【出席番号29番】八幡 運(はちまん ゆき)
「いやぁああああん! 先生のエッチぃいいいいっ♪」
ある日の休み時間、廊下を歩いていたオレは不可解な光景を見た。
廊下に……バナナの皮が落ちていたのだ。
今どき廊下……いや道端も含め、バナナの皮を捨てるなんてサルでもしないだろう。何なんだこれ? まさかこれを踏んでズルッと……って、昭和のマンガかよ?
しかも……さらにその状況に輪をかけた異様な光景が目の前に現れていた。
「先生! 先生! さぁっ! そのバナナの皮を踏んでください! そして前のめりにコケたら私に突っ込んでください! その勢いでオッパイ揉んでもスカートをずり降ろしても股間に顔をうずめても構いません!! さぁ先生! 今日も1日ラッキースケベを体験してください! さぁ!!」
バナナの皮の前でこちらに両手を広げて立っているのは《八幡 運》。すでにお察しの通り、頭のおかしい子だ……「イタイ子」という表現でもいいと思う。
コイツは普段からラブコメ漫画やラノベを読みあさっているオタク少女だ。そして、その中に出てくるいわゆる「ラッキースケベ」とかいうシチュエーションに憧れているらしい。
わかっていると思うが……こういうことが起こりうるのは漫画やアニメの中だけの世界であって、現実にこんなことが起こるワケがないのだ。だが、この八幡という生徒は無理にでもそういうハプニングを起こそうと、こうやって毎日のように実践しているイタイ子なのだ。
もちろん、オレはこんなバカバカしい茶番に付き合っているヒマもないので、八幡もバナナの皮もスルーして廊下を歩いていった。
「先生! 先生! 何で来てくれないんですか!? 先生!」
――バナナの皮は責任もって捨てておけよ!
※※※※※※※
「先生! 先生! こんな時間にどうされました?」
――また八幡か……面倒くさいなぁ。
放課後、オレはH組の教室に忘れ物を取りに来た。その途中、またまた廊下で八幡とバッタリ会ってしまっ……いや、どうやらH組の教室に忘れ物があることに気が付いたコイツはわざわざココに来たみたいだ。
しかも6時間目が体育だったワケではないのになぜかジャージを着ている。
「え? あぁ、忘れ物をしたから教室に取りに来たんだが……」
「まぁ先生ったら……うっかり屋さんなんだからぁ~」
――いちいちムカつく。ていうかオマエに言われたくない。
「先生! 先生! もう少し入るのを待っていただけますか? 私は今から放課後の教室でひとり制服に着替えます! そしたらちょうどいいタイミングで何も知らなかったように入ってきてください! すると『きゃー、何で入ってくるのよー! 先生のエッチー!!』と言って着替えの入ったバッグを投げつける……というラッキースケベが発生します! それじゃあ入ります……だいたい1分ぐらい経ったら入ってきてください!」
――今さら言うことではないが……バカだろ、コイツ。
だいたい1分ぐらい経ってからオレはH組の教室に入り、忘れ物を見つけるとそれを持って教室を出た……え? 八幡が着替え中ではないのかって? それなら全く問題ない、なぜならアイツが入ったのは教室ではなく「更衣室」だからだ。どう間違ってもオレが入る理由がない。しかもH組の教室からは歩いて1分くらい離れた場所にある……。
――だから「うっかり屋さん」はオマエだっつーの!
※※※※※※※
忘れ物を取りに行った帰り……更衣室の前で再び八幡に会った。
「先生! 先生! 何で入ってくれなかったんですか!? 私、ブラジャーまで外して待っていたんですよ!」
「あのなぁ……オレはH組の教室に忘れ物をしたのに、何で更衣室に入らなくちゃいけないんだよ? おかしいだろ」
八幡は少し涙目だった……このバカ、マジで面倒くさい。
「先生! 先生! 仕切り直しです!」
――何だよ仕切り直しって?
「先生! 今、私はスカートの後ろをワザとパンツにはさみ込んでいます! つまり……後ろ姿はパンツ丸見えの状態です! もちろん見せパンなんか穿いていません! さぁ先生! 私が通り過ぎたら後ろを振り向いて『おい八幡、スカートめくれてるぞ』と言ってください! そしたら私がお尻を押さえて『いやーん! どこ見てんのよ!』って叫びます! どうですか先生? 至極のラッキースケベを今度こそは堪能してください!」
「あっそう……わかったよ、そうする」
オレがそう言うと八幡の顔がぱぁっと明るくなった。こいつはバカなのかドMの変態なのか……。八幡がオレの横を通り過ぎたとき、オレは八幡に声を掛けた。
「おい八幡、スカートめくれてるぞ」
八幡は振り向くと、スカートの後ろに手をやり
「いやん! どこ見……て……」
と言ったまま動きが止まった。そう、なぜオレがこんなバカバカしい寸劇に付き合ってやったかと言うと……
八幡はスカートの下にジャージを穿いたままだったのだ。どうやら着替えたときにジャージを脱ぎ忘れたらしい。
つまりオレが見ていたのはパンツではなくジャージだ。もちろん八幡と正面で向かい合っていたときに最初から気が付いていた。まぁ、別な意味で恥ずかしい格好なのだが……。
「み……見て……しっ仕切り直しーーーーーー!!」
ようやく自分の失態に気が付いた八幡はその場を走り去っていった。
――おい廊下を走るな!
※※※※※※※
八幡の「オレ巻き込み型迷惑コント」は翌日も続いた。
――やっべぇ、遅れてしまった。
朝の職員会議が長引いて、1時間目の始業時間を少し過ぎてしまったのだ。オレは慌てて教室に向かって行ったのだが……
「「あ!」」
1階の階段脇にある空きスペースに座り込み、食パンにジャムを塗っている生徒がいた……八幡だ。
「きゃっ、先生! まだ早すぎます」
「おい何やってんだ! もう授業は始まっているぞ」
「先生! 先生! 遅刻しそうになってパンを咥えながら走る私と先生が廊下の角でぶつかって、尻もちをついた私のパンツが丸見えというラッキースケベの準備中です! すみませんがあと10メートルほど下がっていただいてもう一度こちらに歩いていただけませんか?」
「ふざけるな! これ食ってとっとと教室に入れ!」
オレは八幡の口にパンを押し込んだ。コイツには少し黙ってもらおう。
「ふっふがぁ! ふぇんふぇい! ふぉれふぁはっきぃふぇへひゃふぁいれふ」
こんなベタすぎるシチュエーションが現実にあるワケないだろ! だいたい、奥が行き止まりになっている階段脇の空きスペースからパンを咥えた生徒が飛び出してくること自体ありえないわ!
――朝食は家で食べてこい!
※※※※※※※
12月に入ったが、天気のいい日中は暖かい。昼休み、外にある部室棟の不用品搬出を手伝わされてしまって正直不愉快だったが、職員室に戻るとき暖かい日差しに包まれて気分もよくなってきた。そんなとき……
「先生! 先生!」
――また八幡だよ……さっきまでの穏やかな気分が台無しだ。
八幡はオレから少し離れた場所で屋外にある水道……立水栓の前に立っていた。立水栓は校舎前の花壇に水を撒くときなどに使うものだ。よく見ると八幡は制服の上着を脱いでブラウス姿になっていた……寒くないのか?
「先生! 私は今からお花に水をやります! そして水の勢いが強すぎてホースが暴れ出し、私は水を被ってしまいます! するとどうなるかわかりますか!? そうです! ブラウスがびしょ濡れになってブラジャーが透けて見えてしまいます! しかも今、着けているブラの色は遠くからでも目立つ黒です!」
バカじゃないのコイツ……と、言いたいところだが、いくら日差しが暖かいとはいえこの真冬に水を被るなんて何考えているんだコイツ! 風邪ひくぞ!
だが、オレの心配などつゆ知らず、八幡は蛇口をひねった。
――あぁっ! バカやろう!
オレは慌てて八幡を止めようと立水栓に駆け寄った。すると……
「あっ……あれ? あれ? 水が出ないー!!」
そうだった、冬の間は凍結を防止するために立水栓は元栓を締めてあったんだ。
「あれーーーー! 出なーーーーい、何でーーーーっ!?」
――来年の春までそのまま待ってろ!
※※※※※※※
もう、八幡のバカには付き合いきれん。この「おふざけ」、以前は1ヵ月に1回くらいのペースだったが最近はほぼ毎日だ……正直疲れる。
放課後……もうすでに職員の定時は過ぎていた。また今日も残業だったな……オレは職員専用の男子トイレで用を足していた。
すると、オレの後ろで誰かが通過したような感覚がした……そして、1つの個室から〝バタンッ〟と音がした。誰かが入ったようだ……おかしいな、今日残業している男性職員はオレだけのはずだが? すると個室の中から
「先生! 先生!」
八幡かよぉおおおお!? 何しているんだこんな時間まで……いや、それ以前にここに入ってきたらダメだろぉおおおおおお!!
「先生! 今、私はトイレに入っています! もちろんパンツも下ろしていますしカギも掛けていません! 今、先生が入ってきたら『きゃー、何で入ってきたのーエッチー!』『だって、カギ掛かっていなかったじゃないか!』というラッキースケベが発生しますよ! さぁ先生! 遠慮なく入ってきてください! さぁ!!」
コイツは救いようのないバカだな。オレは八幡を無視して手を洗い、トイレから出ようとした。そのとき、
「おっおう、若彦! まだいたのか」
トイレの前にいたのは《山伏 巴恵》先生だ。強面の体育教師で生徒から恐れられている……ちなみにオレも恐れている。
「すまんな若彦、今日は施錠の確認当番なんだ! えっと……もう男子トイレは誰もいないよな?」
「えぇ、今日は男で残業してるのオレだけですから……たぶんいないでしょう」
「そっそうか、じゃあ失礼して……施錠確認させてもらうよ」
オレの目の前にもう1人男がいますよー! と言いたいところだが、「鬼の山伏」に向かって冗談でもそんなことを言ったらブン殴られそうなので止めておいた。さて、八幡が「鬼の山伏」にブチ切れされる前にここを退出しよう。
「こらーーー! お前、何やってるんだーーーーー!!」
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
――八幡にはいいクスリだ……反省文でも書いてこい。
※※※※※※※
その翌日の休み時間、廊下を歩いていると上の方から声がした。
「先生! 先生!」
またアイツか! 昨日、あれだけ怒られてもまだ凝りていないようだ。今度は何だ!? 八幡は何かのプリントの束を持って階段の踊り場に立っていた。
「おい八幡! 何でそんな所で突っ立っているんだよ!? 他の生徒の邪魔になるから早く下りてこい!」
「先生! 先生! 私、ここから足を滑らせて落ちます! 先生! 先生は下で受け止めてください! 受け止め方は私のオッパイ掴んでも、股間に顔をうずめてもどちらでもいいです!」
「おっおいバカ! やめろっ!!」
冗談じゃない! 階段から落ちて……なんてシチュエーションは漫画やアニメみたいな架空の世界だからできることだ! 実際には大ケガ……いや、下手すりゃ死ぬことだってある。今までのラッキースケベは笑い話で済むかもしれないが、これはシャレにならん!! すぐに止めなくては!
「おいマジでやめろ! 下手すると死ぬぞ!」
「えっ!? でっでも漫画やアニメではそういうシチュエーションがいっぱいあるじゃないですかぁー! 定番ですよ!」
「バカッ! ああいうのはフィクションの世界だ! 実際やったらとんでもないことになるぞ!」
八幡は今すぐにでも落ちそうな体勢だ。すぐにでも階段を駆け上がり止めたいところだが、下手にオレが動くと八幡はシチュエーションを崩されそうになる焦りで落ちかねない。ここは冷静に説得するしかない……緊張が走る。
だが、やがて階下を見ていた八幡の両脚がガタガタと震えだした。そしてその場にヘタリと座り込み
「ふっ……ふぇええええええん! やっぱり怖~い」
泣き出してしまった。オレは急いで階段を駆け上り、八幡の元へ向かった。とりあえず大事故につながらなくて良かった。それと、プリントが階段に散乱しなくて良かった。
「あぁよかった、一時はどうなることかと思ったよ」
「ふぇええん……、グスッ、グスッ!」
「オマエさぁ、何でこんなことするんだよ!?」
「だって……グスッ! 私、ラッキースケベのシチュエーションが大好きなんだもん……大好きな先生から普通にエッチなことされたって面白くないじゃないですかぁ!? それよりも……突然のハプニングでパンツ見られたりオッパイ揉まれたり股間に顔をうずめられたり……着替えやトイレやお風呂を見られたりしたら……はぁはぁ……そっそそそそれだけでこっ興奮するじゃないですかぁああ」
まぁ何となく予想がついていたが……コイツ、【変態】だな。
――ていうか普通にエッチなこともしねーし。
「でもオマエ、そのシチュエーションになるようにあらかじめ仕込んでいたら、ハプニングでも何でもなくなるじゃないか?」
「う゛っ……だって、普通にしていたら何も起こらないんだもん」
だよな? オレのド正論に八幡は何も言えなくなってしまった。
「おい、もう休み時間は終わりだ! 教室に戻るぞ……立てるか?」
「た……立て……ません……こっ腰が……」
どうやら八幡は怖さのあまり腰を抜かしたようだ。
「しょうがないな……ほれ」
オレは階段の踊り場で腰を抜かしてへたり込んだ八幡の後ろに回り込み、両脇に腕を入れて一気に持ち上げた。だが、まだ足に力が入っていない八幡はバランスを崩して前の方によろけた。
「おっ、おい!」
オレは八幡が倒れ込まないように、しっかり抱きかかえようとした。だがそのとき、とんでもない失態をしてしまった。
オレは八幡の脇を再び抱えようとしたが、八幡が前の方へ倒れかかったので腕を伸ばした。すると……
オレの両手が、八幡の胸をしっかりと掴んでしまったのだ。完全に後ろから2つの「ふくらみ」を揉んでいる格好だ。
「「あ゛」」
ハプニングだ……八幡の言う「ラッキースケベ」が発生してしまった。
「あぁっすまん!!」
するとさっきまで足に力が入っていなかった八幡は、なぜかしっかりと立てるようになっていた。そしてゆっくりとこっちを振り向いた。
だがその顔は、恥ずかしさのあまり怒っているワケでもなく涙ぐんでいるワケでもなく赤面しているワケでもない……その顔はまるで、長年の夢が叶ったようなとても清々しい満足げな……笑顔だった。
「いやぁあああ! 先生の……エッチぃいいいいいいいい♪」
満面の笑みの八幡は右腕を振り上げた。まぁこのパターンならビンタが1発くるだろう。仕方ない、偶然とはいえ八幡の胸を掴んでしまったワケだし、1発ぐらいは受けてやろう……どうせ女子高生の力じゃ大したことないだろう……。
だが、ここで予想外のことが起こった。
一瞬だけ見えた八幡の手は「パー」ではなく「グー」だったのだ。
つまり、飛んできたのは……
――全力の「グーパンチ」だった。
〝バキィーーッ!!〟
――おい、漫画やアニメでこういうときって……グーパンだった……か……?
オレは階段の踊り場に倒れ込み……そのまま意識を失った。
※※※※※※※
「先生! 先生! 大丈夫ですか?」
八幡の声が聞こえてきた。意識を失ったのは《鍛冶屋坂 笑》に特製ハリセンで殴られて以来だ。
グーパンで殴られて大丈夫なワケがないだろう。かろうじて意識は戻ってきたのだが、まだ体は動かない……何となく八幡の声が聞こえる程度だ。
するとそこに、八幡以外の声が聞こえてきた。
「おやおや……暴力沙汰とは穏やかではありませんね」
「は? 何か用ですか?」
八幡は、先程までふざけていたときの声のトーンとは明らかに違い、低くて機嫌の悪そうな感じだ。
「校内での暴力行為は停学、または退学に相当する規律違反ですよ」
「はぁ? 別に同意があってやったことですけど?」
いや同意はしていないが……それにしても、こんなに早くコイツの正体を知る機会がくるとは……。コイツの声を聞いた瞬間、オレは意識を完全に取り戻したので正直、起きようと思えば起きられる状態だが、ここで目を覚ますとコイツは尻尾を出さないだろう……今は何かを知っている雰囲気の八幡と2人っきりにして、オレはこのまま気絶したフリをしていよう。
すると八幡が、
「あなた最近、H組のみんなにしつこく付きまとっていますよね?」
「いえいえ、付きまとうだなんてそんな……私はH組の皆さんのことを色々と知りたいだけですよ」
「何も言うことはありません! そもそもH組は全員、あなたのことが嫌いです」
そうか! やはりコイツが最近、「粟津まに」と同じようにH組の生徒をモチーフに百合小説を書いている謎の作家、《良坊 種夢》だな? H組の生徒に付きまとって取材をし、小説のモチーフにしていたに違いない。
だがひとつ疑問が残る。以前、ウチのクラスの《鴨狩 紬》が良坊の小説のモチーフにされたとき、彼女は「許可済み」と言っていた。H組の生徒に付きまとい、さらに嫌われている人間にモチーフにされることを許可するのだろうか?
だがこの後の八幡の言葉に衝撃が走った。
「あなたこの間、ウチのクラスの中津森さんと鴨狩さんを呼び出して脅してましたよね? 彼女たちの弱みを握ってそんなことするなんて……許せない!」
「脅しなんて人聞きの悪い……私はただ、彼女たちからある事実を聞き出そうとしていただけですよ」
「ある事実? そんなものはありません! もう2度と、私たちと個人的な接触はしないでください!」
――なんてことだ!!
鴨狩が言ってた「許可」って……脅されていただけなのか?
これでわかった、間違いない!
謎の新人百合小説家、「良坊 種夢」……鴨狩が言ってたヒント、ペンネームを見ればわかるという話……確かに、2つも同じ漢字を使っているからな!
オレは、気を失っているフリをして薄目でそいつを見た。
そう、良坊の正体は……
ニヤついた顔で、八幡と対峙している産休代替教員の古典教師……
――《雁坂 良夢》、コイツだ!!
先生! 先生! 最後まで読んでくれましたか!? じゃあ次に進んでください!




