見た櫂は「なんだぁ他にもダンジョンがあるじゃないですか」と愛らしい顔に満面の笑みを浮かべる。もっとも石門を潜った先にあったのは、怪物も宝もないただの地下通路でしかなかったのであるが。
サピアは松明を掲げながら櫂たちを先導し、通路の先に聳える巨大な鉄製の門扉の前に立った。
「この先が神竜様の寝所となります。今、開けてもらいますのでどうかお待ちを」
そう言ってサピアは鉄製の門扉ではなく、その脇に近付いていく。
「ふむ、手をかざすと門扉が光ったりするとか、そう言う展開ではないのですね」
ファンタジー映画などでよくある光景を思い出しながら、少しだけ残念そうに呟く櫂。しかし見上げた先に聳える巨大な鉄門は一切の装飾を省いた武骨な造りで、それゆえに扉の奥で待ち構える存在への畏敬をかき立てられる。
かつて竜骸山脈で目撃した骸ではなく生きているドラゴンが、神竜と崇め奉られる神秘的な存在が、自分をこの地に招いた張本人がこの先にいるのだ――そう考えると、櫂の小さな肩は期待と不安でぶるりと震えた。
――ピンポーン
しかし次の瞬間、薄暗い地下空間に鳴り響いた音が櫂の高まった期待に水を差す。
あまりにも聞き慣れた、しかしこの世界にあってはならない音に櫂が耳を疑っていると、今度はサピアが巨大な門扉の脇に備え付けられていた黒い機械に向けて、
「失礼いたします、ソルコブの者です」
『はいはい、今開けまーす』
これまた聞き慣れた気安いやりとりに、櫂は「はぁ?」と納得のいかない気持ちを露わにしてしまう。ここは何時からファンタジーな異世界ではなく日本になったのですか? と。
ふと周りを見回せば、ミカゲもベルタもロイもそしてエルナでさえ僅かに肩を強張らせ緊張した面持ちで扉を見上げている。先程のサピアと門の向こうにいるらしい存在とのやり取りに何の違和感も覚えていない事は一目瞭然だった。
(まさかこの先にいるのは、ドラゴンではなく『神竜』と呼ばれているだけの人間だとか、そんなオチではありませんよね……?)
先ほどとは異なる不安と緊張を抱えながら、櫂はゆっくりと開き始めた門扉に意識を向ける。人が肩を並べて通れるほど開いた門扉の中から姿を現したのは――櫂が思い描くドラゴンなどではなく一人の女性だった。
ただし背丈は2メートルに届き、闇よりなお暗い髪からはにょっきりと二本の角が伸びている。松明の火に照らし出された顔は赤銅色であったが、首から下は白い割烹着に包まれていた。もう一度言おう、現れたのは首から下を白い割烹着に包んだ女性だった。
予想とは真逆の咆哮であり得ない光景に櫂が言葉を失っていると、その女性は櫂を見下ろしながら――流暢な日本語でこう言った。
「まぁはじめまして勇者さん、うちは巴と言います。まさか女の子だったなんて思いませんでしたけど――ふふ、どうやらそれなりに備わっている様ですね」
穏やかで優しげな声色。眼下の存在に敬意を払いつつも自分を見定める金色の瞳に――櫂は喉が絞めつけられるような畏怖に襲われていた。
強い――なんてものじゃない。目が、脳が、細胞が、魂が戦いている。そこに在るのは絶対的な強者、抗う事すら無駄な上位存在。
「鬼――」
「はい、うちは悪鬼。神食む鬼として恐れられた人ならざる存在です。ですが今は――」
自らを「鬼」と称した長身の女性は櫂たちに向けてそっと左手を掲げる。ただし掌ではなく甲を向けて。その薬指には銀色の指輪が嵌められていた。
「――だんなさまの新妻です♥」




