【出席番号4番】右左口 墨(うばぐち すみ)
「センセイ、ワタクシはセンセイの御身体で……かいてみたいですわ」
放課後……オレはある生徒と2人っきりで教室に残っていた。
人が横に寝そべるくらいに並べられた机の上で、一心不乱に手を動かしているその女子生徒をオレはじっと見つめていた。
「おぉっ……なるほど、ここは抜かずに止めるというテクニックか」
「イヤですわセンセイ、そんなジロジロ見ていらして……いかがですか? ワタクシのコレの遣い方は……」
「あぁすごい! 見ていて気持ちいいくらい素晴らしい……筆遣いだな」
新学期が始まってからだいぶ経ってしまい今更感が否めないが、実はこの生徒に3年H組の『学級目標』を書いてもらっている。
生徒の名前は《右左口 墨》。書道部の部長で、今までに何度もコンクールで賞を取っている書道の達人だ。しかも大人びた顔立ちで落着いた雰囲気……一見すると20代のモデルと見間違えてしまいそうな才色兼備の女子生徒だ。
1~2年も彼女に学級目標を書いてもらっていたのだが、そのときは半紙に書いていた。でも今年は高校生活最後の年なので悔いの残らぬよう、書初めで使われる半切という大きな用紙に彼女の好きな『四字熟語』を書いてもらうことにした。
相変わらずの達筆だ。見ていて惚れ惚れする。ただ……
「なぁ右左口、字は相変わらず素晴らしいんだが……」
「え、何でございましょう? 何か問題でも?」
「何で学級目標が【酒池肉林】なんだよ!」
……高校生には不適切な学級目標だ。
「えっだってみんな楽しそうじゃないですか?」
「酒池……って、オマエらまだ未成年だろうが!」
そうだった……右左口は才色兼備なハイスペックJKだが、下ネタ大好きな残念ガールでもあった。まあ、「酒池肉林」の「肉」は本来、食肉のことであって肉欲という意味ではないのだが……
「それと……オマエ、この言葉の語源は知っているよな?」
「はい、『史記』の殷本紀ですよね?」
知ってやがった! この言葉の後に続くのは『使男女倮 相逐其閒』だ。つまり男女を裸にして追いかけまわすという、とてもクレージーな宴会のことだ。やはりコイツはここまで理解した上でこの四字熟語を使っているのだな。
「さすがにこれはアウトだ。他の四字熟語にしなさい」
「ええーっ、ダメでございますか?」
「逆に聞きたい。これでいけると思ったのか?」
右左口は長いワンレングスの髪をかき上げ困惑していた。ワンレンは今でも使われている髪型だが、彼女のは昔……いわゆるバブル時代に流行った髪型だ。
「ワタクシは大変気に入っておりますが……どういたしましょうセンセイ、何か方向性でも示していただければ有り難いのでございますが」
「そうだなぁ、まあ右左口も含めてウチのクラスは多方面で優秀な生徒が多い」
「まあ、そのようにお褒め頂き誠に光栄でございますわ」
「だが、更に上を目指していけるように【百尺竿頭】なんてどうだ?」
「よろしいですわね……では」
右左口はすぐに筆を走らせた。正確には「百尺竿頭一歩を進む」と言って、百尺ある竿の先端を目指す……つまり最高地点を目指そう! という意味だ。
「出来ましたわ」
「おぅ、どれどれ?」
「いかがでございましょうか?」
「……」
オレはちゃんと【百尺竿頭】と言ったハズだが……
「おい!」
「……はい?」
「どうして【亀】に変わった?」
右左口が書いたのは【百尺亀頭】だった。
「まあっ! 百尺もあるなんてクジラか何かでしょうか?」
右左口は手を口に当て顔を赤らめた。しかしその表情は確実にニヤけている。
「亀じゃないだろ亀じゃ……」
「えっ? じゃあやはり【竿】の方でしたか?」
いや、そうなんだけど……この流れで正解に戻したら「竿」も別の意味に捉えられてしまうじゃないか。
右左口の下ネタ好きには困ったものだ。H組は優秀な生徒が多いが、こういう性格面で困ったヤツもいる。ここはお嬢様学校なので品格も大事だ……。
「じゃあ【品行方正】にしよう! オマエみたいな下品なヤツがいたらこの学園の品位にかかわる」
「まあ失礼な! それじゃあワタクシが痴女みたいじゃありませんか」
――いや、間違いなく痴女の言動だと思う。
右左口は少し不機嫌な表情で書き始めた……あっ、まさかコイツ【淫行方正】とか書くんじゃないだろうな!?
「書けましたわ」
右左口が書いたのは【淫行放精】……斜め上を行く淫乱脳だ。もはや怖すぎて意味を聞きたくない。
「もういい、オマエ……いや、オマエたちに品位どうこうって目標が高すぎた……いずれ立派な大人になってもらうように【大器晩成】でどうだ」
「あ、ワタクシもその言葉大好きでございますわ!」
右左口が意気揚々と書き始めたが、何かイヤな予感……あっ!
書いたのは【名器晩成】……やっぱりな。
「いっ、一応聞いておくがここで言う【名器】ってのはその……あれだろ? バイオリンのストラディバリウスみたいな……」
「いいえ、ミミズやカズノコ……」
「わぁああああああああああっ!」
――ダメだコイツ、もう埒が明かない。
「もういい、【初志貫徹】にしよう」
「はい」
右左口が書いたのは……【初夜貫徹】。
「一応聞くが……意味は?」
「それはもちろん! 初夜といったら燃え上って徹夜で貫き通すって意味でございますわ……あぁっ! 貫くって何かエロスを感じさせる言葉で興奮しますわぁ」
はぁ……オレの口から思わずため息が漏れた。
やりたくはなかったが仕方ない、こうなったら最終手段だ。実を言うとオレは右左口の弱点を知っている。
「そうか……じゃあ右左口も結婚したら初夜は徹夜か?」
すると右左口の動きが止まり、持っていた筆をポロっと落とすと、
「えっ、わっわわわワタクシのことはどうでもい……いいじゃないですかぁ!!」
耳まで真っ赤になった顔でメチャクチャ動揺していた。そう……右左口の下ネタは単なる「耳年増」で、中身は男性と手すら握ったことがない初心なヤツだ。下ネタを自分に置き換えられて動揺し、すっかり大人しくなった右左口に、
「じゃあわかった、オマエたちは色々才能を持った生徒が多いが、卒業までに不得意分野も頑張ってもらいたいから【文武両道】でいいか」
――さすがにこれでは下ネタも書けないだろう。
「出来ましたわ」
――【文武両……刀】、めげないなコイツは。
「文さん(♀)も武くん(♂)も両方OKって意味ですわよね?」
「違うわ! さっきからふざけすぎだぞ」
「え? でもワタクシも両刀ですわよ」
「オマエなぁ、何言ってるんだよ」
「だって……ワタクシって『日陰山 鈴里』ですわよね?」
――なっ!?
オレはその名前を聞いた瞬間、背筋が凍りついた。すかさず右左口は半紙に何かを書きオレに見せた。
「センセイ……この名前はご存じでございますか?」
そこには……【粟津まに】と書かれていた。これはオレのもう一つの顔、百合専門のラノベ作家として活動しているときのペンネームだ。H組の生徒をモチーフに小説を書いているため、学園にバレると大問題になる。なのでこのことは秘密にしているのだが……。
――なぜだ!?
この「日陰山 鈴里」とは、オレが書いた小説『青のラインを越えて』の主人公の名前だ。モデルは……そう、右左口だ! でもなぜコイツが知っている?
「ということは『日陰山』とお付き合いされる『精進』さんって、この特徴から考えると……宇の岬さんのことでございましょうか? それとも……」
「ちょっと待て!」
オレは右左口の話を遮った。確かに「日陰山」と恋仲になる『精進 知湖』というヒロインは《宇の岬 知》がモデルだ。
「なぜそれを……愛宕か?」
オレがラノベ作家の「粟津まに」だということを知っているのは、クラス委員長の《愛宕 星》だけだ。愛宕は「誰にも言わない」と言っていたが、右左口が知っているということは……愛宕が情報をリークさせたのか?
「いいえ、愛宕さんは何も言ってませんけど……」
「何だって? じゃあ右左口は何でそれを?」
すると、右左口の口から驚くべき事実が……
「先日、ワタクシのスマホに見覚えのない番号からSMSが送られてきたのでございます。愛宕さんの番号は知っておりますけど間違いなくそれとは違いますわ」
右左口の話では……どうやらそのSMSには「粟津まに」の正体がオレで、H組の生徒をモチーフにして小説を書いていること……それと彼女がモチーフにされた小説名が書かれていたそうだ。
更に衝撃的な事実が……
「ワタクシの他にも、同じようなメッセージが送られてきたクラスメイトが大勢いらっしゃるみたいですわよ」
――何だって!?
すると右左口は突然、鋭い眼光でオレに迫ってきた。オレのネクタイを掴むと
「センセイ! もしこれが学校にバレたらかなりマズいことになりますわね?」
――コイツ、脅しにかかってきやがったな!
「何が言いたいんだ右左口」
「センセイ……ワタクシのお願いを聞いていただけますか?」
今、どんな抵抗をしても無駄なあがきだろう……わかった。
「何だ、お願いって?」
「センセイ……上着脱いでくださいますか?」
――えっ? おいおいまさか……また低周波治療器じゃないだろうな?
※※※※※※※
上着を脱いで上半身裸にさせられたオレは椅子に座らされ、右左口に背を向ける格好になった。
「センセイ……ワタクシはかねてより『書』を紙に書くという行為に満足しておりませんの」
――は? どういうことだ?
「ワタクシ……殿方の『肌』に直接字を書くことに意義を感じるようになりましたの! 直接お肌に凌辱的な言葉を書くことによってワタクシの性的欲求が満たされるのでございますわ!」
――何だその謎理論は?
「ですからワタクシ、センセイの背中に凌辱的な言葉を書きたいのですわ」
「オマエ……さては【変態】だな」
その言葉を聞いた右左口は、
「変態……ああっ! 何て素敵な言葉、エクスタシーですわぁ!」
――ガチ(の変態)じゃねーかコイツ!
「では早速……センセイの背中に【変態】って書きますわね」
ふざけんなよ! まあでもどうせ服の下だから誰にも見られないし、帰ってすぐに風呂で落とせば大丈夫だ。これで右左口が「オレ=粟津まに」だということを口外しないと約束したのであればまぁ安い犠牲だ。
右左口がオレの背中に字を書き始めた。筆先が背中に触れた瞬間、ひんやりした墨の感触で背中がゾクッとした。
※※※※※※※
他にも右左口はオレの背中に何か文字を書いている。書かれている屈辱より、筆が背中を触れているのがくすぐったくてそれが辛い。
すると、さっきまで軽快に筆を走らせていた右左口の手が止まった。どうしたのかと気になり後ろを向くと右左口は下を向いて全身を震わせていた。そして、
「あぁああああセンセイ! ワタクシもう我慢できませんのでございますわ!」
――何だ何だ、どうしたんだコイツ?
「センセイ! お願いです、やらせてください!」
「おっオマエ何言ってるんだ! 出来るわけ……」
「センセイ! センセイの『お顔』に書かせてくださいませぇええ!!」
――え?
「センセイ、ワタクシ背中だけでは満足できませんわ、やはり……やはりセンセイの『お顔』に凌辱的な言葉を書きたいでございますぅうう!」
――もうコイツ……疑う余地のない【変態】だな。
「オマエ、さすがに顔はムリだよ! どうやって帰ったらいいんだ?」
「えっえっ、ホントに少しだけでいいんです! 先っぽだけで……」
「何だよ先っぽって!?」
「えぇええセンセイぃいい、水性ペンでいいですからぁあああ!!」
右左口が涙を流して懇願している。まあこの不毛のやりとりを続けていたら完全に下校時間を過ぎてしまう……早く済ませて帰りたい。
オレは上着を着て椅子に座り直し、眼鏡を外し前髪を上げた……どうやら右左口は文字をオレの額に書きたいらしい。右左口は筆を水性ペンに持ち替え、深呼吸をしてオレの額に文字を書き始めた。でも……
「せっせせせセンセイぃいい! いっイキますよぉ……はぁ、はぁ」
……息はまだ荒い。
しばらくすると右左口の息遣いが聞こえなくなった。書き終わったのか? 右左口は背中に書くより緊張しているらしく、珍しく一息ついている。
右左口が完成してからオレに見せるために用意した手鏡で、オレはそーっと自分の顔を見てみた。そこには……
額に一文字……【肉】と書かれていた。
――何じゃこれはぁああああっ!?
某少年漫画の主人公じゃねぇぞ!! 凌辱的な言葉じゃなくて良かったけど、これはこれで何かバカにされた感じでイヤだ!
「あああっセンセイ!! まだ終わっていませんのよ」
右左口が慌ててオレから手鏡を奪った。
「まだ続きがありますのよ、最後まで書かせてくださいませ」
そういえば【肉】と書かれた場所は真ん中ではなくオレから見て右側だったな。
「……書けましたわセンセイ! どうぞご覧になって」
そういうと右左口はオレに手鏡を渡した。改めて額を見るとそこには水性ペンで書いたとは思えない達筆な字で……
【肉】【便】【器】と書いてあった。
――はぁああああああああっ! どういう意味だよぉおおお!?
「センセイ! 素敵な肉便器でございますわ! これでますますセンセイのことが好きになりましたわぁ」
はいはい、じゃあすぐに消すぞこの文字。このままじゃ右左口だけじゃなくオレまで変態認定されてしまう。
だがこのとき……この言葉が、
未来のオレを暗示しているとは夢にも思わなかった。
結局、学級目標は【百花繚乱】で収まった。H組は元々、多方面に秀でた才能を持った生徒が多いが、更に活躍して花開くように……と期待を込めてこの四字熟語にしたのだが……
なぜか右左口は、最後まで【十人十色】と書きたがっていた……なぜ?
最後までお読みいただいてありがたいですわぁ! 次回もお読みくださいませ!