6 手負いの脅迫
熱中してセルトを何戦かキースと交わしていたら、ランプに火がくべられたことを忘れていた。もうあたりは夜で、盤目が見えない。アデルとキースは五分五分の痛み分けで勝負は終わった。二人は伸びをすると、夜空を見上げた。綺麗な満月が見える。ここから半日の距離では城が焼かれているのに。
「あっ…。」
アデルは、花壇を見るとピンク色の芍薬が満開になっていた。近寄って一本手折っていると
夕飯になると部下から声をかけられた。キースが今行くと部下に告げる。
手折ったはいいが、部下しか連れてないこの館で、誰にあげればいいか考えてなかったとアデルは思った。
カルロ?カルロは花より、パンだしな・・・。
「ああ!」
カルロが戻っていないことにアデルはようやく気づいた。
「茸が取れずに、毒キノコで死んだかな。」
キースが笑いながら言う。キースとカルロは元々同じ部族出身で、カルロが年下なこともあり遠慮がない。
「剣持っていったんだよな。剣だけは強いから、大丈夫じゃないか?猪とかいたなら、むしろ獲ってきてほしいというか。」
アデルがおどけて言うと、キースが
「猪は、猪がでたって言いにきておわりな気がするな…。」
と返すので思わずアデルも頷いた。
「性格や頭の悪さはさておき、剣は本当に強いのにな…。」
キースはセルトを片し始め、アデルのテラスから室内の本棚に戻した。
「悪い…。」
片付けしてもらったことににアデルそう漏らして、テラスから室内に入ろうとする。
芍薬に鼻を近づけて香を嗅ごうとした時、湖から微かな音が聞こえた。
踵を返して、テラスにでて、湖の方向に向かう。
バシャバシャ
キッキッ
バシャッバシャ
水音と金属音がする。
「キース!!誰か!出会え!!」
アデルも芍薬を投げ捨て、剣を抜いた。
松明をあえて音のする湖畔に投げた。
「カルロっ?」
一瞬カルロが松明の光に照らされた。
カルロと誰かが戦っている。カルロが返事できないくらいの相手だ。アデルが室内の弓矢を取るとカルロが剣を交えている相手の背中を狙い思い切り弓をひいた。
ビュッ
キッ
器用に剣で、防がれる。
くそっ。次は腕…。
アデルがもう一度構えると、相手は矢を察したのか、カルロを片手の剣で押し返し、もう一方の手で何かをアデルの顔面に投げつけてきた。アデルがすれすれで交わすと、弓の弦が切れてしまった。振り返ると小さいナイフがテラスの戸に刺さっていた。
「…つぅ。」
左のほほから血がトロリと流れた。
このやろう。ふざけんな。アデルがかっとなり、キースとほぼ同時に湖のふたりに向けて飛び出したとき、
松明の近くで
カルロは相手に押し返され、湖の浅瀬に膝をつき、後ろから首もとに剣を突きつけられていた。
「動かないで。ちょっとでも動いたら、この男の子を殺すわよ。」
気の強い女の声が響いた。
アデルは強まる殺気を一瞬でもて余した。
湖畔の松明のあかりで、美しい茶色の長い髪と細身の甲冑をきた身体がうっすら照らし出された。
アデルはまじまじとその幻影に近い相手を火に近い足元から見あげていく。
革のブーツ、膝たけの括れのある女形の甲冑、左の足外側から血が滴っている。
胸元の紋章は牡丹で…。
アデルはごくりと唾を飲んだ。細い首、そして、火の元でもわかる綺麗な紫の瞳。
先日アデルが望遠鏡で覗いた少女だ。
「なんで…。」
アデルは素直にその感想を口にした。キースは怪訝そうにアデルを見る。
なんで、こんなところにこの人がいるんだ。
少女は肩で息をしている。だが、強い紫の瞳でじっとアデルを見つめた。アデルは自分の顔が熱を帯びるのを感じた。
「この男の子、ロゼリアの腕章をしていた…。なのに、なんで、私に斬りかかるのよ…。」
少女は、きっと美しい瞳で、カルロのつけているロゼリアの双頭の鷲と月桂樹の腕章をにらみつける。そのあと、アデルを見上げると、大きく息をはいて、説得するようにいった。
「いい、あなたたちは私を見たこともないのかもしれないけど、このまま見逃しなさい。この胸元の甲冑みればわかるでしょう…。わたしは、任務としてやることがあるのよ。」
アデルに少女は胸元の違い枝の牡丹がを見るように強調した。
よく見ると、左脇腹から、血が滲んでいる。その血が左足に滴っていたのか。
結構な量ですよ・・・とアデルぼんやりと思った。
「あの…。その者があなたに何かしたのならお詫びします。ただ、私たちはロゼリア王国の戦神から腕章いただいていた道具屋です。そちらの行動如に、関与する気はありません。だから、私の部下を離してくれませんか?この下賜された腕章を信じて。」
このとおり。とアデルは壊れた弓矢と剣を湖畔に下ろした。キースもアデルを見ながら困惑の表情を浮かばせた。
「キース。下ろして。この人には俺もおまえも敵わないよ。」
アデルはキースにも武器を捨てるように伝えた。
「道具屋…。」
少女は眉をひそめた。知らなくても無理はない。
「あなたがわたしたちを見たことがないのかもしれませんが、わたしたちは、あなた方に弓を届けさせていただいております。戦神の言いつけで。」
アデルはカルロの腕章を見やって言った。少女は自分の言った言葉を繰り返され、一瞬、気まずそうにする。
「私の部下を離してくださいますか?」
アデルは紫の瞳をじっと見て問う。信じてもらうしかないのだ。
吸い込まれそうな紫の瞳は、カルロを一瞥すると剣をしまった。アデルも安堵のため息を漏らす。
カルロは思わず、振り返って湖につかりながらへたりこんで、少女を見上げた。
アデルは躊躇わず、ザブザブと足を湖につけ二人に近寄る。
近寄ると少女の顔がよく見える。満月の下に照らされてよく見れば見るほど美しい。月の女神のように美しく、息をのむ。
「カルロ」
アデルはカルロに手を差しのべ、起こす。
「なんなの。この女。なんでこんなとこに…。」
「カルロ、うるさいよ。キース。」
カルロをキースに渡すと、アデルは松明をキースから受け取りもう一度少女を見た。
少女は甲冑を着て、弓を背負い抜刀していたが、首もとや腕からも出血していた。よく見ると脇腹からの出血は思いの外多い。
顔も少し貧血気味なのか青ざめていた。
脇腹の出血の血は真新しくカルロの戦いのときであろうか。痛いであろうに、アデルを見つめる眼差しは手負いの山猫みたいに気高かった。
「もういいでしょ…。この子が私の進路を妨害したのよ。しつこく背を討ってくるから…討っただけよ。もうこのまま見逃しなさい。急いでいるの。」
そこまで言うと、少女は息をついた。呼吸は大きく、痛みをこらえているのが見て取れた。
このままこの人が死んだら、ちょっとした国際問題になりそうだな・・・。アデルは嫌な予感がした。
「見逃すのはやぶさかではないんですし、どこに向かうかも私が預かることでもないですが、せめてケガの手当てをしてからにしませんか?」
アデルは恐る恐る少女に右手を差しのべた。少女は驚いた顔をして、首を横にふり後ずさった。
「わたしのことは気にしないで。」
「ダメです。死にますよ。その脇腹の傷を、もしつけたのが私の部下ならなおのことです。」
少女は青ざめて、また首を振ろうとしたところ、がくっと膝をついた。ざぶっという水音がする。
アデルは無理やり手を掴んで抱き寄せ、倒れこむの防いだ。甲冑がカチャカチャと音をたてた
「あ。頬…」
目を閉じそうになるのを堪えながら少女はアデルの頬の血を触った。
「ごめんなさい。でも私のことはかまわないで。」
「大丈夫。腕章を見たでしょう。私を信用しなくていいから、ロゼリアの腕章を信用してくだ…。」
アデルが宥めるのを待てずに少女は紫の瞳をゆっくり閉じた。アデルは少女を抱き抱えるとパンパンと頬を叩き、脈を取った。
「ん…。」
小さいうめき声に気を失ったのだとわかり、ほっとするとざぶざぶと湖から上がった。
「キース、タオルとシーツ、薬草とか全部持ってこい。カルロ、脇腹以外にどこを斬ったかわかるか?」
キースはカルロを引きずる手をばっと放すと走って館に走っていく。
「主、ひどい。僕のほうがよっぽどの被害です。この女の脇腹だって、主にナイフ投げる一瞬の隙にちょっとかすっただけです!!」
カルロが騒ぐのを無視して、アデルは館の光の下で少女の顔をもう一回眺めた。
長い睫毛が影を落とすが、全体的に青白く、疲労の色が濃い。抱き抱えている身体もしなやかで、筋肉がついている。ただ全体的に細身だから、スタミナはないのかもしれない。
テラスから便宜上アデルの寝室に運び込む。
キースがたくさんのタオル等を持って戻ってきた。
「主、この人は一体・・・。」
アデルはキースの声に答えず、まずソファーに少女を横たえ、濡れた革のブーツと甲冑を外してタオルで拭いていく。
白い引き締まった足が露わになると思わず、一瞬目を閉じ、自身を落ち着かせてからタオルで水をすいとり、
「この館、女物の衣類はあるか?」とキースに問う。
「いや、ないのでチュニック持ってきました。カルロ、おまえは外で自分の傷の手当てしろ。」
「えぇ!!ひどい。本当にひどいです。」
騒ぐカルロほ無視して、ふたりは淡々と作業していく。甲冑下に少女がらきていた白いワンピース状の物をわき腹までたくしあげ傷を確認する。
元々カルロの前に小さな刀で刺されたところをカルロがかすってしまったようだ。
「かわいそうに…。」
アデルは自然と口にだしていた。
「傷は深くないので、臓器にはふれてませんが、縫いますか。」
キースの提案に。アデルは頷いた。キースが縫う準備をしに別部屋に行っている間に、他に傷がないか確認する。首元と腕、そして脇腹以外は主だった傷はない。それ以外の箇所はあまりに艶かしくて直視しないよう気をつけながら、チュニックを着せた。脇腹と腕の傷のところだけ治療しやすいようチュニックをあえてくりぬくように切って、再び抱き抱えベッドに寝せる。
首元にはヒモで片手ほどの巾着がかけられていた。首飾りにしては場違いなものに、アデルはゆっくりと傷にさわらないようにそれを外す。巾着を掴むと、硬い感触がする。
-中は見ないほうがいい。
嫌な予感がする・・・。触らぬ神には祟りなしだとアデルは巾着をチェストの中にしまった。キースが部屋にもどると、すぐさま縫合に取りかかった。
「気を失ってくれているのが幸いです。」
キースは手際よく縫い進める。万が一動いてはいけないので、アデルが、少女を固定する。少女の肌は冷たいが、押さえるアデルの体温がどんどん上がるような気持ちになる。
「主、これは誰です。あなたがあんなに必死に女の人を説得するのは初めて見ました。こんなに綺麗な人なら確かにわからないでもないですが。」
キースは傷だけみて、アデルに一瞥もくれずに言った。
「手元狂うといけないから、終わったらな。」
アデルは少女の手を自身の手で押さえながら呟いた。
キースに少女の正体を言いたくないな…とふと思った。
「跡残るか?」
「どうでしょう。誉めたくないけど、カルロの切り口は綺麗ですね。その前のも非力な人がつけたのか…。跡あまり残したくないから縫っているという感じですね。」
それから30分ほどで縫い終わり、アデルはキースが運びこんだ簡易ベッドで、キースはソファーで就寝することとなった。
別の部屋に行ってもよかったが少女は闖入者でもある。見張りも含め、2人で同室することにした。
少女は、痛みどめの薬を飲まされ、静かな寝息をたてている。
アデルは簡易ベッドに横になりながら、少女をみながら、少女をはさんで横になるキースに言った。
「キリル平野でのバルトの上司だよ。あの、夜襲の。」と少女のことを明かした。
「こんなかわいい子が作戦たてたと思うと世も末…。」キースは悲しげに言い、
「主、バルト様に明日連絡とりますか?」
とアデルに問う。
「いや。ちょっと回復して本人に聞いたほうがいいかな。さっき、見逃してと言っただろう。」
アデルは、瞼を閉じながら
「厄介な事に巻き込まれたかもしれないな。」と囁いた。
「カルロもどうしてこの人を妨害したんですかね。」キースはめんどうくさそうに言った。
「キノコ獲ってたら、館の近くに不審な甲冑の兵士がいたから、誰だとか騒いだんじゃないのか?どうせ。」
アデルはおおよそ合っているであろう仮説を口にする。
「だいたい、バルトにこちらから言わなくても、ロゼリア軍からこっそり離脱したのであれば遅かれ早かれ、向こうから来るだろう。」
アデルは、そのあとの言葉を飲み込む。
-問題はその時に、匿うのか、引き渡すのか…だ。