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戦神の娘  作者: 高宮 まどか
第二章
52/66

52 ラルーの夜

アデルは砦の屋上で、木製カウチに腰掛けながら温かい紅茶を飲んでいた。

カウチの隣で焚き火をしているため、パチパチという小さな炎の音がする。焚き火の上には鍋をかけてある。その横にはやかんをかけて簡易な茶をいれたと言うわけだ。


砦の屋上はアデルのお気に入りの場所だ。


ラルーは初夏だが、メセタと比べられないくらい夜は冷え込む。


見上げると満天の星空が輝いている。ラルーは晴天率が高く、乾燥した土地で、星がよく見える。


母のアイシャを悩ませた土地であるが、アデルはここを訪れるのは嫌いでなかった。

アイシャは、王都では暮らしていなかった。基本メセタの城におり、定期的にラルーを訪れる生活していた。


アデルは吹きっさらしの荒野が、何もなく雄大だとすら感じていた。


この荒野の先にはリズとの国境がある。アデルは目を細めて地平線を眺めていた。


「こちらでしたか。」

ヒルカがランプを持って立っていた。アデルは振り向き微笑んだ。

微笑みを承諾ととり、ヒルカはアデルの向かいのカウチに座る。ヒルカはゴブレットにワイン注ぎ、アデルに差し出した。


「砦はあなたが来たので、特別公休で皆、町に繰り出しているみたいですね。」

アデルはゴブレットを受け取り、口をつける。

ラルーには砦の壁の中に街がる。兵士のための街と言ってもいい。そこは軍のお膝元で栄えた街だ。休みの日に軍人が街にくりだせて楽しめるようなつくりの街だ。そんな街はもちろん、牧歌的とは程遠い。

「娼館にでも行っているんじゃないかな。娼婦でなくても、食堂の女の子もわかりきったもので、ここに逗留している間の割りきった恋人になってくれます。ラルーは黒髪で、可愛い娘が多い。」

アデルは笑ってヒルカに告げる。ヒルカは困ったような顔をする。アデルは声をあげて笑った。

「私の母がそのように、ここを作ったのです。兵士達も楽しみが必要だからと。」

アデルはヒルカの瞳を覗き込む。

「変わった人です。娼館を…、娼婦を置くことを推進する妃です。母は、比較的にこういった…庶民の街をつくるのが好きな人でした。まあ、本人も庶民でしたからね。」

「私、あなたの母上にお会いしたことがあります。いつぞや、どっさりセイラ様にお菓子をくださったことを覚えてますよ。」

ヒルカは苦笑した。アデルは意外というように頬杖をつき

「よく、神殿にちかづきましたね。あの人神様が嫌いだったのに。」

「そうでしたか。まあ、その時もそんなこと言ってましたね。セイラ様、怒ってました。」

ヒルカは堪えきれずくっくっと笑った。

「母はルナティスの母上と会ったことはあるのですね?」

アデルは驚いてヒルカを見つめた。

「あくまで商人としてですがね。まさかカイル・レイラスの娘だなんて思わなかったですよ。本人も私は商人のアイシャだとしか名乗りませんでしたからね。もし知っていたらもっと警戒しましたよ。」

ヒルカは悲しく笑った。アデルはゴブレットのワインではなく、少し冷めた茶に口つけ呟く。

「そもそも、道具屋はアウルの聖職者とは取引しないんです。アウルはそれでなくても、商人には些か分が悪い。」

ヒルカはワインを口に含んだ。そして、すこしの沈黙の後、口を開く。

「…特に武器を売る商人を蔑視する教えですからね。ではアイシャが…、母上がセイラ様と会ったのはとても稀有なことなんですね。」

「そうなりますね。」

二人はしばし、黙って夜空を眺めた。兵士達の酒もりではしゃぐ声が屋上まで響く。


アデルはちらりとヒルカを見た。何か話がしたくてきたのであろうとは推測していたが…。何を話したいのだろうか。まさか、母の昔話したくてきたわけではなかろうに。心のなかで考えていると思いもよらないことを言われた。


「殿下は行かないのですか?娼館というか、町には。」


アデルはワインを口から吐き出しそうだった。

片膝を立て、面倒くさそうにヒルカは見て、答える。

「私、妻帯者ですよ。それも新婚です。」

ヒルカはくくと笑った。

「案外、義理がたいんですね。妻帯者も行ってますし。以前は行かれていたんでしょう?」

「否定はしませんけど。今は…そんな気になれませんね。」

ヒルカは今度は大きな声で笑った。

「あなたは存外義理がたい。私はルナティスに告げ口しませんよ。」

アデルは仕方ないと言うように、ため息をつきながら、ヒルカを見る。

「そんな高尚なものではありません。あなたに気を使ってるわけでもありません。」

ヒルカはアデルを観察するように見て続けた。

「ルナティスは、そういう気分にさせませんか?」

「な…。」

ヒルカの言葉にアデルは絶句する。気まずさを少し覚えながらも、茶をまたすすり、息をもらして、ヒルカを見返す。

「はっきりと伺っておきますが、あなたは、戦神さまの息のかかった方だ。私からすると戦神さまの真意がいまだ知れないにも関わらず、ルナティスをどう、遇するかあれこれ言われたくないですよ。」

ヒルカはワインをごくりと飲んで、首を傾げる。

「真意、ですか。」

「えぇ。」

「あなた、ルナティスに好意を持っていると思っていましたが。」

アデルは悲しげに星空を見上げた。

「好意…。そうですね。ルナティスだなんて、知らないで、あのまま黙って、クラレスに拐えばよかった。あなたのところなんて訪ねなければよかったと何度も思います。」

アデルは立ち上がり、鍋を木さじでかき混ぜる。


「戦神さまから、ルナティスをどうすべきかは連絡はきていません。あなたは、ルナティスをどのようにしろと指示をうけてきたのですか?」


アデルは、木の器にスープをよそい、ヒルカは差し出す。ヒルカは無言で受けとる。

「何も受けてはいませんよ。王子。私の主は戦神ではなく、今も昔もセイラさまです。私は、ルナティスを守るためだけの人間です。」

「私にも仕えていないということですね。」

アデルは苦笑して自らの器にスープを注ぐ。

「大丈夫です。」

アデルはスープを飲みながら告げる。

「私もあなたを心づよくは思いこそすれ、心の中まで強制しませんから。」

「だから、私にベルクートのことを教えていただけませんでしたか?」

アデルは首を振った。確かにベルクートの罷免からあとの任についてはヒルカに相談していなかった。

「お互いさまです。ベルクートとルナティスが婚約関係にあったことや友人関係にあったことをあなたも私に教えなかった。」


ヒルカはため息をついた。

「確かに。そうですね。」

「不満ですか?ルナティスにベルクートを近づけることが。」

「えぇ。ベルクートを罷免していただいて、リズの戦いの前線にでもつけてもらおうと思っていましたのに。あてが外れました。」

アデルはスープに口をつけて、疑念として持っていたことをぶつける。

「ヒルカ殿は、ベルクートがお嫌いか。」

「はい。あれの一族はルナティスのことをアウルで虐げましたからね。」

「ベルクートはしてないでしょうに。」

「手は下しませんが、差しのべはしませんでしたから。自分たちの整った世界を盲信する人間が嫌いです…。とは言え、罷免していただきたかったのは、そんな男がラルーの軍をまとめあげ、育てたことが意外だったのです。アウルの男ではなく、ルーテシアの軍の一人として、きちんと生きる覚悟を持たせるために、ラルーからだしてはいただきたかった。ただ…、ルナティスの近くとは思わなかったです。」

ヒルカはスープに口をつける。乾燥したキノコのスープだ。口にしたことのない味にヒルカは、一瞬眉をひそめた。

口の中に少し発酵を感じさせるかおりが広がる。


アデルは、ヒルカを見て、笑った。


「のんだことないでしょう。豆を発酵させたもので味付けしてます。」


ヒルカは思わずははっと笑い声をあげた。

「初めて飲みました。王子。」

「嫌いですか?」

アデルは笑いをこらえるように問う。

「いやはや、癖になるね。」

「戦の携帯食にぴったりでしょ。ルーテシアの南は雨が多く降るんです。タキアという地帯ですが、稲作をしていて、食文化がアウルと違うんです。おもしろいでしょう。」

そう言って、アデルもスープを飲む。


ヒルカは、王子を眺めた。不思議な王子だ。話していると和やかな気分にさせられる。


この不遇な王子について、アウル時代はヒルカがわからないことが多い。無価値の王子として公式の行事に招かれることが少なかったこともあるし、クラレス王家の象徴の金色の瞳と髪を持たない王子は国教のクラレス教の中では嫡流ではないと半ば認定されている。物見もクラレスに関しては、アウルと接している西側に重きを置いていない王子をあまり重要視してこなかった。

青の狼と呼ばれ、防衛戦を二度繰り広げ、クラレスの東側を守っている男。ヒルカはリズを追い払ったものも王子の力ではなく、その後見のレイラ・ライラスの金と王子を支える武将の力と思っていたが。


この王子が、当代の道具屋だったとは思いもよらなかった。湖の神殿に居合わせたことにも、ルナティスがこの男を連れ出したことにもヒルカは少なからず驚いた。

ー道具屋…。

キリルに館を持っているのは知っていた。ごくたまにそこに若い商人の集団が遊びに来ていると聞いたときは、なぜこんなところにと思ったものだ。

国には属さない道具屋についてはルーテシアに武器を製造する隠し里があるとの噂はあった。


道具屋をヒルカは使ってこなかった。

国を相手にする、死の商人の道具屋は客を選ぶことで有名だ。客を選び、武器だけでなく様々なものを融通する。

ただ、道具屋は客を選ぶ。接触するだけでも、大変なのだ。


アウル神皇国は武器は自国のものを使用し、他国のものを輸入することは極力ない。戦い関連は別の商人を使っていたし、接触してまで道具屋にこだわる気持ちもなかった。

だから、カイル・レイラスの一族とは思わなかったのだ。どうりで、ロゼリアは道具屋をよく使うはずだ。カイル・レイラスと戦神は古い友人だ。


ルナティスの夫になぜ、戦神はこの王子を据えたのだろうか。ルナティスを助けたとは言え、戦神の娘をくれてやるほどの男なのか。


「あれは優しい男だから。安心せよ。ヒルカ。」

戦神の笑って言った言葉の続きを思い出す。

「儂やおまえと違った世界の住人なんだ。」

どう世界が違うのかいまだわからないとヒルカは肩をこきこき鳴らしながら、慣れない味のスープに口をつける。

飄々としていて、世渡りがうまくて、決断力がある。軍人として極める気はないようだし、もちろん王位を望んでいるかもわからない。人あたりがいいのに、途中まで踏み込むとまったく心が見えなくなる。


「ここにくるまでに、ラトナでロゼリアのレイラ王太子殿下とお会いしました。」

アデルは木さじをくるくるまわして、キノコが揺れる様を見ている。

「ヒルカ殿は、ルナティスのアウルでの父親がわりだったとうっすら聞いてます。何も知らない私が言えたことないですけど。贔屓めにみて、私よりレイラ王子のほうがルナティスにはふさわしかったのではないですか?」

アデルは笑い声で言う。ヒルカはなんと返していいかわからず、思わず押し黙った。


「私は、ルナティスに不確かなものをあげたくない。」


アデルは吐露するように言う。


「だから、ベルクートを側近にするのですか。」

「えぇ。隠し通せませんしね。」

「ルナティスは傷つきませんか。」

アデルは目線を落としながら冷たい声をだす。

「みんなして、ルナティスにアウル戦の罪を背を負わせすぎです。ルナティスにやらせたくせに。卑怯ですよ。傷はいつまでも開きっぱなしにして、時の薬をまっても、ルナティスは老婆になってしまう。それまでルナティスが何度夢でうなされればいいんですか。」

ヒルカはまたスープに口をつける。


「まあ、ヒルカ殿にいってもしょうがないです。男親はルナティスと添い寝しませんから。」


ヒルカが目を見開いた。

「いまなんと。」

「え?男親はルナティスと添い寝しないと。してたんですか?ロゼリアで…それはちょっと父親として異常ですよ。」

「いや、私は、ルナティスの父…。」

「父親でしょう。」

アデルは強い口調で言う。ヒルカはアデルをじっと見る。

「違いますよ。」

ヒルカははっきりとした口調で言う。

「そうですか。」

「なぜ、そう思われました。」

「勘ですよ。外れでしたか。なんであれ、父親の一人には違いない。わが妻はアウルであなたに育てられ、ロゼリアで戦神に育てられた。父親じゃないと言うのは、不義理だ。」

アデルは手を差しのべる。ヒルカは木の椀を差し出す。アデルは椀にスープを注ぎながら続ける。


「あなたがた軍人は育て方が些か乱暴です。おふたりの育て方を否定したくはないです。実際ルナティスは優秀な軍人であり、優秀な王族だ。ただ…ルナティスは安心することを知りません。」


アデルは微笑んでヒルカに笑いかけて、椀を渡す。ヒルカは椀を受け取りながら、言い返す言葉を失った。


「ルナティスはよくも悪くも公の人にあなたがたは育てたのです。何を成し遂げさせようとしていたんですか?」

アデルの瞳をヒルカはじっと見つめる。ヒルカはここで初めて理解した。この青年は怒っていたのか…。ヒルカは静かに告げる。

「それは…。あのこが生きていく上で、あのこの運命に必要なことだったのです。あのこが産まれたとき、セイラ様は決められたのだ。普通の姫にはさせないと。」

「ルナティスは、成果をださないと生きていけないと叩きこまれている。だから…。」


アデルは自分の手元に目を向ける。


「私に愛されようとする。愛してもないのに。信頼を得ようとする。自らは私を信頼していないのに。」

ヒルカが喉がひゅっとなった。アデルははぁっと息をはく。

「そんなルナティスに、愛してると薄っぺらい言葉をはいて、抱いてもしょうがないでしょう。私にできることは、慣れてもらって安心させてあげることくらいです。私に何もかも捧げなくても私はきちんと安心させます。だからあんまり心配しないでください。」

ヒルカはアデルをじっと見る。

「王子。あなたはそれで何を得るんだ。」


「何も得ません。現状もしロゼリアがルナティスと私の離縁を申し出た場合、ルナティスは帰国するだけ。」

「なぜ、そこまでするのです。」

アデルは呆れたとばかりに大きな口を開けた。

「あなたがたのそういう反応、私は理解に苦しみます。私達の、ルーテシアの一族は一族の者に深い愛情をかけます。だから、その…。ルナティスは私の妻です。あの人に愛情を注ぐことは、夫の務めです。」


アデルはうぅーと伸びをした。

「とは言え、ヒルカ殿にはご心配をおかけしてたことになりますね。申し訳ない。ただ、私達のことは心配しなくても、私はルナティスを傷つけません。というか、傷がいっぱいありすぎて、私が傷つける余地、ありません。さて、当面の間はリズの頭をたたいて、ほら穴に帰ってもらうことに集中したいですね。」

「負けることがないと言った口振りですな。王子。これから王都で交渉も控えているにも関わらず。」

ヒルカは笑って言う。

「負け戦にはでない主義ですし、戦が始まる前の下準備はほぼ終わりましたからね。」

「下準備?」

ヒルカが問うとアデルはにっこりと笑った。そして一通の紙をヒルカにて渡した。


ヒルカはその紙に書かれた内容に息をのんだ。

アデルはふふと笑った。


「これも、戦い方のひとつです。表の戦いとは違うかもしれませんけど。」





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