第8話 再会の君とツンデレと
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
皇太子に(何故か)気に入られ、後見人である男爵から(善意で)皇太子の妾になるようにと提案される櫂であったが、彼(女)の心は未だに男性であり――
「やだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
帝都イーグレのランスカーク男爵邸、その一室で枕を顔を埋めながら絶叫する美少女がいた。内匠櫂である。
皇宮から戻ると、貸し与えられた一室で櫂は上着とネクタイを脱いでベッドにうつ伏せになり、溜めに溜めた気持ちを爆発させた。
「どうして! 私が! 男とくっ付かなくてはいけないんですか!
やだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
櫂は今でこそ頭のてっぺんから爪先まで美少女なのだが、心は未だに32歳の独身男性である。
いくら相手が皇太子だろうと、会社員時代に夢見た不労所得を得られるチャンスが訪れようとも、男と性的な関係を結ぶのだけはまっぴらごめんだった。
逆に櫂が男性の体でこの世界で転生し、美しい皇女の愛人になるよう薦められたとしたら、ここまで迷う事もなかっただろう。
「……もちろん分かっていますよ? 男爵閣下は99%善意でやっているでしょうし、あの皇太子もチャラいけど悪い奴ではないでしょうね。
現実問題としてこれを機に上流階級の仲間入りをすれば、夢にまで見た悠々自適の暮らしが手に入るかもしれません。
でも……それでも……やだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
足をバタつかせて不満を枕にぶつける姿は、歳相応に可愛らしく見えるが、櫂本人からすればこれまでの人生で一、二を争う貞操もとい尊厳の危機が訪れていると言っても過言ではない。
「せっかく異世界転生したんですよ? 私が望んでいたのは剣と魔法の世界で大冒険を繰り広げて、フリンちゃんみたいな幼な妻を娶ってめでたしめでたしなストーリーなんです!
プリンスとの玉の輿ロマンスとかこれっぽっちも望んでいないのに……」
寝返りを打って仰向けになると、櫂は自分のスマートフォンを起動させる。
ロック画面に表示されるのは、今の自分と同じ色の髪をした美幼……いや美少女キャララクターのイラストだ。
フリンと言う名の彼女は櫂の推しキャラであり、彼女が登場するゲームだけでなくアニメにフィギュアにグッズなどなど、これまで貢いだ金と愛は伊達ではない。
なのにどうしてこちらの世界に転生させてくれなかったんですか神様、恨むぞ。
「……はぁ」
自然と溜息がこぼれる。
何度考えたところで、男と付き合う未来など絶対に選びたくはない。
だからと言って皇太子を袖にしたら自分はどうなるのか。
その時はより悪い条件の縁談を薦められるか、あるいは無理矢理嫁に出されるか。
どちらにしても、身寄りも食い扶持も持たない今の櫂では抗いきれないだろう。
それより何より、恩人であるランスカーク男爵の顔に泥を塗るのは気が進まない。
「どうしてこうなってしまったのか……私はただ、ファンタジー世界でアドベンチャーな日々を送りたかっただけなのに……」
例えばそう――あの夜に目にした様な飛龍の背に乗り、思う存分蒼穹を飛び回るような日々を送れるとしたら、どれだけ良かっただろうか。
「………………待ってください! そうです、飛龍です!」
憂鬱に塗りつぶされそうになる思考に、突如として差し込む光明。
それは緑の鱗を持つ飛龍――ではなく、その背に跨っていた少女の姿であった。
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その夜。
身体能力を活かして部屋の窓から屋根に上った櫂は夜の街並みを眺めつつ、彼女の名を呼んだ。
「ミカゲ・アゲハさん? いたら返事をしてくれますか?」
「…………」
返事はなかったが、闇の中から湧くようにフードを被った人影が姿を現す。
彼女は腕を組むと、そのまま櫂を睨みつけてきた。
「やっぱり来てくれたのですね」
「か、勘違いしないでよね! アタシはまだあなたを許したつもりはないんだから!」
(おお生ツンデレ! まさか実在するとは!)
ミカゲの第一声を受け、櫂は絶滅危惧種に遭遇したかのような感動に震える。
「……なにニヤニヤしているのよ?」
「いいえ別に。数日前に比べて口調がずいぶん砕けているなぁ……なんて思っているわけではありませんよ?」
「……なら、今からでも戻してやろうか?」
「いやいやいや、今の方がずっと良いです。そのままでお願いします」
櫂は素直に頭を下げた。ツンデレは嫌いではないので。
「冗談はさて置き、あなたにひとつお願いしたい事があるのです」
「だと思った……まぁ話くらいは聞いてあげるわよ」
ミカゲは櫂の隣に腰を下ろすと、被っていたフードを下ろす。
あらわになった銀色の髪と獣の耳が、月の光を浴びて艶やかに輝いた。
(銀髪の猫耳美少女……いやぁ眼福ですねぇ)
「何で手を合わせて拝んでいるのよ? あなた本当に変な人間よね」
「そうでしょうか? 私は至って平凡な―――あ痛たたたたたたた!」
話の途中で櫂は両の頬を抓られてしまう。
「あなたね、その顔で平凡だの言うならタダじゃおかないわよ? わかった?」
「わ、わかりまひたから、はなひて……」
ミカゲはすぐに手を離してくれたが、抓られた頬は赤くなって櫂の風貌をますます幼く見せてしまう。
「――それで何? 簡潔に話して」
「は、はい実は――」
櫂は帝都に到着してからの出来事をミカゲに伝えた。
「なにそれ? 自慢でもしたいの?」
「自慢なんかじゃありませんよ! 私は本気で困っているんです……いや贅沢な悩みである事は百も承知ですけど」
何故か皇太子に言い寄られ、現在の後ろ盾である男爵は自分達を積極的に結び付けようとしている。
櫂からすればまっぴら御免だが、傍から見ればこんな美味しい話は滅多にないと言う事も分からないでもない。
「良いじゃない、皇太子の妾でも何でもなれば。
あーあ、良いわね掛け値なしの美人さんは。男の求愛に応えるだけで金も地位も手に入るんだもの」
(それこそ、どんな大金や社会的地位を積まれても辞退したい理由なんですけどね)
櫂の心は男性のそれであるが、それを知るのは櫂本人のみである。
理由を説明しようにも、間違いなく理解してはもらえないだろうと分かってしまうのが余計にもどかしかった。
「それでも嫌なものは嫌です。だからミカゲさん、私を攫ってください」
櫂の突然の申し出に、ミカゲは唖然とした表情を浮かべる。
「は? あなた正気――いや本気でそう思ってそうね。まぁその……アタシも任務を完了できるから断る理由はないけど」
「ほ、本当ですか! ありがとうございますミカゲさん! 神様女神様ミカゲ様!」
感激のあまり櫂がミカゲの手を握ると、ミカゲはわずかに顔を赤くして視線をそらしてしまう。
「ちょっとやめて、馴れ馴れしいわよ?
それよりどうするの、今ここであなたを連れて行けば良いのかしら?」
「いえ、そうすると私が自分の意志で出奔したと思われて、男爵閣下の顔に泥を塗ってしまいます。
あくまで自分の意志に反して帝都を出ていく事にしないと」
櫂の考えを聞くうちに、ミカゲは顔を引きつらせる。
「まさかあなた……アタシに人目に付くところで誘拐しろとか言うつもり?」
「はい、その通りです」
しれっと言い放つ櫂。
それに対してミカゲは、「冗談じゃない」とその場から立ち去ろうとした。
「ま、待ってください! 私にはもうミカゲさんしか頼れないのです……」
慌てて外套の裾を掴んで引き留めると、櫂は文字通りミカゲに泣きついた。
彼(女)がもし32歳の男性であれば、無情にも一蹴されていただろう。
しかし今の櫂は12歳の、それも万人が満場一致で認めるほどの美少女だった。
琥珀色の大きな瞳を潤ませて縋りつけば、その手を振り払う事は同性とて容易ではない。
「うっ…ずるいわよあなた……そんな顔されたら断れないじゃない……」
「それにミカゲさんにはその……私のはじめてを奪われちゃいましたし……」
「へ、変なこと言わないでよ!
あれはアタシが――いや間違いなく自分のしわざなんだけど、あの時はよく分からないけれど正気じゃなかったの! そうよ事故だから――って、ごめんなさい!
べ、別にあなたとキスした事が嫌だったわけじゃないのよ?」
櫂がランスカーク男爵領で過ごした最後の夜。
古びた塔の上で櫂とミカゲは情熱的なキスを交わしたのだが、何故そうなったのかは二人ともに謎のままである。
(……なんとまぁ、テンプレだと私の方がボロクソに言われる流れですが、女の子同士だとこんな時でも気遣ってもらえるのですね……やはり女の子はズルイのでは?
まぁそれはさておき、やはりミカゲさんはチョロ……いや律儀な人ですね)
内心でほくそ笑む櫂。
ツンデレ女子がチョロいのは、この世界でも変わらないお約束らしい。
「――あぁもう分かったわよ! とりあえず話だけなら聞いてあげる。
あなたの事だからどうせ、具体的な段取りも済んでいるんでしょ?」
「ありがとうございますミカゲさん! しかしそれは買いかぶりです。
計画の大枠だけは考えましたが、実現可能かどうかは全く分からないので」
そう言って、櫂は自分の計画をミカゲに伝えた。
先ず櫂は皇太子の妾になる事を承諾したと男爵に伝える。
もちろんそれは嘘なのだが、次にそれを自分の口から皇太子に伝えたいとでも理由を付けて、皇太子と二人っきりになる手筈を整える。
そして皇太子の目の前でミカゲが櫂を攫い、自分は誘拐されたのだと皇太子やお付きに人間にも証言者になってもらうと言う目算であった。
「ですから問題は私と皇太子が密会する場所です。
理想を言うなら山や丘の頂上、或いは崖っぷちなどが理想的なのですが……
しかし、そんな都合の良い場所が果たしてあるのでしょうか?」
「あるわよ」
ミカゲは即答した。
「あるんですか? ど、何処なんです?」
予想外の答えに狼狽する櫂に、ミカゲは皇宮の上に建てられた離宮を指す。
「あそこから南西に移動した所に、ちょっとした霊園があるの。
何でもこの国の始祖の墓があるらしくて、かなり広い場所だけど普段は人も少ないし、あなたが望む崖になっている箇所もあるわ」
「それなら条件は完璧です! うぅ…良かったですミカゲさんにお願いして。
でもどうしてそれを知っているんですか?」
「それはその――あなたを信頼して言うけれど、そこはアタシと飛竜のねぐらなのよ」
「ねぐら……? もしかしてミカゲさん、野宿しているんですか?」
返答代わりに櫂は頬を抓られた。しかもさっきより強めだ。
「わ、分かったから離ひてくらしゃい! ……いやでも、どうしてそんな場所で寝泊まりしているのですか?」
「どうしてって……あのね? 馬みたいに飛竜を預かってくれる宿が、この帝都にどれだけあると思ってるの?」
「少ないのですか?」
「ゼロに決まってるでしょ! はぁ……あなた本当にこの国の人間なの?」
呆れたと言わんばかりのミカゲであったが、櫂からすれば何故自分が責められるのかさっぱり分からない。
「……どれだけ世間知らずなのよ、あなた。
とにかく飛竜のことだけじゃなく東の人間に宿を貸すような物好きは、帝都にはほぼ存在しないの。それだけ覚えておきなさい」
「はい……分かりました」
気になる事は山ほどあったが、これ以上追求して機嫌を損ねては元も子もないので、櫂は口を噤むことにした。
「しかしミカゲさんと飛竜が野……身を潜めていると言う事は、そこは人の目が行き届かない場所なのですか?」
「霊園だから好き好んで近付く人はほぼいないわね。でも、どうやって皇太子をそこまで誘導するの?」
「……そうですね霊園と言うのは逆にアリかもしれないです。
ミカゲさん、もうひとつおねだりしてもいいですか?」
「内容次第よ? 何をするの」
「霊園をざっと見回って、四文字以内の姓を幾つか教えてください。できれば私の姓『たくみ』に近いとなお好都合です」
「四文字以内で、あなたと似た姓? 探せばあると思うけど……何をするつもり?」
どうせろくでもない事だろうと訝しむミカゲに、櫂はご期待通り悪戯をしかける悪童のような笑みを称える。
「記憶がないなら作ってしまおうと言う――悪だくみですよ」