46 アデルの伝言
リュカは歩兵隊が目の前の敵を全て退場にさせると、予備の騎馬隊を連れて、一気に丘を駆け降りた。駆け降りる一瞬だけ矢の雨が止む。
ちらりと後ろを振り返るとまだ旗は無事で、ライラスの兵士はまだ吹っ飛ばされ続けている。右翼は大混乱だ。
そのため、リュカの左翼やリュカ達別動隊を誰も追わない。リュカはこれからライラスと一騎討ちの可能性を考えると、幾分重い気分になるが、とりあえず、馬に鞭をいれる。
やりあわなくても、旗を奪えばいいのだとにかく。急がなくては。
「軍で、副司令が妃だと公言できないから、ちょうどよい距離をとってくれない?」
祭りの夜にアデルから言われたことをリュカ思い出された。
祭りから帰ってきたあと、湯浴みから上がったアデルは、その日離宮に泊まり込んでいたライラスとリュカを呼びつけて言った。
アデルはライラスに白いワインを注ぐが、自身はレモン水をのんでいる。リュカも同じものを飲んだ。
ライラスは眉をひそめた。
「ちょうどよい距離?」
アデルは髪の毛をタオルで自分で吹きながら頷く。
「俺、明日からいないから。ライラスはルナティスのやる予定の囮を志願してくれたじゃない?」
「そうですね。この間騎馬戦で負けましたけど、さすがにあの囮は一番つらいところなので、お姫様にはやらせたら、私の矜持に反しますよ。」
ライラスは頬をぽりぽりとかいた。アデルはレモン水を一口飲んで言う。
「ずいぶん、優しい矜持だねぇ…。」
「なんですか。殿下?」
「いやさ、ヒルカ殿がどうしてルナティスの騎馬戦の相手役をおまえにしたか、自分でわからない?」
アデルはライラスを見つめ、問う。ライラスは不満そうに言う。
「わからないですね。」
ライラスは軽口をたたくように言う。ライラスは少し無礼がすぎるとリュカはそれを見て思う。ライラスはクラレスの下級貴族の息子だが、その強さからアデルに請われて、アデルの軍の副官になった男だ。アデルに対しても、一つ年上のせいかたまに気さくすぎるきらいがある。リュカのこともキース2号とかお坊ちゃんとか変なあだ名をつける。
ライラスは眉をひそめた。
アデルはおもしろそうにライラスを見ている。リュカはライラスが負けた騎馬戦を見ていた。妖精みたいな女の子は馬を多彩に操ったが、いささか品がないような無骨なやり方でライラスを落馬させた。
ーあの女の子。蹴りをいれてた。もっと綺麗な戦い方あっただろうに。野蛮だね。
リュカはレモン水を飲む。ライラスもため息まじりで言った。
「あの人見た目が妖精みたいですけど、中身は違うでしょう?女の子は従順が一番。好みじゃないんで大丈夫ですよ。」
アデルはレモン水をぐっとあおり、うんうん、と頷く。
「おまえ、女の子にすぐ手を出すから、それくらいでルナティスを認識しててくれれば助かるよ。無理には仲良くしなくていいから。むしろ、ルナティスが気を使わなくていいくらい…、憎まれ口たたけるくらいの距離でいてくれない?」
「なんですか?それ。」
「絶対に手をだすなって言ってるの。またそうゆう雰囲気をひとかけらも軍に…、兵士に抱かせるな。いいな。」
ライラスはそこまで聞くと、ようやく頷く。
「だしませんって。わかりました。けど、あの容姿です。近くで守ってるものは絆されないように気をつけてないと。」
ライラスが言いかけるとアデルが被せて言う。
「だから、お前は同じ担当だから絆されないようにして、なおかつ、おまえが近くで守れって言ってる。明日から俺はいないし、そうでなくても、俺はおまえと違ってずっと軍にはいないから。」
「絆されないですよ。」
アデルはライラスの緑の瞳を見て笑った。
「どうだか。だが、ライラスを信じて、まかすよ。」
その様子をみて、リュカは退屈そうに眺めているとアデルがリュカに笑って言った。
「おまえは今回の隊長だが、今後もルナティスの直属の部下としていてもらう。お前は年若いが優秀だ。ルナティスは取っつきづらいところがだいぶあるけど、過去の戦歴からみて、おまえが学ぶことも多い。同い年だから、感覚があうこともあるだろう。ただし、絆されるなよ。」
「はあ。殿下の奥方に手をだすほど命知らずではないですよ。」
リュカは生返事をする。アデルはその様子にため息をついた。
「こんなこと言ってて、意味がわからないってふたりが思うだろうが」
アデルはレモン水を飲み干すと、ワインをそのグラスに注いで口をつけた。
「ルナティスは、ロゼリアでは仮面を被らないといけなかった。あれは美しいから、側近が皆、恋情を抱いて、浮わついてしょうがなかったらしい。」
「まあ、わからないでもないですね。あんな姫がいきなり来たら、しかも独身だったら色めきたちますよ。」
ライラスは頷く。
「だから、軍部内部できちんと盾になってくれ。ただでさえ、それ以外からも守るので、いささか俺も手一杯なんだ。」
リュカは困ったような顔をするアデルの顔を眺めた。
ー杞憂だよ。美人だからってみんな絆されるわけないじゃないか。僕どっちかと言えば年上が好みだし。それに戦歴だって怪しいもんだよ。
リュカは内心話半分で聞いていた。
リュカはルナティスを近くで見たことがなかった。こないだの騎馬戦は遠くからだったのだ。
要はきちんと妃殿下の直属の部下として淡々と守ればいいんだろ。ちらりとリュカはライラスを見た。ライラスだって、こないだこてんぱんにされた相手にそんな気起きないだろう。
そう思って見ていると、意外にもライラスは優しく微笑み言った。
「殿下…。あなたがそんなこと口にするというか、女にそれなりに執着するんですね…。わかりました。私は確かに女の子にはもてますし、おとせなかった女はいません。」
そこまで言うと、アデルのグラスに並々とワインを注いだ。アデルはそれを眉を潜めて見る。
「大丈夫です。きちんとからかって、嫌われます。もちろん守りますし、お飾りにもしないよう、戦友として敬意を払うようにします。安心してお出かけください。」
アデルは満足したように頷く。ライラスはがしっと、リュカを掴んだ。
「おまえは大丈夫か?坊っちゃん。きちんと外で発散してこいよ。いいな。」
「失礼ですよ。ライラスさん。」
「ほんとかよ。けっこう発散しないと困るぞ。妃殿下は。」
「どう困るんです。」
「いや、夫を前にしては言えないですよ。ね?殿下」
アデルはクッションをライラスにぶつけた。
ライラスが冗談ですよと笑い、つられてリュカも笑った。それを見て、アデルも安心したように笑った。
「俺はほんとに凡庸だけど、部下に恵まれて嬉しいよ。」
リュカの目から見ても、アデルは比較的おおらかで寛大な王子だ。兄のキースやライラスは年齢が上のこともあり、友人みたいなつきあい方だが、5つも年上なので、リュカに取ったら従兄弟というより、優しい上司でしかない。
アデルは、そのあと二人と少し歓談すると、就寝することにしたらしく、侍女にワインなどを片すように頼んでいた。そして、ちらりと中庭を灯す光を眺めた。この部屋以外に中庭に光をおとす部屋はひとつしかない。妃殿下の部屋だ。
「全くあの人は、夜更かしなんだから…。」
アデルは小さい声で呟いていたのをリュカは聞いていた。
はっと我に返り、リュカは馬に乗りながらもう一度後ろを見ると、ルナティスのいる右翼の歩兵隊が先ほどより前にでて戦っている。
先ほどのようにふっとばされる兵士は見ないが、士気が上がっているのか旗の回りはの兵士の層は厚い。
リュカはルナティスに耳打ちされた耳を撫でた。
リュカ達の約100騎の別動隊を、ライラス軍の兵士達が見逃すはずもなく、ピオーネ軍本陣に向かうのをやめて旋回して追うものも出始めた。
旋回して背を向けたものに、ピオーネ右翼側から容赦なく弓矢が放たれた。
リュカはその徹底ぶりに呆れた声をあげた。
「どこが夜更かしで、寝不足なんだよ。お姫様はっ!」
敵じゃなくて本当によかった。守るなんて、盾なんて必要ないんじゃないの?
リュカはそう心で呟いて、部下と馬でライラスの本陣に、そのままつっこんだ。
突っ込んだ先は地獄だった。
「まさか、お坊ちゃんが奇襲でくるとはな!」
ライラスが嬉々とした声で、木製の槍を下ろしてきた。リュカはその槍を馬から降りながら、木刀でそのまま受ける。
くそっ、槍が重い。
ルナティスの作ってくれた道は正しかった。きちんとライラスの本陣の裏手にでた。でたが、そこはライラスの真ん前だ。
問題はここからだ。組み合いたくもないのに、ライラスがでてきてしまった。ライラスの側近も皆強いので、奇襲隊の100騎もどんどんその槍で塗料の袋をつかれていく。
リュカはリーチの長い槍を避ける展開が続く。どうにか懐に入りたい。
目の前にライラスの旗があるのに遠い。
「どっちも、本陣の旗近くまで敵が押し寄せるなんて、なかなかしびれる展開を作り出すね。お姫様は。」
ライラスは向かいあうピオーネ軍をちらりと見ながら、槍でリュカをぶっ飛ばし、言った。
リュカは肩で息をした。あわてて塗料の袋を確認した。まだ、破れてない…。
しかし、ライラスに勝たなければ、旗が抜けない。
ピオーネ軍を横目で見ると、どんどん右翼が前にでて、ライラスの軍に弓矢を放っている。先ほどのように飛ばされる兵士はいないが、旗をよく守れている。
勝ってる…。
旗…。ライラス軍の旗。青い狼の旗…。あとは俺がライラスを倒して、旗を奪わなければ。
思いだけが焦る。寝っ転ろがらされ、そこに槍が振り下ろれるのをすんででよけている状態だ。
ライラスは遠慮せず塗料の袋めがけて槍を振り下ろすのを木刀でしのぐことが続いた。
あぁ、ほんと無理。この人強すぎるよ。
リュカはしのぎながら、思わずうめき声がもれた。
「奇襲してきたんだ。根性みせろよ。」
リュカは槍を堪えながら、すいません。お姫様と心で詫びた。
いささか、品がない、野蛮なやり方とか言っていたかつての自分を殴りたい。
そんなこと気にしてられる相手じゃない。
リュカは足で思い切り槍の柄を蹴っ飛ばした。ライラスもほんの少し目を見開いた。
リュカは槍が一瞬ぶれた隙に、木刀で押し返し、立ち上がった。
「やるじゃない。お坊ちゃん。」
ライラスが少し目を見開いて軽口を叩くと、槍をかまえなおした。リュカは鳥肌が立った。
こんな、ライラス初めて見る。リュカは世代が違うので、ライラスと打ち合う機会はほとんどない。
「まったく、のせるのがうまいんだから。」
ライラスは小さく呟く。リュカも木刀を構えた。
「わかってる?本番なら負けたほうは死ぬんだよ。」
ライラスはリュカに笑いかけると槍を構えた。
リュカのまわりは静寂に包まれる。
ライラスの肩ごしに旗がよく見える。
旗…。
次の瞬間、旗がいきなりひらめき、宙に舞い上がった。旗に矢が刺さっている。
リュカが目を見開いていると、ライラスはリュカに再度槍を振り下ろしながら、つぶやいた。
「ずいぶん早いじゃないか。」
リュカは木刀で槍を弾きながら、信じられないものをライラスの背後に見る。
お姫様…がいる。
なんで?さっきまで右翼にいたんじゃないか。
一瞬のことなのに、リュカには時が止まったように感じた。
ライラスの背後に馬から飛び降りながらルナティスが木刀を振り下ろそうと宙を舞う。ヴェールがひらめいて、飛んでいく。
ライラスは、瞬間、槍後ろを振り返り、ルナティスの木刀を槍で受ける。ルナティスは弾き飛ばされながら、一回転して着地するとそこにライラスは間髪いれずに槍を振り下ろす。ルナティスは着地しながら木刀でそれをうけた。
ライラスの槍は重い。ルナティスはよろめきつつも一歩後ろに下がった。自身の右翼を見ると、ルナティスがいなくても盛り返してる。矢の雨も続いてる。
旗は…。芍薬と狼の旗は…。
まだ倒れてない…。
リュカはそれを確認し、自身に背中を見せているライラスに再度切りかかろうとした時、強い視線を感じた。
思わず視線の先を見るとルナティスがそのままリュカを殺すんじゃないかという視線を向ける。
え?なんですか?
リュカは困惑した
ルナティスはパクパクと口を動かした。
リュカはその口の形から言葉の意味を見てとり、はっとして、すぐさま走りだす。
二人の戦闘には目もくれずに、守備兵に、木刀を振り下ろした。守備兵が守っていたものー。
矢が刺さった青い狼の旗
ライラス軍の旗をリュカは手に取り、掲げた。
法螺貝の音が鳴る。模擬戦終了の合図だ。
リュカは旗から矢を抜いた。そして思わず安堵のため息をもらした。手が震えた。
ちらりとライラスとルナティスの戦いに目をやれば、ちょうどルナティスが引き倒され、ライラスがルナティスに馬乗りになっていたところだ。ライラスの切っ先はルナティスの塗料袋に、ルナティスの木刀は塗料袋ではなく、ライラスの脇腹を押していた。
「いてぇ…。」
ライラスがつぶやく。ルナティスも眉を潜めながら、口を開く。
「気づくの遅いわよ。リュカ…。」
リュカは旗を持ちながら、ルナティスの傍らまで歩く。
「すいません。」
ルナティスは、木刀を強くライラスの脇腹に押し込む。
「重いわ。どいて。」
「塗料袋以外を狙いすぎじゃないの?」
ライラスは小言を言いながら、押された脇腹をさすり、ルナティスの身体からどく。リュカはルナティスに手を差し出した。
立ち上がったと同時に、ルナティスの塗料袋から塗料が弾けた。真っ赤な塗料がルナティスにつく。ライラスが振り返り、にっと笑った。
「ギリギリ、今回は俺が勝ちましたか…。」ルナティスはパンパンと塗料をたたく。ライラスはタオルを持ってこさせ、ルナティスの塗料をふこうとした。
「さわらないで。」
ルナティスが身をよじって嫌がるとタオルだけ受けとる。
「最初から塗料袋を狙えばいいところ。全く。」
ライラスは脇腹を抑えながら、小さい声でつぶやくのをルナティスは聞こえないふりをして、リュカに叫んだ。
「リュカ!早く勝どきをあげてきて。私はともかく勝ったんだから。」
リュカは言われて、あわてて旗を掲げ、勝どきをあげた。ピオーネ軍の兵士達はライラス軍にまさか勝てると思わなかったので、歓喜に満ちた声で勝どきをあげた。
リュカは馬で触れまわりながら、丘の上にライラスと立つルナティスを見上げた。
ライラスはルナティスの隣に立っている。
同じくして
ライラスは本陣にて隣に立つルナティスを眺めた。
緩やかな風に琥珀色の髪が靡く。
顔にライラスが倒したときにつけた土が真珠色の頬についている。
その瞳。紫水晶の瞳は、リュカもライラスも見ず、自身の右翼を見ていた。
その瞳は妖しい光を宿していた。引き込まれるように、目が離せなくなる。
リュカは思わず、ゴクリと生唾をのんだ。そしてふと思う。
ー旗を持つ役目じゃなくて、ライラスのように隣にいたかった…。
そんな気持ちを振り払い、馬を走らせた。
ライラスもその瞳に引きこまれるようにルナティスに手を伸ばす。ルナティスの肩に手をおこうとし、すんでのところで踏みとどまった。
ー絆されるなよ。
アデルの伝言がライラスの心に滲みる。
俺、何する気だった。肩を掴んで、抱き寄せる気でいたのか?
嫌がってるのに、頬を拭いてやりたかったのか?
ライラスは安堵にちかいため息をつくと、リュカを見た。
案の定、リュカは旗を持ったままルナティスを見上げ、気恥ずかしいのか、顔を背けた。
だよな。お坊ちゃん。若いから自制がきかないよな。ライラスは部下に水筒を持ってこさせた。自分は違うと言い聞かせるように、もう一度深呼吸をする。
この人にはロゼリアの軍関係者として聞きたいことはたくさんあったのだ。変な気を起こす暇などないはずだとライラスは自分に言い聞かせる。
「二回も負けると悔しいですね。さすがに。」笑いながらライラスはルナティスに水筒を渡した。ルナティスは水筒を受けとりながら、ライラス軍を見つめた。
「二回も負ければ、火がつくでしょ。あなたの軍はだいぶ負けん気が強い。何度も突っ込んできたもの。」
ルナティスがつぶやくと、ライラスは笑って聞いた。
「あははは。当然でしょう。…お姫様俺に後ろから切りかかった時、手加減したでしょ。リュカに意図を気づかせるために。」
ライラスは、背後から切りつけられた時のルナティスのスピードが先日の騎馬戦より緩かったこと、また簡単にライラスに引き倒されたことを示唆して尋ねた。
「知らない。」
ルナティスは冷たい口調で言い、旗を持って勝利を触れ回るリュカを見つめている。
「だれが死んでも、旗をとったところの勝ち。今回はそうゆう戦いでしょ。どうしても、軍は日々の鍛練のせいか一騎討ちの結果に固執しがちだから。」
痛いところついてくるよ。ライラスは心の中で言う。
そして、部下に撤退を指示しながら、自身は木の組み立て椅子に2つ用意し、ルナティスに座るよう促した。
「確かに。否定できない。」
ルナティスは、しぶしぶ座る。ライラスはルナティスに尋ねる。
「ピオーネ軍は農民兵がほとんどだ。俺の軍に勝って、少し自信がついた…といったところでしょ?」
「さあ…。」
ルナティスは首を傾げた。
「お姫様…いやルッティさんでしたっけ。うちはロゼリアと比べるとそんなに弱いかな?」
「そんな人知らない。」
ルナティスはソッポを向き、ブーツの靴ひもをゆるめていく。再度絞め直すためだ。その様はたどたどしく、ライラスは聞いたことに答えないことも相まって、いらいらした。思わずルナティスの前にひざまずく。
「ちょっと…。」
「あなた、手…。不器用すぎだ。」
ライラスはルナティスの倍の速度で、靴ひもをほどくと、きつく絞め直していく。
「止めてよ。さわらないで。」
ルナティスはライラスが絞めなおしている足と逆側でライラスの肩を蹴るも、ライラスはびくともしない。
「で。どうなんです?弱いですか?」
ライラスは笑いながら聞くと、ルナティスは諦めたように息をついて言った。
「弱くはないわよ。」
ライラスは意外そうに顔をあげた。
「へぇ~。意外。」
「残酷になれないだけでしょ。」
ルナティスがそう言うと、ライラスは片方のブーツを絞めおえ、蹴りあげた足をつかみ、そちらのブーツの紐をゆるめ絞め直し始める。ルナティスは諦めたように紐を絞めさせ、もとの基本体系に軍の隊列が戻っていく様を見つめ続けている。
「作戦の開示の件だけど、私が勝ったんだから、開示はなしでいいわよね?」
ルナティスは唐突に言った。ライラスは思わず、
「そんな賭けしていない。」
「私は事前に作戦を部下に告げなくても勝てたわ。証明したのよ。」
ルナティスはライラスの赤い髪を見ながら言う。ライラスはブーツの紐を結び、椅子に戻る。
「あなたは死にましたよ。」
ライラスはルナティスの塗料袋を指差す。ルナティスは何かを宿らせた瞳で呟いた。
「私は別に死んだってかまわないわ。うちの軍が勝ったんだから。」
ライラスはルナティスの表情からその心情は読み取れない。ルナティスはライラスを見つめ続ける。
「…。みんなにわからせる必要はないの。ただみんな、その時私の言われたとおりに動いてくれればいいの。」
「傲慢だな。あなたは。」
ライラスは掠れた声で言うと、ルナティスはうっとおしそうな顔をした。
ライラスはアデルがルナティスを寵愛する理由がわかったような気がした。
どの女とも違っている。もちろん容姿も優れているが、この女は今まで見てきた可愛い、優しい女達とは違いすぎる。
まず、こんな土埃が舞う戦場になぜだか存在して、物騒なことを的確に、平気で口にする。そしてさっきから兵士達を見る瞳には恐れなど微塵もなくて、むしろ…その瞳は…。
楽しんでいる。自身の戦略がうまく言ったことに喜んでいる。
「傲慢かしら。」
「信頼関係は必要ではないですか?追い詰められたときに誰もあなたを助けようとはしないのでは?」
ルナティスはため息をついてライラスに言った。
「私のことは、助けなくてかまわないわ。これから先ずっと。」
ライラスは、眉をひそめた。
「そうゆうわけにはいきませんよ。あなたはわが主君のご正妃だ。」
ルナティスはくすりと笑ってライラスを見た。
「戦場ではそんなこと言ってられないんじゃなかったの?」
ライラスは確かにと言って水筒の水を飲んだ。
「実際に演習していくにあたって、作戦は変化します。ですが、隊長以下に作戦内容は一切つげません。模擬戦は今日でだいたい掴めたので、明日からの内容は私がこれから考え直します。これは正妃である私があなたに命令します。いいですね。」
ライラスが思わず渋い顔をするとルナティスはまたため息をついた。
「あなたとリュカにはちゃんと話します。それなら文句ないでしょ。」
「ま。よしとします。けど。」
「けど?まだなにか不満なの?」
ライラスは、伸びをすると椅子から立ち上がった。そしてルナティスに手を差し出した。ルナティスはその手をとらないで自分で立ち上がる。
「殿下からあなたを守るように言われている。助けなくてかまわないなんて命令は受けられない。」
ライラスは強い眼差しでルナティスを見つめた。ライラスにはルナティスが少しだけ悲しそうな顔をしたように思えた。




