【出席番号5番】扇崎 愛(おうぎざき まな)
「先生……食べていいですか? 本能の赴くままに……」
「着きましたよ、若彦先生」
教頭に促され、タクシーを降りたオレは目の前に現れた光景に圧倒されていた。事前に聞かされてはいたのだが、そこには当初の予想をはるかに上回るスケールの日本家屋がそびえたっていたのだ。
今日は日曜日だがオレはH組の「ある生徒」の家に招待され、学園高等部の道坂教頭と2人で訪問していた。
なぜ「家庭訪問」をしているのか? その理由は数日前にさかのぼる。
その日、オレは学園内にある理事長室に呼び出されていた。実は私立虻野丸学園理事長の《笹子 矢立郎》氏には、オレがこの学園に赴任した際にいろいろ恩義がある。その理事長から直々に、今度の週末にウチのクラスの生徒の両親が主催する食事会に出席してほしいと頼まれたのだ。
生徒の名前は《扇崎 愛》。過去2回のクラス替えでも移動がほぼゼロのH組において唯一、他のクラスからH組に入ってきた生徒だ。なのでこの生徒に関しては正直よくわからないことが多い。
理事長には恩義があるので断るわけにもいかない……というかその話を聞いたとき、すぐに「真意」を察することができた。
この学園は私立だ。学校ではあるが所詮「一企業」だということ……もちろん授業料などの納付金や補助金が収入の大部分ではあるが、「寄付金」というのも学園の運営には大事な要素となってくる。
ここには多くの資産家の令嬢が通っている。場合によっては生徒1人の家庭だけでかなりの寄付金が集まる場合もある。
いわばこれは「接待」だ……なので断れるわけがない。日曜日という貴重な休みの日だったが、オレは付き添いの道坂教頭と共に出席することにした。
※※※※※※※
「ごきげんよう、お待ちしておりましたわ先生」
扇崎が門まで迎えに来てくれた。いつも制服姿しか見ていないが、今日は着物を着ている。家も「御殿」と呼んでいいほどの大きな屋敷だが……よほど由緒ある家系なのだろう。
扇崎は2年まで他のクラスだったが、授業で顔は知っている。とにかく所作振る舞いが完璧な、本物の「お嬢様」の雰囲気を醸し出している美少女だ。
それに引き換え、オレはただの一平民。間違っても粗相のないようにしなければならない……今後の生活が懸かっている。
「先生……私、クラスに馴染めるかどうか心配で……」
玄関までの通路を歩きながら雑談をしていると突然、扇崎がそんな不安を口にした。学校ではあまり話せないから、この子がどのような生徒か知るいい機会だ。
なるほどな……2年間変わらぬメンバーで結束力が高いH組の輪に、たった1人で入るのはやはり不安だったのだろう。
「大丈夫! 彼女たちはとても良い子ばかりだ、扇崎もすぐ受け入れてくれるさ」
――まぁ一部【変態】が混じっているけどな。
「そうですか……私も早くクラスに溶け込めるように頑張ります」
扇崎は少し笑顔になった。かなり上流階級のお嬢様なんだろうけど、クラスに馴染めるか心配するなんて普通の子だな。
それにしても……玄関まだかよ。どんだけデカいんだ御殿。
※※※※※※※
「お待ち申し上げておりました先生方、こちらへどうぞ」
扇崎家のお手伝いさんに案内され、長い廊下を通り主屋の大広間に通された。こんな広すぎる大広間は犬●家ぐらいでしか見たことがない。
大広間には高級そうな座布団が敷かれ、長テーブルではなく漆塗りの座卓がいくつも並んでいた。
「どうぞ先生方、お座りになってください……ささっ不逢先生、そんなに固くならなくて大丈夫ですよ」
オレは扇崎の父親に促されて席に座った。最初に教頭が扇崎の両親に挨拶をした後、しばらく談笑していた。話によるとどうやら扇崎家は江戸時代に生糸売込商として創業し、明治に入ってからは呉服商や金融業まで手を広げて発展した企業の家系だそうだ。同時に日本文化の発展にも力を入れており、彼らは茶道や華道などをたしなむのは必須だそうだ。礼儀作法にも厳しいらしい。
オレは礼儀作法とかマナーとか苦手だから正直緊張している。ここで扇崎家の機嫌を損ね、寄付金の話がなくなれば学園でのオレの立場はない。
まあ、あまり余計なことは言わないで教頭に任せておこう。オレは扇崎の学校での様子などを両親から聞かれたので「とても優秀でクラスの皆と仲良くやっています」と答えるのが精いっぱいだった。正直なところ、そこまで1人の生徒に着目しているヒマはないのだが……。
そんな話を続けていたら数名のお手伝いさんが次々と料理を運んできた……どうやら懐石料理のようだ。
――あれ?
オレの席にはいつまで経っても料理が運ばれてこない。何でだ? 下っ端に対する嫌がらせか? と、思っていたらよく見ると扇崎の席にも何もなかった。すると扇崎の母親が、
「あぁ、申し訳ございません不逢先生、こんな年寄りばかりの席ではさぞ退屈でございましょう。お若い方には別室をご用意しておりますわ……愛、先生をご案内さしあげて」
「先生、こちらへどうぞ」
物静かな扇崎に案内され、扇崎の両親や教頭に挨拶をして席を立った。あの場所では緊張感が解けないので正直助かった。
※※※※※※※
扇崎に案内されたのは、主屋から少し離れた土蔵だった。そういえばさっき、かつて金融業や呉服商を営んでいたときにお金や反物を収納していた蔵があるという話をしていたが……コレのことか。
「先生、どうぞお入りください」
「えっ……ここ?」
扇崎に入るように促されたが……別室って蔵のことかよ。要するに倉庫じゃないか。いくらオレが下っ端だからってコレはないだろ?
だが、中に入ってみると小奇麗にリノベーションされていて、レトロな洋風のレストランみたいになっていた……オレの不安はすぐに解消された。
ただ、気になったのは床や壁に「ビニールシート」が張られていたこと。元々そういうコンセプトのデザイン……という感じではない。まるで新車の座席に被せられたビニールシートと同じような感じだ。
多少の違和感を覚えながら席に着いた。しばらく扇崎と談笑しているとお手伝いさんが料理を運んできた。オレはその料理を思わず二度見してしまった。
運ばれてきたのは先ほどの大広間で見た懐石料理ではなく、大皿に盛られた洋風の料理……いや、どちらかといえばビュッフェ(バイキング)形式の料理だ。次々とテーブルの上に載せられていく。しかも肉料理ばかりで、真ん中には鶏を1匹丸ごと使ったローストチキンが構えていた。
いやいや……いくら「お若い方は」って言われても、オレと扇崎の2人でこの量は食べきれないだろう。それともお金持ちはいつもこんな贅沢な食事方法をしているのか? めちゃくちゃフードロスになりそうだが……。
さらに気になることがある。普通このような食事スタイルなら小分け用の皿とか用意されるハズだがそれがない。それどころかナイフやフォークも用意されていない……手掴みで食べろというのか?
食器を要求しようとしたがお手伝いさんはいつの間にかいなくなっていた。これじゃ何も食べられそうにないのでとりあえず水を飲んだ。すると扇崎が、
「先生……先生は『肉欲』ってご存じですか?」
〝ブーッ!〟
予想外の扇崎の言葉に思わず飲んでいた水を吹いてしまった。
「ケホッケホッ……オマエ、何を言い出すんだよ」
オレは耳を疑った。「肉欲」って肉体的な欲求、つまり「性欲」とほぼ同じ意味だ。決して食肉に対する欲ではない。由緒正しい家系のお嬢様から飛び出した信じられないような言葉にオレは戸惑った。
「いや扇崎、その言葉はおかしい! そういうのは『食欲』って言うん……」
「ぞ……存じております!」
扇崎の様子がおかしい。うつむいたまま、肩で息をしている。顔は紅潮し、口角が上がっている。さっきまでの清楚なお嬢様のイメージと全然違っていた。
「先生! 私は常々、人間の『欲』とは根本的にどれも一緒だと考えております。つまり『食欲』も『性欲』も追い求める先は同じだと……」
――え? え? 何? どういう意味だ?
「先生……このような席で食事を召し上がる際、テーブルマナーなどの礼儀作法がいろいろございますわよね? 正直、堅苦しいと思われませんか?」
「ま……まぁ感じることはあるが……」
テーブルを挟んで反対側に座っていた扇崎はそう言うとゆっくり立ち上がり、
「でも、性欲……つまりキスやセッ●スってそんな作法とかマニュアルってございますか? 愛する2人がお互いに納得しあえばどんなスタイルでもいいと思うんですよ。なのに食欲は……ふふっ、おかしいですわ? 同じ『欲』なのに……」
――いやいや、何かわかるようなわからないような……いやわからん。
「先生、私は以前から先生のことが好きでした! 3年になってH組に移り先生が担任になられてから、ますますその思いが強くなってまいりました」
〝バンッ!!〟
扇崎がテーブルの上に両手を叩きつけ、身を乗り出してきた。
「よろしいですか先生! 食欲だってせっ、性欲と同じ……時に優しく、時に激しく! 作法もマナーもマニュアルも要らないのです! 本能の赴くままに……求めあえばよろしいのですわ!」
と言うと扇崎は突然、テーブルの中央に置かれたローストチキンを両手で掴み
「ふんっ!」
と力を入れてチキンを引きちぎると
〝ガブッ!!〟
そのままナイフやフォークを使わず、一気に噛み付いた。
――え?
突然の出来事にオレは言葉を失った。その後も扇崎はテーブルの上にある料理を手掴みで食べ、あるいは手を使わず直接口に入れていた。その様子は
「ガヴッ! ウゥウゥ……ガヴガヴガヴッ……」
まるで3日間何も食べていなかった「野犬」のようだ。
確かに……食欲や性欲といった基本的欲求を、礼儀や作法やルールといったもので縛りつけ過ぎるのもどうかとは思うが……しかし、さすがにこれは人として「アウト」だろう。
「先生ぃいいい、さあ一緒にどうですか? 本能の赴くままに食べると興奮してきますよぉおお! はぁはぁ……そして……そして! このまま性欲の方も……はぁはぁ……本能の赴くままに! さぁあああっ!!」
口の周りに食べかすをベッタリ付け、よだれを垂らして扇崎がこっちを見た。その目はまるで肉食動物が獲物を狙っている目だった。
――ヤバい、コワイコワイコワイ!
恐怖を感じたオレは蔵の扉に向かった。早くここから出よう!
〝ガチャガチャガチャッ〟
――あれ? 開かない! まさか外側からカギを掛けられてる?
「せ……先生ぃいいいいいいい」
完全にヤバい顔をしている扇崎が着物の裾をたくし上げた。
「こっちも食べてみませんかぁああああっ! 女子高生の『生肉』ですわよぉおおおおっ! さぁ先生!! 本能の思うがままに召し上がれぇえええ!!」
「食うか! この【変態】! くっ来るなこのヘンターイ!!」
オレは思わず【変態】と叫んでしまった。すると、
「へ……変態? 私……変態ですか?」
扇崎の動きが止まった。やがて大きく見開いた扇崎の目から大粒の涙があふれ
「私……変態なん……ですか? へっ、変態は……先生にお近づきになってはいけないのですか? 変態は……変態は……うっうわぁああああああああん!!」
扇崎は床にうずくまり大泣きしてしまった。
※※※※※※※
翌日、再びオレは理事長室に呼ばれた。そこで今回の「真相」を知った。
親睦を深めるための「食事会」というのは建前で、どうやらオレと扇崎の「お見合い」が目的だったらしい。なので食事を2人っきりにしたようだ。
将来的にオレが扇崎と結婚すれば、扇崎が学園を卒業しても扇崎家が学園の「スポンサー」として協力するだろうと画策していたようだ。
扇崎の「性癖」は家族も知っていたらしい。なので蔵の中にビニールシートが掛けられていた……食べ物が飛び散って汚れるのを防ぐためだ。
オレと2人っきりにしたのは、その性癖を踏まえてオレが扇崎と付き合えるかどうか? という「実験」だったようだ。
「で、どうですか不逢先生。悪い話じゃないと思いますがね?」
――いや、全然悪い話だよ。
確かに相手は超大金持ちのお嬢様で容姿も申し分ない。だが「アレ」はさすがに常軌を逸している。
「いえ、理事長の頼みとはいえさすがに……申し訳ありませんが」
「そうですか……それは残念です。わざわざすみませんでしたね、職場にお戻りください」
「すみません、失礼します」
理事長にはいろいろ恩義があるので断るのは忍びないが……こちらも学園の教師である前に1人の人間だ。
「あぁそれと……」
理事長が、職員室に戻ろうとしたオレを呼び止めた。
「扇崎さんのことですが……例のことはくれぐれも内密にお願いしますね」
「もちろんです、口外はしません」
そりゃそうだ! そんなことうっかりでも口走ったら扇崎家の寄付金がストップしてしまいオレは学園にいられなくなる。それに扇崎は普段、学校では特に問題のない生徒だ。
「そうですよね、誰にだって人に言えない秘密はありますからね……もちろん、不逢先生にだってそのような『秘密』があるんじゃないですかね?」
――!?
――どういうことだ?
まさか……理事長が「オレの秘密」を知っている?
先日、オレの秘密……H組の生徒をモチーフに百合小説を書いているラノベ作家の「粟津まに」だということ……を暴露したメールがH組で広まっている。そんな情報を、生徒の《右左口 墨》から聞いたのだが……。
――まさか発信元は理事長?
いや、それはない……と思うが。
※※※※※※※
理事長室を出たオレのところに1人の生徒が歩み寄ってきた。
「先生、先日は大変失礼をいたしました。これ、クリーニングしたスーツです」
扇崎だ。あの時、扇崎が食べ散らかした料理のソースや油でオレのスーツがぐちゃぐちゃに汚れてしまった。その場で扇崎家から代わりのスーツを頂き、それを着て帰った。もらったのはオレの安物スーツより明らかに高級なスーツだったので正直、クリーニングなんてどっちでもよかったのだが……。
「あぁありがとう。ご両親によろしく伝えておいてくれ」
「はい、承知致しました……あ、先生!」
一度その場を去ろうと背中を向けた扇崎が、笑顔でこちらに振り向いた。
「私、あれから愛宕さんや右左口さんたちとお友だちになりました」
そうか……クラス委員長の《愛宕 星》をはじめH組の連中は元々、誰に対しても壁を作らないタイプだからな。
「で、今度の週末、彼女たちを誘って『食事会』をする約束をしました。よろしかったら先生もいかがですか?」
「いやいい」
即答だよ、行くワケないだろ! でも、愛宕や右左口たちはこんな「食欲モンスター」と一緒で大丈夫か?
ま、心配ないか。同じ【変態】だし……むしろ気が合いそうだ。
最後まで本能の赴くまま読みましたかぁああああ? 次回も……ガブッ!