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第77話 膠着




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 銀鷲ぎんしゅう帝国の大貴族シャイハスティン公爵は私兵を率い、諸国連合の海の玄関であるイマズ港を無傷で占拠してしまう。その立役者となったのは第六の勇者、斯波克己しば かつみとその契約神能けいやくしんのう共観きょうかんの舌』による言説であった。







 八幡はちまん諸国連合が銀鷲帝国に宣戦を布告して早や二ヶ月。

 諸国連合は永代えいたい大将軍オウキ自らが軍を率い、赤狼せきろう公国軍に占拠されていたオウサの関を奪還。これにより諸国連合は帝国の属国である赤狼公国へと攻め入る橋頭堡きょうとうほを確保した。

 しかし時を同じくして諸国連合の南西部――都市国家『シンナ』が支配するイマズの大港が、突如として船で乗り込んで来た帝国貴族の私兵によって占拠されると言う事態が発生し、諸国連合の進撃は中断を余儀なくされる。

 諸国連合軍は直ちに主力をオウサの関から自国の領内に引き返し、イマズの奪還を開始。一方で帝国軍は大兵力を赤狼公国公都アルテンヴォルグに集結させ、諸国連合を迎え討つ準備を始めていた。

 晩秋の風が人々の頬を掠め、冬の到来を予感させる頃。二大国の戦争は膠着状態へと移行しつつあった。


 都市国家『シンナ』から更に南に歩を進めた地に建てられ、イマズとは街道で結ばれた城塞都市オウダ。そこには今、諸国連合軍の兵士八千人が駐留していた。

 オウサの関を攻め落とした諸国連合軍先遣隊が中心となり、総司令官と三名の副将で構成された大軍である。

 彼らは敵に占拠されたイマズを奪還する為に引き返して来たのだが、しかしその歩みはここでパタリと止まってしまう。その理由は城塞内の評定の場にもたらされた書簡にあった。


「――はぁ? もう一度言ってみろ」


 意味が分からないと聞き返した虎頭人身の巨漢に対し、諸国連合の兵士はびくりと身を震わせながら、再度報告を行う。

 曰く――大港イマズの領主であるゴドー・シグレは諸国連合軍に対し、兵を退くようにと書面にて嘆願してきたと。

 これには軍の総指揮官であるオウキはおろか、彼の下座に居並ぶ副将たちもまた目を白黒させて、何かの聞き間違えではないかと耳を疑うしかない。

 何しろ敵軍に占拠された港町を奪い返さんと大軍を率いてやって来た味方に、その必要はないと当の領主が言い放ったのである。


「……ご領主殿は、家族や領民を人質に取られているのでしょうか?」


 彩度の異なる色が混ざった赤茶色の髪を長く伸ばし、両肩からハシバミ色の小さな翼を覗かせる炎翼えんよくの民の青年が、おずおずと発言を求めた。

 彼の名はシュガイ・ジンオウ。諸国連合軍の副将軍の一人にして、一万の兵で構成された軍団の長でもある。


「いや、その可能性は薄いと拙者は考える。ゴトー殿は代々イマズを治めし誇り高き氏族。妻子を人質に取られようとイマズを敵の手に渡しはしまい」


 シュガイの懸念に異を唱えたのは、短く刈った青い髪から大きな猫の耳を覗かさせる壮年の将であった。王虎の民でありその顔には深い皺が刻まれているが、鋭い眼光にはいささかの老いも感じ取れない。

 彼は名をエイジョウ・ウツロといい、都市国家『シンナ』から派遣された二千の兵を率いていた。シンナの名家に生まれ育った彼はイマズの領主とも懇意こんいであり、なればこそ彼の見解には誰もが頷かざるを得なかった。


「では――領主殿に二心ふたごころが?」


「それもなかろう。イマズは大港であるが故に防衛には不向きな地である。仮に大軍を引きこんだとしても防衛は至難の業と拙者は断言する。何より帝国がイマズをそこまで欲するとは思えぬのだ」


 エイジョウの意見にはシュガイだけでなくオウキも深く頷いた。

 確かにイマズの大港は諸国連合にとっては海上交易の要の一つであるが、帝国の交易は陸路を基本としており、何よりも帝国本土からは離れすぎている。戦略的には意味を有してはいても、統治的なうまみは少ない。


「となれば……あれですかね? イマズは()()()()()()()()()()()()()()()()()から、余計な揉め事は御免被るとでも?」


「まさかそんな」とシュガイは自らの見解を笑い飛ばそうとしたが、誤魔化しの笑いは途中で止まってしまう。

 シュガイの見解は見事なまでに的中していた。それは諸国連合軍が放った内偵の報告からも明らかで、イマズの港では帝国軍の兵士――正確にはシャイハスティン公爵家の私兵は、大きな揉め事を起こす事もなくイマズの住民と共存していたのである。

 昼間は広いイマズの港を警護しながら治安維持に務め、夕方にもなれば酒場を集団で訪れて飲めや歌えの大騒ぎ。武力を傘に金品を収奪するなどという悪事も行わず、割と金払いも良いとなれば、住民たちにとっては彼らを積極的に忌避する理由は何もない。

 交易は今まで通り行われ、海でも陸でも人の出入りは制限されていない事から、体面さえ除けば領主にとっても帝国の兵士たちはむしろ客人とも呼べる立場にあった。

 遠くの肉親より近くの友——ということわざがあるわけではないが、特に悪さをするでもないよそ者を強引に追い出そうとして、逆にイマズの民の生活や命が失われてしまっては元も子もない。味方とは言えゴトーが武力衝突を望まない理由はそこにあった。


「これでは強引に攻め込めば、こちらが悪者にされてしまいますね――どうします、オウキ殿?」


 シュガイが判断をオウキに委ねると、虎頭人身の巨漢は大きく欠伸をして――


「仕方あるまい。向こうさんとは粘り強く話し合うまでよ」


 武人としては些かやる気に欠ける判断を下し、その決定にシュガイもエイジョウも異を唱える事はなかった。


 ・

 ・

 ・


 一方その頃――イマズを占拠したシャイハスティン公爵家党首、サイレン・ド・シャイハスティンはその身を領主ゴトーの屋敷に置いていた。

 港町の水夫よりも陽に焼けた色の肌に、快活ながらも色気のある笑みを浮かべた21歳の若い青年は、その膝の上に幼い少女を乗せて――絵本を読み聞かせている。


「そして、銀月のごとく麗しい海竜姫かいりゅうきは言い寄ってきた王子の尻を蹴り飛ばし、つるぎきみのもとに戻っていったのでした。めでたしめでたし」


「さちゅがは、かいりゅーきさまなのだわ! あたちもいちゅか、かいりゅーきさまみたいになりたい!」


「ははっ、それは大変そうだ」


 幼い子供の夢想を否定も肯定もせず、淡々と受け流すシャイハスティン公爵。

 彼が読み聞かせていたのは『海竜姫シルヴィア伝』と呼ばれる冒険譚の一つで、大陸はおろか海洋帯シーベルトの諸島にも伝わる人気のおとぎ話であった。

 今では女性の美貌を讃える慣用句にもなるほど美しい少女が荒くれ者を率いる海賊となり、遂には海神の眷属まで引き連れて冒険を繰り広げるという長大な冒険活劇で、編纂されてから百年以上が過ぎた今も、シルヴィアの名と華々しい活躍は浪漫たっぷりに語り継がれていた。


「姫様、そろそろ座学の時間でございます」


「えーーーーー!」


 侍女の言葉に不満の声をあげる幼女。彼女はこの屋敷の主ゴドー・シグレの一人娘であり、しかし行きたくないとシャイハスティン公爵の服の袖を掴んで離さない。

 困った侍女が目配せするとシャイハスティン公爵は洒脱しゃだつにウインクを飛ばし、優しく幼女を引き剥がす。

 彼女は真っ赤なほっぺをぷぅと膨らませて不満を更に露わにしたが、それ以上駄々を捏ねる事もなく、侍女に手を引かれてその場を後にした。

 入れ替わるように部屋に入ってきたのは、桃色の髪をした一人の少女だった。彼(女)はその名を斯波勝己と言う。


「まーた領主のガキっスか。サイレン君はモッテモテですなぁ~」


 勝己にからかわれてもシャイハスティン公爵は「そうだね悪くない」と受け流し、読み聞かせていた本を閉じてテーブルの上に置く。

 そこには無数の書簡が無造作に積み重なっており、その一つ一つが配下の兵士達からの報告書や、帝国本土から届けられた手紙の束――言うならば帝国側の軍事機密の塊であった。


「そう言うカツミちゃんこそ、今朝からみんなを集めて何してたの? 阿片あへんでも吸ってた?」


「ボクは()()()はやらねーっスよ。信者を集めて説法ファンサしてただけ。キミらが帝国から平然と兵や物資を送って来れるのも、ボクのたゆまぬ布教のおかげだって、もっと感謝してほしいッスけどね」


「それはもう! カツミちゃんには感謝してし足りないくらいさ。あ、そうそう、じいちゃんも早くカツミちゃんに会いたいって」


 嫌味程度の些細な悪意や敵意も笑って受け流すシャイハスティン公爵の面の皮の厚さに嘆息しつつ、勝己は彼の斜め向かいのソファーに腰を下ろす。

 見た目は12歳のあどけない少女だが、その肉体に宿る人格は二十八歳の成人男性である。異世界より転生してついでに性転換《TS》も果たした彼は今、シャイハスティン公爵の食客として行動を共にしていた。若き公爵にとって勝己は愛人などではなく、言うならばビジネスパートナーとも呼ぶべき間柄であった。


「――で、()の状況はどう?」


 公爵にそう尋ねられ、勝己は自分の信者たちから集めた情報を伝える。

 

「諸国連合の兵は動きそうにないっスね。頻繁に使者を送ってせっつきはするだろうけど……まぁ、ボクが思うに積極的に攻め込んでくる事はないと思うっスよ?」


「あー、それは俺も同意見だわ。戦争したくないのはこっちもあっちも同じってね。何とか口実付けて講和に持ち込みたいのだけど……」


 思うようには行かないねと自嘲しつつ、シャイハスティン公爵はテーブルの上に広げられていた書簡の一つを手に取る。


「アマルダリア公からの手紙だ。早く帝国に戻って来いってさ。嫌だけどねー!」


 アマルダリア公爵は五公家と呼ばれる帝国の大貴族の一人で、シャイハスティン公爵家もその五公家のひとつに数えられる。

 自分とは歳が近く親交もあるアマルダリア公爵からの手紙には、表向きは敵地に単身で乗り込んだ友人の身を案じつつも、帝国議会での自身の苦境を貴族らしく芝居がかった筆致で訴えかけていた。


 今から三ヶ月ほど前――アマルダリア公爵は北と東から同時に軍事的脅威に晒された銀鷲帝国において、真っ先に対処すべきは東の仇敵である諸国連合であると言う「東征論」を唱えた。

 これは北方からの侵略者を撃退すべしとの「北征論」を唱えた同じ五公家のランバート公爵とヴィフシュタイン公爵に対する感情的な反発であったが、シャイハスティン公爵は密かに東征論を支持し、北征論を支持する貴族達への離反工作を開始する。

 その結果、北征論派は内側から切り崩され、帝国議会は東征論を採択して諸国連合との全面戦争に踏み切ったのである。ちなみにシャイハスティン公爵の離反工作の要は、契約神能『共観の舌』を持つ勝己であったのは言うまでもない。


「アマルダリアと言うと……あのボンボンっスね。でも、東征論を支持したのはサイレン君以外にもいるっしょ? 泣きつくならそっちにすれば良いのに」


 勝己は冷たく言い放つが、彼(女)よりも帝国貴族の内情に詳しいシャイハスティン公爵には、現在のアマルダリア公爵が置かれた状況を容易に看破する事ができた。


「う~~~~ん、これは一概にアマルダリア公を責められないかな。半分以上は俺らの責任だしね」


「? どういう事っスか?」


「簡単な事だよ。確かに東征論派の貴族は多数を占めたし、こうしてイマズを占拠するという戦果を挙げて、戦争を膠着状態に持ち込んだ――カツミちゃんの目論見は大成功ってわけさ」


 口では相手を讃えながらも、シャイハスティン公爵の口調は皮肉を含んでいる。


「けどさ、状況だけ見れば俺らは公女様を囮にして、敵地に攻め込んだとも見えるわけでね? それをヴィフシュタイン公やホムラのオッサンが見過ごす筈がない」


「…………確かに、そう見えなくもないっスけど、赤狼公国の公女様は無事に撤退したんスよね? 何か問題が?」


 理解できないと首を捻る勝己に、シャイハスティン公爵は「そうかもね」と返し、その話を自分から打ち切った。

 しかし彼の指摘は完全に的中していた。帝国議会ではヴィフシュタイン公爵を始めとした古くからの名門であり北征論を唱えた貴族たちが、シャイハスティン公爵のイマズ侵攻が成功したのは、オウサの関で単身、連合軍と対峙した赤狼公国公女マリアリガル・フォン・ヴェルアロートを囮として敵の注意を引きつけたからであり、そのような蛮行を許すわけにはいかないと糾弾の声を挙げていたのである。


 赤狼公国公女マリアリガルは単なる属国の要人ではない。銀鷲帝国の帝室とは血の繋がりが濃く、しかも未来の皇后である事が約束されている存在だ。

 その人気は帝国内でも非常に高く、特に帝国貴族において帝室の敬意は絶対のものとされている。それをないがしろにしたと責められれば旗色を変える貴族が出てきてもおかしくはない。いや、未だに趨勢すうせいは覆っていないが、北征論派は再びその勢いを取り戻しつつあった。

 斯波勝己が立案し、シャイハスティン公爵が独断で決行したイマズ侵攻は、二大国の戦争を膠着状態に持ち込む奇策ではあったが――それと同時に帝国内での自らの立場を危うくする失策と化したのである。シャイハスティン公爵が帰国を渋る理由は正にそこにあった。


「そんなつもりはなかったけどさ、公都に兵を送らなかった時点で俺らが何を言っても説得力がない——と言うわけで、俺はもう少しイマズでゴロゴロしてるよ。カツミちゃんはどうする?」


「――――そうっスね。ボクも暫くはここでのんびりするっス」


 暗に自分の失態を指摘され、面白くないとソファーに寝転んだ勝己の目に映るのは屋敷の天井――ではなく、脳裏に浮かぶ一人の人物。


「それで――アンタはこれからどうする気だよ、かい先輩?」






 

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