【出席番号8番】金井 虹(かない にこ)
「先生、ヌメヌメしたの……お好きですか?」
【虫の類が出るよー! 閲覧注意】
今日も雨……梅雨入り宣言から4日連続だ。
オレはアウトドア派ではないから、雨が降ったところで普段の生活には何の影響もないが、こう毎日降っていると気分の良いものではない。
まあでも、日差しが強すぎて窓際に座る生徒たちが授業に集中できなくなるのに比べたらまだ良い方だろう。反対に雨が強くなりすぎて雨音がうるさかったり、さらに雷でも鳴ったりしたら教室中パニックになるだろう。そう考えるとこのくらいの天気がちょうど良いのかもしれない。
「若彦先生!」
H組での授業が終わり教室を出ていこうとしたら、黒板消しをしていたひとりの生徒が声を掛けてきた。今日の日直の《金井 虹》だ。
「ん? どうした金井」
「あの、これ……」
金井が手に何かを持って見せてきた。小さくなった「チョーク」だ。
「先生……これ、いただいてもいいですか?」
まあこんな小さいのは誰も使わないだろう。
「ああ、このサイズだったら持って行っていいけど……何すんだそんなの?」
「えぇ、ちょっと部活で使いたくて……」
――げっ!
オレは思いっきり引いてしまった。というのも彼女が所属している部活というのは『生物部』だ。ここでは色々な生物を飼育して研究、発表しているが、オレは生物部で扱っているような生き物が嫌いだ。特に……
――「虫」の類が大嫌いなのだ!!
……でも何でチョークなんか必要なんだ?
金井は使いすぎて短くなったり、落として割れたりしたチョークを集めて
「ありがとうございまーす」
と言うと、こっちを見てニコリとほほ笑んだ。
※※※※※※※
放課後、廊下を歩いていると金井とバッタリ会った。
「先生、先ほどはありがとうございました。おかげでウチの子たちもすっかり元気になりました! あと、これ……学級日誌です」
鬱陶しい梅雨空も吹き飛ぶような笑顔で金井が話しかけた。
「お……おう、それは良かった……な」
まぁオレには関係ない。「子」ってどうせ虫のことだ……想像もしたくない。ただ、ひとつだけ気になっているのはチョークが何の役に立っているのか? ということだ。エサ? 巣? 皆目見当がつかない。
「あっ先生、せっかくだからウチの子たちを見に来ませんか?」
――あ、やっぱそうきたか……絶対に断る!!
「い、いやぁ先生も忙しいからな。また次の機会にでも……」
だが無下に断ったら彼女を傷つけることになる。ここはやんわりと断り……
「先生、あのチョークがどうやって使われているのか気になりません?」
う゛っ……金井、オレが気になっているのを察したかのように誘ってきたな。確かに気にはなっているが……でもやっぱり「虫」は……
「先生、以前から生物部に遊びに来てくださいって言っているのに全然来てくださらないじゃないですかぁ! もしかして虫……お嫌いですか?」
「い……いや、そういうワケでは」
そういうワケだよ、思いっきり嫌いだよ! すると金井は焦るオレの姿を見て肩を落とし、ため息まじりにこう言った。
「……先生、もし教室に『G』が入ってきて生徒がパニくっているときに男の先生が退治できなかったらどうするんですか? ……情けないですよぉ?」
――うわっコイツぅうう、痛いとこ突いてきやがったな!
「わかったよ! 行くよ……ちょっとだけだぞ」
※※※※※※※
「先生、どうぞお入りになってください」
金井に促されるまま恐る恐る生物部の「部室」に入った。「部室」というか「活動場所」は生物実験室の一角を使っている。
初めは無機質に水槽が並べてあるだけかと思っていたが、観葉植物や水草の入った水槽が置いてあり、そこに川魚や爬虫類を飼っていてちょっとした水族館みたいになっていた。でも、ぶっちゃけこういう類もオレはあまり好きではない。
「へえ、思っていたのとイメージ違うな」
「ええ、水族館っぽいオシャレなレイアウトにしてあるんです。生物の授業でここに来た他のクラスの生徒にも好評なんですよ」
――そうか、他の生徒に対して一応「配慮」もしているのか。
「あれ? そういえば今日は金井だけか?」
「え? あぁ《むーちゃん》ですか? 彼女なら雨の日の昆虫を観察に行くと言って先に帰りました」
実はこの「生物部」、部員は金井を含めて2人だけ……そしてどちらもH組の生徒だ。2人とも中学生のような容姿で双子のように似ている美少女だが、残念なことにどちらも大の「虫好き」なのだ。
すると、準備室の方から金井がプラスチック製の飼育ケースを持ってきた。子どもがカブト虫とかを飼うときに使うヤツだ。底に葉が敷いてあり素焼きの鉢のような物や流木が置いてある。
「この子たちですよ、先生」
と言って金井が持ってきたケースの中にいたのは「カタツムリ」だった。何匹かいるようだ。よく見るとエサ台と思われるお皿の上に、野菜くずと一緒にチョークが置いてあり、そこに1匹のカタツムリが覆いかぶさるように乗っていた。
「何だこれ? チョーク食べているのか? なんでこんな物を……」
すると金井は自慢げに説明し始めた。
「そうですよ、マイマイちゃん(カタツムリのこと)は貝ですから殻が成長するのにカルシウムが必要なんですよ。だから普段のゴハンと一緒にカルシウムも与えないとダメなんです」
ああ、確かに言われてみればそうだよな。
「ちなみにマイマイちゃんがコンクリートのブロック塀とかで見つかりやすいのも、実はコンクリートを食べているからなんですよ」
マジか!? 確かによく見かけるな。すると金井は霧吹きを取り出して、その中に水を入れるとケースの内側に吹き付けた。
「この子たちは昨日、学校の裏庭で保護してきたんですよ。最近よく雨が降っているじゃないですか」
「え? 雨が降っているんだから外の方が良いんじゃないのか?」
「確かに湿気の多い場所を好みますけど……この子たちは肺呼吸なんですよ。だから水溜まりに落ちると溺れて死んでしまうんです」
「へえ、そうなんだ。乾いてもダメ、水が多すぎてもダメ……意外とデリケートなんだな」
「そうなんですよ、だからこうやって毎日お世話しているんです」
たかが「虫」だと思っていたが……こうやって毎日健気に世話しているなんて金井にとっては本当に子どもみたいな存在なんだな。
「毎日か……これだけ世話できるんだったら金井も将来は立派なお母さんになれそうだな?」
すると金井は顔を真っ赤にしてあたふたしながら
「えっええええっ? そんな……お母さんだなんて……あの……せっ先生は……子ども何人くらい欲しいんですか?」
――おい、なんでそれをオレに聞く?
その後も金井は、カタツムリに関するウンチクを語り続けた。気温などの環境によって冬眠や夏眠をするとか、雌雄同体で1匹でも繁殖できるとか……。オレは虫が大嫌いだが、少しだけ興味が湧いてきたような気がした。
興味深く聞いていると機嫌を良くしたのか、金井はこんなことを言い出した。
「先生、せっかくですからこの子たちと触れ合ってみませんか?」
――いやそれは断る!
見るのだけはギリ我慢できるが、直接触りたくはない。だがそんなことを直接的に言うのは可哀想だろうと気を使っているオレの気持ちに気付かないのか、金井は再び準備室からさっきのよりひと回り小さい飼育ケースを持ってきた。
「この子はですねぇ、ずっと前から飼っている子です。私のお気に入りなんです」
そう言うと金井はケースの中から先ほどのより大きなカタツムリを取り出し、自分の手のひらに乗せた。持ち上げたときは殻の中に体を引っ込めたがすぐに体を出し、最後に体の中から4本の角のようなものをニュッと出してきた。何かこの一連の流れがやっぱり気持ち悪い。
「元気でしょ? この子は特別ですぐに触角(目)を出すんですよ。ムクムクって勢いよく勃つんです! ……何かエロいですよね?」
「そ、そうか?」
――エロいって……ナニを連想してるんだ?
「だから名前は《ワカヒコ》にしましたー!」
「ちょっと待てぇええええっ!! どういう意味だ!?」
――どういう目でオレのことを見てるんだコイツは。
するとそのカタツムリは金井の手のひらから腕に向かってゆっくりと這いながら進んでいった。うわぁー、よく平気でいられるなぁ。
だがしばらくすると、金井の様子が何やらおかしくなってきた。
「はぁ、はぁ……いいわ、いいわよぉワカヒコ! あっそこっ! 這いずり回るように触ってワカヒコ! もっと、もっと粘液をいっぱい出してワカヒコーっ!」
「オレの名前使ってヘンな声出すなぁああああっ!!」
腕を這っているワカヒコに金井が興奮していた……
――コイツ、【変態】じゃねーか!
「っていうかそんなの這わせて……肌に良くないだろ?」
「えー先生、逆ですよ! 韓国ではこのマイマイちゃんの粘液を使ったスキンケアクリームがあるんですよ!」
――えっそうなの? でも生きたままを直接……って良くないだろ?
「じゃあ先生もワカヒコくんと触れ合ってみてください」
そう言うと金井は自分の腕に這っていたワカ……カタツムリをはがして有無を言わさずオレの手のひらに乗せた。
――うわぁああああああああっ! 気持ち悪い!
だが、本当の「恐怖」はこれからだった。手のひらに乗ったときは体を引っ込めて殻だけだったが、すぐにヌメヌメとした体(腹足)を出してきた。
――ひぇええええええええっ!
オレは目をつぶり身体が硬直してしまった。まさか生徒の「お気に入り」を振り落とすワケにもいかず必死に耐えていた。
しばらくすると手のひらを移動した感覚が伝わってきたが、すぐに動きが止まった。何があったのか気になったので、怖いがそっと薄目を開けてみると衝撃的な光景が飛び込んできた。
ワカ……カタツムリの殻と体の間に得体のしれない「青い物体」が見えたのだ。
「うわぁああああ! 何だこの青いのは?」
「青い? あっ! ワカヒコちゃんついに出したのね!」
「出したって……なっ何なんだよ?」
すると金井は満面の笑みでこう答えた。
「ウ・ン・チです♪」
――ひっ! ひえぇええええええええ!!
「オレの手の上でウンチしたのかよコイツ! ってかカタツムリのウンチって青いのかよ!?」
「違いますよ先生、これは私が事前に〈青色のエサ〉を与えていたんです」
「は? どっ、どういうことだ?」
「カタツムリって色素を消化できないんです。だから食べた物の色がそのままウンチの色となって出てくるんですよ……ワカヒコちゃんには以前から色を付けたエサを与えていたんです。赤、橙、黄、緑と与えてきて今回〈青〉が成功したからあとは藍と紫ですね」
――え? それってまさか……
「私、ワカヒコちゃんのウンチで虹を作るのが夢なんですよ! 素敵でしょ? ワカヒコのウーンチ♪」
「いっいやいやいや素敵でもなんでもねぇし……ってかオレの名前を使うなー! それじゃオレが七色のウンチをしてるみたいじゃないか!?」
「え? 先生もできるんですか? だったら見てみたいです」
「できるか!」
――って言うか、さらっと変態的なこと言ったな。
「それより早くコイツを取ってくれっ! カラー(ウンチ)なんて嫌だぁ!」
「カラは嫌? 先生、もしかして殻がある子は苦手ですか?」
「いや、そういうことじゃ……いや、それもあるけど……いやいやいや、とにかく嫌だぁー!」
「はいはい、わかりました! それじゃあチェンジしてきます……ワカヒコくーん、嫌われちゃったねー? しょうもない若彦くんだねー」
――おい、チェンジじゃねーよ、それとどっちがどっちだよ? 紛らわしい!
何か大きな勘違いをした金井が、再び準備室から別の飼育ケースを持ち出してきた。一体いくつあるんだ?
「殻のない子だったら大丈夫っておっしゃいましたよね?」
「いや殻は関係なく虫は嫌……ちょっと待て! 殻がない? ……オマエ、まさかソレって」
すると、ニコッと微笑んだ金井が答えた。
「はいっ……ナメクジです♪」
うわぁああああああ!! もっと嫌なヤツじゃん! しかもケースをよく見るとさっきのカタツムリとは比較にならないくらい大量にいる。
「オマエ……それ……ちょっと多すぎないか?」
――もう限界だ……早くこの場から立ち去りたい。
すると金井の口から衝撃的な言葉が
「えぇ、コレは『食用』なんですよ!」
「は? はぁあああああっ!? 食用だと?」
「この子たちは自家繁殖の三代目です。それでも寄生虫が心配なので生食はしませんよ。今はおいしく食べられるように絶食させて糞抜きをしているんです」
――いや、そこまでして食べなくても……エスカルゴじゃないんだから。
「先生もどうですかぁ~一緒にナメクジディナーをしてみませんかぁ~!?」
「いや遠慮する! ていうかそれ(ナメクジの入ったケース)をどこかに置け!」
金井はナメクジが大量に入ったケースを持ったまま、ジリジリとオレに近付いてきた。オレは金井と距離を置いたまま後退りした。
すると、さっき金井が床に置いたカタツムリが入ったケースに足がぶつかった。
「あっ!」
〝ドシンッ〟
オレはその場で尻もちをついてしまった。
「あっ先生、大丈……」
ナメクジの入ったケースを持った金井が慌てて駆け寄ろうとした。すると……
「きゃっ!」
金井もつまづいて転びそうになった。
ケースが彼女の両手から離れた。
フタが外れ、中から大量の「ナメクジ」が宙に舞った。
お約束の時間だ。
オレの顔面にナメクジが集団ダイブした……みたいだ。なぜ「みたいだ」なんて他人事のような言い方かって? それはオレが……
気絶したからだ。
※※※※※※※
「先生……先生! 大丈夫ですか!?」
――目の前に金井の顔が……何があったんだ?
「とてもキレイなお顔ですわよ先生」
――ん、どういうことだ?
「先生、ナメクジちゃんの集中パックでお肌がつるっつるですわよ」
――うわぁあああ! 思い出したくない情報だ。一気に目覚めた。
「そういえば……あの大量のナメク……」
「ああ、ナメクジちゃんたちは私が全て回収しましたわ! それより……」
金井が浮かない顔をしている。
「さっき先生がつまづいたのはワカヒコちゃんのケースなんですけど……あの後ワカヒコちゃんが行方不明なんです……まあこの教室から出ていくことはないでしょうけど、どこに行ったのか心配で……」
何だって!? じゃあどこかこの辺りに放し飼い状態ってことか……嫌だ! 代わりにオレが早くここから出ていきたい。オレは立ち上がろうとしたが……
「痛いっ! イタタタタ……」
尻に激痛が……そうか、さっき尻もちをついて打ちどころが悪かったようだ。
「先生、どうしました? 大丈夫ですか?」
「イタタタタ……ケツが痛てぇ」
「お尻が痛い? ……もしかして先生、〈痔〉ですかっ!?」
「なっ……何でそうなるんだよ」
また金井が大きな勘違いをしたようだ。
「だったら先生、痔に効く良いモノがあるんですよ」
――だから痔じゃないって!
「ナメクジって昔から痔の薬って民間療法で言われているんです。漢方薬でもあるんですよ……今から作りますから、先生! 早くパンツを脱いでください」
「ばっバカ! 痔じゃねーよ、勘違いすんな」
「いいからいいからぁ~、早く私にお尻を見せてくださいよぉ~見せないならこちらから行きますよぉ~……へっへ」
金井の目の色が変わった。そしてオレに飛び付くとズボンのベルトをつかんで外そうとした。コイツ、オレのズボン脱がすのが本当の目的なのか?
「おっおい、やめ……うひゃあ!!」
「えっ!? 先生、どうかしましたか? 」
「なななっ何かオレのふくらはぎ辺りにヌメッとした感覚が……しかも動いているんだけど……」
「え? それってまさか……」
オレと金井はお互いの目を見た。
「「ワカヒコ(ちゃん)!? 」」
どうやら金井のお気に入りのカタツムリが、オレの脚にくっついたまま這いずり回っているようだ。
「うわぁああ!」
「ワカヒコちゃん! 今すぐ助けるからね……先生! 早くズボン脱いでお尻見せてください」
「おいっ! 尻は関係ないだろ! 」
「いいから早く! ワカヒコちゃん助けないと……ちょっ先生、暴れないでくださいよぉー! ワカヒコちゃん潰れちゃいますって!! ワカヒコちゃーん、早くそのオシ……姿を見せてちょうだーい!!」
「おい、どっちが目的なんだよ!!」
あーもう! 二度と生物部なんか来るかっ! 梅雨よりも鬱陶しいわ!
(その後、ワカヒコは無事保護され、若彦のお尻も無事保護されました)
最後までお読みいただきワカヒコちゃんも喜んでます! 次貝に続きます。
※注意※
寄生虫感染の恐れがあるのでカタツムリやナメクジの生食はお控えください。