第79話 お姉様の一番弟子なのですから
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
神竜の招きを受けて遥か北の白竜山麗を目指す櫂たち。帝国の北西部から翠馬公国に足を踏み入れた彼(女)たちを待ち受けていたのは、新たなる騒動の始まりであった――
銀鷲帝国北西部ランバート公爵領を経て、北の属国である翠馬公国の地に櫂が足を踏み入れたのは、北の山々から吹き下ろす風に白い雪が混じるようになった初冬の頃であった。
櫂は仕立て直した黒いスーツに白いシャツ、真っ赤なネクタイ、そして未だに穿き慣れないスカートの下から覗く細い脚を包む黒のタイツ——という出で立ちは変わらないものの、翠馬公国に入った頃からは小さな頭をすっぽり覆うフードの付いた草色の外套をまとうようになっていた。
彼(女)の護衛をするエルナや同行者のベルタ=Ⅶ、そして道先案内人を務める浅黒い肌をした長身の女性サピアもまた同じ色の外套をまとっていたが、エルナとサピアの二人はフードを被ろうとはせず、その頬は冷たい風に晒されて赤みを帯びている。視界を自ら狭めるわけにはいかない、と言うのが二人の言い分であった。
この四人+姿を見せない九人が翠馬公国の土を踏んでから、既に七日目の午後。 一向は次の宿泊先である小さな集落へと歩を進めていた。
国土の大半が広い高原で占められる翠馬公国。
目的とする集落は主要な街道から枝分かれした脇道を通り、傾斜の緩やかな山裾に拓かれた小さな村落であった。
名前は特に定まってはいない。時代に応じてその土地を支配する者が現れては消え、その度に様々な名を付けられたがどれも定着せず、今では「鋸山の麓の村」と呼ばれている。小さいが土壌は豊かで、育てた作物を中心に交易も行っている事から、旅人を迎え入れる宿も営業していた。
しかしその村に到着する二刻ほど前――櫂たちは道半ばで足を止められてしまう。
きっかけは先行して偵察を行っていた九人の『蛇帝の使徒』からの報告であった。
「武装した兵士が村に――?」
同じく『蛇帝の使徒』であるサピアは同胞の報告を受けると、渋い顔付きで報告の内容を櫂たちに伝える。
曰く、武装した十数名の兵士が村に入り込んでおり、何かを探しているようだと。
明らかに只事ではない事態にベルタは「ひぇっ」と怯え、エルナは少しだけ眉根を寄せる。そして櫂は期待に目を輝かせていた。
「い、一体どこの~兵士なのでしょうか~?」
ベルタがサピアに尋ねると、サピアは半分ほど伏せられた瞼を一度だけ閉じた。
その一瞬の瞑目が残る三人の緊張を高める。
「同胞の報告に依れば兵士の一人は旗を掲げ、そこには首無し騎士の代紋が描かれていたそうです」
「首無し騎士? 鎧を着ているのに首から上が存在しないアレですか?」
転生前の世界ではよく見かけた怪異の姿を思い出した櫂がサピアに問うと、彼女は不自然に目を逸らして頷いた。
「その通りです御子。貌が良いだけでなく博識すぎて我の寿命は縮まりそうです」
「そうですか、いつもの事なので心配する必要はないですね。しかし首無し騎士とは――物騒な」
櫂が知る首無し騎士とはざっくり言えば悪霊の類であり、そんな不吉な存在を旗にして掲げるなど、どう考えてもマトモな連中だと思えない。
しかし櫂以外の人間は、彼(女)の言葉に首を傾げていた。
「あ、あの~カイ殿は『不死隊』の逸話をご存知ですか~?」
「いいえ、どこかで聴いた事のある響きですが生憎と知りません。エルナは知ってますか?」
櫂の質問にエルナはこくりと頷いた。どうやら帝国育ちの人間にとっては良く知られた伝承であるらしい。
「で、では簡潔に~『不死隊』とは~大分裂の時代にこの国の王が率いた無敵の騎兵隊でして~。
“勇猛なりし不死隊は、首を落とそうと敵を馬蹄にかけるなり“と謳われて~確か今は翠馬大公に仕える騎士にのみ授けられる~代紋だと聞いてます~」
ベルタの説明に櫂は「なんと!」と感嘆の声を挙げた。
どうやらこの世界の首無し騎士は彼(女)が知るような悪霊ではなく、勇猛なる武者のシンボルとして認知されているらしい。
その違いに興味を覚える櫂であったが、それと当時に首無し騎士の旗を兵士が掲げていた事の意味に気付かされた。
「つまりこの国の軍隊が、村を改めているのですか?」
「はい、その通りです御子。しかも青地に白抜きの代紋と来れば、守護役に任じられた上級騎士に違いありません。上級騎士が兵を率いて動いているとすれば――それは正式な命令を受けた上での治安維持活動と考えるべきでしょう」
サピアが同胞からの報告に顔付きを渋くした理由は、正にそこにあった。
取り立てて語るまでもない宿場だと思っていた村は、どうやら今、のっぴきならぬ騒動の渦中に置かれているらしい。
櫂達は足を止めると、道から少し外れた大木の麓に腰を下ろし、今後についての協議を始めた。
「このまま別の道に進んで、次の宿場を目指すのは?」
真っ先に迂回案を提言したのはエルナだった。護衛役としては当然の主張であったが、サピアはすぐには首肯しなかった。
「あなたや我らは構わないだろう。しかし魔導師殿と御子には夜も歩き続けてもらわねばならない」
サピアが懸念したように、次の宿場まではここから歩いて半日ほどの距離にあり、迂回するならば陽が落ちても歩き続ける必要がある。
体力の問題だけではない。月と星以外に照らすもののない夜道の移動は極めて危険である事は言うまでもない。
「い、いいえ~私もそのくらい、平気へっちゃらですよ~」
ベルタは気を遣う必要はないと強がるが、櫂はそれには同調しなかった。
夜道をこのまま歩き通す自信はあるし、まだ付き合いの浅いサピアは知らないかもしれないが自分にはそれなりの経験も体力もある。
問題は自分ではなくこの中では最も体力的に劣るベルタにあった。旅慣れているとはいえ、博識で身分も確かな彼女に無理を強いるのは、今後の道中を考えても宜しくない。
元より我の強い性格ではなく、自分の身を案じるが故と言われてしまえば、ベルタは櫂の考えに意を唱えられなかった。
「それに何が起きているのを確かめておけば、この先も何かの役に立つかもしれません。私は予定通りその村に向かう事を意見しますよ」
エルナもサピアも櫂の言葉ならばと頷き、とりあえずこのまま村に向かい、そこで一泊する事になった。
だが、だからと言って無計画に村を目指すわけにもいかない。櫂は少しだけ気まずそうにしているベルタに声をかけると――
「ベルタさん、素性を糺されても良いように設定を固めておきましょう。魔導師である貴女が私達を引き連れて旅をしていもおかしくない筋書きを――です」
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それから約三刻後――太陽が山の稜線に沈みかけた頃に、櫂たちは鋸山の麓の村に到着した。
道の先にある村の入り口には報告通り、武装した三人の兵士が立っていた。鉄製の胸当てに簡素な兜を被り、手にした斧槍を穂先を天に向けている。
フードを被って顔を隠した櫂達が近づくと、一人の兵士が少しだけ強張った顔で一行を呼び止めた。
「悪いが今は通行を制限している。何用だ?」
櫂達は足を止め、兵士の前でフードを脱ぎ素顔を晒す。体格から類推できたとは言え女性ばかりの一団に兵士たちは驚きの目を向けた。
中でも菫色の髪と絶世の美貌を誇る櫂に対しては、口をぽかんと開けて見惚れてしまうが、それでも彼らが自身の職分を見失う事はなかった。
「えっと~私たちはこういう者でして~」
おずおずとベルタが兵士に差し出したのは彼女の通行許可書だった。
あくまで銀鷲帝国の利用内に限った証書ではあったが、そこに刻印された帝国魔導院の印章に兵士たちは顔色を変える。
「帝国の魔導師殿!? こ、これは失礼いたしました!」
帝国魔導院の魔導師と言えば身分的には下級貴族に相当する。
しかもそれだけではなく、魔術のプロフェッショナルである魔導師は例え属国であろうとも基本的には敬われる存在であった。
「いえいえ~お気遣いなく~。この二人は~私の従者でして~。それからこちらは~ええと~」
エルナとサピアを従者だと説明したあと、ベルタは櫂に視線を寄越す。
すると言葉に詰まったベルタに代わって、櫂が軽い会釈とともに名乗り出した。
「わたし、ベルタ師の一番弟子でフリンと申します。魔導の学徒としてお姉様のお供をしております」
偽りの名と身分を平然と騙る櫂。しかし兵士達にはその真偽を確かめる術はなく、そもそも見るからに尋常ではない美少女を前に気押されてしまい、疑う事すら躊躇しする有様であった。
(念のために名を偽りましたし、もしもの際はこの眼で強引に説き伏せるつもりでしたが――どうもその必要はなさそうですね)
慌てふためく三人の兵士たちに向けて伸びる金色の螺旋。それは櫂が持つ契約神能『幻惑の瞳』が通じる相手である事を示すものでもあったが、敢えて櫂は自身の魔眼を使用しなかった。
あたふたと対応に追われる兵士三人の姿を見れば、彼らが話の通じる善人である事は誰にだって分かるというものだ。
「と、とりあえずお通り下さい! 後で別の者がお伺いいたします!」
すんなりと通行を許可され、櫂たちは村へと足を踏み入れた。
とは言え、これで終わりではないだろう。出入口を固めていた兵士が言った様に、改めて別の人間が自分達の素性を確かめに来る筈だ。
だから、それまでは演技を続けようと、櫂はベルタに目配せをする。
「は、はい~お手柔らかにお願いします~カイ殿~」
「まぁお姉様ったら、何時までも幼名で呼ばれるのは不本意ですわ。今の私はエルフリン・ゼア・カスティアード。お姉様の一番弟子なのですから」
演技が全くできないベルタと、そして何処かで聞き耳を立てているかもしれない者達に言い聞かせるかのように、櫂は偽りの身分を演じ続ける。
彼(女)には演技の経験も才能もなかったが、推しキャラの性格と言動を精巧に模倣し、別人になりきって定型化された関係を装う事などオタクの櫂にとっては造作もない事であった。
転生前は匿名で推しキャラとの夢小説をシリーズ化して投稿していた黒歴史は伊達ではない。
かくて櫂――いやフリンとベルタの魔導師師弟は、二人のお供を連れて村で唯一の宿へと向かうのであった。




