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第72話 落城




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 マリアリガルの窮地を救ったのは、第五の勇者ロイとその友人のハディンであった。オウサの関を巡る赤狼せきろう公国軍と諸国連合軍の戦いは、遂に終局を迎えようとしている。








 それはマリアリガルと護衛の騎士たちが城壁を超えて侵入してきた刺客を退けた――その少し前の出来事になる。

 黒鉾樹くろほこのきの花粉が蔓延し、目や鼻に生じた過剰な免疫反応に多くの兵士が苦しむなか、悠々とした足取りで城門へと歩み寄る者がいた。

 巨漢である。それもただの巨躯ではない。背丈も肩幅も一般的な成人男性の倍以上あり、身に着けた鎧がはちきれそうなのは、鎧の下の筋肉もまた常人の倍を超える量であるからに他ならない。

 だが――それ以上に人目を引くのはその頭部。黒い縞が走る金色の毛皮に覆われ、横に深く裂けた口すらは鋭い牙を覗かせていた。人ではない。虎である。鎧と衣服を着込んだ虎が二本の足で悠々と歩いていた。


 彼の名はオウキ。

 八幡はちまん諸国連合の盟主国の名の由来となった、数百年前の史書に名を残す大英雄にして御柱みはしらの遣いの一柱。

 そして今は、銀鷲帝国征討の為に派遣された大軍を率いる総大将。


「お、おい……何だあれ……」


 涙や鼻水を垂れ流しながらもオウサの関を守護する赤狼公国軍の兵士たちは、五感を失ったわけではない。彼らはこちらに向かって歩み寄る虎頭の巨漢の姿を早くから捉えていたが、さりとて警告の声一つ、牽制の矢の一本も放ってはいなかった。

 その異形と巨躯に怯んだのではない。()()()()()()()()()のである。


 戦場において、交渉の為に敵が単身で近付いてくる事はままにある。

 しかしオウキは自分のはるか頭上に控える敵兵たちに呼びかけることもなく、てくてくと歩を進めて城門の前に立った。大人四人を横に並べ、同じ数の大人を垂直に重ねてようやく手が届くほどの巨大な門扉は当然のことながら閉ざされている。

 オウサの関の城門――その門扉は間に鉄板を挟んだ分厚い板を二枚重ねたもので、その表面は鉄の板とびょうで覆われていた。

 破城槌はじょうついはおろか“塊人ゴレム“が投じる巨岩にすら耐え抜く頑強な城門。その前に異形の巨漢が立ちはばかったとして、何が成せると言うのか。

 そう考えた赤狼公国軍の兵士たちは固唾かたずを飲みながら、オウキを見守っていた。


「――さて、卑怯とひがんでくれるなよ? あのような奇跡を持ち出したからには、俺が少しばかり手を出したとて文句は言わせん」


 その呟きに覇気は無く、敵意も怨恨も無縁な言の葉は下手な弁明のように響く。

 オウキは背中に手を伸ばし、自らの得物をその手に構えた。それは長さも重さも含めて人にはとても扱えない長柄の先に、湾曲した幅広の刃を備え付けたグレイブ。

 諸国連合では偃月刀えんげつとうと呼ばれるそれをオウキは担ぐように構え、一気に振り抜いた。


 直後、城壁が揺れ、硬い物が弾け飛ぶ音が無数の兵士の耳を打つ。


 まさか――と兵士たちが驚愕に言葉を失う間に、オウキは振り下ろした偃月刀を担ぎ直し、今度は左から袈裟懸けに振り抜いた。

 それだけで分厚く強固な門扉は切り裂かれ、もはや扉としての機能を果たせなくなったそれをオウキは右の足で蹴破る。

 大の大人が数人がかりでなければ運搬できないほど重い門扉は文字通り吹き飛び、城壁内の落とし格子さえも貫いた。城門の内側には材木と岩で組み上げた簡易的な障壁が設けられていたが、重い門扉の一部はそれを押しつぶし、破砕し、城塞内に轟音と土煙を轟かせる。


「嘘だ――そんな、そんな――!?」


 城門が破壊された。

 その事実を受け止めきれずに狼狽する赤狼公国軍を嘲笑あぞわらうかのように、虎頭の巨漢は城門を抜けて城内に歩を進める。


「西の地の民よ刮目かつもくせよ! 俺は八萬諸国連合永代大将軍“オウキ”! 故ありてここを押し通る!!」


 実に単純明快で有無を言わせぬ名乗りであった。

 声帯を震わせ、人のそれとは違う口腔内で共鳴した声は、そのあまりの声量ゆえに耳にした人間達の肌を打ちすえる。

 それでも彼らは兵士であった。複数の公国軍兵士が弩を構え、震える手で狙いを付けながら、無数の矢がオウキに向かって撃ち出された。

 だが――


「―――――“牙亞”!!」


 咆哮一喝。撃ち出された全ての矢はオウキの咆哮一つで吹き散らされ、まともにそれを浴びた兵士もその身ごと後方に吹き飛ばされた。

 この獣には勝てない――その事実に打ちすえられた兵士が一人、また一人と腰を抜かし、その場から逃げ出そうとする。


「城門が突破されたぞ! 敵が、敵が攻め込んで来た!」


 叫びは瞬く間に伝播し、もはやオウキに対し組織だった迎撃も出来ぬまま、城壁内の赤狼公国軍は混乱に陥った。

 オウキはそんな人間達を憐れむでも蔑むでもはなく、ただ泰然と眺め下ろしている。得物である偃月刀を地面に立て、自ら破壊した城門の前に立ちながら、混乱に陥る敵の兵士達を追撃しようとはしない。

 自分の仕事はここまでだ――と彼はただ待っていたのである。

 今も一歩、また一歩とオウサの関に向けて整然と進軍してくる、味方の大軍を迎え入れるために。


「俺は首など要らぬ。命散らしたくなくば、早急にここから落ち延びよ」


 それは紛れもなくオウキの本心であったが、だからと言って武器を構えない理由はない。己の前に勇敢にも立ち憚る戦士を前にして背を向けるなど、敵に味方にもこれほどの侮辱はないのだから。


「赤狼公国が騎士、イヅミ・フォン・アルバレスタ。御柱の遣いよ、どうか多数で挑む無礼をお許しあれ」


 公国軍を率いる公女マリアリガル・ファン・ヴェルアロートの副官にして、親衛隊の体調でもある女騎士は右手に剣を、左手にはフルフェイスの兜を抱えたままオウキに向かって非礼を詫びた。

 彼女の隣には大楯を構えた重装の騎士が二人。更にその背後には斧槍ハルバードを構えた完全武装の騎士が少なくとも十人以上――それを目の当りにしてもオウキは怯まない。むしろ《《たったそれだけ》》の手勢を率いて己を討たんとする人の蛮勇に――心からの賛辞を送るだけ。


「構わぬ、勇士たちよ。その名しかと我が記憶に刻ませてもらう」


「何たる光栄――では、お覚悟!」


 イヅミが剣の切っ先をオウキに向けると隣に控えていた重装の騎士が二人、大盾を構えたまま前進を開始した。イヅミもそれに合わせて兜を被り、斧槍を構えた騎士達と共にオウキへ向けて距離を縮めていく。

 対するオウキはその場から動かなかった。相手を侮っているのではない。膂力りょりょくはおろか戦場の経験すら足元にも及ばぬ雛鳥たちが何をするつもりなのかと、わくわくして待ち構えていたのである。

 一方、イヅミはオウキが単身であっても決して侮りはしなかった。

 大楯を構えた重装騎士で牽制しつつ、配下の兵士たちを両翼に広げて半包囲の体制をとる。槍のように突く事も、振り回した勢いを斧に乗せて叩き切る事も出来る斧槍で周囲を囲んだあと、全方位からじわじわと距離を詰めて相手を討ち取る戦法――とは言え、勝利する事は彼女にとって二の次の話だった。

 真の目的は少しでも長くオウキをこの場に足止めすること。そして――


(……殿下、どうぞご無事で)


 説得に説得を重ねて渋々撤退を決意した主君をここから逃がす。

 その為の捨て石になるのだと、イヅミだけではなくオウキに対峙する全ての騎士は覚悟を決めていた。故にその足取りは遅々としつつも揺るぎなく、緩慢であってもその切っ先は戦意で研ぎ澄まされている。

 オウキは鼻を鳴らし、口の端を吊り上げた。

 声は聞こえず目では確認できずともにおいで分かる。ここにいるのは本物の戦士たちだ。弱く、脆く、一個の生命体としては愚かであろうとも、敬意を示しその誇りを讃えるべき同胞はらから――俺と同じ、矜持きょうじに生きる戦士であると。


善哉よききかな勇士たちよ。虎頭将軍が一閃、貴様たちの為に振るうとしよう――!」


 重装の騎士が間合いに入る直前――歓喜と共に偃月刀を構え、オウキは一歩を踏み出した。

 その瞬間――横合いから放たれた偃月刀の一閃は大楯を両断し、それを構えていた重装の騎士を左方向に吹き飛ばす。あまりに疾く重い一閃を受けて盾ごと薙ぎ払われた騎士はそのまま地面に激突して意識を失ったが、もう一人の重装騎士は盾を構えたまま走り出す。

 そして彼に続くように偃月刀を振りかぶったオウキに向けて、周囲を囲んでいた騎士達も斧槍を構えて一気に殺到した。たとえ味方の誰かが敵の一撃を受けきれずに命を落としたとしても、四方から攻め入る味方がその刃で敵を貫くのだと。


 これに対し、オウキは素早く偃月刀を引き戻すとその勢いのまま石突を自身の左後方に突き出す。一人の騎士が斧槍を弾き落とされ、その反動を活かして素早く偃月刀を構え直したオウキは器用に偃月刀を一回転させた。

 人の身では持ち上げる事すら容易でない長柄の武装は、左右から突きこまれた斧槍の穂先をことごとく弾いて逸らしてしまうが、それとてオウキからすれば。次の攻撃を繰り出す為の予備動作に過ぎなかった。

 突き出した偃月刀の刃は大楯を貫通し、重装騎士の鎧ごと心臓を貫く。

 一撃で絶命した騎士から偃月刀を引き戻すと、オウキはそれを最も間近に迫っていた女騎士――イヅミに向けて突き入れた。

 甲高い音を立てて折れた長剣が弾き飛び、イヅミはその場に崩れ落ちる。鎧ごと抉られた右上腕からは血が滴り、慌てて退避運動をとろうとした所為で捻った足首は動かそうするだけで激痛が走る。


「――これが俺の偃月刀よ。どうする? 勇敢なる者よ」


 イヅミの首筋にそっと置かれた偃月刀。オウキが指の一本でも動かせば彼女は頸動脈を断たれて絶命するだろう。それを介錯とするか、降伏の理由にするか――オウキが示した選択に対し、イヅミは失血の為に青白くなった顔に不敵な笑みを浮かべ、まだ動く左手を、腰に佩いた短剣へと伸ばそうとした。

 それが彼女の意思であった。

 オウキはそれを尊重し、そして――


「ダメだ!! どけぇーーーーーーーーーーーーーー!!」


 上空からこちらに向けて落ちてくる声に向けて、偃月刀を構える。

 激突する鋼。飛び散った火花が戦場の空気を焦がし、虎頭将軍の鼻はそこに若々しい血潮を嗅ぎ取っていた。


「――坊主ぼうず、名乗れ」


 着地と共にイヅミを守るように立ち憚る赤毛の少年。その赫灼かくしゃくの瞳は伝説の大英雄を前にいささかの畏敬も抱いてはいないように見える。


「ビィス騎士団準騎士ロイ・ディ・ガーラント! これ以上、誰も殺させるか!!」


 誰何すいかに応じた第五の勇者。その胎内で拍動する臓器が叫んでいる。

 全ての奇跡と加護をこの者に――彼は、彼こそが()()であると。






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