第四章【表】さよなら人間 第一部
「一体……何が起こってるんだ」
八木は呟くが、誰も答えない。
新たな血の匂いが立ち込めるこの聖堂に並ぶ六つの頭。それらには二分する明確な違いがあった。
首から下が健在な者たちと、首から下が切り取られている者たち。
後者の頭たちはただ黙って、生きている彼らを睨む。
「意味、わかんねえ」
月熊が青い顔で呟いた。
「犯人はこいつじゃなかったのかよ。じゃあ昨日のあれはなんだったんだ」
あれとは、暗闇と車の暴走についてだろう。
それらには八木の中にも答えは無く、唇は動かなかった。
「八木、お前探偵なんだろ。まだ……分かんねえのかよ。兎薔薇まで殺されちまったじゃねえか」
八木は言い返すこともできずに唇を噛んだ。
「調べてみましょう」
代わりに一歩進むと兎薔薇の頭部に目を落とした。
「切断面はズタズタですね。鳳凰堂さんの物と同じです。それから兎薔薇さんの髪も切り口のところまで短くなっているところも合わせると、鳳凰堂さんと兎薔薇さんに使われた凶器は同じだと判断しても良いかもしれません」
波打つ刀剣、フランヴェルジュ。八木は兎薔薇の牢屋の前に転がっていたあの刀剣を思い出した。
「それを、あの牢屋で? だがあの牢屋は開かなかったじゃねえか」
「おそらく犯人は木札を使い格子扉を開いた後、中の兎薔薇さんの首を切り、死体と首を持ち去ったんだと思います。その際、牢屋に鍵をかけてポケットに石を入れるなどをして開かないように細工をした」
「細工だなんて、なんでそんなことする必要があるんだよ」
「それは……犯人は牢屋の中に誤魔化すことのできない何かを残してしまったからだと、僕は考えています」
「何かって、あの牢屋は空っぽだっただろうが。死体すらなかったんだぞ」
「ならば、体液などではないでしょうか」
体液、つまり血、汗、唾液。そういった液体の類ならば牢屋の中に落とした場合簡単には持ち出せない。
「そうでしょうか」今まで黙りこくっていた大神が切り出す。
「今までの犯人はそういったものを気にしていないように見えましたが。特に鳳凰堂さんの殺人にて、首の切断に汗や髪の毛が散った可能性はありますが現場は密室ではありませんでした」
「たしかに、それもそうですが……」
言い淀む八木。その時彼らの背後に四つ目の頭が現れた。聖堂への扉を開いただけあり、彼の頭と体は繋がっていた。
「なら、そもそも前提が間違っていると言うのはどうだ?」
獅子噛だった。昨晩の狼狽からは回復したのか、見飽きたニヤつきをぶら下げて現れた。
「前提、ですか」
「そう。君たちの話は聞かせてもらったが、つまりは牢屋の鍵は開かなくなっていた。だが頭部はここにあり、また胴体は消えていた……そうだろう?」
「ええ、あっていますが」
「ならば牢屋の鍵は元から開かなかったと考えるのはどうかな?」
元から開かなかった。それは犯人も今朝の八木たちと同じ状況にあっていたと言う意味だろう。
「それならば君たちが不思議に思う、胴体消失の謎に答えが与えられる」
「……聞かせていただいてもよろしいですか」
獅子噛はその言葉を聞いて満足げに鼻を鳴らし、推理を語り出した。
「まず、牢屋の前に落ちていたと言うフランヴェルジェは偽の凶器だ。犯人は別の凶器でその女を殺害し、そして鍵のかかった牢屋からの消失を遂げたのだ。その別の凶器とは的羽の娘の首を切った時と同じ物、つまりピアノ線だ。犯人は牢屋の外からその女の首を切り落とした」
「ですが、その首もまた持ち出せないのでは?」
「話は最後まで聞きたまえ。君は馬鹿だな、少年。あの牢屋には人が出入りするための鍵のかかる扉の他に、もう一つ小さな扉があっただろうが」
鉄格子の左下にあった物だろう。
「あれは確かに、女の頭部くらいは通る大きさだった。ならばわかるだろう? 私の言いたいことが」
「勿体ぶってねえでさっさと言えよ!」
「私は君に答えて欲しいなあ、少年」
月熊のがなりをあしらい、獅子噛はこちらに向ける。
八木は考える。本当の凶器はピアノ線。それによって導き出せる、鍵のかかった牢屋からの消失について。
「犯人はピアノ線で兎薔薇さんの首を切った。ならば同じように四肢も切り落としたと考えているわけですね」
「そう、正解だ。犯人はその女の体をピアノ線を使って牢屋の外から細かく切り刻んだ。その後、小さな扉から全て取り出した。フランヴェルジェを置いたのはこの殺害方法から目を逸らすためだろう。もしかしたら用意したその刀剣で切り口を細工したとしてもいい。なぜなら、ピアノ線の方法を行えた人間はただ一人だからだよ」
ならば、おそらく獅子噛は犯人の目星はついたのだろう。それが昨晩のように嘘や罠で無いといいが。
「もしかして、月熊さんですか」
「お、俺か!?」
「昨晩森子さんの首を切った凶器の話にてピアノ線の存在を持ち出したのが獅子噛さん、貴方です。その時貴方は、月熊さんのような男性が力強く引くことで切断が行われたと考えを話していました。手に傷がつかないように、包帯を厚く巻き重ねることもできる、と」
「なかなか馬鹿ではないな」
話が落ち着き始めたがしかし、それを遮るのは月熊だ。
「いや、俺はやってねえって!」
「そのセリフを君は何回繰り返す気だ?」
「やってねえもんはやってねえよ!」
だが、八木は獅子噛の意見に反論しなかった。
月熊は八木に助けを求めるような視線を送ったが、それは叶わないと知り項垂れる。
八木と獅子噛の中での犯人像が一致した時、聖堂内に声が上がった。
「月熊さんは……犯人ではないと思われます」
大神だった。思案するように顎に手を当て、首を捻りながら彼女は語り出す。
「八木さん、月熊さん、先ほど見た牢屋の状況を思い出してください」
言われて八木は思い返す。地下の道を進んだ先の、あの凄惨な地下牢を。
鍵がかかっていて木札でも開くことはできず、牢屋は外まで血の海に染まっている。そして、向かって左下には小さな扉があった。
「あの状況のどこがおかしいのでしょうか」
「牢屋は確かに血の海でしたが、全面が染まっていたわけではなかったように私は記憶しています。格子扉は血で汚れていましたが、小さな扉は綺麗なままでした。獅子噛さんの言うように切断された体がそこを通ったと言うのであれば、あの扉が綺麗なままというのはおかしいはずです」
ぐ、と獅子噛は言葉を詰まらせる。反論が来るとは思っていなかったようだ。
「ならば、扉を汚さないように包むことだってできたはずだ」
「何のためにですか? 現在あそこまで血が広がっているのですから、あの扉だけ汚さないように気をつける理由がわかりません」
「君、いきなり口を挟んでくる割には強情だな。何か理由があるのか?」
この言葉に口をつぐんだのは大神の方だった。
「ですが、妙といえば貴方もです。獅子噛さん。昨日は取り乱した様子でしたのに、今は調子を取り戻したように見えますが……」
八木が指摘すると獅子噛の顔が赤くなった。
「私のことはどうだっていいだろうが!」その気迫は昨晩の騒動でよく見た物だ。何度かの呼吸の後に取り繕ったように咳払いをすると、「少年、いい加減決着をつけようじゃないか」と、聖堂の中心へと一歩歩き出した。
彼は取り乱しかけた威厳を取り戻すように両手を広げて、これ見よがしに歩き続ける。
やがて彼は聖堂の中心、並んだ供物台の中央に立ち、八木らに振り向いた。
「このゲームは、次で終わる。犯人の目的は不死鳥伝説の再現。求められるのは女の生首四つ。犯人が狙うであろう最後の女。それはもちろんそこの大神狼華だ」
一言一言を区切り、大きな声で語る彼は神父のようでもあった。
三つの頭部を抱える、邪教の神父。
「だから決着をつけよう、少年。タイムリミットはそこの女が何者かによって殺されるまでだ。それまでに私たちは犯人を見つけ、殺人を食い止める。もしそこの女が殺されてしまい、なおかつ犯人による偽装工作があった場合、その場で捜査と推理の後、一人を犯人だと断定しよう。そして救助が来て警察の介入が行われた後に答え合わせだ」
「貴方はあくまで、これをゲームとして臨むんですね」
「そうだとも。これはゲームで、私は招待客だ」
相変わらずの発言だった。しかし、今の八木にとってはその態度にどこか意地のようなものを見てとっていた。
これはゲームで、私は招待客だ。
そう発言したすぐ後、彼の口は言葉を吐かずに唇だけ小さく動いたように見えたからだ。
そうでなくては、ならない――。
それは、八木の気のせいだろうか。
問う間も無く、獅子噛は歩き出した。そのまま八木らには一瞥もくれずに聖堂から歩き去ってしまった。
「なんなんだよ、あいつ」
月熊の言葉に答える者はいなかった。
「とにかく大神さん、これから僕のそばから離れないでください。犯人の狙いは貴方のはずです」
目の前の大神はこくこくと頷いている。
「で、八木。これからお前はどうするつもりだ」
「僕は……もう一度全ての事件現場を見返すつもりです。獅子噛さんの話に乗ったわけではありませんが、これから数日間船を待つためにも僕らの中に潜む犯人を特定することは必要なはずですから」
第一の首切り殺人、【未完成の密室】。
第二の首切り殺人、【不完全の密室】。
第三の首切り殺人、【穴空きの密室】。
八木はこれらの事件の再検証をすることで、第四の殺人がもし起きた際の布石となればと考えていた。
「月熊さん、貴方も協力していただけるのであれば、他の方の監視をお願いできませんか」
「監視、だと?」
「ええ、特に獅子噛さんと的羽天窓さん。この二人はこの島以外でも繋がりがあると獅子噛さんの口から聞いています。さらに天窓さんは不死鳥伝説というものを知っている一人です。どうか、不審な動きがないように見張っていてくれませんか」
月熊はしばし考えたが、首を縦に振った。
「わかった。なんかあればすぐに動く」
「よろしくお願いします。では大神さん、行きましょう」
三人の背中を六つの目玉が睨む。
薄暗く長い廊下の先は、未だ昨夜の惨状が残る中央ホール。
「じゃあ、俺は獅子噛のやつを探してくる」
月熊はそう言って二人と分かれる。残された八木と大神は、まず【未完成の密室】であるところの鳳凰堂の部屋へと向かうことにした、その時。
「おはようございます。皆様」
漆田が中央ホール上階から柳楽に声をかけてきた。
彼は十分に休めなかったのだろう、未だ疲れの残る表情を見せたが、八木らの様子から第三の殺人が起きたであろうことを察し、より表情を曇らせた。
「……皆様、せめて何か口になされてはいかがでしょうか」
八木らは捜査を始める前に、漆田の誘いに乗ることに決めた。
こんな時でも、空腹には抗えない。
※
軽い食事の後、八木らは改めて捜査を再開する。
既に絨毯に撒き散らされた血は完全に乾いていた。
そのためだろう、八木と大神は異変に簡単に気づくことができた。
「フランヴェルジュは……ここから持ち去られたのですね」
血の撒かれた絨毯の一画。そこには不自然に固まった血の剥がれた跡が見てとれた。
「つまり犯人は、一度はこの部屋に来たのでしょう。ところで、大神さん。昨日は大丈夫でしたか」
「なんのことでしょう」
「僕は見張りの際、後頭部を殴られて気を失いました。もしかしたら犯人は大神さんの部屋に侵入する可能性もあったのかもしれないと思ったんです」
八木は説明したが、大神はそれでも不思議そうな顔をしている。
「特に何も……ありませんでした」
ついに出た答えもまた、違和感があるものだ。
妙に思いつつも再び部屋を見回していく。フランヴェルジェが消えている以外特に変化は無さそうだ。血が撒かれ、ベッドの布団は乱れ、そして。
「八木さん。あれを」
大神が指を向けた先もまた、変化は無い。カードリーダーに付着した血痕だった。
「ああ、それもまた変わっていませんね」
カードリーダーにカードキーの下半分が付けられたことを、血痕が示していた。
「……」
「大神さん、どうかしました?」
「ああ、いえ……確かに、変化は無さそうですね」
妙な大神に不信感を抱きつつも八木らは検めていく。ベランダへの窓扉の鍵が開いていることも新たな違いとしては見つかったが、それは二日目に八木の目の前で消えた何者かが開けたためだろう。
特に収穫もなかったと、八木らは鳳凰堂の個室を後にした。
廊下を歩きながら、八木は視界に書斎を入れた時、ふと昨夜の出来事で気になったことを思い出した。
昨夜の大騒動の後、錯乱した兎薔薇に天窓が飲ませていた【昏倒薬】、あれはおそらく書斎から持ち出されたものだ。事件と関係があるかはわからないが、一度調べた際は停電騒ぎもあり中断を受けていた。再度調べる価値はあるだろう。
「大神さん、次は書斎に行ってみましょう」
「書斎、隠し部屋を調べるつもりですね」
「そうです……が」
またも違和感。書斎の隠し部屋の話は昨夜出ていない。大神は書斎の隠し部屋の存在をいつ知ったのだろうか。
途端に八木は背後を歩く大神に得体の知れない何かを感じた。
しかしその違和感の正体を掴みあぐねるうちに、書斎の扉にたどり着いていた。
書斎は変わらずに書架が並び、最奥の本棚はやはりずらされたまま。八木が昨日兎薔薇の声を聞いて飛び出した時と変わらない。
逆に言えば、他の誰かが後になって書斎に侵入した時、すぐに隠し部屋へと侵入できるということだ。背後の大神も、そうなのかもしれない。だが、あえて尋ねることはしなかった。もしそれが大神にとって都合の悪い質問だった場合、八木にはこの狭い空間で彼女に何をされても抵抗はできない。
口内の唾液を飲み下して、隠し部屋へと侵入した。
相変わらずひやりとした部屋だった。
空調もなければ窓もないというのに、雰囲気から感じる錯覚だろうか。
「昨日、僕がここに入った時最後まで調べることが出来なかったんです」
「本棚の他に……薬品も入っているようですね」
隠し部屋を知っているのではなかったのか? 大神はまるで初めて見たかのようなリアクションをとる。
「ええ、そのようです。妙なことに、書かれている言語は多岐にわたります」
一つ二つ薬品を手に取って見せてみたところで八木はある事実を確信した。
大神狼華は、この隠し部屋を知っている。
なぜなら八木が手に取った【薬品】はどちらも、木箱に入っているからだ。
明かりのないこの部屋で、まさか貼られた紙を部屋に入った段階から見ることが出来たとは思えない。
ならば木箱に入っているものが薬品であると、どうしてわかったのか?
答えは一つ。知っていながら、あえて初見のふりをしている。
この事実はどちらに転ぶのか。八木は大神への警戒のレベルを一つ上げた。
当の大神は自分の発言の違和感に気づいていないらしく、本棚を物色している。
その背を暗闇に紛れつつ睨みながら、八木も薬品棚を漁る。
「あれ?」
ふと、手に取った木箱が非常に軽いことに気づく。声に反応した大神がこちらに視線を送っている。八木は木箱の蓋を開け、その中を示した。
「この【拷問薬】という薬、前に見た時はまだ一つ瓶が入っていたはずなのに……今は空っぽです」
八木は覚えていた。
昨日兎薔薇の停電に騒ぐ声を聞く直前。自分が手にしていた木箱には【拷問薬】と名札がつけられ、中には瓶が一つ残っていたことを。
それが、今は消えている。
だが、木箱の中を見た大神もまた、大きな変化を見せた。
目を見開き、何かに気づいたかのように背筋を伸ばしていた。
「大神さん……何か気づくことはありませんか?」
「……いいえ」
嘘だ。
何かに気づいたのだろう。彼女はすぐに背を向け、本棚に再び向かった。
だからこそ、だろうか。
「あ」
大神はまるで誤魔化すように声を上げ、本棚から一枚の薄い板のようなものを取り出した。
それは八木も気づかなかったものだ。薄い一枚のそれは、本の間に挟まっていたからだろう。
「なんでしょう、これ」
手にしていたものは、クリアファイルだった。
どうせ多数の言語によって書かれているものだろう。なんだろうと八木には読めない。
そう思いつつも目を向け、八木は少し驚いた。
そのクリアファイルから取り出された二枚の紙は、すべて日本語で書かれていたからだ。
「これ、皆さんの名前ですよね」
二枚に書かれた名前、それは、この島にいる人間を含めた、五十人分に近い名前のリストだった。
※
大人数の名前の書かれた二枚の紙。
八木は大神がデスクに広げたそれらを見て、ようやくその正体に気づいた。
まず、一枚は非常に古そうな紙質だった。
所々に皺が見え、端や隅が茶色く変色している。
このリストが作成されたのは十五年前だろう。八木は確信できた。その根拠は、ただ一つ。
一枚は従業員も含めた、十五年前に起きたホテル火災事故の際にあの場にいた宿泊客の名簿だったからだ。
しかし、気づいたことはそれだけではない。
その名前が並ぶリストのほとんどは、従業員の名前も含めて上から赤いインクのペンで線が引かれ、消されていたのだ。
その内の【宿泊客名簿】は以下の通りだった。
【一枚目】
・…………(…………)男
・……………(…………)女
・兎薔薇羅人男
・獅子噛皇牙男
・月熊大和男
・猫島吉都女
・鳳凰堂椿女
・八木黒彦男
・八木郷都男
・………(…………)男
・…………(…………)男
「この島にいる人と関係のありそうな人の名前がありますね」
大神は指で指し示す。
兎薔薇羅人。猫島吉都。八木郷都。
この三つの名前。
そのうち、兎薔薇羅人と八木郷都の二つには他の従業員名簿と同じく、赤い線が書き込まれていた。
また、従業員名簿の中でも漆田羊介の名前は存在し、赤い線はなかった。
「八木郷都は……僕の父です」
あのホテル火災の最中、姿を消した父を思い出した。
「この羅人さんは、兎薔薇さんのお父さんでしょうか」
「おそらくは」
二日目の獅子噛の暴露を思い出す。
十五年前、あのホテルは違法薬物の密売の現場となっていた。
それはホテル火災がきっかけで逮捕されたらしい兎薔薇の父の名前がこの名簿にあることと無関係ではないだろう。
「もう一枚には、何が?」
二人はもう一枚の紙に目を落とす。
それもまた名簿だ。違いは紙が非常に新しいこと。そして今度は一枚目と比べ、非常に名前が少ないことだ。
【二枚目】
・兎薔薇真美実女
・漆田羊介男
・神大路傍女
・獅子噛皇牙男
・月熊大和男
・鳳凰堂椿女
・的羽天窓男
・的羽森子女
・八木黒彦男
そして二枚目の名前たちには共通点が確かにあった。
「これ、この島にいる人間の名前ですね」
大神の名前が、最初に名乗った偽名のままではあるが、これは島にいる人間の名簿だった。
招待客だけでなく、的羽親子や漆田の名前も載っていた。
「このリストには、赤い線は無いですね」
大神はなぞるように指を名前に這わせる。
「この一枚目の赤い線、どういう意味があるんでしょうか」
口に出しては見たが、どういう意味も何も、 八木には察することは容易だった。
十五年前のホテル火災。
あの場にいた人間は、後に消されている。
この名簿はそういう意味だ。
ならば、二枚目の名簿も意味が変わってくる。
このうちの三人は、既に命を落としている。
その先を想像することも、難しいことではない。
「書いたのは天窓さんに違いない」
「このリスト、皆さんに知らせたほうがいいですね」
「その前に、森子さんが殺されたであろうパーティホールを調べてから、人を集めましょう」
八木の言葉に、大神は頷いた。
ファイルに纏め、手に取る。
隠し部屋から出て書斎からホールへと歩く間も、八木は手元のファイルを覗き込んでいた。
この二つの名簿、その名前の違いの一つに、完全に無関係な人物の名前が二枚目に現れていることもまた、見てとれた。
彼女の名前は、大神狼華。
猫島吉都の代わりに現れた、名前。
ここに来てその名前が一層歪んで見えるのは、気のせいだろうか。
八木は書斎を抜け、ホールの扉を開いた。
思えば、昨夜八木が頭に衝撃を受けた時。
八木の背後には大神のいる部屋の扉があったように思える。
次の森子の殺されたであろうパーティホールへ向かうため、階段に足を向けつつ、そんなことを考える。
例えば、八木が大神の扉に背を向けて立っている時、それが内側に開き……大神が八木の後頭部を殴りつけた。そう考えることも可能なのではないか?
一階への階段を一歩降りた時、視線の先の名簿の名前が、本当に歪んだように見えた。
それも当然だ。
背後を歩く大神の両手の感覚が、強く八木の背中に押しつけられたのだ。
それはあまりに強く、八木は階段の上で――ほんの一瞬、空中に浮いた。
視界は大きく回転し。
八木は重力に引かれ――。
階段を、転がり落ちていった。
※
「だ、大丈夫ですか、八木さん……!」
大神の声はやけに近い。
まさに耳元からの声を聞きながら、揺れる視界は時間と共に調律されていく。
事態の把握と共に八木は全身から波のように訪れるであろう痛みに身構えた。
しかし、不思議なことに痛みは大きくはない。せいぜい片側の脛が痛むくらいだ。
むしろ全身、柔らかい何かに包まれている。
そして八木は気づく。自らの体は大神によって抱きしめられていることに。
「む、むぐっ!」
「す……すみません、八木さん……足を滑らせてしまい」
耳元から声が聞こえるのも当然だろう、大神は呻くように八木に謝罪する。
どうやら足を滑らせて八木にぶつかったことで落ちていくところを、咄嗟に抱き抱えることでダメージを抑えたらしい。
「立てますか、八木さん」
抱擁が解かれ、急かすように立たされるが、どちらかと言えばそれは八木のセリフだった。実際大神は階段を転げ落ちたダメージのためか、ふらふらと立ち上がる。
「ええ、僕は無事ですが、大神さんは……」
「私は無事です。さあ、パーティホールへ」
やけに急ぐようにして、八木の手を引いて立たせようとしてくる。
首を傾げつつも、八木はパーティホールへと入っていく。
パーティホールもまた、大きな違いはなかった。
床に広がる血液が乾いているぐらいだ。
暗いシャンデリアが、二人の上で揺れている。
「この首切りにはフランヴェルジュは使われていないんですよね」
「そうだと思います。森子さんの頭部の切断面は、鳳凰堂さん、兎薔薇さんの物と違い、真っ直ぐ綺麗な物でした」
「そして、使われたものはピアノ線。引っ張ったものは自動車……でしたね」
八木は昨夜の大騒動の前に行われた推理対決の結論を思い出した。
「それについて思ったことがあるのですが」
大神は八木に向き直る。
「その場合ですと、頭部は車に引っ張られて外まで出てしまうのではないですか?」
なんだ、そんなことかと八木は少し張った気を緩めた。
「犯人はある程度まで車で引いたところで、改めて中央ホールに戻り森子さんの頭からピアノ線を回収したのです」
「でしたら、犯人は中央ホールに放置などせず、聖堂に頭部を置いたのではないですか?」
「その話は昨日答えが出ましたよ。僕たちが集まる場所として都合のいい中央ホールに、人を近づけさせないためです」
八木は大神に首を傾げて話すが、その首はさらに角度を持って傾げられることになる。
確かに、妙かもしれない。
もし首を切った人間が、本当に中央ホールから人を遠ざけようとしたならば、生首はむしろ中央ホールに置かれたテーブルの上に置くものではないか?
しかし、実際はテーブルの下に置かれていた。
森子の首を切った方法。
それにはまだ、八木がたどり着いていない何かがあるのかもしれない。
胸騒ぎを抑えようと、胸に手を当てた。
「パーティホールも、目立った変化はありませんね」
八木の心境を知らない大神は、ステージの上をうろうろと回っている。
「八木さん、エレベーターの中は確かめましたか」
「ええ、昨日獅子噛さんと月熊さんの二人と一緒に開けてみました。あぁ、隠し扉のことですか」
八木は大神が知っているものだとして口にした。
書斎の隠し部屋を知っている彼女ならば、同じようにエレベーター奥の隠し部屋を知っていてもおかしくはない。
「隠し部屋……二つあったのですか」
しかし、どうやら知らなかったらしい。目を丸くしてエレベーターの扉を眺めている。
大神が今何を知っていて、何を知らないのか。
八木は少し不安になった。
ともかく、八木は大神に見せるためにもエレベーターの扉に手をかけて、力を込める。
「この中を見てください」
まずはエレベーターのカゴがあるはずの空間に入り込み、すぐ右手の壁に見える扉に手をかけると、その奥の空間が再び現れ――。
八木は鼻を押さえた。
血の匂いだ。
パーティホールに撒かれた物とは違う、新たな濃い血の匂い。
「八木さん、どうしましたか」
背後から大神の声が聞こえる。
返事がないことに疑問を持ったのか、すぐに大神が隠し部屋へと侵入してきた。
「なんだ、この匂い……」
震える手で八木はスマートフォンを取り出し、ライトをつけた。電池ももう底をつきかけている。
そのライトは、すぐに隠し部屋の異常事態を八木らに伝えた。
隠し部屋の中央に位置する、その巨大な物体。
殺人のための道具、ギロチン。
その首を出す穴は。
夥しいほどの血で染まっていたからだ。
ギロチンは、仕事を終えていた。
噴き出たであろう血は、その刃まで濡らしている。
「なんだ、これは……こんなの、知らないぞ……」
「大神さん! 今すぐ全員を集めてください!」
八木の頭には一つの可能性が生まれていた。
今この場にいない誰かが、このギロチンで首を切られているという可能性が。
「誰かが死んでいるかもしれません!」
大神は一度頷き、外へと駆け出した。八木もそれに続くが、その足が止まる。
「ど、どうしました、大神さん」
大神は中央ホールへ続くドアの前で足を止め、慎重に扉を開いていた。
「何をしてるんですか、早く!」
「……わかりました」
中央ホールに出た二人を、同じく二つの人影が驚いた表情で出迎えた。
「なんだ、少年たちか」
「どうした八木、なんかあったのか」
月熊と獅子噛だった。
「俺たちは今、地下牢を見てきたところだ」
獅子噛が妙なことをしないようにと見張っていたはずの月熊が説明した。
二人とも、生きている。欠けている四肢も無い。
「う、漆田さんは。それから的羽天窓さんも!」
「少年、何を慌てている。私は知らん、君は?」
水を向けられた月熊は、首を横に振った。
「あのギロチンが、使われていました。誰かが死んでいる可能性があります!」
「なんだと!」
この情報に流石の二人も顔色を変えた。
「漆田さんと天窓さんを探しましょう!」
そう叫ぶ八木の頭上から、声が聞こえてきた。
「私でしたら、ここにおります」
漆田だった。早足で階段を降りていく姿にはどこにも異常は無い。
「ギロチン、ですか。ん?」
漆田はふと、八木の側の大神を見て目を丸くした。
しかし、月熊の「あいつはどこだ。的羽天窓のやつは!」という声に正気に戻る。
「だ、旦那様ですか。しかし私は昼から姿を見ておらず……」
現在夕方の少し前といった時刻。何かが起きていても不思議じゃ無い時間だ。
「探しましょう!」
その一声に八木らは足早に行動を開始した。
「獅子噛、お前は男の部屋を見てこい。俺は女の方を見てくる!」
月熊の指示に獅子噛は文句を言いかけたが、黙って階段を上がっていく。
「私は一階を」
漆田は一階の廊下、まずは大浴場の方へと走り出した。
「僕たちも行きましょう」
八木と大神が向かったのは聖堂。
もし的羽天窓が殺され、首を切られていれば。
その首はあの供物台へと置かれているのでは無いか。
そう考えるのは不自然なことでは無いはずだ。
窓のない薄暗い廊下を進みながら、八木は最悪の事態を覚悟しつつ、扉を開いた。
だが。
中央にある供物台の上のそれは、三つのままだった。
女性の生首の中に、ひとつだけ男性のものが混じっているわけではなかった。
「まだ生きているとは限りませんが……」
それでも、少しだけ安心するものがある。
一応、倉庫の中を確認して人がいないことを確認すると、二人は来た道を引き返していく。
「クソ、こっちには居ねえぞ! どの部屋にも誰もいねえ!」
中央ホールに現れた二人に、月熊が上階から叫ぶ。
「こちらもだ!」
反対から、獅子噛も顔を出す。
「漆田さん、どうですか!」
一階を調べ終わったであろう漆田に八木は尋ねる。
「地下牢までは探しておりませんが……」
その先は聞かずともわかる。
「地下牢は先ほどまで月熊さんたちがいたはずです、最後にしましょう。まずは書斎と食堂です!」
八木の指示に、上階の二人が走り出す。獅子噛は食堂へ、獅子噛は書斎へ。
「僕たちは、地下へ――」
「居たーッ!」
瞬間、上階から月熊の叫びが響く。
あまりにも早い報告に、踏み出そうとした足が空振り転びそうになる。
今のは空耳か? そう思ったのは八木だけではないらしい、漆田と大神の呆けた顔と目があった。
「い、行きましょう!」
八木は今度は階段へと走り出す。登り切る頃、書斎から「なんなんだ!」と顔を顰める獅子噛と合流し、一行は食堂の扉を蹴り開いた。
「居るじゃねえか、こいつ……」
息を荒げる一行を、月熊はそんな言葉で出迎えた。
彼が睨み続けるその先には、的羽天窓が薄い笑みを浮かべて座っていた。
その首が切られていることもない。
その体が切られていることもない。
ただ薄い笑みを浮かべ、八木たちを見つめていた。
まるで彫刻のような姿。しかし天窓はその口を開き、久方ぶりに声を出した。
「漆田」
その声は、執事の名前を呼ぶ。
「なんでしょう、旦那様」
「そろそろ夕食の時刻です。用意をお願いします」
あまりに平常な会話が、かえって不気味だ。
「僕たち、つい先ほど軽食を取ったばかりです」
「旦那様、それよりも――」
「命令だ、漆田」
何事かを言おうとした漆田を、その一言で黙らせる。
関係のない八木の体すら硬直させるような、気迫を持った言葉だ。
「今のうちに食べておきましょう。それに、君が今から用意する食事は、何に替えても大切だ。なぜなら、それは皆様にとって、僕にとって、君にとって――」
「最後の晩餐になるのかもしれないのだから」
※
太陽は沈もうとしていた。
四度目の夜がやってくる。
食堂の窓に差し込む赤い光が、目の前の男の頬を赤く染めている。
「最後の、晩餐……?」
「どういう意味だ、的羽」
獅子噛がのしのしと歩き、席の一つに座る的羽天窓に詰め寄った。
「そのままの意味だよ、獅子噛」
威圧感を放つ彼に視線も合わせない。
ただ真っ直ぐ、前を向いているだけだ。
最後の晩餐。そのままの意味。
それはつまり、この後の食事が終わり次第、八木たちの命はないかもしれないということだ。
「食事に毒でも入れる気か?」
「最後の晩餐に、食べたら死ぬ食事という意味はないよ」
的羽天窓は再び「漆田」と名前を呼んだ。
彼は返事をし、ぎこちなく両手両足を動かして厨房へと消えていった。
「さて、皆さん」
的羽天窓は入り口で硬直する八木らへと声をかける。
「どうぞ、席にお付きください」
なんという、怖気の立つ声だろうか。
初日に見せたあの頭を下げた謝罪が、今となっては演技だと確信できた。
森子と同じ翡翠の瞳が、黒い影と赤い夕日の狭間で鈍く煌めいている。
出来るだけ遠い席に、と思ったのはおそらく獅子噛以外の全員か。的羽天窓から一列分席を開けてそれぞれは着席した。
「的羽さん、兎薔薇さんが亡くなっていました」
沈黙に耐えかね、八木は口を開く。
「ええ」
「何か、知りませんか」
「いいえ」
「本当のことを……」
「嘘つきは僕ではありませんよ」
びくり、八木の背が跳ねた。
「僕は最初から、本当のことしか言っていません」
「……ですが、不死鳥伝説に準えた殺人が起きているのは事実です。それも、見立てとしてではなく、状況から犯人は不死鳥を復活させるために行なっていることを。それを達成させたいという動機は、貴方しか持ち得ないように思えるのですが。正直にお答えください、貴方は、不死鳥を呼び出すために僕たちを呼び出したのではないですか」
捲し立てるように問いかける。
獅子噛が八木と的羽天窓を交互に睨んでいた。
「……そうですよ。一連の計画は、僕が立てました」
しかし、大した抵抗もなく的羽天窓は言い放った。
「それなら、鳳凰堂さんを殺し、森子さんを殺し、そして兎薔薇さんを殺したのも、貴方ですか!」
「いいえ」
八木の近くで月熊が「ぐ」と喉を鳴らした。
「僕は誰も殺していません。少なくとも、この島に皆さんが来てからは一度も。それに、八木さん。僕は少なくとも、森子の殺人に関しては動けなかったはずですよ」
反論できない。
そう思っていたが、しかし。
八木の手元にあるファイルに収められた二枚の名簿リストに答えがあると、今は考えられた。
「的羽さん。的羽、天窓さん」
八木は噛んで含めるように、改めて名前を呼ぶ。
「貴方は、呼んだのですね」
「呼んだ? 何をですか」
「殺人犯を」
的羽天窓は驚きも開き直りもしなかった。ただ、薄く笑うだけだった。
今は頭部だけとなった森子と同じ、翡翠の目で。
「ええ。僕のような力の無い男では、きっと四つも生首を揃えることはできませんでした。ですが、餅は餅屋……殺しには、殺し屋を」
食堂内の人々は思い思いの反応を示していた。八木はできる限り冷静を装う。
「彼らには名前が幾つもありました。ですが、殺し屋、暗殺者、それらとは違うとも言ってましたね……僕の場合は、初め彼らの存在を【アスモデウス】と言う名前で知りました」
「【アスモデウス】……ヘブライ語で、滅ぼす、破壊すると言う意味の悪魔ですね」
名前が出た。内心の動揺を隠すためにも八木はつぶやいた。
「文献によっては、牛、人、羊の頭で足はガチョウ、毒蛇の尻尾を持つという話もあります」
それはまるで、この動物にちなんだ名前の人間が集まる島に降り立つにはふさわしい名前のようにも思えた。
ならば、ここで当てはまる人物は、羊……漆田ではあるが。
「待て、的羽。お前今、『彼ら』と言ったか? お前の呼んだそれは組織なのか? 複数なのか!」
「さて……どうでしょうか」
はぐらかす的羽だったが、八木は確信していた。
的羽天窓が呼び込んだ【アスモデウス】は一人だ。
そして、その名前は手元の名簿リストにある。
「的羽さん。僕にはもうすでに分かっています。貴方が呼んだ【アスモデウス】が誰なのか」
「では、お聞かせ願えますか。貴方の考えを」
※
「まず、昨日の夜に兎薔薇さんを地下牢に入れた後、大神さんを空き部屋へ。その見張りとして僕が大神さんの部屋の前で立っていました。
それから数時間後、僕は後頭部を何者かに殴られ、意識を失いました。
おそらく犯人はその後的羽さんの部屋から地下へと潜り、兎薔薇さんの首を切った。
その首は格子の左下にある、小さな格子戸から外に出されました。問題は、その後のことです。
あの牢屋は、何故か木札を使っても開かなくなっていました。僕はそれを犯人の仕業だと考えています。
では、なぜそんなことをする必要があったのか?
犯人は、牢屋の中に僕たちを入れたくなかった。
すなわち、自分にとって非常に不利益な何かが牢屋の中にある。そう考えられます」
そこまで話し、月熊が口を挟む。
「ちょっと待てよ、その話は朝やっただろ。牢屋には何もなかったし、体液とかなら気にしたはずがねえって」
「はい、月熊さん。しかし犯人が残した証拠は、牢屋に無かった。それこそが犯人が隠したかった証拠なのです」
「ん? ちょっと待てよ、どういう意味だ」
八木は続けた。
「兎薔薇さんの体を切断した凶器は、フランヴェルジュではない。それは獅子噛さんも考えていたことです。牢屋の中にいる人間を牢屋の外から殺し、首を切るには、フランヴェルジュでなくピアノ線も使えたはずだ、と。
しかし、これこそが犯人の仕掛けた罠だった。
あの牢屋は……殺害現場ではなかった。
犯人はそれを隠すために牢屋に血を撒き、そして牢屋の中に入れないように鍵に細工をしたのです。
本当の凶器とは、先程僕と大神さんが見た……隠し部屋の【ギロチン】です」
「ギロチン……だと。だが少年、あの牢屋からパーティホールの隠し部屋までは相当距離がある」
「ですから、あの牢屋は殺害現場ではなかったんです。犯人は地下牢の鍵を開け、兎薔薇さんを担ぎ上げてパーティホールの隠し部屋まで運び、ギロチンを使って首を切った」
頭の中で、これから指摘する人物が兎薔薇の体を抱え上げる様子を思い描く。
そして、ギロチンによって首を切る様子を。
「犯人はその時、兎薔薇さんから流れ出た血液を採取しておいた。そして地下へと戻り、あたかもそこで首切りが起きたと思わせるためにフランヴェルジュを置いて血を撒いたんです。
しかし、実際にはそこで首切りは起きていない。
そこで首切りが起きたならば、振り下ろしたフランヴェルジュが床を傷つけたりと、凶器によるダメージが、床に現れるべきです。
一見何もないように見えても、それは血で覆い隠しているだけで、手で触ってみることで床にはダメージが無いと分かってしまいます。
だからこそ、鍵に細工をした。
では、それが可能だったのは誰か?
まず一人目は僕です。頭を殴られたと言う証言が嘘である可能性があります。
そして、昨晩自室に帰った四人の男性。
最後に……貴方です。大神狼華さん」
最後に名指しを受け、大神狼華は目を丸くした。
「貴方が、【アスモデウス】だ」
「私、ですか? 話によれば、私の部屋の前には八木さん、貴方がいたと自分で言いました。そんな状況で貴方の後頭部を殴りつけることなどできないのではないでしょうか」
困惑する表情を見せる大神に、八木は考えを告げていく。
「僕は確かに、貴方の部屋の前にいました。しかし僕の後頭部を殴打することは可能です。
個室と同じように、あの部屋の扉もまた内開きでした。
ならば、【扉を開けたと同時に僕の頭を殴りつける】ことは難しくないはずです。
むしろ、貴方は僕のことを襲うつもりは無かった。なぜなら僕が見張りをしていたことを貴方は知らなかったから。
そのため、兎薔薇さんを襲おうとして外へ出ようとした際、僕に気づいて咄嗟に殴りつけてしまった。そう考えることも可能です」
「少し待ってください。私が犯人と言う方向で話が進んでいるように思えるのですが、根拠はそれだけならば弱くはありませんか」
「であれば、これを見てください」
大神は狼狽した様子で抗議をするが、次に八木が見せたのは、あの書斎の隠し部屋で見つけた二枚の名簿だった。
「これは、十五年前のスカイウィンドホテルの従業員と宿泊客の名簿。そしてもう一枚が今回この島に集められた人間の名簿です。この二つから分かることが、一つ。大神さん、貴方の名前の出現です」
「つまり、大神が……」
月熊の大神を見る目が徐々に鋭くなっていく。
「ええ、的羽さんの呼んだ、殺人犯だった。僕はそう考えます」
「わ、私は!」
彼女は声を上げ、立ち上がった。
「私は、警察としてここにいます。決して、殺人のためにでは……!」
「では、大神さん」
しかし八木はその抵抗を、許さない。
「もう一度、警察手帳を見せていただけませんか。前に見せていただいた時は、明かりのない聖堂のことでした。それが偽物だった可能性は充分あります」
ぐ、ぐぐ、と大神は唸り、自らのコートのポケットを探る。だがその手は何も掴まない。
「い、今は……持っていません。へ、部屋に……」
「では、どこにありますか? 僕たちが取ってきます」
「ど、どこにあるかって……それは」
大神は、答えられなかった。
「ちょっと待ってください、こんなのは……想定、外……!」
その様子を見て、八木は確信した。
「大神さん、貴方が的羽天窓さんによって呼ばれた殺人鬼役ならば、第一の殺人にはアリバイがなく、そして第二の殺人において監視役という立場を利用して自由に動けたことから、全ての殺人に辻褄が合うのです!」
「ぐ、ぅうううううっ!」
勝った。八木は様子がおかしい大神の、この後の動きを見逃すまいと睨む。
「や、八木。だがそいつは的羽に命令されて首を切って回ったんだろ?」月熊が尋ねる。
「だったら、四つ目の女の首は、どうするつもりだったんだよ」
「もしかしたら、彼女は自分の首を捧げるつもりだったのかもしれません」
「なるほど……女の中で最後まで生き残ったのも、それが理由か! 一人目や二人目、ましてや三人目になれるわけがない、なぜなら四人目として死ぬ必要があったから。そういうわけか、少年!」
頷き、的羽天窓へと向き直る。彼はいまだに微笑み続けている。それ以外の表情はできないかのように。
「的羽天窓さん。貴方が【アスモデウス】……大神さんを呼んだ理由。それはまだありますよね。それもこの名簿を見ればわかります」
広げた二枚の名簿を手に取り、見せつける。
「この一枚目の名前に引かれた赤い線……これはもしかして、貴方がこれまで手にかけてきた人間の名前なのではないですか? 貴方は何かを理由にして、あのホテルの関係者を……皆殺しにしてきたんです」
的羽天窓は答えない。ただ微笑むだけだ。
「答えてください。貴方がこれまで嘘をつかなかったと言うのであれば、この質問にも、同じように。貴方はこの名簿の人間を、貴方が、もしくは別の人に依頼して殺してきた。違いますか!」
「ええ、その通りです」
日は完全に落ちていた。
それでも僅かに明るいのは、太陽の残り香だろうか。
的羽天窓は、首を縦に振ったのだ。
そして彼は語り出す。
なぜホテル全焼事故が起きたのか。それならなぜ、この島に八木らが呼び出されたのか。
※
「あれは、何年前でしたか。
この島には【不死鳥伝説】と言うものがありましてね。僕にももちろん子供の頃から伝えられました。
僕が物心つく頃、この島にはまだ二十人くらい人間が残っていましてね、全員で一つの家族みたいなものだったんです。
この館も僕が子供の頃は島民が住んでいました。
この島に住む人間は皆排他的で、僕は外の世界を知らなかった。代わり映えのない毎日に、僕はあまり感情豊かに育つことはありませんでした。
代わりに教えられたのは、自分達の一族がどんなことを研究してきたのか。そしてその果てに見た不死鳥の存在。
伝えられた研究内容は、生と死の研究。僕はそれでも、興味が湧くことはありませんでした。
同じように、不死鳥にも。
やがて成長すると、排他的意見が強かった最高齢の、いわゆる島長が死にましてね、僕は外の世界へ出て、島で栽培されていた薬物の原料となる植物を売ることで得た元手で、ホテル業を始めた。なぜホテルかと聞かれれば、お答えできません。特に理由はないからです。あえて理由を説明するならば、最初に買い取ってくれた会社の新事業を譲り受けたからでしょうか。
この時だね、獅子噛。君と出会ったのは。
その最中で数々の死を見た。
自分が売った植物を原料にしてできた薬物で狂って死んだ者も、借金してまで買ったものの金が返せずに殺された者も。
だけど僕の見てきた死は全てがどうでもよかった。
特殊な環境で特殊な人格が構築されたからだとは思うけど、僕はなんだか、あんまりそれに心を動かされなかったのです。
ホテル事業が拡大するうち、僕にも妻ができた。
特に思い入れのない相手でした。ホテルの事業拡大のためにしなくてはいけない結婚でした。
それもこの妻が非常に病弱でしてね。都市には居られないとのことで、僕はこの島へと戻ることにしたんです。
そして、娘が産まれました」
的羽天窓は食堂の天井を見上げながら、口をぱくぱくと動かしていた。
しかし、娘が産まれたと口にした途端、その顔は正面にガクンと折れた。
「あの時」
「あの時のことはよく覚えています。
僕は妻の部屋で娘が産まれる瞬間を見ていた。
部屋の中には親戚が多数いて、妻の出産を手伝っていた。
僕は数々見てきた人の死と同じように、その生もどうでもよかった。どうでもいい出来事だと思っていたはずだった。
だが、だが――。それは、起こった。
体の弱い妻は、出産に耐えきれず、娘を産む前に死んでしまった。
妻の体は僕の親戚たちに体を開かれ、娘は取り出された。
僕はそれを見て、衝撃を受けた。雷に打たれた。僕を包んでいた皮が内側から風船のように弾けた。胸が爆発した。
人が死に、そしてそこから人が生まれた。
命が消え、消えた命から命が生まれた。
死体から生命が現れた。
これは、【不死鳥伝説】を紐解く鍵だと気づいた。
伝説を信じなかった理由は、伝説に違和感があったからです。
もし不死鳥が少女を生き返らせたならば、そこには不死鳥と、そして生き返った少女がいなければおかしい。
しかし、伝説では不死鳥の存在は少女が生き返ってからは語られていない。
ならばどうなったのか?
僕はその答えに、妻と娘の死と生を見て思い至りました。
不死鳥は、【自らの命を少女という器に与えた】。
不死鳥は、その時死んだのだ。
不死鳥は、少女に命を与えると言う行動で、少女に生を与えた。
そうか、そうだったのだ。僕はようやく気づきました。そして僕は会いたくなった。
二百年間多くの人間が勘違いしてきた、不死鳥の真実。それを僕は掴んだ。
ならば、あとは確かめるだけだ。
幸いこの島にはなんでも揃っている。毒物から爆薬、そして凶器。
僕は娘が産まれ、真実に思い至ったその時。不意をついて島の全員を殺しました。
娘は伝説における女性の首の一つにすることができると思い、生かしました。
さて、不死鳥を呼び出し、答え合わせをするためには、ただ女性を四人呼んで首を切り落とせばいいと言うわけではありません。
僕は、築いてきた物が多すぎました。
ホテル事業もそうです。
それから、薬物の売買もそうです。
人間関係もそうですね。
ただ、僕は【僕が不死鳥に出会ったと誰にも知られたくなかった】。
僕の、僕だけの答えを他の誰にも勘づかせたくなかった。
独り占めしたかった。
だから――全部消すことにしたんです」
「は、は、はぁあああああっ!?」
最も声を上げたのは獅子噛だった。
それもそのはずだ。的羽天窓の告白は、あまりに理解不能だった。
妻と娘の死と生を見たことで、不死鳥伝説の真実に辿り着いた。
その答え合わせがしたくて、不死鳥を再び呼び出したかった。
だけど自分が不死鳥と出会ったことは誰にも知られたくなかったから、関わる人間のほとんどを殺した。
「な、な、なんだその理由は!」
八木は気が遠くなるかと思った。
こんな理由、全てが演技で、本当の目的が隠されていたとすれば、それこそは救いと言える。
だが、目の前の的羽天窓に嘘を言っている様子は全くなかった。
「信じられるかっ! お前、この私にまで招待状を渡したのはなぜだ! それも、ゲームとして!」
「獅子噛、君は自分の命が脅かされる状況を強く拒んだね。そのくせ他人の死には興味津々だ。だから僕は君にゲームとして招待状を送ったんだよ。自分は安全圏にいながら、目の前で本物の殺人が行われていくリアル推理ゲームとして……そうでもしないと、君は来なかっただろう?」
「き、き、貴様ァア!」
獅子噛はとうとう的羽天窓の首元を掴み、ガクガクと揺さぶる。
「貴様、貴様ァ! この私を、こ、こ、殺そうとしていたのか!」
「そうだよ」
「ゲームだと、私には危険が無いと言っていたのは!」
「嘘に決まってるじゃないか」
「う、ぐ、ああ!」
獅子噛は叩き落とすようにして的羽天窓を解放した。
大きな手で顔を覆い、ヨロヨロとふらついたかと思うと、近場の椅子に腰を下ろした。
「獅子噛さん……死を恐怖する貴方が、どうしてこの島では大きな態度を取れたのか。それは、これがゲームだと……主催者から言われていたからなのですね」
獅子噛は的羽天窓から、ゲームとして呼ばれた。
それはすなわち、プレイヤーには危害が加えられないという誓約があったからこそなのだろう。
しかしそれは、嘘だった。
的羽天窓は獅子噛をも殺すつもりでこの島に招待したのだ。
「信じ、られるかァ!」
獅子噛は吠える。
「私を、殺す? そんなこと誰にもさせない! あと数日、あと数日耐えれば帰りの船が来る!」
「ああ、帰りの船」
宣誓に似た獅子噛の叫びを聞きながら的羽天窓は、静かな声色で告げた。
「来ないよ」
「は?」
それは獅子噛だけではなかった。八木もまた、頓狂な声を上げていた。月熊も、大神も――。
「君たちには消えてもらうのだから、帰りの船なんて用意するわけがないじゃないか」
「だ、だけど的羽さん! 貴方は一週間後に帰りの船が来るって――」
「嘘だよ」
「ぐ、ぬ、うぉおおおお!」
獅子噛は再び立ち上がり、的羽天窓に覆い被さるほどに近寄り、叫ぶ。
「返せ! 私を今すぐ、返せぇ!」
「どうやって? 電話は通じないし、送ってきた船には二度とこの島には近づかないようにと金を握らせた。行方不明届が出て捜索されたとしても、この島に来るまでには数ヶ月かかるんじゃないかな」
「クソが!」
半狂乱になっている彼は拳を固め、的羽天窓の顔を強かに殴りつけた。それだけで細い彼の体は糸屑のように吹き飛ばされた。
「獅子噛さん!」
「私を帰せ、帰せ、帰せェ!」
何度も振り下ろされる拳は、次第に血がついていく。
「と、止めないと!」
走り出そうとした八木の前方に、的羽天窓と、獅子噛と、そしてもう一つの人影が現れた。
「旦那様、今の話は本当でございましょうか」
漆田だ。
すでに日が落ち、影の濃い食堂の中、漆田は幽鬼のような顔をしていた。
「全てを消す。そう決めたのであれば、あの……十五年前の全焼事故は、偶然だったのでしょうか? あの、私が原因だと思われていた事故は……」
「ああ、あれかい」
何度も殴られ、息も絶え絶えに的羽天窓の声がテーブルの陰から響く。
「そうだよ。あれは僕が指揮したことだ。今回依頼した人と同じところに依頼してね……ホテルを爆破してもらったんだ。少しくらいは人が死んでくれても良かったんだが……その仕事ぶりを確かめるために、僕もあそこに行ったっけ」
なんだと? 八木はその発言に背筋を貫かれた。
しかし、目の前の幽鬼はその違和感などどうでもいいのだろう、目から涙をこぼし、床に倒れ伏せる的羽天窓に掴みかかった。
「わ、私の、私の人生を滅茶苦茶にしたあの事故が、仕組まれていたというのですか!」
「そうだよ。だけど君は昨日言ってたじゃないか。僕の娘を育てられたって。よかったじゃないか」
「お、お前ッ!」
漆田はその手を、的羽天窓の首にかける直前まで動かしていた。
「く、く……」
おそらくは生来の人格から、その次の行動を行うことに抵抗が強いだろう。だがそれがいつまで続くのかはわからない。
「つ、月熊さん! 二人を止めましょう!」
「おう!」
月熊を立ち上がらせ、二人がかりで獅子噛と漆田を引き剥がす。
その時、的羽天窓の口はまだ動いていることに気づいた。
「だけど、やっぱり爆弾はダメだな」
他の三人、そして呆然と立つ大神はそれを聞いていなかった。八木だけが聞いていた。
的羽天窓は、まだ何かをしようとしている。
だがそれはなんだ? 八木の頭は高速で回転を始めていた。
八木は何と言っていた? この島には薬品と、凶器と、それから……爆薬もあると言っていなかったか?
十五年前のホテルでは、厨房が爆発した。
「一人ぐらいは――」
的羽天窓は、脱力したようにつぶやく。
「み、みなさん」
八木は取っ組み合う男たちと、大神に向かって言う。
「殺せると、思ったのに」
的羽天窓の口が、再び微笑んだ。
「皆さん、伏せて!」