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殺人館の不死鳥  作者: かなかわ
鳳凰編
15/38

第二章【表】クビキリ&サイクル 第一部

「では、君の目的を聞こうかな」

 食堂。月の灯が差し込むその広間には、まるでお互いを牽制し合うように人と人とが間を空けていた。

 誰も何も言わない。何もしない。空気が固まったかのような、しかし視線だけがお互いを探るように飛び交う中、不意に的場天窓がそう口にした。

 この状況下でも穏やかな笑みを浮かべるその顔は、入り口付近に佇む一人の女性へと向けられていた。彼女の名前は神大路傍――いや、大神狼華へと。全員の視線が射抜く。

「私の目的、とは」

「とぼけないでほしいですね、まさか旅行気分でここに来たなんて言いませんよね? 名前も隠してまで」

「旅行で来ました。友人の猫島から招待状をもらったので。警察であることは隠したかったので、名前も隠しました」

 全員の前で自らは警察だと宣言した大神。そうして掲げた警察手帳も本物だろう。だが、だからこそ、彼女がここにいる理由というのは誰もが気になるところではあった。しかし、彼女はあくまで明かさないつもりであることを匂わせる答えを示したことで、再び食堂内に静寂が満ちる。

「そんなこと……どうだって良くない?」

 食堂のテーブルに顔を伏せ、ピンクがかった髪の間から警戒心に満ちた目を覗かせる兎薔薇が、低い声で言う。

「あれを、やったやつがいるんでしょう? そっちを探すのが先でしょ! だ、誰よ、誰がやったのよ!」

 語気が次第に強くなり、持ち上げられた顔は鬼のようだった。

 『あれ』、つまりここにいない宿泊客……鳳凰堂椿が首を切られて殺害されたことについてだ。

「兎薔薇さん、落ち着いてください。そうやって騒いでも無駄ですよ」

 天窓が嫌に落ち着き払った声で宥める。

「む、無駄ってどう言う意味よ! 人が……あんな死に方してんのよ?」

「この場で『誰が殺しましたか?』と聞いて、手を上げて答えるような人間が犯人ならば、わざわざ人の目から隠れるように殺そうとせずに、爆弾なりで私たちが集まっているところで木っ端微塵にする方がよっぽど楽です。例えば、パーティホールのテーブルの下にでも爆弾を貼り付けておけば一発です」

「的羽さん、そういうことは……」

 八木は天窓の口を止めさせる。それは兎薔薇を宥めるどころか、この場の全員の不安を煽るものだ。

 しかし天窓は口を閉じれど気味の悪い笑みを浮かべたままだ。

「ていうかよ」月熊が腕を組み顔を顰めて言う。

「警察さん、お前は何してるんだ? 人が死んでんだぜ。早く連絡しろよ」

「それは無理じゃないかな」口を挟んだのは獅子噛だった。彼もまた余裕そうな表情をしている。まるでこの事態を予測していたと言わんばかりに。「携帯が圏外になってる。おそらく基地局がやられてるだろうね。壊されてるか妨害されているか……それをやれるってことは当然、電話線を切るくらいはやってるだろう」

「はい、実は……」漆田が獅子噛の言葉を聞き、補足する。「固定電話も繋がらなくなっております」

 その言葉に兎薔薇は血相を変えて食堂を飛び出そうとする。後生大事にしていたスマートフォンは、部屋に置いてきているのだろう。

「兎薔薇さん、ここから出ないでください」

 扉の前に立つ大神に止められる兎薔薇。対面の壁に佇む漆田が自らの携帯電話を手に「兎薔薇様、確かのようです」と言った。

「な、なんなのよ……これ、どういうことよ……!」

 兎薔薇の言葉は宛先を失い、ふらふらと食堂内を彷徨い、絨毯に染みて溶けていく。

「直せる範囲かもしれねえ。その基地局に行ってみるのはダメか」

「行ってみる価値はあるでしょうが、今からはオススメしません。基地局までは道がありませんし、明かりもないため非常に危険です」

「定期船は次、いつくるのでしょうか」

 八木が天窓に問う。

「もともと今回の催しは一週間を予定しており、定期船にもそのように連絡しておりますので……次は一週間後ですね」

「い、一週間……それまで、ここに……?」

 完全に、閉じ込められた。

 これはまずい。八木は胸の中の危機感を睨む。

 この疑心暗鬼のままでは半日ともたない。それに食堂に人を集めたのは失敗だった。ここには刃物が揃う厨房が隣接している。最悪の場合ここで殺し合いが起きる可能性だってある。八木は爪を噛む思いだった。

 そうなる前に、行動を起こさなければ。

「つ……」

 ふと、再び訪れた静寂に小さな声が転がった。見れば、ずっと白い顔で焦点の合わない目をテーブルに注いでいた森子の口が開いていた。

「つ、椿ちゃんは、死んで、しまったの……?」

 スタッフとしての言葉を繕うこともできないのか、強張った顔は痛々しい。

「この中の、誰かに……殺されて――」

「いえ、そうと限ったわけではありません」

 八木は、立ち上がる。

「この極楽島には、僕たち以外の誰かがいる可能性はあります。皆さん、いいですか。ここに皆さんが集まっているのはお互いを監視するためではありません。悪意を持った第三者からお互いを守るためなんです」

 それは疑心暗鬼の打破のためだった。

 八木も内心、第三者による殺人だとは思っていない。しかし、ここで意識をお互いに向け合うよりは、外へと向けさせた方が良い。

「それは、そうかもしれないが……それと同じくらい、内部に犯人がいると考えることも出来はしないかね」

 獅子噛が尋ねる。その疑問はもっともだ。

「ええ、分かっています。ですから、こうするのはどうでしょうか」

 八木は用意していた言葉を掲げた。

「内部の人間、あるいは潜伏する外部の人間、そのどちらが鳳凰堂椿さんを殺害したのかを、調べませんか」


 ※


 反対の声はいくつか上がった。まずは大神だ。「皆さんの精神を守るためと、現場を保存するため」警察らしい答えであった。

 次に、月熊。「素人の探偵ごっこで痛くもない腹を探られるのが気に食わないから」非協力的な答えだった。

 最後に、兎薔薇。「そういうもっともらしい理由をつけて現場に行って証拠隠滅するんでしょう」悲観的な考え方だ。

 その他の人間も、賛成したわけではなかった。的羽天窓は「好きにすれば良い」との答えであり、漆田は「答えることができない」と思い詰めた口調。獅子噛も「今は様子を見る」と投げた様子だ。

 しかし、一人だけ賛成に手をあげた者がいた。

 的羽森子だった。

「森子さん、いいんですか」

 胸の前で小さく上げた手は、指も伸び切っていない。未だに蒼白な顔を提げて小さく、こく、と頷いた。

「わ、私、椿ちゃんが、何で殺されなくてはならなかったのか……し、知りたい、です」

「森子さん、僕は、犯人や動機を特定したいわけではありません。外部の者の犯行だと確信した時点で、調査はやめるつもりで提案しました」

「それでも……お願いします」

 立ち上がり、深く頭を下げる。

 長い髪で隠れた顔から、銀の雫が落ちた。見れば肩も震えている。こぼれ落ちるのは涙だ。

「……大神さん、許可をくれませんか。もちろん、現場は荒らしません。これは……僕らが姿の見えない犯人に怯え、疑心暗鬼になる事態を避けるためです」

 八木は改めて大神に尋ねる。

 大神はそれでもしばらく考えるように全員の顔を見回すと、「わかりました」と答えを出した。

「その代わり、私も同行します。私のいないところには立ち入らないように」

 こうして人数が集まり始めた頃、的羽天窓が「漆田」と執事を呼び寄せた。

「これを持って、彼らに同行しなさい」

 取り出して見せたのは、カードキーだった。部屋番号のない、無地のカードだ。

「こちらは、旦那様のものでは」

「ああ、そうだよ。漆田にも言ってなかったけど、これは不死鳥館をホテルへ改築するにあたって作らせた、電子ロックのマスターキーでもあるんだ」

 八木は背筋に這った悪寒に気付かぬふりをする。マスターキー、そんなものがあったのか。

「君が、彼らに必要だと判断した扉が開かなかった場合、使いなさい」

「……かしこまりました」

 漆田は頭を下げて受け取ると、八木たちの元へ歩み寄る。

「お待たせしました」

「では……行きましょう」

 食堂の扉は、開かれた。


 ※


 【聖堂】に満ちる空気は、冷たく血の匂いを孕んでいた。

 半分開かれた聖堂の扉の内側に立つ四人分の人影は、ものを言わぬ顔面を凝視していた。

 鳳凰堂椿、頭部のみとなった少女。

 数時間前まで言葉を吐き出していたその口が、今は動くことはないと言う事実が、どこか信じられない。

 月の明かりがステンドグラスを通って赤く色づき、妖しく石床を舐めている。

「……何から見るのでしょうか」

 森子に尋ねられ、八木は自分の心がようやく引き戻される。

 他の二人、大神と漆田はそれぞれ聖堂の中と外を見張り、八木と森子に調査を任せていた。

「まず……鳳凰堂さんの体の状況です」八木は鳳凰堂の頭部に近づき、眺める。「森子さんは無理なさらず」八木は同じく近づいた森子が目を細めるのを見て、気遣う。

「いえ、お邪魔はいたしません」気丈に振る舞ってはいるが、心を壊されても仕方ない。様子を見て漆田を呼ぼう。決めて、八木は再び頭部に向き合った。

「鳳凰堂さんは、どんな道具で首を切られたのだろう」八木は考える。

「どういう意味ですか?」

 森子の問いに、八木は視線を頭部に注いだまま答える。

「見てください。髪の毛が、切られている」八木は頭部の後ろに回り、垂れる髪を指し示す。しかし森子は見辛そうにしており、「あ、無理なさらず」と苦笑する。

 しかし、確かに髪が切られている。ちょうど首の断面図の辺りだが、切られていない房もある。

「髪の毛が切られていることは、不自然なんですか?」

「不自然ではありませんが、使われた道具がわかるかもしれません。例えば、首を切断するのにノコギリを使ったのならば、長い髪の毛が首にかかっていると非常に切りにくくなるんです。髪の毛は一本一本は弱いのですが、鳳凰堂さんのように長い髪が集まり一枚の紙のようになってしまうと、非常に強い壁になる。血も絡みついたり、髪の毛同士が滑って簡単には切れなくなります。もしノコギリを使うのであれば、髪の毛は持ち上げて退かすなりするでしょうし、このように切れることは無いと思います」

 そこまで言って、ふと顔を上げると場の人間が八木を見ていた。

 喋りすぎた。八木は振り払うように「探偵をやっていると、そういうこともあるので……」と笑う。

「髪が切れているということは、ノコギリでは無い……であれば、髪も切れるような道具が使われたということでしょうか」

 慣れてきたのか、森子の口調はハッキリとし始める。それでも顔は白いままだったが。

「そうでしょう。それが何かはまだわかりませんが……例えば、ギロチンであるとか」

「ぎ、ギロチン……」

「断頭台ですね。しかし、それはかなり大掛かりですし、あり得ないとは思いますが。それにここ、首の断面の肉が……ギザギザしています。一気に切り落としたのならば、こんな風にはなりません……大丈夫ですか」

 慣れ始めたとはいえ、森子はいよいよ辛そうだ。精神状況も心配だが、吐かれても困る。「漆田さん、交代してあげた方が」声をかけると、漆田は頷き、森子を呼び寄せる。

 頭部から引き出せる情報はこのくらいだろう、八木は次に、聖堂の脇にある扉に目を止めた。見取り図では【倉庫】と名前が書かれていた。

 森子の代わりの漆田はまだこちらへ来ない。しかし待っているつもりも無かった八木は、倉庫の扉に手をかけた。

 その時、嫌な妄想が降って沸いた。

 まだ、ここに人がいるとしたら?

 第三者犯人説には内心否定的な八木。しかし、この倉庫内に人がまだ隠れていると思うと、馬鹿げた妄想とはいえじっとりと手が汗ばんだ。

 どちらにせよ……。

 八木はその汗ごとドアノブを握り、開いた。

 中には誰もいなかった。

 それはそうだ、何を怯えているのやら。八木は自嘲し、中を検める。

 物で溢れかえったそこは、明かりがないこともあって全く見えない。スマートフォンの懐中電灯機能で照らすが、こうも物が散らばっていてはあまり意味がない。

 中に踏み入り、聖堂と同じ石でできた床に転がる物を傍に退けていく。

 しかし、人が隠れそうな場所もなく、八木は息を吐いた。

「八木さん、困ります」

 入口から差し込む月明かりが消えたかと思い、扉を振り返ると、そこには大神が立ってこちらを見つめていた。例の狩人のような目に、ゾクリと背筋が震える。

「あ、大神さん」

「私の許可が無い場所を調べるのは、やめてくださいと言ったはずです」

「す、すいません! ここも聖堂内と思っていたので……」

「そうでしたか、わかりました。何か見つかりましたか?」

「いえ! 特に怪しいものは、何も!」

 ただでさえ逃げ場のない倉庫だ。ご機嫌を損ねて飛びかかられたらひとたまりもない。八木は背筋を伸ばして答える。

「まだ中にいますか」

「あ、もう出ます、もう出ます」

 弱いな、僕は。倉庫を出る八木は、俯いていた。

 だが、聖堂と倉庫を調べた結果分かったことは、重要な意味を含んでいた。

「倉庫の中にも聖堂にも、大量の血はありませんね」

「それはつまり?」

 漆田に促され、八木は結論を告げた。

「鳳凰堂さんが殺されたのは、ここではありません」

 入り口に立つ森子が不思議そうな顔をする。

「鳳凰堂さんは首を切断されています。その断面から噴き上がる血は、大きく周囲を汚したはずですが、そのような血痕はありませんでした」

「しかし、一度殺してから首を切断した、というのはありませんか」

 異を唱えたのは大神だった。

「血が噴き出るのは心臓が血を送り出すからです。その心臓を止めてから、つまり殺してから切断する分には、血は噴き上がりません」

「その場合でも同様です。心臓が止まり、血が巡らなくなったとしても、首を切られれば蓋の空いたペットボトルを倒すように血は溢れて相当な範囲を汚したはずです。それに、ここが殺害現場であるならば、胴体もまた、ここにあって然るべきでは無いでしょうか。しかし倉庫の中にも鳳凰堂さんの首から下が無いということは、別の場所で殺害、切断した頭部をここに持ち込んだと考えた方が自然です」

 その説明に大神は納得したようで、「わかりました」と引き下がる。

 入り口付近では漆田が「お嬢様」と気遣い、森子が頷きながら「平気」と返している。

「であれば、鳳凰堂様は、どこで亡くなられたのでしょう」

 漆田が問うも、そこまでは八木もまだはっきりと答えられない。

「考えられるのは……」故に、濁した言葉遣いになってしまうが、答える。「鳳凰堂さんの部屋だと思います」


 ※


 【103号室】鳳凰堂椿の自室の前に一行は集まった。

「暗いですね、廊下の明かりをつけることはできませんか」

 消灯時間後はシャンデリアの明かりが弱められ、廊下の電気が消えてしまえば、非常に薄暗い。

「少しお時間をいただければ」

「ああいや、でしたら大丈夫です」

 漆田が下がろうとするのを止める。代わりに、スマートフォンの懐中電灯機能をつけ、部屋の前の扉を観察する。

 扉のノブに手をかけ、捻る。

「開けます」一口に告げ、八木はノブを引いた。

「これは……!」

 内部は、凄惨という言葉がふさわしかった。

 赤い絨毯を更に染め上げる、血、血、血。

 特に目を引くのは、部屋の中央に無造作に転がった、【波打つ刀剣】であった。

 聖堂にて鳳凰堂の頭部を発見した時から漂っていたと考えていた血の匂いは、むしろこの部屋から漏れ出ていたと考えるべきではないか。そう思えるほどむせ返るような血の匂いが一行を包んだ。

「……おかしく、ないですか」

 震えた声で言うのは森子だった。

「先程、八木様が言っていたはずです。聖堂で流れた血が少量であるために聖堂は殺害現場ではなく、首から下は実際の殺害現場にあるはずだ、と。そうであるならば……なぜ」

 森子は続けるが、この場のほとんどの人間は同じ疑問を抱いていた。

「なぜ、この部屋にも椿ちゃんの体は無いのでしょう」

 その部屋には、大量の血と刀剣があるのみで、死体は影も形も見当たらなかった。

 代わりに、八木の目にはある物が映っていた。


 それは、血溜まりの中から部屋の外へと向かう、一歩分の足跡だった。


挿絵(By みてみん)


「……調査を、始めます」

 八木と森子、大神は廊下の見張りに徹する漆田を残し、その部屋へと足を踏み入れた。

 まず目につくのは、血の海に沈む【刀剣】だった。それも妙な刀剣だ、剣身が波を打っており、持ち手の部分との間、鍔にあたる部分に穴が空いている。印象としては、この不死鳥館そのものを聖堂を下に見て、翼の部分が鍔となり、パーティホールの代わりに波を打つ剣身がそこにあるようなデザインだ。

「そちらは、【フランヴェルジュ】ですね」

 部屋の入り口に立つ森子が、刀剣に興味を注ぐ八木に気付いて補足する。

「フランヴェルジュ……? フランス語ですね」

「はい、フランス語のフランブワン、英語で言うフレイム、つまり炎に見立てられた波打つ剣でございます」

「詳しいんですね」

「あ、以前本で……」

挿絵(By みてみん)

 八木はフランヴェルジュから視線を外し、周囲の様子を観察する。

「血は……噴き上がった様子ではありませんね。主に血が付着しているのは床で、壁にはほとんどありません」

 大神が言い、八木は頷く。

「あ……ベッドが乱れています。椿ちゃんはベッドで殺されそうになり、抵抗したのでしょうか」

「いえ、それは違うかと」

 大神に続ける森子に、八木は待ったをかける。

「見てください、ベッドは乱れていますが、血がついているのはその側面です」

 八木の指の先を森子は見つめる。たしかに、ベッドのマットレスは、その側面しか汚れていない。

「つまり、椿ちゃんは、殺されてからベッドに寝かされ、首を切られたと……?」

 残酷さにやられたのか、森子は頭を振りながら呟く。

「可能性は高いかと。そして、そのベッドに寝かされた体勢は頭だけを外に出した状態で、犯人はそこを切り落としたのだと思います」

 八木は結論つける。その凶器こそが、この血の海に沈むフランヴェルジュであることも。

「あれ……」

 隣で、ふと森子がそんなつぶやきを漏らした。

「どうしました?」

「何か……おかしくありませんか? いえ、その体勢で寝かせられ、首を切られたと言うことはわかるんですが、それだと、その……」

 森子が見つめるそこは、ベッドの下、鳳凰堂が首を切られたであろう箇所の下に敷かれた絨毯であった。だが、八木が見つめても、そこには傷ひとつなかった。ただ血に染まっているだけだ。

「バスルームには目立ったものはありません」大神がバスルームから顔を出し、言う。

「ですがどうして、犯人は椿ちゃんの体を持ち去ったのでしょう。頭部だけを聖堂に置くだけではいけない理由があったのでしょうか」

 森子は三人に問う。

「考えられるとすれば、犯人には鳳凰堂さんの体を見つけられたく無い理由がある。あるいは、他に利用する目的がある。それか……」

「それか、なんですか?」


「死体が、自分の足で出ていったか」


「……それは、悪趣味、です」

 森子は俯く。

「ですが、八木さんの言葉には一部、賛同できる部分があります」

 大神は部屋の中の二人に背を向けて言う。

「まさか、死んだ人間が起き上がった、なんて……」

「そうではなく。八木さんの言葉の意図は、この部屋で犯人の想定していなかった何かが起こった、と言う意味だと思います。それならば、あれはその言葉を裏付けるのでは無いでしょうか」

 指し示す先は、カードリーダーだった。

 見ればそこには小さく、血が付着しており、それは四角く縁取られていた。

挿絵(By みてみん)

「血、ですね」

「はい、血が付着していると言うことは、ここに翳されたカードキーには血がついていたということになりませんか。この部屋の鍵が内側から閉められた時、犯人は既に被害者を殺害した後だった。つまり、密室を作った。この部屋は、本当は【鍵が内側からかけられた密室】だった」

 密室。初めてその単語が出てきた。

 大神は続ける。

「内側のカードリーダーに血が付着する条件を考えてみます。第一に、犯人が部屋に侵入した際、鳳凰堂さんが自分から部屋の鍵を開いた場合。鳳凰堂さんが怪我をしていない限り内側のカードリーダーには血は付きません。この時、もし犯人が外側から鍵を開けた場合は内側のカードリーダーにはカードが触れられません」

 八木と森子は黙って聞き、時折続きを促すように頷く。

「第二に、犯人と鳳凰堂さんが部屋に入った後、更なる来訪者を防ぐためにどちらかが鍵をかけた際。この時既に鳳凰堂さんが傷つけられていた場合、流れ出た血がカードを汚していたとすると、その可能性はあります」

「その可能性が一番高いのでは」八木が口を挟んだ。「犯人が鳳凰堂さん殺害後、首切りのために内側から鍵をかけたと考えるのは自然です」

「その場合、犯人は血に塗れたカードがカードリーダーを大きく汚したにもかかわらず、放置したことになります。やがて血で大きく汚れるベッド付近ならともかく、遠く離れたカードリーダーに付着した血は、放置しておくには大きな違和感があります」

「確かに、違和感はあります。続けてください」

 八木に続きを促され、大神は続ける。

「第三に、犯行後、犯人が部屋の外から内側のカードリーダーにカードキーを押し当て密室を作ろうとしていた場合。この場合、カードは首から流れる血で汚れ、外側から閉めようとする犯人はカードリーダーが汚れていることに気づけない」

 密室の可能性。八木は喉が鳴るのに気づいた。

「第四、密室完成後に内側からカードキーで開錠し出ていった何者かがいた」

「それは、生き返りの話ですか」

「ですが、死体がこの部屋にないことの説明にはなりますから」

「あ、ありえません! 死んだ人が生き返るなんて、そんな……」

 首を大きく振り乱す森子に、大神は「すみません」と謝る。

「いえ……ですが、犯人はどうして密室なんて作ったのでしょうか」

「正確には、作ろうとしたか、ですね。部屋に入った時、鍵は開いていたのですから」八木が森子の疑問に答える。「犯罪において密室が発生する場合はいくつかあります。大きく分類すると、一つは何かしらの理由で犯人が用意した密室。もう一つは地震で倒れた棚が扉を塞いだりなどで偶然発生してしまう、偶発的な密室。最後に、自殺や、致命傷を負った被害者が死ぬ前に鍵をかけたことで発生する被害者が作った密室」

「他にも」大神が補足する。「抜け穴があったり、扉に鍵がかかっていると思い込んだりと、そもそも密室ではなかった、という場合もあります」

 八木は頷き、続ける。「今回は一つ目の、犯人が用意した密室、その亜種であるところの犯人が用意しようとした密室、でしょうか」

「カードリーダーの四角い血痕がその証拠……ですね。では、次は犯人はどのようにして密室を成そうとしたか……ですか?」

「はい……ですが、密室においてどうやったか? はそこまで重要ではありません。犯人がどうにかしたんでしょう」

 八木は、どうでも良さげに呟く。

「どうにかしたって……いいのですか?」

「密室なんて、作ろうと思えばいつでも作れます。一つ、作って見せましょうか」

「……できるのですか?」

 八木は薄く微笑みながら、血の海を避けてデスクに歩み寄り、ゼムクリップを一つ摘む。

 カードキーをゼムクリップで挟み、ポケットの中の細く長い糸を取り出して、カードを吊る。

「なんでそんな紐が?」

「探偵の七つ道具です」適当に答え、八木は二人を部屋に残し廊下に出る。見張りを続ける漆田に会釈しつつ、糸をドア上部へと通す。「この時、カードとカードリーダーの位置に気をつけます。吊り下げるカードを部屋の内側、リーダーの真下にくるように残し、ドアを閉じます」実際に閉じると声が聞こえなくなってしまうため、少し開いたところで止めておく。「あとは、紐を引いてカードがカードリーダーに翳される位置に移動させれば……」ピピッと電子音が響き、ドアの側面からデッドボルトが飛び出した。おお……と部屋の内側から感嘆の声も聞こえてくる。

「ですが、糸とクリップ、カードはどうするんですか?」

「クリップとカードは部屋の内側へと残しておきます」言うと、八木はさらに紐を引いていく。防音扉故の密閉機構が、まずはカードを通さない。ドア枠に引っかかり、クリップの握力では敵わず内側に落ちる。クリップはドア枠とドアの間に潜り込もうとしたがしかし、それでも力強く引けばクリップはドア枠とドアの間で口を開き、やがて英数字の9のように開いたクリップがカードの近くへと落ちた。

「これで密室の完成」

「カードが内側に残ってしまいますが」

「カードが内側にあるからこその密室なんですよ。外にあってもいいなら外から施錠します」

 あっ、と森子は顔を赤くする。内側のカードリーダーに血がついていたからこそ密室の可能性があり、密室の痕跡だけがあり内側にカードがないからこそ密室が開けられた可能性があるのだ。

「今回はクリップと糸といった小道具を使いましたが、証拠として残るのを嫌えば他にもこういうこともできます」

 八木は落ちたカードを手に、再びドアに歩み寄る。

 そしてドアの側面、引っ込んでいるデッドボルトを手で抑えながら、カードリーダーにカードを翳した。当然、ピピッという電子音と共に飛び出るデッドボルトを完全に出ないまでに八木は手で押さえつけ、そのまま扉を閉める。やがて、デッドボルトを押さえつける役目が手からドア枠に変わる頃に手を離してやり、あとはドアを閉め切れば、ガチャンとドアがロックされた。

「このように、密室なんていくらでも方法があるんです。推理小説みたいに犯人が使った方法たった一つを見つけるより、他の方法も見つけて、『他にやりようがある』とした方がよっぽど早くて楽ですよ」

 はああ、と森子は嘆息したが、感心したというより夢を壊された感慨の方が多かった。

「ですが、今回の場合は一つ目のカードを吊った方法が近そうですね」大神が言う。「二つ目のデッドボルト封じは、犯人が血まみれのカードを手で翳していますから、この場合カードリーダーの汚れに気がついたかと」

「そうですね。この部屋でわかることもこれぐらいだと思います。わかったことをまとめると、【鳳凰堂椿はベッドの上で首を切られた】【凶器はフランヴェルジュである】【犯人は密室を作ろうとしたが、なんらかの理由で現在密室ではなくなっている】……このくらいですかね」

 森子と大神は頷いた。

「では、そろそろ一度戻りましょう」


 ※


 不死鳥館二日目の午前四時、食堂に戻った八木、森子、大神、漆田の四人を待ち構えていたのは、以前にも増して鬱屈した空気だった。

 特に兎薔薇は机に突っ伏して憔悴した様子であるのに目だけが爛々と敵意に満ちて輝き、幽鬼のようだと言っても差し支えないだろう。残る月熊もまた、数時間前より疲弊している。獅子噛と天窓だけが涼しい顔をしている。

「やあ、おかえりみんな」

 的羽天窓が気味の悪い微笑みで八木達を迎え入れた。

「何かお変わりありませんでしたか」

 尋ねる漆田に「何も? ただ何度か掴み合いの口論が起きただけだ」と答える的羽。お変わりあるじゃねえか。八木は内心絶句する。ただの言い合い罵り合いならともかく、掴み合いとは。八木の危惧した殺し合いが数歩先に迫っていた。

「で? どうだったのよ。この中には犯人はいないって証拠は、見つかったの?」

 幽鬼が、いや兎薔薇が八木に地を這うような声で尋ねてくる。答え方を間違えたら殺されそうだ。

「……今は、まだ」

「はああっ?」間違えたらしい。勢いよく体を起こし、振り乱れる髪が恐ろしい。「ふざけんなあっ!」その上飛びかかってきた。

「で、ですが! ある程度分かったことがあります!」引ける腰を正して制するように告げる。「それは、犯人は今回の事件に時間がかかっていたということです。なぜなら、犯行現場である鳳凰堂さんの部屋から死体がなくなっていたからです。犯人は鳳凰堂さんの部屋で首を切った後、頭部と死体を運んでいるんです。頭部は聖堂へ、胴体はどこかへ……胴体はどこにあるにしろ、少なくとも犯人が全てを終えるまで時間はかかったと見て間違い無いでしょう。ならば、みなさんで昨夜の行動を報告しあい、アリバイがみなさんで補強しあえたならば、この中に犯行が可能だった人間はいない、第三者の犯行であると断言できます!」

 兎薔薇にガクガクとゆさぶられながらほとんど悲鳴のまま八木は叫ぶ。すると揺さぶりがピタリと止んだ。

「アリバイ……それさえあればいいのね」

「そうです。まずは兎薔薇さん、貴方からどうぞ」

 兎薔薇は八木の胸ぐらを掴んだままに思案する素振りを見せる。

「兎薔薇さん、昨日の二十一時半の食事会までは鳳凰堂さんは生きていました。それから頭部が発見された零時まで、どこで何をしていましたか?」

「その時間、アタシは……」兎薔薇はようやく八木の胸ぐらから手を離し……今度は八木の首に掴みかかった。「一人で部屋で寝ていたわよ! こんなことになると思ってないんだから! 誰とも会ってないわよ!」それもそうだ。頭の血が鬱血していくのを感じながら八木は思う。「だったらアリバイがないアタシが犯人だなんて言い出さないわよねえ!」

「他の方っ! 他の方で兎薔薇さんを見た人はいませんかっ!」悲鳴というか、叫びというか、八木が他の者に証言を求めるその様は絶叫に近かった。

「私が! 私めが兎薔薇様と会っております!」

 兎薔薇を引き剥がすようにして名乗り出たのは漆田だ。

「兎薔薇様、お忘れでしょうか。昨晩二十三時、私の元へ来て浴場について尋ねられたことを」

 その言葉を聞いて兎薔薇の吊り上がった目が「あっ」という声とともに丸くなる。

「思い出した。この執事さんがホールの二階にいたから広いお風呂は使えないのかって聞いたんだった」八木は一命を取り留めた。

「よ、よかった……兎薔薇さんは二十三時前後、犯行は不可能だったと言っていいでしょう」それだけでは心許ないアリバイではあったが、そこを突っ込むと今度こそ殺されそうだ。

「では、次は漆田さん、お願いします」

「はい、私は基本的に零時まで館内を動き回っておりましたが、皆様と出会った時刻で絞りますと、皆様がお食事を終える前の二十一時から食堂で食器の片付け、次の日の料理の仕込みを行っていましたが、その内二十一時半ごろ、獅子噛様、旦那様が食堂内へといらっしゃったため、晩酌の給仕をしておりました。十五分後、森子お嬢様が月熊様と共に食堂へいらっしゃいました。直後、森子お嬢様は私が連れ添い自室へお戻りに。この際八木様とお会いになっております。二十三時五分前、月熊様と獅子噛様はお戻りになられ、そして先述のように二十三時、兎薔薇様と話をしました。二十三時半ごろに旦那様が仕事の残りを片付けると自室に戻り、再び食堂にお戻りになられたのが二十四時少し前。以降私と旦那様は零時まで共に居ました」

 流石執事、確かにここまで細かく覚えていられるとは素晴らしい記憶力だと八木は感嘆する。

「それから、お食事が終わって以降の鳳凰堂様の足取りでございますが、真っ直ぐ個室へ戻られる所を見ております」

「わ、私も、見ました」

 スタッフとして後片付けをしていたためか、漆田と森子が鳳凰堂の足取りを証言する。

「時系列は後でまとめるとして、漆田さんはほとんど食堂にいたようですね。犯行は不可能だと断言してよさそうです」

「ありがとうございます」

「次に月熊さん、どうでしょうか」

 椅子に座ってふんぞりかえる月熊に水を向ける。

「どうもこうも、その執事の爺さんが言ったこと以上のことは言えねえよ。食事の後一旦部屋に戻って、それから食堂で酒が飲めるって聞いたのを思い出してからそこの嬢さんに食堂まで連れてもらって、あとは酒飲んで部屋に戻った。それだけだ。俺から見れば、逐一自分がいつ何をしてたか覚えてる方がおかしいんだがな」

「な、なるほど……」

 ともかく、月熊のアリバイは二十一時四十五分ごろから二十三時直前までとなる。食堂から出た後、部屋に戻るふりをして犯行を行うことは可能かもしれない。

「……あ」兎薔薇が声を上げた。「そういえば、アンタを見たわよ」兎薔薇は八木を見ていた。

「それは……何時ごろのことですか?」

「詳しい時間は覚えてないけど、執事さんに話を聞いた後、部屋に戻ろうとした時に、アンタが自分の部屋に入ってくところを見たわ」

 あの時見られていたのか。すぐに部屋に戻ったつもりだったが。八木は内心自分の不注意さに驚いた。

「私との話の後でしたら……二十三時五分頃でしょうか」漆田が補足する。

「では、次は的羽天窓さん、お願いできますか」

「僕かい? 僕はそうだなあ、漆田が言った通りだ。ずっと食堂にいたけど、仕事が少し残っていたのを思い出して二十三時を少し過ぎる頃に食堂を出てから、二十三時半に戻って、それからは一緒だったよ」

 こうしてみると、二十三時から二十三時半までの間は天窓と漆田の二人もまたアリバイが無いのだ。

「森子さんはどうですか?」気に留めながら、森子のアリバイも尋ねる。

「私は、食事会が終わってからしばらくパーティホールの片付けをしておりました。終わる頃、月熊様と共に食堂へ。二十一時四十五分、私と漆田はともに一旦中央ホールへと出ました。そこで八木様とお会いしましたね。その後はずっと自室にいました。しかし、寝付けずに部屋を出たところ、中央ホールにて大神様をお見かけし、そして零時ごろ、一緒に……」

 鳳凰堂の死体を見た、と言うわけか。

「では、大神さんはどうでしょう」

「私は、二十一時半から零時前まで外にいました。その間、誰にも会っていません」

 大神の告白に、食堂内がざわついた。

「外にって……どうしてですか?」

「外の空気を吸っていました」

 あまりにそっけない答えに噛み付いたのは当然、兎薔薇だった。

「そ、そんなの信じられるわけないじゃない! 絶対、ぜ、絶対アンタじゃない!」

「落ち着いてください兎薔薇様!」漆田が再び兎薔薇を制する。

「私は外にいました。しかし、その点で一つだけ皆様に言えることがあります」

 その言葉には、流石の兎薔薇も口をつぐんだ。

「二十一時半から零時まで、館に外から入ったり中から出ていった人間はいませんでした」

 全員が、絶句した。

 特に八木は、内心頭を抱えていた。

 その証言は、「この中に犯人がいる」という事実を強く裏付けるものだったからだ。


 ※


「では、アリバイをまとめると以下のようになります」

「なかなか可愛い絵を描くんですね」八木は大神がまとめた表を眺める。

「字よりわかりやすいかと思いまして」

 あの後、八木もまた自らのアリバイを告げることで騒ぎは収まった。なぜなら、八木の昨晩のアリバイは漆田と森子に出会った時と、部屋に戻る際兎ばらに目撃された時しか無いのだから、つまり「自分だって怪しい」と訴えたのだ。

その後、大神によってアリバイの表が作成された。

挿絵(By みてみん)

「だけど……こんなのがなんの役に立つのよ。殺人ができるような空白なんて、みんなにあるじゃない」

「いや、八木の話だと、現場は殺されたあいつの自室なんだろ? 頭が聖堂にあったってことは、少なくとも切り落とした頭を抱えた奴が中央ホールを通ったってことになるんじゃねえか? だったら二十一時半から二十二時まではあり得ねえだろ。人が中央ホールを出入りしまくってんだから」

 意外と冴えたことを言うのは月熊だ。

「確かに、犯行は全員の行動が落ち着いた二十二時以降と考えていいかもしれません」

「その間自由に動けたのはそこの警察女よ。ねえ、いい加減話したら? 風にあたってたなんて嘘でしょ? アンタ、本当はその時外に死体を埋めに行ってたんじゃないでしょうね?」

「私ではありません」

 大神はこんな時でも鋭い目つきを空に向けている。

「大神さんは、第一発見者です」八木は慌てて擁護に回る。「もし、大神さんが犯人だったなら、自分で鳳凰堂さんの頭を見つけるなんてことはしないはずです。もっと犯行が可能な人間を増やすため、館に帰ってくるところを森子さんに見られていたとしても、聖堂の中に死体があるなどと言わないはずではありませんか」

「だったら」八木に問いかけるのは月熊だ。「結局犯人はいつ、中央ホールを通ったと思うんだ?」

 ぐ、と八木は言い淀む。

「少し、考えてみたんです。もし、この中に犯人がいるとして、中央ホールを通った後の足取りが不明な人が一人、いるのではないでしょうか」

 場の空気が一瞬で引き締まる。

「中央ホールを、通った後の足取り……ですか?」

 八木は尻込みしかけるも、臆さず続ける。

「はい。犯人は個室から聖堂に頭部を運んでいる以上、一度は必ず中央ホールを通る必要があります。このアリバイ表で、二十二時から事件発覚までに中央ホールを通った人は、僕、漆田さん、森子さん、兎薔薇さん、獅子噛さん、月熊さん、的羽さん。この時、漆田さんは森子さんを見送り、漆田さん自身は食堂へと戻っています。月熊さんと獅子噛さんは同時に部屋に戻っており、そして僕は兎薔薇さんに個室に戻るところを目撃されていて、それが可能な場所は直線上に位置する反対側の廊下であるため、僕と兎薔薇さんは同時に部屋へと戻ったことになります。最後に……的羽さん、貴方は中央ホールを通った後、自室に向かったことを誰かに見られてはいませんか?」

 全員の視線が天窓に集まった。

「おや、僕が怪しいのかな」

「怪しいと言うわけではありません。ですが、貴方だけ、中央ホールを通った後の足取りが分からないのです」

 天窓を見る全員の視線が、怪訝なものから警戒へと変わる。

「て、ていうか! その後に会ったのはそこの執事さんなんでしょ? だったらアリバイ工作なんてせずとも、口裏を合わせればもっと時間を伸ばせるかもしれないじゃない!」

 兎薔薇の糾弾に、漆田はたじろぐ。

「いえ、私はそんな!」

「そういえば的羽、君はマスターキーを持っていなかったかい?」余裕ぶる声は獅子噛だ。「そしてそれは、漆田くんも知らない様子だったね?」

「じゃあマスターキーを持ってたアンタなら、殺せるじゃない!」

 そして大きくなろうかと思われたその騒ぎを、挙げられた一つの掌が遮った。

 的羽天窓は、八木に問い詰められてなお余裕そうな笑みを浮かべ、手を挙げていた。「……で?」薄く笑う唇が開き、声が発せられる。

「君は僕が一番怪しいと示すようだけど、それなら君は、僕をどうするんだい?」

「それ、は……」

「ダメだよ、探偵の八木くん。現実の世界で犯人はお前だ、で物語は終わらないことは知っているはずだ。本土と連絡が取れないのに、君は僕を野放しにしていていいのかな?」

「……」

 黙りこくる八木に、天窓は今度は大きな声で全員に問う。

「では皆さん、こういうのはいかがでしょうか。みなさんは僕を怪しいと思っている。それに対して僕は説得力のある反論はできません。そこで、僕を疑いが晴れるまで拘束するというのはいかがでしょう」

 その提案に、場の全員が絶句した。

 しかし、誰かが言おうとしていたことではある。言い難いそれを、自分以外の誰かが言ってくれるならば喜ぶべきことでもあった。糾弾されている本人以外が言うならば、ではあったが。

「その代わり、僕は探偵である君、八木黒彦くんにこう言わせてもらうよ」天窓はなおも続ける。「僕は疑いをかけられ、拘束される。ならば探偵である君は……最後まで務めを果たすべきだ」


 時刻は午前五時。

 不死鳥館に二度目の太陽が昇ろうとしていた。


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