第二章【表】クビキリ&サイクル 第二部
拘束。と一口に言っても容易ではなかった。
部屋に鍵をかけてカードキーを取り上げることで軟禁しようにも、的羽は事件が発覚するまでマスターキーを隠し持っていたのだ。二枚目、三枚目が無いとも限らない。
かと言って、真偽が定かともいえないアリバイ証言をもとにした結果の告発である以上、手錠や結束バンドを用いた拘束は全員抵抗があった。
「そもそも、大神さんは手錠を持ち込んでいるのですか?」
「お答えできません」
「だったら、こういうのはどう?」
一旦部屋に戻った兎薔薇が再び現れた時、その手にはハンドバッグが提げられていた。彼女はその中から一つ、小ぶりなキーホルダーのようなものを取り出して見せる。何やら派手なシールが貼ってあった。
「紐を引っ張ると鳴る防犯ブザーよ。これをドアが開いた時に紐が引かれる仕組みを作ったら音でわかるようにできると思わない?」
異議を唱えるものもおらず、的羽天窓は彼の自室に軟禁されることとなった。
「お父様……」森子の見守る中、天窓は自室に入る。
「漆田、僕のカードキーは君に預けておくよ。皆さんもそれで良いですね?」
全員が頷き、扉が閉められる。
「では、兎薔薇さんのブザーを取り付けます」八木は全員の見守る中、ガムテープでブザーの本体を扉に貼り付ける。そして、伸びる紐の一端を、ドア枠へと貼り付ける。その時点で紐はピンと張り詰められ、ここから少しでも動かせば音が鳴り響くだろう。
「少しの隙間があれば、刃物で紐を切ることができてしまうので」
「だけどよ、音が鳴るだけなんだろ? 部屋は防音なんだから聞き逃したらまずいぞ」
「ご心配なく」月熊の問いに大神が答える。「私は以降、中央ホールで寝起きをさせていただくつもりです。そこならば、音を聞き逃すことはあり得ないでしょう」
「いやいや、流石にそれは……」
「だったら俺が代わりに中央ホールで見張りをしてやってもいい」
「アンタの見張りなんて信用できるわけないでしょ。うっかり寝ててブザーの音を聴き逃しそう」
「なんだと?」
「まあまあ。ですがやはり、中央ホールで見張ると言うのは危険です。的羽さんが犯人であると言う確証は今もありません。中央ホールのように全方位から見られてしまう場所は、万が一襲われた時逃げ場はあるものの、動向が見られやすく、不意を打たれる可能性も大きいです」
「じゃあ、どうすればいいのよ」
兎薔薇が焦れた声を出す。八木は全員の目を見つめ、腹案を告げた。
「個室の扉を開けっぱなしにするんです」
その案にはどよめきが起こった。沈めるためにも詳細をハッキリとした声音で続ける。
「見張り役は、個室のドアをペットボトルなどを噛ませることで完全には閉まらないようにします。これで防音性は消滅します」
「ですが、それでは見張り役の方には身の危険が……」
「分かっています。そこで、鍵には劣るもののある罠を仕掛けます。その罠とは、的羽さんの自室に施したものと同じく、ドアが動いた際に大きな音を立てて気づかせると言うものです。兎薔薇さん、ブザーのスペアはありますか?」
「……持ってない」
「他の方は、簡単な操作で大きな音が鳴るものは持っていませんか?」
一同が首を振る。
「では、例えば重い鉄製の何かを開いたドアの上部に乗せておきましょう。ドアが動くとドア枠に押し出され、あるいはバランスを崩して落ちることで音を立て、中の人に異常を知らせる」
なるほど、と感嘆の声が聞こえる。
「確かに、吸音性の高い絨毯はドアの開く部分には敷かれていないので、何かが落ちれば音は響くでしょう。であれば、その見張り役が誰か、ですがその役目は……」
「それは私がやります」
漆田を遮り、大神が手を上げる。
「私は警察として、皆様を守る立場にありますから」
「ですが……」
「いいんじゃない? やりたいって言うなら。でしょ?」
大神は確かに頷いた。
※
「じゃ、アタシは寝るから。マスターキーはあなたが持っているのよね? 漆田さん」
「ええ、私が」
「もし無くなったと気づいたら、その時どんな業務をしていてもすぐに大声で騒ぎなさい。でなきゃ、もし鍵のかかった扉が開けられた時、真っ先に疑われるのはアナタよ」
睨め付けるように言うと、兎薔薇はさっさと部屋へと帰っていく。
「なんなんだ、アイツは……」
「兎薔薇様の態度も仕方ないかと。皆さま、お早めではございますが、朝食を頂かれますか?」
せっかくの誘いだが、八木は食欲がなかった。それよりも、眠気の方が強い。
「いえ、僕は……」言いかけて、肩が大きな手によりがしりと掴まれた。うっかり悲鳴を上げるところだった。
「少年は、私とピクニックだ」
「獅子噛さん!」
「わからないかね、日は昇ったんだよ。すべきことがあるだろう」
ハッキリ言わない獅子噛。だが八木には察することができた。
「基地局の確認、ですね」
「そうだとも、まだ頭は回るようだな。漆田さん、まだ圏外の理由は判明していない。基地局の場所を教えてくれ。少年と共に確認してこよう。漆田さん、いいかな?」
獅子噛は了承を得るかのような口調だが、おそらく「いいですよ」以外の返事は待っていないだろう。
「構いませんが……」
漆田の返事ははっきりしない。先ほど提案した朝食の用意を、せめてここにいない人間の返事を聞きたいところなのだろう。「でしたら、私がご案内いたします」察して、手を挙げたのは森子だった。
「ありがとうございます、お嬢様」
漆田は頭を下げ、玄関へ向かう八木、獅子噛、そして森子を見送った。
※
「君はどう思う? 探偵少年」
今の時期には珍しい、涼しい夏の朝。森の影は青く八木達を包む。その道中で、獅子噛の低く唸るような声が八木に投げかけられる。
「どう、とは?」
「惚けないでくれたまえよ、あの少女の殺人についてだ」
「……」
八木は無視を決め込むことにした。基地局の道を先導する森子が肩をこわばらせるのがわかった。
「あの少女は首を切られて殺されていた。見つかったのは頭部だけであり、部屋は密室を作ろうとした痕跡があった……君はどう見る? 少年」
「どうもこうも、思いません。大神さんという警察の方がいて、それでも現状は連絡不能という理由で動けないのならば、余計なことはしないべきです」
尚も続ける獅子噛に、うんざりだという口調で返す。
「昨夜現場を捜査しようと言ったのは、君じゃなかったかい?」
「僕が捜査したのは、この中に犯人はいないと言う根拠を探して疑心暗鬼を防ぐためです。犯人当てなんか、する気はありません」
「私はあるよ」
獅子噛の短い言葉に一瞬、木々の葉の擦れる音すら止まった気がした。森子の足も、また。
「何故ですか?」
「これはゲームだからだ」
「ゲーム?」
八木は足を止めた。
「どういう意味ですか?」
「私はプレイヤーだからだ……そうか、君たちは違うんだったな。少年、君も探偵を名乗るならわからないかな、こんなミステリー小説のようなシチュエーションはなかなか無いぞ? 胸が躍らないかな」
「……」
「君は大学生だったね? よし、ならば少年、君に私から勝負を仕掛けよう。私よりも先に君が犯人を見つけることができたら、私の会社の内定をやろう」
八木は拳を固めて隣の獅子噛を目の端で睨む。どうと言うこともない顔でニヤニヤと笑う男が映った。
「ところでお嬢さん、まだ着かないのかな?」
未だに立ち尽くす森子の背に、無遠慮な声。
森子は右手を八木達に見えない角度で、二度、三度と顔を拭う仕草をした後、ただ黙って、前方を指差した。
「あ、基地局ですね」
見れば、少し先に森が開け海が見える場所があった。鉄柵が大きく囲む中心に、三角錐のようなシルエットの鉄塔が立っていた。高さは二メートル半ほどだろうか。ビルの屋上によくあるタイプだ。
「あちらの基地局にて、電話線と電源ケーブルの制御盤がまとめられています。ホテル用に改装するにあたり手を加えられていましたが、その際にWi-Fi機能も搭載されたのかと」
八木と獅子噛は森子を追い越し、森を抜けてそこへ近寄る。当然鉄柵に阻まれるかと思いきや、鉄柵の一部となっている扉、それを施錠していたであろうチェーンは切られていた。
「明らかに、犯人によるものだな。館の者ならチェーンカッターなんか使わずに、鍵を使う」
「この館にチェーンカッターはありますか? 森子さ……」
八木は言葉が詰まった。後方に取り残された森子は、もはや隠しようもなく涙をこぼしていたのだから。
八木に森子と鳳凰堂の間に何があったのかはわからない。だが、両手で必死に涙を拭うその姿は、ただ他人というには収まらない何かがあったように見えた。
ならば、獅子噛が鳳凰堂の死をゲームのように扱う様は、耐えられなかったのだろう。
八木は黙って森子の姿から目を離し、基地局に向き直った。
「獅子噛さん、こう言った基地局には詳しい方ですか?」
「いいや? 全く」
軽く言って、獅子噛は意味を成さないチェーンを取り去り、鉄柵の中へと潜り込む。
「だが犯人もまた、詳しくなかったんじゃないかな? 見たまえ少年。確かに基地局は破壊されているが……露出したケーブルを手当たり次第切っているように見えるね」
獅子噛の見立ては確かだろう。基地局から伸びるケーブルの見える範囲全てに一度は切られた様子がある。
念には念を入れた、というよりも、どこか無差別感がある。
「問題はいつ、この破壊が行われたか、ですね」
「そんなのわかりきっているだろう?」
「そうですか?」
「わからないかな? 私たち宿泊客の中には携帯の電波が通じないだけで大騒ぎする人物が居るではないか」
兎薔薇のことだろう。
「彼女は昨晩、死体発見までに一度でもそう騒いでいたかな?」
八木は思い出す。確かに常にスマートフォンの画面を注視していた兎薔薇は死体発見までその話題を出さなかった。
「あの様子では、おそらく寝入るまで携帯の画面を見るタイプだろう。つまり、この基地局の破壊が行われたのは昨日の夕食後から携帯少女が寝付くまでの時間だ。その間、アリバイも無く、更には外に出ていたと自分の口で言っていた人間が一人、いなかったかな?」
「……大神さん、ですか? まさか。あの人は警察ですよ」
「私の知る限り、警察官が犯人というミステリは三十五作品ある」
だからなんだ。八木は堪え、しかし大神が犯人という説を脳内で検討する。だがその答えは獅子噛の仮説への同意という形で現れる。昨晩までの状況であれば大神はアリバイがなかったものの、警察という肩書きの信頼性を持って最も怪しい人物は的羽天窓という結論に至ったのであり、ここで【基地局の破壊】という話まで出て仕舞えば大神の信頼性は大きく落ちる。
まずいな、八木は内心焦る。八木には大神のことは殺人を犯すような人間ではないはずだという印象が強い。拘束に使える防犯ブザーは現在天窓を軟禁している一つのみ。ここで拘束が犯人候補である天窓から大神に変われば、天窓が野放しになってしまう。
「さて、ここで分かったのはこのくらいか。少年、戻るとしよう」
「……はい」
八木はそんな憂いや思案と共に断ち切ると、獅子噛に遅れるように鉄柵の囲いから出て森子の元へと歩いて行く。
「獅子噛さん、貴方は大神さんを告発する気ですか?」
「いいや? 決定的な証拠がまだないからね。それにまだゲームは始まったばかりだ。少しくらい泳がせておいた方が面白そうだ」
「まだ、殺人は続くと?」
「少年はそう思わないのかな?」
「そう思う根拠がありません」
「おいおい!」獅子噛は両手を広げて八木に向き直る。大きな手がそのまま八木を握り潰しそうな威圧感を放つ。「アガサ・クリスティくらい読みたまえよ! 孤島に館、そして――」
「そして誰もいなくなった、ですか?」八木が言葉を断つように続ける。「くだらない。だったらこの島の人間全員が死ぬと? 僕も? 貴方も?」
「私の言葉を遮るにはいささか頭が悪いな、少年。私が言おうとしているのはその作品のその部分ではない。私は『そして不死鳥伝説がある』と言おうとしたのだ。要するにこれは見立て殺人だよ」
「ああ、テン・リトルインディアン」
「私が読んだ時は兵隊さんだったがな。要はそういうことだ。昨夜夕食の席で天窓が語った、この島に伝わる不死鳥伝説では【四人の少女が同時に死んだ時、不死鳥は現れた】とあったのではないか? そして、一人の少女が首を切られて死んだ。ならば予想されるのは一つ」
「後三人、女性が殺されると?」
「頭がまわるじゃないか」
そして、目元が赤い森子の元へ辿り着いた時、獅子噛は言った。
「さて、少年。次は誰が死ぬんだろうね?」
気丈に振る舞おうとする森子の顔が、また曇る。
それを見て、八木はハッキリと獅子噛に答えた。
「僕は、貴方が嫌いです」
※
「少し、お話ししませんか」
館に戻るまで、三人の間に言葉はなかった。門扉をくぐり、中央ホールにて「私は一眠りするよ」と獅子噛が去って行った時、八木は森子に声をかける。
「今、でしょうか」
森子は難色を示す。
「……ご迷惑でなければ、少しだけ」
八木の言葉に、立ち去ろうとしていた足を戻す。黙って八木の真意を探ろうと向ける視線の端は、まだ赤い。
「椿ちゃん、でしたか」
森子は息を呑む。
八木には鳳凰堂と森子、二人の関係は分からないが、昨晩鳳凰堂の頭部を発見した時、確かに森子が叫んだのを聞いていた。「椿ちゃん」と。
「森子さんと鳳凰堂さんは、親しかったのですか」
森子は逡巡すると、観念したように言葉を吐き出し始めた。
「そうかも、しれません」
「以前から関係が?」
「いいえ、初めてお会いしたのは昨日です。ですが、館の案内をして欲しいと頼まれ、それを受けた時に言われたのです。友達になろうと」
一言一言が、森子の胸を切り刻んでいるかのように辛そうだった。
「私、この島から出たことがなくて、ずっと一人だったので、それで、嬉しくて、それなのに」
言葉が崩れていく。館のスタッフという虚像を、森子は保てなくなっていく。
そうして現れた実像の森子は、しかし八木の予想よりも力強く、八木の手を握った。
「も、森子さん?」
「八木様、お願いです。どうか、昨晩と同じように私もそばにいさせてくださいませんか。決してお邪魔は致しません」
「……昨晩も言いましたし、さっきも言ったと思います。僕は犯人当てをするつもりはありません。調査の結果、犯人は僕達の中にいる可能性が高い、という結論以上を僕は求める気はありません。なので疑心暗鬼を避けて帰りの船が来るのを待つべきだと思っていますし、そのために動くつもりです。森子さんがもし、鳳凰堂さんの死の真相を探りたいというのであれば、それは獅子噛さんの方針に近いです。僕ではなく、獅子噛さんの方が適任です」
少しだけ突き放すように言ったつもりだったが、森子の握る手は逆に強くなる。
「獅子噛様はこれをゲームと言いました。私はそれにどうしても賛同できません。八木様が真相を探らないと言うならば、それでも構いません。私一人でも椿ちゃんはどうして死ななくてはならなかったのか、考えたいのです」
「私一人でもって……危険です。変に動いたことで犯人に目をつけられたらどうするんですか」
「それでも、それでも……」
八木は森子の目を見る。泣き腫らした目がそこにあった。だが、その腫れは似合わないほど、強い意志を感じる目だった。
「わ、かり、ました……」
それに圧されるように、八木は思わず首を縦に振っていた。
「本当ですか!」
「ですが、僕のスタンスは変えません。僕は現状が変わることで新たな混乱を産まないように動きます。犯人探しには消極的です。その上で、捜査の必要がある際には、森子さんについて来てもらいます。森子さんはその時以外は通常通りに過ごしてもらいます。それでいいですね?」
森子は強く頷いた。
「なんでもお申し付けください。私の知っていることならなんでも話します」
力強い言葉だ。八木は自分の口角が上がるのを感じた。照れくさい思いが湧き、意識して下げる。
「……少し良いですか」
そこに、突然上階から声が割って入って来た。見下ろしていたのは大神だった。それに気づかず、随分と熱を入れて話してしまったと八木は頬を掻いた。大神は階段を降り、八木達に歩み寄ると話しかけてくる。
「森子さん、提案があります。八木さんも聞いてください」
真剣な口調に、中央ホールの空気が引き締まる。大神は顔を寄せて、三人にしか聞こえないような声で、提案を告げた。
「森子さんと私の部屋を、交換いたしませんか」
二人は目を丸くした。「何故ですか」八木が代わりに答える。
「私の部屋は101号室です。この部屋だと、犯人が強引に私の部屋に入ってきた時、先手を取られる可能性があります」
森子は首を傾げたが、八木はその真意を掴んでいた。
「……そういうことですか。大神さんの部屋、101号室は館の中心付近です。もし犯人が、物を引っ掛けることで音が鳴る仕組みを無視してまで入ってきた時、犯人が廊下の左右どちらからやって来るのかがわからない。けれど森子さんの部屋は端にあります。もし犯人のやって来る方向を一方に確定させるのであれば、対処のしようがある……ということですか」
大神は頷き、八木に続ける。
「それからもう一つ。音が鳴る仕組みがなくとも、私は今夜眠るつもりはありません。扉の隙間から、全員の個室を監視するつもりです」
その言葉には、八木も驚いた。
「できるんですか?」
「二晩程度の徹夜には慣れています。そのためには扉の隙間を開けるというのはむしろ好都合でした。ですが、101号室の扉の隙間からは全員の個室を見ることはできません。どうしても102号室から104号室は死角になってしまいます」
森子も理解したようで、頷いて答える。
「今回皆様を招くにあたって、私も部屋を整理しております。大神様との部屋の交換はすぐに終わるかと」
「でも大神さん。部屋の交換について、僕にまで伝えてもよかったのでしょうか」
「私に何かあった時、部屋の交換があったと言う証人が必要だと思った為です。最悪、森子さんが疑われます」
「その証人が僕ということは、僕は大神さんに信頼されているのでしょうか」
大神は虚を突かれたように八木を見る。そして「え……ああ、はい。そうです」と答えた。
気を遣われたらしい。
※
結局三人が別れ、一度個室に戻った頃には午前九時を回っていた。
「流石に、疲れた……」
島に来てからまだ二十四時間も経っていなかったが、その間に色々ありすぎた。八木はベッドに倒れると、すぐに睡魔が八木の意識を地の底へと引っ張り込もうと手を伸ばしてくる。
少しでも頭の中を整理しようとしても、睡魔の手は頭の中の情報を掻き乱していく。
こんな様ではダメだ、考え続けなくてはと八木は頭を掻きむしるが、頭皮が痛むだけだった。
少年、次は誰が死ぬんだろうね?
大きな窓から見える青空は音もなく雲が流れていく。どこまでものどかなそれは、人が死ぬ世界を覆う天幕には見えなかった。
この館には、この島には、確かに人が生きている。それも十人に満たない程度の。しかし現在誰がどんな動きをしているのか、それすら八木にはわからない。
人が死んだ、殺されて死んだ。そして全員に衝撃を与えた。
あの事件はまるでビリヤードの白いキューボールの様だ。人々を巻き込んで、動かして、乱反射させて……。
そこまで夢想して、八木の意識はポケットに落ちる様に沈んでいく。
睡魔に意識を引き摺り下ろされ、瞼を降ろされ、悪い夢を見る。いつものように。
八木は、一瞬自分が眠ったことに気がつかなかった。それでも一瞬後には自分が眠ったことに気づいていた。見覚えのある世界。夢の世界。
眠っている場合じゃないのに。わかっていても、どうすることもできない。
大きなステージの上で、八木はただぼうっと立っていた。
観客が座るための椅子はパイプ椅子で、自分のステージにはその程度の価値しかないのか、と不愉快だった。それも何度も抱く不愉快感。
ステージの端から、カラカラと車輪の音と共に人の姿をした書き割りの板が現れる。間抜けに貼り付けられた板の顔には『お父さん』の顔。八木の目の前で、パタンと倒れる。
続いて現るは『おねいちゃん』の顔。カラカラ歩み寄り、八木の目の前で、パタン。
次にやって来たのは『たかしくん』の顔。カラカラ現れすぐにパタン。
さらに来るは『まゆみせんせい』の顔。カラカラ現れすぐにパタン。
まだまだカラカラ『まさしさん』。八木の隣ですぐにパタン。
「やめろ!」
そらそらガラガラ『なかたにさん』。八木を睨んですぐにパタン。
まだまだガタガタ『もにかちゃん』。なにやら呟きすぐにバタン。
どらどらガタガタ『はやしくん』。子供のままにすぐにバタン。
「やめろってば、やめろーっ!」
どんどん積み重なるみんなの影に、いくら叫んでも意味は無く。ガタガタバタバタ埋もれてく。
「夢だって、あーっ!」
蹲ることも耳を塞ぐこともできない八木の脚に、最後に転がる丸い影。
見ればそれは頭だけ。
『つばきちゃん』の頭だけ。
八木にはだあれも救えません。
※
「ああっ! あーっ、あぁ……」
ベッドの上で八木は寝たままに跳ねる。
夏の日光が八木を焼いていた。その為か、全身じっとりと汗に塗れていた。
夢の内容は、もう覚えていない。八木はベッドの上で這いずるようにしてベッド下のスーツケースを弄り、島に来る前に買っていたペットボトルの水を飲み下す。日が経っていて悪くなっているだろうが関係ない。
時計を見れば、ベッドに倒れ込んでからまだ二時間しか経っていない。寝ている場合ではないのは分かっているが、現実感のない時間経過にまだ夢の中のようだった。
その時、ドンドンと扉がノックされた。板を叩く音が、今は思い出せない夢の中で聴いたもののようで、びくりと背筋が跳ねる。
それに、扉がノックされたのはこの島に来てから事件発生の時しかない。まさか何かあったのだろうか、八木はふらつきながらも扉を開いた。その先にはまたもや、漆田が。
「八木様、お休みでしたか」
「え? ああ、いや……」否定しかけて、自分の寝癖に気づく。「まあ……はい」
「お邪魔してしまい、申し訳ありません」
「さっき起きたところですから……何か用ですか?」
「そろそろ昼食の準備に入りますが、リクエストなどあればとこうして訪ねて参っています」
ということは、全員に聞いているのか。八木は自分にも空腹感があることに気づき、「適当な物を」と答える。「かしこまりました」と頭を下げて、漆田は引っ込もうとする。
「あ、漆田さん。もり……いや、全員の様子はどうでしたか?」
本当は森子の様子が気になったのだが、あえて大局的な質問で尋ねる。
「そうでございますね、皆さま無理もありませんがどうも休まれないご様子で……」
それもそうだ、と八木は思う。おそらく森子も気分は良くないのだろう。
「八木様は問題なさそうで何よりです」
漆田の口髭が口角と共に上がる。
「えっ、いや、僕もそんな、ゆっくり寝ていたわけではありませんから……」
「これは失敬。他に何か聞きたいことなどございますか?」
未だ絶やされることのない漆田の微笑みは置いて、ふと考えていたことを尋ねる。
「ご主人のことを疑うようで申し訳ないのですが、的羽天窓さんの様子はどうでしたか?」
その時、漆田の微笑みは消えた。
「旦那様は……いつも通りでございました。私が伺った際も、普段と変わらぬ様子で仕事をなさっているようで、書類をまとめておりました」
八木は漆田の言葉の端から、何か言いたげな様子を見てとった。
「漆田さん、もしかして……何か心当たりがあるのではありませんか?」
漆田の顔に刻まれた皺が、さらに深くなる。目を閉じ、何かを思い悩むように。
「良ければ、教えてくださいませんか」
八木が促すも、漆田が再び口を開いたのはさらに数瞬を要した。
「旦那様の様子がお変わりないことは喜ぶべきでしょうが……変わらなすぎるといいますか。まるで、この事件は旦那様の予想の範囲内だと思えてならないのです」
それを聞いて、八木は漆田に部屋の中へ入るよう無言で促す。廊下での立ち話には向かない話題のようだ。
「どういうことですか」
「旦那様は元より、全てを見通したようなお方でした。ですが、そうだとしても自分の家でもあるこの館で凄惨な事件が起こっても、あのように平然としていられるのは……」
流石に言いにくいのだろう、伝えにくそうに話す漆田に、八木は「天窓さんが怪しいということですか」と尋ねる。
「滅相もございません!」勢いよく首を振り否定する漆田。当然か、と八木は思ったが、漆田は続けた。「旦那様が犯人でないと、そう思える理由がございます」
「理由?」
「旦那様はアリバイがなく、中央ホールに降りた以降の足取りに信憑性がないために最も怪しい、と昨夜決まりました」
「……僕たちは天窓さんが犯人だと決めつけたわけでは」
「分かっています。疑心暗鬼を防ぐために、誰かが犯人役を背負う必要があった。八木様の目的を汲んだ旦那様は、その意味で監禁されることを選んだことも。ですが、そうだとしても、私めには少々不自然に見えるのです」
「不自然とは?」
「あの時、私は旦那様と食堂にいました。そして旦那様が三十分間退室したのも事実です。ですが、帰って来た時旦那様は……また、いつも通りだったことが、不自然に見えたのです。もしも旦那様が鳳凰堂様を三十分という短時間で手にかけたというのであれば、息が上がっていたり血の匂いがしたりと、多少なり変化がある方がおかしくないのでは、と……」
「それを朝方のやりとりで持ち出さなかったのは……」
「ええ、先ほども申したように、目的を察したのもありますが……」
「天窓さんなら殺人の後平然としていてもおかしくない、と?」
八木の問いに、漆田は沈黙で答えた。
眉間を指でつまむ仕草で悩むようにして、「少々、話しすぎました」と沈鬱に吐く。
「私も少し、疲れているようで……申し訳ございません」
「いえ、僕も聞きすぎました。ごめんなさい」
お互いに謝ると、漆田は部屋を出て行った。