62 興味がない
城壁の踊り場に天幕を張り、そこから星を見て寛いでいると、キースが真っ青な顔でやってきた。
「アデル様。」
キースの頬はよく見ると腫れている。
「その顔どうしたの?あられもないところから、リズが攻めてきたの?」
「いや、さっき、ルナティス様の部屋にこの夕べの時間を知らせに行ったら、凍りついた瞳の美女、サラに扉開けたとたんにぶん殴られましたよ……。」
「えぇ、俺達なんかした??。」
と口にだして、アデルは思わず唇なぞった。
こないだルナティスとキスしたのがばれた?いや、あれはまだセーフじゃないか?あのあとルナさん、別に普通だったけども……。
「側女を身代わりにするなんて、無神経男……とのことでしたよ。」
「はあ?側女?誰のことだ?」
アデルは眉をひそめた。側女なんて、全く覚えがない。祖父が死んでからというもの、無用なトラブルをさけるべく特定の恋人は作らなかった。
「ルナティスさまの身代わりの女をウゴリスがユナイだと……。」
アデルはユナイの名前を聞いて倒れそうになるが踏みとどまる。
「なぜ?!。身代わりの女は、ルナティスの女官のひとりにすることになっていたんではないか?」
「私もそう聞いてました。」
「ユナイは、それこそ、ウゴリスの縁続きで、フルバリ地方のチカ一族長の何番めかの息子の妻になったはずじゃないのか?」
アデルは思わずうろたえた声をだした。
キースはため息をついた。
「そうなんです。まあ、そのいろいろあって離縁されたらしく、こちらに帰ってきたそうで……、ウゴリスが女官として紹介して、通ってしまったようなんです。」
「はぁ~…………そう……。離縁って……。一族間のもめ事ではない?」
離縁自体は難しい話ではないが、ルーテシアは複数の部族で成り立っている。小さなことでも不穏な芽は摘まなくてはならない。アデルはそう冷静に考えることで、焦る気持ちを落ち着かせる。
キースはそこは問題ないと言うように首を振る。
「ユナイと夫の不和と聞いてますね。チカ一族側からユナイに慰謝料を払っているので、一族間の対立ではなさそうです。」
アデルは天幕の中で胡座をかくと、キースの頬を見る。真っ赤に腫れている。
「ウゴリスは根っからルーテシアの女だから、ルナティスに余計なことを伝えたかもしれないな。サラは未然にそれが防げなかったモヤモヤをお前にあたったのかもしれないね。」
アデルは笑いながらキースの頬をさわる。キースは冷たい目でアデルを見つめた。
「なんか、アデル……、嬉しそうですね。」
キースも思わず敬称をつけずに言う。
「え……?」
アデルも口元がゆるんでいることに気づく。
「ルナティス様に無神経だと思われるくらい意識してもらえて嬉しい……とでも思ってませんか?」
キースが探るようにアデルを見つめる。
「えぇ……!……まさか。焦ったんだよ。ほんとに。それにルナさんそれほど俺に興味ないんじゃない?」
アデルははぐらかして、後ろのクッションに向けて倒れる。
「現実、ユナイはどうしますか?」
「まあ、適任ちゃ適任なんだけど……。ルナさんに説明しないとダメだろうけど、なんか説明すればするほど、拗れてしまうような気もしないでもないな。」
「ユナイはあなたの添い伏しの女ですからね……。結婚前の……あなたの10代の頃の話をしだしたら、どんな説明も説得力がない。」
キースは当時のことを思い出すかのように、目を細めた。アデルはクッションを抱いた。
「どちらにしても、もうずいぶんと前の話だ。身代わりを引き受けたんだ。愚かなことはしないだろう。ウゴリスも今後は気をつけるんじゃないか?」
それほどお互い執着していなかったとアデルは心の中で呟く。
「確かに、ウゴリスはかなりおちこんではいましたよ。失言だと認識してましたし。ただ……ユナイは平気ですか?本当に?」
「ここ数年なにもないんだから、それに、クラレスで俺の妃になるには、一度結婚している立場だとなかなか厳しいことなどわかってるだろう。」
そんなアデルを見てキースは口元に笑みを浮かべて言った
「女の怖さを知らないね。アデル。ルーテシアでは未亡人や離婚した女でも妻のひとりにはなれるじゃないか。クラレスの中央と距離をおく君に、ユナイが何を考えたか考えると怖くないかい?」
それは臣下ではなく、年上の従兄、既婚者としての発言だ。
「さあね。そんな怖がる暇なんてないよ。」
「自分が執着しない性質だからと言って、相手が執着しないとは限らないからな。」
よくわからず、アデルは首を傾げた。キースは切れた口元を自分で手当てをしながら言うが口調は、もとに戻っていた。
「とは言え、わが母親の一族ウゴリスが失礼しました。責めは、私が負いますので。」
「いや、あまり大事にしないでくれ、どのみち明日にもここを発ち、そんなに長い間身代わりを、頼むことにはならないだろうし。」
「そうですね。奥向きの統制はゆるやかに行えばいいですからね。あなたが、ルナティス様以外召しあげないのであれば。」
「それこそ、そんな怖いことできない。今回のリズの戦いみてもわかるだろう。」
アデルはポリポリと頭をかいた。キースはぼんやりと夜空を見上げた。
「確かに、よくわからないアウル神皇国の一族がリズにいるとなったら、戦いの趣きが変わりますね。」
「うーん。俺もまだ考えまとまってないんだよね。ただの国境小競り合いで終えたい……。本当に……!」
アデルがクッションを抱えながら呻くと同時に、女官から声をかけられた。
「ルナティス様がお越しです。」
アデルは、あわてて居ずまいを正した。
ルナティスは琥珀色の髪をゆったりと後ろに編み込んでそこに白花が一輪挿して飾りつけてある。あんなに昼間外にでてピオーネ軍の鍛練に参加しているにも関わらずルナティスの肌は夜でも月に照らされるように白い。なぜなのか?と思っていたら昼は女形の甲冑と、頭からすっぽりかぶる仮面を被っている。だからであろうか。少しだけ薄化粧したのだろうか唇はザクロの実のように赤かった。
そして、その瞳はここのところ見ないような、強く鈍い光を帯びていた。
ルナティスがこういった鋭い光を瞳に帯びる。その瞳は、ひどくアデルを昂らせる。
ただ、その眉はひそめられている。
アデルははぁっと思わずため息をついた。昂りを押さえるように。
アデルはルナティスの手を恭しく取り、その手の甲に口づけた。
ー怒ってたって、綺麗だよ。本当に。月の女神だ。怒っている理由は、ユナイに嫉妬してなんだろうか。男嫌いなルナさんが、嫉妬するなんて、ちょっと可愛い。
アデルがニコニコしていると、ルナティスは冷たい声で言った。
「ずいぶん、本格的なんですね……。これ。」
ルナティスは大きな天幕を指差した。アデルは冷たい声に物怖じせず、ルナティスの手をひく。
「えぇ、中に柔らかい絨毯もひいてあるので、快適ですよ。靴脱いで入るんですよ。」
ルナティスは靴を脱ぎ、絨毯の上を歩く。天幕の中央にはテーブルが置いてあり、テーブルのまわりにはクッションが置かれている。テーブルにはバスケットが置かれていて、キースが甲斐甲斐しくそこから食べ物を出して並べている。
「大きいソファーのようですね。まさか野営の天幕もこれと同じですか?」
「まさか!これは商談だったり、天体観測を楽しむときに使うもので、戦いの野営用ではないよ。」
アデルは笑ってルナティスをテーブルの回り、自分の左横に座らせる。
「遊び用ですか……。」
ルナティスは自分の目の前に出された紅茶をみて呟いた。
「いやいや。これは戦いの終盤に持っていくこともあります。一概に遊び用とも言えないね。」
「戦いの終盤……?これが?」
「そう。これは最後の最後で効果をだすんだよ。」
ルナティスはますます眉をひそめた。
アデルはその様子を見て、そうだろうなと心でつぶやいた。そして、ルナティスの眉をほぐすように指でほぐすと、口のなかに葡萄を放り込んだ。
前線で戦うルナティスは戦いの前半部分を担当していて、戦後処理はあまり担当していない。勝利に導く経験はあっても、その後は知らない。
葡萄を噛み締めながらも、ルナティスは眉をひそめるのもやめない。
そろそろ、ユナイのことで、怒ったりするのかな。
アデルは不謹慎にもそんなことを思っていると、ルナティスは葡萄を飲み下すと、口を開いた。
「軍を2つに分けませんか?」
アデルは目を見開かざる得なかった。