第68話 GO,EAST!
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
逃走した『蛇帝の使徒』を追う櫂。合流したエルナのおかげでその一人を捕縛する事に成功したのだが……
「突然の非礼をお許しください、カイ様」
銀と呼ぶには褪せた灰色の髪を幾重にも編み込み、浅黒い肌と半分ほど伏せられた目をした女性は、ぽってりと厚い唇を動かして謝罪の言葉を口にした。
彼女は今、頭部を覆っていたフードを脱ぎ、深い草色の外套の下には節くれ立った長い腕と長身を窮屈そうに折りたたんでは、櫂に対して恭しく跪いている。
その隣には長剣を手にした黒尽くめの少女――エルナが長剣を構えて佇んでいた。
跪く女性が少しでも不穏な動きを見せたら、迷いなくその剣でその命ごと断ち切るために。
「我が名は蛇帝の使徒のサピア。白竜山麗に居を構えるソルコブの出であります」
滑らかな統一言語で名乗り上げた蛇帝の使徒――サピア。
櫂には聞き慣れない名前を幾つも口にするが、本来ならばそれを解説してくれたであろう錬金術師のベルタはその時、意識を失って木の根元にその身を横たえていた。尚、その身に一切の外傷は見当たらない。
何でも彼女はサピアの腕に絡みついている様な蛇を象った腕輪を見て卒倒しただけであるらしい。
仕方ないので櫂はエルナに尋ねかけた。
「エルナ、この人の言っている事分かりますか?」
「うん、ザハークは『蛇帝の使徒』の別名。白竜山麗は神竜様がいるらしい北の険しい山。ソル…何とかは知らない」
「ソルコブとは我の里であり氏族でございます。そしてザハークとは蛇帝様に遣える者に与えられる名。我もそれらも全てザハークなのです」
そう言ってサピアが後ろに首を向けると、そこには彼女と同じ草色の外套を羽織り、頭をフードで覆い隠した者達が同じように跪いている。その者達が地面に着いた腕にはもれなく蛇の腕輪が鈍い光を放っており、サピアの言葉通りなら全てがザハーク――最凶の暗殺集団として恐れられている暗殺者なのだろう。
だからこそ、櫂には余計に分からない事が山積みになっていた。
「再度確認しますが、貴女たちは私やベルタさんを始末しに来た……わけではないのですね?」
「はい、そのような命は一切受けておりません。仮に命じられても従うつもりはありません」
サピアが櫂の懸念を否定すると、何故か後ろに並ぶ他の蛇帝の使徒たちもうんうんと頷き始める。全部で十人となる蛇帝の使徒たちが櫂たちを取り囲むように姿を現したのはつい先刻のことだが、確かに言われてみれば櫂やベルタに危害を加える事は一切なかったばかりか、気絶したベルタを抱えて櫂たちの元まで運んでくれたのは、そもそもサピアを除く他の使徒たちであった。
櫂はてっきり彼女達を自分かベルタに差し向けられた刺客だと思い込んでいたが、仮にサピアの話が正しければそれは櫂の勘違いと言う事になる。
とは言え、その話が真実か否かは別の話であり、櫂はまだサピア達が信用に値する存在なのかどうかを図りかねていた。
「ならばどうして、私たちの前に姿を現したのですか?」
櫂の問いかけにサピアは一度だけ瞑目したあと、額を地面に擦りつけて言った。
「あまりに顔が…良くてつい……」
「はい? 顔?」
「カイ様の憂いを帯びた横顔がまた麗しく、もう少し近付けば長い睫毛の一本一本まで見えるかも……と思ってつい近付いてしまいました」
櫂はサピアの釈明の内容をすぐには理解できず、二、三度視線を宙に彷徨わせたあと、少しだけ引き攣った顔で再度サピアに問いかけた。
「それは、私の顔を……という話ですか?」
「はい、申し訳ありません。我ごときは木となり壁となり遠間から御姿を拝見するのが筋と心得てはおりますが、つい魔が差したと言うか」
「……カイ、こいつ公女様と同じにおいがする」
エルナはサピアから視線を外さないまま、しかし若干の嫌悪を込めた声でそう言った。
「奇遇ですね、私もマリアの事を思い出しました。まぁマリアが陽キャのウザ絡みヒロインだとしたら、こちらは陰キャのストーカー……いえ節度を持った百合オタとでも言いますか……どちらにしろあまりお近づきになりたくない人ですね。まぁ気持ちは分かりますが」
見た目は12歳の絶世の美少女であるが精神は30代独身男性である櫂にとって、他人から情欲(?)を向けられる事には未だに慣れないどころか、そもそも自分が他人からどう見られるのかと言う自覚がゼロどころかマイナスに近い。
しかし憧れの対象に自分から近付くのではなく、遠間から見守るのが正しいとするサピアの言い分それ自体には共感できた。百合も嫌いではないので。
「御子に気味悪がられてしまう……使徒として何たるご褒美、いえ不明を恥じよ我ッ。こうなればこのサピア、両眼を潰して非礼を詫びましょう! なに顔が見えなくも匂いで充分ですので!」
「気持ち悪いからやめてください。あなたの性癖にとやかく言うつもりはないので、見るだけなら好きにすれば良いでしょう……それよりも、です」
とりあえずあの思わせぶりな顔合わせが単なる偶然と情欲の産物だった事を知った櫂は大きく嘆息したあと、サピアに顔を上げるように促した。
「貴方たちは私の命を狙うわけではないにしろ、何か用事があって付きまとっていたのですね? その理由を話してもらえますか」
「――はい。そうですね。よくよく考えたら先にそれをお伝えするべきでした」
話が本筋から脱線していた事は自覚していたらしい。サピアは跪いたまま、顔を上げ櫂と視線を合わせる。
「ダメだ……顔が良すぎて目が潰れてしまう……」
しかし今度は対面で推しと顔を合わせたオタクの様な事を言い始めたので、仕方なく目を逸らして話しても良いと櫂は呆れながら提案した。
「――失礼しました。では順を追ってお話しさせていただきます。我は氏族の長より命を受け、カイ様が帝都におわす頃より接触の機会を伺っておりました」
「帝都にいた時から――では、そこから私を追ってわざわざこんな西の果てまでついて来たのですか? 疚しい事がないなら普通に声をかけてくれれば良かったのに……」
「そ、そんな我ごときが御子に馴れ馴れしく声をかけるなど不遜にも程がありますッ!? いえ、本当はこんな遠くまで付いていく必要もなかったのですが、御子様とそちらの魔導師様の間に割って入るような禁忌を犯すわけには行かなかったのです。と言うかもっと見ていたかったし!」
「……………うわぁ」
つまり声をかけたくても恥ずかしくて声をかけられず、加えてベルタという同行者との関係を誇大に邪推して出歯亀していたと告げられては、櫂と言えどただただ呆れるしかない。
「まさかとは思いますが、貴女以外の使徒さんも同じ理由でここまで付いてきたとは言いませんよね?」
変態は一人で充分だという祈りにも似た問いかけにサピアは頷き、
「はい、本当は我一人で任についた筈が、御子を一度は拝見したいとこいつらは勝手に付いてきまして……」
そう言ってサピアが後ろに居並ぶ同僚に非難の視線を送ると、全員が顔を伏せたまま露骨に視線を逸らしていた。どうやら変態は一人だけではなかったらしい。
「……そこで私に見つかったので全員姿を現したという訳ですか。私が言うのも何ですが、どこが最凶の暗殺者なんですかこれ」
櫂がエルナにそう言うと、エルナは「でも仕事はちゃんとやるし」と櫂の疑義を否定した。仕事――つまり性癖と言動はともかく暗殺者としては凄腕である事は確かであるらしい。信じられないけど。
「ふふ……我、御子にツッコミを入れていただけた。何と言う僥倖」
「褒めてませんからね、私。……とりあえず話の続きをお願いします」
何故か感激しているサピアに冷たく言い放ちながら、櫂は話の続きをと促した。
「分かりました。とにかく声をかける機会を探っていた我ですが、こうして直接拝顔叶い、つい浮かれてしまったようです。
なので改めまして――カイ様、我は貴女をお迎えに参りました。どうか我と共に白竜山麗はザハークの館までお越しください。そこに貴女を待つ御方がいます」
軽く脱線しながらも、今度こそサピアは明確に己が使命を打ち明ける。
白竜山麗――銀鷲帝国の更に北方、この大陸で最も高く険しい山の頂上へと共に来てほしいと。
櫂は生憎と白竜山麗の所在地を知らなかったが、そこがかねてより行ってみたいと願っていた帝国のはるか北方――つまり極北の地と知って言葉を失ってしまう。
自信の生い立ちのを知るという目的が中途半端に終わり、次の行き先を見失っていた今だからこそ、サピアの言葉は櫂の心を強く揺すぶってきた。
そして――少しの間をおいてサピアが口にした言葉が決定打となった。
「御柱の遣い『死の影』様の御子たるあなたに会いたいと――神竜様のお告げを我らは授かったのです」
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時は少しだけ遡る。
大陸西部の大国、銀鷲帝国と東の大国、八萬諸国連合の狭間に存在する帝国三公国のひとつ――赤狼公国。
諸国連合の宣戦布告を受けたその翌日、赤狼公国は公国軍の主力を公都アルテンヴォルクより東に位置するオウサの関へと派遣した。
約四千の兵と将を率いるのは、赤狼公国第一公女マリアリガル・フォン・ヴェルアロート。若干15歳にして国の内外よりその将器を称えられ、“帝国最強の魔法使い”の二つ名を持つ姫君である。
次期皇后たるマリアリガル自身が兵を率いて戦地に赴く事を歓迎する者はただの一人も存在しなかったが、当の本人が行くと言い出したらそれを止められる者は公国はおろか帝国にさえ、これまたただの一人も存在しなかったのである。
北と東から同時に武力侵攻に晒され、迎撃の足並みさえそろわない帝国には任せておけないと迅速に出兵を決定したマリアリガルに尻を叩かれる形で、銀鷲帝国は東部方面に配属されていた帝国軍一万、そこに帝国貴族が所有する私兵と各地の騎士団を加えた計三万の兵力を援軍として赤狼公国へと送り出す。
一方でオウサの関へと向かう諸国連合軍総勢五万の兵を率いるのは、人ではなく虎であり諸国連合の生ける獣神たる虎頭将軍オウキ。
険しい山と急流に挟まれたオウサの関において、約150年ぶりとなる二大国の軍事衝突が今――幕を開けようとしていた。
いつも『転生勇者の傾国無双?』を読んでいただき、ありがとうございます。
次週(2/16)の更新ですが、本編はお休みして「登場人物」と「用語解説」のページを更新予定です。




