第70話 攻城戦(中編)
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
東の国境で遂に始まった二大国の軍事衝突。数万の兵を率いて攻め入る諸国連合軍を迎え撃つのは、赤狼公国の公女にして第三の勇者マリアリガルであった。
諸国連合軍が陣を構えたのは、オウサの関を望む街道の一端。簡素な壁で仕切られた本陣には二人の将が控えていた。
「何ですかあれ、出鱈目も良いところでしょうに」
真っ赤な鎧に身を固めた美丈夫は、彼方に聳える城壁を見ながら呆れたように呟いた。複数の色が混じる赤茶色の髪を長く伸ばし、両肩からハシバミ色の小さな翼を覗かせた炎翼の民である彼はシュガイ・ジンヨウ。大軍を率いて銀鷲帝国へと攻め込もうとする諸国連合軍の副将軍の一人である。
つい先刻、シュガイ率いる諸国連合軍先遣隊は彼方に聳える城壁――オウサの関に攻め入ったのだが、彼らの尖兵たる矢も投石もものともしない土塊の巨人“塊人”は、巨大な光の盾によって進軍を阻まれた挙句、密集しているところを文字通り粉砕されてしまった。
しかもそれだけではない。“塊人”を吹き飛ばした魔法の余波を喰らって、後詰めの兵士にも少なからず負傷者が出た為に、諸国連合軍は退却を余儀なくされたのである。
全てはオウサの関を守護する赤狼公国公女マリアリガル・フォン・ヴェルアロートの成せる業であり、諸国連合軍はマリアリガルに付けられた「帝国最強の魔法使い」の異名が、箔を付けるための肩書ではなかった事を痛感する羽目になった。
「――ふぅむ、律天使の論理障壁とは異なる奇跡のようじゃな。つか俺あんなの見たことないわい」
何が可笑しいのか牙を剥いてガハハと笑う虎頭人身の巨漢。オウキと呼ばれる彼の言葉にシュガイは「勘弁してください……」とつい弱音を吐露してしまう。
「オウキ殿であれば何かご存知かと期待しておりましたが、御柱の遣いの方々でさえ未知の奇跡なのですか、あれ?」
シュガイが頭を悩ませているのは、先の戦闘の際に城壁一面に展開し、“塊人”を足止めした巨大な光の盾の存在である。
第三の勇者たるマリアリガルの契約神能“潔璧の盾”はありとあらゆる武器や魔術を防ぎきる奇跡であり、一体何故そんな事が可能なのかを知る者はこの場には誰一人存在しない。それはマリアリガル本人にしても同様であった。
「すまんな翼の。ただ土塊どもを吹き飛ばした術には見覚えがある。ありゃあ鬼嫁の火だ。随分と威力を抑えとるから本人が使っとるわけではなかろう」
「エルフリード……確か帝国の始祖に嫁いだ天女と聞いております。まさか実在したんですね……あ」
自分が話しかけているのはその天女と肩を並べて戦ったと謳われている存在である事を思い出し、シュガイは慌てて言葉を引っ込める。しかしオウキは気にした様子もなくガハハと豪気に笑う。
「おうよ、あの女は今も何処かで自分の子孫を見守っておる筈じゃ。旦那には鬼でも子供には随分と甘い奴でなぁ……。ただまぁ流石に人間同士の戦には出張ってこんじゃろ」
「はぁ……そう言うものですか」
オウキの口から「相手は自分と同じ人外の存在ではない」と保証されたとしても、人の範疇で軍を率いるシュガイからすれば理不尽なまでに硬い障壁と、広範囲に作用する強力な攻撃魔法が相当な脅威である事には変わりはない。、ただでさえ攻めにくい天然の要害が、マリアリガルが陣取る事によって難攻不落の城塞と化している。彼が事前に聞いていた通りに。
「シュガイ様、お待たせしました」
そんな時、本陣に一人の青年が姿を現した。戦場だからと皮鎧を着込んではいるが、袖と裾の長いゆったりとした衣服から武人ではなく文官のようにも見える。
髪は耳の当たりで真一門に切りそろえられ、端正な顔の一部は硬質化して鱗のようになっている。鎧亀の民と呼ばれる青年はその名をドゥリム・ヲロチと言った。
「おぉヲロチ導師! 待っていましたよ」
シュガイはドゥリムを「導師」と呼び、自分の側へと招く。一万の将兵を率いる将にして藩主の息子でもあるシュガイにとって、ドゥリムは身分のかけ離れた文官風情に過ぎない。
それでもシュガイがドゥリムに敬意を表すのは、彼が「大蛇」の姓を賜った傑物である事に関係している。そのドゥリムは身分で言えば遥かに高い二人に丁寧に頭を下げた後、膝を着くこともなく報告を行う。
「将軍、ご命令通り50体の“塊人”を用意いたしました。お命じくだされば何時でも出撃可能です」
「うむ、流石は眷獣司が一角。これで次の手が打てます」
安心したと顔を綻ばせるシュガイを見て、オウキは少しだけ驚いたのような、或いは感心したような表情を浮かべる。てっきりオウサの関を攻めあぐねているものかと思っていたが、既に次の一手を準備していたらしい。
「翼のとそこな術者よ。俺にも聞かせよ」
「は、はい! それでは私めが謹んでご説明致します」
祖国の生ける伝説から直々に声をかけられ、光栄のあまり言葉を震わせてしまうドゥリム。彼は以前に都市国家アーチを巡る攻防にてマリアリガルと直接対峙した一人であった。
戦闘の結果はドゥリムの敗北に終わったのだが、その知見と連合随一の導師としての技量を買われた彼は自ら進んで先遣隊に従軍していたのである。彼の目的が赤狼公国軍に対して雪辱を晴らす事にあるのは言うまでもない。その一念こそが「あいつ、年端もいかない少女に命じられて犬の真似したそうだぞ」と陰口を叩かれる度に折れそうになった心を支えた――かどうかは定かではない。
ともかくドゥリムの口から次なる一手の詳細を聞かされたオウキは「あくどい事を考えるのう」と苦笑を浮かべたあと、鋭い爪を備えた指を伸ばして二人の策に一つだけ助言を加える。
その内容にドゥリムもシュガイも唖然となったが、それを退ける権限も度胸も、そして合理性も彼らはついぞ持ち得なかった。
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陽が沈み、再び地を照らし始めた頃。風は唸りを上げて峡谷を駆け抜け、無数の軍旗が千切れんばかりに翻る。オウサの関へと攻め寄せた諸国連合軍と、関を守護する赤狼公国軍の戦いは次の局面を迎えようとしていた。
進軍を告げる太鼓が鳴り響き、諸国連合軍が再び軍を前進させたのである。
先日と同じように50体以上の“塊人”が尖兵として横並びに進軍し、その後を盾を構えた兵士たちが追従していく。その歩みは亀のように鈍重でありながら、縦に厚く堅牢な陣容は無数の矢や投石を浴びせたところで止められはしないだろう。
オウサの関の城壁に立ち、最前線で敵を迎え撃たんとする赤狼公国公女マリアリガルは敵の覚悟に敬意を示しながらも、先日と変わらない陣容に疑念を抱いていた。
「イヅミ、どう思います?」
マリアリガルの傍らに控えていた女性騎士――イヅミ・フォン・アルバレスタは、歳若い主君の問いかけに「私には図りかねます」と素直に白状した。それにマリアリガル自身も「そうですわね、敵の意図が読めませんわ」と同意を示した。
鈍重だが打たれ強い“塊人”を矢面に立たせ、彼らを盾に――時には足場として城壁を突破するのが諸国連合軍の基本的な攻城戦術ではある。
しかしそれを完膚なきまでに粉砕された翌日に、またしても同じ戦法で攻め立てると言うのは、あまりにも考えが無さすぎて不自然だ。
「もしかして姫様の魔法で“塊人”が粉砕されても構わない――いえ、そうさせたいのではないでしょうか」
吹きつける風に目を細めながらイヅミはそう進言した。
「わたくしも同じ事を考えましたわ。風向きが変わってからの進軍――恐らくはあの“塊人”自体に何かを仕込んでいるのでしょう。魔法で吹き飛ばせばその粉塵は風に乗ってこちらに吹き付けてくるわけですし」
オウサの関が設けられた峡谷は、その地形故に強い風が吹き抜ける事でも知られている。マリアリガルの予測を裏付けるかのように峡谷を吹き抜ける風は諸国連合軍を風上としてオウサの関に吹きつけていた。仮に諸国連合軍が毒を含んだ粉塵を撒いたのなら、それは風に乗ってオウサの関にまで届く可能性は十分にある。
更に先日の戦闘でマリアリガルが“塊人”を魔法で吹き飛ばした際、敵の兵士は離れた位置で盾を構えて防御を固めていた事からも、敵はマリアリガルが使う二つの奇跡とそれを用いた戦法を把握していると考えて良いだろう。
何故ならマリアリガルが諸国連合の兵相手にこの戦法を用いたのは今回が初めてではない。半年前に起きた軍事衝突では他ならぬ自分自身がオウサの関を突破して諸国連合の都市国家を攻め落とそうとしたのだから。
「――だとしても、残念でしたわね」
紅玉色の長い髪を風に舞わせながら、マリアリガルはその端正な顔に愉悦の笑みを湛える。例えるならばそれは獲物を前にした狼が牙を剥くかの如く。
まだ齢15歳の少女でありながら、マリアリガルは無数の兵士が自らの手で無惨に命を散らす事を躊躇わない。残忍だと謗られ、暴君だと恨まれ、人を人とも思わぬ畜生だと非難されても彼女はそれを否定しない。仮に自分の命が無残に刈り取られたとしても、彼女は恨み言の一つも零さないに違いない。
身分よりも才よりも将たる資質にて千を超える将兵を従わせる少女は、迫り来る敵を迎え撃つべく、その手を伸ばして唱えた。
「――“盾”よ!」
迫り来る50体以上の“塊人”の前に、一瞬にして無数の光の盾が展開される。
鎧を着込んだ兵士に比べて二回りも大きな土塊の人型はその盾に全身を阻まれるが、それでも足を止めようとしない。
これが盾を構えた兵士であればその質量にまかせて押し潰しているところだが、マリアリガルが展開する“潔璧の盾”は土石流にも等しい50体の“塊人”に押し込まれたところでビクともしなかった。
一歩も前に進む事ができずに立ち往生した“塊人”たち。その足元に刻印が出現したかと思うと、圧縮された熱エネルギーが一斉に開放された。
マリアリガルが用いる魔法のひとつ“焔砕刻印”。
膨大な熱エネルギーを溜め込んだ印を刻む事で任意の場所を文字通り爆砕する、天女の御業。それを受けた“塊人”は悉く爆散し、辺り一帯に粉塵を巻き上げる。
爆発の衝撃を受けて後続の諸国連合軍は足を止めるが、オウサの関の城壁や、その上に立つ赤狼公国軍は身じろぎもしない。“潔癖の盾”は爆発の衝撃すらも防いでしまうのだ。
「――よし!」
その光景を目の当たりにし、諸国連合軍を率いていたシュガイは快哉を挙げた。
城攻めの尖兵が一撃で消滅し、舞い上がった粉塵が風に吹かれていく様を確認しなから、彼は自身の立てた策が成功した事を確信した。
マリアリガルの読み通り、諸国連合軍の狙いは50体もの“塊人”をわざと破壊させる事で、粉塵と化した残骸を巻き散らす事にあった。
峡谷を吹き抜ける風に吹かれ、視界を阻むほどの粉塵がオウサの関に吹き付ける。仮に粉塵の中に毒が混ざっていたとしたら、関を守る赤狼公国軍はその毒をことごとく吸い込むに違いない。
――マリアリガルが新たな“潔癖の盾”を展開させていなければの話だが。
視界を遮るほどに多く、見るからに有害な粉塵は城壁の上にも展開された光の盾によって阻まれてしまい、風に吹かれて散っていく。
城壁の上で吹き付ける風を正面から受けるマリアリガルや赤狼公国の兵士たちはただの一人もかつて“塊人”だった粉塵を吸いこんでしまうこともなく、悠然とその場に立ち続けていた。
「わたくしの盾は、わたくしを害するあらゆる脅威を阻む。霧の如き毒も雨の如き呪いも、この盾を抜ける事は叶いませんわ」
契約神能“潔璧の盾”。
それはいかなる矛も貫けない堅牢な障壁を生み出すだけの奇跡ではない。盾とはあくまで人が奇跡の顕現をそう認識しただけのこと。その真なる権能は「使い手を害するあらゆる存在を遮断する、世界への絶対命令」。
仮にマリアリガルが毒液を湛えた池に突き落とされたとしても、“潔璧の盾”は彼女の髪の毛一本とて毒に触れる事を許しはしないだろう。
だから――
「――? 何かしら、甘い香りが……」
ふと鼻を擽る香りにマリアリガルは周囲を見渡す。
だが彼女の好物である甘い焼き菓子は何処にもなく、香りの強い果実や花の一とて見当たらない。
だとすればこの香しい匂いは何処から――と疑問を覚えた時、マリアリガルは急激に込み上げた衝撃に思考を断たれてしまう。
「は、は……くしゅんっ!?」
その一声こそ、オウサの関の陥落を決定づける兆しであった。




