【出席番号12番】霧山 心(きりやま こころ)
「お願い、先生……●んでください」
【注意※死体の描写があります】
――え? マジか??
それはH組の授業中のことだった。
この日は、課題の小説を読んで主人公の心情や、その理由などの読解力を高める授業をしていた。
課題の小説は志賀直哉の「城の崎にて」。これは電車にはねられて怪我をした主人公が療養のため但馬(現在の兵庫県)の城崎温泉に滞在し、そこで見た蜂やネズミなどの「死」に関する3つのエピソードを通じて自身の「生と死」について考える……といった内容だ。なので虫を連想させる漢字を見るのも嫌なくらい「虫嫌い」のオレとしては、できるだけ早く終わらせたい課題だ。
それにオレ自身「死」というものに対し、イマイチ現実感が薄いというのに、ましてや10代の「生」真っ盛りの彼女たちにとってほぼ興味の持てないテーマだろう。いつものようにダラダラと時間だけが過ぎていった。
そんな中……
朗読を聞いている最中、1人の生徒が涙を流していたのだ。声は出さなかったが下を向いたまま、机の上に広げたノートに涙の粒をぽたぽたと落としていた。
いやいやいや……授業を真剣に受けているのはありがたいが、さすがに感情移入しすぎだろう? それとも彼女の身に最近、何か死にまつわる不幸な出来事でもあったのだろうか?
何か思い悩むことがあっては大変だ。心配になったオレは授業が終わった後、彼女に話しかけた。
「おい霧山、オマエ今の授業で泣いてたようだったが……何かあったのか?」
彼女の名前は《霧山 心》、細身で色白な透明感のある美少女だが、同時に体が弱そうで性格が暗そうな雰囲気もある。
「あ……いえ、あの小説には少し考えさせられるものがありましt……」
やはりそうか。きっとこの子は身近に何か「死」に関する出来事があったに違いない。あまり思い悩みすぎて彼女自身が「死」という最悪の選択肢を選んではいけない。オレは彼女に言った。
「なぁ霧山、そのような話題ではあんまり一人で考え込まない方がいいぞ。もしよかったら今日の課題の復習も兼ねて先生と話し合おうか? 」
正直、オレもこのテーマで語れるほど引出しを持っていないが……こうやって課題の小説に真摯に向き合う彼女にとっては成績アップにも繋がる良い機会だ。
「あ、そう……ですか、ありがとうございまs……では、明日のお休みの日に私の家に来ていただけますでしょうk」
――え? 予想外の答えが返ってきたぞ。
霧山の家に行く……だと? いくら生徒の悩み相談(&勉強)とはいえ個人的に特定の女子生徒の家を訪問するという行為は、小中学校の家庭訪問とは違ってあまり好ましいことではないだろう。
とはいえ、場合によっては最悪の結果を招きかねない生徒の悩みだ。このまま放置するわけにもいかない。オレは校長のところに行き、事情を説明した。
すると、ある「条件」付きで許可が下りた。
※※※※※※※
翌日、オレはのし紙に包まれた箱を持って霧山の家を訪れた。箱は学園から霧山の両親に渡すように頼まれた物……要するに「お中元」だ。中身はわからないが結構重い。
霧山の父親は理科教材などの販売をしている会社の社長で、学園にも多額の寄付をしている。オレは国語科だから関係ないが、理科担当の教師たちは色々お世話になっているらしい。
「あ……先生いらっしゃぃ……どうぞおあがりになってくだs」
霧山が出迎えた。いつも制服姿しか見ていないが、私服姿の霧山は黒のパーカーと黒のパンツという夏の開放的なイメージとはおおよそ真逆の格好だ。
霧山の案内で中に通された。社長の家だが以前訪問した《扇崎 愛》の屋敷ほどではない。でも一般的な住宅に比べたら大きいのは間違いない。客間もありそうだが霧山はオレをリビングに案内した。
「どうz……お掛けになってお待ちくだs……今、お茶いれますかr」
相変わらず語尾が聞き取れない弱々しい話し方だ。霧山に促されるままリビングのソファーに座ったオレは霧山に尋ねた。
「ところで霧山……今日、親御さんはいらっしゃるのか?」
「あ……今週末は……2人で旅行に出かけておりまして不在でs」
――しまったぁあ!!ちゃんと事前にアポ取っておけばよかったぁあ!!
「じ、じゃあすまんが霧山、これをお父様に渡してほしいんだが……あと、よろしく伝えといてくれないか」
「あ、はい……わかりましt」
仕方ないのでお中元は霧山に渡した。まあどうせ学園の「おつかい」なんだからそこまで丁寧にやる義理もない。ちゃんとしたければ自分たちで渡せばよい。
※※※※※※※
「早速だが霧山……何があったんだ?」
オレは霧山が出してくれたアイスコーヒーを一口飲むと、単刀直入に聞いてみた。いくら死をテーマにした小説だからといって、授業中に涙を流すなんて普通のことではない。
「あ、え? ……何のことですk」
「いや、昨日の授業のことだよ」
「あ……あれですか……じつh」
と言うとリビングの隅から何か持ってきた。
――鳥かご? いや、違うな。
一瞬、白い鳥かごに見えたがよく見ると底は木くずで覆われていて、真ん中には水車のようなものがあり、すぐに鳥かごではないことがわかった。
「霧山、これは? 」
「あ、ハムスター……のケージでs……ついこの間まで元気だったんでs」
――そういうことか!
この子は最近、飼っていたハムスターを亡くしたんだ。「城の崎にて」も身近にいる動物の死が作中に出てくるからな……霧山も身につまされる思いだったのだろう。悲しげな表情でケージをじっと見つめながら
「あ……〈まごめ〉ちゃん……っていう名前でしt。2年も一緒にいたのに……もっと一緒にいたかっt」
まあハムスターの寿命なんて普通そんなもんだろう。虫や小動物が苦手なオレとしては、今ここに居なかったことに対して正直ほっとしているが……。
でも霧山の気持ちはわからない訳ではない。他人からしてみれば「ただのネズミだろ」と思うかもしれないが、一緒に生活を共にしてきたペットに家族と同じような情が湧くのは自然なことだ。オレも幼いころ飼っていた犬が死んだときは、ショックで3日ほど食事が喉を通らなかったことを覚えている。
「そうか……それは残念なことだったな」
目に涙を浮かべている霧山に対して、それ以上掛ける言葉がなかった。この状態で「大丈夫、ハムスターも天国で幸せに暮らしてるよ」とか「また新しく飼えばいいじゃないか」などという慰めや励ましは何の意味も持たない。
※※※※※※※
落ち着きを取り戻した霧山と、再びお茶しながら話をした。
「そういえば霧山……昨日オマエは『考えさせられるものがある』って言ってたよな? 今のオマエならあの作品について、自分なりに感じたこととかあるんじゃないのか? 」
最愛のペットがいなくなって落ち込んでいるときに、こんなことを聞くのも不謹慎な気もするが……でも「生と死」を身近に感じている今の霧山なら、この作品について自分なりの感想や考えもあるだろう。
「あ、そう……ですね。ちょっと引っ掛かるところは……ありまs」
「ほう、例えばどの部分だ? 」
オレはカバンから教科書を取り出し「城の崎にて」の掲載されているページを開いた。霧山は教科書の見開きページに指をさして
「あ、それは……ここの……蜂の死骸の件でしょうか?」
なるほど! これは主人公が滞在している部屋から見える玄関の屋根に、一匹の蜂の死骸を見つけたが、数日後に降った雨の後に姿を消した。その「死」の「静かさ」に親しみを感じたというエピソードだ。まぁオレは死骸であっても蜂なんか見たくもないが……。
「ここ……で、他の蜂たちが、死んだ蜂に対して全く興味を示さなかった……ですよね?」
おぉそうだ! 屋根の上の蜂の死に対して他の蜂が冷淡だった……ってところだな? きっと霧山は自分の大切なペットが死んでも、周りの人たちがそれほど関心を持ってくれなかったことを憂いているのかもしれない。
「何で他の蜂たちは死体の『美しさ』に気がつかなかったのでしょう?」
――は?
何か予想と違う答えが返ってきたぞ。何だよ「死体の美しさ」って? かなりぶっ飛んだ独自解釈だな?
「おっおい霧山、そっそれはどういう意味なんだ?」
「だってそうでしょう!? 死んで魂の抜けた体はあらゆる煩悩や雑念の抜けた状態、つまり純粋な肉体だけ……とても清くて美しいじゃありませんか!? そのような美しいものが間近に存在しているのに誰も関心を持たないって……何て愚かな行為なんでしょう?」
――おいおいおいおい! コイツ、かなりヤベーやつなんじゃないのか? 1歩間違えるとサイコパスになりそうな発想だよな? ってか、さっきから気になっていたんだけど蜂の死骸の話になった途端、語尾がしっかりとして饒舌な話し方になってきた。そして心なしか目も輝いてきた気もする。
「先生! 先生は死体の美しさを理解されていますか?」
「ええぇ……いや、それはだな……」
オレは返答に困った。もちろんそんなもの理解できる訳がない。だが今の霧山は興奮状態で、面と向かって「理解できない」などと言える雰囲気ではない。
「先生もお分かりいただけないのですか? ならば仕方ないです。私が先生に、死体がいかに美しいか教えてあげます。先生! 私の部屋に来てください!」
――え?
オレは霧山に腕を引っ張られた。行きたくはないが、情緒不安定な霧山をこれ以上刺激しないよう、大人しく部屋までついていった。
※※※※※※※
霧山に連れられ2階にきた。ドアには「kokoro's room」と書かれたネームプレートが掲げられている。その隣に「劇」と書かれたシールが貼ってあったのが気になった。演劇でも好きなのかな?
「あ、どうぞ先生! お入りになっt……あぁっ」
「どうした霧山?」
「あ、あの……よく考えたr……私、男の方を……部屋に入れたことがなくt」
霧山が急にモジモジしだした。さっきまで死体の話で興奮していたが、ようやく我に返り落ち着きを取り戻したようだ。
まぁオレも女子高生の部屋なんて入ったことはないが、きっと女の子らしいアイドルとかぬいぐるみがいっぱいある部屋なんだろう。
〝ガチャッ〟
「…………」
――前言撤回。
何だこの部屋は!?
部屋全体に暗幕が張り巡らされて昼間なのにほぼ真っ暗だ。霧山が部屋の照明を点けると怪しげなLEDランプが紫色に光った。しかも……部屋中に薬品の臭いがする。まるで実験室の倉庫か魔法使いの家のようだ。
「あ、男の……人に部屋見られるなんて……恥ずかしい……でs」
いやこっちは恐怖だわ。他の男性は入室禁止にするか部屋の模様替えをした方が本人の将来のためには良いだろう。
「あ……先生……先ほどの話ですけど」
あぁそうか……部屋の様子に圧倒されて、当初の目的を忘れていた。ていうかよく見ると人体模型やら顕微鏡やら三角フラスコまであるじゃないか? 完全に理科室だ……しかもメチャクチャ大きなガラス容器まである。これはたまに博物館で見かけるレベルの大きさだ。もはや冷房が必要ないくらい寒気がしてきた。
「先生に死体の美しさを知ってほしいのでこれを用意しました」
と言って霧山が持ってきたのは平べったい箱に入った……
――うげっ!
「ここっ……昆虫標本!?」
「はい、生物部の金井さんたちに作っていただいたんです。キレイでしょ?」
そう言うと再び饒舌になった霧山は一つ一つ昆虫の説明をしだした。もちろんそんな話、全くもって興味がない。オレは虫が大っ嫌いだからだ。
「……でもこれって、本当の死の美しさとは違いますよね先生?」
霧山がポツリと言った。
「いや違うといっても……何が違うんだ?」
オレがそう言った途端、待ってましたとばかりに霧山の目が輝いた。しまったぁー! うっかり話を広げてしまった。すると霧山は部屋の隅から別の箱を持ち出してきた。今度は標本のようなしっかりした箱ではなく、菓子折りに使われるような紙製の粗末な箱だった。
「これです!」
ニコッと微笑みながら霧山が箱のフタを開けた。
「うっうわぁああああああ!!」
オレは思わず絶叫してしまった。そこにはコガネムシやセミなど、おびただしい数の昆虫の死骸が詰め込まれていた。
「そっ……それは!?」
「これが〈本当の美しい死〉ですよ! あの小説にも書いてありましたよね? 足を腹の下につけて触角がだらしなく垂れ下がる……この自然な〈死に方〉こそ本来の美しい死の形です! 足を広げて生きているように見せる標本よりもずっとナチュラルビューティーです! ……あぁっ、ス・テ・キ」
――ヤバいヤバい! コイツ【変態】だ。イヤ、変態を通り越して狂っている。
「私、学校の帰り道に落ちている死体を集めるのが趣味なんです。美しい状態の死体を美しい状態のまま永遠に残しておきたいんです。ただ……困ったことに虫さんは乾燥しておけばほとんど腐らないんですが、鳥さんとかネズミさんは基本、腐ってしまいますよね? どうしたら美しいまま死体を保存できるのか悩んでたんですけど……」
「いや悩むな! そういうのはスルーしろ」
――おいおい、鳥類や哺乳類まで対象かよ!? そういう死骸って菌とかウイルスが付着している場合があるから絶対採集なんかするなよ!
「先生……ホルマリン漬けって知ってます?」
「知ってるよ! 理科室とかにある標本だろ? ……ってオマエまさか?」
するとしたり顔になった霧山が、女の子の部屋には不釣り合いなスチール製のロッカーの中からいくつか瓶を取り出した。
「ひぃいいーー!」
オレは今までの人生で恐らく一度も発したことがないであろう悲鳴を上げた。瓶の中にはホルマリン漬けにされた魚や鳥の死骸があったからだ。
「父の会社の伝手で薬品や標本瓶が手に入れられるんです。素晴らしいでしょ? これなら肉体が朽ちることなく永遠に美しいまま死体を保存できます」
うげぇっ! こんなのにまで手を出してしまっているのか? だんだん気持ち悪くなってきた。もっもう限界だ! 早く帰りたい。
「そして……これ」
と、霧山が別の場所からもうひとつ瓶を持ってきた。その中にいたのは……
うぎゃーっ! ネズミ……じゃない。毛が長く尻尾が短い。イヤな予感がしてきた……いや、予感はほぼ的中しているだろう。
「霧山……これってもしかして……?」
「はい、まごめちゃんです♪」
うわぁああああーっ! やっぱり! 霧山の飼っていたハムスターだった。
「私、まごめちゃんのことが大好きだから、まごめちゃんの死体も美しいまま永遠に残そうと思ったんです。これでまごめちゃんは永遠に私と一緒です」
――怖い怖い怖い怖いっ、コイツの頭のネジは完全にすっ飛んでいる。
「で、若彦先生……お願いがあるんですけど」
急に霧山が顔を赤らめてモジモジしだした。
「わ……たし、若彦先生のことがす……好き……なんです!」
――え? え? え? 何でこのタイミング?
「わ……私、若彦先生には永遠に今のままの美しい姿でいてほしいんです! 美しい姿のままずっとそばにいてほ……ほしいんです」
え? それって……
――まさかっ!?
オレは部屋の片隅に置かれていた異常に大きな瓶を見た。人が入れるくらい巨大な瓶だ。上の方にラベルが張り付けてあった。
オレは恐る恐るそのラベルを見た。そこには……
〈学名〉Homo sapiens
〈和名〉ヒト
・
・
・
〈個人名〉若彦先生
と、書いてあった。
「お……おい、これって……?」
オレがラベルを恐怖におののきながら見ていると背中に殺気を感じた。恐る恐る振り向くと、オレのすぐ後ろに霧山が立っていた。
霧山はなぜかパーカーのフードを被っていて、その姿はまるで「死神」のようだった。フードで目が隠れ、口元はニヤリと不敵な笑みを浮かべていた霧山が一言、
「はい、お願いですから先生……死んでください♪」
イヤだぁーー!! たったたた助けてくれーーーーーーーーーーーーーー!!
あ……最期まで読んでくれてありがとうございましt……次回に続きまs……
〈参考文献〉「小僧の神様・城の崎にて」志賀直哉・著 新潮社




