第17話 鈴木商店
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
天を支えるような巨木――『神樹』に抱かれた諸国連合盟主国、都市国家オウキに降り立つ櫂たち。
見た事のない風景や幻想生物を撮影しすぎてバッテリー切れになってしまった櫂のスマートフォン、それを見たミカゲ・アゲハは「充電をしに行こう」と櫂の手を引いて歩き出した。
三層構造の都市国家オウキの第二層は、同心円状の大通りに沿って平屋建ての木造建築が所狭しと建ち並んでいる。
第二層はオウキの繁華街でもあり、飛竜や巨鳳を用いて空を行き交う者達の一大中継地でもあった。
人と物と活気に溢れる繁華街を歩く内匠櫂、ミカゲ・アゲハ、エルナ・ヴォルフの三人。
彼女達が周囲の耳目を集めるのは、獣の器官を有していない者が含まれていたからではない。
「おい……見ろよ、どこの巫姫さまだありゃ?」
「いやいや、あれは舞姫でしょ! あの美しさと可憐さ、清翠楼で噂の娘に違いないぜ」
「見たところ加護無しだけど、わざわざ西から来たのかね。酔狂なこった」
「やだ、みんな可愛いーーーー!」
櫂に注がれる視線と興味は圧倒的に男性が多かったが、女性であってもすれ違うたびに思わず足を止めて振り返るのは一人や二人ではない。
しかし櫂の興味は目に映る異国の風景全てに注がれており、自分に注がれる好奇の視線や話し声には気付いてさえいなかった。
やがて三人は通りに面した商店の中では風格と言うか、客層が明らかに異なる雑貨店の前で足を止めた。
そこがミカゲの言う、スマートフォンに充電できる場所だった。
「ここが、その『鈴木商店』よ」
ミカゲから店名を聞いた瞬間、櫂が「パードゥン?」と耳を疑ったのは言うまでもない。いやいや、ここ異世界でしたよね?
しかし飾り気のない看板には、確かに統一言語のハン(※この世界の表意文字)で『鈴木商店』と記されていた。
「おや、これはアゲハ様! ようこそいらっしゃいました」
店頭に立つ陽気な風貌の男性が、ミカゲに向かって深々と頭を下げる。
彼女の同属――王虎の民であり、頭の上には頭髪と同じ色の猫耳が生えていた。
「ちょ、ちょっとやめてよジーニさん! アタシはそんなんじゃないし!」
「何を仰る。その歳で獣姓を賜るたぁ、フギル郡の誇り以外の何者でもねぇよ」
「だ、だから止めてって!」
相当に照れ臭いのか、真っ赤になるミカゲを見て櫂はニチャつくが、顔が良いので傍目からは小悪魔的な笑みにしか見えない。
それはそうと、この店員は同属かつ同郷のミカゲを単にからかっているだけで、心から敬称を付けて呼びたいわけではないようだ。
その証拠にひとしきり笑うと、肩を叩きながらミカゲと櫂たちを店内に案内した。
「それにしてもアゲハ様……ああいや、ミカゲの嬢ちゃんが友達を連れて来るたぁ珍しい。しかも加護無しとは西から来たのかい?」
「はい、帝国から逃げだ……見物に来てます。ところでここにある品は全部、東の地の工芸品か何かですか?」
店内に並ぶ様々な雑貨に目を輝かせながら、櫂が訪ねる。
「おうよ、諸国連合だけじゃなく、海洋帯の連中が運んできた南洋の品も扱ってますぜ? ご要望ならば魔晶石やミスリル銀の護衛品も調達しましょう」
「魔晶石!? ミスリル銀!?」
如何にもファンタジーな言葉に声を弾ませる櫂であったが、必要な金貨の枚数を聞いた途端、「考えておきます……」と顔付きを渋くした。
「ジーニさん、この子には構わなくて良いからエレキを売ってちょうだい。この子――カイの写し絵の板(※スマートフォンのこと)を充電してほしいの」
時間が勿体ないとばかりに、ミカゲは早速要件を切り出した。
「ああ、喜んで。ちょうど若い連中も戻ってきたところだ」
様々な品が並ぶ店内を抜けると、店の奥には工房のようなスペースが設けられていた。そこには上半身裸で筋骨隆々の若者が二人、床にしゃがみこんで水煙草を吸っている。ともにミカゲと同じ王虎の民であった。
「おい手前ら、サボってないでエレキデルを持ってこい。ケーブルも忘れるなよ」
ジーニに命じられると若者達は弾かれたように立ち上がり、店の奥の倉庫へと走って行った。それは番頭であるジーニに咎められたと言うよりも、突然やって来た三人の美少女達の存在に尻を叩かれたと言うほうが近い。
やがて若者の一人が赤い箱を抱えて戻ってきた。
照明に使われているランタンよりも一回り大きい立方体は、表面が赤く塗られており、随分と使い古された印象を受ける。
若者がその箱をテーブルの上に置くと、興味津々な顔で櫂がその箱に近付く。
箱の天井には無数の穴が整然と並び、背面には手回し式の大きなハンドルが備え付けられてる。それを見た瞬間、櫂は驚きの声をあげた。
「こ、これUSBじゃないですか! 他にも接続端子が……ま、まさかそのハンドルを回して充電するのですか?」
櫂は何度も自分の目を疑った。
それは転生前の彼(女)にも馴染みが深い電子製品の工業規格であり、転生後のファンタジー世界に存在するとは全く予想していなかった代物である。
「あ、あぁ……詳しいんだな、お前」
若者はぶっきらぼうに答えるが、その顔は何故か赤く染まっていた。
「では写し絵の板をお借りします。ふむ……これなら大丈夫だな」
ジーニは櫂のスマートフォンを預かると、側面の接続端子の形状を確認する。
そしてもう一人の若者が運んできた箱から白いUSBケーブル(※実物)を取り出すと、箱とスマートフォンを接続した。
その手付きは手慣れたもので、櫂はただただ驚くばかりだった。
箱――エレキデルを運んできた若者は、最後に無数の文字と紋様が描かれた札を箱に貼り付けると、エレキデルをテーブルに固定してからハンドルを回し始めた。
すると箱の中で無数の機構が回転する音が聞こえ、しばらくすると櫂のスマートフォンの画面に充電中のサインが表示された。
櫂はスマホがまた使える様になった事に安堵する一方で、手回しの発電機と充電用のケーブルが異世界に存在する事への疑問が溢れて止まらなくなる。
「ねぇカイ、ジーニさんたちに何か聞きたい事があるんじゃないの?」
そう言ってミカゲは櫂をからかうが、当の本人は聞きたい事が多すぎて何から聞けば良いのかと悩む有様だった。
「そうですね……電気、いやエレキを買い求める人は多いのですか?」
「いやいや、こんなのを欲しがるのは導師様くらいのもんよ。半年ほど使わなかったから倉庫で埃を被ってましたしな」
櫂は顎に手を当てて、ジーニの言葉を頭の中で咀嚼していく。
(やはり帝国でもこの東の地でも、電気は生活の動力としては使われていないようですね。それどころか電気が『動力』であるという認識も薄めです。
では……なぜこのような手回し発電機が存在しているのでしょう?
しかも無数の接続端子から間違いなく私と同じ世界、或いは同程度の技術と文明を持つ人間が作り出したとしか思えません)
エレキデルの構造はアナログで材質はファンタジーなのに、設計と運用は科学文明に基づいている。そのアンバランスさが、櫂の興味と思考を大いに刺激した。
「この……エレキデルですか? どなたが作られたのです?」
するとジーニは考え込み、ややあって思い出す。
「確か……うちのオーナーの遠いご先祖様が作られたとか。十年くらい前に導師の方が偶然発見するまで倉庫に眠っていたくらいですしな」
「え? む、昔と言うのはどのくらい前ですか?」
「ざっと100年くらい前ですかな」
その答えに櫂はポカンと口を開けたまま固まってしまう。しかしその脳内では思考がさらに加速していた。
(いやいやいや、有り得ません! だってUSB規格が100年前に存在しているわけないですし!
このエレキデルがスマホなどの電子機器を充電する為の代物なのは明らかですが、それには発電の機序や電圧を安定化させる知識や技術が不可欠です!)
だが現に、櫂のスマートフォンは手回しの発電機によって充電されている。
ひたすらハンドルを回して電気を生み出してくれる若者に、櫂は感謝を込めて軽く頭を下げた。若者の顔は疲労とは別の理由で紅潮した。
すると黙って話を聞いていたミカゲが、ジーニに問いかける。
「ジーニさん、確かこの店のオーナーのご先祖様って“異邦人”だと聞いたけれど?」
「あ、あぁ……言われてみれば、そんな話を聞いた記憶があるな」
「“異邦人”? 何ですかそれは? 単なる異境の人とは違う意味みたいですけど」
聞き慣れない単語に、ふと櫂の興味が逸れる。
「……“異邦人”は"力ある言葉"、遠い世界から流れついた人達をそう呼ぶ。未知の知識や技術を持っていて、伝説や伝承によく出てくる」
それまでずっと黙っていたエルナが端的な解説を始めたので、その場にいた全員が驚きの色を顔に浮かべた。
「え、えぇ……エルナの言う通りだけど、理解できた?」
しかし“異邦人”とは実在すら不確かな空想上の存在であり、そんな信憑性に欠けるものを持ち出しても分からないだろう、とミカゲは気を遣うが――しかしその一言こそ、櫂が求めていた最後のピースであった。
(……つまり異世界転移! もしくは生前の記憶を有したまま転生した人が他にもいたわけですか! だとすれば一応辻褄は合いますし、何よりソースは私!
年月の齟齬は世界間の移動に伴う時間軸のズレなのですかね? だとすればこの発電機が作られても電気は普及せず、しかしスマホの存在は知られている矛盾に説明がつきます)
思考を整理するため櫂は工房内を歩き回りながら、その推論を披露する。
「――恐らくこのエレキデルは、オーナーのご先祖様が自分のスマホや電子製品を使い続けるために自作したのでしょう。
構造もメカニズムもその人しか知らないわけですから、亡くなった後は文字通りのブラックボックスになり、用途も分からなくて倉庫にしまわれていたのですね。
それと同じように電子製品をこの世界に持ち込んでいた“異邦人”たちは、バッテリーが切れて無用の長物となったスマホやケーブルをを幾つも残していった。
でも知らない人達からすれば、それは用途も不明な謎のオブジェですからね。
けれどその導師? とか言う人達は残されたスマホなどが何であるのかを突き止め、それを使う為にここに来てエレキを充電するようになった――という流れでしょうか?」
朗々と述べた櫂の疑問に答える者は誰もいない。
彼らからすれば、櫂は意味不明な言葉を並べて小難しい話を振ってくる変人――いや美少女の奇行にしか思えなかったのだから。
「あ、あぁ……導師様がエレキを充電しに来ることは確かだけど、過去の人間の事は何にも分からねぇなぁ」
ジーニは誤魔化す様に笑い、ミカゲも呆れた様子で「ずいぶん詳しい事ね、もしかしてカイも“異邦人”だったりするのかしら」と笑っていた。
(……私が“異邦人”なのは、その通りでしょうね。けれど私がいた世界からこの世界に転移した人は、少なくなかったのでしょう。
そして――伝来された知識や技術は歴史的にも影響を及ぼしていた)
その時、櫂は以前に読んだ帝国の歴史書の内容を思い出していた。
(帝国の始祖ディアルス帝に仕えた異邦人モトナガ……でしたっけ?
その人が帝国の文化や統一言語の普及に関わったと書いてありましたから、何時の時代の人かは分かりませんが、恐らく私と同じ日本人なのでしょう。
そして彼は日本語をベースに、この世界の言語や文法を統一したのかも。
あ……と言う事はまさか)
何かを思い出した櫂は、再びジーニに問いかける。
「ジーニさん、このお店のオーナーはスズキさんと仰いますか?」
「ん? ああ、その通りだ。うちのオーナーはフーゴ・スズキ。もう歳だから自宅で寝ているけどな」
櫂の推論は的中した。
エレキデルを作り上げたのは鈴木と言う日本人の技師であり、その子孫は今も、彼が開いた店を受け継いでいたのである。