第80話 なるほどつまり王子様ですね
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
極北の地に聳える白竜山麗を目指す道すがら。櫂たちが一夜の宿を求めて立ち寄った村には、翠馬公国の兵士たちが駐留していた。
身分を明かして入村を許可された櫂たちは、その足で村で一軒しかない宿へと向かう。 「鋸山の麓の村」の呼ばれる村落は主要な街道からは離れていたが、旅人や行商人が一夜の宿を求めて立ち寄る事も多いためか、道は広く整備されていた。
「雲雀屋」と云う看板を掲げた村で唯一の宿は一階が酒場となっており、吹き抜けの二階に宿泊用の個室を設けている。銀鷲帝国を含めた大陸西部ではよくある造りの宿であった。
宿の女将は櫂達が扉を開けて入って来ると、人の好さそうな笑顔を湛えて歓迎してくれた。一行がまだ年端もいかぬ少女ばかりという事もあったが、それ以上に人恋しかったのだろう。本来ならば宿泊客や村の男衆で賑わう筈の酒場には全く人気がない。その理由が町に駐留して出入りを制限している兵士たちにあるのは火を見るより明らかだった。
「まったく商売あがったりさ。誰を探しているのか知らないけど早く出て行ってくれないものかね」
女将は従業員らしい男性にてきぱきと指示を飛ばしながら、止まる事の無い口から愚痴をこぼす。
「あの兵士たちは、人を探しているのですか?」
櫂が訪ねると女将は「そうさね」と頷き、半日前には兵士たちがこの宿に押しかけ、ベッドの下から水瓶の中、地下の貯蔵庫まで虱潰しに捜査していったと苛立った声で話してくれた。
今頃は他の家や建物を念入りに改めているだろうが、客を追い出し村を封鎖しておいて詫びの一つも入れやしないと憤る女将の愚痴に苦笑を浮かべつつ、櫂は女将から聞いた話を基に状況を整理し始める。
櫂が真っ先に相談したのは道先案内人を務める「蛇帝の使徒」の一人、サピアだった。
(サピアさん、心当たりはありますか?)
(はい御子、耳元に吹きかかる吐息に理性が飛びそうになってますが耐えますのでご安心を。心当たりはあります)
全く安心できない返答にそっと距離を取りつつ、櫂は更にサピアから話を聞き出そうとした。その時だった。
宿の扉が開かれ、二人の人物が店内に足を踏み入れる。一人は痩身の初老の男性。そしてもう一人は代紋の入った外套をまとう偉丈夫だった。二人はテーブルを囲む櫂たちを見つけると、声もかけずに歩み寄ってきた。床板を踏む度に聞こえる金属音から、偉丈夫が武装している事が分かる。
「よ、ようこそお越しくださいました魔導師様。私はこの村の長でエイルスと言います。そしてこちらは――」
「翠馬公国上級騎士イラスタリア・ド・マルシャスと申す。どうぞお見知りおきを」
最初に声をかけたのは初老の男性であったが、櫂達の意識は上級騎士を名乗った偉丈夫に注がれていた。
赤みがかった金髪を短く刈り込み、腫れぼったい瞼が不健康な印象を与える中年男性だが、その眼光のみならず立ち振る舞いも鋭利で隙が無い。
それでも櫂の瞳は彼に向かって伸びる金色の螺旋を捉えていたが、
(事情も素性も分からない内に認識を操作するのは危険ですね。先ずは相手の出方を待つとしましょう)
自身の契約神能「幻惑の瞳」を使用する事は控え、櫂は成り行きを見守る事に決めた。
「は、はい~これはご丁寧にどうも~、私はベルタ=Ⅶと申します~」
恐縮しながらベルタが名乗り返すと、イラスタリアは軽く会釈して応じる。
「帝国魔導院のベルタ様ですな。浅学の身なれどその御高名は聞き及んでおります——しかし何故、このような場所に?」
イラスタリアの口調は騎士らしく慇懃だが、その態度には遠慮がない。警戒を露わにした口調でベルタに問いかけてくる。
「わ、私たちは~白竜山麗を目指しているところでして~」
「なんと白竜山麗ですか? しかもこの時季に……」
驚き絶句する村長を尻目に、イラスタリアは「ふむ」と顎鬚を撫でて思案する。その仕草は何処か芝居がかっており、櫂は彼への警戒を強めていた。
「ではその目的をお聞きしても? ベルタ様」
「は、はひっ! そ、それはですね~」
「それは神竜様にお目通りする為ですわ。ねぇ、お姉様?」
威圧的なイラスタリアに委縮するベルタ。そこに櫂が助け舟を出した。もちろんその行為が自分達を訝しむ騎士の疑念に油を注ぐ事を承知した上で。
「……失礼だが、君は?」
「わたし、ベルタ師の一番弟子でフリンと申します。此度はお姉様のお供として共に旅をしておりますの」
イラスタリアの誰何に対し、櫂は堂々と名を騙り出した。
誇らしげに薄い胸を張るその姿は堂に入ったものであったが、しかしイラスタリアは僅かに目を細め、フリンもとい櫂の菫色の髪を眺める。
「フリン殿と申したか。——ふむ、そう言えば帝国に君と同じ色の髪をした女性がいたそうだが、聞いた事はあるかな?」
あからさまな探りに対し、櫂は――「ええ、もちろんですわ」と即答する。その質問自体が可笑しくてたまらないと口元を隠しながら。
「カイ・タクミ。わたしと同じ色の髪をしている方らしいですわね。まだお会いしたことはありませんけれど」
櫂のその返答にエルナもサピアも平静を保っていたが、ベルタだけは一瞬、驚きのあまり目を剥いてしまう。「どの口でそれを言うのか」と。
「君がそのカイ・タクミではないという証拠は?」
「ありませんわ。でも——騎士様? こんな私が果たして噂されている様な大それた真似ができるとお考えなら、それはそれで面映ゆいですわね」
ころころと鈴を転がしたように笑う櫂。確かにその姿を見れば、誰も彼(女)が噂されている様な稀代の悪女だの武闘大会を荒らした女傑だのとは思うまい。
イラスタリアとてそれは同様であったが、さりとて彼女が単なる魔導師の弟子にも見えないのもまた確かであった。
「――わかった。要らぬ詮索を許されよ」
息を三度のみ込むほどの黙考の後、イラスタリアは櫂に非礼を詫び、半歩その場から引き下がる。それは櫂たちへの尋問の終わりを意味していた。
最後にイラスタリアはベルタに向き直り、
「ベルタ様、お急ぎのところ申し訳ありませんが、我らが公務を終えるまでの間はどうぞ、この村にて足を休めますようお願いいたします」
「えっ……それはつまり、村から出てはいけないという事……ですか~?」
「はい、数日の辛抱でございます」
思いもよらぬ言葉にベルタも櫂も言葉を失い、いけしゃあしゃあと足止めを要請したイラスタリアは形式ばかりの会釈と共にその場を後にした。
残された村長は不憫に思えるほどベルタに頭を下げ続け、せめて村に滞在する間の宿代はこちらが出すと詫びる始末だった。
「……参りましたね、これは」
思わぬところで足止めを喰らってしまい、櫂は途方にくれた目で窓の外を眺めるしかなかった。
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それから櫂たちは女将が用意してくれた個室に入り、荷物を下ろすと早速寄り集まって対策を探る事にした。
「――うむ。御子、魔導師殿、少なくとも宿やその周囲に間者など監視の目は届いておらぬようです」
姿を隠し続けている同胞からの報告を受け取った後、サピアはそれを伝えて櫂たちを安心させる。
サピアを含めた「蛇帝の使徒」は大陸でも有数の暗殺者として恐れられていたが、それは諜報員としても一流である事を意味している。その彼女達が念の為にこの宿や周囲を探ってくれたのだった。
「ありがとうございます、サピアさんも他の皆さんも——では、ここから対策会議とまいりましょうか」
テーブルの上に地図と白紙を広げ、櫂はボールペンを手にする。それは彼が仕事用の鞄と共に転生前の世界から持ち込んだ物の一つであった。
「とりあえずは状況の整理といきましょう。この村に現在駐留しているのは翠馬公国のあの上級騎士とその配下で宜しいですね?」
櫂の問いかけに頷いたのはサピアとエルナだった。二人ともイラスタリアと直接言葉を交わしてはいないが、彼が身に着けている物やその所作から、小さくない領地と私兵を持つ公国の有力者——上級騎士である事は間違いないと断言する。
「やり方は決して穏便ではありませんが、住民への態度や動きを見てもそれなりの訓練を受けた兵士である事は疑いようがありません。よく統率されています」
サピアは同胞と共に配下の兵士たちを具に観察し、
「剣を腰に佩いても重心がズレていない。決して私の間合いに入ってこなかったし、まぁそれなりに強いと思う」
エルナは武人としての視点から、イラスタリアが本物の――それも確かな実力を持つ騎士であると判断していた。
「ありがとうございます。では次に、そんな騎士様がこの村に押しかけた理由についてですね。女将は誰かを探していると言ってましたが――そう言えばサピアさんは、その人物に心当たれりがあると言ってましたね」
「はい――恐らくはラスティフ公子のことでしょう」
サピアが告げた名前に櫂は聞き覚えがなく「はて?」と首を傾げるが、一息遅れて「えぇ~っ!?」と驚く者がいた。ベルタであった。
「ご存じなのですか、ベルタさん?」
「は、はい~まさかカイ殿は知らな……ああ、いえ、そうであってもおかしくはありませんね~。ラスティフ公子とはここ翠馬公国の大公閣下のご嫡男でして~、あれ? でも~確か~大公閣下はご家族ごと侵略者に捕らわれたと聞きましたが~?」
「大公閣下のご嫡男――なるほどつまり王子様ですね。そんな方がこの村に潜んでいると?」
「それは定かではありませんが、ラスティフ公子は五湖連合の侵攻のあと行方不明になったというのは確かです。侵略者どもはその事実を隠していますが、公国の民は公子がどこかに身を潜めて再起を図っている筈だと公然と噂しております」
櫂は白紙に公子の名を知るし、そこから離れたところに今度はこの村に兵を率いて押しかけたイラスタリアの名を記す。
「なるほど……しかし解せませんね。あの感じの悪い騎士はこの国の上級騎士なのでしょう? 本来ならば公子の味方に着く筈だと思うのですが」
「そ、それは確かに~」
集めた情報を整理すると、五湖連合と名乗る侵略者に公都を占拠され家族も囚われたこの国の公子が、何処かに身を潜めて再起を図っているらしい。
そして今、その公子を捕らえようと公国の上級騎士が兵士を引き連れて、強引にこの村を捜査している事になる。
櫂やベルタが疑問を覚えたように、確かにイラスタリアはその身分と行動が一致していない。するとそこでサピアが口を開いた。
「――ふむ、どうやら御子と魔導師殿は公国の現状をご存知ないようで。
ふ、ふふ……それならば不詳この私がじっくりねっとりお伝え申し上げる必要がありますね。いやズルくない! こ、これも任務、任務の一環だからな!」
櫂達には聞こえなかったが、どうやら姿を見せない他の「蛇帝の使徒」がサピアに抗議したらしい。相変わらずノリだけは軽い暗殺者集団である。
しかし任務を盾に私情を貫いたサピアが三人に伝えのは、公都エウスヴェルデを占拠された翠馬公国の千々に乱れた政情であった。
翠馬公国は大公に任じられて土地を守護する代官が複数存在し、その多くは大公家に仕える上級騎士達が占めていた。
侵略者の電撃的侵攻によって公都を陥落された後、各地の上級騎士たちは自分達が守護する領地の防衛と主君と都を取り戻すために、それぞれに兵を集めて応戦体勢を整えていた。
しかし諸勢力をまとめて大軍を率いる御旗に成りうる公子は行方知れずのまま、頼みの綱であった銀鷲帝国の増援は、同時に戦端が開かれた諸国連合との戦いを優先する東征論の高まりによって、未だに救援に駆け付ける目途が立っていないという体たらくであった。
その間に五湖連合は公都の周囲にも侵攻の手を伸ばし、結果として少なくない騎士たちが敵の軍門に下ることとなったのである。
その内の一人が名門マルシャス家の当主——イラスタリアであろうとサピアは読んでいた。
「ではあの騎士は侵略者に命じられて、仕方なく公子を探している可能性が高いという事ですか」
「その通りです御子。もちろん単なる裏切り者が新たな主に捧げる首を探している、という線もありますが」
「えぇ……それは勘弁してほしいですぅ~」
サピアの見解は至極現実的な可能性ではあったが、騎士道を謳い様々なロマンスの題材にもなる騎士のイメージにはそぐわないとベルタは首を横に振っていた。
「――――何だ? ふむ、それは本当なのか?」
そんな時、サピアが誰もいない部屋の隅に視線を逸らし耳を澄まし始める。
相変わらず櫂達には話し声はおろか気配さえ掴めないが、サピアが他の使徒たちから何かしらの報告を受けたのだろう。
報告を聞き終えたあと、彼女は暑い唇にふと指を当てて思案したのち、櫂に向けて――その名を告げた。
「御子、どうやら我の一人が見つけたようです。——その、ラスティフ公子を」




