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殺人館の不死鳥  作者: かなかわ
異形編
21/38

第三章【表】被害者が死にすぎる 第三部

 漆田は「いい加減頭を下げるのはやめてくれ」という月熊の言葉に促され、席へと戻った。

「しかし面白い話だったね諸君」

 獅子噛が手を叩いて笑う。だがその態度はポーズでしか無いのだろう、内心は事件に関係ないことを聞かせやがってと思っているだろうことを隠そうともしない。

「だがいい加減お喋りをし過ぎて喉が渇いた。漆田くん、たった今座ったところ悪いがコーヒーを頼むよ。ガスは使えるんだろう?」

「かしこまりました」

 漆田はもういつも通りの様子だ。頭を下げ、立ち上がる。

「待ってよ、何考えてんの? そいつが飲み物に毒を入れるかもしれないじゃない」

「だったら君は飲まなければいいだろう。だけど君は喉が渇いたら水道水でも飲みに行くのかな? そういえば、昔見たミステリードラマでは水道水に毒を仕込むトリックが使われていたな。マジシャンの女と物理学者の男が出てくるドラマで――」

「うるさい!」

「では、私が同行します」

 始まりかけた獅子噛と兎薔薇の言い争いを妨げるように、大神が手を上げた。

 それでも兎薔薇は何が言いたげに口を動かしたが、最後は諦めたようにそっぽを向いた。

「では、皆様。紅茶とコーヒーをお選びください」

 そしてオーダーを受けた漆田は、大神を伴って厨房に続く階段を上がっていったのだった。この時ばかりは、大神の持つスマートフォンの灯りを使う他ない。

「しかし、兎薔薇くんは一体何に怒っているんだい? 君は十五年前にホテルには泊まっていなかったじゃないか」

「うるさいって言ってるのが、何でわかんないの」

「直接火事に巻き込まれたのではない、それなのによく漆田くんに『死んでも恨み続ける』だなんて言えたもんだ。あの火事で死者は出ていないから家族が死んだわけでもないというのに。おっと、この話題は月熊君も怒らせてしまうかな」

「ふざけんな、お前の言葉はもう聞かねえよ」

「なら好き勝手に話させてもらおう。兎薔薇くん、そういえば君のお父さんは逮捕されていたね? もしかして君の人生が狂ったというのは火事そのものではなく、それによってお父さんが逮捕されるきっかけになったからかな?」

「黙れ! それ以上喋ったらアンタをブッ殺すわよ!」

 兎薔薇はテーブルの向かいに座る獅子噛に喰らい付こうとするように身を乗り出す。

 そこへ、コーヒーと紅茶の匂いを八木は感じ取った。カチャカチャと食器の擦れる音から、コーヒーと紅茶を淹れたカップを盆にでも置いて運ぶ漆田たちが戻ってきたのだろう。「皆様、お待たせしました」しかし、漆田の声は誰にも返事をもらえなかった。

「もしかして、図星かな?」

「殺す!」

 兎薔薇がいよいよ立ち上がった、その時――。


 ビュッ。ぼたた。


 そんな音が一瞬聞こえたかと思うと。

 世界の全てが、闇に包まれた。


 八木達の中心に立つ蝋燭が、何かによって吹き飛び、火が消えたのだ。


「……蝋燭が消えた!」

「何も見えない!」

「ぐ、グァアアアアアッ!」

 近くから男が倒れるような音。

「どうされましたか! 獅子噛さん!」

「おい! 兎薔薇どこだ! お前がやったのか!」

「う、撃たれたッ!」

「え……なんですって!」

「何これ……何が起こったの!」

「あの女、何をした……ぐっ、血が……血が出ている!」

「兎薔薇! お前今どこだ!」

「アタシ知らない……知らないわよ!」

「皆さん! 動かないで、じっとしててください!」

「知らないってば!」

「それっ!」

「あっ!」

 食器が盆ごと落ち、割れるような甲高い音。

「落ち着いてください! 皆さん……落ち着いて!」

「誰か、助けてくれッ! 胸を撃たれた、血が止まらない!」

「誰だ! そこのお前、止まれ!」

 絨毯が吸収して小さくなった足音。

「もうヤダ……アタシもう嫌ぁああっ!」

 足音が続く。

「ちょっと、皆さんどこですか! 月熊さん! 兎薔薇さん! 大神さん!」

 ガチャ、バタン。

「誰か居ませんか! 誰かーっ!」

「俺はここだ! スマホ出せ、スマホ!」

「あっ」


 八木はポケットからスマートフォンを取り出し、動揺の隠せない指先でライト機能を呼び出した。たちまち光がスポットライトのように壁に円を描いた。

「全員いますかっ!」

 八木は光を振り翳して人影を探す。

 まずは月熊、そして漆田が光に照らされて現れる。

「し、獅子噛さんは!」

 八木はすぐに見つける事はできなかった。それもそのはず、彼は椅子から転げ落ちた体制で地に伏せていたのだから。胸を押さえて苦悶の表情を浮かべている。

「そんなやつより、他のやつはどこだ! 兎薔薇! 大神!」

「旦那様もおりません!」

 どれだけ探しても、三人が消えていた。

「でも獅子噛さん、撃たれたって、血が出ていると!」

「ああ……クソ!」

「皆さん!」

 一階の浴場がある側の廊下から大神の声が響く。瞬時に月熊と八木の照らす光が彼女の姿を強く照らす。

「何者かが脱衣所から外に出ました!」

「一体これはなんなんだよ!」

「それよりも、獅子噛さんです! 怪我をしているかもしれません!」

「でしたら、まずは獅子噛さんです!」

「……クソが!」

 月熊、大神、漆田、そして八木は未だにうめき声を上げ胸を抑える獅子噛に駆け寄る。

「リネン室です、綺麗な布を!」

 月熊ほどではないとはいえ、大柄な男だ。月熊は大神にライトのついたままのスマートフォンを押しつけ、獅子噛の体の端を掴む。

「お前らも!」

 八木と漆田も遅れて続き、「せえ、の!」という掛け声で獅子噛を持ち上げた。

 大神が明かりで先を照らし、リネン室の扉を開く。

「見せろ、獅子噛!」

 そう言いながらも月熊は積み上げられたシーツに掴みかかるので八木が代わりに獅子噛の体を照らす。

「獅子噛様、お見せください!」

 漆田が胸元を塞ぐ彼の腕を引き剥がす。

 そして、現れたのは血の海……などでは、なかった。

 何も無かった。

 噴き上がる血液も、真っ赤に染まったスーツも、銃で撃たれたと言う胸の傷も、穴も、何も。

 その場の全員が、目を丸くして一瞬黙りこくった。

 まるで狐につままれたようだ。

 ただ数度の、はっ、はっ、という息を吐く音だけが交わされる。獅子噛の体に落ちる光は、ふるふると震えていた。

 そして他の者より早く正気に戻ったのは月熊だった。

「お前っ、お前えっ! こんな時にふざけた真似してんじゃねえぞ!」

「ま、待った待ったっ! 本当だ、私は確かに撃たれたんだ、あの女に!」

「まだ言うかァ!」

 月熊は獅子噛の胸ぐらを掴み上げ……そして、すぐに手を離す。

 怒りをすぐに収めたのかと思ったが、そうではないらしい。月熊は自ら離したその両手の内側を観察するように眺め、握っては開いてを繰り返す。

「つ、月熊さん?」

「……濡れてる」

 その呟きを聞き、八木はライトに照らされる獅子噛の胸元をよく観察する。確かに、キラキラと反射していた。光を反射しているものは水分だろう。

「本当だ、濡れてる。これは水だ、ただの水だ」

 八木には訳がわからなかった。

 だが、一つ一つ思い返していく。

「多分、蝋燭を消したのもこの水です。そして、蝋燭が消えた時と獅子噛さんが撃たれた時間はほぼ同じ、つまりその二つの直線状に居た人物が……水鉄砲のようなもので蝋燭の火ごと獅子噛さんを撃ったんです」

「あの時、蝋燭を挟んだ獅子噛の反対側って言やあ……」

「だから! あの女に撃たれたと言ってるだろうが!」

「兎薔薇さん……彼女は今どこですか!」

「大神様、確か誰かが外に行ったと仰っておりませんでしたか」

「そうです、おそらくあれは兎薔薇さんです。あの方、脱衣所の窓から外に出たんです!」

 大神は弾かれたように走り出す。話からしてすぐ近くの脱衣所だろう。「大神さん! 一人じゃ危険です!」月熊と漆田、そして八木も後を追う。「大神さん!」だが、呼びかけに応じず、リネン室から出る頃には脱衣所の扉が閉まるところしか見えなかった。

「あの女、速え!」

 月熊が吐き捨て、八木は脱衣所の扉に飛びかかり、吹き飛ばす勢いで押し開く。しかし八木らを迎えたのは開いた窓から差し込む夜風だけだ。大神は既に外へ出たらしい。

「僕たちは玄関から!」

 三人は引き返す途中、ようやく起き上がったリネン室の獅子噛を見た。「おい、君たち!」構う余裕もないと無視して暗闇の中央ホールを駆け抜ける。「待ちたまえ!」

 玄関ホールを数歩で渡り、玄関扉を蹴り開く。

「大神さーん!」

 八木は外へ出るなり大声で名を呼んだ。

 しかし返事はない。二手に別れようかと指示をしかけたその時。「あそこだ!」と月熊が指を向ける。そこは不死鳥館の尾羽とでも言うべき、パーティホールや食堂のある箇所の影に隠れるようにして置かれた、ガレージだった。その正面に立つ人影は大神だ。

「今そちらに!」

「来ないでください!」

 走り寄ろうとした八木らを、ガレージ前の大神は止めるように掌をこちらへ向けた。

「中に誰かが居ます、危険です!」

 そう言われて仕舞えば、八木らは足を止める他ない。大神はそちらに窓のようなものがあるのだろう、ゆっくりと警戒した様子で八木らの死角となる方向へ歩き出す。

 そして。

「……キャァアアアアアアアアッ!」

 絹を裂くような絶叫が響いた。

「お、大神さん!」

 その声を聞いてしまえば、来るなという命令など聞いていられない。三人は再び走り出した。

 ガレージの窓のある側面へと辿り着けば、大神は何を見たのだろうか、その場にへたり込んでいた。彼女は窓を指差す。不思議なことに、その指は震えていた。

「……ぞ」

「ぞ?」

「ぞ、ゾンビ……!」

「えっ……は、はあっ!?」

 八木は何を聞いたのか一瞬わからなかった。そして一瞬を過ぎて頭の中で音が単語に変わっても、なおわからなかった。

 混乱する八木の背後で月熊が叫ぶ。「ガレージ、開けるぞ!」大きな腕がガレージの木でできた扉を掴む。しかしガタガタと揺れるだけで開く気配は無い。

「内側から鍵がかかっています!」

 漆田が言い、「壊すぞ!」と月熊が少し下がる。そしてガレージの扉に猛烈なタックルを始めた。

 一度、二度。「お前らも手伝え!」三度、四度。

 八木は大神を起こし、立たせると月熊に加わるため動き出そうとして、ふと立ち止まる。

 何か、聞こえた。

 それは何かが動く音。

 擬音にすれば、ブルンブルン。

 その音はどんどん強くなる。ブルンブルンブルンブルン。

 ガレージの中にあるもので、そんな音を立てるのはたった一つ。

 その答えを示すように、ガレージの内側が光り輝き始めた。

 月熊がタックルを続ける扉も、隙間から光が漏れているのがわかる。

「つ……月熊さん! 逃げろ!」

「あぁ?」

 八木の言葉と回転するゴムがコンクリートを切り裂く音が響いたのは同時だった。

 月熊の意味をなさない声と木製の扉が木っ端微塵に砕け散るのはほぼ同時だった。

 だが月熊の体を外へと引き離すのは、全てにおいて漆田の方が早かった。

「く、車がっ!」

 爆音と共にガレージから飛び出したのは、数日前に八木らが乗ってきた大きなバンだった。

 それは嘲笑うかのようにハイビームライトを光らせ尻を振りながら、敷地の中をスピードを落とすことなく走り抜ける。

「一体これは、何の騒ぎだ!」

 玄関ポーチに立つ獅子噛が叫ぶ。

「誰か説明したまえ!」

「犯人が、車で逃げた!」

 八木の説明は、明らかに不足している。

 何故なら、あの車には逃げ道がないから。

 敷地を囲う柵の、大きな門は今もまだ閉まっている。

「追いかけます!」

 大神が再び走り出す。彼女の足の速さには誰にも追いつけず、不死鳥館の翼を曲がったあたりで姿が消えてしまう。

「ひ、一人は危険ですよ!」

 八木ら四人も後に続き、翼を曲がり見えた頭の部分にいる大神に叫ぶ。

「ねえ、大神さ――」

 だが、その呼びかけは届かない。

 もっと大きな音が響いたからだ。


 ……ズガァアアアン!


 八木も、大神も、他の全員がその場に立ち止まった。

「今の、音は」

 恐る恐る走り、というより慎重に歩く八木はまだ硬直する大神の背に尋ねる。

「まだわかりません。慎重に」

 そして不死鳥館の頭を曲がる。まだ何もない。崖側の翼を曲がったところに、それはあった。

「あぁ、車が……」

 そう、先ほどまで暴走していた大型の車は、その頭を鉄柵へと突き刺して止まっていた。

 だが、異変は止まらない。

 大きな衝撃を受けたであろう鉄柵は崖側へと大きく曲がり、崖からその身を半分ほど投げ出している車を支えていた。

 問題は、鉄柵自体が古く、それも長くは続かなかったことだ。

 一瞬の静けさの後、鉄柵は甲高い悲鳴を上げながらその体を歪ませていく。重たい車を抱き抱えながらも、波を打つ暗い海へと。


 ばきん。


 鉄柵は最後に一声上げると、大きなバンを抱えたまま千切れたその一面が海へと落下していく。

 その時八木は初めて、車の裏側を見た。

 直後に起こった衝撃と音は、わざわざ述べるものでも無いだろう。

「う、う……兎薔薇さん!」

 叫んだのは大神だった。大きく海へと開かれた鉄柵の間から、眼下へと叫ぶ。「兎薔薇さーんっ!」

 崩れ落ちるようにしゃがみ込む大神に、八木は言った。

「多分、車に乗っていた人は……まだ生きています。あの車、扉が開いていました」

 大神は顔を上げた。何故、そんなに泣きそうな顔をしているのだろう。八木は不思議に思った。

「急いで戻るぞ」

 月熊の呼びかけに、二人は行動を開始する。

 ガレージは隠れる場所が消え、簡単に開くことのできない門扉はそのまま。あの後車から逃げたと言うのなら、おそらく何者かは館へ戻ったのだろう。

 五人は開けっ放しの玄関扉をくぐり、中央ホールへの扉を開いた。

「ひっ!」

「う、兎薔薇さん……」

 そして彼らのライトが照らしたのは、中央ホールでいつの間にか用意したハンドバッグを隠すように抱える、兎薔薇真美実だった。

「こ、来ないで!」

「兎薔薇さん、やはりあの車を運転していたのはあなたでしたか」

「来ないでって言ってるでしょ!」

「お前……よくも私にあんなことを!」

「は、はあっ? アタシ、アンタたちが何言ってるのか全然わかんない!」

 獅子噛に詰め寄られ、兎薔薇は後ずさる。

「だったらお前の持つそのバッグを見せてみろ! どちらにせよ何が入っているのかは分かっているのだ! 私を撃った、水鉄砲だろう!」

「水鉄砲って、何のことよ! そんなの知らない!」

 だが獅子噛は兎薔薇が隠そうとするハンドバッグを取り上げてしまう。

「あっ、返してよ! 返せーっ!」

 獅子噛は叫ぶ兎薔薇を嘲笑いながら、バッグの口を開いて手を突っ込んだ。

「ああ返してやるとも! お前のふざけたおもちゃを踏みつぶし、て……か、ら?」

 だが、彼が取り出したものは銃でもなければ、水鉄砲でもなく。

「なんだ、これは」


 一本の、大ぶりな包丁だった。


 ※


「もう議論の必要など無い。お前以外に犯人はあり得ない」

 獅子噛は目の前で青を通り越した白い顔で硬直する兎薔薇を見下ろして言った。

「他の者も、いいな」

「ちょっと待ってください! 兎薔薇さんが犯人って、あまりにも短絡的すぎませんか!」八木は叫ぶ。

「短絡的? どこがだね。私は私なりに考えがあって言っているんだよ」

「考えとは、どういったものですか」

 食い下がる八木に獅子噛は一つため息をつき、話し出す。

「最後まで馬鹿だったな、少年。いいかね、蝋燭を囲んだ推理合戦と老執事の告白の最中、席を立った者は居なかった。そして全てが終わった後、大神くんと漆田くんは厨房へ。戻ってきたと同時に蝋燭が消され、私に水がかけられた。直後、何者かが外へ出てガレージに置かれた車の暴走が起きた。車は崖下へと転落。しかし直前に降りたらしき何者かを追いかけると、そこには兎薔薇くんが居た。包丁を持ってね」

「だから何にも知らないって!」

「私の話を遮るな!」獅子噛は兎薔薇に噛み付くように叫ぶ。崩れた髪型を乱暴に直して、彼は続ける。

「簡単な話だ。兎薔薇くん、君は次に私を殺そうとしたんだね? そしてその罪を漆田くんか大神くんに押し付けようとした。方法は簡単、君は最初から包丁を隠し持っていた。中央ホールに皆が集まるよりも前からね。それから君は待った、誰かが厨房へと向かうその時を。何故ならその誰かが戻ってきてから隠し持っていた水鉄砲で明かりを消して包丁で刺し殺せば、直前に厨房へ向かった者に疑いを向けることができる。そして思惑通り大神くんと漆田くんが厨房へ行ったんだ。だが、ここで問題が起きた。本来ならば二人が厨房から戻ってから少し時間を空けるつもりが、君は私の挑発に耐えられなくなりすぐに私を殺すべく蝋燭を消す用の水鉄砲を発射してしまったんだ。更に問題は続く。君は思いあまって身を乗り出してしまったがために、水鉄砲の水が火を消すだけでなく私にまで届いてしまい、私が床に倒れてしまった。これでは暗闇の中私がどこにいるかわからない。計画が狂った君は、外へと逃げ出した。そして、今に至るわけだ」

 獅子噛は両手を広げ、説明の終了を伝える。

「それでも、兎薔薇さんだと決まったわけではありません。火を消したのは別の誰かという可能性も……」

「無い。私と蝋燭が結ぶ正面にはこの女しかいない」

「車を運転したのは他の人という可能性だって!」

「無い! 車が動いていた時、あの場に居なかったのはこの女と的羽だけだ!」

「だったら的羽天窓さんだった可能性もあります!」

「くどい!」

 獅子噛はその一声で八木を黙らせた。

「車の運転が仮に的羽だったとしよう。だがそれでどうなる? 蝋燭と私とこの女の位置関係、そしてこの女が包丁を隠し持っていたという事実がある以上、この女が私に殺意を抱いており、それは中央ホールに集まるよりも前だったことは変わらない! 反論の余地はあるか!」

 無い。獅子噛のロジックは崩せる部分がなかった。

「アタシ……全然何のことかわかんない……」

 兎薔薇は崩れ落ちる。

「車の運転って、なんのことよぉ……」

「言い訳も出来ないか。さて、お前ら。こいつの処分を決めようか」

 八木らに向き直る獅子噛は、いつものような余裕ぶった表情ではなくなっていた。走り通しだったからか、それとも余程感情が昂る何かがあったのか、おそらくはその両方だ。兎薔薇に殺されそうであったと気づき、彼は動揺というよりも怒りに近い何かをその顔に滲ませているのだ。牙を見せるように唸る。

「私はこいつを、拘束するべきだと思う」

「拘束ったって、どうするんだよ」

「大神くん! 君の指錠を貸せ。こいつに使う」

 獅子噛は大神を睨むが、「兎薔薇さんが本当に殺意を抱いて包丁を持っていたかわかりません。ただ護身用に持っていただけかもしれませんから」と睨み返される。

「ではなんだね、君は私が殺されてからようやくこいつに指錠をかけるというのか?」

「そうは言っていません。 兎薔薇さんが包丁を誰かに向けたのならまだしも、バッグに入っているところをあなたが取り出しただけです」

「水鉄砲の件があるだろうが!」

「私は兎薔薇さんが水鉄砲を放つ場面を見ていません。それとも獅子噛さんは見たというのですか」

 毅然とした態度で反論する大神に、獅子噛の勢いが落ちる。

「見て……は、いないが、状況的にこいつしか有り得ないだろうが。おい、他のやつはどうだ!」

 獅子噛は相手を変えて八木らに声をかける。が、月熊も八木も漆田も、首を横に振った。

「がぁあっ! クソ! 貴様ら、本気でこいつを野放しにする気か! 今この状況で鍵がかかる部屋はどこにも無いんだぞ!」

「なら牢屋を使えばいい」

 不意に予想外の方向から声が響く。

 全員の視線とライトが声の主を照らすと、そこに居たのは的羽天窓だった。

「的羽……お前、今までどこにいたんだ」

「部屋にいたよ」

「な、何故ですか!」八木が声を荒げる。「何のために部屋に居たんですか!」

「何のためと言われたら……そうだな。牢屋がちゃんと使えるように確めたかったからかな」

 再びその言葉が出た。牢屋。

「おい的羽、牢屋ってどういう意味だ。そんなものがどこにある」

「この館の地下にある。兎薔薇さん、私が二日目にブザーで閉じ込められたように、皆の安全のために牢屋に入っていてもらえるかな」天窓は優しげな口調で中央ホールの隅で丸まる兎薔薇に声をかける。

「ふ、ふざけないで! 何でアタシがそんなものに入らなきゃいけないのよ!」

「このままじゃ埒があかないね。大神さん、あなたはどう思いますか。ここに明らかな危険人物がいて、隔離するには私の所有するこの館の、ある施設を使わなくてはならない。そしてそこには鍵がかかる。あなたはどう判断しますか」

 天窓に水を向けられ、大神は数秒思案すると。「兎薔薇さんは、隔離するべきです」と答えを出した。

「何でそうなるのよ……だってアタシ、何もしてないのに」

「兎薔薇さん、こう考えてください。今この館で鍵がかかる部屋がそこしかないというのであれば、そこが一番安全ということにはなりませんか。何もしていないからこそ、あなたは一番安全なそこにいるべきです」

 なるほど。八木は大神のアプローチに感心した。それでも兎薔薇は「でも……でも」と繰り返す。

「兎薔薇さん」天窓は縮こまる兎薔薇に歩み寄る。「貴方の気持ちはよくわかります。身動きの取れない場所で後数日を過ごすなど、耐えられないかと思います」

「何言ってんだお前、そういう問題じゃねえだろ」

 月熊が口を挟むが、天窓には届いていないらしい。

「それならば、こういうのはどうでしょうか、眠って時間を忘れるというのも」

 その時、八木は天窓の手の中の何かが一瞬ライトの光を反射したように見えた。

「的羽さん、あなた何持っているんですか」

「眠くなんてないわよ。こんな状況で、眠れるわけないでしょ」

「大丈夫です」

 天窓は答えず、その何かを持った側の手で兎薔薇の口を覆った。兎薔薇は目を見開き、手をかけて天窓の手を外そうとするも、力が強いのか動きそうにない。

「的羽さん!」

 叫ぶ八木の横で大神が既に走り出す。天窓を押し倒すようにタックルを喰らわせれば、体勢を崩した彼の手首を捻り上げて「何をしたんですか!」と尋ねた。

「少し睡眠のお手伝いをしただけですよ」

 手首から捻りあげられているはずの天窓は、相変わらずの薄い笑いで返している。兎薔薇は呻き声を上げて屈み咳き込んでいる。傍には小さな小瓶が転がり、光を当てれば空であることが分かった。

「大神さん! 兎薔薇さんは何かを飲まされました!」

「慌てないで大丈夫ですよ」大神に取り押さえられながらも的羽は言う。「人体に害はありませんから」

「信じられるかクソが!」月熊も兎薔薇に走り寄ると彼女の背中を叩く。「吐けるか? 吐け!」

 しかし、何度か叩く内に兎薔薇の咳き込む音すら小さくなっていき、最後には動きを止めてしまう。

「おい……おいっ!」月熊が身体を揺さぶり、背を起こさせて顔色を見る。苦しげな顔のまま、閉じた目を開かない。「生きてる……けど、意識がねえぞ」

「的羽さん、正直に答えてください。あなたは兎薔薇さんに何を呑ませたんですか!」

 大神がらしくもなく天窓に尋ねる。天窓はらしく薄く笑い「昏倒薬ですよ」と言った。

「昏倒薬……ってあの隠し部屋の!」八木は思い当たる物があった。昼間に月熊に教えられて入った隠し部屋で見つけた木箱、そのラベルを。

「おや、あの部屋に入ってしまったんですか? ですがその通りです。安心してください、数時間気を失わせるだけですから。毒性もほとんどなく、すぐに尿として排出されます。今のうちに牢屋へと運びましょう。大神さん、あなたの言う安全な場所へ」

 大神は天窓の手を投げるように離して解放する。

「牢屋って、結局どこですか」

 八木が尋ねると、「先ほども言った通り、地下ですよ」と答えた。

 着衣の乱れを治しつつ立ち上がる天窓が歩き出したその先は、天窓の部屋だった。


 ※


「この本棚も、動くのかよ」

 呟いたのは月熊だ。

 ここ、的羽天窓の部屋は以前ブザーを設置する際に見た時と変化がなかった。相変わらず本棚が並んだ部屋と、ノートパソコンの乗った高価そうなデスク。部屋の隅に簡素なベッドがあり、開かない窓がその傍にあった。だが、異変は天窓が一角の本棚に手を伸ばしたことで現れる。書斎の隠し部屋と同様に、本棚がスライドしたのだ。

 そして本棚の奥にあったのは地下への階段だった。

「狭いですね」

 明らかに客人が通るために作られてはいないのだろう、横幅は八木の肩幅程しかなく月熊や獅子噛は文字通り肩身の狭い思いを強いられた。

「漆田さんはご存じだったんですか」

 階段を降りつつ、前を歩く漆田に尋ねる。

「いいえ。私も知りませんでした。森子お嬢様も同じかと」

 声の調子から、おそらくは嘘を言っていないはず。ならばこの隠し階段は天窓だけのものだったわけか。八木は底の知れない階段を睨む。

 しかし底は案外浅かったらしい。ある程度進むとすぐに進路が折れ、小さな踊り場のような場所が現れる。そこへ一行は一度集まった。

「なんか、坑道みたいですね」

 八木が誰にともなく呟いた。返事はなかったが、場の全員が思ったはずだ。

 まるで坑道、あるいは塹壕か。そこは、今八木らの頭の上に建つ館と全く違い、掘った穴を石を積み上げ固めて出来た穴であった。明らかに今の時代に作られた物ではないだろう。天井をライトで照らせば豆電球が垂れているが、停電の今点灯する見込みは無い。

「こっちです」

 先導する天窓が一行へ声をかける。踊り場に出て右側の一面が空いており、先に道が続いていた。広く舗装された道であることを期待したが、残念ながら踊り場と同じ、塹壕のような様相だった。

「こうも狭くては、すれ違うことはできませんね」

「だな」

 月熊は背中の兎薔薇を背負い直して答える。

 ここで誰かに襲われたらひとたまりもないだろう。前方へと逃げるしかなくなってしまう。

「だが、なんか変だな、ここ。気持ち悪い」

 八木の背後にいる月熊の顔は見えないが、おそらく嫌悪感の滲んだ顔をしているのだろう。そして八木もそれに頷いた。

 この道は通る者を妙な気分にさせる。

 ライトがあるとはいえどこまでも深い闇が包み、そして狭い上に同じ景色が続いていく。このままどこにも辿り着かず、そしてもう戻ることもできないとしたら。八木は嫌な妄想を頭から振り払う。

「どうやら、大きく左にカーブしているらしい」

 前方から響く声は獅子噛だろう。

「おい的羽、いつになったら着くんだ。いい加減嫌になってきたんだが」

 子供みたいなことを言って獅子噛は急かす。

「もう着くよ」

 最先頭からは、無機質な声。

 天窓の言葉は真実だった。もう着くという言葉も、牢屋がある、という言葉も。

 長い、永い道の先で再び右に曲がるとそこは一変、大きく広い道となっていた。八木はおろか月熊も獅子噛も余裕ですれ違うことのできる幅の、さらには一番奥が見える短い道。

 その道の奥に、それはあった。

「たしかに、これは牢屋ですね」

 八木らの前に現れる、鉄の檻。

 それは鉄格子で出来た真正面に一枚の大きな鉄格子の扉を持ち、左側にさらに小さな扉が地面付近に備えられていた。

 大きな鉄格子の扉は右にスライドさせることで開くらしい。そしてその鍵らしき物を見て、一行は絶句した。

 銀色で鉄製のポケットのようなところから、木片が突き出している。

挿絵(By みてみん)

「こんなものが、鍵だというのか」

 獅子噛が手を伸ばすと、鍵がかかるような軽い鉄の音と共に、ポケットを残して木片が一つ取られた。

 八木はそれと同じ鍵をどこかで見たことがあった。記憶を掘り返せば、それは銭湯や和食系の料亭で靴を保管する際のロッカーの鍵が思い当たる。

 要は木片、つまり木札に刻まれた特定のパターンの溝が、ポケットのような受け皿に内蔵された機構と合致した際に鍵を開くタイプの錠。一般には松竹錠やウォード錠と呼ばれる物だ。

「牢屋の鍵にしては、あまりにもセキュリティが甘いのではないか?」

 獅子噛はしげしげと手元の木札にライトを当てて観察する。

「こんな物いくらでも複製できる。それに牢屋の内側の人間が腕を伸ばして棒でも突っ込めば内側からでもピッキングできそうではないか」

 八木も獅子噛の手元の木札を覗き込むと、顔がこわばった。

 松竹錠の鍵となる木札は、通常パターンを複雑にするために溝は何本か引くものであり、長さや深さもそれぞれ違うものにするものだ。

 だが、それはたった一本の溝が掘られただけである。

「不安ならやめるかい? 他に鍵のかかる部屋はもう無いけれど」

 全員の不安を感じたのであろう、的羽が言った。返事をするものは、居なかった。


 ※


 格子扉のポケットに木札を差し込み、解錠し扉を開く。予想外なことに、恐ろしいほどに滑らかに動くようだ。観察すれば錆も見当たらず音も全く無い。せいぜい扉が止まる時にカシャンと鳴ったくらいだ。

 その点に誰も気付いていないのか、あるいは気付きながらも黙っているのか、月熊が牢屋の中に兎薔薇の体を横たえる様を眺めていた。

「本当に、これでいいのでしょうか」

 呟いたのは大神だった。

「まあ、目が覚めた兎薔薇さんが大きく混乱するのは目に見えてわかります。そこで、朝に全員で改めてここに戻り、事情を説明しましょう」

 的外れなフォローをするのは天窓。大神はその説明で納得したのだろうか、暗闇の中黙ったままでは八木に判断はつかなかった。

「だが、一先ずは安心したと言える」獅子噛が溜息混じりに吐く。

「この牢屋、何のためにあるんでしょうか」八木は牢屋の内側へと入り、改めて観察する。

 妙なことに、鉄格子の面と奥の壁の面の面積は、後者の方が幅が狭い。要は、この牢屋は上から見ると台形の形をしているようだ。

 その中で八木が疑問に思ったのは、鉄格子の牢屋と聞いて思い浮かべるのは、現実世界なら刑務所、ファンタジー世界ならば拷問室、共通するのは人が拘束される場所のはずだ。しかし八木が観察するところには、この牢屋にはそれらしい設備が何一つ無いのだ。

 簡易的なトイレもなければ、簡易的なベッドすらない。人を閉じ込めておくべき場所には到底見えない。

「僕が生まれた頃にはこの場所はすでにあったからね。僕にもわからない」

 スマートフォンのライトを消して仕舞えば、完全に光の無いこの空間。こんな所で目が覚める兎薔薇は一体どのような反応をするのだろうか。彼女は包丁を隠し持っていたとはいえ、八木は少し心が痛んだ。

「これは問題ですよ」不意に聞こえたのは大神の低い声。「もし兎薔薇さんがあなたの薬を飲んだことでこのまま亡くなってしまえば、その責任は的羽天窓さん、貴方にあります」

「問題ありませんよ、何度か使ったことがありますが、体の弱い老齢の方に飲ませたとしても問題はありませんでした」どういった目的で、とは聞かずとも八木には予想が付いた。

「だとしても、貴方のしたことは問題に当たります」

「正当防衛を主張させてもらいます」

 的羽と大神のやりとりは平行線になるだろう、八木は話を進めるためにも割って入った。

「それより、これからどうしますか。僕としては中央ホールにまた集まって相互監視を続けるべきだと……」

「馬鹿馬鹿しい!」獅子噛が遮る。「一連の犯人はこうして牢屋の中だ! これ以上の相互監視に意味などない!」

「兎薔薇さんが犯人だとは決まってません」

「決まっているだろうが! こいつは私を殺そうとしたんだぞ!」

「兎薔薇さんが包丁を持っていたのは、護身用かもしれません」

「だとしても、それを使うために明かりを消したのは事実だ!」

 獅子噛の様子は、明らかにおかしかった。

 いつもの余裕はどうしたのか。あの事件をゲームとして楽しんで他人に挑発を続けていた獅子噛らしくない必死さがあった。

「お前らうるせえ!」八木らを止めたのは月熊の叫びだ。「誰が犯人かなんてもうどうでもいいだろうが!」

 暗く、狭い空間に放たれた叫びは、廊下の奥の闇へと消えていく。

「……確かに、もうどうでもいい事だ」意外にも獅子噛がそれに同調した。「犯人はこうして牢屋の中だ。そしてもし犯人がこいつでなかった場合、牢屋に守られたこいつを犯人は殺せない。問題は解決だ」

「何故犯人は兎薔薇さんを殺すと?」大神が尋ねる。

「そうか、君はまだ知らなかったのか。この殺人劇は不死鳥伝説に基づいていることを」

 獅子噛は全員に改めて【不死鳥伝説があるこの島で起きた四人の女性の死】と【語られなかったはずの首切りという方法は島の人間全員が知っていたわけではないこと】から、犯人は過去の伝説の再現をするために殺人を行なっていると判断されることを話した。

「初日のディナーの時、的羽が話した不死鳥伝説には首切りという点は語られなかった。もし、この殺人が伝説を隠れ蓑にする【見立て】であるならば、語られなかった首切りという方法にこだわる必要はない。よって知っている者が限定される首切りという方法をあえて使うのであれば、犯人は女性の生首を四つ揃えるということ自体が目的なんだ」

「どうしてそれを黙っていたんですか!」大神は獅子噛に詰め寄った。「それさえ分かっていれば、出来たこともあったはずなのに……」

「考えればわかることを、考えてもわからない頭を持っているのが悪い。それよりも、私が思うに犯人が兎薔薇くんに手を出すことができなくなった以上、次は確実に君が狙われることは分かっているのかね、大神くん」

 冷たい言葉に、大神は一瞬怯んだ様子を見せた。

「それとも、君もこの牢屋の中に入るかい? 同室する兎薔薇くんが犯人かもしれないがね」

 光に照らされできた大神の影が、言い返せず顔を伏せる。

「もう、戻ろうぜ……疲れちまったよ」月熊が言い、誰ともなく一行は長い通路を戻り始めた。


 ※


 中央ホールまで戻ってきたが、改めて見ると酷い惨状であった。椅子やテーブルは蹴倒され、階段上からは漆田が蝋燭が消された時に落としたのであろうティーセットがぶちまけられて中身共々カップの破片が散乱していた。

「片付けますので、少々お待ちください」

 漆田がテーブルを起こそうと手をかける。その手を止めたのは獅子噛の「もういい」という言葉だった。

「もういい……私も疲れた。相互監視は結構だが、明日からにさせてくれないか。せめて今夜だけは……一人で寝たい」

「部屋の鍵はかからないままですが」

「私には関係ない。殺されるのはどうせ女だけだ……」

 大神は眉も動かさないかわりに思い出したように言った。「鍵といえば、地下牢の鍵ですが。誰が、どのように管理しましょう」

「その問題があったな」獅子噛はポケットから木札を取り出し、大神に放り投げる。「警察くん、君が隠せ」

「隠せって……私がですか?」

「いざという時すぐに見つけられるように、的羽の部屋にだ。君に任せたのは、犯人は不死鳥伝説の詳細を知っている人物。よって的羽、執事くんには任せられない。月熊くんはこれまでの言動から暴力性があり信用に値しない」

「大神さんが兎薔薇さんを出す可能性もあるのではないですか?」

「確かにそうだ。今回の騒動において、初めて彼女が感情的になったのが兎薔薇くんの身に危険が迫った時だ。車が落ちた時、的羽が兎薔薇くんに薬を飲ませた時。この時の反応から、私は大神くんは兎薔薇くんと何か繋がりがあるように思えるのだ」

 八木は反論できなかった。獅子噛の言うことも一理ある。

「であれば……」

「だが、もし大神くんが鍵のありかを知っている状況で兎薔薇が死ぬことがあれば、問答無用で大神が犯人だ」

 八木は思わず「なるほど」と呟き、黙ってしまった。

「わかりました。では私は木札を隠しておきます」

 そして大神は、木札を持って的羽天窓の部屋へと消えていく。

 それを見て、獅子噛は中央ホールの階段を昇り始める。

「どこへ行くんですか」

「私は寝る」

 止めることもできず、八木らは獅子噛の背を見送るだけだった。

 残された一行は、互いに顔を見合わせる。

「正直、俺も部屋に戻りてえ」初めに呟いたのは月熊。「今夜は色々ありすぎた。停電に車の暴走に……せめて今夜だけは部屋で寝てえんだが」

 月熊の言うことも、もっともだった。相互監視をするにしても、ここまで早く立て続けに疲弊するような出来事が起こるとは八木にも想定外だった。

「では僕も、部屋で寝させてもらおうかな」

 天窓まで続く。

「でも的羽さんの部屋は……」

「うん、そうだね。代わりに森子の部屋を使わせてもらうよ。皆さんも今日だけは、部屋で寝た方がいい。鍵はかからないけれど、対策は各々で」

 大神と森子の部屋は入れ替わっている。それを話に出そうとした時、月熊が「後の問題は、あいつのことだな」と言った。

 月熊が目を向けたのは大神の消えていった的羽天窓の部屋の扉だった。「獅子噛の言うことが正しければ、あいつも危ないんだろ? どうにかしねえと」

「では、こういう方法はどうでしょう」手を挙げて注目を集めたのは漆田だ。

「大神様の部屋と兎薔薇様の入っている牢屋を、同時に監視するのです」

 一同は異議を唱えず、漆田の提案の詳細を促す。

「大神様の部屋へ侵入する者が居ないように、そして大神様が外へ出ることのないように。それと同時に地下牢の見張りを立てることで、兎薔薇様の出入りと安全を見守るのです」

 漆田の提案は一見良さそうに見える。

「ですが、同時に見守るとはどういうことですか?」

「旦那様の部屋の隣は空き部屋です。大神様がそこに居てくれれば、扉の前にいる見張り役は地下牢へ続く階段のある的羽天窓さんの部屋も監視することができるんです」

「であれば、見張り役は僕がやります。僕は体力もありますし、一晩の見張りは問題ありません」

「も、申し訳ございません。お任せしてしまいます」

 漆田も隠してはいるが数日の疲れがあったのか、素直に頭を下げる。

 その時、的羽天窓の部屋から木札を隠し終えた大神が現れた。

「何をお話ししていたのでしょう」

 ふと、八木は大神に【部屋の交換をするべきだ】ということだけを話し、あえて【部屋の扉の前には自分が監視役として立つ】ということを告げないことにした。

 もし、大神が夜の内に行動を起こすなら、その瞬間を目撃すべきだ。そのためには、自分が監視役に立つという情報は与えない方がいい。

 そう思ったが故の判断だったが、大神は八木の説明に不自然さを感じることなく受け入れた。

「確かに、その通りですね。わかりました、私は問題ありません」大神は頷いた。

「話はまとまったか? なら、俺はもう戻る」

 月熊をきっかけに、それぞれが動き始めた。

 漆田はカップの破片だけを片づけ、部屋に戻る。

 その他の面々も、八木を残して部屋へと向かう。

「八木さん、おやすみなさい」

 大神は空き部屋へ入る前、八木へと声をかけた。軽く会釈をすると、目の前で扉が閉まった。

 こうして三日目の夜はようやく、静かになった。

 誰もいなくなった中央ホールを見ながら、八木は大神が眠る部屋の前に座り込んで思い返す。

 捜査と停電と議論と告白と暴動と暴走と監禁。予想外な事の方が多い一日だった。

 何一つ予想通りに動かない。八木はため息をついた。

 しかし八木もまた疲労はかなり溜まっていた。ため息ついでに顔を伏せて目を閉じてしまえば、うっかり意識を落としてしまいそうになる。

 顔を上げ、眠気を振り払う。ここで眠って仕舞えば今ここにいる意味がない。

 別のことを考えるべきだ。

 例えば、そう。一連の事件のことだ。八木にもまだわかっていない部分は多い。

 八木は思い返す。鳳凰堂椿が殺された現場を、的羽森子が首を切られた方法を。

 そして八木は立ち上がると、改めて事件の一つ一つを振り返ることにした。


 ※


 鳳凰堂椿の部屋にあるものは波打つ刀剣フランヴェルジュ。

 現場の状況は、ベッドの端を起点に血が流れ、部屋の半分を染めていた。血溜まりの外には足跡が一つ。

 ドアの内側のカードリーダーには、薄い血痕が残っていた。このことから、鳳凰堂椿の部屋は内側から鍵をかけようとして、それが果たされなかったように見える。あえて密室というならば、【未完成の密室】と言える。


 続いて聖堂。

 的羽森子はいかにして首を切られたか?

 殺すだけなら廊下へと出たことが確認されている八木と月熊、監視者である大神にもできる。

 しかし首を切って移動させるとなると、途端に誰にもできなくなってしまう。

 その方法は八木の提案した車での牽引、それで本当に良いのだろうか。自分でまだ疑いが晴れない。ならば一体誰が、どのようにして森子の首を切ったのか。

 だが、どちらにせよ足跡の問題が残る。全員が部屋にいて、足跡と監視者の存在から外へ出たものは一人もいない。いわば部屋の中を外側、部屋以外を内側と見れば、これは一種の密室と言えるかもしれない。

 あえて名付けるならば、【不完全の密室】。


 最後に、地下牢だ。

 もし地下牢の中の人間を殺すとしたら、どうするべきか。

 鉄格子によって作られた、台形の牢屋。

 思えば、この牢屋を果たして密室と言っていいのだろうか。外と内を隔てるものは鉄格子、密閉されていない。殺すだけなら外側からでもできるかもしれない。しかし首を切るには扉を開く必要がある。この牢屋をあえて密室というのならば、【穴空きの密室】。


 八木は考え続ける。そんな八木を、聖堂に転がる生首たちが睨んでいるように思えた。


 ※


「未完成の密室、不可能の密室、穴空きの密室……か」

 大神の部屋の前で、八木は改めて反芻する。

 実際には、一つとして密室ではない。未完成で、不完全というだけで、穴だらけで。

 だが、その流れで言うならば、もし八木が今のように監視する大神の部屋で、それでも殺人が起きたらどんな名前になるだろう。

「愚か者の密室……とかだろうか」

 八木は自虐するように溢す。

 誰に聞かれることもない、その名前。【愚か者の密室】。

 だが、八木は気づいていなかった。

 八木が背をつけて密閉している、今は大神が過ごす元空き部屋。


 そこではまさに今、恐ろしい殺人が起きようとしていた。


 八木の知らないうちに、【愚か者の密室】は八木の背に守られる形で確かに完成しつつあった。

 それに八木が気づくことは不可能だろう。


 金槌が八木の頭部に振り降りる。


 八木は意識を、闇へと沈めた。


 ※


「――い、おい」

 八木は肩を叩かれる感覚で目を覚ます。目の前には、月熊の顔があった。

「あれ……僕」

 廊下の窓や、中央ホールの天窓から差し込む光が一点の闇もなく館の中を照らしていた。

 どうやら、もう太陽は昇っているらしい。

「あれ……僕、寝ていたんですか……?」

「何やってんだ……お前が寝てたら意味ないだろうが。今は八時だぞ」

 目の前の顔は、呆れたように変わる。

「八時……そんなに眠っていたんですか、すいませ……痛ッ!」

 謝罪を言い切るより前に、頭部の痛みに呻いた。手をやれば、そこには大きなこぶができている。

「大丈夫か? 何があった」

「えっと……」八木は昨夜の状況を思い返すと、月熊に叫んだ。

「つ、月熊さん! 僕、誰かに殴られたみたいです!」

「は、はあっ?」

 突然の訴えに、月熊は目を丸くする。

「大神さん……大神さん!」

 八木は月熊を無視して立ち上がり、扉を叩いた。

 しばらくして扉が開き、大神が現れる。彼女はすぐに扉を閉め、八木に向き直った。

「八木さん……なんですか」

「大神さん、無事ですか!」

 八木は大神の体を上から下へと眺める。しかし大神に異変は見当たらなかった。

「どうしたんだよ、八木!」

 月熊が改めて尋ねれば、八木はようやく落ち着きを取り戻したように向き直る。

「僕は……誰かに気絶させられたようです。多分、犯人に」

 月熊と大神は顔を見合わせた。

「でも、大神はなんともなさそうだけど」

「なら……兎薔薇さんに何かあったんじゃないですか?」

「だとすれば、一旦全員を呼びましょう!」

 大神の言葉に、八木は全員の個室へ向けて走り出そうとする。しかし、それは止められた。

「待ってください!」

「どうしました、大神さん」

「まずは、私たちだけで確認してみませんか。兎薔薇さんがいる、牢屋へ」

「何でだよ」

「えっと……残りの人たちの反応を見るためです。もし犯人がいるなら、兎薔薇さんが首を切られて殺されたことを話した時に初めて知ったという嘘をつくはずですから」

「……わかりました。ではまずはこの三人で」

 そうして、八木と大神、月熊の三人は隣の的羽天窓の自室へと向かった。

 直前、ふと八木は背後からコンコン、という音を聞いた気がして振り返ったが、異変はなく、すぐに気にならなかった。

 的羽天窓の部屋に隠されていた木札はすぐに見つかった。

 なんのことはない。デスクの引き出しにしまわれているだけだった。

 そうして木札を手に入れると、相変わらず口を開けている地下への入り口から伸びる階段を下っていく。果たして、兎薔薇の死体はそこにあるのだろうか。八木は戦々恐々としながらスマートフォンのライトで闇を切り開きながら、身を沈めていった。

 塹壕のような地下廊下を進んでいく。左に大きくカーブしたその廊下は、カーブが大きすぎてまっすぐ進んでいるようにも感じられる。そのせいで、自分達が今どこにいるのか判断がつかない。

 せめて分岐がないことだけが救いか、しばらく歩く内にやがて右に折れると廊下が広くなった。

 そこが最終地点。牢屋の前。

 そこまで来れば、光で照らさずとも容易にわかる。何かが起きたことが。

 咳き込むような、血の香り。

 そして輝く、血塗れのフランヴェルジュ。

 牢屋の奥を照らせば、三人の目に映ったのはやはり赤。

 赤、赤、赤――。


 牢屋の中から外へ向かって、血の絨毯が敷かれていた。


挿絵(By みてみん)


「マジ、かよ……信じられねえ」

 そんなセリフが聞こえるくらいには未だその光景に真実味が無いのは、これまでと違い、まだあれが発見されていないからだろうか。

「もしこれが首切り殺人なら……兎薔薇さんの首は?」

 少なくとも牢屋の中は空っぽだった。それでも八木は牢屋へと近づき、懐から取り出した木札を牢屋のポケットに差し込んで、扉に手をかける。

「……おかしい」

「どうした八木、あいつの頭はどう見たってここには無えだろうが! きっとどこかに置かれてんだ、探すぞ!」

「待ってください! 違うんです……違うんですよ!」

「だから何がだ!」

「……開かないんです」

「はあ?」


「この牢屋……扉が開かないんです。鍵はこうして、挿しているのに」


 地下から出ようとしていた月熊もその言葉で振り返り、八木に変わって鉄格子の扉に飛びついた。

 どれだけ力を込めても、扉は開かない。

 何度も鍵の裏表を確認しても、上下を確認しても、挿し直しても、ポケットの中に異物がないことを確認しても、扉は開かない。


 結果、わかったことは一つ。【穴空きの密室】は二度と開かなくなった。


 ※


 聖堂の中は、不死鳥を模したステンドグラスを通った日光により赤く煌めいていた。

 そして、地下牢から戻った八木と大神、月熊を出迎えるのは、体の無い生首たち。


 鳳凰堂椿。


 的羽森子。


 そして――兎薔薇真美実。


「一体……何が起こってるんだ」

 八木の呟きに応えるものはなく、六つの目玉がただ黙って、まだ生きている三人を睨みつけていた。

挿絵(By みてみん)

 第三章 異形編【表】

〜被害者が死にすぎる〜

 終

 第三章 異形編【表】

〜被害者が死にすぎる〜


 終

挿絵(By みてみん)

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