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第71話 攻城戦(後編)




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 オウサの関を巡る赤狼公国軍と諸国連合軍の戦いの行方は、マリアリガルを襲った異変により諸国連合側に傾く事になる――







 甘い香りが城壁の上に建ち並ぶ兵士たちを包んでいる。

 焼き菓子のようなかぐわしい匂いは吹き付ける風によって瞬く間に城壁全体に蔓延し、鼻や口から侵入した「それ」は瞬く間に隠していた牙を剥いた。


「――くしゅんっ!」


 続けて二回。赤狼公国の公女でありオウサの関を守護する公国軍を指揮するマリアリガル・フォン・ヴェルアロートは立て続けにくしゃみをした後、嫌な予感を覚えて副官であるイヅミ・フォン・アルバレスタに声をかけようとして――さらにもう一度くしゃみをする。


「ひ、姫様、これは一体――くしゅんっ!!」


 一方、イヅミも突発的なくしゃみに言葉を遮られてしまう。意志とは無関係の生理的反応は、人の活動だけでなく思考も問答無用で遮るため鬱陶しい事この上ない。

 しかし――止まらないのだ。そもそもくしゃみとは異物を排除しようとする人体の本能であり、思考やコミュニケーションと言った活動よりも生命体としては優先度が高い。それ故に二人は立て続けに起こるくしゃみに翻弄されて、まともに会話すら続けられなくなってしまう。


「ぶぇっくしょい!」


 しかし、その異変はマリアリガル達だけではなく、城壁に立つすべての赤狼公国軍の将兵にも発生していた。

 くしゃみだけではない。猛烈な目や皮膚の痒み、せきを切ったように溢れる鼻汁、中には頭痛を覚えて顔をしかめる者も見受けられた。


「まさか――毒なの? でも確かにわたくしは盾を――くちゅんっ!」


 自分だけでなく兵士たちも同じように突然の身体の異変に苦しめられている事を知ったマリアリガルは、自身の正面に“潔璧けっぺきの盾”を展開する。

 如何なる攻撃のみならず毒や呪いからも自分を護る筈の奇跡――契約神能けいやくしんのうもこの時ばかりは無力だった。

 マリアリガルのくしゃみは止まらず、鼻も詰まって息苦しさすら覚える始末だ。ふと副官のイヅミを見やると、彼女もくしゃみを連発しながら両手で口元を覆い隠している。流れ出す鼻汁で魅惑的なその口元は悲惨な事になっていた。


(まずいですわ、このままでは――)


 突然くしゃみが止まらなくなったなど普段であれば笑い話で済むが、こと今のマリアリガルひいては赤狼公国軍にとって、これらの異変は非常に深刻な事態を発生させてしまう。

 何故なら――


 ・

 ・

 ・


「ふははははは! 思った通りになりましたね! ざまーみろ!」


 そこはオウサの関を攻め落とさんと街道に陣を構えた諸国連合軍の本陣。

 斥候からもたらされた報告を聞いた瞬間、顔の一部が鱗状になった青年——導師ドゥリム・ヲロチは子供じみた快哉を挙げた。

 半年以上前、彼は自国領に押し寄せた赤狼公国軍に赤っ恥をかかされたという苦い記憶を有しており、それ故に彼は雪辱を果たす瞬間を一日千秋の思いで待っていたのである。

 それを知る諸国連合軍の副将軍シュガイ・ジンヨウは音を立てない様に小さく拍手を打ち、総指揮官である虎頭人身の巨漢はドゥリムのはしゃぎように苦笑を浮かべていた。


「話を聞いた時には半信半疑でしたが……まさか黒鉾樹くろほこのきの花粉がここまで効果覿面(てきめん)とは思いませんでした」


 黒鉾樹とは黒々とした葉と天に向かって真っすぐ伸びる姿が鉾に似ている事から名付けられた、諸国連合の北部に産生する樹木の名である。

 諸国連合では建築用の木材として重宝されているが、黒鉾樹は冬の間に花粉をたっぷりと含んだ袋状の胞を実らせ、春になるとその胞が破れて花粉を大量に飛散させる習性を持つ。その花粉は独特な甘い香りを放ち、諸国連合の北部では風に乗って漂う黒鉾樹の香りは春の訪れの証だと詩に詠まれるほど親しまれている。

 だが、それは大陸東部の諸国連合の人間に限った話であり、匂いはおろかその存在すら見た事がない大陸西部――銀鷲ぎんしゅう帝国とその属国の人間にとって黒鉾樹の花粉など未知の異物でしかない。


「――ふふ、実は帝国では黒鉾樹の花粉を拷問に使うと以前に聞いたことがありましてね。まったくあの匂い立つ香りが分からぬとは加護無しどもは哀れですなぁ」


 北の地を守護する神獣「鎧亀がいき」の末裔でもあるドゥリムは元より、黒鉾樹を用いた建物に住まう大陸東部の人間は生得的に黒鉾樹の花粉に対する免疫を有している。

 しかし黒鉾樹がほぼ産生していない土地と文化で育った大陸西部の人間にとって、その花粉は体内に侵入してきた異物と見なされ、激しいアレルギー反応を引き起こしてしまうのだ。

 ドゥリムはそれを利用し、自身が生み出した無数の“塊人ゴレム”の体内に大量の花粉胞を仕込んでいたのである。それらがマリアリガルの魔法でまとめて爆散される事を見越した上で。

 かくて盛大に飛散した黒鉾樹の花粉は風に乗ってオウサの関に蔓延し、免疫を持たない赤狼公国軍の兵士たちを苦しめる事となった。策に嵌められた側も自分達を苦しめているものの正体が、まさか非常に細かい花粉であるとはしらないままに。


「思えば“あやつ”も目を真っ赤にして苦しんでおったな……。俺にはとんと効かぬが哀れなことよ」


 オウキは遥かな過去に想いを馳せながら、今正にその花粉に苦しめられている赤狼公国軍の将兵たちを憐れむ。


「しかし本当にそんな嫌がらせじみた行為で、あの厄介な魔法を無効化できるのですか? ヲロチ導師?」


 三人の中でシュガイだけは未だにドゥリムの立てた策の効果に疑問を覚えていたが、ドゥリムは確信をこめて頷く。


「ええ、完全にとはいかないまでもどこかに()()くらいは生まれるでしょう。何せあの小癪な魔法は――姫君の()に依存している筈ですから」


 ・

 ・

 ・


「姫様やられました! 敵が数名、城壁内に侵入したと――くしゅんっ!」


 イヅミのくしゃみ交じりの報告を受け、マリアリガルは半開きの目をこすりながらつい舌打ちをこぼしてしまう。


(——この異変は、わたくしの目と意識を狙ったものでしたか。“潔璧の盾”の弱点をただの一度で見抜くとは、やはり連合の将は侮れませんわね……)


 マリアリガルの契約神能“潔璧の盾”。それは自身に仇名す脅威を遮断する“機構かみがみ”の権能――その借用である。

 如何なる場所にも瞬時に盾状の概念防壁を展開させられる反面、その範囲はあくまでマリアリガルの目が届く範囲――より具体的に言うならば、彼女がその目で距離感を把握できる範囲にに限られてしまう。

 彼女が若干15歳の若さで前線に立つのは、将としての気風と戦意高揚の為だけではない。その位置でないと任意の場所に正確に“潔璧の盾”を展開できないと言う事情があった。

 かつてマリアリガルの“潔璧の盾”に自慢の“塊人ゴレム”を破壊されたドゥリムであったが、推論とは言え彼は誰よりも早く彼女の弱点を見破ったのである。


「敵の数は――いえ、すぐに近衛を呼び寄せなさい。曲者の狙いは間違いなくわたくしですわ! くちゅん!」


 最後は締まらなかったが、マリアリガルは敵の狙いを正確に把握していた。

 敵はマリアリガルが“潔璧の盾”を展開しなかった隙を突いて城内に侵入したようだが、オウサの関の城門は破られておらず、敵の大軍も城壁近くまで押し寄せていない事は見ればわかる。

 恐らくは斥候か工作員が数名侵入したのであろうが、だとすればそれだけで硬く閉ざされた城門を開いたり、守りの手を緩める事はできない筈だ。

 ならばその目的は“潔璧の盾”を展開できる自分を排除すること。

 或いは脅しをかけて、唯一にして最強の守り手を後ろに引っ込めようと言う腹づもりだろう。


 イヅミもすぐに敵の思惑に気付き、くしゃみと止まらない鼻汁に難儀しながら近衛の騎士たちに招集をかけた。その動きは迅速にして果断であったが、蔓延した花粉によるアレルギー症状は騎士たちの足取りや注意を少なからず削いでしまっていた。

 赤狼公国軍近衛騎士団——白と赤で統一された女性ばかりの近衛騎士たちが主君であるマリアリガルと団長であるイヅミの下に駆けつけると同時に、その周囲から音もなく湧き出でる無数の影。

 黒ずんだ衣服と皮鎧を身に着けてはいたが、頭部は頭巾で覆われているため人相は判別できない。ただ唯一露わになった両眼は全て騎士たちの中心に立つマリアリガルに注がれていた。


「ぐっ――殿下をお護りしろ!」


 こみ上げる衝動を必死で堪え、団員たちに応戦を命じるイヅミ。

 一切の気配を感じさせないまま喉元に迫っていた敵の姿を見て、諸国連合には影から影へと飛び移るかのように標的へと迫る異能者がいるという噂を彼女は思い出していた。

 今のマリアリガルはただでさえ隙が多い上に、彼女の魔法は敵と味方が入り混じる乱戦時には使えないものばかりである。従ってイヅミはマリアリガルの護衛に徹し、配下の近衛騎士たちに刺客を迎え討つよう命じた。


 刀身の長さが異なる剣を打ち合わせ、騎士と刺客たちの乱戦が幕を開ける。

 花粉によるアレルギー反応で動きに精彩を欠いてはいたものの、女性の身で近衛にまで上り詰めた騎士達の奮戦は凄まじく、目にも止まらぬ速さで仕掛けてくる刺客相手に一歩も引かず、ただの一歩たりとてマリアリガルには近づけさせまいと連携して接近を阻む。

 しかし――彼女たちの相手もまた只者ではなかった。

 刺客の一人は大きく飛びずさると城壁の隅に口を開けた影の中へと、文字通り身を潜らせてしまう。

 突如として姿を消した刺客たちは近衛騎士が困惑する一瞬の隙を突き、彼女たちの背後に突如として出現した。そしてそのまま騎士達には目もくれず、イヅミに護られたマリアリガルへと一斉に襲いかかる。

 

「させん!」


 イヅミの長剣は突き出されたショートソードの一撃を裁き、返す刀を水平に振るって、斬りかかろうとしたもう一人の刺客を牽制した。二人の刺客は辛うじてその一撃を回避するが、イヅミの振るう剣の苛烈さに接近を阻まれてしまう。

 だが――その間隙を縫って、もう一人の刺客が影の内より出現するとイヅミを無視してマリアリガルへと駆け寄る。イヅミが阻止しようとするも体勢を立て直した二人の刺客が剣を振るい、唯一の護衛たる彼女の足をその場に縫い付けてしまった。

 マリアリガルは猛烈な痛痒感から閉じかけた瞳に敵の姿を捉え、即座に“潔壁の盾”を展開しようとしたが、焦る心と中途半端な視界が発動を遅らせてしまう。


「――――‟疾る電矢ライトニング・カタパルト”!」


 その声と共に撃ち出された雷光が、今正にマリアリガルに向けて剣を振り上げた刺客の背中を直撃する。

 天然自然の落雷には及ばないものの、その一撃は皮鎧ごと衣服を粉砕し背中を焼き焦がす。更にその衝撃は刺客の全身を強く打ちすえ、刺客はその一撃で意識を失ってその場に崩れ落ちた。

 碧玉の魔術における秘技のひとつ、‟疾る電矢ライトニング・カタパルト”。

 その使い手は続けて見えない衝撃波を発生させて、イヅミを足止めしていた二人の刺客をまとめて無力化してしまう。


「あなたは――あの陰険魔術師!?」


 「……お言葉だな公女様。まぁ否定はしないが」


 たちどころに三人の刺客を退けたのは、輝くような銀色の髪をした少年だった。

 戦時だからと上に皮鎧を着込んではいるが、その服装は帝国魔導院の魔導師達がまとう簡易礼装に他ならない。


「帝国魔導院準二級導士ハディン・ザード。これより御身を護衛する」


探究者ザード」を意味する姓は帝国における()()な魔術師に授けられるものであり、類稀な魔術の腕前と名にしおう猛者を退けた名誉から姓を授けられた少年――ハディンは、短い杖を指揮棒のように振るう。


(精霊ども、不快な気を直ちに洗い流せ。()()にはともかくこいつらには刺激が強すぎる)


(マカセンシャーイ!)


 ハディンが内心で人間には存在を知覚するどころか意思疎通の叶わない存在に命じると、風の精霊たちはその意を汲んで動き出した。

 無数の精霊の働きによって花粉を大量に含んだ空気は外側へと流れ出し、入れ替わるように汚染されていない清涼な大気がその場に流れ込んできた。

 そして――


「――悪いなッ!」


 横合いから切りかかってきた一撃を受け止めた瞬間、刺客の刃はいとも容易く折れ飛んでしまう。その衝撃で体勢を崩した刺客は続く一撃を避けきれず、横凪ぎの一閃をまともにくらって吹き飛んだ。

 城壁の床に打ち付けられすぐには起き上がれなくなった刺客の背に、兵士たちが槍を突き立てる。背中側から心臓と首を貫かれ、諸国連合が送りこんできた刺客の一人はその場で絶命した。

 そうして全ての刺客たちは討ち取られ、敵がいなくなった事を確認したあと、日に焼けた肌に映える赤土色の髪と赫灼かくしゃくの瞳を宿す少年は、ハディンとマリアリガルのもとに場所に走り寄り、そして公女の前で恭しく膝を着く。


「えぇと……ビィス騎士団準騎士ロイ・ディ・ガーラント。我が主ベルバルゼム・フォン・ヴィフシュタイン公爵の命により公女殿下の救援に参上しました! ……む、これで良かったかハディン?」


「僕が知るか。それにこの公女様がそんな事を気にする様なタマか考えろ」


「お、おい貴様ら、殿下の御前だぞ口のきき方に気を――」


 流石に不遜だとイヅミが口を挟みかけたが、それを阻んだのは二人の手を順番に取って感謝と喜びを表すマリアリガルの笑顔だった。


「そうですわ北の地のお二人! まさかまさかこんなところで再び会えるなんて!」


「こ、光栄です公女さま!」


「ふん、随分苦戦しているようじゃないか」


 帝室にも近い公国の姫君にして未来の皇后、帝国魔導院のいち学徒、そして未だ正式な騎士ではない騎士見習い。身分的に接点など全くないように思われる三人はしかし、数ヶ月前に行われた闘技大会にて相対し、互いにその実力を認め合った間柄でもあった。

 当時その場にいたイヅミもまた二人の事は良く知っていたが、彼女はマリアリガルほど二人の事を気にかけてはいなかったのである。


「お二人が駆けつけてくれたと言う事は、遂に帝国の軍がここに到着したのですか?」


 思わぬ援軍の到着に声を弾ませるマリアリガル。

 彼女の目的は最初から援軍が到着するまでの足止めであり、その目論見がこんなにも早く叶うとは思いもしなかったと喜びを露わにするが……しかしロイとハディンの二人は互いの顔を見合わせ、バツの悪そうな表情を浮かべる。


「悪いが公女殿下――僕たちは本隊より先行してここに来た。その目的はあんたをここから逃がす事だ」


「――逃がす? あなた方がわたくしを?」


 ハディンが告げた言葉の意味が分からないと首を傾げるマリアリガル。

 その時であった――一人の近衛騎士が慌てて駆け寄ってきたのは。


「姫様、直ちにお逃げください! 城門が――()()()()()()()()()()!」


「城門が!? そんな――敵はまだ遠くに――」


 花粉によるアレルギー症状が軽減し、海のような碧眼を見開いたマリアリガルの視線の先には敵の大軍も攻城兵器のひとつも見当たらない。それなのにどうして城門が破られたと言うのだ――

 信じられないと首を横に振るマリアリガルに、近衛騎士は自分もまだ信じらないと前置いた上で、確かに聞き受けた言葉を包み隠さず主に伝える。


「門を()()したのは御柱みはしらの遣いである連合の大英雄、虎頭ことう将軍オウキ!

 敵の総大将に()()()乗り込まれました!!」





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