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第74話 神なる獣




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 契約神能けいやくしんのう義心ぎしんぞう』を発動させたロイと虎頭将軍オウキの激闘は続く。しかし戦場の趨勢すうせいはもはや誰にも覆せない――







 オウサの関は、東の八萬はちまん諸国連合と西の赤狼せきろう公国を繋ぐ行路に設けられた関所にして城塞である。

 虎頭人身の大英雄によって破壊された諸国連合側の正門――ではなく、その反対にある赤狼公国側の城門は大きく開け放たれ、多数の兵士たちが隊列を組んで次から次にと退却を始めていた。

 赤狼公国の公女マリアリガル・フォン・ヴェルアロートは白い馬にまたがり、周囲を完全武装の近衛騎士たちに警護されながら退路の途に着いている。

 数千を超える兵力はその9割以上が健在であり、士気も決して低くはない。それでも糧食や母国から持ち込んだ物資を置きざにして、敵に背を向けて逃げ出すしかない現状には、誰もが遣る方ない想いを抱えていた。


『援軍は来ない』


 それがマリアリガルが兵を退かせ、オウサの関を敵に明け渡す事を決断した理由だった。

 相手は数万を超える諸国連合軍。例え自身の契約神能『潔璧けっぺきの盾』に絶大な自信を預けていようと、それだけで数万の軍から関を守り通せると考えるほどマリアリガルは夢想家ではない。

 今回の出兵は、現皇太子の婚約者であり帝室とも血縁関係にある自分が出兵すれば、腰の重い銀鷲ぎんしゅう帝国の為政者たちも流石に軍事行動に踏み切らざるを得ない――という政治的背景を踏まえた上での示威的なものであり、本来の目的は帝国側の援軍が到着するまでの時間稼ぎであった。


 しかし――その目的は叶わないと、帝国の遣いは断言した。

 そうと知れば、マリアリガルがこの城塞に拘る必要はない。けれども彼女が渋い顔をしている理由は敵に背中を向けている自身の境遇にあり、端的に言うと「負けて悔しい」という気持ちに未だに折り合いがつかないためであった。


「公女様、僕が言うのも何だが、眉根に皺を寄せるのは止めたほうが良い」


「大きなお世話ですわ! あなたこそ彼が心配なのではなくて?」


 白い馬に跨るマリアリガルの隣には、赤毛の馬に跨った銀髪の美少年が付き添っている。

 彼の名はハディン・ザード。帝国魔導院準二級導士と言う肩書を得た彼は、本来であればこうして公女の側はおろか、拝謁すらまず認められないほどに身分の差が開いている。

 それでも彼に付き添いを命じたのはマリアリガル本人であり、その理由は彼の魔術によって幾分か花粉に対するアレルギー症状を和らげる事ができるからと言う、何ともしまらない事情であった。


「ロイは……あの()()は僕が言っても聞かん。誰かが窮地に陥っていると知れば、問答無用でお節介を焼く正真正銘の()()だ。()()のやる事にいちいち心配なんかしていられるか」


 そう言いながらも三回も使った「ばか」という響きに、マリアリガルは彼の正直な心情を垣間見た様な気がした。


「ですが、相手は連合の大英雄です。果たしてどれだけ持ちこたえられるか」


「…………さぁな。ただ、これだけは言える。あのばかは――これまでもたった一人でオークや亜竜を退けてきた。だから、あんたが逃げ延びる時間くらいは稼いでくれるさ」


「……そう。では武運を祈るしかありませんわね」


 公女じぶんを「あんた」と呼び捨てただけでなく、結果的に友人を捨て駒に使った事を咎めるような物言いに、マリアリガルが腹を立てなかったと言えば嘘になる。

 しかし、彼女はそれを否定できなかった。否定してはいけないと、彼女自身を支える誇りがそれを許さなかった。

 後悔と罪を背負いながら二人は数千の兵と共にオウサの関を離れ、赤狼公国公都アルテンヴォルグへと近付いていく。

 そしてその頃、オウサの関では――



 弾けるような鋼の音が、戦場に木霊する。

 ロイが振り上げた右腕は、虎頭人身の巨漢が振るう大刀を弾き返しただけでなく、分厚いその刀身を文字通り叩き折っていた。

 オウキは金色の毛に覆われた顔の中で驚愕に目を剥き、破壊された得物を素早く手放すと、飛び退るかのようにその身を一歩後ろに退く。

 すると彼が立っていたその場所を、赤土色の鎧をまとったロイの右腕が薙ぎ払う。 攻撃は空振りに終わったが、武器を破壊されたオウキは距離を取り、体勢を立て直さざるを得なくなった。


「ははは、見事! 坊主――いや若き勇士よ、その武勇、しかと歴史に刻まれよう」


 豪快に笑い、称賛を飛ばすオウキに対し、ロイは振り切った右腕で体を支えながら、すっかり上がってしまった息を整えるのに精一杯で、まともに応答が出来ない。

 彼の全身を覆う赤土色の鎧はところどころが欠けて、地肌が露出している。敵の武器を破壊するまでに彼は何度もその刃で斬り付けられ、殺せなかった衝撃を浴び続けた肉体は痛みに軋み続けていた。

 それでも彼の胸の奥で存在しないもう一つの心臓が鼓動を早める度、破壊された鎧は再生を始め、ロイが立ち上がる頃には元の姿を取り戻していた。


「さぁ――どうする?」


「若き勇士よ、答えるまでもなかろう。俺は今、どんな美酒さけおんなも与えてはくれぬ悦楽に酔いたいのだ。これで終わりなどと抜かすなよ」


 牙を剥いてわらうオウキ。獣のそれにしか見えぬ顔に武人としての歓びを湛えながら。

 しかし――その一方で彼の目は折れて地面に突き刺さった偃月刀えんげつとうの刀身に向けられていた。


(——斬鉄銀ミスリルには及ばなくとも、土の翁(ドワーフ)が鍛えた武器がああも容易く折れる筈がない。加えて何度も攻撃が()()この嫌らしさを俺は知っている。一騎討神トモエの“超能スキル”――英雄の加護か)


 オウキの記憶に残る一人の英雄。その面影が目の前の少年に重なる。

 体格も容姿も性別も皮膚を泡立たせる戦慄も、何もかも()()と異なっている。それでも年輪の如くに重ねた武勇を妨げる不可解な偶然だけは、不思議と一致していた。

 英雄の加護。それは如何なる窮地をも切り抜ける英雄の英雄たる資質——ではない。英雄と言う装置が本懐を果たすために、世界がしかける依怙贔屓えこひいき。因果逆算の強制失行。

 すなわち、誰も何も英雄たる者の行動を阻めなくなる問答無用の事象操作。


「――だが、彼奴きゃつには遠く及ばぬ。ならば小癪こしゃくな事象操作では取り繕えぬほど叩き潰してやれば良い」


 オウキはそう言い放つと、自身の胸部を覆う鎧に手をかけた。かと思うとそれを強引に引き剥がし、毛皮に覆われた上半身を剥き出しにする。何が起きたかと目を見張るロイの眼前で、虎頭人身の巨漢が更に――大きくなった。

 鎧が抑えつけていた筋肉が一斉に隆起し、内側から膨張したオウキの肉体は直立二足歩行の体勢から、四つ足を着いて巨体をばねのようにしならせる獣身へと移行する。

 それはもう人ではない、一匹の獣であった。


「な――――」


 絶句するロイに向けて、オウキは咆哮する。それは闘争の開始を告げる鐘の音でもあった。

 乾いた地面を四つの足が蹴りつけ、その巨体を矢のように射放ち、獣と化したオウキがロイに肉薄する。あまりの速さにロイは咄嗟に鎖を巻き付けた右腕を盾のように構えるも、そこに向けて振るわれたオウキの右腕は彼の体を軽々と吹き飛ばした。

 ロイは背中から城塞内の建物に叩きつけられ、押し潰された肺から漏れ出た呼気は血と混ざりあって頭部を覆う装甲の隙間を濡らす。

 ただの一撃。猛獣が力任せに繰り出す前脚の一振り。それだけでロイは壁に叩きつけられて、あまりの衝撃に意識を失いかけた。

 オウキはそんなロイに追い打ちをかける事はなく、その場で円を描くように悠々と歩みながら、彼が立ち上がるのを持つ。

 その動きは獣のそれでありながら、極めて人間らしい規範意識の現れとも言えた。


「がはっ……くそ、何だあれ……」


 漸くロイが立ち上がるとオウキは口元に笑みを浮かべる。しかし以前のように統一言語ことばを用いて話しかけてくる事もない。人の言葉を失った代わりに、獣の本性を取り戻した――ロイには今のオウキがそう見えていた。

 虎と化したオウキが円を描く挙動から一気に加速する。

 次の攻撃を警戒して身構えたロイをよそに、オウキは高い城壁の内側に飛び移ると、そこを垂直に駆けあがった。そして、そのまま方向を転換すると、再びロイに向けてとびかかってくる。

 ロイは慌てて右方向に身を投げ出し、地面を転がる勢いを利用して立ち上かった。

 しかしその時にはもうオウキは城塞内部を地面も壁もおかまいなしに駆け抜けて、どんどん加速していく。


「――来るかよ!」


 ロイが身構えたところに今度は体当たり。避け損ねて弾き飛ばされたロイに向けて、更にオウキがとびかかって来た。

 ロイは慌てて身を転がし、その一撃を避ける事に成功するが、体を起こす暇も与えられず振り払った左前足を受けて、転がるように吹き飛ばされてしまう。

 今度は槍や矢筒を立てかける木製の台座に激突したロイはそのまま槍の一本を手に取り、こちらに向けて噛みつこうと大口を開けたオウキの喉をめがけて突き出そうとした。

 しかし――オウキの牙は突き出された槍を穂先こと噛み砕き、再びその前脚でロイを打ちすえた。


「――ぁがっ!?」


 今度は吹き飛ばされはしなかったものの、幾つかの骨が砕かれる衝撃に、ロイは言葉にならない苦悶をこぼす。

 彼の全身を防護する鎧には並行して走る爪痕が刻まれ、露出した地肌には一部鮮血が滲んでいた。オウキの爪はさっきまで振り回していた偃月刀など比較ならない切削能力を誇り、その前ではロイの鎧も布同然であった。


「――勇士よ、これで終いか?」


 あざけるような声に、ロイは白い歯を剥いて反論する。「まだこれからだ」――と。

 折れた腕を突いて身を起こす。痛みが思考を阻害する中に骨は癒着し、断たれた筋を覆うように新たな筋細胞が増殖を始める。破れた血管は塞がり、失った血液を補うかのようにその全身を奇跡の力が駆け巡る。

 契約神能『義心の臓』が生み出す神威かむいが、再生の奇跡を若き英雄に授ける様を見守りながら、オウキは追い詰めた獲物が再び立ち上がる時を待っていた。

 無力化が目的なのではない。心を折り、闘争を放棄させ、敗北の苦渋を舐めさせるための戯れ――極めて人間らしい動機を抱える獣に、ロイは再び対峙する。


「――悪いなハディン。お前の切り札、ここで使わせてもらう」


 破壊され、剥き出しになった掌に光る翠玉の原石。それをロイは握り込み――そして拳ごと地面にたたきつけた。


『ナニスンダ―!!』


 誰の耳も届かない風の精霊たちの抗議は大気の流れを乱し、一時的に局所的な竜巻を発生させた。

 舞い上がる粉塵と風の壁で隔たれるロイとオウキ。英雄と神代の獣の闘争は遂に最終局面を迎えようとしていた。





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