表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

岩流

作者: 小城

 薩摩坊津の港は、天然の良港と言われる。リアス式海岸の入り組んだ地形は、東西南北どのような風が吹いても、船が停泊できる港として、有名であった。古来の遣唐使船もここを停泊基地にし、それから800年程が経った今日でも、船の行き来が頻繁にある。

「南蛮船が入ったぞおい!!」

交易所に商人たちが集まって来た。

「何ぞ良い品はありますかな…。」

豊前国からやって来ていた白髪の老人がいた。下人を二人連れている。

 南蛮船からは、品々が運び出され並べられて行った。南蛮船とは言うが、実際は倭寇の船であり、日本の船である。その中に南蛮人が2、3人乗っているに過ぎない。運んでいる荷も南蛮渡来の物ではなく、九州沿岸や明国、朝鮮の物がほとんどである。

「(このような物は博多へ行けば買えるわ…。)」

それもそのはずであった。彼らの船は肥前や筑後の国を根拠地にしている。地元薩摩の商人たちには在庫を仕入れる良い機会かも知れないが、若い頃から日本の津々浦々を巡っていたこの老人にとっては、もはや見飽きた品々でしかない。

「(なかなか珍品には巡り会えぬものだ…。)」

そう思いながら、交易所を後にしようとした。

「おや…?」

倭寇の船から奴婢たちが連れて来られた。買い手に買い取られた彼らは鉱山や山林などの過酷な労働に従事させられる。それらの労働は常に死人が出るものであり、替えの補充が利く彼らは良い働き手であった。薩摩では、この頃、需要が高まってきた硫黄の採掘などに山師が買っていくことがある。彼ら奴婢は明、高麗、はたまた日本の地から倭寇に諒奪されて来た人々に他ならない。海を越える長旅と劣悪な船内での生活で、ふつう体躯は痩せており、顔色は悪い。それを見越してか倭寇の売り手たちも、彼らが港に到着する何日か前だけは、質の良い食事と水を飲ませて、商品として買い手が付くように、体裁を整えようとする。しかし、買い手も買い手で目が肥えた者は顔色だけでなく、肉の付き方や歯並びを見て、買うかどうかを決めていた。

「あの者…?」

そのような者たちの中に、一人だけ、茜と黄肌に染められた日本の小袖を纏った女子がいる。その場を去ろうとした老人は、下人を呼び止めて、奴婢たちのいるところへ行った。

「(和人だろうか…?)」

小袖を着た女子はずっと下をうつむいたままである。奴婢の女子の中には、女郎屋などに買われて働かされる者もいる。そのような女子たちには、倭寇も綺麗な着物を着せて売りに出すこともある。しかし、この女子はそのような作為的な様子ではない。

「(顔色と肉の付き方も良い…。)」

この女子だけ他の者とは別に生活させられていたようであった。

「おぬし、和語は話せるか…?」

問いかけてみたが、返事はない。

「ふむ…。」

老人は拳を口に当てた。

「この娘を貰おう。」

板銀1枚と交換した。


老人は、豊前中津の商人で、名を田川奏兵衛と言った。今は薩摩の商人、地河由良右衛門方に逗留している。

「お戻りでござる。」

夕暮れ過ぎに、鹿児島の由良右衛門方に着くと、屋敷の奥に向かって下人が呼ばった。

「遅かったではないか…。」

奥から出て来た壮年の男性は由良右衛門である。

「老人の脚に日帰りはきついわ…。」

「膳を容易してあるぞ。」

「貰おう。あと一人分、賄を頼む。」

「誰だ?」

「奴婢を買った。」

下人が持ってきた盥で奏兵衛は足を洗っている。

「下女に言って体を拭いてやってくれ。」

奏兵衛がそう言う先には、茜と黄肌に染まった小袖を着た女子が立っていた。

「おおい!」

由良右衛門が呼ばうと、下女がやって来た。

「この者を奥に連れて、体を拭いてくれ。」

「承知仕りました。」

下女は奴婢の女子を庭先から奥へと連れて行った。

「なんだ?あの女子は…。」

奏兵衛は足を洗い終わり、布巾で足を拭っていた。

「奴婢だよ。」

「女郎屋でも始めるつもりか?」

それには答えずに奏兵衛は足を拭き終わると、奥の座敷へと上がって行った。


奥座敷で、奏兵衛は食事の膳を取っていた。由良右衛門は酒を傾けている。

「倭寇の船に乗っていた。」

「めずらしくもあるまい。」

由良右衛門は奏兵衛に酒を勧めたが、首を降った。

「寝酒は体が冷える故、止めた。」

奏兵衛は魚の干物の骨を取っている。

「本州や南方の女郎屋に女子を卸すことは当世、よくあることだ。」

由良右衛門は一人、手酌で飲んでいる。

「あれは奴婢ではないよ。」

奏兵衛は骨を取り終わり、魚肉をつまみ始めた。

「さっきと言っていることが違うであろう。」

奏兵衛が黙っていると下女が襖を開けてやって来た。

「あの…。お命じなされた通り、体を拭き終わりましたが…。」

「どうかしたのか?」

「はい。衣を着替えさせようと思ったのですが、嫌がりまして…。」

下女はうつむいたまま言った。

「(衣を…?)」

あの茜と黄肌に染められた小袖である。

「あの小袖何か謂われがあると見える。女子に持たせて、ここに連れて参れ。」

「しかし、言葉が…。」

「恐らく言葉は通じておる。」

奏兵衛は魚肉を食べ続けている。

しばらくすると、新しい衣を着た女子が下女に連れられて来た。両手には、あの小袖を大事そうに抱えている。

「そこに座るが良い。」

女子はその場に座った。

「おぬし、何故に言葉を話さぬ?」

道中の様子や屋敷に到着してからのしぐさでこちらの言葉を理解している様子が垣間見られた。

「…。」

「(言葉は分かるが話すことができぬのか…?)」

奏兵衛は話題を変えた。

「おぬし和人か?」

女子は首を降った。

「明国人か?」

またしても女子は首を降った。

「高麗の者か?」

女子は首を降る。

「生まれが分からぬのか…?」

「ひらど…。」

「平戸?」

あの倭寇船は平戸から来たのだろう。この女子はそのことを言っているのだと思った。

「まあ、良いか…。」

戯れに買った女子である。

「儂は豊前中津の商人、田川奏兵衛だ。おぬしには、これから儂の下で働いてもらおう。」

「…。」

女子は黙っていた。奏兵衛は女子に握り飯を食わせて、そのまま座敷で寝かした。

「(逃げられても良かろう…。)」

逃げたなら逃げたでそのままにしようと思っていたが、朝になっても、女子はそこにいた。

「世話になったな。」

「道中、気をつけて行けよ。」

翌朝、奏兵衛一行は由良右衛門方を出発した。

「日向を経て、中津へ帰る。」

一行は歩みを始めた。

都城を越えて佐土原で一泊した。女子は逃げる素振りもなく、大人しく付いて来る。翌日、鵜戸を過ぎた辺りから、女子の様子が変わった。時折、辺りを見回している。

「(来たことがあるのか…?)」

もしかしたら女子はこの辺りに住んでいたのかも知れない。その日は府内の浜島中助方に泊まった。

「この辺りに見覚えがあるのか?」

食事のときに女子に尋ねてみたが、やはり、何も言わなかった。翌日、中津の田川家に着いた。豊前中津は人も少なく、小さな村である。奏兵衛はそこで、旅籠屋兼商家を営んでいた。

「戻ったぞ。」

「お帰りなさいませ。大旦那様。」

田川奏兵衛はもともと、田川郷佐々木氏の一族で、若い頃、中津へ出て商いを始めた。小さな店であったが、博多と府内の中継の地として、そこそこの実入りはあり、旅籠屋を始めてから家業も安定した。嫁は先年、亡くなり、今は息子夫婦が営む店の隠居として、離れに暮らしている。

「離れの儂の下で世話をする下女を買って来た。」

息子の文兵衛に言った。先月、ちょうど田川家の下女が一人、肥後の実家に帰ってしまっていた。

「名はなんと申します?」

「そういえば聞いてなかったな…。」

奏兵衛は思った。聞いたところで話すこともないと思った。

「おたわだ。」

それから、おたわは田川家で奏兵衛の下女として暮らすことになった。

「(働き方は知っているようだな…。)」

以前にも、このような生業をしていたのか慣れた風であった。

 年の瀬が近づくにつれて、おたわの様子がおかしくなっていった。体の調子が優れない日が多いようである。

「(病を持っていたのか…?)」

しばらくすると、おたわの不調の原因が分かった。だんだんとおたわのお腹が大きくなっていったのである。おたわは妊娠していた。

「身籠もっていたのか…。」

翌年の秋、おたわは元気は男の子を出産した。

「長月の3日に生まれたので、九三郎としよう。」

幼名は奏兵衛が付けた。


歳月が流れた。九三郎の元服が近づく頃、養父、奏兵衛の容態が思わしくなくなってきた。

「おたわ。」

相変わらず、おたわは話をすることはない。おそらく、何かの事情で会話をできなくなってしまったのかも知れなかった。

「九三郎を養子に出す。」

奏兵衛亡き後の二人のことを心配したのだろう。急遽、九三郎の元服が執り行われた。

「小次郎。」

それが九三郎の新しい名前であった。年内には、話を付けて、小次郎とおたわは、田川家の本家でもある田川郷の佐々木家に養子に迎えられることになった。おたわと小次郎が向かった先は、田川郷佐々木家の庶家で、添田村にある佐々木家である。その添田佐々木家は当代の甚三郎一人しかおらず、廃嫡される運命であった。そこに奏兵衛の養女おたわが甚三郎の後家として嫁ぐという形になった。

「むさ苦しいところではあるが。」

奏兵衛から話は聞いていた。甚三郎はもう60歳近くになる。息子はいたが戦で死んでしまっていた。屋敷には、同じく60歳近くになる下男と、下女の老婆が一人いるだけである。

「小次郎というらしいな。」

「はい。」

どことなく死んだ息子に似ているような気がする。

「健やかに過ごすと良い。」

添田村の近くに、岩石山という小高い丘があった。

「岩石山には登ってはならぬぞ。」

養父、甚三郎はそう言ったが、ならぬと言われると登りたくなるのが子どもである。

 添田村に来て1年が経った頃、小次郎は密かに岩石山に登った。岩石山は添田村の詰め城にもなっていて、頂上には土塁が築かれているという。

「(何故に父上はこの山に登ってはならぬと仰るのか?)」

それは単純に危険であるという理由であった。岩石山はその名の通り、あちらこちらに石、岩が転がっている。

「(何か宝物が隠されておるのやも知れぬ。)」

小次郎少年は、心の底からそう思った。


ガサッ…。


何かの気配がした。

「山犬…!」

狼であった。


グルル…。


3尺程の大きさの狼が喉を鳴らしながら近づいて来る。

「(逃げなければ…。)」

そう思っても、脚がすくんで動かない。

「あっちに行け!」

小次郎は近くにある石を掴んで投げた。


グルル…。


しかし、その石は狼に当たることはなく、変わらず狼は牙を剥いて近づいて来る。


ガサッ…。


狼とは反対側の草陰が揺れた。

「(またか…。)」

もう一頭の狼かと思った。しかし、草陰から現れたものは、一人の山伏であった。

「でいやあ…!!」

突然、山伏は山刀を抜き、狼に向かった。


ギャン!!


山伏が狼を蹴り飛ばすと、そのまま狼は草叢に姿を消した。

「一人か?」

山伏は山刀を収めて小次郎に尋ねた。

「はい。」

山伏は小次郎を伴って、山を降りた。

家に帰ったあとも、小次郎は岩石山でのことは内緒にしていた。次の日も、小次郎は岩石山に向かった。

「先生!」

声が辺りに響いた。

「(いないか…。)」


ガサッ。


草叢が動いて昨日の山伏が姿を現した。

「誰かと思えば、昨日の童ではないか。」

「先生に会いに来ました。」

聞くと、小次郎は山の山頂に行きたいという。

「童の脚でも登れぬことはないが…。」

九左衛門は少し考えている様子であった。

「まあ気をつけてついて来い。」

「はい。」

小次郎は山伏に伴われて山頂に向かった。


ガサッ。ガサッ。


山刀で草木を切り分けて進んでいく。辺りは草と石ばかりである。一刻も経たぬ内に山頂に着いた。

「うわあ…。」

岩石山の山頂からは添田の村々が見える。

「童はあの村の子か?」

「はい。」

名を小次郎というと。

「我は九左衛門という。」

山伏は肥後の生まれで、各地の山谷に遊び修行を積んでいると言った。

「また、明日も来ます。」

「そうか。」

翌日、小次郎は岩石山に入った。

「先生!」

小次郎が大声で数回叫んだ。


ガサッ。


しばらくすると、九左衛門が現れる。そのような日が幾日か続いた。

「戦の前は必ず丘の上に登れ。」

「はい。」

「そして、辺りを見回すのだ。」

ある日、岩石山の頂上で、九左衛門が小次郎に兵法の講義をしていた。

「敵を見つけたら気を感じるのだ。」

「気?」

「木々草々山野谷川に住む魑魅魍魎と一体となるのだ。」

「はい…?」

「一体となれたら剣を抜き、相手に向かって走る。」

「はい。」

「その後はただ、何も考えずに剣を振れば良い。」

「分かりました。」


ガルル…。


「(山野と一体になる…。)」

小次郎は山刀を手にして狼と対峙していた。

「行け。」

九左衛門の掛け声と伴に小次郎は狼に向かって走った。

「振れ。」


きゃいん…!


小次郎が山刀を振ると狼は前足を引きずって逃げて行った。

「できたな。」

「はい。」

小次郎はうれしかった。


「我は四国へ向かう。」

年の瀬が近づいた頃、九左衛門は言った。

「また会おう。」

小次郎の初めての先生は山から消えた。

 小次郎が18歳になった夏、甚三郎が死んだ。

「これからは、小次郎が当主だ。」

死ぬ間際に養父は言った。養父が死ぬと下男と下女の老婆も屋敷を去った。屋敷にはおたわと小次郎の二人になってしまった。

「(どうしたものか…。)」

甚三郎の家は添田佐々木家とはいえ、その分家である。本来は廃嫡される予定であったので田畑もないし、それを耕す人手もない。甚三郎が生きているときは、添田佐々木本家から食糧その他を貰っていたが、それもどこまでもつだろうか。

「(御爺様を頼ってみようか…。)」

中津の田川奏兵衛である。さっそく小次郎は田川家へ走った。

「夕暮れまでには帰ります。」

母を案じた。日が上る前に小次郎は甚三郎から託された刀を一本持って出掛けた。

「父は去年亡くなりました。」

田川家当主文兵衛が言った。

「これを…。」

銭の入った袋を渡された。

小次郎は山道を走った。

「(どうすれば良い…。)」

頼みになる者はいない。

「(先生…。)」

九左衛門のことが頭に去来した。

「(日が暮れたか…。)」

添田村まであと峠ひとつというところで日が暮れた。


ガルル…。


「(まだ付いて来るか…。)」

麓から狼が小次郎の後を付けて来ていた。

「(このまま村には入れないな…。)」

狼を連れて村に入ってしまえば、村の牛や馬、鶏が襲われる心配がある。


カチャ…。


小次郎は刀を抜いた。

「(山野の気を感じよ…。)」

追い払えれば良いと思った。


ガルル…。


狼は一歩、また一歩と小次郎に近づいて来る。

「(今だ…。)」

小次郎は狼に向かって走った。

「(ひい、ふう、みい…。)」

十匹程度いるだろうか。その狼の群れの中に小次郎は刀一本で、突入した。

「(振れ…。)」

九左衛門の声が聞こえたようだった。


ズシャ…。


狼が倒れた。

「(振れ…。)」


ズシャ…。


不思議なことに、小次郎が刀を振れば、狼がそこに吸い込まれるようにして、斬り倒されていく。


ズシャ…。


四半刻も経たぬ内に辺りには狼の死骸が残った。

「できた…。」

小次郎は狼の血にまみれた刀を提げて走った。

「母上。今、戻りました。」

変わらず、屋敷にはおたわがいた。


それから、小次郎らは添田佐々木本家の小作人として生きることになった。しかし、自らも稼がねば生きてはいけない。

「夕暮れには帰ります。」

小次郎は刀を持って出掛けた。


「いた…。」

小次郎は街道を見渡せる丘の上にいた。街道とは言うが、山谷の山道である。その山道を三頭の馬を引いた旅人が通っている。

「(気を感じて…。)」

小次郎は顔に頭巾を巻いて、刀を提げている。

「(行くか…。)」


ぎゃあ!!


ひゃあ!!


突然、丘の草叢の中から、白頭巾に白刃を持った者が出て来た。


逃げろ!!


旅人は馬を置いて逃げて行った。

「できた…。」

あとは馬に残された荷物の中から銀や銭など手近に持って行けそうな物を選んで、その場を立ち去った。

「只今、戻りました。」

おたわは変わらず屋敷にいた。旅人から掠めた銀銭で、旅の商人から食べ物やその他を買う。ときには、田川郷の村人と交換してもらうこともあった。

 1年も経つ頃には、小次郎は村の者十数人を連れた野伏の頭目になっていた。

「行くぞ…。」

小次郎の合図で白頭巾を被った者たちが、白刃を手にして丘を駆け降りていく。


おどれ!!


ぎゃあ!!


ズシャ…。


街道に荷駄を運んで来る者たちの中には足軽風体の者もいて、ときには斬り合いになったが、それらも小次郎は斬って捨てた。小次郎らは丘の上から街道を見渡し、荷物の割には従者が少ない一団を襲った。それは小次郎が山伏の九左衛門から教えてもらった兵法であった。従者らを追い払うと、小次郎一味は馬ごと荷駄を運んだ。奪った物資は田川郷から少し離れた山中の根倉に隠していた。

「只今、戻りました。」

おたわが魚を焼いて待っていた。

「母上はお休み下さい。」

小次郎は七輪の前に座った。暮らしに余裕ができた後も、小次郎はおたわと二人だけの生活をしていた。

「行って参ります。」

留守中のことが心配であるが、小次郎は母と二人だけの生活を好んだ。


ぎゃあ!!


ズシャ…。


「(二人斬った…。)」

20を過ぎた小次郎は既に何人もの人間を斬っていた。

小次郎はあのときと何も変わっていなかった。あのときとは、中津の田川家から添田村へ帰る途中に、峠で狼の群れを斬って捨てたときである。小次郎にとっては人間を斬って捨てることも、狼を斬って捨てることも同じであった。当の小次郎本人はそれが普通であるから、そのことに対しておかしいとは思っていない。

「おや…?」

奪った荷駄の中から細長い筒が出て来た。

「御頭、それは鉄砲じゃあないですかい。」

「これが鉄砲か…。」

この頃、南蛮から伝わった鉄砲は日本の堺や近江など各地で生産されて出回っていた。府内やその他の名のある武士の家には鉄砲が1、2丁置かれているが。添田村にはまだなく、実物を見るのは小次郎も初めてであった。

「どうやって使うのだ?」

荷駄の中には玉と火薬らしき物も少数だが入っていた。博多に行けば分かるのではないかということで、小次郎は一味の一人に鉄砲を持たせて、博多に行かせた。5日程して、その男が帰って来た。


ドーン…!!


音に驚いて鳥が逃げて行く。

「慣れないと難しいようだな…。」

玉が届くのは、だいたい1、2町程であった。

「小次郎。いるか。」

あるとき、添田佐々木本家の当主、武兵衛がやって来た。

「若い衆を引き連れて戦に出て欲しい。」

「戦に?」

豊後の大友氏が日向に兵を出すことになり、豊前宇都宮家らと伴に、田川郷佐々木家も大友氏に従軍するのだと言う。

「今度の戦は大きいそうで、できるだけの人数を連れて来いという。小次郎ならば郷の若衆の頭として申し分ないだろう。」

小次郎たちが野伏稼ぎをしていることは皆、知っていた。

「それじゃあ、頼んだぞ。」

戦は来月だと言う。

「母上。俺は戦に行かなければなりませぬ。」

おたわは驚いた。

「佐々木本家から頼まれました。」

おたわは首を降った。

「必ず生きて帰りますので。」

本家の頼みを断ると、これから先、村にいるのも気が悪くなるだろう。小次郎らは今は自分たちの稼ぎで糊口を凌いでいるとはいえ、佐々木本家の武兵衛には何かと世話になった。

 翌月、田川郷の者たちは集って戦に出かけた。おたわは家の中にいた。余り、村の者とも、顔を合わせづらいらしい。

「では参るぞ。」

小次郎は添田村の若者十数人を連れて、佐々木武兵衛を物頭として、田川佐々木家の足軽として付き従った。田川佐々木家当主の又一吉実と武兵衛は騎馬である。他の者は徒歩で峠を越えて行く。一行は小者も入れて100人くらいはいる。彼らは街道に出て、一路、府内を目指した。途中、中津も通ったが、田川家は閉まっていた。

「大友の侍の所へ行って来る。」

府内に着くと、吉実は大友家中の侍のもとへ行った。そこで、佐々木一党の持ち場が知らせられる。

「我等は臼杵衆の与力じゃて。」

数日して、軍勢が整うと、一堂は日向へ向けて進軍した。

翌月の城攻めには、佐々木一党は取り巻きの一部で攻め手に上がることはなかった。

「(戦とは退屈なものだな…。)」

小次郎のやることといったら、荷駄の運搬と青空を見上げることくらいであった。やがて、一堂は、日向高城川周辺に布陣した。一部の軍勢が城を攻めているらしい。

「(また取り巻きか…。)」

そのような日が幾日か続いたある日、突然、軍勢内が騒がしくなった。

「小次郎…!!早くせい!!」

筵を被って休んでいたところを武兵衛に叩き起こされた。

「人数を集めて、本家の所へ集まれ!!」

小次郎は一味の若者を集めて吉実の所へ向かった。

「なにが起こったのだ…?」

「戦じゃあ…!!」

武兵衛が叫いた。

「良いか小次郎、相手が来たら槍を揃えて突っ込め…。」

「何を言う。何も分からぬのに突っ込むなどとは兵法も何もないわ!!」

「我は小賢しいわ!!そのようなことは侍衆のやることじゃあ!!お主は黙って言うとおりにすれば良い!!」

「(そんな馬鹿なことがあるか…。)」

「来たぞ!!」

敗軍の将兵を追って、敵らしき一団がやって来る。

「突っ込め!!」



「うおお…!!」


田川郷の者たちは槍を揃えて走って行く。

「くそう!!」

小次郎たちも槍を前に突き立てて走って行った。

「(槍などつかえるかあ…。)」

小次郎は槍を扱ったことがない。ここに来る道中、振り方を聞いたぐらいである。それは他の若衆も同じだった。


ガシャン!!

ガシャン!!


槍が鎧に当たる音がする。

「(何がどうなっておる…。)」

隣の者が槍を引っ張られたのか前に倒れた。

「大丈夫か…!?」

しかし、自分のことに精一杯で助けることはできない。

「くそう!!」

そのうち、空いた隙間から相手の足軽が一人手槍を持って飛び込んで来た。


ぎゃあ!!


隣の若衆はその足軽の手槍に喉を突かれた。


ズシャ…。


小次郎は槍を捨てて、刀を抜いた。そして、隣にいた足軽を斬り捨てた。

「大丈夫か!?」

喉を突かれた若者は呼吸ができず苦しそうにしていたが、死んだ。

小次郎は辺りを見回した。いつのまにかこちらの足軽の多くはいなくなっていた。

「皆、逃げろ!!」

小次郎は叫んだ。その声が届いたかどうかは分からない。ただ、小次郎の傍の2、3人は槍を捨てて走った。

「(逃げろ…!!)」

小次郎は走った。足下には、人間がごろごろと転がっている。その中には、まだ、息のある者もいたであろうが、小次郎は構わず彼らを踏んで逃げた。

「(この場は己の身だけだ…。)」

小次郎は遠くまで走った。野を駆け、川を越え、山に入った。

「(どこだここは…!?)」

気がつくと辺りは静かで、小次郎は山の中にいた。この日から小次郎は山中を彷徨うことになった。


10日程、山中を彷徨っただろうか。川を下って行くと人里が見えた。小次郎が里に降りていくと、里中が大騒ぎになった。

「落人じゃあ…。」

「名主様に知らせねえと…。」

里人たちは皆、屋内に引き籠もってしまった。

「(ここが何処かさえ分かれば…。)」

小次郎は生きて母のいる添田村へ戻ることが目的だった。それには豊前への道さえ分かれば良いのだが、人々は皆、屋内から出て来ない。

「(まあ良い…。)」

里人のことは諦めて、そのまま山道を降りることにした。小次郎は川沿いに歩いて行った。

「お前、落人か?」

気がつくと隣に人がいた。身なりは侍のようである。

「田川郷はどちらか?」

「田川郷?」

「豊前だ…。」

「豊前なら逆だな…。」

「そうか…。」

そう聞くと小次郎はくるりと向きを変えて、もと来た里の方へ歩き出した。

「待て待て、逆というのは方角がということだ。山の中を行っても豊前には辿り着けぬぞ。」

侍は慌てて言い直した。

「ならば、どう行けば良いのだ?」

「豊前に行くには、一度、隈本へ出なければなるまいが…。」

侍はその落人の姿を見た。薄汚れた胴丸を着けて、体全体が泥だらけである。一本だけ差してある刀の鯉口にはどす黒い血の塊がこびり付いており、腰には何の肉か分からないものを吊り下げている。

「お前、儂に付いてこい。その格好をどうにかしてやる。」

身なりは妙だが、盗人の類ではなさそうだと思った。

「(この落人はただ国へ帰りたいのだろう。)」

そう思い侍は小次郎を自分の屋敷に連れて行くことにした。

「御免。」

とりあえず、里から離れた山寺に小次郎を連れて行った。

「これは丸目様。」

侍の名前は丸目蔵人と言った。この辺りでは知られている者のようだった。

「そこで落人を拾った故、身なりを整えさせてくれ。」

寺の住持は奥へ行って寺男に命じていた。

「ところでお前、その腰に下げたのは何の肉か?」

「狼だ…。」

落人は寺男に連れられて寺の畔の小川の所へ行った。

「(山中で狼を狩って食っていたというのか…?)」

山の狼は猛々しく人を襲う。この辺りでも合戦に敗れて山に入った落人が狼の餌食になることはよくある。

「(あの刀の血は狼の血か?)」

彼が何日間、山の中を彷徨っていたかは分からない。しかし、生きてここに辿り着いたというのもまんざらでもないだろう。

蔵人が寺の本堂で待っていると、落人がやって来た。

「落人ではなくなったな。」

小次郎は川で体を洗われて新しい着物を着せられていた。

「早く豊前に連れて行ってくれ。」

「まあ、そう急ぐな。」

蔵人は板の間に胡坐を組んでいる。

「お前、名前は?」

「佐々木小次郎。」

聞けば豊前国、田川郷添田村の者だという。

「高城川での戦いだな。」

小次郎が逃げて来たのは、島津家と大友家の合戦であった。

「あのようなものは戦いではないわ。」

「初めてだったのか?」

「初めてではあったが愚かさは分かった。」

この小次郎という若者が合戦で感じた愚かさとは何のことなのだろうか。あるいは仏教哲学的な無常観のことを言っているのだろうか。

「兵法がなっておらぬ。」

「ぶっ…。」

蔵人は吹き出してしまった。何かと思えば兵法だという。

「戦が初めての雑兵に兵法など分かるのか?」

「分かるわ。」

小次郎は言った。彼の言うことには、戦に臨むには、まず相手のことを知らなければならない。

「相手が良く見える丘の上から見下ろす。」

そして、必ず、相手よりも多い人数を揃えてかかる。

「あとは気が揃えば突っ込むだけだ。」

「なるほどな。」

小次郎の言うことはもっともである。兵法の基本だと言っても良い。ちなみに最後の『気』のことを蔵人は『機』のことだと思った。

「それでも負けたのだろう。」

高城川の合戦。耳川合戦とも言う。この大友家衰退の原因となり、多くの武将が討ち死にしたこの合戦は、あるいは小次郎の言ったように戦場の気を感じていれば負けることはなかったかもしれない。というのも、大友家の武将角隈石宗が戦場の気が悪いことを説いて、出陣の取り止めを進言していたが、当主、宗麟はそれをはね除けて出陣し、大敗北を喫していた。この合戦で角隈石宗も討ち死にした。

「お前、その兵法を誰に習った?」

「九左衛門先生だ。」

「さぞかし名のある先達なのだな。」

他にも家に母が一人で待っていること。その母を野伏稼ぎで養っていたことなどを聞いた。

「(野伏にしては人が良い…。)」

自分は野伏だと言う辺りお人好しと言えよう。その日は寺に泊まった。

「では、行くか。」

翌日、里での用事を済ませた蔵人とともに、人吉に向かった。

「儂はそこで剣術を教えている。」

「剣術?」

蔵人は若い頃は諸国を回り修行をしたという。

「九左衛門先生もそのようなことを言っていたな。」

「儂は今、タイ捨流という流儀を開いている。」

「ほう…。」

小次郎は剣術のことなどどうでも良い様子であった。

「ここだ。」

蔵人の屋敷は人吉城下でも大きく、内は道場にもなっている。

「俺は豊前へ行く。」

「まあ、上がるだけ上がって行け。」

小次郎は迷惑そうではあったが、渋々、蔵人の屋敷へ上がった。

「先生。お帰りなさいませ。」

「寿斎はどうした?」

蔵人の弟である。

「若先生は城へ上がっておいでです。」

「若先生はよせい。」

蔵人と寿斎はそれほど年も離れてはいない。

「旅の支度を二人分整えてくれ。」

「おい。おぬしも来るつもりか?」

「八代まで送ってやろう。」

入らぬ世話だとは思ったが、言っても聞かないだろうと思った。

「出立は明日故、今日は泊まっていけ。」

また日が延びてしまった。

「(騒がしい所だ…。)」

何人もの侍が手に茶色い物を持って打ったり突いたりしている。

「あの手にしているのは何だ?」

「あれは、しなえだな。」

袋竹刀、蟇肌竹刀ともいう。竹を細くした物を獣の皮で包んだものである。

「我が師でもある上泉伊勢守殿が考えたものだ。」

新陰流創始者の上泉信綱である。この袋竹刀の考案により、剣術の稽古での安全性が増した。

「持ってみるか?」

小次郎はしなえを一本渡された。

「軽いな。」

刀よりは軽いかもしれないが、それでも、250匁くらいはあるだろう。

「ちょっと撃ってみろ。」

蔵人が言った。彼も手にしなえを持っている。

「どういうことだ?」

「それを白刃だと思い儂に斬りつけてみよ。」

「ふむ…。」 

突然、始まった師範の試合に、門人たちは皆、手を止めて二人を眺めた。

「お前の言う兵法とやらを持って、俺を打ち負かしてみろというのだ。」

「なるほど。」

小次郎は目を閉じた。

「(なんの真似だろう…?)」

蔵人はしなえを下げたままである。

「(山谷の気を感じよ…。)」

小次郎は呼吸を整えている。小次郎の呼吸が数回続いた。そのとき、何かを感じた蔵人はしなえを清眼に構えた。と思った瞬間、小次郎のしなえが蔵人の額を擦った。

「ぐはあ…!!」

小次郎のしなえが蔵人の額を擦ったのと同時に、蔵人のしなえが小次郎の喉を突いた。

「(見えなかった…。)」

狼を狩ったという腕はまことであった。並み大抵の武芸者ならば、気がついたときには死んでいるであろう。

「何をするのだ!?」

仰向けに倒れていた小次郎は言った。

「すまぬ。」

門人たちの手を借りて、小次郎は起き上がった。

「これが剣術だ。」

「ふん…。」

小次郎は初めて負けた。

「(とんでもない拾い物をしたのかも知れぬな…。)」

蔵人はそう思った。

「小次郎。お前、ここに残って剣術を学ぶつもりはないか?」

「あるわけなかろう。」

小次郎は行ってしまった。あるいは、この人吉の丸目蔵人のもとで剣術を学んでいたとしたら、その後の佐々木小次郎の運命も変わっていたかもしれない。

「行って参る。」

留守中を寿斎に任せて、小次郎を連れて蔵人は八代に向かった。

「此をお前にやろう。」

旅に出る前、小次郎に蔵人が一振の刀を渡した。

「何だこれは?」

その刀は長さ3尺2寸程もあった。

「その腰の刀はもう使えぬだろう。」

蔵人は中身を見たが、狼の血がこびり付いており、一部、錆びていた。

「あいにく、その長さの物しかなくてな。まあ、小次郎ならば扱えるだろう。」

「父の形見なので、この刀も持って行くぞ。」

小次郎は左右に刀を差して歩いた。

人吉から八代までは一日程の行程である。道中は山道であるが、先達がいなければ迷うかもしれない。

夕暮れには、八代に着いた。

「今日はもう休め。」

蔵人の知人の淀兼光という侍の屋敷に泊まった。

「隈本から久留米に抜けるのだぞ。」

「何度も言わなくとも分かる。」

「脇道には行くなよ。久留米に行けばあとは分かるはずだ。」

「世話になった。礼を申す。」

そう言うと、小次郎はさっさと行ってしまった。


熊本から久留米までは道中何事もなく来られた。

「銭もまだある。」

蔵人は八代を出るとき、小次郎に銭を500匁程くれた。

「(やっと帰れる。)」

久留米には一度来たことがあった。町の人に聞いた所、添田村を出てからひと月近く経つらしい。

「(母上…。)」

小次郎は道を急いだ。

「着いたぞ…。」

夜に小次郎は添田村に着いた。

「母上…。」

小次郎は恐る恐る家の戸を開けた。そこにはおたわがいた。

「母上。戻りました。」

予期せぬ来訪者におたわは驚き涙した。

「母上…。」

小次郎はおたわの腕に抱かれた。村では小次郎はとっくに死んだ者だと思われていた。おたわもそう思っていた。添田佐々木本家の者から些細な食べ物をもらい糊口を凌いでいたという。

「俺が戻ったから、もう大丈夫だ。」

翌日、小次郎が村に出ると皆、驚いた。しかし、話を聞くと、小次郎の他は皆死んだらしい。

「叔父上も死んだのか。」

添田佐々木本家の当主武兵衛も死に、今は子の孫太郎が跡を継いだという。孫太郎はまだ、元服を終えたばかりである。田川佐々木家の又一吉実も討ち死にしたらしい。

「皆、死んだのか…。」

小次郎の一味の若者たちも帰って来なかった。小次郎はまたおたわと二人の暮らしが始まった。

「行って参ります。」

小次郎は山中の根倉に向かった。

「(物はそのままだな…。)」

食糧、武器その他は手つかずのままだった。しばらくはここにある食糧で糊口を凌ぐしかない。

小次郎は村に戻った


「(村の者たちの態度がおかしい…。)」

添田村の者たちは小次郎を見るとすっとどこかに姿を消してしまう。

「母上。戻りました。」

気配がなかった。奥へ行くとおたわが泣いていた。

「どうしたのですか!?」

おたわは首を降った。

「(俺がいない間に何かあったのか…?)」

「行って参ります。」

翌日、小次郎は出掛けた振りをして、納屋の仮屋から家の様子を窺っていた。昼までは何事もなかった。

「(俺の思い過ごしか?)」

勘繰りが過ぎたのであろうか。

「(いや、あれは…。)」

村の者が2、3人やって来た。

「このやろう!!」

村の者は家に石を投げつけた。

「よくも息子を殺しやがったな!!」

「(あれは五作の父親か…。)」

小次郎と戦に行った若者の父親であった。よく見るとその横も小次郎の一味の若者の母親であった。彼らは家に散々、石や木を投げつけ、罵りや呪いの言葉を吐きかけて帰って行った。

「(そう言うことだったのか…。)」

戦で討ち死にした若者の家族らは小次郎が連れて行ったから子どもたちが死んだと思っているらしい。

「(何と言うことだ…。)」

小次郎は添田佐々木本家の武兵衛に頼まれて戦に出たのである。その武兵衛は田川郷佐々木本家に頼まれたのだろう。

「(田川の本家は誰に頼まれたのだ…?)」

武兵衛はなるだけ多くの者を連れて来いと言われたと言っていた。武兵衛たち佐々木一党が従っていたのは大友家である。しばらくすると、今後は子どもたちが来た。その中には、添田佐々木本家の孫太郎もいた。

「お父を殺しやがって!!」

孫太郎ら子どもたちも大人と同じように悪罵を吐き、石をぶつけて行った。

「(馬鹿げている…。)」

やっとの思いで帰って来たのに、いつのまにか村の者全員の恨みを買い、目の敵になっている。小次郎の頭には怒りと憎しみが湧いて来た。夕暮れまでに、あと2度、同じようなことがあった。

「(母上はこのような仕打ちを今までずっとされて来たのか…。)」

怒りが小次郎を支配する。それは何に対してのものかは分からない。村の者かもしれないし、侍に対してのものかもしれない。しかし、その何かが母を苦しめている。小次郎が家の中に入るとおたわは泣いていた。辺りはもう暗い。

「こんなところもう嫌だ…。」

小次郎は養父、甚三郎の形見の刀を持ち出した。

「父上。俺らは村を出ます。」

甚三郎の墓に刀を突き刺すと、小次郎はおたわのもとに戻った。

「母上。ここを出ましょう!!」

小次郎はおたわの手を引いた。必要な物を荷造りしたあと、家に火を点けた。

「火事だ…!?」

「甚三郎の家が燃えておるぞ…!?」

村の者たちが騒ぎ出した。その暗闇の中を小次郎はおたわを連れて山の中へ消えた。


 小次郎はおたわを連れて、かつての一味の根倉を訪れた。

「しばらくはここで暮らしましょう。」

仮屋ではあるが、二人で暮らすには十分である。食糧もひと月分くらいならあるだろう。

「村にいるよりはましです。」

翌日から、小次郎は街道筋に出た。野伏稼ぎである。

「(人が通らぬ…。)」

今日で5日目だが、旅人は通らない。高城川の戦いで大友氏が大敗して以来、世情が不安になり、人も物資も滞っているのかもしれない。

「(これでは駄目だ…。)」

いくら何でも、この先ずっと野伏稼ぎで生きていくわけにはいかない。小次郎一人くらいなら何とかなるかもしれないが、おたわと一緒には無理だろう。

「(せめて母上だけでも、安心して暮らせる所があれば…。)」

そう思っても詮無いことで、今日も小次郎は、人の通らない街道筋を見張っていた。

「(来た…!?)」

妙な一団が通って行った。彼らは馬2頭と十人程の人を連れている。

「(刀を持っているのは2人か…。)」

最前列と最後列の2人が刀を差しているのみである。他の人々は着のみ着のままという感じだった。

「(いける…。)」

小次郎は覆面を被った。

「(山谷の魑魅魍魎とひとつになれ…。)」

深呼吸を2、3度する。

「(今だ…。)」

小次郎は丘を駆け降りた。

「なんだあ?」

突然草叢から一人の人が出て来た。と思った瞬間その男の息は絶えていた。


きやあ…!?


うわあ…!?


人々は騒ぎ立てるが、抵抗する様子はない。


「野盗か…!?」

たった一人の野盗というのも珍しい。最後列の男が刀を抜いて走って来た。


ズシャ…。


斬りかかる暇もなく男は倒れた。倒れた後に血が吹き出していた。

「(殺りやすい…。)」

小次郎が帯びている3尺2寸の刀は重さはあるが長い分、今までの刀よりも早い間合いで相手に届いた。小次郎は倒れている男の衣服で、刀を拭うと鞘に収めた。

「(おや…?)」

見ると一緒にいた人々は何を為すわけでもなく、ただ突っ立っている。

「(何なのだ…?この者たちは…。)」

彼らには構わず、馬を2頭引き連れて山を登った。

「戻りました。」

おたわは寝ていた。

「(そっとしておこう。)」

小次郎は馬を離れた所に繋いだ。小次郎は父親の顔を知らない。母に聞いても答えることはない。そんな小次郎にとっては、おたわだけが、この世の中で唯一の家族であった。

 翌日、小次郎は昨日と同じ場所に行ってみた。

「(さすがにいないか…。)」

昨日の人々はいなかった。不思議なことは昨日斬って捨てた二人の骸がなかった。血のあとは山の中に消えている。

「(狼が持っていったのか…?)」

仲間がいるときは、斬って捨てた相手の骸は谷から落として捨てていた。しかし、昨日は人々がいたし、小次郎一人ではそのような所業も難しい。

「(どうでも良いか…。)」

今の小次郎には、己とおたわの二人のことだけで良かった。

「(今度はいつ来るか…。)」

5日後、また似たような一団が現れた。

「(何なのだ、この一味は…?)」

小次郎は覆面を被った。その覆面は既に多くの血で汚れていた。


ぎゃは…!?


ぐはあ…!?


二人を斬って捨てた。今度は人々は消えていた。

「馬はいらぬな…。」

1頭に、もう1頭の荷を括りつけた。そして、もう1頭には、二人の骸を乗せて、走らせた。

「戻りました。」

おたわは笑顔で小次郎を迎えた。

「(よかった…。)」

母の笑顔を見ると心が安堵する。

「馬を繋いできます。」

馬は3頭に増えた。それから5日後に、再び一行が来た。今度は護衛の者が増えていた。

「(前後に2人づつ。真ん中に左右一人づつ。全部で6人か…。)」

連れている人々は10人前後。馬は2頭で変わらない。

「(いけるだろう…。)」

小次郎は覆面を被り、深呼吸した。

「(山谷と一体になれ…。)」

小次郎は駆けた。

「来たぞ!!」

最後列から襲った。相手も警戒していたらしい。


ズシャ…。


ズシャ…。


後ろの二人は斬った。右に回った。相手は手槍を持っていた。

「(構わぬ…。)」

一刀のもとに手槍を切り、相手が抜刀する間もなく斬って捨てた。

「どけい!!」

左側の男が、集団を掻き分けて来た。


ズシャ…。


乱れた人々の中から、3尺2寸の白刃が突き出され、男の喉を貫通した。


きやあ…!?


人々は散った。

「こなくそ…!!」

先頭の二人の内一人が白刃を打ち付けて来る。

「(難しいか…。)」

一度、山へ逃げ込もうかと思ったが、あのことを思い出した。

「(剣術…。)」

それは剣術ではなかった。ただ、以前に、丸目蔵人がしたことを真似しただけであった。相手が刀を振りかざすして来た合間を縫って喉を突いた。


ズシャ…。


「(あと一人…。)」

残る一人を探した。

「このやろう!!」

男は筒を構えていた。

「(鉄砲…。)」

男の構える鉄砲が小次郎を狙った。小次郎は後ろへ退がった。男は興奮しているのか、狙いを澄ましているのか、なかなか撃って来ない。その間も小次郎は後ろへ退がり続けた。


ズドン!!


砲声が響いた。瞬間、小次郎は右に飛んで転がった。そして、素早く態勢を整えると、男に向かって走った。始め男は袋から何かを取り出そうとしていたが、小次郎が近づいて来るのを見ると、鉄砲を捨て、白刃を抜いた。が既に遅く、男は小次郎に斬って捨てられた。

「(やった…。)」

小次郎は大きく息を吐いた。既に人々は散っていない。倒れている男の衣服で刀を拭い収めた。辺りには火薬の匂いがしている。小次郎は地面に転がっている鉄砲を取り上げた。

「(1対1ならば敵う。)」

かつて、試しに撃ってみた鉄砲から、玉より音のほうが早く届くことに気がついていた。

「(音が聞こえたら、左右に飛んで逃げれば良い。)」

その後は玉込めをするより早く相手に近づいて斬り捨てればよかった。


ガサ…。


草叢が揺れた。小次郎は刀を抜いた。

「待て…。我は熊野の山伏だ。道に迷った。」

「先生…?」

それは九左衛門だった。

「ぬ…?」

九左衛門も何か悟ったらしい。

「九左衛門先生か?俺は添田村の小次郎だ…。覚えておるか?」

「ぬう。あのときの童か。」

思い出したらしい。


「そら…行け!!」

九左衛門と小次郎は骸を馬に乗せて走らせた。

「荷のひとつは我が持とう。」

小次郎は九左衛門を根倉に案内した。小次郎の手には鉄砲が握られている。

「戻りました。」

おたわはそこにいた。

「母上。客人です。岩石山の先生です。」

九左衛門が入って来た。小次郎は少年の頃、添田村の岩石山で、九左衛門に助けてもらったことを話した。

「小次郎と御母堂の二人だけでおるのか?」

「ああ…。」

小次郎は事情を説明した。

「なるほどなあ…。」

九左衛門は何かを考えているようであった。

「ここにある品々はすべて小次郎が奪った物か?」

「仲間がいるときは仲間とな…。」

小次郎は少し寂しそうに言った。

「お主、宇都宮殿を知っておるか?」

「宇都宮殿?」

豊前宇都宮家。城井きい家とも言う。下野宇都宮氏の庶流である。

「我はその宇都宮殿の配下でな…。」

九左衛門は豊前宇都宮家の間者だという。

「騙しておったようで悪いがな。我は諸国を巡って、殿に国々の内情を伝えたり、書状を届けたりしておるのだ。」

当時、山伏には各国の通行の自由があった。

「実を言うと、この度のことも、この辺りの山中で人買いの一行が襲われていると聞いて、探りに来たのだ。」

「人買い?」

各地から人々を連れて来て、売り物にしているらしい。

「今は世情も不安でな、長崎まで人を運ぶのに、この山谷の山道を使っているらしい。」

山の麓の村や町では逃げて来た人々が溢れていたという。

「彼らは、然るべき国元に送られるとは思うが…。」

山麓一帯を支配する大友家も、今は大変な状況らしい。

「大友の侍共など皆死ねば良いのだ。」

高城川合戦では、添田村の人々は皆死んでしまった。

「それでは、お主を追った村の連中と同じだぞ。」

「(俺が村の連中と同じ…?)」

村人たちは、身内を殺された恨みを小次郎とおたわにぶつけた。そして、今、小次郎も仲間たちが殺された恨みを大友家にぶつけている。

「俺と村の者たちが同じ…。」

「まあ、そう難しく考えるな。」

九左衛門の話は逸れてしまったが、言いたいことはというと。

「この品々を持って、宇都宮殿に恭順するのだ。」

「何だ恭順とは?」

「我の仲間になれということよ。」

品々の中には、鉄砲も数丁あるし、刀や槍もあった。

「宇都宮殿は今、自らの身の上をどうするかお考え遊ばされておる。有用な物はきっと欲しがるであろう。」

「母上はどうなる。」

「お主の望む通りだ。」

安楽に暮らせる家が貰えるというのだろうか。

「分かった。」

「では、話は早い方が良い。」

今から行くという。

「夜になってしまうぞ。」

「夜の方が都合が良いのだ。」

宇都宮家の間者である。九左衛門にとっては、あまり人目につかない方が良いのだろう。

「参るぞ。」

九左衛門が馬に乗り先頭を行き、おたわが乗った馬を小次郎が引いてその次を行く。もう1頭は替え馬として九左衛門の横を引かれていく。豊前宇都宮家の館は城井川の上流にあり、ここからさほど遠くはない。

「母上。大丈夫ですか?」

おたわは馬上から笑った。

「小次郎は孝行者だな。」

「孝行者とは何だ?」

小次郎はただおたわが好きなだけであった。

「あれがそうだ。」

とは言っても、辺りは既に暗い。

「少し待っておれよ。」

九左衛門は笈から法螺を出した。


ボー。ボー。


ボー。


何かの合図だろうか。

「参ろうか。」

館の裏手の城戸は開いていた。

「九左衛門殿。御無沙汰。」

番兵らが九左衛門に挨拶をして行く。

「話を付けてくるからここにいろ。」

九左衛門は馬から降りると、轡をそこら辺の柱に結わい付けて行ってしまった。

「待たせたな。殿がお待ちだ。」

これから宇都宮の殿様に会うらしい。おたわが馬から降りると3頭の馬はどこかへ引かれて行った。

「随分、夜更けよな。九左衛門…。」

館の板の間には烏帽子直垂姿の武士と小姓が控えていた。

「申し訳ありませぬ。」

宇都宮家の殿様らしき中央の人物はかなりの大柄で身の丈6尺くらいはあるかもしれない。

「して、その者たちか…。其方の組下にしたいと申すのは。」

「は。豊前田川荘添田村の佐々木小次郎母子にございます。母子は故あって、佐々木家からは出奔いたしております。」

「手土産があるそうだなあ。」

殿様は眠たそうに言った。

「此れを…。」

九左衛門は馬に括り付けて来た鉄砲を殿様の前に引き出した。

「狭間筒か…。」

狭間筒。通常の鉄砲より、長く大きい。城からの狙撃に使う物であった。

「小次郎の根倉には、もう一回り大きい物もございます。」


いつだったろうか。小次郎ら一味が野伏稼ぎをしていたとき、長櫃に入れられて運ばれて来た物だった。

「何だこれは?」

中を開けると巨大な鉄砲だった。運ぶのが大変だったが、せっかく分捕った物なので2、3人で担いで根倉に運んだ。


「佐々木小次郎…。」

殿様に呼ばれた。

「其方、以前、添田村で起きた火事と何か関わりがあるのか?」

宇都宮の殿様は知っていた。

「我が家にございました。」

「ふむ…。此方では火元には気をつけよ。」

「はい。」

「退がるが良い。」

殿様は扇をパチンと閉じた。

「九左衛門はしばし残れ。」

「は。」

九左衛門に目配せされて、先に外に出て行った。

「母上。良かったな。」

おたわは頷いた。

「待たせたな。」

九左衛門が戻って来た。

「城下に其方らの屋敷を賜った。」

「まことか!?」

「ああ。」

これで母を安心して休ませられることができる。

「今日はそこで休め。」

九左衛門は二人を案内した。案内された場所は、城のすぐ近くにある家であった。厩がついており母子二人で暮らす分には十分である。

「さっそく明日、仕事だ。我と伴に馬と人足を連れて根倉へ行って欲しい。物を運び出す。」

「分かった。」

そう言うと九左衛門は城の方へ戻って行った。

「良かったな。母上。」

おたわも微笑んでいた。 

 翌日、馬4頭と人足10人前後を連れて根倉へ行った。

「またたいそうあるのお。」

差配の人足頭が行った。彼らは手際良く、馬と櫃に分けて品々を運び出して行く。半刻もしない内に根倉は空っぽになった。

「落人の拠り所となっても困るから仮屋は破却して行くぞ。」

人足たちの手によって仮屋が壊された。

「参ろうか。」

空は曇がちである。

「雨は降るまい。」

九左衛門は言った。彼の言うとおり、雨に降られることもなく、宇都宮館に荷駄を運び込めた。

「御苦労だったな。」

「次は何をやれば良い?」

小次郎が問い掛けた。

「今、しばらくはやることはないな。御母堂とゆっくり過ごすと良い。」

九左衛門は人足たちを連れて行ってしまった。それからひと月近くの間、小次郎は何もすることもなく、城近くの家でおたわと伴に過ごしていた。

 ある日、小次郎が外で白刃を抜いていると、ちょうど馬に乗った殿様が従者を連れて通りかかった。

「其方、戦が好きか?」

殿様は聞いた。

「嫌いにございます。」

小次郎がそう言うと殿様は鼻を鳴らして笑った。

「戦が嫌いなれど、剣を振るか…。」

殿様はそれきり従者を連れて行ってしまった。小次郎が望むならば、戦に狩り出そうとでも思ったのだろうか。

「戦はこりごりだ。」

小次郎はおたわに言った。人が死ぬだけで得られる物は何もない。それならば、野伏稼ぎの方がましだった。

「野伏稼ぎをしたい?」

九左衛門に尋ねてみた。

「もはや必要あるまい。」

「ならば、俺は何をすれば良い?」

九左衛門は考えてみた。戦には出たくないという。小次郎母子には、九左衛門の禄を割いて、母子二人が食べられる分の扶持米は支給されている。もとより九左衛門には、あまり必要なかった。彼は、山伏なので、何処かしらの寺なり庄屋屋敷なりを訪れれば、食い物くらいにはありつけた。それに、仕事次第で禄とは別に宇都宮の殿様から褒美が出ることもある。

「我の小者でもやってみるか…。」

「おう。」

翌日から、小次郎は山伏の格好をして、九左衛門と伴に山谷に出た。

「我の仕事は山谷を回り、その土地や人々を見ることだ。」

今は、九州諸国の情勢が不穏故、専ら、九州の国々を巡っているという。

「此度は肥後を見に行く。」

「肥後か。」

九左衛門と小次郎は山を越えた。

「人吉という所で丸目蔵人という侍に会った。」

「相良の丸目に会ったのか。」

「剣術を習わないかと言われた。」

「剣術な…。」

人買いを襲ったときに見た通り、小次郎の腕はたいしたものではある。しかし、それは剣術というものではない。自然の剣とも言えよう。

「お主はなまじ剣術を習わぬ方が良いかもなあ。」

九左衛門はそう言った。生兵法は大怪我のもとである。かつて、自身で小次郎に兵法を説いておいて何だが、小次郎は誰かに習うより、自ら自得した方が良いと思った。

「剣術以外の事なら教えて進ぜよう。」

道中、小次郎は九左衛門から捕り縄術と相撲の手を教えてもらった。


ドシャ…。


「我の勝ちだ。」

「もう一番だ。」

山谷で九左衛門と小次郎は相撲を取った。その光景は旅人が見たら天狗が相撲を取っているとでも思われたかもしれない。

「もう一度。」

小次郎が何度挑んでも九左衛門には適わない。

「力任せでは我には適わぬよ。」

九左衛門は言う。

「相手の気を感じねばな。」

「山谷の気と同じか?」

「左様。」

二人は肥後に着いた。肥後は今、薩摩の島津氏と肥前の龍造寺氏の間にある。しかしながら、土着の国人たちの勢いもある。高城川の合戦で、大友氏が敗れて以来、大友氏の勢いは弱まりつつあった。

「少し足を伸ばして良いか?」

肥後隅本に数日滞在した後、さらに山中に潜った。

「米良荘という所へ行く。」

米良荘は米良一族の土地である。米良氏はもと肥後菊池氏であったが、菊池氏が滅びたときに、米良荘へ落ち延びて土着した。

「久方ぶりだのう。御坊。」

米良荘の長は当代、米良重良である。

「米良の様子はどうだ?」

「昨今、高城川合戦より、島津の勢いが強くてな、我等も表向きは島津に味方しとるよ。」

肥後の国人の多くは既に島津に従っているらしい。

「長い物には巻かれるしかあるまい。」

「道理だ。」

九左衛門と小次郎は当主の屋敷を後にした。

「人吉の丸目に会って行くか?」

九左衛門が聞いた。

「会ったところで用はない。」

二人は椎葉、高千穂と、山中を通って城井に帰った。九左衛門は山中の抜け道を知っていて、以前、小次郎が街道を通ったときよりも早かった。

「里人が迷ったら出ては来られまい。」

九左衛門はそう言った。所々には兵糧が隠してあった。

「やった!!」

城井川の畔の宇都宮館に着く間際、相撲で小次郎は九左衛門に勝った。

「分かったぞ。」

相手の気を感じるということの意味が分かったそうである。

「自得したか。」

数日後には、もはや九左衛門は適わなくなるだろう。

「並の武芸者ではお主には適うまい。」

九左衛門は言った。

「戻りました。」

約ひと月振りの我が家であった。

「小次郎。」

「叔父上ではないか!?」

幽霊に会ったようだった。高城川合戦で死んだ添田村佐々木本家の武兵衛が座敷にいた。

「生きておったのか。」

「なんとかな。それよりも村の者たちが悪いことをしたな…。」

「ああ…。別に構わないよ。」

聞く所によると、高城川合戦のあと、武兵衛は船で伊予まで落ち延びていたらしい。

「しばらく、伊予に潜んでおったが、先月、添田村へ帰ったのだ。」

そこで小次郎たちのことを聞いたという。

「村の者たちは俺たちがここにいるのを知っているのか?」

「いや。」

武兵衛は3日程前に、宇都宮の殿様へ田川佐々木本家からの書状を届けに宇都宮館へ来たという。そこで、偶然、おたわの姿を見かけたという。

「村を空けて良いのか?」

「儂は隠居の身だ。」

武兵衛が死んだ者と思っていた添田佐々木本家は孫太郎が継いでいた。

「小次郎。お前村へ戻る気はないか?」

「あるわけなかろうが。」

ここには家も飯もある。

「それはそうだろうな…。」

武兵衛は申し訳なさそうな顔をした。田川佐々木本家に言われたこととはいえ、もとは武兵衛が小次郎を誘ったのである。後ろめたさを感じているのだろう。

「俺らはこうして生きているから良い。俺よりも、死んだ若衆たちを弔ってやってくれ。」

小次郎は言った。

「お前の言う通りだな。」

武兵衛は立ち上がった。

「お前たち母子は死んだ者として、村の若衆たちと伴に菩提を弔おう。」

帰り際に武兵衛は言った。

「そうしてくれ。」

「あと、佐々木家は大友氏には与しないことになった。」

宇都宮家にもそのことを伝えに来たという。ということは宇都宮家も大友氏からは離れているということだろう。そう言って武兵衛は添田村へ帰って行った。


「10人抜きかあ…。」

城下の村で小次郎が若衆相手に相撲を取っていた。

「まだ来い。」

10人程集まった村の者たちは皆、小次郎に倒されたらしい。

「もうやる者がおらぬ。」

村の者たちはそれぞれの所へ散って行った。

「つまらぬな。」

小次郎も家へ帰った。

「戻りました。」

おたわが魚を焼いて待っていた。

「鯵の干物ですか。」

近隣の海で獲れた物だった。小次郎とおたわは変わらず、宇都宮城下の家で過ごし、時折、九左衛門と伴に山へ出掛ける。そのような暮らしが1年程続いた。

「東国へ参る。」

「東国?」

宇都宮本家がある下野国へ遣いに行くという。

「小次郎も来ぬか?」

1年程度の旅になるらしい。

「母上。」

小次郎はおたわの顔を見た。

「行ってらっしゃいまし。」

一人の少女が言った。彼女の名はおゆきという。父が戦死して母子二人で暮らしていたが、先月、母親もなくなってしまった。それをおたわと小次郎が引き取った。

「御母上のことはあたしが見てるよ。」

おゆきはそう言う。おゆきの存在は小次郎も知っていた。実質、おゆきはおたわの養女で、小次郎の嫁ということになる。

「それじゃあ頼んだぞ。」

おたわとおゆきを残して、小次郎は九左衛門と伴に東国へ向かった。

「臼杵から船に乗る。」

伊予へ渡るという。

「船に乗るのは初めてだな。」

「船酔いせぬように気を付けることだな。」

小次郎たちの乗った船は500石程の商船で筵の四角帆で走る。豊前と伊予を定期的に往来している船が物のついでに旅人も乗せて行くのである。その日は風も良く、二刻程で伊予に着いた。伊予では大洲城の宇都宮豊綱に挨拶を済ませた。

「済まぬが、また船に乗ることになるぞ。」

瀬戸内から船で島を辿り安芸に渡った。

「何故、戻るのだ?」

「毛利家に寄っていく。」

「毛利?」

「宇都宮殿には内緒だが、我はもと毛利家の臣なのだ。」

二重スパイ。孫子の言う反間だろうか。九左衛門はもともと毛利家配下の者で山伏となり、各国を巡り、大名に間者として仕えながら、その大名家らのことを毛利家に伝える。

「他にもどこかに仕えているのか。」

「使われてはおろうな。」

当世、九左衛門のような者は多かった。

「御坊。」

九左衛門は広島城下の安国寺という寺に入った。

「九左衛門か…。」

法衣を着た人物に会った。

「小次郎はここに待っておれ。」

二人は奥へ行き何やら話をしていた。

「(不思議なことだな…。)」

小次郎は彼らのやり取りをそう思った。彼らの行っているのは政治の一環であろう。しかし、そのようなことに縁のない小次郎にとっては何とも意味のない時間であった。

「待たせた。」

「もう良いのか。」

半刻も経たぬうちに九左衛門が来た。

「参ろうか。」

二人は歩き出した。

「また船に乗るぞ。」

「またか…。」

聞いた話によると、備後岡山から美作にかけては、今、戦の最中で危ういらしい。

「讃岐を通って、堺に行こう。」

四国の山谷を歩いた。10日程で堺に着いた。

「船がたくさんだな。」

「堺は初めてか。」

当然であった。小次郎は今まで九州を出たことはない。

「(あれは…?)」

十数人を人々が船に乗せられていた。

「人買いだな…。」

「(あのときの…。)」

人買いは九州の山谷で襲撃した一団であった。

「人買いが各国で買い集めた人を長崎へ送るのだ。」

「何故、長崎なのだ?」

「そこから南蛮に送られるのだ。」

「(南蛮…。)」

南蛮とは、呂宋や爪哇と言った南の島を指す言葉でもあり、そこからやって来る人たちを指す言葉でもあった。例え、戦国の世であったとしても、人買いは罪として処罰されることもある。今、堺から船に乗せられて行く人々は一見、高野聖の一団の姿をしている。しかし、見る者が見れば人買いの一団であることは分かる。

「参るぞ。」

九左衛門は京へは向かわず、紀伊熊野神社へ向かった。その日はその宿坊で夜を過ごした。

 紀伊から伊勢鳥羽に出て、船で三河に渡り、東海道を下って行く。翌月には、二人は下野国に着いた。

「二荒山神社へ参ろうか。」

二荒山神社は宇都宮家が社務職を勤めている。この度の訪問も、二荒山神社への豊前宇都宮家の殿様の願文奉納が目的のひとつでもある。

「此方が我が殿からの物にございます。」

九左衛門は願文と一緒に笈から出した腰刀を奉納した。

「館へ参るか。」

下野宇都宮家の館はすぐ近くにあった。

「よく参られた。」

当主、宇都宮国綱に拝謁した。国綱はまだ15歳の少年である。隣には家老の芳賀高定が控えている。

「我が殿よりの書状にございます。」

「確かに受け取った。」

九左衛門は正式な使者ではなかったが、その夜は、家老芳賀高定の屋敷でささやかながら酒宴が催された。

「九州の動向は如何…。」

「島津が力を付けていますな。四国では長宗我部、山陽道では織田が毛利を圧迫しておいでだ。」

諸国を回っている九左衛門は世情を知る有用な情報源であった。

「我が宇都宮本家も殿がまだ若公故、戦のことは叔父の佐竹公を頼っている。」

常陸太田城主、佐竹義重である。義重は国綱の叔父に当たる。

「佐竹公は坂東太郎と言われる程の猛将でな…。」

この頃、下野宇都宮家は常陸の佐竹家や下総の結城家と組んで南の小田原北条家を相手にしていた。

「九左衛門殿は、これより何処へ向かわれる?」

「年内までに、殿の下へ戻られれば良いがな。」

「ならば、佐竹公への遣いを頼まれてくれぬかの…。」

翌日、宇都宮本家からの書状を携えて、九左衛門と小次郎は常陸太田城へ向かった。

「遣われてばかりだな。先生。」

小次郎が言った。

「人を揶揄うでない。本家の頼みだ。お主も分かるであろう。」

「まあな…。」

余り良い思い出はないが。

「常陸へ参ったらば、真弓山へ詣でなければなるまいな。」

夕刻、常陸太田城に着いた。

「本来、御坊は豊前宇都宮家からの遣いの者らしいな。」

「は。」

九左衛門と佐竹義重が話している。義重は壮年の益荒男であった。

「道中の話なども聞きたい故、後で緩りと話そう。」

太田城でも酒宴が催された。

「織田が、今、信濃を攻めている最中であったろう。」

義重が九左衛門を相手に酒を飲んでいる。

「伊勢から船で参りました故、美濃は通りませなんだが、遠江の徳川が兵を起こしてましたな。」

「織田と示し合わせて甲斐へ上がるつもりだろう。」

そのような話が一刻程も続いている。小次郎はその場にいても侍の相手などはできないので、宿泊所で留守番をしていた。

「御坊は明日はどうするのだ?」

「帰り際に真弓山へ登ろうと思っております。」

「真弓山か…。」

義重は辺りを見回した。

「どうかされましたか?」

「いや。おい。」

家臣の一人を呼んだ。

「元香斎はおらぬのか?」

「見ておりませぬな。」

「そうか。」

「何者にございますか?」

「剣術指南役なのだがな。いれば紹介しようかと思ったのだが…。」

義重は酒を平らげていた。

 翌朝、早く、二人は常陸太田近郊の真弓山に出掛けた。

「真弓山には寒水石という白い石がある。昔、源義家公も参詣した地だ。」

山伏を生業にしているだけあって、そういう類のものは好きらしい。山頂には社があると言い、そこを目指した。

「岩石山くらいの高さだな。」

「そうかも知れぬな。」

半刻程で頂上に着いた。

「誰かおるぞ…。」

社の近くで誰かが座っていた。

「修業の者だろう。」

慣れているのか九左衛門は構わず奥へ参った。座っていた男は、二人に気がつくと、やにわに立ち上がり、山を降りて行こうとした。

「(社の守人か何かだろうか…?)」

小袖に短袴を履いたその男の風貌は痩せこけていた。刀を差しているので侍ではあるのだろう。

「(まるで猿のようだな…。)」

小次郎はそう思った。

「(おや…?)」

男が立ち去った辺りに何かが落ちている。

「おい。落としているぞ。」

小次郎は走ってそれを取りに行った。

「(貝殻…?)」

紐を結わい付けた貝殻であった。古い物らしく、紐が縮れて切れたようだった。小次郎はそれを男に渡した。

かたじけない。」

男はそれを受け取ると何故か小次郎の顔をじっと見つめていた。

「其方、儂と何処かであったことがあるか?」

男は尋ねた。

「初対面だ。」

「そうか…。父母はおるのか?」

「父はおらぬが、母がおる。」

「母の名は何と言う?」

「おたわ。」

「おたわ…。」

男は何かを思い出そうとしているのだろうか。

「それはなんなのだ?」

今度は小次郎が貝殻のことを尋ねた。

「これか…?この貝殻は何かは分からぬが、大切な物だったのだ。礼を言おう。」

そう言うと男は山を降りて行った。

「どうかしたのか?」

参拝を終えた九左衛門が寄って来た。

「妙なことを言っておったぞ。あの男。」

二人は山を降りて行った男の後ろ姿を見ていた。

「兵法者かも知れぬな。」

丸目蔵人といい、兵法者とは変わった者ばかりなのかと思った。

「越後へ向かうしかないかも知れぬ。」

宇都宮に戻った九左衛門と小次郎は家老芳賀高定から織田、徳川の武田攻めが本格化して、遠江、甲斐、信濃は今、危険な情勢らしいことを聞いた。

「無理して出立することもないがな…。」

高定が言いたいことは分かった。甲斐、遠江の情勢が乱れるということは、隣国の相模や武蔵も乱れるということである。もしかしたら、こちらまで、火種が飛んで来るかもしれない。

「越後に回ることにする。」

上野から山を越えて越後へ向かった。厩橋から沼田を抜けて長岡に出る。

「ずいぶん遠回りになってしまったが、この辺りは大丈夫であろう。」

越後は上杉家の領内である。

「あとは、北陸道沿いを帰るぞ。」

町々で噂を聞きつつ、歩みを進める。

「甲斐が落ちたそうな。」

美濃から来たという商人が言った。

「武田が滅びたか…。」

「信濃、甲斐、上州辺りはひどい荒れようだと言いますよ。」

九左衛門と小次郎が出発した後、織田と徳川の軍勢が甲斐に攻め込んだらしい。

「早く出立して良かったな。」

今頃は下野辺りも騒ぎ立てているかもしれない。

「ここまで来たのだ。白山に参ってみようではないか。」

「俺は別によいぞ…。」

「そう言うでない。次はいつ来られるか分からぬのだぞ。」

そう言って、翌日の朝、早く連れて行かれた。白山には修験者の姿が多く見られる。麓の白山比咩神社は修験者たちの道場のようになっている。小次郎と九左衛門はまずそこへ行った。

「たくさんいるなあ…。」

自分たちと同じ格好をした山伏たちがわんさかといる。

「ぬ…。お主、九左衛門か?」

今しがた、外から戻って来た山伏が声を掛けて来た。

「空信坊か。久しぶりだの。」

「そっちは弟子か?」

小次郎の方を見た。

「そのような者だな。」

二人は道場で話込んだ。

「織田の勢いは増すばかりじゃあ。」

空信坊という者は酒を飲んでいる。どうやら酒を買いに行った帰りであるようだった。

「しかし、安国寺殿は、そのうち織田は高転びに転げ落ちると行っておられたぞ。」

「あの御坊は未来世を見ておいでだからな。ところで、お主ら白山には上ったのか?」

「これからだ。」

「それならば己が案内してやろう。」

そのようなことをしているうちに5月も半ばを過ぎてしまった。

「己は出羽に向かう故、達者でな。」

空信坊は白山比咩神社から越後方面へ歩いて行った。

「我らも参ろうか。」

そうして越前に向かって歩き出したとき、後ろから声が聞こえた。

「おうい!」

空信坊が戻って来た。

「越前に行ったら盛源寺という寺を訪ねてみると良い。」

それだけ行って、空信坊はもと来た道を歩いて行った。

 越前に入ると、空信坊に言われた通り盛源寺に向かった。

「とは言え、場所が分からぬ。」

越前の国は、以前はたいそう栄えていたらしいが、今は存外荒れていた。

「織田が攻め込んだからな。」

九左衛門はそう言っていた。

「あの寺のようだな。」

村々の人たちに尋ねてやっと辿り着いた。古老の間では案外、有名な寺だったらしい。

「御免。」

門前にて呼ばうが誰もいないようだった。

「無人ではあるまいな?」

九左衛門は境内に入って行った。内はさほど広くはない。小次郎も後に付いていくしかない。


カコーン…。


裏で物音がした。

「御免。」

寺の裏側で、老人が薪を割っていた。

「客人かな…?」

「熊野の修験者で九左衛門と申す。知人からこの寺のことを聞いたのだが…。」

「名は何と申されます?」

「空信坊と申す。」

老人は思い出そうと考え込んでいる様子だった。

「ひと月程前に訪れた山伏ですかな?」

「恐らく。」

えらくゆったりとした会話である。

「とりあえず本堂にお上がりなされ。」

老人は後から行くという。

「この寺に何があるというのだ?」

小次郎は九左衛門に尋ねた。

「ただの宿泊所かも知れぬな。」

本堂の板の間に座っていると、老人が杯に水を入れて持って来てくれた。

「今宵、この寺に泊めて頂くことはできまいか?」

「何ももてなしはできぬが、寝るくらいなら御自由になされませ。」

「有難い。」

九左衛門は銭を一摑み差し出した。

「代はいらぬよ。」

老人はそのまま去って行った。

「何者なのだあの御爺は?」

「ここの住持かも知れぬな。」

夜には雨が降って来た。九左衛門と小次郎は本堂の板の間に筵を敷いて寝ていた。

「(厠はどこだ…。)」

小次郎は筵から起き上がり、月明かりを頼りに堂内を歩き出した。

「(音がする…。)」

本堂の廊下を通ると雨の音に混じり、どこかから木を削るような音がする。

「(この部屋か…。)」

持仏堂のような部屋の戸を開けた。

「厠か…?」

昼間の老人がいた。

「ああ…。」

「その廊下を回った裏手にある。」

「ありがとう。」


シャ…。シャ…。シャ…。


小次郎は用を済ませると、帰りに持仏堂に寄った。


シャ…。シャ…。シャ…。


「何をしているのだ?」

老人はずっと何かを削っている。不思議なのはその持仏堂には月明かりも差さず、全くの暗闇の中で老人が何かを削っていたことであった。

「木を削っているのだよ。」

「仏像か?」

「見てみるかね…。」

老人は何かを伸ばして小次郎に渡した。

「木太刀か…。」

小次郎は老人にそれを返そうとした。

「それはもう仕上がっているよ。」

「このような物どうなさるのだ?」

「村の者や門人が取りに来るのでな…。」

「門人?」

「若衆は力任せに振るう故、すぐに壊れてしまう。して、木太刀を作るのは儂のような老人の役目なのよ。」

いつのまにか小次郎は廊下に座っていた。

「御爺は剣術指南役なのか?」

「そのような言葉よく存じておるな。」

暗闇だが老人が笑った気がした。

「肥後で剣術指南の男に会ったことがある。その者はしなえという物を使っておったぞ。」

「新陰流の者だな…。」

何故か小次郎はこの穏やかな老人に関心を寄せた。

「御爺は何流の者なのだ?」

「儂は小太刀だな。」

「小太刀…?」

小太刀。1尺から2尺の小さい太刀である。細かく分けると異なるが、この老人の言う小太刀には脇差の類も含まれていた。ようするに小さい刀を使った剣術ということだろう。

「小さい刀などでどうやって相手を倒すのだ?」

小次郎は今、3尺2寸の長刀を使っている。

「それを昔は教えていたのだよ…。」

「見せてくれぬか?」

小次郎が剣術に興味を示すなどめずらしいことであった。

「…。」

老人は少し考えていたようだが、客人の言うことだからか、この若者に興味を抱いたのか、小次郎に木太刀を持って裏庭に来させた。雨はいつのまにか止んでいた。

「濡れておるからまあ良いか…。」

老人は昼間割っていた薪を一本手にした。辺りは月が雲から顔を出していた。

「その木太刀で打ってみなさい。」

丸目蔵人のときと同じようなことを言う。

「死んでしまうぞ。」

「構わぬよ。」

本人が構わぬとも小次郎が構った。

「少し待て…。」

小次郎は走って行った。

「待たせたな。」

小次郎は手に細竹を持って来た。境内の隅に植わっていたのを昼間に見て、それを斬って来たのであろう。

「これなら痛かろうが死ぬことはあるまい。」

「優しい若者だな。お主は。」

「行くぞ。」

小次郎のやり方は変わらない。気を感じ、機を見て打つ。

「あれ…?」

勢いで打ったが老人はそこにはいなかった。

「何をした?」

「何もしておらぬよ…。」

老人は笑っているようだった。

「もう一回やってみるか?」

「うむ。」

小次郎は呼吸を整えて、打つ。しかし、やはり老人はいない。

「(何故当たらぬ?)」

いつもならば、相手の方から太刀に吸い込まれていくのだが。

「少し待て…。」

小次郎は走って行った。

「待たせたな。」

先ほどより長めの3尺2寸程の竹を持って来た。多少撓るがしょうがない。

「行くぞ。」

呼吸を整えた。

「(山谷の気を感じ…。)」

辺りは静まり返っている。

「(打つ…!)」


ヒュ…。


竹は地面に跳ね返って折れた。老人はいない。

「当たらぬ…。」

「小太刀のことが分かったかな。」

とは言っても老人が手にした薪は何も使われていない。

「さあ。早く眠りなされ。」

老人は消えて行った。


「もう少しだけここにいさせてくれ。」

翌日の朝、小次郎は九左衛門に言った。

「別に良いが、どうかしたのか?」

「ここの御爺は兵法者らしい。」

「兵法者?」

「小太刀を教えているそうだ。」

小次郎は昨夜のことを言った。

「しかし、あの御坊、目が見えておらぬぞ。」

「何…?」

九左衛門に聞くと、老人は若い頃に眼病を患って、それ以来、目がほとんど見えないらしい。

「目が見えずに何故、避けられるのだ…?」

小次郎は昨夜の出来事が天狗を相手にしているように感じた。

「御爺。」

老人は裏手にいた。

「もう一度頼む。」

「別に良いが、雑用が残っているのだよ。」

「俺がやろう。」

小次郎は水汲みや薪割り、畑の世話を手伝った。昼過ぎには暇ができた。

「頼むぞ。」

小次郎は手にしなえを持って来た。朝、九左衛門に言って、急拵えに作ってもらったのである。

「当たらぬよ。」

老人は笑いながら薪を手にした。昨夜とは違い、今日はかけていた手拭いを薪に結わい付けた。

「御爺は目が見えないのか?」

「ああ。」

小次郎は呼吸を整えた。

「行くぞ。」


シュ…。


しなえは宙を斬った。

「(やはり…。)」

昨日はよく見えなかったが、この老人は小次郎が打ち掛かる寸前に後ろへ避けていた。しかし、それは僅かな距離であり、それに気がつかなければ、ただ、撃ちを外したと思うだけであろう。

「得物が幾ら長かろうと当たらなければ意味がない。」

老人はそう言った。

「(確かに…。)」

小次郎はいつだったか人買いの一団を襲ったとき、相手の鉄砲の玉を避けたことを思い出した。

「どうすれば当たる?」

「それはお主が自分で考えることだ。」

その日も一回たりとも当たることはなかった。

「我は敦賀まで参って来る。」

上方で何かがあったらしい。

「済まぬが、御坊、小次郎のことをお頼み申す。」

そう行って九左衛門は道を歩いて行った。

「当たらぬ…。」

その間、留守を預かった小次郎は、老人の手伝いをしながら剣を挑んでいた。

「どうすれば当たる…。」

機を外したり、打ち込みを長くしたりしても当たらない。老人は小次郎の間合いというものを完全に捉えているようであった。しかし、小次郎にはそのような間合い云々という概念は持っていない。ただ、気を感じて打つだけである。

「お主の太刀は避けやすい。」

老人はそう言った。

「そんな馬鹿な…。」

今まで避けられたことなどなかった。丸目蔵人相手にも擦りはした。しかし、この眠った猫のように穏やかな老人には擦ることさえしない。

「お主の太刀が儂に届かぬというのは、お主の心が儂に届いておらぬということだ。」

「俺の心が御爺に届いていない?」

「お主が己の剣で何をしようとして来たのかを、今一度考えることだな。」

「(俺が何をしようとして来たか…?)」

小次郎が最初に斬ったのは狼であった。それは己の身を守るためでもあり、村に狼が入らないようにするためであった。

 その次は、野伏稼ぎである。おたわと己が食っていくのに剣を振った。

「(そのあとは…。)」

日向の戦場だった。

「(人が多く死んだ…。)」

己が剣を振る度に、生命を奪った。それにより、小次郎は生き延びたが、代わりに何かが死んでいた。

 翌日も、雑用を済ませた後、稽古を頼んだ。

「(御爺に俺の心を届かせる…。)」

小次郎は呼吸を整えた。今までは己の、また周囲の自然に意識を向けるだけであったが、今日は初めて、相手である老人に気を向けた。それは、相撲のときに相手の気を感じるのと同じであった。

「(打つ…。)」


カッ…!


老人の持つ薪がしなえを弾いた。

「使えぬことはないが、小手先の技でしかないな。」

「これではならぬのか…?」

「並の者ならば、その一太刀で討たれるだろうが。名人には適わぬな。」

「御爺は名人なのか?」

小次郎がそう言うと老人は笑っていた。

 そのうち、上方で織田の殿様が謀叛にあったという噂を聞いた。

「九左衛門はまだ戻らないか…。」

あれから、ひと月程、経つが戻って来ない。この頃、小次郎は老人に教えられた一乗滝という所で一人、剣を振っていた。手にしているのは、丸目蔵人から渡された3尺2寸の長刀である。

「(俺が何をしようとして来たのか…。)」

流れ続ける滝の音を聞きながら、気を感じている。辺りは燕が飛び交っていた。

「(何人斬って来た…。)」

覚えてなどいなかった。小次郎にとっての感覚は狼も人も変わらない。ただ斬るだけであった。そうした小次郎の中に去来する思いは滝の流れに乗せられて流れて行く。この滝の水はどこに流れて行くのだろうか。そして、その小次郎の思いも。

「(当たらぬ…。)」

小次郎は老人の相手をし続けていた。この頃には、もうしなえは止めて、木太刀を握っていた。老人は変わらず薪を持っていた。


スッ…。


小次郎の打ちは、時折、避けられ、時折、弾かれる。その違いは小次郎には分からない。


ザー…。ザー…。


滝は相変わらず流れ続けていた。燕も空を駆けている。

「(…。)」

小次郎は何もしていない。ただ座って滝の音を聞いているだけである。

「(何故、当てる必要があるのか…。)」

小次郎の思索はそこまで進んでいた。

「(当ててどうするのだろう…。)」

老人に太刀を当てたその先に何があるのだろうか。それが分からない限り、小次郎の心は老人に届くことはない。

「(母上…。)」

おたわのことが思われた。


ザー…。ザー…。


「(おゆき…。)」

何故かおゆきのことも思われた。

「(帰らなければならない。)」

おたわとおゆきは小次郎の帰りを待っているだろう。

「御爺。俺は帰らなければならない。」

小次郎は行った。

「待っている者がいるのだ。」

「そうか。ならば、始めるか。」

これが最後になるはずであった。

「参る。」

小次郎は初めて太刀を構えた。しかし、それは、ただ剣がそこにあるだけで、意味はない。ちなみに、今、小次郎が持っているのは、あの3尺2寸の白刃である。老人はそのことには何も言わず、布を巻いた薪を握っている。



周囲は何も聞こえなかった。時が止まったように思われた。


パサッ…。


燕が飛んだ。と思うと、老人のもつ薪が二つに割れた。老人の喉元には1寸の隙間を空けて、小次郎の太刀が止まっていた。

「それがお主の答えなのだな。」

「うむ。」

実を言うと、以前、老人の薪に木太刀を弾かれた時点で、もはや、小次郎は名人の位に到達していた。免許皆伝である。しかし、老人はこの若者にさらなる可能性を見出し、稽古に付き合っていたのである。

「お主、名は何と言う?」

今まで、二人はお互いの名も知らぬ間に剣を握っていた。

「佐々木小次郎。」

「儂は富田勢源という。」

富田勢源。中条流の富田景家の次子で、富田流の名人である。

「お主、もう流派を開けるぞ。」

老人は言った。

「流派?」

「己の好きな名前を付けると良い。」

「巌流。」

小次郎はそう伝えた。幼い頃に登った岩石山の巌のような心を持つ。それが巌流佐々木小次郎の今の心境であった。

「達者でな。」

「御爺も。」

気がつけばあれから、三ヶ月程が経っていた。上方の情勢は一段落したが、余談は許されない。

「(敦賀へ参るか…。)」

小次郎は九左衛門の足跡を追って越前敦賀へ向かった。

 敦賀は、古来より、京へ運ばれる物資の集積所でもあり、海運、陸運業者が多い。

「九左衛門という山伏を見なかったか。」

小次郎は敦賀の町で人探しをした。今の小次郎は山伏の姿をしていない。小袖に袴の侍姿である。九左衛門と伴に旅をしていたときは、小次郎も山伏の格好をしていたが、敦賀に来てから止めた。武蔵坊弁慶と義経一行ではないが、道中、山伏の行を請い願われても小次郎は分からないのである。

「(どこに行ってしまったのだ…。)」

よもや一人で豊前に帰ったわけもあるまい。

「九左衛門という山伏か…?」

「知っているのか?」

「町外れの小屋にいる。」

小次郎はそう言った馬丁の案内で、町外れの小屋に向かった。

「ここだ。」

仮屋のような小屋の中に入ると、男らが数人いた。

「客か…。」

「(謀られたか…。)」

この陣小屋のような仮屋は野伏か何かの住み家になっているのだろう。

「おどれは明智の落人か何かか?」

「人を探している。山伏だ。」

「貴人か?」

「知らぬなら用はない。」

小次郎は戸に体当たりをして破り、外へ出た。

「われえ…!?」

先程の馬丁がいた。小次郎は馬丁には構わず走った。

「(もはや町にはおれぬな…。)」

気比神宮の森に紛れた。夕暮れになるのを待ち、敦賀の町を出た。梅津道を近江に向かって歩いた。何とか北近江まで着いたが、途方に暮れた。戦による落人の改めなのか臨時の関が多く出来ていて、ここまで来るのにも、難渋し、通行料やら関守への賄賂やらで路銀がほとんどない。

「(京へ上がろうと思っていたが、無理そうだな…。)」

聞いたところによると、西近江から京へ向かう街道はさらに警戒が厳しいという。

「(野盗になるわけにもいかない…。)」

敦賀の野伏も戦で窮状した者なのかも知れない。

「(眠い…。)」

夜通し歩いたので、眠っていなかった。

「(少し眠ろう…。)」

近くの神社の社で横になった。


バン…!


バタン…!


「(何だ…?)」

何かの大きな音で目が覚めた。一刻程眠っていたらしい。外はまだ、日が明るい。戸の隙間から覗くと、どうやら市が開かれているようである。

「(近隣の村の者か…。)」

在郷の山家や水辺に住む者たちが、寄り合い交易をする場所だったのであろう。

「(もう少し寝ていよう…。)」

大勢の人が集まって来たので、出るに出られず、小次郎はそのまま横になっていた。


きゃあ!


「お止め下され!」


騒ぎ声が聞こえた。戸の隙間から見ると、足軽風体の者たちが乱暴狼藉をしている。

「(やれやれ…。)」

小次郎は重い体を起こして社の外に出た。

「何だ!?己は…。」

突然、社から出て来た男に皆の注目が集まった。足軽たちは、集まった品々を奪い、女子を連れて行こうとしている。

「(7人か…。)」

足軽たちは7人いた。

「(殺すか…。)」

以前の小次郎ならば躊躇なく殺していたであろう。

「お主たちどこの者だ…?」

小次郎は尋ねた。

「この者たちは許しなく市を開いておるのだ!」

足軽は言った。

「筑前様は山家河海の者も構わず市を開くことをお許し下さいました…。」

市の開催人のような者が訴えた。

「羽柴筑前のことは知らぬ!!」

どうやら領主が変わったことによる乱暴狼藉らしい。

「ならば、今一度、領主殿に問い合わせてみては如何。」

「うるせえな…!!」

足軽たちは小次郎を無視して、品々や女子を奪って行く。

「待たれよ…。」

小次郎が近寄ると、女子を連れて行こうとしていた足軽の一人が刀を抜いた。


ぎゃあ!!


足軽の刀が地面に落ちる。女子は逃げた。

「てめえ!!」

足軽の親指が斬られていた。他の足軽たちも刀を抜いた。

「止めい!!おのれら…。」

馬上の武士が従者を連れてやって来た。

「里人への乱暴狼藉は固く停止と布告したはずだぞ!!」

足軽は無言で馬上の武士に斬り付けて行った。


ぐばっ…。


足軽は武士が持つ槍に突かれて絶命した。

「捕らえよ。逆らう者は殺せ。」

突然、争いになった。

「(とりあえず、村の者たちを守るか…。)」

女子たちを社の中に避難させた。


ぐはあ…!


途中、斬りかかって来た足軽をやむを得ず斬って捨てた。足軽は刀を持つ両腕を斬られて、さらに、首を斬られていた。

「(気持ちの良いものではないな…。)」

富田勢源との邂逅以来、そう感じるようになっていた。


がはっ…。


最後の一人が槍に突かれて死んだ。結局、足軽たちは皆、抵抗し、殺された。

「市の司はおるか…?」

村人の一人が走って行った。

「こやつらは我が組下の者ではあるまい。何処ぞから入りこんだ者であろう。」

武士は馬を御しながら話している。

「しばらくは、世情も定まらぬ故、市を開くのも程々にするのが良かろう。」

「はい。」

馬上の武士は、小次郎の方を見た。

「あの者は何者だ…?」

「へい。何処ぞの旅のお方のようで、乱暴狼藉を見かねて、お助けに入られたのでございます。足軽共の方から先に刀を抜きましてございます。」

「ふむ…。」

武士は小次郎の方を見ている。その先は小次郎に斬られた足軽の骸があった。

「あの者を連れて行くぞ。」

武士が従者に言った。

「安心せい。処罰はせぬ。話を聞くだけだ。」

市の司に言った言葉が小次郎にも聞こえた。骸は後で引き取りに来るらしく、警固の番兵を置いて、武士は館へと戻って行った。小次郎もその後を付いて行く。武士の館は長浜の近くの山麓にあった。

「儂は大沢次郎左衛門という。この辺の領主だ。」

「佐々木小次郎と申す。」

武士の館の板の間で話を聞かされた。

「おのれは剣客か?」

「巌流を名乗っています。」

「聞いたことないな…?」

それもそのはずで、つい先日、興ったばかりの流派である。

「連れの者を探しているのだが…。」

小次郎は九左衛門のことを話した。

「お主、富田勢源殿の下で剣を学んだのか。」

武士は驚いたようであった。

「勢源殿と言えば、かつて美濃の城下で梅津という者とした試合は、今も語り草とされているぞ。」

大沢次郎左衛門はもと、美濃の斎藤氏に仕えていたらしい。

「九左衛門のことは知らないか?」

話が逸れてしまった。

「敦賀で別れたのか…。」

武士は立ち上がった。

「三ヶ月前というと、ちょうど明智日向守の謀叛で、大乱が起きていたからな…。」

庭先を眺めてから武士は、また戻って来た。

「会えばお主のことは伝えておこう。」

「有難く存ずる。」

「ところで、お主はどうするのだ?」

「豊前へ帰ります。」

「儂に仕える気はないか?」

「国で母が待っておりますれば、お受け致しかねる。」

「左様か。残念だな。」

次郎左衛門は、若い頃、諸国を流浪していたこともあり、そのとき、奈良の宝蔵院で槍術を学んだらしい。

「豊前へ帰るのは良いが、上方は遅かれ早かれ戦場になる故、気を付けた方が良かろう。」

「山陽道を下って行こうと思っている。」

「うむ。」

四国は道が分からない。迷わず帰るには大道を下っていく方が良かった。

「今宵は泊まって行くと良い。」

次郎左衛門は奥へ消えた。

「(お主の太刀は一振りで二度斬る。まるで、宙を燕が返るようだな。)」

次郎左衛門はそう言っていた。

「(燕返しの太刀か…。)」

小次郎にとって、その技法は勢源との邂逅の結果でしかなく、本来そのような些末なことはどうでもよかった。それよりも、大切なことは己の心であると思っていた。

 翌日、出立した。次郎左衛門が路銀にと銭をくれた上に、船で大津まで送ってくれた。京を抜けて、山陽道へ出た。

「(参るか。)」

あとはひたすら西に向かって歩く。そのまま道中、何事もなく、過ぎていった。

「御免。」

安芸へ着いたとき、どうしようかと思ったが、安国寺に寄った。九左衛門のことを伝えておこうと思った。

「和尚はおるか?」

下男に聞くと留守だという。

「ならば良い。」

それならばと思って、寺を出ると、門前でちょうど和尚と出会った。

「和尚。俺は九左衛門の弟子だ。」

「知らぬな。」

和尚はそのまま立ち去って行った。

「(秘密ということなのだろうか…。)」

そう思い歩いて行くと、後ろから寺男が追って来た。

「寺の裏口から、中へお入り下され。」

寺男に案内されて、境内をぐるっと周り、裏門から庫裏へ入った。方丈に和尚がいた。

「何の用だ。」

「九左衛門のことにございます。」

敦賀の町ではぐれ、その後、行方知れずであると伝えた。

「あやつは生きておろう。」

和尚は言った。

「便りがおありでしたか?」

「ない。が、あやつが死ぬ未来が見えぬ。」

和尚は摩訶不思議なことを言うと思った。

「お主。行きと帰りで変わったな。」

和尚はそう言った。安芸から府内へ向かう船があるというので、それに乗せてくれた。船は岩国で数日間、風を待った後、その7日後には豊後府内に着いた。

「戻りました。」

翌日、城井川の畔の豊前宇都宮家の館に着いた。小次郎はすぐに城下の我が家へ向かった。

「母上。」

おたわがいた。思えば9ヶ月程の旅であった。

「お帰りなさい。」

おゆきが水汲みから戻って来た。

「九左衛門殿が…。」

「先生なら、ひと月くらい前に戻って来たよ。」

「なに…!?」

小次郎は館の北東にある九左衛門の屋敷を訪れた。

「済まぬな。小次郎。」

「何処にいたのだ。」

九左衛門は別れたときと変わらぬ姿で笑っている。

「実はな…。」

敦賀に向かった九左衛門は、そこで、旧知であった若狭武田家の侍と会ったという。

「その者に京極の若公が落ちる手助けをして欲しいと頼まれてな。」

京極家は若狭武田家と縁戚であった。明智日向守に与したが、日向守が羽柴筑前に討たれてからは命を狙われており、逃げ回っているという。

「彼らを先達して、あちこち連れ回った後、美濃まで行っていたのだ。」

小次郎が出立した数日後に、盛源寺に戻ったという。その後、数日、敦賀を探した後、諦めて堺から船で豊前に帰って来たという。

「薄情な者だな。」

小次郎は不愉快だった。

「いや。それと言うのもな。敦賀から堺へ向かう途中、巌流佐々木小次郎と名乗る剣客の噂を聞いてな。」

「そのような噂が舞っているのか?」

大沢次郎左衛門の村の者たちだろうか。

「その噂が次第に山陽道を下って来る故、おたわ殿やおゆき殿と伴に安心して待っていたのよ。」

小次郎は山陽道を下る途次、時折、道場や旅の兵法者たちと試合に臨んでいた。

「恵瓊和尚からも手紙が届いたのでな。」

九左衛門も安国寺に寄っていたらしい。

「(あの和尚は知っていたのか…。)」

胡散臭い和尚だと思った。小次郎は岩国で船が風を待っている間も、城下の剣客たちと交わっていた。

「なにか掴めたのか?」

「うむ。」

諸国で剣を振るう中で感じたこと、それは、皆が剣を振るう意味が変わりつつあるということであった。以前では、人々は剣術に闘争の術を求めていたが、今はそれ以上の何かを求めているという。

「様々な流派の剣士も興っている。」

彼らの中には、戦で闘うことではなく、純粋に刀法技術の教伝に努めている者もいた。

「彼らに負かされることはあったのか?」

「なかった。」

どの流派の剣士を相手にしても、一刀の下に打ち据えていたという。

「流石は小次郎だ。」 

 豊前に戻ってからの小次郎は、まず、おゆきとの祝言が交わされた。

「よろしくお願いいたします。」

三三九度を交わして、隣に白い打掛を羽織ったおゆきがいた。嫁取りした後は、小次郎は我が家でゆっくりと過ごした。この時間が小次郎の生涯の中でも、一番幸せな刻であったように思う。小次郎は畑に出て、作物を育て、時折、宇都宮城下の侍と剣の稽古をした。

「小次郎殿には敵わぬ。」

気がついたときには、既に、小次郎の木太刀は相手の喉元を突いていた。小次郎は九左衛門と伴に諸国へ旅に出ることはなかった。

「また、置いていかれては困るからな。」

小次郎はそう言っていたが、本音は母や妻と一緒にいたかったのだろう。九州の各地では、また戦が起こっていたが、小次郎は戦に出ることもなかった。

「出掛けて来る。」

時折、小次郎は木太刀を持って出掛ける。長さは3尺余りの木太刀である。山上から街道を見渡している。

「来たな。」

覆面をして、山を降りた。


ぐはっ…。


ぎゃっ…。


小次郎の木太刀に打たれた者は腕や脚を折られたり、腹を突かれて卒倒したりしている。

「ちょっと手伝ってくれないか…。」

小次郎が相手をしていたのは、人買いではあったが、野伏稼ぎをしたいたわけではない。連れられていた人たちと伴に、人買いたちを馬に括り付けて、引いて行った。

「また、連れて来たのか。」

九左衛門が言う。人買いたちは九左衛門の手で府内の大友家の侍に引き渡されて処断される。連れられていた人々は望みに応じた処遇を受けた。それらの費用は人買いたちが運んでいた荷駄と金銭を処分することによって賄った。

「有難う御座います。」

連れられて来た人々の中には子どももいた。恐らく彼らは戦災孤児であろう。そのような子たちは九左衛門が安国寺の和尚の所に連れて行った。

「余り多くは面倒を見られぬぞ。」

九左衛門はそう言いつつも世話をしてくれた。

「分かっておる。」

人買いに連れられて来る者の中には、曰く付きの者もいる。殺人や盗みなどで逃亡中の者である。それらのような者は放っておくと、城下の治安を乱しかねないので、大友家の侍に引き渡し処遇を任せた。

「(俺のやっていることが善だとは思わぬが…。)」

善果を生じることもあれば悪果を生じることもあるかも知れない。しかし、人を殺すことを止めた剣で成せることはそれくらいしかなかった。それは、今まで人を殺めて来たことに対する小次郎自身の慰めであったのかも知れない。

 そのような生活が3、4年過ぎた頃、小次郎とおゆきの間に男子が産まれた。

「名は甚三郎としよう。」

亡き養父の名前だった。

「母上。孫が出来たぞ。」

おたわは甚三郎を抱き上げて、にこと微笑んだ。

 甚三郎が産まれた年、九州にも事件が起こった。豊臣秀吉の九州征伐である。

「宇都宮殿は豊臣秀吉に降ったぞ。」

九左衛門が言った。もとより、宇都宮家が島津家と生死を伴にする義理もない。かといって、積極的に豊臣家に協力するということもなく、若公を派遣して、豊臣軍の道案内を務めた。

「あれは誰だ?」

宇都宮館から出てくる十数人の人々の中央に、一風変わった形の銀の兜を被った人物がいた。

「毛利の軍監殿だな。」

島津攻めには毛利家の軍勢も出陣している。この戦の最中も、九左衛門は度々、毛利家の陣中を訪れていた。豊臣秀吉の九州征伐は半年もかからず終わった。

「宇都宮殿は伊予国へ所替えになったそうだ。」

豊前宇都宮家は伊予今治12万石への加増転封を豊臣秀吉から命じられた。

「我らも伊予へ行かねばならぬのか?」

「ひとまず小次郎たちは、皆を連れて安芸へ行け。」

「どういうことだ?」

「雲行きが怪しいのでな。」

毛利家の軍勢が国元へ引き揚げる際に、小次郎一家も付いていった。岩国に屋敷が用意してあるという。

「しばらくは岩国で剣術を教えて食っていろ。」

九左衛門はそう言って姿を消した。

「宇都宮家の未来は見えぬ。」

安国寺恵瓊は言った。

「家宝の『小倉色紙』を豊臣家に献上すれば、未だ救いはある。」

小倉色紙とは、鎌倉時代の歌人、藤原定家が、宇都宮蓮生の頼みで山荘の障子に張る紙に百首の歌を書いた物の一枚である。豊臣秀吉は安国寺恵瓊を通じて、豊前宇都宮家に伝わる小倉色紙を引き渡すように命じていたが、宇都宮家は伊予今治への転封も含めて、それに抵抗していた。

「豊臣家の言いなりにはならぬぞ!!」

隣国肥後で国人による一揆が起こると、それに呼応して豊前の国人たちも豊臣家に反旗を翻した。

「田川郷の佐々木家も宇都宮殿に従ったよ。」

翌年、正月。豊前の一揆が鎮圧された後、九左衛門が岩国に来て話した。

「そうか…。」

もはや佐々木家のことなど、どうとでもよかったが、それでも、叔父の武兵衛たちのことは気になった。

「また何か分かれば知らせるから、今、しばらくここにいることだな。」

「有難う。」

夏頃には、宇都宮の殿様が死んだということを聞いた。

「(人の命は儚いものだな…。)」

それほど会うこともなかったが、貧窮した小次郎母子を城下に置いてくれた恩もあり、悪い印象はなかった。殿様は、新しく豊前の領主となった黒田家の者に殺されたという。

「あのときの軍監の者よ。」

安国寺に行ったとき、和尚が言った。まるで和尚はそのとき小次郎たちと一緒にいたような話し振りであった。

「(どうせ、九左衛門にでも聞いたのだろう…。)」

小次郎はこの安国寺の和尚のことを密かに足長坊主と呼んでいた。

「どうして足長坊主なの?」

あるとき、おゆきが聞いて来た。

「諸国の事を誰よりも早く知っているからだよ。」

それを聞くとおゆきは笑っていた。

豊臣秀吉の九州征伐の後、世の中は変わりかけていた。

「太閤殿下(秀吉)は、百姓、町人が物の具(武具)を持つことを停止なされた。」

刀狩り令である。

「瀬戸内その他の海賊も停止なされたそうな。」

海賊取締令。これにより、今までどの大名にも属さず自儘に海賊行為を行っていた瀬戸内海の海賊衆たちが山陽道や四国その他の大名家の統制下に置かれ水軍となった。

「長崎を直轄地とし、伴天連の追放を命じられた。」

秀吉は、大村家の寄進により教会領となっていた長崎を直轄地とし、伴天連の国外退去を命じた。が、南蛮船の来航は認めたので、このときの伴天連追放令は空文化した。

「百姓が侍になることを停止なされるという。」

九左衛門が来ていた。この頃、九左衛門は山伏を止めて、毛利家の侍になっていた。

「俺はどうすれば良い?」

小次郎には政治の詳しいことは分からない。ただ、岩国の侍たちと伴に剣の稽古をして、畑を耕している。

「小次郎は毛利家の客分となっているから心配ない。」

「そうか。」

微禄だが、俸禄も出ているという。

「さっぱり知らなかったぞ。」

「おゆき殿に申し上げていたからな。」

家のことは専らおゆきがやっていた。

「そういえば、佐々木家のことだが…。」

豊後田川郷の佐々木家のことである。

「今は黒田家の被官になっている。武兵衛殿と子息も生きておられるそうな。」

「そうか。」

小次郎は安堵した。以前に一度だけ合戦に出たときは苦い思いをした。できれば、もう合戦で人が死ぬのは見たくなかった。

「御免。」

あるとき、小次郎が岩国の侍たちと剣の稽古をしていると、訪問者があった。

「豊前黒田家士、新免無二と申す。」

兵法者だという。

「岩国巌流佐々木小次郎殿の噂を聞き参った。」

試合をしたいというのである。

「(困ったな…。)」

小次郎はもはや試合はしたくなかった。しかし、目の前にいるこのごつい男はわざわざ岩国まで来たくらいである。大人しく退いてくれるとは思えない。それに…。

「(木太刀で戦えば、俺は死ぬだろう…。)」

日下無双兵術者を名乗るこの新免無二という男は、何とも言えない雰囲気を纏っている。

「真剣での勝負なら承るが如何。」

「承知。」

岩国の侍たちが見守る中、小次郎は3尺2寸の刀を抜いた。

「待たれよ。」

新免無二が言った。

「やはりこの勝負お受け致し兼ねる。」

「左様か。ならばお引き取り下され。」

小次郎は刀を収めた。

「小次郎殿、どういうことだ?」

岩国の侍の一人が聞いて来た。

「お互いただでは済まないと思ったのだろう。兵法者といえども命は惜しいからな。」

家に帰っておゆきにそのことを話したら叱られた。

「甚三郎のことをお思いなさらなかったのですか。」

「すまない。」

以後、他流試合は固く停止することにした。

 日本が統一されると、唐入りが始まった。文禄・慶長の役である。

「愚かなことだな…。」

日本の戦乱が収まったと思ったら、今度は海外で戦を始める。唐入りでは、多くの明国、朝鮮の人々が捕虜や労働力として日本へ連れて来られた。

「大名が人買いをしてどうなるというのだ…。」

毛利家にも多くの明、朝鮮国人が連れて来られた。その中には、家禄を与えられて、朝鮮窯を開く者もいたし、南蛮船に売られた者もいた。ことさら、豊臣秀吉の唐入りにより、度重なる負担を強要されて困窮していた九州西国の大名家は、利益のない唐入りの見返りを明、朝鮮国人捕虜の処遇による補填に求めていた。

 明、朝鮮、南蛮を巻き込んだ豊臣政権による世情の混乱も、秀吉の死と伴に、泡と消えて行った。日本の国は、これから向かうべき方向を求めて、東西両軍に別れた関ヶ原の戦いを引き起こした。

「俺は行かぬよ。」

毛利家の侍の中には小次郎を戦に誘う者もいたが、断固として断った。

「家族がいるから。」

その一言であった。

「行って参るぞ。」

九左衛門は安国寺の恵瓊和尚の一員として参陣した。その後、毛利家は戦に敗れ、恵瓊和尚は罪人として斬られたという話を聞いた。

「(九左衛門も死んだのであろうか…。)」

それから、小次郎が九左衛門と会うことはなかった。関ヶ原の戦いの折には、九州でも戦が起こった。何でも黒田家が絡んでいたらしい。敗軍の将となった毛利家は領地を大幅に減らされてしまった。戦に出なかったこともあり、家中の侍から冷ややかな目で見られていた小次郎の家は僅かな禄高も取り上げられて、毛利家の士分格を没収させられてしまった。

「またか…。」

小次郎に暗い過去がよぎった。若い頃の高城川の戦いから、命からがら逃げ帰って来たときの記憶が頭に去来した。

「これだから戦は嫌なのだ…。」

めずらしく愚痴をこぼす小次郎の手をおゆきが優しく握った。

「わたくしも傍にいますから、家族で頑張りましょう。」

「そうだな。」

小次郎は前を向いた。とはいえ、頼れる人はいなかった。あのとき助けてくれた九左衛門は行方知れずである。百姓になるといえども、一家を食わせて行くほどの畑地はない。

「自らの手で立たねばならぬな。」

小次郎一家は岩国を出て、豊前に渡った。関ヶ原合戦後、豊前の領主は黒田家から細川家へ変わっていた。代わりに黒田家は筑前国に移動した。

「巌流佐々木小次郎と申します。」

小次郎は懇意にしていた岩国の侍の一人の紹介で、豊前細川家の家老、沼田延元に拝謁した。

「佐々木というと田川郷の佐々木と関わりがあるのか。」

入部間もないとはいえ、一国の家老として、豊前の国人衆のことは周知しているのであろう。

「関わりはございますまい。」

「左様か。」

こうして、巌流佐々木小次郎は細川家の剣術指南役として召し抱えられることになった。一家は始め、中津の城下に住んだが、細川家が居城を小倉に移すと、小次郎一家も小倉に居を移した。

「俺の流派は継承されることはないだろう。」

あるとき、小次郎がそう言ったことがあった。それは、巌流は小次郎の天性の才能を糧に自得されたものであり、常人が真似するのは難しかった。

「己が剣を振るう意味は己自身で見つけなければならない。」

かつて、自分が富田勢源に言われたように、門人にもそう言った。岩国の侍や諸国回遊の兵法者たちと剣を交わらせる中で生まれた16本の組太刀と3本の奥之太刀を巌流は所持していたが、小次郎の稽古は専ら、木太刀による打ち掛かりにより、刀法の妙技を自得することに主眼を置いた。

「それまで。」

藩主、細川忠興の御前で行われた天覧試合で、小次郎は太刀を振るった。相手をした新当流の藩士は、小次郎の一振りで、持っていた木太刀を落とされ、同時に喉元に切っ先を立てられた。

「一振りで二度撃つか…。」

忠興が言った。

「その太刀筋の名は何と言う?」

「燕返し。」

近江の国で大沢次郎左衛門に言われた言葉を思い出した。

「秘剣燕返しか。」

巌流秘剣燕返し。その業は師範以外の誰にも使うことが出来なかった。

「先生が剣を振るう意味はなんでございますか?」

天才にしか感得することのできない巌流の稽古に業を煮やした門人の一人が小次郎に食ってかかったことがあった。

「家族を養うためだ。」

小次郎はそう言った。それ以来、門人の数は徐々に減っていき、やがては細川家の剣術の主流は他の流派に取って変わられた。小次郎は禄高も減らされ、微禄ながらも藩の剣術指南役を続けていた。それは、一重に小次郎一人の腕前に依っていた。

小次郎一家が細川家に仕えて数年の歳月が経ったある日、おたわが亡くなった。

「母上。」

最期まで母の声を聞いたことはなかったが、笑顔を見せ続けてくれた母のことを小次郎は心に刻んだ。おたわの葬儀は切支丹の儀礼に乗っ取って行われた。小倉に来てから、おたわとおゆきは切支丹に入信していた。藩主、細川忠興は切支丹に対して好意的で、城下には司祭もおり、切支丹を保護したことから、小倉城下の切支丹信徒の数は日に日に増えていた。しかし、それから数年後、幕府を開いていた徳川家が切支丹の弾圧と追放を始めると、小倉細川家も切支丹の追放と弾圧に転じた。小倉城下の聖堂は壊されて、司祭は追放された。

 小次郎とおゆきはひとつの決断をした。息子、甚三郎を養子に出すことである。このとき、甚三郎は25歳であった。

「おそらく、巌流佐々木家はお取り潰しとなるだろう。」

目立った道統の保持者もおらず、小次郎一人の腕前に頼っているような流派は、小次郎の死と伴に取り壊されることは必然である。さらに、家族が切支丹であったことからも、縁談の話なども来なかった。

「ならば、他家へ養子へ送るしかあるまい。」

小次郎が頼ったのは、武兵衛であった。

「御免。」

小次郎は何年ぶりかに添田村を訪れた。

「小次郎。」

武兵衛は生きていた。このときはもう、70歳を過ぎた老人であったが、今でも畑に出ているという。田川郷の佐々木家はこのとき既に侍ではなく百姓になっていた。

「それならば、お前たちも、添田村に戻って百姓になれば良かろう。」

「(それも良いかもしれない。)」

そのようなことを考えながら小次郎は小倉城下に帰った。しかし、これが良くなかった。数日後、小次郎は、家老、沼田延元に呼び出された。

「貴殿は田川の佐々木家とは関わりないはずではなかったか?」

甚三郎を佐々木家の養子にする件であった。

「故あって、隠しておりました。」

「隠していた…?」

その言葉が沼田延元の心証を悪くした。この当時、豊臣秀吉の発した身分統制令は形骸化されてはいたが、ある程度の意味は持っていた。

「藩の剣術指南役でありながら勝手に他家へ養子を送り付けたこと不届きに付き。巌流佐々木家は取り潰しの上、子、甚三郎には切腹を申し付ける。」

後日、小次郎のもとへ沼田延元から書状が届いた。

「そのような馬鹿なことがあるか!」

補足すると、豊臣秀吉の身分統制令は武家奉公人の百姓、町人への移動を禁止しているのであり、厳密には侍身分の者の帰農は禁止されてはいない。さらには、それらはあくまで空文化されており、巷では、そのような事例は数多くあった。

「どういうことにございますか!?」

小次郎は沼田延元のもとへ糾明に行った。

「書状の通りである。」

そう言って、延元は取り合わなかった。ここで、説明がいる。延元が恐れたのは、田川郷の佐々木一党であった。彼等は豊前の国の有力国人のひとつであり、今は百姓となってはいるが、豊臣秀吉による九州征伐の折にも、筑前の大名、秋月家に与して、一族郎党を率い岩石山城に籠もり、抵抗をした勢力であった。藩の剣術指南役がその一党と関わりがあり、自らの子を養子に出すということ、さらには、小次郎の妻が切支丹であることなどから、そこに、国人衆や切支丹信徒を巻き込んだ一揆の形成という政治的意図を鑑みたのである。

 しかし、これは小次郎からすると全くの邪推であり、そのような政治的意図などは欠片も存在していなかった。

「(馬鹿げている…。)」

小次郎はかつて、安国寺の恵瓊和尚に感じたような薄気味悪さを家老の沼田延元に感じた。

「(あのような事聞いてたまるものか…。)」

小次郎はそう思っていた。が、悲しいかな。甚三郎は父母や叔父に迷惑がかかることを案じ、その日の夜に庭先で自ら腹を切ってしまった。

「何と言うことだ…。」

甚三郎の遺書には、今まで育ててくれた父母祖母への感謝の言葉が述べられていた。甚三郎の遺骸を前におゆきはずっと泣き叫んでいた。甚三郎が自ら切腹したことにより、巌流佐々木家の取り潰しだけは免除された。しかし、それも風前の灯火に過ぎない。

「藩の剣術指南役として、ある人物と立ち会いをしてもらう。」

甚三郎の葬儀が終わるや否や、小次郎にそのような命令が下された。

「日時、卯月13日。船島で行う。」

「(何を馬鹿なことを…。)」

小次郎にとって、それは茶番でしかなかった。おそらくこれは、己を殺す企てだろうと思った。

「相手の名は宮本武蔵。」

「(宮本武蔵…。)」

慶長17(1612)年。4月13日。関門海峡に浮かぶ無人の島にて、細川家剣術指南役巌流佐々木小次郎と宮本武蔵の立ち会いが行われた。小次郎は3尺2寸の長刀を、対する宮本武蔵は船の舵を削った木剣を握っていた。

「(馬鹿げている…。)」

もはや、剣を振るう意味を失っていた佐々木小次郎にとって勝敗は明らかであった。

 おゆきは小次郎の敗死の報せと遺髪を藩の役人からもらうと、そのまま何処に姿を消した。長門国阿武郡には小次郎の妻ユキの手によると言われる「佐々木古志らう」なる者の墓が建っている。切支丹迫害を逃れてこの地にやって来たユキは、そのとき妊娠していたという。 

 巌流佐々木小次郎。彼は謎の多い人物で、出生地に至るまで、はっきりしたことは分からない。仮に、ここに著したような事跡を彼が追ったとしたならば、彼は家族や仲間たちに恵まれ、助けられながらも、決して幸せとは言えない最期を送ってしまった。一流の剣士であった小次郎は、母を思い、妻を思い、子を思いながら、剣を振るった。父の顔さえ知らない彼は、もしかしたら自らが父の代わりになろうとしたのかも知れない。しかし、世の中や政治というものが一度、小次郎一家に牙を剥くと、一流の剣士であった彼といえども、成す術なく、彼らを死に至らしめてしまった。

 天才剣士佐々木小次郎が編み出した『巌流』という流派は現代には伝わっておらず、その様子は彼の事跡や逸話から断片的に知ることができるのみである。小次郎は宮本武蔵のように自らのうち立てた流派の伝書を遺すことはなかった。それは一重に、彼が天才であったことと、彼の政治的関心の希薄さを物語っているのかも知れない。佐々木小次郎が見ていたもの、それは自らの剣術の隆興ではなく、家族の幸せだったのかも知れない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ