第84話 再会
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
遂に白竜山麗の麓に迫った櫂たちは愛馬(?)との別れを惜しみつつ、目指す地へと続く地下迷宮に思いを馳せるのであった――
白竜山麗は切り立った険しい岩壁が幾重にも連なる鋭鋒であり、それによって生じた段差が登山道となっている。そそり立つ絶壁に行く手を阻まれる南端とは逆に、その東には隣り合う山から繋がる道が拓かれていた。
櫂達は一日かけて南端から麓沿いに東に進み、二日目の今日、遂に白竜山麗へと足を踏み入れる。
「いやぁ、絶景ですね」
櫂たちが吐く息は白く、周囲は雪で覆われていた。しかし空は鮮やかに晴れ渡り、吹き付ける風はその度に辺りに積もった雪を拭き散らす。
風に舞う雪が陽光を反射して輝く光景に、櫂は子供のように目を輝かせていた。
「ひぃ……ふぅ……す、少し休ませてください~」
しかしここは通行には適さない険しい山道である。平坦な山道に入ると、ベルタは手頃な大きさの岩に腰かけて、上がってしまった息を整え始めた。その傍らには「蛇帝の使徒」と呼ばれる女性が二人、山道に不慣れなベルタを介抱しながら同胞であるサピアに休息を提案する。
サピアは肉厚の唇を固く閉じたまま速やかに頷いた。行程はすこぶる順調で、過酷な環境にも関わらず同行者達の足取りは軽い。急ぐ理由もなければ慎重を期して歩みを遅らせる理由もなかった。
「随分と昇ってきましたが、ダンジョン――いえ地下迷宮はまだ遠いですか?」
休息中、櫂に問われたサピアは「いいえ」と首を振って山道の先を指し示す。
「このまま山道を進んで一つ上の断層に登れば、ソルコブに通じる地下通路はすぐそこです。今宵はそこで休息し、明日には我の里に到着しましょう」
「分かりました。ふふ……いやぁ楽しみですねぇ」
興奮を抑えきれずに口の端を持ち上げる櫂。彼(女)が期待する地下迷宮とは、蛇頭人と呼ばれた先住民が静養のために用いた地下宮殿であり、サピアたち「蛇帝の使徒」はそこを通って里と外界を行き来しているのだと言う。
従って櫂が思うところの「ダンジョン」とは似て非なる場所なのだが、櫂は何故かそこを通路とは呼ばず「地下迷宮」「ダンジョン」と呼び続けていた。単なる未練でしかないのだが。
それから二刻ほど山道を進み太陽が傾き始めた頃に、櫂たちは岩壁をくり抜いた巨大な石門へと到達した。それこそがサピアたち「蛇帝の使徒」の里——ソルコブへと続く地下施設の入り口であった。
門には扉はなく、入り口の横幅は大人二人分、高さは三人分ほど。石造りの門柱には装飾こそ施されていないものの、堅牢さが伺える造りや丁寧な石材の加工には目を見張るものがあった。
「これは……実に見事です~。蛇頭人は斬鉄銀の精製技術を有していたとも聞きますし~山の民とも交流があったのかも~しれません~」
眼鏡の奥の瞳を見開き、門柱に使われている石材をマジマジと眺め回すベルタ。その隣では櫂が興味深そうに石材にペタペタと触れている。
「これが山の民の技術だとなぜ分かるのですか? 何か特徴でも?」
「えっとそれは~石材の形にあります~。よ~く見ると、これらは全て多角形に加工されてまして~」
櫂がベルタの講義を拝聴している間、サピアたちは火を起こし、エルナは石門の周囲を見回っていた。この日の野営は石門をくぐった地下施設の入り口で行う事になり、そこは既に平らに均された小さな広場として整備されていた。
雨や雪を心配する事はなく、地下とは言え門扉がないため陽光も差し込んでいる。寒風や狼などの肉食動物の侵入だけは避けられないが、それも交代で火の番をすれば事足りる話だった。
「――?」
それでもエルナは用心のためにと、ベルタが調合してくれた獣除けの香を石門の周囲に配置していた。煮詰めて乾燥させた数種類の香草を小さな袋に詰めこんだそれは、鼻が効く狼などの肉食動物には強烈な刺激臭を放つ。
その所為かエルナは鼻の奥をむずむずさせながら、四つ目の袋を藪の中に投じた。
その時であった。風の音とは異なる「叫び」を耳が拾うと同時に、彼女は剣の柄に手を添え櫂の元に走り寄る。
「――カイ」
その一言だけで櫂はエルナが何かしらの異変を感じ取ったと察し、ベルタに立ち上がるように促した。
ベルタが慌てて立ち上がった時には既にサピアや他の蛇帝の使徒たちも身を起こし、周囲を警戒していた。しかし彼女たちの五感が届く範囲には驚異らしい脅威は見当たらない。
「エルナ、何があったのですか?」
「聞いた事のある音がした。大きいけど、懐かしい――」
異変を感じ取ったものの、その正体までは掴み損ねていたのだろう。要領を得ない回答にしかし、櫂はある予感を覚えていた。
「大きいけれど、懐かしい――あ、まさか!」
エルナは能弁ではないものの、彼女の言葉は嘘や虚飾とも無縁である。それを誰よりも知る櫂は石門から外に飛び出した。懐かしくて大きいもの——その正体に心当たりを見つけたからだ。
晴れ渡る空。蒼穹に漂う白い雲。陽光が降り注ぐ広大な空を見上げれば、その片隅を横切る黒い影が一つ。
「シャァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
空の彼方から響き渡る咆哮。野生動物のそれとは異なる、もっと強大で知性すら感じさせるその声を櫂は知っていた。
威嚇ではなく彼方から呼びかけるような懐かしい声に、櫂は両手を広げてその名を呼ぶ。
「ドラン! 私は、私はここですよーーーーーーーーーーーー!!」
空に向けて手を振り、自分はここにいるぞと声を張り上げる。
事情が掴めないサピアたちは全方位に警戒の目を向けるが、櫂とエルナだけはそろって空を見上げ続ける。その彼方に見知った顔が在ると信じて。
「み、見つけたーーーーーーーー!」
続いて聞こえてきたのは歳若い女性の声。巨大な生物が櫂たちの前に姿を現したのは、それからすぐの話であった。
陽光を遮る巨大な二枚の翼と長い尾。巨鳳とは異なるシルエットは事情を知らない者たちには驚異以外の何者でもない。
「御子――お逃げください!」
「大丈夫ですよサピアさん――あれは、私のともだちです」
警戒を強めるサピアを諭し、櫂はそれが目の前に降り立つのをただ見守っていた。
陽光を反射して輝く緑の鱗。大きな翼を悠然とはためかせ、長い尾を振ってバランスを保つ生物の頭部には、長い角と無数の牙を並べた大きな口が見て取れる。
飛竜――亜竜と呼ばれる上位存在の一角。
その背には黒い外套をまとい頭まで覆い隠した人影が――ふたつ。
「カイ! それにエルナも!!」
飛龍が地面に降り立つと同時に、その背に跨っていた一人が飛竜が頭を伏せるのを待つことなく飛び降り、そして――櫂とエルナの二人に抱きついた。
「やっと――やっと逢えた!」
感極まったその声にエルナは剣の柄から手を離し、櫂はこみ上げてくる衝動に思わず鼻を鳴らしてしまう。
「――はい、お久しぶりです。ミカゲさん」
櫂がその名を呼ぶと、飛竜の背に跨っていた少女はフードを脱ぎ、銀色の髪と二つの猫の耳を櫂たちの前に晒した。
彼女の名はミカゲ・アゲハ。諸国連合の眷獣司にして櫂とエルナにとってはかけがえのない友人でもある。
「なんでこんな辺境にいるのか分からないけど――どうせカイの事だもの、大かた神竜様にでも逢いに来たんでしょ? もう、何やってんだか――」
呆れた言葉とは裏腹の親愛の情に櫂は苦笑し、エルナは無言で「その通り」と頷いていた。
「ミカゲさんこそどうしてこんな北の地に? しかも私を探していたようですが」
「あ、あのね? 私は盟主様より櫂の監視を引き続き命じられているの。別の用事があったらすぐには戻ってこられなかったけれど……それが一段落したのよね。だから別に――あなたたちに逢いたかったわけじゃないんだから」
いや、さっき自分で盛大に本心を口にしてましたよねー―とツッコミたくなる衝動を堪え、櫂は「そうですかー」と空々しく返答する。エルナは何も言わなかったが、ちらりと櫂に目配せした事から同じ気持ちではあったらしい。
「それよりね、カイに逢わせたい人を連れて来たの」
ミカゲが乗って来た飛竜のほうを振り返ると、恐る恐るその背から地面に降り立つ者が一人。
ミカゲと同じ色の外套を羽織っているが、体格からしてすぐに男性だと分かる。彼はゆっくりと――明らかに緊張した様子で歩み寄って来る。そして立ち止まるとゆっくりとフードを脱いだ。
赤土色の髪と炎を思わせる赫灼の瞳を宿す少年。日焼けしたその肌には寒さの所為だろうか、僅かに朱が滲んでいた。
「――えっと、俺のことなんか覚えていないかもしれないけど……」
目を不自然に逸らし、言葉を慎重に選びながら話し出す少年。その意識は間違いなく櫂に向けられていた。
「――あ、ロイくん! ロイくんじゃないですか!!」
「――――!!!???」
少年の名を思い出した櫂が驚きと喜びを声に表した瞬間、少年の顔は寒さとは別の理由から真っ赤に染まってしまう。
それを見たミカゲはニヤニヤと含みのある笑みを湛え、ベルタは眼鏡越しに鋭い眼光を飛ばす。少年が顔を赤くした理由を一瞬で察したが故に。
「お久しぶりです! 君まで逢いに来てくれたんですか! いやぁ嬉しいですよ!」
「い、いや俺はその……」
一方、櫂は無邪気に喜ぶと自分からロイの手を取り、彼との再会を祝う。
相手が露骨に視線を逸らし、必死に平常心を保とうとしている事にも気付かずに。
「積もる話は山のようにありますが、先ずは腰を落ち着けるとしましょう。実は私たち、今夜はあそこで野営をする予定でして――」
そう言って櫂が石門を指すと、ミカゲだけは不思議そうに「野営?」と櫂の言葉を反芻した。
「ええ、実はあの地下迷宮はここから上の里に通じているそうで。私たちはそこへ向かうところなのですよ」
櫂が説明するとミカゲは心当たりがあったのか「ああ、あの集落ね」と頷き――そして、こう言った。
「なら飛竜で行きましょう。全員は無理だけど、往復しても日が暮れる前に到着できるし」
それは100%の厚意であり妙案であり、飛竜も「構わんぞ」と承諾の意を示す。
エルナとベルタは「その手があったか」と感心し、ロイは――心ここに非ずでそもそも話を聞いていなかったので除外するとして——ミカゲのその提案に首を横に振る者はただの一人もいなかった。
肝心の一人を除いて。
「――や、やだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
それはまるでお気に入りの玩具を取り上げられた子供のようだったと、後にベルタは語ったと言う。




