第五章 解決編 第一部
極楽島。
不死鳥館。
聖堂。
大神狼華の首が切断されたのは、八木らが島に訪れてから五日目の零時。五日目に入った直後のことだった。
そして、鮮血に塗れた的羽天窓から目を離すことのできない月熊、漆田、そして八木。
彼らの背後の石造りの巨大な扉が音を立てて開き出したのも、また同時だった。
八木は背後から響くその石同士が擦れる音に、ゆっくりと後ろを振り返った。
この島にいる人間のうち、女性は全員首を切断され、残りの男性はこの場にいる。
ならば扉を開くのは誰だ?
瞳に映る先から現れたのは、死んだはずの女性達だった。
的羽森子が、兎薔薇真美実が、大神狼華が、聖堂へと現れた。
驚きの表情を見せたのは獅子噛、月熊、漆田……しかし、振り向いたことにより背後に位置する的羽天窓の顔は八木には見ることはできなかった。
死体を見つけたのと同様に。いや今は感覚が麻痺してしまったそれとは別の新鮮な驚愕の感情は、彼らを縛った。
「お嬢様……生きているのですか」
その縛りから最初に抜け出したのは漆田だった。大神の首に斧が振り下ろされた時最も近くにいたため、顔面が血で染まっていたが、浮かべる表情は安堵と困惑が入り混じっていた。
「というか、どういうことだ。大神が……二人?」
月熊はさらに困惑を強めていた。生首だけならまだしも、大神は彼の目の前で惨死し、その胴体がそこにある。にも関わらず、別の大神が現れたとあれば、他の女性を見た時より困惑は大きいのも仕方ない。
現れた、死んだはずの三人の女性たち。その内兎薔薇と大神はここからどうすればいいのかわからないといった様子で、一歩前に出ている森子の背を見つめていた。
「ずっと、隠れていて申し訳ありません」
その森子が、八木たちに頭を下げた。
「私たちはこの館に潜む犯人によって、確かに命を狙われました。それを救ってくださったのが、その方です」
森子は顔を上げ、手のひらを聖堂の中心へと向ける。そこには的羽天窓が居たが、後は首を切られた大神の死体しかなかった。
「……森子さん。貴方のお父さんは、今まさに大神さんを殺したんです。救ったとはどういう――」
「お父様ではございません。私たちの命を救ったのは、彼女です」
であれば、大神なのだろうか。森子の言葉の意味を掴みかねていた八木に、彼女は放つ。
それは的羽天窓が大神の首を断ってから何分経った時だったのだろうか。
「彼女の名前は、【鳳凰堂椿】様。この不死鳥館に訪れた宿泊客の中に人間として紛れ込んでいた――」
聖堂の中央に放置されていた死体の断面が、動きを見せる。肩側の断面に見える肉がモコモコと膨らみ始め、傷口を塞いでいく。それが何のための動きかは、安易に想像がついた。
「――不死身の鳥、不死鳥だったのです」
傷が塞がり、しばらくも無いうちに断ち切られた首の先が伸び、風船のように膨らんでいく。
それは不死鳥の復活だった。
「お時間をください。私たちの中に潜む、不死鳥殺しの犯人が分かりました」
※
的羽森子はそう宣言しつつも、胸の中で焦りを感じていた。
聖堂の扉を開ける直前兎薔薇と大神に伝えた、作戦。
それは、【解決編】を行うことだった。
と言っても、森子は探偵でもなければ警察でも無い。推理小説を読むことすら少なかった。けれど、この場合においてはそれでも構わない。
なぜなら森子の行おうとしている解決編とは、言い換えれば【時間稼ぎ】だったのだから。
時間稼ぎ、目標のその時間は一時間。
鳳凰堂椿が目を覚ますまでだ。
彼女が目を覚ませば、彼女によってきっと状況は変わる。彼女ならきっと状況を変えてくれる。問題を鳳凰堂に丸投げするような形ではあるが。
それまでこの場を引き伸ばすことができれば何でもよかった。
「犯人がわかったって、ちょっと待ってください。それよりもまず、貴方たちがどうなっていたのかをちゃんと話してください」
それも最もだ。森子は口を開き、鳳凰堂椿の正体、そして森子たちを如何にして救出したのかを話した。
「不死身……変身……俄には信じ難いですが」
話を聞き終えた八木は言いつつ回復を始めている大神の姿のままの鳳凰堂の死体を見た。今は切り取られた首が、膨らんでいく肉が、今は人としての輪郭を見せていた。明らかに普通の人間の死体には起こり得ない現象だ。
「これを見る限り、信じるしかなさそうですね。つまり、ここで倒れているのは大神さんの姿に変身した鳳凰堂さん。あの供物台に乗せられた大神さんの頭部は、厳密には鳳凰堂さん。これも同じことが過去の事件三回でも起きていた……と」
「その通りです」
「そんなことが、あってたまるか!」獅子噛が大きく吠えた。
「ですが、今森子さんが話した事以外に今のこの状況を説明することはできません。それよりも、犯人がわかったというのはどういう事ですか。事件の裏側にいた貴方たちなら、犯人の姿を見ることができたと?」
「いいえ。私たちの代わりになって鳳凰堂様が殺されていた時、私たちはそれぞれ犯人の姿を見ることができない状況にありました。また、鳳凰堂様におかれましても、犯人の姿は最後まで見ていない様子でした」
「では、森子さん。貴方は誰が犯人だと告発するつもりですか?」
来た。
推理小説をあまり嗜まない森子ですら、たまに思うことがある。長々と推理を披露するくらいなら、まずはビシッと犯人の名前を言えばいいのに、と。
だがこの時作品世界の探偵と似た立場に立った森子は、すぐに告発することのできない理由があった。おそらくそれは、作品世界の探偵とはまた違う理由ではあったが。
「そ、その前に。まず一つ一つ事件を振り返りましょう」
森子が行なっている解決編とは、先に述べた通りいわば時間稼ぎだ。
犯人はお前だ! と告発し、その通りです! と言われ、鳳凰堂が復活を遂げるより先に事件が収束して仕舞えば、鳳凰堂が復活した時、彼女自身が犯人が誰かを知るのが遅れてしまう。森子はそれを恐れていた。それはきっと良くないことに繋がるはずだ。告発を受けた犯人に利用される可能性がある。せめて、復活し意識を回復させた後に犯人を告発しなくては。
とは言えそもそも、森子に分かっているのは事件を表と裏から見てわかることだけだった。
兎薔薇真美実を救出したあの晩、鳳凰堂が復活するまでの時間で考えてはいたが、その果てに誰の名前が浮かぶかまではわからなかった。
その後の昼間に聖堂にてたどり着いた結論も、火災から逃げ惑う中聞いたある一言によって崩壊した。
だから、ここから始まる解決編は、森子にとっては既に走り出した列車のための線路を敷くような物に思えた。
だが、終着駅までの線路に必要な材料は、既に揃っていると確信もしていた。
「振り返る……ですか」
八木は森子の提案に乗った様子で顎に手を当てた。
「いやいや、何言ってんだよお前ら。よく分からねえが、結局死人は出てないんだろ? 犯人とか、結局いないってことじゃねえのか?」
「いえ、月熊様。お嬢様のお話では、確かに命は狙われたとのことでした。つまりこの場には未だに犯人と呼べる人物がいる。そういうことだと思います」
漆田の言葉にようやく状況を飲み込んだのか、月熊は小さく頷いた。
「最初の事件って言ったらあれだろ。まずは一日目の鳳凰堂が殺された事件。それから三日目に的羽の娘が生首となって発見された事件。そして次の日に発見された兎薔薇の事件。後は今日……厳密には昨日……に的羽の野郎が大神を殺した事件……ん? これは全部鳳凰堂が入れ替わっていたんだから……」
何度か首を捻る月熊に、八木は口を挟む。
「ややこしいため、これからは鳳凰堂さんが殺された時の姿に呼び方を統一しましょう。森子さんの姿で殺された時は『森子さんの死体』と言った風に……それから、その中で大神さんの事件だけは除外しましょうか。誰の目にも、犯人は明らかですから」
全員の視線が、的羽天窓へと集中した。既にやることはやったと言わんばかりに、例の薄い微笑みを浮かべている。目の前で不死身が確かに回復をしているというのに、取り乱す様子すらない。
「それから、的羽さんが直接手を下したもの以外にもこの数日間に起きたことはかなり多いです。考えるべき事件を分かりやすくするためにそれぞれ【未完成の密室】、【不完全の密室】、【穴空きの密室】と呼ぶことにしましょう」
「それぞれ、密室という言葉がついていますね」
「はい。まとめると、こうなります」
八木は三つの密室を詳細に語り始めた。
・第一の事件【未完成の密室】
被害者……鳳凰堂椿
現場……鳳凰堂の個室
備考……部屋内側のカードリーダーにはカードの形を思わせる血痕が付着していた。そのことから、犯人は殺害後に内側から鍵をかけようとした可能性が高い。しかし、死体発見後に現場を捜査した際、鍵はかかっていなかった。
・第二の事件【不完全な密室】
被害者……的羽森子
現場……パーティホール
備考……事件が起きたとされる晩、全員が個室に入った後大神狼華が廊下を全て監視していた。その間廊下に現れた人間は全員アリバイがあり、被害者となった的羽森子はベランダから降りたことはわかるが、足跡から的羽森子以外の人間が出たとは考えられない。また、自室にて軟禁されていた的羽天窓については扉を開くと音が鳴る防犯ブザーの仕掛けにより外へと出ていない。このことから個室から外全てが事実上の密室と言える。しかし、この大神の証言自体が嘘の可能性がある。
・第三の事件【穴空きの密室】
被害者……兎薔薇真美実
現場……地下牢、あるいはギロチンの置かれたパーティホールの隠し部屋
備考……縦と横に格子が伸びる鉄格子が兎薔薇を守っていたはずだが、兎薔薇は牢屋の中で殺されたと思わしき血痕が残され、朝には鍵が開かなくなっていた。もし牢屋の中で殺人が行われたならば、その牢屋の鍵がいつどんな理由で開かなくなったのかが論点となる。しかし血液自体なら偽装も可能で、実際は隠し部屋のギロチンを使った可能性も残る。
「ありがとうございます、八木様」
こうして纏められると、始めはでっちあげのはずだったこの解決編も、糸口が見え始める。森子はその糸口を掴む感触を感じながら、とうとう語り始めた。
「では、これから私の考えをお話しさせていただきます」
そして、掴んだ糸口を強く引き始めた。
「この一連の事件は、一つ目と二つ目は犯人による工作が加わっています。しかし、三つ目の事件だけは犯人にも予測がつかなかった事件だと私は思います。
だからこそ、この事件には犯人が残したミスがあるのです。
そのため、まず三つ目の事件から私の考えを話させていただきます。
三つ目の事件、八木様の言う【穴空きの密室】。あれはまさしく、どこまでもイレギュラーの重なった事件でした。蝋燭の火が消えたことからなる、一夜の大騒動。結果として兎薔薇様は騒動の原因として地下牢に閉じ込められ、朝には首を切られた状態で発見されました。
この時、犯人にとってあの大騒動は計画になかったはずです。さらには、地下の存在すら知らなかったと思えます。それについてはまた後ほど。
しかし犯人にとって牢屋はあって無いような物。それはあの脆弱な木札の鍵からわかることでした。隠されていたと言うのも私の父、的羽天窓の部屋です。見つけること自体は容易でしょう。おそらく大した時間もかからずに犯人は木札を見つけて地下へと降りたはずです。
では、この後犯人は木札を持ち牢屋の前に立ち、素直に解錠することはできたのでしょうか。
答えは、いいえです。
牢の扉は、この時からすでに開かなくなっていたからです。
犯人は非常に困ったはずです。木札は合っているはずなのに、扉は開きません。これでは中の兎薔薇様の首を切り落とせない。
そこで犯人は、牢屋の外にいながら中の人間の首を切る方法を思いつきました」
「それは、ピアノ線のことですか」八木が口を挟む。「獅子噛さんも同じ意見のようでしたが」
「いいえ、兎薔薇さんの首の切断に使われた物はピアノ線ではありません。フランヴェルジュです。犯人は牢屋の外からフランヴェルジュを使って兎薔薇さんの首を切り落とし、左下に位置する小さな扉から頭だけを取り出したのです」
「ですから、それは不可能です。あの鉄格子は縦と横に交差していますから、鍵が開かないのでしたらフランヴェルジュを外から差し込んだとしても、縦に振ることも横に振ることもできません」
「ええ、その通りです。ですが犯人はそれを可能にしました。度重なるイレギュラーにより可能にしなくてはならなくなった。そして犯人は最大のミスを犯したのです」
森子は、再び解説へと戻る。
「犯人には、一連の事件でずっと隠していたものがありました。それは、【凶器の本当の形】です。しかし予定外の兎薔薇様の拘束と開かない扉の前に焦った犯人は、フランヴェルジュの本当の形がわかる方法で兎薔薇様の首を切り落とすしかなかった。つまり、それが可能な物こそが、本当の形だったのです。
では一つ一つ考えていきましょう。フランヴェルジュをどのように使えば、牢屋の外から中の人間の首を切れるのか?
まず、縦振り。これは横に伸びる格子が阻むため不可能です。
次に、横振り。これも縦に伸びる格子が阻むため不可能です。
ですが……どちらの方法でも、フランヴェルジュを格子の間に【差し込む】ことは可能ですよね。あの格子の横幅はフランヴェルジュの横幅よりも広かったのですから。
犯人が牢屋の外から中のターゲットの首を切るには、この【差し込む】と言う行動が必要不可欠です。
けれど、差し込んだとしても、首切りにはまだ足りないのです。
そして、その足りないものこそが、凶器の正体でした。
犯人がずっと私たちに隠していたこと、それは……もう一本のフランヴェルジュの存在だったのです。
フランヴェルジュは二本あった。いいえ、そもそもフランヴェルジュではなかった。
あれは……フランヴェルジュを二本組み合わせた【ハサミ】だった。そう考えると、全ての辻褄は合います」
「犯人は最初からハサミを使って首を切っていた。そしてその形状から目を逸らさせるために、分解したフランヴェルジュを事件現場に置いておいた。兎薔薇様の牢屋に赴いた際も二本のフランヴェルジュを合体させ、ハサミとして所持していたはずです。ですが扉が開かず、止むを得ずハサミでしかできない首切りを行う羽目になった。
手順はこうです。まず犯人はロープのような物、例えば血を避けるために用意した布か何かをロープのように伸ばします。そして、片方を絞首刑のロープのように輪にした後、格子の上部から差し込み兎薔薇様の首へと通します。準備を終えた犯人は、布でできたロープを引くことで兎薔薇様の体を吊り上げていきました。やがてある程度の高さまで吊り上げたところで、巨大なハサミを差し込みます。下から上へと見上げるように差し込めば、ハサミの股の部分に首は落ち、ロープに割いた力をハサミへと集中させることもできたはずです。そして犯人はハサミに力を込め、兎薔薇様の首を――切り落とした。犯人は切断された頭部だけを小さな扉から回収し、ハサミを分解。刃の片側だけを手に、現場を後にしたんです。現場に残されていたハサミの片側は、見た人間に犯行はフランヴェルジュが使われた、あるいはフランヴェルジュ以外の物が使われたと思わせるためです」
「いや、ちょっと待て!」月熊が叫んだ。「まだ解決してねえ問題はいくつもあるだろうが。その方法でもあの牢屋には兎薔薇の胴体が残ってる筈だ。犯人は死体も細かく切り刻んだって言うのか?」
「言いません。死体の方は問題ありません。鳳凰堂様は不死身ですから、生き返った時に内側から牢を開いてその足で外に出たのです」
「な、なな、なあっ!?」
月熊が驚愕の表情を浮かべるのも無理はない。しかし、他に考えることはできない。
「だが!」次は獅子噛だ。「牢屋の扉が開かなかった理由にはなっていない! 木札を持っている犯人に開くことができなかった上に、それを持ち去ってしまう以上、生き返ろうがなんだろうが牢屋の中の人間が開くことはもっと不可能だ!」
「不可能ではありません……なぜなら、牢屋の鍵は入れ替わっていたからです」
「い、入れ替わっていただと! そんなはずはない!」
森子は獅子噛の吠え声を聞きながら再び、あの夜の出来事を思い出す。
「あの夜、犯人が牢屋の前に現れる……その【裏】、私と鳳凰堂様は犯人が現れる直前まで兎薔薇様が閉じ込められている牢屋の前にいました。お父様の部屋で見つけた木札を使い兎薔薇様の牢屋を開き、鳳凰堂様は【変身】する。そして私はその間に木札をお父様の部屋へと戻しました。その時、犯人が現れ地下へと潜ってきたことを察知しました。私は急いで鳳凰堂様の元へ戻り事態を告げましたが、当然、既に逃げ場はありません。地下の道は一本道で目の前には牢屋があり、後方には犯人が迫ってきています。
私たちは必死で考えました。逃げる場所も隠れる場所もないあの地下の空間で、犯人の目から逃れる方法を。
その時、私は思い出したのです。ある一つの文献を。
思えば、あの牢屋は何のためのものだったのでしょうか。もし人間があそこに入れられたとするならば、腕を伸ばして鍵に細工ができてしまうかもしれない。ウォード錠などではなく、少なくとも南京錠くらいは使うと思いませんか。ならば、あの牢屋は人間を閉じ込めるためのものではなかったと考えられます。人間以外の何者かのための牢屋だった。
何者か……それは猛獣です。
私と鳳凰堂様は書斎の奥の隠し部屋にて見つけた先祖の遺した文献から、かつてこの島にさまざまな刀剣の類と薬品、それから猛獣が運び込まれたと書かれていました。猛獣……具体的には、【ライオン五頭】。そう考えれば、あの不自然な牢屋にも説明がつきます。ベッドやトイレなど人間のための設備がなかったのは、人間ではなく、そこにライオンを入れるためだったから。鍵が簡素な物だった理由は、人間なら細工が可能でも、ライオンには不可能だから。左下の小さな扉は、ライオンに餌を与えるためのものだった」
「さっきから何の話だ! かつてあの牢にライオンが入っていたとして、それが鍵のすり替えとどう繋がる!」
獅子噛はがなり続ける。しかし森子は小さく「……五頭」と呟いた。
「はぁ? それがどうした」
「ライオンを、五頭……文献にはそう書いてありましたが、これはどう考えてもおかしいですよね。あの狭い牢屋には一頭、ぎゅうぎゅうに詰め込んでも二頭しか入りません。かつて私たちの先祖はあの牢屋にライオンを一頭入れたとして、残りの四頭はどこに保管したのか? あの晩、牢屋と迫り来る犯人に挟まれて私はそんな疑問を抱きました。同時に、この館の隠し部屋は全て、同じ方法で姿を現したことを。
私は思い立ち、兎薔薇さんの閉じ込められた牢屋に手を伸ばし、横に力を込めると……牢屋がスライドしたのです。
そして現れたのは、もう一つの牢屋でした。
ここまで言えばわかると思います……この不死鳥館の地下、そこにはライオンの数に合わせ……牢屋は五つあった。円を描くように、回転するのです。
それに気づいた私たちは行動を開始しました。
ここから先は牢屋と木札の関係をわかりやすくするために、兎薔薇さんの閉じ込められた牢屋は『A』(ラージエー)、それに対応した木札は『a』(スモールエー)。スライドして現れた新しい牢屋は『B』(ラージビー)、対応した木札は『b』(スモールビー)と称します。
まず、私は兎薔薇様のいる牢屋、『A』に入ります。
兎薔薇様に変身した鳳凰堂様は、外から牢屋の格子を掴んでスライドさせ、現れた牢屋『B』の鍵を開けて中に入り、中から腕を伸ばして木札『b』を抜き取り懐に隠し入れました。
これで鍵のかかった牢屋と中にいる兎薔薇様という構図は再現されました。
ですが、たった一つ違うことがありました。
それは犯人にとって予想外の出来事として現れます。
犯人の持つ木札は『a』ですが、目の前の牢屋は『B』なのですから。
扉は開かれなかった。
やむなく、本当の凶器であるハサミが浮き彫りになる方法で、兎薔薇様の首を、牢屋の外から切断した。
そう、あの晩私たち二人の死亡者組によって、牢屋の鍵はすり替えられていたのです。
木札ではなく……鍵そのものが、牢屋ごと」
※
森子は説明を区切った。
それから後は首を切られた鳳凰堂は復活した後、懐の木札『b』を使い、牢屋『B』を解錠。
再びスライドを行い牢屋『A』の森子と兎薔薇を回収した後、床に撒かれた血痕との整合性を合わせるために牢屋『B』へとスライドさせた。この際、『A』の鍵は施錠されないように細工をしていたため、木札『a』が無くとも森子たちは脱出が可能だった。
これがあの夜起きた全て。
【穴空きの密室】は【ハサミ】と【牢屋のスライド】を持ってして解かれたのだった。
「たしかに、筋は通っています」八木が納得するように頷いた。
「異論はありません……ですが。森子さんは最初に言いました、『一連の事件は三つ目から考えるべき』と……それの意味は、まだわかりません」
「はい。実を言うと、この【穴空きの密室】の真相がわかった時点で、私には全ての事件が如何にして行われたか、と言うことが判明しておりました。この【穴空きの密室】で起きたことこそが他二つの事件を紐解く鍵だったんです」
「……詳しく、お聞かせください」
「逆から辿る三つの密室の後ろから二つ目、八木様が【不完全な密室】と呼んだ私の事件です。この密室を構成するのは【時間】と【監視】です。
時間だけで考えれば監視していた大神様の証言から可能だった人間は月熊様と八木様。ですが二人とも首を切ることのできる時間はなかった。
監視だけで考えれば全員に犯行は不可能ですが、たった一人大神さんだけは自由に動けていた。しかし発言の信憑性は高く、あり得ないとまでは言い切れないものの、可能性は低いと言われていた。
ですが、こう考えることはできませんか?
フランヴェルジュが元々二本あったと考えられるように、殺した人間と首を切った人間は別だった。つまり、【犯人には協力者がいた】と考えれば、犯行は可能だったのです」
「きょ、協力者だと!」獅子噛は再び吠え、「そんなものいるわけが……」と続けようとしたが、ある一人に目を向けたところで言葉は止まった。
「お、お前、まさか……」
森子は黙って続ける。
「犯人は元々協力者から申し出を受けていました。そこで犯人たちは、短くある約束をしたんです。それは【時間】。二人は遠隔で行動するためにそれぞれ私を殺害する時刻と首を切る時刻を示し合わせておいたんです。
時間が来て犯人は一階のパーティホールに呼び出した私の前に現れ、私を殺害。厳密には、私に変身した鳳凰堂様を、ですが。
そして犯人は一度パーティホールから出て、中央ホールに隠されていたあるものを手に取ります。
それは、【一端を輪にしたピアノ線】です。
犯人は中央ホールに隠されたそれを取り、パーティホールへと戻り、死んだ鳳凰堂様の首にかけました。犯人はその後、首を切らずに戻ったんです。
さて、ここから先は協力者の出番です。
協力者は私の首にかかったピアノ線がつながった機械を動かします。その力で私の首は切り取られたんです」
「ピアノ線が中央ホールに隠されていた?」八木は首を傾げる。「それはいつで、どこのことですか」
「それは廊下です」森子は聖堂の扉に指を向ける。「この聖堂につながる廊下には明かりがなく、夜になるとひどく暗くなります。廊下の隅に這わせるようにしてピアノ線を隠せば、見つかる可能性は低くなります」
「そういえば、あの夜……」獅子噛が一人を睨みつけながら低く唸る。「お前、夕食の時間に遅れてこなかったか? 仕事があるとか言って! あの時、お前にはピアノ線を隠す時間があったはずだ!」その人物は何も答えない。
「しかし、お嬢様」漆田が先へ進める。『機械を使った』とは言いますが、その話はあの晩に出ました」漆田が考える時の癖だろうか、口髭をいじりながら森子に問う。
「ですが、それは車を使ったという結論だったはずです。車を使うには再び、足跡と監視の問題に行き当たります」
「そうですね、漆田。ですが協力者が使ったものは車なんかではなかったのです」
どよめきが起きる一同に、森子は続ける。
「車が使われなかったという証拠、それは私です。
あの時、私は鳳凰堂様が殺され首を切られている最中、ずっとステージ上の演説台に隠れていました。その時私は一度も、車のエンジン音を聞いていません。防音加工のされた客室ならばともかく、防音ではなく、距離的にもガレージのすぐ近くのあの場所で、車のエンジン音を聞き逃したと言うことは絶対にありません。
つまり、協力者は車を使わずに私の首を切り落とした。具体的に言えば、車以外の機械を使って、ピアノ線を引いたんです。
その別の機械……その正体に気づいたのは、三つ目の事件、【穴空きの密室】が終わった後でした。
今一度、あの牢屋について考え直してみましょう。
あの牢屋はライオンを入れておくものだった。
管理するライオンを変える際は、牢屋の格子に手をかけ、横にスライドさせる。
それって、どう考えてもおかしいですよね。
牙や爪を持つライオンの入った牢屋の格子を……手で掴むだなんて。
どう考えても危険すぎます。
であれば、あの牢屋は本当はどういう理屈で動くものなのか?
あの牢屋は本当はどういう動きをするものなのか?
あの牢屋の中で、私は考えました。
そしてそれは、【不完全な密室】における協力者が使ったトリックと直接的につながっていたんです。
普通、触ると危険なものを動かしたいと思った時、どうしますか? 私ならば、直接触らずに動くように作ります。
例えば……ハンドルを使って遠くから動かす、など。
正に本来あの牢屋も、元はハンドルによって回転するものだった。
そしてそのハンドルはどこにあるのか」
森子は小さな動きで手を動かし、すぐそばにあったものに添えた。
「これです」
それは、今も大神の生首から血が滴る、【供物台】だった。
森子が手に力を込めると、あっけなく下の円形の台座ごと動き出した。それこそ牢屋をスライドさせた時以上に軽く、回転を始める。
「これ……回転するんです。おそらく、この聖堂の真下にあの牢屋があるのでしょう。このハンドルを回すことで、地下の牢屋が回転する仕組みになっていたんです。
協力者はこれを利用したんです。示し合わせた時刻になると、協力者は地下の道を通り、牢屋の前へと辿り着きます。そして空の牢屋を回転させた。同時に、真上のハンドルは連動をはじめ回転します。そのハンドルには……ピアノ線が巻かれていたんです。
首を切るための輪の反対、元は一本の長いピアノ線の反対は、車ではなくこの聖堂のハンドルに繋がっていたんです。
回転するハンドルはピアノ線を巻き取り、引いていく。
例えば、引き出され伸びていた高圧洗浄機のホースを収納する際、ハンドルを回して巻き取っていくかのように……。
さて、これを使って私に変身していた鳳凰堂様の首を切った協力者は……こんな説明をせずとも皆さんお分かりですね」
その場の全員の目が、一人に集中していた。
「貴方です。的羽天窓……私の、お父様」
「僕かい? どうしてそうなるのかな。僕の部屋にはカードキーさえあれば誰でも入れたはずだよ」
「惚けないでください、お父様。貴方はあの日、ずっと自分の部屋に監禁されていたはずです。防犯ブザーの鍵によって。【穴空きの密室】において、お父様が自ら兎薔薇様の監禁に地下牢を明かしたのは、牢屋が動くギミックを見抜かれることがお父様にとっても予想外だったからです。それさえなければ、【不完全な密室】においてどれだけ推理を重ねても、車を使ったと言う偽の事実が現れたはずですから。もし車を使ったという間違った答えに行き着いてしまった場合、お父様は疑惑から完全に逃れることができるのです」
的羽天窓は娘からの詰問をすら微笑みで受け流す。
「牢屋を回転させることでハンドルに結ばれたピアノ線が私の首を切り取った……それは、この供物台に残された横に伸びる傷跡も示しています。さらに言えば、短く切断されたピアノ線。あれは等間隔に切られていましたが、犯人がピアノ線を回収する際、ピアノ線がこの供物台に巻き付けられていたことを示すのです。犯人は、巻き付いたままのピアノ線を、隠し持っていたペンチでまとめて同時に切った。そのため、ピアノ線は等間隔に分断されていたのです」
「だが、生首はパーティホールから中央ホールまで移動しているんだぞ。犯人は殺しただけで首を切ったのは的羽。だが的羽は部屋の外へは出ていないはずだ。移動させた協力者ももう一人いたというのか?」
「いいえ、協力者であるお父様は首を切断したあと、同じように牢屋を回してハンドルを回転させることで、同時に生首も移動させたのです。それを示すのはピアノ線の【輪になった一端】。そしてもう一つ、【血まみれの一端】です。結論から言えば、輪は一端に二つあったのです。一つは私の首を切断するため。もう一つは私の首を移動させるための輪です。犯人は私の首に輪をかける際、ピアノ線を伸ばした状態で短い方を首へ、長さに余裕のある方を口へとかけた。こうしてピアノ線が巻き取られると、まず首が切断され、そして口にかけられた輪によって引きずられることになります」
「あり得る話ですが、それでは口元に傷が残りますし、何より首は中央ホールではなく、この聖堂まで移動してしまうのではありませんか?」
「それについても考えはあります。犯人は輪を口にかける際、傷を防ぐためにタオルかハンカチのようなものを挟んでおいたのでは無いでしょうか。そして口にかけられた方の輪は、首にかけたものより緩く造られていた。そのため生首が移動する内に輪は自然に解け、一本に伸びて聖堂へと戻っていく……これが、あの晩に起きた全てなのです」
①
②
③
④
森子は語りきり、思わず上がっていた息を整えた。
「僕の娘は、いつの間にこんなに成長したのかな。見違えるようだ」
「私を見たことなど、一度もなかったでしょう?」
「それもそうだね。でも森子、君の口ぶりだと僕はあくまで【協力者】で、【犯人】じゃなさそうだ。君は一体、誰を犯人だと考えているんだい?」
森子は聖堂の中心に倒れる大神狼華に化けた鳳凰堂を見る。まだその目は開かない。
少しずつ焦りが募る。
語るべき推理は半分を過ぎていた。このまま話し続ければ、あの事実に行き着くことになるだろう。
最悪、鳳凰堂が目を覚ましたその時がその事実を語っている最中かもしれない。
早く目を覚まして。森子は心の中で祈ったが、それは届かない。
「どうしたのかな? 森子。お父さんに聞かせてほしいな。君は一体、誰が犯人だと思っているんだい」
「それを、お話しする前に……第一の殺人、【未完成な密室】についてお話ししたいと思います」
森子は進み続ける。その先に待つのは、きっと悲しい別れだとわかっていても。
「鳳凰堂様が、鳳凰堂様として殺された第一の殺人。それが発覚した夜に八木様、大神様、漆田と私は鳳凰堂様の部屋に捜査に向かいました。そこで私たちが見たものは、ベッドを起点として床一面に広がる血の海、そこから一歩分の足跡、放置されたフランヴェルジュ、そして血のついたカードリーダーです。
このフランヴェルジュは当然ながら、元は二本あり、ハサミの形をしていたという真実から目を逸らすためのブラフだったのです。
現に私はあの夜から疑問に思っていたことがあるのです。それは、ベッド付近の絨毯に傷が無かったことです。犯人が鳳凰堂様の体をベッドに横たえ、首から先だけを外に出して切断したことは血の広がり方から見ても間違いありません。しかし、もしもフランヴェルジュ一本で刀剣として振るったならば、その切っ先が絨毯を傷つけてもおかしくないのではないのでしょうか。それなのにベッド付近の絨毯に傷はありませんでした。
ですがハサミとして使ったならば、絨毯に傷はつきません。よって、【未完成な密室】で起きた首切りもまた、凶器はフランヴェルジュを二本使ったハサミだったはずです。
そして私たちはあの夜、あの部屋で。
突拍子もない結論が一瞬浮上したことを覚えているでしょうか。
それは、血溜まりの外に存在する、一歩分の足跡から【被害者は生き返り、自分の足で密室を開けて出たのではないか】という結論を」
「まさか!」八木は声を上げた。
「被害者の鳳凰堂さんは不死身だった。ならばあの仮説は本当だったということですか!」
「……私は、鳳凰堂様に命を救われ、行動を共にした時……尋ねてみました。すると、鳳凰堂様はこう言いました。『確かに私は目を覚ましてすぐに自分が殺され、お前達の動揺する声を聞いて生首が全員に発見されたことを知ると内側から扉を開けて出た。部屋の中にはフランヴェルジュが置かれていたのを覚えている』と」
「それは……決定的じゃないですか」
八木はこめかみを抑える。
「密室は完成した。しかし中の死体が生き返って、開けて出てしまっただなんて……」
そんな呟きを耳に入れつつ、森子は続きを話し出す。
「犯人が密室を作ったとしても、中の人間が生き返って開けて出てしまった。そう考えれば、あの状況は確かに成立します。血のついたカードリーダーは、鳳凰堂様が出た際に付着したもの。そう考えることもできますから。
こうして、一連の事件を振り返ることは出来ました。
では、一体誰に犯行が可能だったのでしょうか。一つ一つ絞り込んでいきましょう。
まず、大神様を殺した犯人は私の父、的羽天窓です。
次に、兎薔薇様を殺した可能性がある人物は絞り込むことはできません。
次に、私……的羽森子を殺した可能性がある人は、三人です。大神様、八木様、そして月熊様。大神様は監視をしていましたが、だからこそ人目のないタイミングを見ることができたかもしれませんから。月熊様、八木様はその夜に部屋の外へと出ています。
そして最後に、鳳凰堂椿様を殺すことができた人物……それは、アリバイから割り出すことができます」
「アリバイ……それはあの晩に作成した?」
生きている方、不死身ではない方、本物の方の大神が尋ね、森子は頷いて返す。
「まず、ここで不死身である鳳凰堂様の不死性についてのルールをお話しします。それは【死後、鳳凰堂様の体は五分後に再生が始まり、意識の回復までには一時間かかる】というもの。これは信頼性の高いものだそうです。
それを踏まえて考えると、鳳凰堂様はいつ殺されたのでしょうか。
先ほども言った通り、鳳凰堂様は私たちが生首を発見したことを意識が覚醒してすぐに私たちの声を聞いて知ったと言っていました。
つまり、私たちが生首を発見した時、鳳凰堂様は生き返りを果たしていた。
よって、犯行時刻は一時間前となります」
その場の死んでいる鳳凰堂以外の全員が、あのアリバイ表を思い出していた。
「二十三時にアリバイが無く、被害者でもない人物は、私と月熊くん。それから大神くんだ。大神くんにはまだ、最後に自らの命を差し出す形で犯行に及んだ可能性があるからな」獅子噛は後ろ手に拘束されたまま、呻くように言う。
「だけど、大神に至っては一日目は丸々アリバイがねえんだ。お前は大神が犯人だって言うのか?」
「森子お嬢様、獅子噛様の考えもあり得る可能性でございます。大神様が犯人になることはあり得るのでしょうか」
漆田が手を挙げた。
「その大神様は現に、旦那様に首を断ち切られていますが……」
「確かに獅子噛様のいうとおり、大神様が犯人だという可能性はあります。こうしてお父様に首を切られるところまでが計画だったかもしれませんから」
「だったら!」
月熊の声にも森子は臆さず「ですが」と告げる。
「大神様は、除外できるんです。なぜなら……」森子は息を吸い、言った。
「大神様こそが、本来第二の殺人で殺されるはずだった人物なのですから」
分担作業、供物台の回転、ピアノ線の巻き取り、それによるステージの上からの遠隔断首。
【不完全な密室】と呼ばれるあの事件は、しかし事実として森子が被害に遭ったはずだった。
「大神さんが……第二の殺人で?」
「はい、大神様が第二のターゲットであり、本来死ぬはずだったならば、それ以降は犯人として動くことは不可能です」
森子はポケットに手を入れると、一枚の紙片を取り出した。
「証拠はこれです」
【犯人ノ正体ヲ知リタケレバ
ダレニモ見ツカラズニ
二十ニ時にパーティホール】
「このメモは私の前に現れたものです。私はこれを見て、二日目の夜にパーティホールへと向かい、殺されそうになりました」
「それが、どうして大神さんが第二の被害者になると?」
「問題は、このメモ用紙が犯人によって本来のターゲットである大神様の目につく場所に設置された後、大神様が発見する前に手に取った第三者がいたことです」
語り出す森子の手の中の紙片が、少し湿った。
「鳳凰堂様の生首が見つかった次の日、お父様である的羽天窓が最も怪しいとされ、お父様は自室に監禁されました。その際、設置された防犯ブザーの音を聞くため、大神様はドアの隙間を開けることをみなさんに伝えました。
ですが、伝えなかったこともありましたよね。
それは、部屋の交換です。
大神様は寝ずの番をすると言って、私に廊下を見通せるように部屋の交換を申し出てきました。
その部屋の交換があった上で私の手元にメモ用紙が届いた以上、その経緯のある一点を考えればメモ用紙を作成した犯人は、部屋の入れ替えを知っていたことになります。
その点とは、犯人がメモ用紙を本来のターゲットである大神様の目の届く場所に置いた後、別の人物が拾ったという点です」
「別の、人物……? その人物がメモ用紙を拾ったからこそ、大神さんの目の届く位置に置かれていたはずのメモ用紙は、森子さんの前におかれることになった、というのですか?」
「その通りです。その人物の行動は、犯人にも予想外だったはず。その人物は大神様の部屋の前に現れ、メモ用紙を発見し拾った後、文面を加工して再び差し出し人の目の届くところに置こうとした。ですがその人物は知らなかったのです。私と大神様の間で部屋の交換が行われていたことを。
メモ用紙が置かれた大神様の部屋は、その直前は私の部屋でした。そのため、その人物はメモ用紙の宛先が私、的羽森子だと勘違いしたのです。
かくしてメモ用紙は私の元に現れることになりました」
「その人物というのは、部屋の交換を知らなかった人物ですよね? 知っていた僕ら以外の方に、メモ用紙を手に取った後黙って置き直す理由がある人など居ないように思えますが。怪しい文面のメモ用紙を見つければ、他の人に知らせたりするものかと思います」
「一人だけ、部屋の交換を知らず、かつ他の人に知らせることのできない事情を持った方が、この中にいるではありませんか。それは、その時すでに殺されていた鳳凰堂椿様です。鳳凰堂様は入れ替えられた部屋の前に置かれたメモ用紙を手に取り、次のターゲットを私だと誤認されたのです。しかし鳳凰堂様は既に死んでいると思われているため、人前に出ることはできず、こっそりと改めて私の目の届く場所へ置いた……それが、メモ用紙の動きの真相だったのです。よって、本来第二のターゲットだったはずの大神様は容疑者から外れます」
「では、第一の殺人でのアリバイから、犯人は大神さんか月熊さんの二人。ですが、本来ならば大神さんが第二の殺人のターゲットだったということで除外されるならば、残るは……」
八木は視線を向けた。
そこには、両腕に包帯を巻いた、大男が一人。
「そうです、残る一人は【月熊大和】様……貴方様です」
※
月熊大和は、驚愕の顔で立ち尽くしていた。
「お、俺……?」
「第一の殺人にて、死体発見は【零時ちょうど】。不死身の鳳凰堂さんが僕らの動揺の声を復活後、目が覚めてすぐに聞いたとあれば、不死者のルールに基づき、逆算すると殺害時刻は【二十三時ちょうど】……その時に、第二の殺人で廊下に出ていて、かつ第一の殺人でアリバイが無いのは月熊さんと大神さん。その中で、大神さんはメモ帳の移動の件から本来は大神さんが二番目に殺されるはずだということがわかり、除外される……なるほど、確かに月熊さんにしか犯行は不可能ですね」
八木は森子の推理を整理する。月熊はそれを聞き、顔が青ざめていく。
「森子さん、貴方はこの事実にいつ気がついたんですか?」
八木の問いに、森子は顔を伏せて呟く。
「……大まかな道筋に思い至ったのは、兎薔薇様に変身した鳳凰堂様が殺されている際の隣の牢屋にて、です」
素晴らしい。八木は内心森子をそう評価した。
森子はこの一連の事件の裏と表を知っていたとはいえ、目の前で起こったすべての出来事から推理し、こうして月熊という名前に行き当たったのだ。
願ってもいない探偵役に、八木は拍手を送りたい思いだった。これで、島から本土へ帰ることができる。
「そこで探偵である八木様に最後にお聞きしたいことがあります。これまでの話の中で、月熊様が犯人であることに矛盾はないでしょうか」
「ありません。森子さん、確かに貴方の言った通り、犯人は月熊さんで間違いありません」
八木が興奮気味に告げた時、森子はようやく伏せていた顔を上げた。
しかしそこにあったのは、事件終了の安堵の笑みなどではなく――。
「それを本気で言っているのであれば、貴方様は……探偵失格です」
怒りに似た表情だった。
※
目の前に対峙する八木黒彦は、森子に虚を突かれた顔をしていた。
「どういう意味ですか? 森子さん……僕が探偵失格とは。確かに犯人を特定することは僕にはできませんでしたが、だからと言って――」
「八木様、先程自分がおっしゃられたことを思い出してください」
「は?」
八木の言葉を遮り、森子は尋ねる。
「鳳凰堂様はいつ、私たちの動揺の声を聞いたというのですか?」
「それは、目を覚ましてすぐだと……森子さん、あなたが言ったことですよ」
「そう、目を覚ましてすぐ……私も確かに言いました。これほど大きな矛盾を探偵でもある八木様はなぜ見逃すのですか? この館の個室は全室……完全防音だというのに」
その一言で、八木の表情が一変した。
だが、そんな二人を見守る面々は困惑の表情を浮かべていた。
「ちょっと待って、よく考えたら変じゃない?」
兎薔薇が尋ねる。
「そこの鳳凰堂さんが目を覚ましたのは殺害現場だったんでしょ? 目が覚めてすぐに声を聞いて、それから部屋に転がるフランヴェルジュを見たって。つまり目を覚ましたのは殺害現場である鳳凰堂さんの部屋でしょう? それなのに、目を覚ましてすぐってことは……完全防音の個室の扉を開けるより前に私たちの声を聞いた?」
それは確かに、あまりに大きな矛盾だった。
「私はこの話を、少し前に兎薔薇様と共に聴きました。その時はつい何もおかしいと思いませんでしたが、よく考えると、絶対にあり得ない状況です。しかし鳳凰堂様はハッキリと話されており、思い違いをしている様子はありませんでした。では、間違えているのは……私たちの方だったのです」
「何を、言うつもりですか? 森子さん」
聖堂の中央で対峙する八木は、少しずつ狼狽しているように見てとれた。
それを見て、森子は自分の至った推理の果てが、正しいと確信することができた。
「私たちはずっと勘違いしていたのです。鳳凰堂様が目を覚ましたのは、殺害現場となった個室ではなかった」
「お嬢様、お待ちください」
漆田が口髭に手を当てて考えながら尋ねる。
「お嬢様の話によると、鳳凰堂様もまた、目が覚めた部屋で殺害されたと仰った口ぶりです。殺害が行われたのは血の量から、確実に鳳凰堂様の部屋のはずですが」
「漆田。鳳凰堂様は自分が目覚めた部屋で殺されたことを、どうやって知ったと言いましたか?」
「それは……近くにフランヴェルジュが落ちていたから……なるほど、そう言うことでしたか」
一人納得する漆田に、噛み付いたのはずっと黙っていた獅子噛だ。
「おかしいだろう! フランヴェルジュが落ちていたのは個室だ! それを見たからこそ、鳳凰堂くんはそう証言したんじゃないのかね!」
「フランヴェルジュは、二本ありました。それはもうお話ししました」
ハッキリとした口調で諌めた森子は、続きを話す。
「フランヴェルジュは、二本あった。それを踏まえて考えると、この勘違いにも理由がつけられます。
第一の殺人において、私たち【生存者組】は血の量とフランヴェルジュから、殺害現場は鳳凰堂様の個室だと認識させられていました。
一方で、鳳凰堂様もまた、自分が死んだという事実と、傍に置かれたフランヴェルジュから、自分が目を覚ました部屋が殺害現場だと認識したのです。
二本のフランヴェルジュは同時に別の部屋に置かれることで、【生存者組】と【死亡者組】の両方に、認識の齟齬を引き起こしたのです」
「でも、それがなんだって言うの?」首を傾げたのは兎薔薇だ。「犯人が首を切ったことで個室に血が撒き散らされた。その後で胴体の方も抱えて別の部屋に運んだだけじゃない?」
「兎薔薇さん、それはありえないと思います」
「へえ、アンタはなんでそんなこと言えんの?」
口を挟んできた大神に兎薔薇は睨みを効かせる。それを意に介さず、大神は兎薔薇の説に反論を始めた。
「単純に、首を切ってから運ぶのであれば胴体と頭部の二つに荷物が増えます。それから、頭部の方は何かで包むことができたとしても、数分で流れ切ったとは思えない血液が胴体の方の断面から流れ、廊下を汚す危険性があります。余程の理由がない限りは、そんなことはしません」
「なら、首を切る前に別の部屋に運んだんでしょ。そんで、別の部屋で首を切った」
「それですと、個室側の血の量に説明がつきません」
「あー! だったらなんだってのよ! 文句があるならアンタは分かるっての!?」
明確な答えは持っていなかったらしい。口をつぐんでしまった大神に、森子が答えた。
「首を切ったのは個室、しかし鳳凰堂様が目を覚ましたのは別室。この移動の際、頭部は包むことはできても胴体の方は断面から流れる血で辺りを汚さずに運ぶのは難しいと思います。ですが……今回の事件においては、それは簡単なことだったのです。なぜなら、胴体の方から血は流れなかったのですから」
視線が集まる中、森子はいよいよ大詰めに入る。
自分が次に口にする言葉は、この聖堂の扉を開くまでは考えもしなかったことだ。
突拍子もなさすぎて、頭に浮かべることもなかった言葉。
だが、鳳凰堂は個室で殺された後、個室ではない別の部屋で目を覚ましている。
ならば当然、鳳凰堂は死んでいる間に犯人によって運ばれたはずだ。
その際、胴体から血は流れなかった。
だとすれば、一連の事件全てをひっくり返す森子の説は、確たるものとなる。
同時に、犯人像が大きく歪むものだ。
犯人はトラブルすら利用する狡猾さを持つことになる。
森子は自分の発言が重大な意味を持つと知りながら、それを放った。
「犯人は、傷が塞がることで血が止まり、流れなくなってから、胴体を運んだんです。
しかし当然、胴体から流れる血は数分では止まりません。
ですが、被害者は鳳凰堂椿様。
彼女の正体、それは不死身であること。
その不死性のルールに、【死後、鳳凰堂様の体は五分後に再生が始まる】というものがあります。
であれば、当然……【鳳凰堂様の胴体側の断面は、回復が始まる五分から少し経った後で塞がった】のです。
犯人は死体が回復し、血が止まってから運んだ。
つまり、犯人は。
鳳凰堂様が不死身であることを、知っていた。
そうとしか、考えられません」
聖堂内から、一瞬音が消えた。
犯人は鳳凰堂が不死身だと知っていた。それは今までの前提を覆す説だったが、犯人が切断した頭部と同時に胴体も運んだという話には説得力を持たせるものだった。
「は、犯人が……殺した相手が不死身だって知ってたって……い、いつの話よ! まさかこの島に来る前じゃないわよね?」
「犯人がいつ鳳凰堂様が不死身であることに気がついたか。それも、察しがついております。犯人が、自分が殺害した人物が不死身だと気づいたタイミングは、【未完成の密室】とも呼ばれる所以である……血のついたカードリーダーが示しています。犯人の計画は、個室にて鳳凰堂様を殺害、斬首、密室にした後に頭部を聖堂に置くはずでした。
ですが、首を切った後でトラブルが起きたのでしょう。密室を作る時間が、想定より長引いてしまったのです。少なくとも、五分はかかってしまった。この時にカードリーダーに血が付着したはずです。
そして犯人は見てしまった。鳳凰堂様の切断したはずの頭部が再生する瞬間を。
犯人は相当焦ったはずです。目の前で信じられない出来事が起きているのですから。
しかし犯人の恐ろしいところは、鳳凰堂様が不死身であったとわかったその瞬間、冷静に状況を判断したであろうことです」
「不死身だとわかった時、冷静だった……なぜそんなことがわかる?」
「獅子噛様、貴方様ならもし自分が殺した人間の傷が塞がっていったらどうしますか? それも、これから連続殺人を犯そうとしているのに、最初に殺した人間が不死身だったとしたら」
ぐむう、と唸り声をあげる獅子噛。
「考え付くわけがない。私はそんな状況になっていないのだから」
「普通はそうです。ですが犯人は不運なことに、『そんな状況』になったのです」
「だったら……その人物の目が覚める前に、どこかへと監禁する……そうか、だから死体は移動させられたのか! だが待てよ……その割には、鳳凰堂くんはかなりあっさり外へと出ているぞ? 目覚めた時の部屋に鍵がかかっていたと言う話も無いはずだ」
「犯人の恐ろしいところは、そこにあります。
あの、密室にしようとした痕跡はあるのに鍵がかかっていなかった、【未完成な密室】は、中で生き返った被害者が、鍵を開けて外へ出たのではなかった。
鳳凰堂様の回復を見た犯人によって、【中止された密室】だったのです。
それも当然でしょう。中にいる人間が生き返るならば、密室など作る理由がなくなってしまうのですから。
しかし、それでは後から部屋に入ってくる生存者組に死体の移動に気づかれてしまう。
そこで、犯人は死体を抱え上げ、【一歩分の足跡】をスタンプしたのです。
あたかもこの部屋が密室だった、死体は自らの足で出て行ったと、明らかにありえないとわかる仮説を思い付かせ、不可思議性を増させるために」
「んん……言いたいことはわかったけどよ、犯人がそこまでして鳳凰堂の死体を動かしたかった理由はなんなんだ? 密室を中止したところで、血まみれの部屋に鳳凰堂を放置することだってできたはずだろ? 犯人は移動させた先でも、フランヴェルジュを置くことで、鳳凰堂に自分は殺されたってことを示してるわけだし」
「では、月熊様にも獅子噛様と同じ質問をします。貴方様が犯人だったとして、もし自分が殺した相手が不死身だったらどうしますか?」
「どうって言われても……」
月熊は顎に手を当て、首を捻る。
「具体的に言えば、不死身だとわかった相手を放置して、貴方は自分の部屋へと戻ることができますか?」
その問いに対してはすぐに思い至ったようで、捻ったばかりの首を今度は横に振る。
「いやいやいや、無理に決まってんだろ。生き返ったそいつがどんな動きをするのかわかんねえんだから。姿を見られてたら自分の名前を叫ばれちまうわけだし。口封じのために、例えばどこかに閉じ込めておくとか……」
「しかし鳳凰堂様は閉じ込められてはいませんでした」
「だったらせめて……これからどんな動きをするのかくらいは知ろうとするな。もしかしたらそいつは不死身であることを隠していて、生き返った後みんなの前に姿を現さないかもしれないわけだし」
月熊の答えに、「そうです」と頷いた。
「犯人もまた、そう考えたはずです」
「犯人は生き返った鳳凰堂様が今後どのように動くかを知りたかった。
具体的には、【自分が死んだとわかった時、鳳凰堂様は全員の前に姿を表すのか? それとも、不死性が発覚することを避けて身を隠すのか?】。
ですが、いつ意識を取り戻し、外へと出るかもわからない鳳凰堂様を殺害現場である個室に置いたままというのも難しい。
さらに別の場所に移動させた上で、鳳凰堂様に自分は死んだと自覚させる必要がありました。目を覚ました部屋にて、傍に置かれたフランヴェルジュもそのためでしょう。
しかしこの条件を確実にクリアするため、犯人はある場所を選んだのです。
その場所は、確実に『自分は殺されたのだ』とわかる場所。
そして、鳳凰堂様に今後の動きを考えさせられる場所。
それは、あそこです」
森子はただ一点に指を差した。そこは聖堂に存在する扉……廊下へとつながる扉では無い、もう一方。
「この聖堂の、倉庫……ですか?」
「そうです。あそこならば、目を覚まして部屋を出たとしても……フランヴェルジュを見てもそれで殺されたとわからなくても……絶対に『自分は死んだ』とわかるのです。なぜなら、扉を出てすぐに、自分の生首があるのですから。実際には鳳凰堂様は、自分は殺されたのだと目が覚めてすぐに気づいたようですが。とはいえ自分の死を自覚した鳳凰堂様がもし不死性を隠すために動くのならば、身を隠したままでしょう。それにより犯人は鳳凰堂様の動向を察知しようとしたのです」
「もし、というならば……もし身を隠さなかった場合はどうなると思うんですか?」
「その場合は、犯人は不死身という非現実的な事象を盾に取り、知らぬふりをしていたはずです。その間にその後の犯行計画を見直すだけでしょう」
「じゃあ、私たちがこの部屋で生首を見つけた時、鳳凰堂さんは目を覚ましてその倉庫にいたってこと!?」
叫ぶ兎薔薇に、森子は頷いた。
「でも……だとしても、犯人は月熊さんということになりませんか?」大神が尋ねる。「その一連の行動は、月熊さんが行ったとしても成り立つはずです」
「いいえ、成り立たないのです。大神様にも同じ質問をさせていただきます。貴方様が犯人だったとして、もし自分が殺した相手が不死身だったらどうしますか? 不死身だと知り、生き返った後どう動くかを知るために死体まで移動させて、その後すぐに部屋へと戻ることはできますか? 鳳凰堂様が不死身であると知ってからそこまでのことをした貴方は、他に知りたいことは無いでしょうか」
言われて大神は自分に問いかける。他に知りたいことはないのか?
「ひとつだけ、あります」
「それはなんでしょう」
「鳳凰堂様が……【死んでからいつ目が覚めるか】、です。それを知らなくては、結局自分がどう動くかを決めることはできません。最悪、目が覚める前に誰かが生き返る前の死体を見つけてしまうかもしれませんから」
大神の答えを受け、森子は続きを話す。
「その通りです。犯人もまた、それを知りたかった。知るために行動したはずです。それこそは……月熊様が犯人でない根拠となります。犯人は当初、鳳凰堂様が不死身であると知らなかった。ならば【殺されてから一時間後に目が覚める】、というルールも知らなかった。それを知らなくてはいけなかった。そのため、犯人は知ろうとしたはずです。【鳳凰堂様が目を覚ます時間】を。その方法はあまりにも簡単です。犯人はただ単に……鳳凰堂様が目を覚ますその瞬間をその目で見て測ればいいのですから」
「お嬢様。それでは結局、目を覚ました鳳凰堂様に犯人は姿を見られてしまうのでは? 目が覚めたと気づいたところで倉庫から逃げ出したとしても、姿を見られてしまう可能性が高いです」
漆田の指摘も予測していたかのように森子は受け止める。
「鳳凰堂様は生き返ってからいきなり目を開いた訳でもないでしょう。ある程度目を開く前に動きがあったはずです。呼吸が再開されたことを察知するくらいならば、口元に手を当てるだけで済みます」
「そうだとしても、数秒の差のように思えます」
「実際に犯人はその数秒で、ある行動を起こしたのでしょう。そしてそれは、月熊様による犯行が不可能であり、鳳凰堂様が、自分がこの部屋で殺されたのだと確信する最後の一押しだったことを示しています」
「もったいぶらずに早く言ってくれよ!」
月熊が焦れた声をあげ、森子はその答えを告げた。
「鳳凰堂様が犯人によって命を絶たれ、五分後に欠損部位の再生が始まります。それから五十五分かけて体を修復すると、息を吹き返す。それを確認して鳳凰堂様はちょうど一時間で復活すると計測した犯人は、鳳凰堂様が目を開く直前……。
もう一度、鳳凰堂様を殺したのです。
おそらくは鳳凰堂様を最初に殺したナイフを使ったはずです。あるいは、持ち込んだフランヴェルジュの片方かもしれません。
そして、生き返りにかかる時間をリセットした。
こうして復活の時間を一時間遅らせることができれば、犯人は鳳凰堂様に見つかることなく悠々と知りたい情報を知って逃げることができます。
そう、あの晩、鳳凰堂様は……自分でも知らないうちに、二回殺されていたのです。
私たち、そしてあの時殺された第一の被害者、鳳凰堂椿様が陥っていた勘違い。
それは、第一の事件において、殺害現場は二つだったこと。
であれば、第一の殺人は大きく姿を変えます。
鳳凰堂様の『目が覚めたとき、生首発見の声を聞いた』という証言から、最終的な生き返りは【零時ちょうど】で間違いありません。
そして、首切りが発生した時間は【二十三時】だと、思われていました。
しかし、間に殺人がもう一回あったならば、犯人によって鳳凰堂様が最初に殺された時刻はもう一時間繰り下がることになるのです……それは、私たちが生首を発見することになった零時から二時間前、【二十二時】となるのです。
その間、食堂にいた月熊様は犯人ではありません」
ほう、と月熊が安堵のため息をつくのがわかった。
「じゃあ、結局は二十二時にアリバイが無い奴が犯人ってこと?」
「加えて、第二の殺人の際に廊下に出ている人物でしょう。ですが、それは……」
大神を皮切りにその場の全員がある一人に視線を向ける。
「そう、貴方しかいません……【八木黒彦】様」
※
「……え? いやいや、ちょっと待ってくださいよ、森子さん。僕が犯人? 嫌だなあ、さっきは月熊さんが犯人だと言っていたではありませんか」
八木は、口を動かしつつも胸の奥で状況の打開を試みていた。
大丈夫、まだ挽回できるはずだ。
「それに森子さん。あなたの考えでは、僕が犯人だとする理由は『不死身の鳳凰堂さんが復活にどれだけかかるかを、犯人が知りたがったから』とされていましたが、犯人は別に、知ろうとしなかった可能性だってあるんじゃないですか? その場合は、鳳凰堂さんを二回殺したという事実は無く、復活時間のリセットは起きず、殺害時刻のスライドも起きません。僕は容疑者から外れますよ」
しかし、目の前の森子は表情を変えずに反論を述べる。
「犯人が、鳳凰堂様を二回殺していた。その証拠もございます」
森子はおもむろに、自らが着ている服を手で掴み、引き伸ばす。
それは一日目に鳳凰堂が来ていた黒のワンピースであった。この数日で何度も被せられた血が固まり、引き伸ばされるほどにパリパリと剥がれていく。
そして、ワンピースは、胸元の穴を開いていく。
森子と鳳凰堂が再開した時と変わらない、見るも無惨な、ズタズタのワンピース。
「その証拠とは、これです」
ズタズタ……つまり、ワンピースには無数の穴が、刃物によって縦に斬り裂かれたように開いていた。
「この穴が、殺人が二度起きたことを示す証拠です」
「それが……なんだというのですか? ただ単に、犯人は鳳凰堂さんを殺す際、何度も刺しただけでしょう」
「その鳳凰堂様が言っていたのです。自分は最初の一撃で心臓を刺されて即死した。犯人は相当殺人に慣れている……と。他ならぬ、殺された被害者本人の証言です。疑う余地はないでしょう。では何故、ワンピースはこれほどまでに切り裂かれているのでしょう」
「そんなこと、僕にわかるわけがありません」
「私にはわかります。鳳凰堂様は即死だったにも関わらず、ワンピースに穴が無数に開けられてズタズタにされている理由、それは殺人が二度起きていたことを隠すためです。犯人は二度目の殺害の際、うっかり服に二つ目の穴を開けてしまった。これでは一度の事件で殺人が二度起きたことを被害者が生き返った時に勘づかれてしまう……だからこそ、犯人は服に無数の穴を開けたのです。いいえ、もしかしたら……」
森子は忌々しいものを見るかのように、着ているワンピースの裏側を、開いた胸元から覗き込む。
「服だけに穴を開けたのでは、血が付着しないために不自然です。犯人は二度目の殺人こそ、何度も何度も鳳凰堂様を服ごと刺し貫いた。それが、即死だった鳳凰堂様の証言と、ワンピースの無数の穴における矛盾の答えなのです……ならば、鳳凰堂様は二度殺された。ならば、復活の時間はリセットされた。ならば、殺害時刻のスライドは起きた。ならば……二十二時にアリバイの無い八木様、貴方しか犯人となり得ないのです!」
「ついでに言わせて貰えば」
割り込んだのは兎薔薇だった。
「アタシが今着ているのは、森子さんが殺された時の服でしょう? ほら、胸に穴が空いてるわ。だけど、この穴は一つだけ。確か、アタシの服にも穴は一つだけだったわ。もし犯人が鳳凰堂さんを滅多刺しにした理由が、『確実に相手を殺すため』だったら、森子さんの時やアタシのときも滅多刺しになってなきゃおかしいわ」
八木は必死に考えた反論を放つ。
「でも、僕は死体を見つけたときに腰を抜かすほど驚いてたはずですよ? 僕が犯人だというなら、あれも嘘だったというのですか?」
「確かに……私が八木様をお呼びした時、八木様は血相を変えて飛び出しておりました。あれが演技だったとは少し考えにくいです」
「第二の殺人でも、八木さんは森子さんの頭部に驚いた様子でした」
「兎薔薇が殺された時なんか、本気で驚いてるように見えたんだが……」
漆田、大神、月熊が八木に援護をする。しかし目の前の少女は、それでも毅然とした態度のままだ。
「犯人が驚いた、というのも無理はないでしょう。演技である可能性もありますが、今回の一連の事件はあまりにもイレギュラーが重なり続けていますから。この数日間における連続殺人事件、それは全てが犯人の手の中にあったわけではありません。
第一の事件での犯人にとってのイレギュラーは、殺した相手が不死身であったこと。それからもうひとつ……頭部の発見が犯人の想定より非常に早かったことです。犯人は聖堂の倉庫に閉じ込めた鳳凰堂様が、自分の生首を見てどう動くかを知りたかったはずです。しかし、二度目に殺してからもうすぐ一時間後の目を覚ますかという頃、薬物の原料となる植物を探して館の外にいた大神さんが、頭部を発見してしまいます。犯人が焦ったというのも無理はありません。実際、私たちが聖堂に集まった時……生き返った鳳凰堂様は倉庫の中に居たのですから。自分が殺されていると示す証拠全てに気が付かなかった鳳凰堂様が倉庫から出てくるのでは無いかと、相当気が気ではなかったはずです。
第二の事件でのイレギュラーは、パーティホールに呼び出した相手が、大神様ではなくこの私だったこと。それから、私の父から地下の存在、そして回転のギミックを知らされていなかったため、協力者であるお父様、的羽天窓による首切りトリックに思い至らなかったことです。地下牢の存在理由を知らなければ、供物台が回転することには思い至らない。よって犯人は朝になって、的羽天窓が部屋から出ずに首切りが遂行されたことに驚けたのです。
第三の事件でのイレギュラーは、もちろん私たちによる牢屋のすり替えです。犯人は牢屋が複数あることを知りませんでしたから、むしろ鍵の使えない牢屋から死体が消えていることに驚けたのです。
以上のことから、驚いたからと言って信憑性には繋がらないのです!」
少女は語気を強めてこちらを睨む。
「だったら、昨日の朝に僕が頭を殴られて意識を失ったことは、あれは自作自演だと?」
「私はそう思っています。そもそもなぜ、貴方は頭を殴られたと言ったのでしょうか」
「そりゃあ」答えたのは月熊だ。「八木が大神の部屋の見張りをするって言い出したからだよ。八木をなんとかしねえと大神の部屋も、地下牢に通じる的羽の部屋にも行けねえからって」
それを聞いて、森子は眉を顰めた。森子だけではない、大神も、兎薔薇も顔を見合わせている。
「……なんの話ですか?」
「ああ、大神には一応秘密にするって話でな。もし大神が犯人だった場合、動きがあるからって……ん? 大神、八木が部屋の前に立って監視してたってことは昨日の朝、兎薔薇の牢屋を見る前に教えただろ」
胸の中で舌を打つ。月熊に余計なことを喋られてしまった。
「そういうことですか……もしかして、大神さんは……朝の時点で入れ替わっていたんですね? 変身した鳳凰堂さんと。だから僕らの話はそちらには伝わらなかった、と」
「ええ、そうです。私たちは八木様が大神様の部屋の見張りをしていたなど知りませんでした。それを知っていたなら、推理など必要なかったでしょうね……八木様が部屋の前に立って監視をしている姿など、私たちは見ていませんから。もし貴方様が部屋の前にずっといたなら、私たちは地下牢へ行くことも兎薔薇様と共に外へ出ることもできなかったはずです」
「ちょっと待ってくださいよ! 確かに少しだけ部屋の前から離れたかもしれませんが、そんなに大した時間は……!」
「では、貴方様は部屋から離れて、どこで何をしていたと言うのですか?」
「別に、大したことではありません……あの大騒動があったわけですから、汗をかいてしまったのでシャワーを浴びたのです」
「私たちは鳳凰堂様が復活してから外へと出たのです。シャワーのためにそこまで時間がかかったとは思えません。貴方はまず、凶器を取りに行ったのではないでしょうか? その間に私たちが地下へと潜った。凶器を回収した貴方は地下へ潜り、殺害。そして凶器の片割れの一方を地下牢の前に起き、もう一方は隠し、切り取った頭部を聖堂に置いている間に私たちが脱出。大神様の部屋に入った後で戻ってきて頭部を殴られたふりをしたのではありませんか!」
「ちょっと待って、変じゃない?」
森子と八木の舌戦に割り込んだのは兎薔薇だ。
「鳳凰堂さんが復活するの、死んでから一時間でしょ? 目を覚ましてアタシと的羽さんを牢屋から出すまでにそのくらいかかったなら、頭をここに置いて凶器を隠すくらい、もっと短く終わって監視するフリに戻れるんない?」
「……確かに、変ですね。しかし現実として、兎薔薇様救出後に私たちは誰もいない外へと出ています」
森子はそこまで言うと、突然驚いたように口に手を当てた。
「もしかして、貴方様は……それすらわかっていたと言うのですか? 【死亡者組】にも自分が犯人だとわからないように、私たちが今後接触するであろう大神様だけに監視の情報を与えず、情報の分断を図り、そして私たちが行動しやすいように道を開けていた!」
「そういや、大神の部屋をあの空き部屋にすることも、監視を言い出したのもお前じゃねえか、八木ィ!」
流石に体の大きな月熊に凄まれると八木も後ずさってしまう。腕力では敵わない。
「ていうかお前、思い出したぞ!」
その月熊が、さらに大きく吠えた。
「的羽の娘が死んだ夜、俺とお前は厨房で会ったあの夜! お前は俺より先に厨房にいたじゃねえか!」
ざわ、とさらに聖堂が紛糾するのを八木は感じた。
「月熊くん、何を言ってるんだ? 廊下を監視していた大神くんは言っていただろうが。まず先に月熊くんが廊下に出て、少ししてから少年だ。月熊くんより先に少年が厨房に着くなら、途中で追い越したことになるじゃないか」
「俺はあの夜、まずは書斎に行ったんだよ! 隠し部屋があると思ってよ! 隠し部屋の存在を確認した後、厨房に行ったら八木が先に居たんだ! 八木ィ……俺は次の日の昼にお前にちゃんと話したよな! お前……それを知っててわざと隠してやがったな!」
月熊はいよいよ飛び掛かって来そうなほどに気色ばんでいる。
これは、まずいな。内心冷や汗を流して八木は追い詰められた顔を作る。
「で、では……僕が犯人だというのなら、二日目以降の停電も僕の仕業だというのですか? 館が停電した時、僕は書斎にいましたよ?」
「今更何言ってんのよ! ここに来るまでの船で執事さんが言ってたじゃない! 『電気は海底を通る電線とは別に予備電源があるから災害があってもすぐに電気が消えることは無い』って! アンタが電源を壊す必要なんかない! アタシたちがここにきた時は既に予備電源に変わってたんじゃないの!」
「い、いや……」八木は言葉を探す。「僕が凶器とされるハサミを使った証拠だってないじゃありませんか!」
「それもございます」毅然とした表情で、森子は答える。「聖堂に避難する前、八木様からみて大神様が個室に引き摺り込まれたあの時、中には私たち生存者組がいました。その中で私は、妙な、キノコのような形の金具を見たのです。あれこそが、二本のフランヴェルジュの中心に差し込まれ、ハサミとして成り立たせる、ネジだったのでしょう。そしてそれがあったあの部屋は……月熊様の隣の部屋の主は、八木様、貴方です」
八木の口から、音は無くなった。
「では……決まりですね」
八木に向いた視線の全てが、八木を犯人だと見ていた。
これは……もうダメかな。
「では、皆さん……僕が犯人だと、そう思うのですか?」
「はい、鳳凰堂様を殺し、私を、兎薔薇様を、そして大神様を殺そうと動いていたのは……八木黒彦様、貴方しかいません!」
森子の言葉に、八木と的羽天窓以外の誰もが賛同するように頷いていた。
「そ、そうですか……皆さん、僕が犯人だと……」
とうとう、その指摘に反論する気が失せた。
何を言っても、もう挽回はできないだろう。
八木はがっくりと肩を落とし……そして。
「大正かーいっ!」
両手を広げて天を見上げ、叫んだ。