【出席番号19番】下瀬口 輪(しもせぐち りん)
「マニ! おあずけ……まて……よしっ! 食べなさい……私を」
ついにオレにもやってきたか……。
昨日の話だが……オレの裏の顔、ラノベ作家「粟津まに」の元に1本の電話がかかってきた。電話の相手は担当編集者の《大穴 中》だ。
『粟津センセー、いきなりですんませーん! 今、先生が連載している小説なんですけどね……あれ、あと1話で終わらせてもらえませんか?』
――はぁ!? いきなりすぎるわ!!
連載しているのは『きみは飼い犬』というタイトルの百合小説だ。気高い令嬢の女子高生が、子犬のような見た目の同級生に一目惚れし、彼女を自宅に誘い込んで監禁し「飼育」、つまり「調教」するというちょっとハードな内容の話だ。
飼育される「飼い犬」役はH組の生徒《下瀬口 輪》をモチーフにしている。小柄で茶髪で天然パーマ……見た目がまるでトイプードルみたいな子だ。ちなみに令嬢役はH組副委員長の《右左口 墨》をモチーフにしている。やっと令嬢が子犬を屋敷に招き入れることに成功し、いよいよこれからっていう段階なのに……。
「ちょ、ちょっと待ってください! いきなりあと1話って……まだこれからって段階ですよ! どう考えてもムリですって!」
『そこを何とかぁ~、ページ数はいくらでも増やしてオッケーだそうです』
「はぁーっ……」
オレはため息をついた。もう大穴が言わんとしていることがわかった。
「なるほど、つまりこれは……アレですよね?」
『ええ……アレです。すんません、僕の力不足で……』
いや、大穴の力なんてこんなもんだろ? この男は自称「大穴狙いの男」で担当した作家は絶対大売れすると豪語している。だが実際は作家仲間から「死神」と呼ばれ、コイツが担当に「憑く」とその作家は消えると言われている……つまり、この話は来るべくして来た『打ち切り』宣告だ!
この大穴という男はチャラいが、この口調は相当困っていると見た。おそらく編集長から絶対に終わらせろって命令されたに違いない。そこまで言ってくるには相当な理由があるのだろう。
「で……何なんです? 理由は?」
『それが……この間、粟津先生と同じ百合を書く新人さんが現れまして……編集長がどうしてもウチでいち早くデビューさせたいって……』
――うわぁ、新人に蹴落とされたのかオレ?
「ちなみに、どんな方なんですか?」
『いやーそれが……僕も含めて編集部の人間は誰も知らないんですよぉ! 編集長ですらメールでしかやり取りしていないみたいで……年齢や性別どころか名前もわからないんですよねぇー』
――何じゃそれ!? そんな得体のしれないヤツに枠を与えるっていうのか!?
『とにかく……そんな理由なんですんませんがよろしくお願いします』
――最悪だ。いよいよ「大穴の力」が発動しやがったな……あと、「すんません」じゃなくて「すみません」な!
今夜飲むビールは絶対に不味い……ああ、一晩中誰かに愚痴りてぇ!
※※※※※※※
「先生!」
授業が終わって廊下を歩いていると、1人の生徒に呼び止められた。生徒の名前は《下瀬口 輪》、そう……昨日、打ち切りを言い渡された小説で、「飼い犬」ヒロインのモチーフにした生徒だ。あらためて見てもトイプードルみたいだ。
「どうした下瀬口」
「ちょっと……相談があるんですけどぉ」
下瀬口は明らかに不機嫌そうな顔をしていた。どちらかと言えば怒っているように見える。
「ねぇ聞いてくださいよぉー先生! もう許せないんだからぁ」
「あぁちょっと待て待て! 今、廊下でそんな話をするのもなんだから……放課後時間あるか? だったら進路指導室で聞いてやるから……」
と言って下瀬口を教室に戻した。たぶん、何か気に入らないことがあって愚痴りたいんだろう。正直面倒くさいが、こういうのを無視したり軽くあしらったりすると後で余計に面倒くさいことになるから、とりあえず聞くだけ聞いてやろう。
正直……今、めちゃくちゃ愚痴りたいのはオレの方だわ。
※※※※※※※
放課後、進路指導室の使用許可を取ったオレは下瀬口と2人きりになった。基本的に進路指導というのは、エスカレーター式のこの学園においてほとんど無意味なので、この部屋は生徒の生活相談の場となっている。
「で、何があったんだ下瀬口」
「実は私、先週18歳になったんですけど……」
そうか、そういやH組の連中も18歳になった子がいるんだよな。1年から一緒だったからあまり意識してなかった。しかし下瀬口も18か……《鴨狩 紬》の次ぐらいに小柄な生徒だから鴨狩と下瀬口に関してはいまいちピンとこない。
「そうか、それはおめでとう」
「あぁ、ありがとうございます……で、前々から両親と、私が18歳になったら誕生日プレゼントに『子犬』を買ってくれると約束していたんです」
「ほう、そうなのか?」
「で、誕生日に買ってくれたのが……これなんです!」
といって下瀬口が紙袋から取り出したのは「犬のぬいぐるみ」だった。しかもリアルな犬というよりマンガに出てきそうな、かなりディフォルメされた「犬のキャラクター」だった。
「えぇっと……オマエが欲しがっていたのは……」
オレがそう言うと下瀬口の怒りが一気に爆発した。
「本物ですよ!! わざわざ『子犬』って言ってるんだから生きている犬に決まってんじゃないですか! しかもちゃんと『ポメラニアン』って犬種まで指定してたんですよ! それなのに……」
下瀬口は見た目がトイプードルだが、どうやらポメラニアンが好きみたいだ。
「何ですか! このクオリティーの低いぬいぐるみは!? ポメラニアンどころか100歩譲っても犬に見えませんよ! UMAですよ! こんなのが実際に街をウロついていたら保健所じゃなくて国●総省に通報した方がいいです!」
「あ……そう」
下瀬口の怒りは収まる気配がない。どうやら彼女は小学校のときから「生きている犬」が欲しかったらしい。で、それを両親に直訴するたびに、両親からはちゃんと責任が取れる大人……つまり18歳になったらと言われ続けていたようだ。
「しかもっ! しかもですよっ!? 私が『本物が欲しい』って言ったらパパが何て言ったと思います? 『パパは犬アレルギーだから犬は飼えない』だって! そんなん初めっからわかってるなら言えよぉおおおおお! くっそぉおおおお騙されたぁあああああ! 10年以上も騙されたぁああああああ」
それは気の毒な話だな……下瀬口の両親も、さすがにそれは娘の気持ちを踏みにじる酷い行為だと思う……だが、
「ま、まぁ確かにそれは酷い話だし、下瀬口の気持ちもよくわかる。だがここは学校だ。学業に直接影響がない、家庭の事情をオレに話されても……愚痴ならいくらでも聞くが、これはオマエの家庭のプライベートな問題だ。生徒の学業や素行に影響が出る事案なら話は別だが、こういうのは学園が干渉できる立場じゃないんだ」
「ま、まぁそれはわかっています……けど」
下瀬口がトーンダウンした。そして
「私、このために今まで頑張ってきたんですよ……ぐすっ……成績が良くならないと買ってくれないからって……ぐすっ、勉強も一生懸命頑張ってきたんです! もう……人生の目標を失ってしまいそうです……ふっ、ふえぇえええん!」
下瀬口は泣き出してしまった。いやいや、泣かなくてもいいだろう。
「ま、まぁ気の毒だとは思うが……さっきも言った通り学校は……」
「わかっています! だから先生……お願いがあるんですけど」
「え? まぁできることだったら……何だ?」
すると下瀬口は立ち上がり、手を顔の前で組んでおねだりポーズをしながら、
「先生、私の犬になってくださぁい」
――は? 何言ってるんだコイツは?
「犬? なれるわけないだろ?」
すると下瀬口は
「先生、私は犬が……ワンちゃんが大大大好きなんですぅ、そしてワンちゃんと同じくらい先生のことも大大大好きなんですぅ……だからぁ、大好きなものが1つになったら合理的じゃありませんかぁ?」
「全く意味わからん! どういう理屈だ」
「お願い先生! 1回だけでいいんです。先生もワンちゃんも大好きなんです……ワンチャンください!」
「ダジャレか!? ダメだダメだ! だいたいオレは犬とは似ても似つかないぞ! どちらかと言えばオマエの方が犬っぽいじゃないか!」
「……はぁ!?」
突然、下瀬口が反抗的な口調になった。しまった! 生徒の容姿に関する発言はセクハラになる。
「先生……私ってトイプードルに似ていますか?」
「あ、すっすまん、つい口が滑っ……えっ?」
あれ? オレは「犬っぽい」とは言ったが「トイプードル」とは一言も言ってないよな? すると下瀬口はイラっとした表情になり
「先生、私は墨ちゃん(右左口)の飼い犬になるつもりはありませんよ」
――うわぁあああ! コイツ、オレの書いた小説読んでやがる!
「ええっ、何の話だ下瀬口」
「とぼけてもムダです! 例のメール、私のところにもきました。全くもって失礼なお話ですよ! こんな話は打ち切りにでもなってしまえばいいんです!」
――あぁ、オマエの希望通り打ち切りになったよぉおおおお!
「と、いうわけで先生……よろしいですわね?」
「わかったよ……なればいいんだろ? 犬に……」
※※※※※※※
不本意ながら下瀬口の「犬」になることになった。それにしてもオレはポメラニアンとは似ても似つかない容姿なのだがいいのかな?
「なぁ下瀬口……」
「犬はしゃべりません! ワンと鳴くだけですよ」
「おいちょっと待て待て! いきなりかよ? その前にちょっと聞かせてくれ……オマエは確かポメラニアンが欲しいと言ってたじゃないか? オレはポメラニアンとは全然似ていないぞ」
「うーん、ポメラニアンも好きなんですけどぉ~、実は私、グレートデンも飼いたかったんですよぉ!」
――それって大型犬じゃねーか! 振れ幅が大きすぎないか?
「先生って……グレートデンに似てますよね?」
――いや似てねーし似たくもないわ。
「なので……」
というと下瀬口は自分のバッグから何かを取り出した。
「グレートデンを飼ったときのために用意した首輪とリードです」
そう言って下瀬口が見せてくれたのは、明らかにポメラニアンには使えなさそうなごつい首輪とリードだった。
「さぁ先生、今から先生は〈犬〉ですからそんな首輪は外してください」
「え? 首輪?」
というと下瀬口はオレのネクタイを外し、犬の首輪をつけようとした。
「いやおいマジか? そんなの付けるのか?」
「何ですか拒否するんですか? ワンちゃんはリード付けないとお散歩に行けないんですよ」
――いや行かねぇよ! こんな格好で外に出たらいろいろ終わるわ。
「もう! 言うこと聞かない子ですねぇ……あ、そういえば名前まだ決めてなかったですわね」
――どうでもいいわ、結局ごっこ遊びじゃねーか。
「そうだわ、『マニ』でいいわね……マニ、リード付けるわよ」
「おっおいマニって!? それってオレのペンネームじゃ……」
「うるさいわね! 犬はしゃべらないの!!」
〝ペシッ〟
名前を付けられた瞬間、下瀬口の態度が豹変し、オレはいきなりビンタされた。
「こっ! このぉ……」
「うるさい! 犬はしゃべるな! それと生徒を使っていやらしいこと想像してんじゃねーよ、このエロ犬!」
――うわぁあ! そんなつもりは1ミクロンもねぇが反論できない。
「返事は全て『ワン』よ! マニ、わかった?」
「………………ワン(わかったよ)」
「あとそれから……何で立ってるの?」
「ワ……ワン(え?)」
「犬は四つん這いだろうがっ!」
〝ドスッ!〟
いきなりボディーブローを食らった。ぐふっ! オレはその場にうずくまってしまった。
「うん、よろしい」
「ウゥゥ……ヮン(てめぇ……覚えてろよ)」
「たっていいのはアソコだけだよ」
「ワ……(オマエ何言ってるんだよぉおお)」
首輪とリード、そして犬耳のカチューシャとシッポを付けられたオレは犬になってしまった。それと下瀬口はペット系のM女ではなく、超ドS女王様だということがわかった。
「あ、そうだ! 飼うんだったらここをマニの住める環境にしなくちゃね」
そう言うと下瀬口は再びバッグから何かを取り出した。出てきたのは……犬用の食器が2つとドッグフードの袋、そしてペットボトルに入った水だった。下瀬口はフードと水を食器に空けると
「さぁマニちゃん、ゴハンはここに置いておくからね! たんとおあがり」
「ワン(食うワケねぇだろ)!」
続けて下瀬口はバッグから白いレジャーシートのようなものを2枚取り出した。そして1枚は床に、もう1枚は壁に養生テープで張り付けた。
「さぁマニちゃん、おトイレはここでするのよ! 片脚を上げても外さないでね」
「ワン(するかっ)!!」
「しないの? あぁそうか、いくらお洋服着ててもパンツ穿いてたらできないものね……じゃあ私がぁ~脱がしてあげるよぉ~♪」
「ワ……ワンワンワンッ(それは絶対にやめろー)!」
どんなに脅されてもそれは絶対NGだ。そんなことがバレたら粟津まに以上の大問題になる。それと下瀬口はオレのパンツを脱がそうとしたとき、完全に【変態】の顔だった……怖っ!
「あらっ? マニちゃん、ゴハン全然食べてないじゃないの?」
「ワン(だから食うワケないだろ)!」
「しょうがないわねぇ……」
というと下瀬口は、食器に盛ったドッグフードを手で一掴みすると
「さぁっ! 食べなさーい」
強引にオレの口にねじ込んできた。
「ぐぁはっ!」
すぐに吐き出したが、少し食べてしまった。味がメチャクチャ薄くて塩気が全く感じられない……マズッ!
「さて、じゃあマニちゃん、そろそろ……」
「ワン(そろそろ……何だよ)?」
「お散歩に行きましょ!?」
「ワンワンッ(おい冗談だろやめろ)!」
下瀬口はリードを掴むとそのまま廊下の方へオレを引っ張り出そうとした。冗談じゃない! いくら人が少ない放課後とはいえ、もしこんな姿をうっかり誰かに見られてしまったら……。
オレは机の脚にしがみつき必死に抵抗した。下瀬口は思っていたより力が強い。
「もう、ご主人様の言うことが聞けないなんて……しつけのなっていないワンちゃんですわね」
〝バシーンッ!!〟
「キャイン(痛いっ)!」
廊下に連れ出すのをあきらめた下瀬口はオレの尻を思いっきり蹴飛ばした。思うんだけど、コイツはガチのペットを飼ってはいけない子じゃないのか? コイツの両親はある意味正しいことをしたのかもしれない。
「おっおいいい加減に……」
「犬はしゃべらない!」
「いい加減にしろ! 何でこんなことを」
すると下瀬口は目に涙を浮かべ
「ふんっ! どうせあの小説で私 (をモチーフにしたヒロイン)が令嬢の屋敷に入った後に今と同じようなことするんでしょ?」
――げっ! 図星だよ。何でわかった?
「何でわかった? って顔されていますよね? だいたいそんなもんでしょ、こういう話の展開って……どうせ男ってこういうSMチックな話が好きなんですよね? ワンパターンで最低っ! そしてそんな最低な話のモチーフに生徒を使うマニはもっと最低っ!!」
――うわぁああ! 先の展開を完全に読まれてやがった! だけどオレの趣味じゃないぞ! こういう設定が好きな読者が多いだけだ!
はぁ……しかしこんな簡単に先を読まれてしまうような話じゃ……打ち切りでも仕方ないかもな。
「私は……飼われるのは好きじゃないです、飼うのが大好きなんです……だからマニちゃん、今から私がたっぷり『調教』してあ・げ・る」
うわぁああ怖いっ! 言っておくがオレはM男じゃねぇぞ! 「調教」って一体どんなプレイを要求するつもりだ? アイツのバッグ、まだ何か入っているようだが……ムチか? ロウソクか? それとも《グリーンヒル 結》みたいに緊縛か?
「マニ……おすわり!」
――え?
「何やってるの? 調教と言ったら基本はこれでしょ?」
「ヮ……ワン?」
――ガチの調教じゃねーか!!
ま、まぁよかった痛みを伴うプレイじゃなくて。屈辱的だが、子どもの「ごっこ遊び」に付き合ったと割り切ればいい。オレは犬の「おすわり」の格好をした。
「は~いよくできましたぁ~いい子いい子」
下瀬口に頭をなでられた。屈辱感MAXだが我慢我慢……。
「じゃあ次はお手!」
「ワン(ふざけんな)!」
「おかわり」
「ワン(バカにしやがって)!」
「伏せ!」
「ワン(今度絶対に……)!」
――下瀬口だけコッソリ宿題の量を増やしてやる!
オレは床に伏せながらそう誓った。
「はーい、じゃあ次は……ちんちん!」
「ワン(はいはいやりゃいいんだろ)!」
オレは膝立ちの状態で起き上がった。ずっと四つん這いの姿勢で腕が少し疲れてきたので助かった。すると下瀬口は
「何やってるの? 違うでしょ! そうじゃないの」
ん? 何か間違ったか? あっそうか、膝立ちじゃないのか? オレは普通に立ち上がった。
「何やってんだこのバカ犬ーーーー!」
〝バシーンッ!!〟
「キャイン(イテーーッ)!!」
下瀬口のまわし蹴りがオレの尻に命中した。何だよ一体? 何が間違っているんだ? あっそうか! 腕……じゃなかった前足の位置が悪かったのか? 手前に引き寄せて垂れ下がるように……
「そうじゃなーい!!」
〝ビシーイィィィ!!〟
「キャイーン(どうすりゃいいんだよぉおおお)!」
「そうじゃないでしょ! ちんちんは仰向けになって私に●ンチ●を見せるのよ! さぁマニ! 早くパンツ脱いで私にチ●●ン見せなさーーーーーい!」
「ワォーーーン(この【変態】めーーーっ)!!」
※※※※※※※
その後、オレは打ち切りが決まった小説『きみは飼い犬』の最終話を勝手にストーリーを変えて執筆した。
一度は令嬢のペットにされそうになった子犬役の子が豹変し、逆に令嬢を調教し飼い犬にしてしまうという内容だ。担当編集の大穴からは「ふざけてんですか?」と怒られたが、「どうせ打ち切りだから何書いたっていいだろ」と押し通した。
すると、「意外な展開だった」と読者からおおむね好評で、別の雑誌で続編の連載が決定した。
下瀬口には酷い目に遭ったが思わぬ収穫を得た。まさに
「犬も演じれば連載に当たる」…………だ。
最後まで読んだ? おーよしよしいい子いい子! じゃあ次の話も読んでね!




