第78話 なぜなにドラゴン教室
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
銀鷲帝国と諸国連合の武力衝突は互いに刃を突きつけあう形で膠着状態に陥り、両国ともに不本意な現状を打破する目算を立てられないまま、時だけが過ぎていこうとしている。
そんな中、櫂は北へと向かう。
銀鷲帝国北西部。ランバート公爵家が治める領地の一角に、タルミスと呼ばれる村落がある。
北の属国である翠馬公国に隣接するその村は、かつては帝国と公国を結ぶ街道の宿場として、常に行商や旅人が行き交う場所でもあった。
しかし翠馬公国の公都エウスヴェルデが五湖連合と称する軍事同盟の侵攻を受けて陥落した今、タルミスを南北に貫く街道はその門を固く閉ざしている。
表向きは自衛の為と言われているが、実際は翠馬公国からの難民を拒絶するのがその目的であった。
そんなタルミスには、村民が金を出し合って建てた教会が存在する。
村落全体を眺め下ろすように高地に建てられた教会は、住民が祈りを捧げたり様々な宗教的儀式を行う場としてだけではなく、村民が集まって会議を開いたり、様々な講義を受ける講堂としても用いられている。
折しもその日、教会には主に子供を中心とした村民が集まり、帝国魔導院に属する一人の魔導師による講義が行われていた。
その中に――内匠櫂とエルナの姿もあった。
「は~い、それでは~『なぜなにドラゴン教室』はっじめるよ~~~~~」
間延びした声で講義の開始を告げたのは、体のラインが出ない貫頭衣をまとった猫背気味の少女であり、彼女の三つ編みにした橙色の髪と大きな眼鏡に子供たちは好奇の目を向けていた。少女の名はベルタ=Ⅶ。自称錬金術師の魔導師である。
ベルタは黒板(我々が知る黒板そのものである)に白墨で大きく『竜』を意味するハン(※この世界の象形文字)を書くと、その下に『神竜』と『亜竜』、二つの言葉を書き添えた。
「みなさんも~知ってのとおり~ドラゴンは『神竜』さま、そして『亜竜』と大きく二つに別れるんですね~」
ベルタの説明に村の子供達は頷くが、一人だけ手を挙げて質問する少女がいた。菫色の髪と琥珀の瞳を持つ絶世の美少女——つまり櫂本人である。
「素人質問で恐縮ですが、私はどちらも良く知らないので詳しく話してもらえますか?」
「ええ~構いませんよ~カイ殿~。でもその言い出しは心臓に悪いので~次からはやめてほしいです~」
櫂に対して珍しく釘を刺しておいてから、ベルタは黒板に『神竜』と『亜竜』それぞれの特徴を書き加えていく。
「『神竜』さまは星神——つまり星母様が遣わした大地の守護者ですね~。かつては八あるいは六柱の神竜さまが~幾つもの大地を守護していたと伝えられていますが~少なくとも統一王朝の時代には、神竜さまは一柱のみであったそうです~」
「ふむ……星母様とは確か地母神のような御方でしたね。帝国の宗教ではこの世界において人間の成り立ちは、御柱の主の命により天よりこの地に降臨した神祖と教えているそうですから、神竜はこの地に先住していた存在であると考えて良いのですか?」
「はい~その通りです~。神祖様が神竜様と交わした『大盟約』については長くなるので~割愛しますね~。とにかく神竜さまはびっくりするくらい昔から~この大地と私たちを見守ってきた有難い存在なんです~」
ベルタの説明に櫂は納得したと首肯する。すると櫂の隣に座っていた村の子供の一人、赤茶けた髪の少女が「あなた知らなかったの? あたしは七つの頃に日曜学校で習ったわ」と勝ち誇るように笑った。
櫂は「そうなんですね」とにこやかに受け流す。子供でも知ってて当然の知識を得ていなかったとしても、転生した彼(女)にとっては当然の話なので特に気分を害する事もない。
「では~次に亜竜についてお話しますね~? 亜竜とは~その名の通りに、神竜さまとは似て非なるものたちの総称です~。連合の龍人や飛竜は神竜さまの眷属であると言われていますが、その他の亜竜については~神竜さまとは直接関係ない生き物だと~考えられています~」
ベルタのその説明に対し、聴衆の一部から驚きと異を唱える声が上がった。
ある少年はベルタの見解にそれとなく異を唱えたが、ベルタはしまりのない笑みを湛えたまま「ええ~そういう説もありますね~」と肯定も否定もせずに受け流す。
「なにぶん古い古い話ですから~答えが分かるのはもう少し先かもしれません~。
ただ~“捕食者”や“腹ペコ野郎”、“厄竜”などの人に害をなす悪竜たちについては~百年前に徹底した研究が行われまして~それらは何れも~オークのように稀に出現する生物の変異体であると~結論付けられています~」
どうやらそれは帝国の民にとっては既知の常識らしく、感嘆の声を挙げたのは櫂ただ一人だけであった。
「そして神龍さまは今も~白竜山麗の頂から~私たちを見守ってくださるのです~」
ベルタの講義はその言葉を〆として終了した。
講堂に集まった村人たちにとっては既知の――魔導師の口から改めて語り聞かされることに意義がある話でしかなかったが、櫂にとっては新たなる旅の目的と意義を学ぶための、真の意味での講義に他ならなかった。
そう――彼(女)は今正に大地の守護者たる神竜と会うために、遥か北の白竜山麗を目指す旅の最中であったのだから。
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つい一週間ほど前――帝国最西端のランスカーク地方を訪れていた櫂は、自らの出生について知る事は叶わなかったものの、その謎に一歩迫ったと言う実感を得る事が出来た。
そしてエルナとも合流を果たした彼(女)は、突如として姿を現した『蛇帝の使徒』達から共に白竜山麗に向かうよう誘われたのである。
その経緯は以下の通り。
「――カイ様、我は貴女をお迎えに参りました。どうか我と共に白竜山麗はザハークの館までお越しください。御柱の遣い『死の影』様の御子たるあなたに会いたいと――神竜様のお告げを我らは授かったのです」
「はい、行きます!」
即答であった。
これには同行を願い出た『蛇帝の使徒』達も驚きに言葉を失い、櫂が好奇心を満たす為なら自分から死地にすら飛び込む人間である事を承知しているエルナとベルタは、「まぁそうなるな」と諦観交じりに彼の即断即決を受け入れた。
「だって生きているドラゴンに出会えるんですよ! しかも何やら私の事を私以上に知ってそうな感じですし、私は誰が何と言おうと北に行きますよ!」
「うん、カイならそう言うと思ってた」
「……あはは~私も~同感です~。でもザハークの館にお邪魔できると言うのであればその~私も是非に~」
ベルタは恐る恐る伺うが、『蛇帝の使徒』達の代表である美女――サピアは一も二もなく快諾してくれた。
「ベルタ様のご家名はかねてより聞き及んでおります。御柱の遣い『錬金術師ベルタ』様のご子孫であれば我らは歓迎いたします」
こうして櫂の次なる旅の目的地はあっさり決まったのであるが、しかし目的地たる白竜山麗は極北の地と呼ばれる、寒風吹きすさぶ荒涼した大地に聳える巨峰であり、そこへ行くには少なくとも数ヶ月を要する――と櫂を除いた全員が口を揃えて言った。
それでも櫂は悩むことなく、極北の地を目指す事を決意したのである。
斯くして櫂達は大回廊と呼ばれる天然のトンネルを抜け、再び帝国本土に戻って来ると、その足で銀鷲帝国と翠馬公国の国境沿いを北東に進む。
彼(女)たちが宿を求めてタルミスを訪れたのは、出立から二週間後の話であった。
道先案内人となったサピアはタルミスが門を閉ざしていた事に面食らっていたが、ベルタが自分は帝国魔導院の魔導師だと明かすと、門番の態度は一変する。
その証拠にとベルタが魔導院が発行した通行許可書を提示すると、一行はすぐさま村の中に招き入れられた。その際、村落に立ち入る事を拒絶され、それでも行く当てがないと門の近くに蹲っていた難民たちから向けられた視線を、櫂は今でも覚えている。
怒りと嫉みを燻らせながら薄汚れた布に身を包んでいた、生気の無い姿と共に。
元々タルミスは宿場として栄えており、北からの難民を拒絶しているのも裏返せばそれだけ行く当てのない難民が押し寄せてきた事に起因していた。
タルミスの村長は村を訪れた高位の魔導師とその一行――つまり櫂達を自宅に招き厚くもてなした。
帝国の庶民からすれば、魔導士とは魔術という高度な専門技術に通じた一流のエリートであり知識人でもある。ベルタが厚遇されるのもこの村に限った話ではない。
無償で村長の自宅に泊めてもらえることになったベルタは、せめてものお礼にと村民たちの相談に乗る事になり、先程のドラゴンについての講義はその一環であった。
「はひぃ~~~~大勢の人の前で話すのはぁ~やっぱり緊張しますぅ~」
魔術に関する様々な相談に加え、子供達(+1)への講義を終えたベルタは疲れのあまり机に突っ伏している。場所は教会の一室。
陶器製のグラスに盛られた葡萄酒——のアルコールを飛ばしたもので喉を潤したあと、ベルタは重そうに体を起こし、この部屋に集まっていた者達を一人一人確認していく。
一人は櫂、その背後には黒い髪と装束で統一した少女が護衛として佇んでいた。エルナである。
そして灰色の髪を幾重にも編み込み、浅黒い肌と半分ほど伏せられた目をした長身の美女サピアが、少しだけ離れた椅子に座っていた。
この四人が今回村を訪れた魔導師とその一行――と村長は認識していたが、実は姿も気配も隠した同行者があと九人存在する。『蛇帝の使徒』を自称する彼女達は今もこの部屋のどこか、或いはすぐ近くに潜んでいるらしい。
「お疲れ様です、ベルタさん。おかげでとても良い学びを得られました」
世辞ではなく本心から感謝する櫂に「いや~そんなそんな~」と照れたあと、ベルタはサピアに相談を持ち掛けた。
「えっと…サピアさん? 明日からの話ですけど~」
「――はい、眼福でした。いえ、こちらの話です」
何がどう眼福だったのかは敢えて詮索せず、ベルタは机の上に折りたたまれた紙を広げる。それは簡易な線と記号で概略が示された帝国北部の地図であった。
サピアはベルタに近付くとその地図の上に指を置き、進むべき道筋を指で描く。
「この村より北に進んで翠馬公国に入ったあと、街道に沿って北西に進みます。
白竜山麗へは南端の口より東に迂回しながら頂上を目指しましょう。遠回りですが最も確実です。道も通っており天候も比較的穏やかですから」
「分かりました~私は北の地には詳しくないので~助かります~。カイ殿もそれでよろしいでしょうか~?」
「ええ、元より私は何も知らない身ですからね。お二人を信用して付いていくだけですよ」
櫂の言葉にベルタは口元を緩めてしまりなく笑い、サピアは何故か蹲って顔を手で覆ってしまう。
「ただ……どうにもきな臭い道中になりそうですけどね」
村から拒絶された難民の姿を思い出し、櫂は嫌な予感を振り払えないでいた。
それはこの場にいる誰もが予期していた事であり、その懸念はやがて思わぬ形で一行の前に立ち憚る事になる。
それは櫂達がタルミスを離れて、わずか七日後の話であった――




