第20話 可能な範囲で善処します(前編)
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
八萬諸国連合の盟主・ラキに拝謁した櫂は自分が「第七の勇者」であること、そして"機構"と呼ばれる存在が勇者を創り出した目的を知る。
しかしその直後、ラキの命により櫂たちは衛兵に取り囲まれてしまう。
「――エルナ! 来てください!」
衛兵たちに囲まれると同時に櫂は叫んでいた。
“人狼”と呼ばれる銀鷲帝国の治安維持組織の一員であるエルナ・ヴォルフは拝謁を許されなかったので、今は謁見の間から離れた場所で待機している筈だ。
だからいくら助けを求めたところで、その声が届くはずもない。しかし櫂は常識よりもエルナと交わした約束を信じた。
次の瞬間、謁見の間の扉が蹴り開かれたかと思うと、黒い影が櫂に駆け寄る。
それは黒い髪と濃い色合いの肌を持つ、黒尽くめの少女だった。
彼女がどうやってここに辿り着いたのかを物語るのは、開け放たれた扉の向こうに横たわる無数の衛士達の姿である。
「カイ、おまたせ」
「いえ全然全く待っていませんが――とにかくありがとうございます!」
エルナの忠義と予想以上の強さに感激する櫂であったが、それでも事態は好転したとは言い難い。
周囲を取り囲む衛士達は、エルナの乱入にも一切動じた様子を見せず、槍を構えて櫂たちの動きを牽制している。
よほどの精鋭なのだろう。オークをただの一撃で仕留める櫂の"超能"を以てしても、彼らを無力化する可能性は全く湧いてこなかった。
「ほう、流石は帝国の人狼よ。我の鴉軍とどこまで渡り合えるか、試してみるか?」
ラキはエルナの武威を称えるが、それでも余裕を崩さないのは、鴉軍と呼んだ衛兵たちの強さがそれ以上だと確信するが故である。
その証拠にエルナは剣を構えたまま、櫂の側を決して離れようとしない。
「――エルナ、あなたは私とミカゲさんの護衛に専念してくださいね? 流石に自滅願望はありませんし」
「分かった。でも――」
頷いた後、エルナの眼は跪いたままのミカゲ・アゲハに向けられる。
紫と青――左右で異なる色の瞳は、戸惑いと不安に揺れていた。
「それで盟主様は私たちをどうするつもりですか? 捕まえて牢にでもぶち込むと? あるいは――」
その先の言葉を櫂は口にしなかった。
「さて、どうしたものかな?」
エルナと合流したとは言え、生殺与奪の権利は以前として自分が握っていると確信しているのだろう。獲物を嬲る獣のように、ラキは櫂を焦らし続けた。
(……やられましたね。完全に油断していました)
口の中に広がる悔恨の味を嚥下したあと、櫂は必死に現状を打開する方法を思索する。
しかし今のラキには何をしでかすのか分からない底知れなさを感じる。口先小手先の詐術など、彼女の気分一つで無効化されてしまうだろう。
更に櫂にとっては、それ以上に気がかりな事がひとつあった。
「――盟主様! 僭越ながら願い申し上げます! 」
その時、跪いたままのミカゲがラキに向かって声を張り上げる。
切実なその声に、櫂は思わず身を震わせた。
「――善い、申してみよ」
「ご厚恩感謝申し上げます。しかしてこの者――カイは決して我々に仇を成す存在ではございません。故にどうか、彼女にも盟主様のご厚情を賜りたく願い申し上げます!」
ミカゲはカイの助命を申し出る。
櫂も彼女がそうした行動に出る事は薄々予感していた。
確かにミカゲは諸国連合の一員でラキの臣下ではあるが、その情の厚さからあっさりと自分やエルナを見捨てる事はないだろうと期待していたのだが……
(……ありがとうございますミカゲさん、貴女ならそう言ってくれるだろうと思っていました。でも――だからこそ私は――)
事態がどちらに転がったとしても、自分は彼女の厚意を裏切ってしまうだろうと、櫂は同時に予感していた。
「……ほう情が移ったか? 揚羽の娘よ」
「いえ、決してそんな事はございません! カイは自らの意思で帝国を脱出し、アタシと共にオウキまで来てくれました。
彼女は帝国の勇者ではありません。時間さえ頂ければアタシが必ず――」
「――いえ、申し訳ないですが、私は帝国にも諸国連合にも仕える気はありませんよ、ミカゲさん」
ミカゲの嘆願を遮ったのは櫂自身だった。
「何故」と驚愕するミカゲから目を逸らし、櫂は仮面を付けたままのラキの顔を見据える。
「確かに私は貴女やこの国に敵対する意思はありませんが、さりとて顎で遣われるのもまっぴら御免です。故に私は誰にも何にも従いません」
「な、なに言ってるのよカイ! そんな虫の良い話が通じるはずないでしょ!」
「いやいやミカゲさん、私はこれでも盟主様の寛大なる御心を信じているのですよ? ですよね――第二の勇者・ラキ?」
自分とラキはただの根無し草と大国の王ではなく、『勇者』として同等の存在であるとして櫂は敢えて敬称を外し、彼女の名を呼び捨てにした。
それを不遜と受け取るか、或いは『勇者』としての矜持と見なすのか――
「なぜ我が汝をこのまま見逃すと思うのだ? 第七の勇者・カイよ」
ラキの回答は後者だった。
「私を屈服させるか或いは処分するか、そのどちらにしろもっと別のやり様があったのではないですか? 何せ貴女は私が『勇者』である事を、私より早くご存知だったようですし」
櫂はそう指摘するが、ただの出まかせではない。
何しろミカゲを櫂の元に派遣したのは、他ならぬラキ自身であったのだから。
「我が汝を穏便に従わせる為に、ここまでおびき寄せたとは考えぬのか?」
「それも一理ありますが、ならば尚更脅すタイミングが悪いでしょう。
穏便にと言うならば最初から宣戦布告などせず、先ずは協力する姿勢を打ち出せば良いだけの話です」
「ふむ、確かに汝の言い分にも一理はある。だが途中で我の気が変わり、目障りな汝を処分する事に決めたのもかもしれんぞ?」
「ならば温情だのと、わざわざ私に言い聞かせる事もないでしょう。
つまり――今の私は貴女が敵対視する程の勇者ではない。ぶっちゃけかなりの格下なので、ちょっと脅してからかうつもりだった――そうではありませんか?」
櫂の推論に、ラキは喉を鳴らして嗤う。
その目は愉悦に満ちていたが、同時に何時でも掌を返して叩き潰そうとしてもおかしくない害意も感じられた。
「汝は善い――実に嬲り甲斐がある。仮にそうだとしても、ここまで啖呵を切った手前、汝は我に証を立てる必要がある」
「……そうですか。まぁ良いですよ、可能な範囲で善処します」
それは「できない事はやりません」と言う社畜の常套句でもあるが、ラキにそれが通じるかはまた別の話であろう。
「そうさな、先ずは――」
しかし事態は少しずつ好転していた。
櫂が帝国にも連合にも肩入れしない、中立の存在であると証明すれば見逃してやらなくもないとラキは譲歩を示したのた。
だからこそ、ここからは下手な手は打てないと櫂は奥歯を噛みしめる。
その時であった。
「――一大事でございます! 盟主様!」
若い官吏が血相を変えて、謁見の間に飛び込んできた。
肩から小さな翼を生やした炎翼の民と呼ばれるその官吏は、謁見の間に飛び込んで初めて、衛士が三人の少女を取り囲んでいるという異常事態に気付く。
しかし余程の事態が生じたのだろう。
慌てて引き返す事もなく、ラキに対して恭しく膝を着いた。
「善い、そこから申せ」
「は、はい……」
ラキの許しを得て、官吏は懐から丸めた紙を取り出すと、それを目の前で広げながら読み上げた。
「さきほどアーチより地導文が届きました。
それによると今より半日前、赤狼公国軍がオウサの関を突破し、アーチ領内に侵攻したとのこと! その数、約二千!!」
官吏の報告に、ラキの顔から加虐的な笑みが消えた。
更に謁見の間に居た衛士を含む、ほぼ全ての人間が動揺を露わにする。
ミカゲやエルナも例外ではなかったが、ただ一人櫂だけはその報告が何を意味するのか分からず皆の反応を窺っていた。
アーチとは八萬諸国連合を構成する一都市国家である。
諸国連合の中では最も西に位置し、文字通り諸国連合の玄関口となる国だ。
一方で赤狼公国は西の銀鷲帝国の属国であり、帝国の最も東に位置する。
その赤狼公国が諸国連合側の関を突破し、玄関口であるアーチに兵を送り込んで来たという事は――二大大国が軍事的に衝突し始めたも同然の出来事であった。
「赤狼公国が今になって軍を動かしただと? 解せぬ、何が狙いだ?」
しかしラキにとってもそれは、寝耳に水の報告であったらしい。
「――は、敵軍はアーチの手前で停止し、街道を封鎖しているとのこと。
未だ軍事的な衝突には至っていませんが、要求を呑まねば一戦も辞さないと、書面にしてアーチ藩主に通達したそうです」
「……要求? それは何だ?」
ラキの問いに官吏は一瞬だけ息を呑むと、震える声で書面を読み上げた。
「――アーチ藩主からの報告によれば、赤狼公国軍の将曰く、『我が国が誘拐した銀鷲帝国皇太子殿下の愛妾カイ・タクミを引き渡せ』とのことです!!」