63 違和感
なぜ、こんな直前に、軍を二手に分けるという発想に至ったのか。
「2つに分けるって?軍を?でも、もともと……」
アデルは少しいぶかしんで質問を言いかけると、眉をひそめたまま、ルナティスは頷いた。アデルもさっきまでルナティスへの昂りを脇に置かざる得ない。
アデルはキースをちらりと見ると、地図を持ってこさせ、絨毯の上に広げた。
ルナティスは地図の上に、バスケットの中にあった小さい乾燥いちじくを地図上ひとつ置く。
そこは当初より予定したところ、リュークとスルタナニア真東に跨がるラトニア草原を見渡せる丘の上。
そもそも、そのラトニア草原が戦の舞台になる見通しだった。
ルナティスは次にいちじくを細かい割ってラトニア草原の北東のミルダの隣の砦に続く平原に置く。
これも、もともとだ。
ルナティスは、ミルダに襲うように見せかけて、ラトニア草原の兵に背を追わせ、挟撃するという作戦を立てていたのだ。
ミルダに向かい、背を追わせ、最終的に軍を反転させ、本軍と敵の軍を挟む役割をルナティスのピオーネ軍とライラス軍が持っていた。
「あなた、ラルーにヒルカを配置してきたんですよね。」
「そのほうが、牽制とミルダの強奪に信憑性が高まるだろう。」
「そうですね。」
「そのおかげかどうか知らないが、リズもややミルダ寄りの場所で軍を編成している。ラトニア草原でも、大分北のほうでの合戦になるかもな……。そちらのほうがルーテシアから離れていくから好都合ではあるんだけど。」
「北部よりの軍編成……」
ルナティスはつぶやく。
「どうしたの?まずいとは思わないけど。」
「まずくはないですけど……。」
ルナティスは扇を口元に充てて唸った。
「ラルー軍への対応が早すぎませんか?」
「早すぎる?」
「相手がミルダの防衛に縛られれば、ミルダの砦の兵は、ラトニア草原まではでてこない状態を作り上げたかった。同じように、ミルダを牽制するラルー軍は大事でした。リズにとってはラルーの軍をまとめる者が誰かというのは重要なはずです。」
「ベルクートからヒルカに軍の指揮官に変わったことがもれていると言いたい?」
「そうですね。この手の情報が漏れたとしても、些か
早すぎるように思います。……当初はミルダ側、東にラルーの駐屯軍がでれば、ますますミルダの軍は動けない。それを匂わすと言った意味で、ラルー軍の配置を予定してました。つまり、あちらがミルダという都市で我々を釣るのではなく、我々がミルダ囮にして本軍を叩くという作戦でした|。」
「そうだね。」
ルナティスはそこにもうひとつのいちじくを置いた。
置かれた場所はここリュークのずっと南にあるスルタナニアの関所にあたるスルタナニアの南砦だ。
アデルも眉をひそめた。
「ここ??……。大分南になるね。」
ルナティスは、地図を見ながらささやく
「情報がたくさん溢れてきてるのに……。」
ルナティスの瞳は灯りの火に照らされて、鈍く光る。
「唯一、一切情報が出なかったところがここなんです。」
扇で地図の下方のいちじくを指す。
アデルは、頭を掻いた。
ルーテシアの情報収集力はその量と質には自信はあるのだが。
当初より戦い自体は、スルタナニアに入られないよう手前のラトニア草原で防ぐという作戦だった。スルタナニアにある国境の砦の中でもその砦は、最南の関だ。スルタナニアに入られないためには、スルタナニアの北部の砦を厚くならわかる。ラトニア草原とスルタナニアの都市の北部をの砦で面しており、都市の中枢部は北部の砦よりだ。しかし彼女の指すのは南の関、仮に草原を南下し、その南の砦が陥落したとして、リズが侵入しても、目の前は湖だ。中枢部にたどり着けなくもないが、些か遠い。
ルナティスは口元に持っている扇をあてる。
アデルは下から顔を覗きこみ、上目遣いでルナティスを伺う。
「ラトニア草原から途中離脱する?南に。ここの砦は南の関所も兼ねていて、そこを越えれば湖だ。湖から中枢を制圧するなら舟か湖を大きく迂回しなくてはならない。それでもここに軍を置きたいの?」
ルナティスも眉をひそめたままだ。
「都合がいいように思うんです。我々も北部を囮にして軍全体をラトニア草原の北部に編成してます。いかにも、ミルダにを狙ってますよ……とのメッセージに、リズもまるで囮にかかるみたいに、わざとそれに呼応するみたいにミルダの先、ラルーを狙う、もしくはミルダを守るみたいに北部で編成を始めた。リズの目的はなんですか?」
ルナティスは扇を置くと、テーブルの上のゴブレットを取ろうと手を伸ばす。その手に自らの手をかぶせ、アデルは、ゴブレットを取る。
赤いワインと果実水を見比べると、迷わず果実水をルナティスのゴブレットに控えめに注いで手渡す。ルナティスは赤いワインをちらりと見るも何もいわない。アデルは自分のゴブレットには赤いワインを注いだ。
「今回のリズの侵攻の目的は、教会へのご褒美と国内の口減らしさ。」
そう言ってやや強引に、ルナティスのゴブレットに自身のゴブレットを乾杯と勝手に言って小さくぶつける。
眉をしかめ続けるルナティスを尻目に、アデルはワインに口をつけて笑う。ルナティスは果実水に口をつけるが、笑わずにつぶやいた。
「不思議な2つですね。」
「そう……蝗害で国内の穀物が大打撃だから。とくに蝗害の被害が大きかったのは、先の国王がサルーカから奪い取った直轄地だ。ここは国内有数の穀倉地帯だった。国内の他の地域に小麦を出荷させるくらいの。
そして、そんな豊かな土地を旨みを国内の諸侯達に分けなかった。だから、若い国王のこの窮地、国内貴族は静観したんだろう。この国内の民衆の不満は王家に向けといたほうが都合もいいんだろうし。そんな若い国王を助けたのは、リズの国教……、アウリスト教だね。ロゼリアのアウル侵攻に援軍をださなかったことで王家を糾弾するという愚かな……立場だったんだけど。」
そう、リズの国内のアウリスト教は愚かだった。。口にしていて、アデルも思う。豊かだった土地が蝗害となり、国内の食糧事情が覚束ないから援軍がだせないのにも関わらず、援軍ださなかったからまるで神罰があたったとリズ王家を糾弾した。そんなことしたとしても、国内の政情不安を煽り、若王を追い詰め、下手したら自分達が弾圧されてしまうだけなのに。でも、教会は変わった。結果として若王に蝗害の対処を教え、そして今回の戦いへ誘った。国王が自ら戦いを起こすことで直轄地の人間以外にもリズ国内全土からを若者を兵士として召集することが可能だ。兵士だけでない、国内の貴族から軍資金を徴収可能だ。一時的に召集した人間たちを兵士として食わすことができる。あと、クラレス南部のルーテシア地方は実り豊かな土地だ。略奪したら丁度いいだろう。そして、人は戦いでは必ず死ぬ。これほど合法的な口べらしはない。そして戦いほど国内の民衆の気持ちを無理やりに、そう無理やりに一つにしてしまうものはないのだ。
アデルはルナティスにそのことを説明すると、ルナティスが今度はアデルの顔をのぞきこむ。アデルは口元だけ笑みを形づくる。
「教会は今回の戦で若王の隣の強固な椅子を手に入れる。」
「それがご褒美になりますか?」
「ああ、国王は教会なしには立ち行かない……国王よりも強固な権力を持つだろうね。」
ルナティスはなるほどと言って頷き、またアデルを上目遣いでみた。
「アデルも何か引っ掛かっている……?」
「ルナさんから聞かれて引っ掛かったが正しいかな。戦いが始まるから些末なことだけど。」
「どんなこと?」
ルナティスの紫水晶の煌めきに、アデルは目を細めた。いつもなら口にしないことを言ってしまう、不思議なまなざし。ルナティスと話していると、それまで引っ掛からなかったことが気になってくる。
「いや、なぜ教会は糾弾する立場だったのに、若王を擁護する側に回ったのか。いきなり蝗害処理を治めるなんて違和感があるんだ。上層部が変わったからか……?」
アデルはルナティスに視線をあわせた。
「「サラン」」
二人同時に声をだす。ルナティスはアデルから視線を地図に向ける。
「サランという名は聞いたことがない。アウル神皇家のゆかりで。」
ルナティスは地図を見ながら言う。
「北部中心にこれだけ複雑に罠をはれるのは、ラルーがでてこないと踏んでいるのかなと思いました。ラルーを攻めても、ミルダほど豊かではないことを知っているよう。」
「そうだね。いい都市ではあるんだけどね。」
アデルは苦笑する。
「サランは、北部の耳に聡い人間を潜り込んでいたとして、こうも罠に嵌まるようなことしますかね。まるで何かから、目を逸らせようとしているみたいに、私は思うのです。私もそこだけ違和感があるんです。」
「だから南部に兵を割くと?」
ルナティスはアデルから視線を外す。
「根拠まで求められると、これ以上はないのです。それに言う権利なんてないのかもしれないですけど……。」
ルナティスは最後小さい声になると、ぷいっと横を向いた。横を向くときは、ちょっと決まりが悪いときだ。アデルは気にせず顔のぞきこむ。ルナティスは嫌なのか今度はアデルに背を向けてしまった。
「権利なんて、あるに決まってるじゃない。」
アデルは地図の上に転がるいちじくを見やる。
ユナイのことかな?やっぱり拗ねちゃってるな。でも、こと戦いの気になることは、言わずにいられなかったってことか。
ルナティスが指摘した違和感は大切なところだ。作戦が練れていて、皆その完遂に前向きだからこそ、予想外の出来事が起こった際に対応が難しいところだ。一度作り上げた良案をふいにして壊すことを皆嫌がる。戦略をたてる際に、その戦略とはまるっきり違う事態になった場合、つまり不足の事態というものになった際はどこまで想像でき、迅速に決断できるかというのは大切なことだ。大抵それは戦いの前にわかることはなく、戦いの最中に現場レベルで調整することがほとんどだ。
だが、俺の妻は戦い前に鼻がきく……ということか。
妻ねぇ……。
アデルは心の中で呟く。
一緒に話すと、アデルにも違和感が移るような不思議な少女だな。俺の妻は。戦について、平凡な俺もまるで鼻がきくような感覚に陥る。
不思議な少女だ。
南部の砦か。あるのは湖だけ。そう、俺とルナさんが一緒に落ちた湖だけ。
湖……。アデルはそこから先はなにも思いつかない。もう降参だ。
「南部の砦に少しだけ、兵を置こうか。ちょっと不確定な要素があるから、そうだね、俺の部下でも反応がいい者を。」
ルナティスの背中に向けて、言葉をかけると、ゆっくり彼女は振り返った。
「ほんとにいいの?」
「いいよ。」
「だいぶ、急な話ですよ。」
「そうだね。だから、ちょっとだけしか割かないよ。それに、一つ教えてほしい。南部にこだわるのは湖のせいなんですかね。俺はもう想像力が限界なんだ。」
アデルは両手をあげて降参のポーズをする。
「湖はアウリスト教では神聖なものです。まあ、私も途中までしか神事を習ってませんでしたし。ヒルカもあまり私に教えたくなかったのか。はたまた本当の中枢の直系の人たちにしか教わってないのか。覇王の石は、創世神がこの世を形づくり終え、天界に去る際に、紫水晶の瞳をもつ人々に与えたものと言われています。覇王の石は聖なる力で、湖から引き出され、与えられたという話です。まあ、神話ですから事実の確認しようはないですが。だから湖に返さなくてはならなかったのです。実際、高位の聖職者はキリルの湖で禊するくらいです。ようはですね、サランはリズのアウリスト国教会に聖地を求めたのかなと思いました。」
「聖地か。」
ルナティスはため息をついた。
「あくまで覇王の石はみたところ、兵器でしたけど。」
アデルはルナティスの額を押した。
「俺も見たでしょ。ただ、俺が見たときはルナさん水に引きずり込んで閉じ込めていた姿で、兵器には見えなかったなぁ。俺の血を吸い込むと、ただの石になったけどさ。」
ルナティスは少なからず飄々とした態度のアデルに驚く。
「あなた、私が言うのもあれですけど、もっと怖いとか気になるとかないんですか?」
アデルは地図上のいちじくをポリポリ食べだした。アデルはほんの少し、目を細めた。
「夜空の瞳には、ただの石ころって言ったのはルナさんじゃない。それに俺は幽霊もみたこともないし、聖なるなんとかって言うのも全然信じてないんだ。」
「あんな体験をしておいて?」
「そう。俺は、そういう事柄が起こってもそれありきで考えるのは好きじゃないんだ。ルナさんもそうだよ。いや……?」
アデルは言いかけて2つ目の乾燥いちじくを取ると、ルナティスの口に押し込んだ。
「俺は、ことこれに関しては、ルナさんのほうが見ないようにしていると思うよ。今は全く石に執着してないけど、あのときはやけに執着してたし。と思えば、まるであの石兵器と分かりやすい言葉に変えてうやむやにしてる。なぜ、わざわざ軍を抜けて破棄したい衝動に駆られたのかについては考えたほうがいいと思うよ。」
アデルから口に入れられたいちじくを咀嚼しながら、確かに一理あるとルナティスは思う。
「ルナさんは瞳の色がからむとなんというか、何かに捕らわれるように感じるよ。俺は石がルナさんにそうさせるのかとすら思うよ。」
「石が意思があるとでも?あなた、さっき幽霊や聖なる……と言ったものを信じないと言っていたのに。」
「信じないさ。」
アデルはルナティスにおどけるように言う。
「ただあの石は特殊な力がある。それは人の気持ちに対しても作用するんじゃないか?と考えることはあるよ。あの石は……。」
ばさり
「失礼します。」
そこにキースが幕を捲し上げ入ってくる。
その手には串に刺した羊肉と、炙られた無発酵の小麦のパンがあった。丁寧に剥かれたオレンジもある。
アデルが続きの言葉を飲み込む。覇王の石で起こったことはキースにも誰にも話していないことだからだ。
「キース、スルタナニアの南部に予備兵を置く。」
アデルは声をかけると、キースははぁとため息をつく。
「いまからですか?南部の族長を指揮官に据えますか?」
「いや、あまり目立ちたくないけど、変化にすぐ反応できる者のほうがいいかな。」
アデルがオレンジをフォークでルナティスに取り分ける。
ルナティスは取り分けられたオレンジを見つめる。キースとアデルの話は頭に入ってこなかった。
石が人の気持ちに作用する?どういう意味?
あの時だって、覇王の石の粉砕は重大な任務だった。粉砕はできないような血を使った兵器で危ないから封印した。
レイラは必ずルナティスから取り上げるから。使われてしまったら…………、レイラはロゼリア以外の国を滅ぼす。
レイラに取り上げられるくらいなら、封印したほうがいい。
「…………ルナさん?」
ルナティスは、はっとしてアデルの顔を見る。アデルは心配そうにルナティスを眺めていた。
「……すいません。ちなみに、誰を行かせる予定ですか?」
「なんかがあったらすぐ騒ぐ子が1人しかいないから。」
「誰のこと?」
ルナティスは平たいパンの載った盆を受け取りながら、アデルではなくてキースに尋ねた。キースは困ったように微笑んだ。
「カルロです。ルナティス様。」
ルナティス思わず、盆を持ったまま固まった。