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第75話 獣を超え、人を超え




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 “獣”と化したオウキの猛攻に圧倒されるロイ。彼が親友から譲り受けた切り札を発動したその時――人と獣の戦いは終局を迎える。








 局所的に発生した竜巻は砂塵を巻き上げ、激しい戦いに巻き込まれた無数の瓦礫をその身に飲み込んで荒れ狂う。

 風の精霊が宿る翠玉――その原石を砕かれた事で風の精霊は怒り狂い、その激情は他の精霊たちにも伝播した。そうして発生した竜巻はしかし、天然自然の現象ではない為に十を数える間には綺麗さっぱり消失するはず。

 それを承知していたオウキはその場に待機し、風の壁にやって隔たれた好敵手――ロイの動向に思いを巡らせていた。

 あの諦めの悪い勇士ぼうずはこの機に必ず反撃に転じる。仮に今の己に恐れをなして逃げ出したとしてもオウキは追撃も軽蔑もしないが、それだけはないだろうと確信していた。

 若さゆえの無謀、あるいは若さゆえの純粋なる闘志。既に自分からは失われた輝きに彩られた若者だったからこそ、彼は格下との戦いにも本気で興じていたのだから。


「恐らくは――“上”か」


 オウキの推測通り、ロイはオウキの遥か頭上——城壁の内側に貼りついていた。

 全身を覆う赤土色の鎧、その掌部と足底部からは爪の様な突起が幾つも伸びており、それが鉤となってロイの落下を防いでいる。

 竜巻を発生させて一時的に視界を遮断した後、ロイは城壁を垂直に跳び上がり、オウキの攻撃が届かない高所にまで移動していた。ただしそれは逃走を目的としたものではない。体勢を立て直して反撃に転じる為の、一時的な後退であった。


(正面から挑んでも勝ち目はない。だからって策を講じたところで、あいつは必ずそれを見抜くよな)


 獣の膂力りょりょくと人の智慧ちえを備えた人獣。

 伝説に謳われる大英雄の実力を痛みと共に叩きこまれた今、ロイは彼我の圧倒的な実力差を痛感していた。

 それでも彼は諦めない。今も退却を続けている味方のために、一分一秒でも多く敵を足止めする必要があるのだから、自分の身の安全など考えている暇はなかった。

 やがて精霊の狂奔が鎮まりかけると同時に、互いを隔てていた竜巻が消失する。

 視界に強敵の姿をとらえると同時に、ロイは壁を蹴りつけて、オウキに向けて一気に降下した。

 しかしその時、オウキもまた頭上から降下してくる敵の気配を捉えていた。オウキは身を起こして四足歩行から二足の直立姿勢に移行とすると同時に、降下する敵を迎え討たんと腕を振りかぶる。

 ——その時であった。


 「——!?」


 降下してきたロイが一瞬動きを止めたかと思うと、そのまま上昇に転じる。

 虚を突かれたオウキが現状を理解するまでの僅かな時間に、空中で方向転換を果たしたロイは再び重力に引かれて降下を開始していた。

 仕組みは単純だ。ロイは自部の右腕から伸ばした鎧と同じ繊維で編まれた縄―いや鎖を城壁内の別の建物の屋根に伸ばしていたのである。その為ロイが壁から離れて降下した後、限界まで伸び切った鎖はロイを振り子の要領で上に引き上げた。

 それがオウキが目撃した急上昇の種明かしである。


「よし――!」


 ロイは着地と同時に地面を蹴りつける。その視線の先にはオウキの背中があった。

 四足歩行の“獣”にとっての死角は二つ。背後と後方である。

 直立歩行する人間にとってその二つは同義であるが、四つ足の獣にとってはその限りではない。人間よりも死角の範囲が僅かに広くなる。

 だからこそオウキは上から攻めてくる敵に対し、身を起こして直立歩行の姿勢に移行したのである。そのプロセスに要した僅かな時間と奇策によって生じた隙を利用し、ロイは彼の背後を取る事に成功した。

 必ずしも成功が約束されていたわけでない。むしろ失敗する確率の方が高いと、まともな人間ならば判断するだろう。

 だが——ロイは成し遂げた。世界が彼と言う英雄の成さんとした行いを妨げてはならないと、()()()()()してまでその結果を招き寄せた。

 それこそがロイが持つ“超能スキル”――英雄の加護もとい『英雄補正』の効能である。


「――もらったぞ、大英雄!」


 “獣”としての膂力を存分に振るうため、鎧を自ら脱ぎ捨てたオウキ。

 その金色の毛皮に覆われた背に向け、ロイは左腕に握り込んでいたショートソードを構えた。

 今のオウキは長大なリーチと広範囲を薙ぎ払う偃月刀えんげつとうを失い、刀身ごと砕く獣爪の一撃は背を向けた体勢からは咄嗟に繰り出せない。

 唯一の懸念は後ろ足での蹴り払いであったが、四足歩行から直立歩行へ移行した今となっては、それを警戒する必要もなかった。


 それでもオウキの毛皮や皮下の分厚い筋肉は、人間用のやわな刀剣では充分に貫けないかもしれない。何とか手傷を負わせたところで、怒り狂った“獣”に返り討ちにされないと誰が保証できるだろう。

 だから――そうした可能性をロイは最初から()()()()()()()

 強大な敵に一矢報いること。ただそれだけの為に自分の今も未来も全て掛け金にして勝負に出た。それを「無謀」と評するなら確かにその通りだろう。「蛮勇」と嘲笑されたところで弁解の余地はない。

 それでも若き英雄は迷いも後悔も全て頭の片隅に追いやり、敵の広く無防備な背中に向けてショートソードを突き出した。


「――すまんな」


 その直前、オウキの巨躯が滑るように動く。

 ロイが突き出したショートソードの切っ先は、右半身を引く動きに合わせてオウキの毛皮を真一門に切り裂いたが、それだけでは軽傷に過ぎず、敵の動きを鈍らせることは微塵も敵わなかった。

 ロイが肉薄すると同時に振り返ったオウキは、その右掌をそっと彼の胸の中央に添える。殴りつけるでも爪を突き立てるでもなく、己が敵を慈しむかのようにただ触れるだけ。

 ただそれだけで、ロイは――ぜた。


 その身は後方に吹き飛び、背中から城壁に激突する。

 大砲の直撃にも等しい轟音と振動が空気を震わせ、赤土色の鎧で覆われたその身は城壁にめり込んだまま、だらりとその四肢を投げ出していた。

 オウキが悠然と歩みよってもロイは指一つ動かす事はなく、その身を覆っていた鎧はいつしか消え去っていた。あとに残されたのは鼻腔と口を大量の血で汚し、白目を剥いた物言わぬ肉体だけ。

 オウキはその傍らに膝を着くと少年の胸に再び掌を添える。よく鍛え上げられてはいたがオウキからすれば貧弱極まりないロイの胸は少しも動いていない。肺も心臓も止まったまま再び動き出す様子も感じられない。

 オウキはそれを確認すると大きく息を吸い、胸に添えたままの掌を軽く打ち付けた。するとロイの体はびくんと跳ね、ややあって口から大量の血を肺に取り込んだ空気と共に吐き出す。


「うむ、それほどやわではなかったか坊主」


 心臓が再び脈を打ち始め、胸が呼吸に合わせて動くのを確認するとオウキはようやく立ち上がる。


「騙したようで悪いが、俺は()()()のほうが得意でな」


 右の掌をゆっくりと握り込みながら、オウキは詫びるように呟いた。

 背後を取られた直後、彼がロイに繰り出したのは人間が編み出した体術のひとつ。

 全身を巡る運動エネルギーを掌底しょうていと呼ばれる部位に収束させて解き放つその技は、皮膚を貫き骨を砕かずとも内側から人体を破壊する一撃必殺の武技であった。

 その証拠にロイは一撃で心臓が停止し、ダメージを受けた内臓からの出血で、本来ならばその瞬間に絶命していた。

 赤土色の鎧が僅かでもその衝撃を吸収し、存在しない第二の心臓が生み出す奇跡の力が急速に全身を修復させなかったら、の話になるが。

 オウキはロイを仰向けではなく横に寝かせたあと、もはや自分たち以外は誰もいなくなくなった城塞内を見回し、適当な場所に腰を下ろした。


「さて、後は雛鳥どもを待つだけか」


 オウキのその言葉通り、オウサの関には諸国連合の大軍がすぐ近くまで迫っており、破壊された城門に向けて整然と歩を進めている。

 先陣を切る諸国連合軍の将は破壊された城門の痕に目を丸くしながら、兵士を伴って悠々と門を抜けた後、腰かけて欠伸をしているオウキの姿を捉えると、進軍を停止して馬を降りた。


「永代大将軍殿――御見事で御座います」


 オウキの前で恭しく膝を着く将。兜を脱いだその頭部には猫を思わせる耳が生えていた。彼は王虎おうこの民と呼ばれる人種であり、諸国連合は彼のように獣に近しい身体器官を備えた人間がその大半を占める。

 そんな彼らにとって人獣たるオウキは、生ける神にも等しい存在であった。


「応。西の連中はどうやら兵を退いたようだが、まだ城内に潜伏しているかもしれん。警戒せよ。それと――誰かにあの坊主を介抱させろ」


「御意に。而して追撃は――いえ、過ぎた発言をお許し下され」


「焦る事はない。どうせここらが関の山よ。お前も俺も嬢ちゃんの顔を立てねばならぬ身、流す血は少ないに越したことはないだろう?」


 ガハハと哄笑するオウキに対し、王虎の民の将は神妙な顔つきで反応に窮していた。諸国連合広しといえど盟主たる存在を年下扱いできるのは、生き神たる永代大将軍ただ一人だけなのだから。


 やがて後続の軍勢が続々とオウキの関に入場し、城塞の占拠が進むころ、真っ赤な鎧で身を固めた美丈夫がオウキの前に膝を着く。それぞれ彩度の異なる色が混ざった赤茶色の髪を長く伸ばし、両肩からハシバミ色の小さな翼を覗かせる彼は炎翼えんよくの民の一人にして、その名をシュガイ・ジンヨウと言う。

 シュガイはオウキの指揮下で直接軍を指揮する副将軍の一人であり、銀鷲ぎんしゅう帝国遠征軍の事実上のナンバー2でもあった。


「オウキ殿――急ぎお耳に入れたいことが、ひとつ」

 

 だが――彼の端正な顔に浮かぶのは勝利の愉悦ではなく、悔恨を抱えた苦渋の笑みだった。


「うむ、何が起きた? 翼の」


 オウキの問いにシュガイは心を落ち着かせんと一息吐いた後、誰よりも自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「さきほど『央都おうと』より地導文ちどうぶんが届き、それに依ればシンナのイマズ港が帝国軍に占拠されたとのこと。故に遠征軍は進軍を停止し、直ちにシンナの防衛に部隊を派遣せよとのこと――です」


 シュガイの一報を受けたオウキは驚きのあまり一瞬口を閉じるのを忘れ、それから「――は」と笑いとも呆れとも言えない声を吐き出した。

 何故ならシンナとは諸国連合を構成する都市国家のひとつで、連合南西部の海に面した領地を有している。

 その領内に在るイマズ港は諸国連合にとっては海の玄関口とも呼べる大港で、『海洋帯シーベルト』と呼ばれる諸島国家群との交易を行う海洋貿易の一大拠点でもある。

 そこを何故、大陸西の銀鷲帝国軍が占拠しているのか。地上における唯一の出入り口は今こうして自分達が奪還したばかりだと言うのに。


「間違いなく海洋から兵を送り込んだと思われますが、しかし帝国にそれだけの船団があるとは聞いた事がありません。ましてや海洋帯の連中がそれを見過ごす筈がない……いえ、分からないものは分からないのです。というわけでオウキ殿、采配をお願いします」


 思考と判断を途中で投げ出したシュガイを恨めしそうに睨んだ後、オウキは直ちに命を下した。オウサの関には五千の兵を駐留させ、遠征軍本隊はただちに引き返してシンナへ向かうと。


 かくしてイマズ港の陥落を皮切りに、銀鷲帝国と八幡はちまん諸国連合の軍事衝突は膠着状態に陥る。

 その状況を作り出した一人は今、自分の足下に這いつくばって涙を流す群衆に向けて、とびきりの笑顔を向けていた。


「みんなーーーーーー、ボクのこと好きーーーーーーーーーーー?」


「「「YEAH! カツミちゃん最高ーーーー!!!!」」」




 

 

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