第83話 私の愛馬は可愛いです
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
オウサの関で捕虜となっていたロイを連れ出し、櫂と再会するため動き出した諸国連合の眷獣司ミカゲ。その一方で櫂は今――
季節は冬を迎えていた。
大陸を東西に分断する山麗から吹き下ろす風は時に雪を孕み、大陸北部の極北の地は止むことを知らぬ吹雪と重苦しい曇天の空が、人々の足だけでなく心にまで重石を課していく。
だからこそ束の間に顔を見せる遠い空は、人のみならずこの地に生きる動物たちの足までも軽くするのかもしれない。
雪原を駆ける無数の馬影。その背には草色の外套で頭まで覆い隠した女性達の姿があった。
「見えてきました。あれが――白竜山麗です」
馬を休める為に立ち寄った川の畔でサピアが指し示した先には、一際高く聳える鋭鋒があった。
例えるならそれは天に向かって伸ばした巨大な腕。その指先は空にこそ届かったものの雲をしかと掴んでいる。櫂はその威容に言葉を飲み干し、ややあって「あれに登るんですか?」と途方に暮れた顔で呟いた。
「いいえ、ソルコブ——我の里はその中腹にあります。ただし馬はおろか徒歩でも里には辿りつけません。秘密の通路を通らなくては」
「なるほど、それは確かに暗殺者の拠点っぽくて良いですね。この子たちと別れるのは忍びないですが…」
残念そうに櫂が馬の首を撫でると、粕毛の馬はくすぐったそうに声を漏らす。
随分と人慣れしている「彼ら」は元々は軍馬であり、完全武装の兵士を乗せてもその俊足を発揮できるという点でも手放すのは惜しい「財産」とも言えた。
ちなみに何故、櫂達がそんな馬を手に入れたのかと言うと――
「ヒャッハー! 女だーーーー!!」
遡ること三日前。
極北の地に足を踏み入れた櫂達を待ち受けていたのは盗賊――より正確に言えば、北方の遊牧民から成る馬賊の一集団であった。
櫂達が外套で顔や体のシルエットを隠していても体格だけは誤魔化しきれず、遠目からでも獲物に餓えた馬賊たちにとっては一目瞭然だったのかもしれない。
ろくな護衛も付けずに女ばかりの集団が歩いていれば、それはもう攫ってくださいと言っているようなものだ――という認識に従い櫂達を取り囲んだ馬賊は、当然のように櫂の契約神能「幻惑の瞳」の餌食となった。
「へっ、礼なんていらねぇよ」
櫂達を取り囲んだ馬賊は彼女達に危害を加えるどころか、西の妓楼を年季明けした美しい舞姫とその従者からなる集団につい絆されてしまい、馬を譲って去って行ったのである。しかも格好つけながら。
もちろんそれは「幻惑の瞳」によって認知を改竄された馬賊たちの勝手な思い込みでしかなく、実際には賊を釣って旅の足を頂戴しようと画策した櫂たちにまんまと嵌められただけの話であった。
「私が言うのも何ですが~カイ殿がその気になれば~国の一つや二つ~傾けさせられるのでは~?」
櫂の契約神能の恐ろしさを何度か目の当りにしたベルタはそう危惧するが、当の本人は「いやですよ、男なんかに媚びを売るのも身を委ねるのも」と首を横に振っていた。
財力も権力も都合の良い庇護者も要らないと言えば嘘になるが、それ以前に櫂は自分が他の男性の性的な関心の対象になる事が我慢ならなかったのである。今も心は32歳の独身男性であるが故に。
エルナはそれを無関心に聞き流し、サピアは何故か口元を押さえて「解釈一致……」と感極まった声で震えたと言う。
かくして人数分の馬を手に入れた櫂たちは雪に覆われた平原を一気に駆け抜け、徒歩ならば数週間かかる道のりを、たったの五日に短縮する事に成功したのだった。
ちなみにその後、櫂達が馬賊からぶん獲っ……もとい超自然的に譲り受けた馬たちは、白竜山麗に最も近い宿場町で馬商人に買い取ってもらう事になった。
元軍馬で人慣れした「彼ら」には高い値が付けられ、逆に言えばその価値の分だけ丁重に扱ってもらえる事になる。皮肉な話だがあのまま馬賊の乗馬として生きるよりも、商人のもとで優秀で貴重な輸送ないし労働力として商品化された方が、馬にとっては幸せだったのかもしれない。
「うぅ……やっぱり離れたくないです……私のオラシオン」
なお売り渡しの際に菫色の髪をした美しい少女が、愛馬にしがみついて譲渡を渋りに渋った光景は、あまりの微笑ましさに馬商人の語り草になったと言う。
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「さて――この調子で行けば、明日にでも白竜山麗の南端に辿り着けましょう。そこから麓沿いに東に進めば、我の里に続く通路まで三日と言ったところでしょうか」
馬を譲渡した宿場町の宿で、サピアは手描きの地図を前にそう説明した。
ベルタは「はぁ~~~~遂にですね~~~~~」と長旅のゴールが見えてきた感慨に耽り、エルナは相変わらず関心がなさそうに窓際に佇んでいる。
そして櫂はと言うと、ベットに突っ伏して「うぅ…私のオラシオン…」と未だに愛馬ロスを引き摺っていた。
「ところで~ひとつお聞きしたいのですが~、サピアさんが言うところの~秘密の通路とは~どのようなものなのでしょうか~?」
ベルタからの質問にサピアは厚い唇を動かし、「地下迷宮です」と回答した。
するとその答えを予想していたかのように、ベルタは「やはり~」と神妙な顔つきになる。
「魔導師様、よくご存じでしたね」
「いえいえ~実は~ここより南東の町で~蛇頭人の伝承について~調査を行った事がありまして~」
「ふむ、その話、詳しく聞かせてください」
催促したのはベッドに突っ伏していた筈の櫂であった。突然ベルタとサピアの話に割って入ったかと思えば、琥珀色の瞳を好奇心でキラキラと輝やかせている。愛馬ロスはどうした。
「え、えっと~それは構いませんが~何を話せば良いのでしょうか~?」
「もちろん、地下迷宮から蛇頭人とやらを含めて全部です。
地下迷宮——つまりダンジョンですね? しかも話を聞く限りその迷宮は蛇頭人とやらと無関係ではないと見ました。竜が住まう山の地下迷宮、人ならざる者の伝承――実に良いですね。どんな逸話や財宝が隠されているのでしょうか?
あ、もちろんダンジョンと言うからにはモンスターもいますよね? ちなみに私は竜牙兵とか天井に貼りつくスライムとか宝箱に擬態したミミックとか大好きです。あと目玉のデカいバジリ――いやあいつは居なくて良いです」
櫂自身の認識はどうあれ、目を爛々と輝かせて怪物への夢想を語る美少女——という倒錯した姿にベルタもサピアも呆気に取られてしまうが、しかしこの世界の現実は櫂にとって無常だった。
「……モンスターと言うのは危険な生物の事でしょうか? それならばご安心ください御子、里と外を繋ぐ通路として、そのような生き物は我たちが根絶しておりますので」
「え…………いないんですか?」
愕然。その言葉を表情で体現した櫂を見て、サピアの顔から血の気が引いていく。
ちなみに彼女が想定した危険な生物とは毒蛇や血を吸う蝙蝠の事であって、櫂が憧れているような怪物たちではない。
「カイ殿が口にした名前は~私も初耳です~。地下迷宮に怪物が潜む~と言うのは~昔からよくあるおとぎ話ですが~」
サピアもベルタもそのような怪物は見た事も聞いた事もないと口を揃えたため、櫂は「あんまりだぁー!」とテーブルに突っ伏してしまった。
尤も、危険な怪物が住まう場所を人が通路として日常的に使用するはずはない、と言われてしまえば何も反論できないのだが。
「ですが~蛇頭人も実在していたくらいですし~、カイ殿が言うところの怪物も~空想の中にしかいないとは~限らないわけで~」
「……お気遣いありがとうございます、ベルタさん。いくら何でも私がゲーム脳すぎたのが良くありませんでした。それより蛇頭人とは?」
落ち込んだかと思えばすぐ次の興味に飛びつく櫂に呆れつつも、ベルタは鞄から一冊の本を取り出す。
分厚い紙で綴じられたその本には、統一言語で『星神の子ら』と題されていた。
「蛇頭人はですね~我々が御柱の主の導きによって~地に降り立つ前から~大陸各地に文明を築いていた存在と言われています~」
書物には挿絵も図解も載っておらず櫂は記述からその姿を想像するしかなかったが、それに依ると蛇頭人とは蛇の頭をした人――ではなく、人間と同じように四肢を有して直立歩行する大蛇のような姿であったらしい。
衣服は身に着けておらず、分厚い鱗がまるで鎧のように全身を覆っている。
背丈は2~3mで尾は地面に付くほど長くはない。
人間と同じように植物から他の動物まで何でも口にして、酒の作り方を人間に伝授するほど賢く、友好的だったそうだ。
「蛇頭人は~流行病によって姿を消したそうですが~これは各地に残る伝承とも一致しますし~恐らくは事実なのでしょう~」
「なるほど先住民だったのですね、それも人間に友好的な。流行病で姿を消したと言うのが少し気になりますが、つまりはもうこの世界には存在しないと?」
「はい~私も念の為に調べてみましたが~神話の時代以降に~蛇頭人を見たという記録は~一つも残ってません~。ただし……」
曖昧に言葉尻を濁し、ベルタはちらりとサピアに視線を飛ばす。
するとサピアは「魔導師殿の考えている通りです」と頷いた。
「御子、そこからは我がお話いたします。帝国の民が蛇頭人と呼ぶ蛇帝様は日の届かぬ山の奥に神殿を設け、そこでひっそりと静養されていたのです。
我の祖たちは地下にて身を休められていた蛇帝様にお仕えし、様々な叡智を授けていただいたそうです。けれども蛇帝様は子を成す事が叶わなくなっており、最後の蛇帝様がお隠れになったのは今より1000年も前と聞いてます」
「やはり~そうでしたか~。北に行けば行くほど~蛇頭人に関する記録が新しいのは~記紀に記された後も~何人か生き永らえていたんですね~」
伝承を追うなかで生まれた仮説が証明されたと、ベルタは胸を撫で下ろした。
「――なるほど、つまりサピアさんの里と外を繋ぐ地下迷宮と言うのは、かつて蛇頭人が静養していた場所なんですね。それならば通路として使用されているという話にも説得力が生まれます」
合点がいったと頷く櫂。その瞳は隠しきれない好奇心と興奮で輝いている。
「モンスターがいないのは残念ですが、太古の歴史や人間以外の知性体の痕跡が刻まれた地下迷宮――サピアさん、私をぜひそこに連れて行ってください!!」




