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戦神の娘  作者: 高宮 まどか
第二章
42/66

42 対岸の彼

ラトナは初夏を迎えていた。だが、湖のほとりなので涼しい。

石造りの館の大広間は窓を開けると、涼しい風が入ってくる。大広間からは階段で湖まで降りていける。


「ここは、涼しくていいね。道具屋。」

アデルは声をかけられたので、とりあえず向かいの男に微笑む。

「戦神様もここは気に入られていますよ。」

そう伝えると、向かいの男は無言で微笑んだ。自己紹介はすぐに終わった。アデルももはやなぜ戦神でないかも問わない。それは相手も同じだ。


その男の微笑みにアデルは釘付けになる。


向かいの男…。

レイラ・ロバンディア・ロゼリアは実に美しい青年だった。ロゼリア王家特有の長い銀髪を左によせて、一部を編み込み、流している髪型も洗練されていて艶やかだ。元は白いのかもしれない肌はよく日に焼けていて、彼が武術を軽んじてないのが伝わってくる。


悩ましげに、1人用のソファーに足を組んだ様は、彫刻のように美しい。

その顔立ちは、女のような柔和な印象だが、どこか艶っぽい。

本当に、綺麗な容貌だ。姫なら絶世の美姫だったのではないかと思うほど。

それでいて身体はしなやかでありながらも、鍛えている戦士の身体であることがみてとれる。


その瞳ー。大きく、透き通った紫水晶の瞳は妖しくも美しい。

目をそらせない、見つめ続けたいと思わせる瞳だ。


ルナティスの瞳とは形が違う。やや切れ長の瞳は清廉さよりも妖艶さが勝る。


まるで蘭の花だ。アデルはあやうくため息をつきそうだった。


アデルは正直自分の容姿は美しいと言われていた母に似ている自覚がないとは言えない。ただ、目の前の王子を前にして自分を少しも卑下しない人間がいたらお目にかかりたいぐらいだとすら思った。


これで頭もよくて戦上手なんだから、震えるよ。


しかも…。ルナさんにいろいろさせて、あんな警戒心が高い山猫にした張本人で…。


いや、先入観は禁物だ。


アデルは温かい紅茶に砂糖を二個入れてぐるぐるまわす。まわしながら、アデルも覚悟を決める。


さあ、きちんと見極めろ。この王子がどんな人間なのか。何をしに来たのか。


「戦神のかわりに私が来たのは意外だった?」

レイラはにっこり笑って、アデルに言った。その口調が思ったより軽い口調で少しアデルは拍子抜けする。

「まあ、そうですね。私は戦神の専属でしたから、なぜ、レイラ様が私に会う必要性がでたのかというのは意外ではございました。ちなみに、戦神様は今日来たことはご存知ではないですよね。」

アデルは紅茶に口をつける。アデルが紅茶に口をつけるのを確認してからレイラが優雅に口に運ぶ。

その用心深い仕草ひとつで、美しい所作をもつ王太子だと言うことがわかる。


「そうだね。内緒できたよ。でも安心して、私は特別だから怒られないだろうし、君も処罰されないよ。帰ってからは報告するつもりだし。」

「そうですか。それならひと安心です。」

アデルも思わず笑って、1人がけのソファーに座りなおし、おもむろに切り出す。今日の表向きの内容は「購入」だ。


「レイラ様。何をご要望ですか?武器、物資、情報のどれでも叶えられる範囲でおこたえします。」

レイラは紅茶が入ったカップをゆっくりと置く。

「今日はクロスボウが少し欲しいな。」

「それなら、ご用意できますよ。」

アデルは頭の中で納期を考えながら答える。

「うん。じゃあもらっていこうかな。」

「ありがとうございます。まず、クロスボウからお話しましょうか。」

アデルは紙にひとつあたりの金額、過去の数量を書いていく。

「こちらを見て、最終的に如何様必要かは、そちらでご記入ください。帰りまでにくだされば、総額を見積りします。」

レイラが手をあげると控えの間から、軍服を着た金色で青色の瞳をした女性が入ってきて、書面を持っていく。



「本当は君に会いたかったんだ。道具屋。」

レイラは微笑んだ。その優しさに溢れた微笑みにアデルもつられてぎこちなく笑う。


きた!!思わずアデルは心で叫んだ。


「左様でございますか。私のようなものにですか?」

心の叫びを聞かれてないかドキドキしながら言葉を発した。

今のところ、綺麗な好青年…、育ちのいい王子でしかない。


「道具屋と商談していることは知ってたんだけど、君との商談の仕事だけは教えてもらえなかったんだ。長いこと君がクラレスゆかりの人ともわからなかった。正直、道具屋に私も興味なかったんだ。以前は。ただ、戦神の跡を継ぐ私はそろそろ君と会っておいたほうがいいかなってね。それに…。」

レイラは紅茶の隣に置いた無花果を手に取る。ゆっくり、綺麗に皮を剥いていくその所作も美しい。が、レイラは剥くだけ剥いて皿に置くと口をつけない。

「私の部下がアウルの戦いのときに君のところで世話になったから、お礼を言いたくてね。」


アデルは予想してたことだが、それでもその言葉はある程度の重さがあった。


本命がきた…。しかもキリルのほうから話をもってくるか…。


アデルは笑みを顔に張り付けて警戒する。レイラもにっこり笑う。


この目の前の王子は、本当にルナティスをほかの男に襲わせた張本人なのだろうか。とても思えない。美しく、明るい優しい青年に()()見える。


「ルッティ様のことですか?」

アデルは目を伏せる。目の前の明るい青年を振り払うために、ルナティスを思い出す。

頭には、ルナティスが震えて泣いた婚礼の夜が思い出された。

ルッティ…。

妻のもうひとつの名前を心で反芻した。

そうすると頭の中の泣いていたルナティスは消えて、湖でアデルに掴まりながら、微笑んだルナティスが思い描く。

ー道具屋、助けてくれてありがとう。


小さく笑って可愛いかった。

あのときは、まさかルナティスが嫁いでくるなんて思わなかったからな…。

もうずいぶん前のことのように思い、忘れていた。


最近少しは笑うようになったけど、

ルナティスが一時でも微笑まない原因が目の前の青年だとはなかなか結び付かない。


「治療までしてもらって匿ってもらったのに、私はあの時、君らにお礼をしてなかったと思ってね。」

レイラは目を細め、すまなそうに言う。その瞳には優しさがあふれ、アデルは逆に戸惑いを表情にださないよう心をつよく叱咤した。


「いえ、あとで戦神様からたくさん謝礼金をいただきましたよ。」

「いやいや、あれは、戦神のではなく、私のものだから、私からもお礼をさせてほしいよ。君、湖に落ちたルッティを助けてくれたんだろ?あれは泳げないから、助かったよ。」


私のものを強調して言うレイラの瞳は優しい眼差し。

アデルは、思わずじっとみて、その優しさに急激に寒気を覚えた。


それはアデルの気のせいなのかもしれない。感覚的なものだ。


優しさがないわけではないけど…。


ただこの人は間違いなく戦神の孫だよ。


美しい瞳の奥に宿る違和感は何と言えばいいのか。

優しさに溢れていた雰囲気をまとうのに、その眼差しに晒されると、氷の刃の上を歩かされているようだ。


「罷免された部下にそこまで義理立てしなくてもいいんではないですか?こちらは、隊長かもしれませんが、ただの少女兵を治療しただけですから。」

アデルは慎重に刃の上を歩いていく。レイラはふふふと笑って紅茶を飲む。

「君にこそ言われたくないよ。ただの少女兵を匿い、湖から助けるなんてなかなかできることじゃない。」

「ルッティさん、私の部下を質に取って脅されたので。」

アデルは目をそらして言った。レイラはへぇ…と感心したように声を漏らした。

「そうか。それは重ねてお詫びする。ルッティは本当にお転婆だからな…。罷免させて正解だ。まわりは命がいくつあっても足りないな。」

楽しいことのように言って、レイラは無花果の載った皿を手にとる。

「ルッティを罷免させたこと…。さすが道具屋だ。よく知ってたね。」

「はい。神殺しの責任をとって…ですよね。」

これはきちんと斥候をだしている者なら知っている話だ。ルッティが女でルナティスだと知っている者は皆無だが。


レイラは無花果を見てアデルに視線をくれず口を開く。

「そう。罷免したのも私なんだ。ただ、罷免になるように神殺しをさせた…が正しいかな。」

まるで引っ越しさせたと口にするように軽い口調だった。微笑みながらレイラはフォークの背で無花果を潰していく。


その楽しそうな言い方にアデルはちょっと不愉快になって顔にださず心で呟く。


なにが神殺しさせた…だよ。

キリル山脈でルナティスはアウルの戦いの戦略は話してくれた。1年近いアウルとロゼリアの二重生活にルナティスが大変な労力を費やしたことは確かだ。


その作戦の重要局面の神殺しについてはあまり語らない。


そもそもアウルにいたころの生活がどんなものだったかについてもだ。

自分の父親と姉と伯父を殺すということに影響がない人間なんているのだろうか。


そもそも、ルナティスは戦場に身を置きすぎて警戒心をなかなかとかない。とくまで時間かかるのだ。


夜だって薬を飲ませて寝てるけど、時々うなされてる。あわてて起こすと、アデルに一瞬驚いたあと、強い薬の効き目でまたすぐ寝入ってしまうけれど。

ロゼリアで、夜更かしだったわけだ。ルナティスは緊張状態を平時にも無意識に持ち込み続けている。


そんな、人間から戦いを取り上げるなら、最初から戦いに触らせるなよ。


思わず怒りをはらんだ気持ちを落ち着けるように生唾をのみこんだ。

そして少しでも、穏やかに微笑むレイラへの怒りをまぎらわそうと、無花果をじっと見た。怒りは滲ませてもろくなことない。


前までは、ルナさんは無花果が一番好きだった。乾燥したやつも、砂糖づけも。

キリルの館で、俺が見えてないと確認してから小さく微笑むのが目のはしに映って、可愛かった。


クラレスに来てからは苺と桃が大好きで、苺に関してはもう季節が終わることを告げたら悲しそうな顔をしてた。しょうがないから砂糖づけがあることを教えてあげて、かじるよう教えた、焼いたパンに塗ってあげると、嬉しそうにやっぱり小さく笑う。

桃もそうで、桃の水あめをたべていたときに、あんまり嬉しそうにしてるから、からかいたくなって、夏が終わると終わるよと告げると本当に悲しそうにしていた。

あわててまだまだ夏の間食べれるからとなぐさめても、少し拗ねていた…。

俺は、望遠鏡でみた戦っているルナティスにぞくぞくしたし、今だってルナさんが何か企んでいるときの瞳は本当に魅惑的で、たまらない。けど、果物で笑ったり拗ねたり、困るとぷいっとするルナさんも悪くない。


そう言えば無花果は最近食べてるところは見ないけど、もう無花果のことは忘れたのだろうかー。


氷の上であることを一時忘れ、そんなことを考えていると、なんか可笑しくなってちょっと口角が上がってしまう。


「どうしたの?」

レイラが微笑んでいるアデルに気味悪がったのか声をかけた。アデルはほんの少し心に余裕ができたような気がして、うっかりいじわるな質問が口をついた。

「罷免したあとのルッティさんはどうお過ごしなんですか?元気ですか?」


言った後、しまったと思ったがギリギリ顔に出さずにすんだ。面倒をみた道具屋としてはその質問をしないほうがおかしいのだから、言わないわけにはいかないけど、存外いじわるな響きが強い。レイラは道具屋=第2王子とほぼ確定させているのだから、けっこう挑発的な質問になってしまった。


レイラも思いもよらない質問に、一瞬目を開くも、笑った。「へぇ…。君は。意外に深いとこにつっかかるね。」

アデルは首を傾げる。傾げるしかない。本当に我ながらいじわるな質問だ。



昨日の夜も祭りのあと、寝つけなさそうだからセルトをして、ルーテシアに来たのにもかかわらず、結局二人で睡眠薬の薬を飲んでルナティスの部屋で寝た。


十分、こちらで答えてあげられる。ただ、行き掛かり上、これくらいのいじわるは許されるはずだ。


とはいえ、ほんと、どうしたんだろ。俺も。ルナさんがからむと調子が狂うな。この完璧な美青年につっかかりたいだけのような気がしてきた。


「そうですかね?」

道具屋である以上、しなくてはならない質問だったと言い聞かせながらも、罪悪感を感じつつ嘯いた。

レイラはくくくと笑うと、紅茶に口をつける。


「ルッティは本当はルナティス姫で、()()()()妻じゃないか。まったくわかってて言わせるんだから。ひどいな。道具屋は。」


その様子が屈託がなくて、アデルを困惑させる。アデルの正体を見破っていると思っているのに…。見破ってないのではないかとすら思えてくる。


それでも、アデルは驚くふりをする。


「いやいや。初耳です。そうだったんですか…。驚きました。じゃあ今クラレスにいるんですね…。」

アデルは表情がばれないように結婚式の驚いたときの記憶を頭に思い出しながら答える。そう、あの時驚いたのは本当のことだ。

レイラはフォークの背で無花果を潰したひとかけらをようやく口にいれた。アデルはその様子を見ながら、ルッティがルナティスだったところで話が停滞しないように、ひとつ意味のない質問を尋ねる。

「我が主、アデリード殿下に嫁がせるために罷免させたのですか?」

レイラは笑って首を振る。

「まさか。」

「ですよね。」

アデルはあははと笑った。するとレイラもあははと大きい声で笑った。笑うとさっきの冷たい瞳が一瞬消える。

「面白いこと言うね。道具屋は。あれは私の妃にしようとしてたんだよ。ひどい話だよね。私がちょっとシルベスタ行っている間に決まってたんだよ。アデリード王子にあげる気なんてサラサラなかったよ。」

いかにもがっかりと言う悲しい顔をして無花果をパクパク食べ出す。その様は、可愛いらしさをもった青年だ。アデルより2つ下だと、聞いているから可愛い弟のように見えてくる。


ルナさんの従兄なだけある…。ルナさんも瞳に妙な光を帯びるときとそうでないときの差が大きい。


「あの、それはなんて…、おなぐさめしていいかわからないです。」


アデルは道具屋の仮面をかぶりながらも心から言った。それは本当だ。実際目の前の彼は、ルナティスの結婚相手の最有力だったはずだ。


俺に運があったのか。この人に運がなかったのか。


するとレイラは残念そうな表情そのままに紅茶を飲みながら言った。

「べつにいいよ。どこに行ったってルナティスは変わらないし。」


変わらないー。それはルナティスのどこなんだろうか。アデルはぼんやり思った。


「そうですか…。」


話すこともなくなって、アデルは目の前のレイラを見る。


この軽やかさが怖いな…。思いの外、際どいところなのに会話が成立する。


なんかぽんぽん気軽に言わせてくれる。この王太子は…。

揺るぎない後継者。産まれたときから王統の本流として、かしづかれてきたのに、彼はその威厳や厳しさを廃して、軽い口調で親しみやすさを醸している。


わざと欠損させて、相手を近寄らせて、信頼させる?のがこの人のパターンなのかもしれないな。


サラは…ルナティスという存在がレイラの努力と成果をなしにしてしまう脅威と言っていた。

レイラを目の前にするとルナティスが彼にとってそんな脅威になると思えない。


ルナティスはもっとこうなんて言うか、()()()()()

彼みたいに器用じゃない。

聡明で、綺麗だけど、どちらかと言えば近寄りがたい高貴な人だ。

ただ、この目の前の青年は高貴でありながら親しみやすさを纏えるのだ。

()()()()()()()()()()()完璧な好青年だ。



本当に好青年なら、ルナティスを他の男に襲わせないし、神殺しもさせないし、罷免もしない。


平気なその優しい顔でやっているから恐いのだ。


不敵に微笑むレイラは紅茶のカップをゆっくりとテーブルに戻す。

「君はロゼリアでは戦神としか取り引きしないみたいだけど。今回だけでなく、今後は私とも取り引きしないか?そうすれば戦神の後も君との関係は続いていけるだろう?」


レイラはにっこりと笑った。

アデルは紅茶をごくりと飲み込む。単純な道具屋と国との取り引きならそれは正しい。戦神は齢60を超えている。


だが…。そうも簡単じゃない。アデルと戦神の関係は。


「おじいさまに…許可とりました?」


アデルは初めて睨み付けるようにレイラを見た。

「許可がないと、商いができないわけじゃないでしょう?それとも、君と戦神は特別なのかい?」

レイラは優しい眼差しが瞬間鋭いものに変わった。

その眼差しは戦神と同じで場が一気に凍りついた。


戦神との関係…。そうかそういうことか…彼はここにきたのか理由のひとつをアデルは氷解する。


アデルは睨み付ける眼差しをやめない。やめたほうがいいのは百も承知だ。でも、わざわざひけない間合いに入ってきたのは好青年だ。こんな方法で核心に触れて話すのは、分が悪いのは分かっている。


「特別ですね…。戦神と私との関係は…。」

もったいぶった言い回しだなとアデルは言いながら思う。


レイラはアデルの様子ににぃっと笑った。その笑みはさっきまでの親しみやすさがあるものではない。


「へぇ…。どう特別なんだい?」


アデルもレイラから目をそらさずににぃっと笑う。

挑発なんて一撃で充分な相手だ。


「一番大切なものを頂けるくらいに特別です。」


レイラも目をそらさない。つかの間、アデルと見つめあうかっこになる。

「一番大切なもの…ねぇ…。預かっているの間違いじゃないの?」

レイラの瞳はもう優しさなんて一変もなくて、するどい視線をアデルにくれる。アデルは目をふせるとくくくと笑った。

「そうかもしれませんが、私はとても満足してます。可愛いし。」

アデルはそれだけ言うと、紅茶を手にとりレイラを見た。レイラは表情を変化させずにソファーに座る足を組みかえると冷めた瞳で言った。

「そのうち君の手に余って、君から返すことになるよ。」

アデルは紅茶に口をつけた。

「そうですかね…。私、けっこう気に入ってるんですよ。」


レイラは今度は面白いものでも見るようにアデルを見た。


「抱けないのに?」


「それ、そんなに問題ですか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


アデルはうっとうしそうにレイラを見た。レイラはあははと大きい声で笑った。


「ごめん。ごめん。そうだね。ちょっと踏み込みすぎたね。」

アデルは朗らかな謝罪をするレイラをちらりと見るとため息をついた。元の好青年に戻っている。


「とにかく。王太子様。私はロゼリアと取り引きしてるわけではなく、戦神様と取り引きしているんですよ。」


レイラは頷きながら、口を挟む。

「特別に?」

アデルは頷く。

「そうです。」

レイラはくくくと笑った。

「君って、調子狂うなあ。」

レイラは首を傾げながら言った。その瞳はじぃっとアデルを見つめる。

「お互い様です。」

こう何でも見通していたと言われるのは居心地が悪いのはアデルも同じだ。

「別に、取り引き相手は厳選していませんから、今後お取引させていただけるなら嬉しいですが…。ただ、私と取り引きして王太子は何を得られるんです?」

アデルは挑発するようにレイラを見た。レイラは肘をついてアデルを見た。

「何を得られるかって、払った対価に見合うものだろうけど、それとはべつに、君に会えて、君を見れるじゃないか。」

アデルは思わず顔をあげた。

「どんな情報より、君と会うほうが得だよ。」

レイラはにこりと笑った。そして立ち上がると、アデルにおもむろに近づき、耳元で囁いた。

「君の反応、君の奇妙な立場…全部おもしろいよ。君は大した()()でないのに、君は守るものがいっぱいだ。()()()()()()()()()()()()()抱えるからなんだろうけど。さっきから滲みでてるよ」


アデルが身をひくと、その手を掴んだ。

「私がどんな人間か知りたいってさ…。君は私を知りたくてたまらないんだよ。今後定期的に私に会うのはお互いの興味の一致だよ。」

アデルはその手を振り払おうとするも存外強い力で払えない。

「私たちには信頼関係がありませんよ。商談するほどの。そしてこちらがお望みのものを用意できなければお付き合いはできない。私にはあなたが望まれるものはご用意できないように思います。」

アデルは強く手を剥がしながら、強い口調で言った。

「私が個人的に何かを望むと思っているなんて、君はほんと浅いな。それとも私に関する情報が間違っているんじゃないか?」

レイラはソファーに戻ると眉をひそめてアデルを見た。アデルは反論するように言う。

「なんの権限もない私に近づきすぎですよ。王太子様。何かを私から得たくて来たとしか凡庸な私には思えない。」

レイラは自身の髪の毛を手でもてあそぶとため息をついた。

「なんの権限もないなんて…。よく言うよ。私は君からしたら、よほど誠実な男だよ。国家に対してね。じゃなかったら、個人的な思いをそのままに、ここでさっさと君を殺して、同盟を終わりにしてルナティスを奪還のためにルーテシア地方を攻めいって破壊する。それをしないだけ感謝してほしいくらいだ。」


レイラは、優雅な動作で、豪奢なつくりの鞘つきの小刀を胸元からだしてアデルの首にとんっと置いた。あっという間のできごとに音ひとつ立たない。


アデルはレイラを見ながら、ごくりと唾をのみこむ。


「奪還って聞き捨てなりませんね。そちらが下さったんですよ。」

アデルが思わず、声をあらげて反論すると、レイラはひらりとアデルの首から小刀をはずす。その瞳の冷たさが言葉の本気さを物語る。アデルはため息をついた。掴まれた手がびりびりし、首から汗がつーっと流れた。

全くなんなんだ。迷路みたいな人だなこの人は。何考えているか全くわからない。


「そうだった。ルナティスはクラレスの無価値の王子に貸してあげてるんだったね。ごめん。ごめん。」


忘れ物したと言わんばかりにレイラは笑って、再び腰かけた。

アデルは首を押さえ、深呼吸すると仕切り直すように言う。

「取り引きしないとは言っていません。ただ、差し出せないものが私にあるくらいはわかっていただけるなら…になります。それに、そちらに利益はありますか?私は根っから商人ですからお互いに利がでない取り引きについては疑いますよ。」


「ちゃんと利があるよ。武器と物資も購入することはもちろんだが、定期的に同盟の確認をしたいだけだ。そして、この手紙をルナティスに渡してほしい。中は…、まあ見てもいいよ。たわいもないことだから。」


レイラはアデルに赤い封筒を渡す。

「ロゼリアはアウルに…、他国に姫を差し出し続け、そのたび諜報部は嫁いだあとの姫の処遇まで追いきれず、不遇を強いられた際の姫への対処が遅れた。クラレスには初めて姫を嫁がせる。だから、公式ルートより直接のルートを持てるなら持ちたいのだ。いけないか?」


態度をがらりと変えたレイラの理の通った主張に、アデルはしばし考える。いきなりまともなこと切り出されると翻弄される自分がふがいない。


受けるべきだろうか…。

アデルは思わず、オーウェンの顔が浮かんだ。王都にいる間、降るようにルナティスに贈られてきていたオーウェンの宮への誘いの手紙。アデルに何かあったら、間違いなく、ルナティスを召し上がるだろう。

目の前の男がマシだとはわからないが、戦神以外に外にルナティスのパイプを持つのは悪いことではないか…。

どのみちルナティスがチャミーから飛ばしたら変わらない。だったら少し自分を介して関知しておいたほうがいい。


「…わかりました。定期的にお会いして、姫のことのみをお知らせしましょう。ただ、姫が御返事を書くかどうかまでは関知しませんよ。私。」


アデルはとりあえず、今後の取り引きについては了承した。筋も通っているので、ここまで言われてはしない理由もない。

「ルナティスの近況はそちらのいい値で払うよ。」

「そうですか。報告の際情報には濃淡がありますのでその時々で金額を決めましょうか。」

アデルが提案すると、レイラは満面の笑みで頷く。

「いいね。さっそくだけど、なんか教えてくれたりするの?」

「おまけするほどの信頼関係にはまだ、ありませんよね。」

アデルは眉を潜めると、レイラはまた頷いた。

「道具屋は私の前情報でいろいろ判断しすぎなんじゃない?サラがどうせなんかはなしたんだろうけど。」


アデルは肯定も否定もせず紅茶を飲む。

「戦神が私につけた間者だからな…。仕方ないだろうけどさ。」

レイラはひとりごとのように言った。

アデルは渋い顔のまま紅茶に口をつけた。場が沈黙する。

開け放たれた窓から風が入ってくる。アデルはそのとき初めて二人で会話を始めてから暑いとか涼しいとかいった体感をなくしていたことに気づく。


緊張していたのかもしれないな。彼に。


あらかた話は終わりだ。悪くない終わり方だ。俺はルナティスの情報なんて、たわいもない話しかだす気もないし、この手紙も渡さない。

それよりも一刻も早くこの人に帰ってもらいたいと思っている。


「道具屋から信頼をよせてもらうためにどうしようかな…。なんかルナティスで聞きたいことがあったら答えてあげようかな。特別に。」


レイラは紅茶を飲み干すと、カップを置いた。

アデルは鈴をならしてセルジオを呼び、紅茶のおかわりを催促した。

「なんかある?」

セルジオがカチャカチャ音を立てながら新たな茶器を置いていく。

「いろいろあるんじゃないの?どうして、ルナティスが男を怖がるのかとかさ。」

「それは…、間に合ってます。」

聞きたくなんてない。特にそれが、サラから聞いた話なら。

今ここでレイラの口からサラから聞いた話を、もう一回されるのはごめんだ。

何度話されても、アデルは過去に戻って、ルナティスを助けてはあげられないのだから。

その話すら、サラから聞くべきでなかったと後悔しているぐらいだ。ルナティスが言いたくない辛い話を人づたいに聞くべきではなかったと。


レイラはつまらなそうに自身の指先をみて、沈黙を破った。


「じゃあさ、私から質問していい?」

アデルは思わず不満をもらす。

「なんで、私が答える側に…。」

レイラはじっと見るので、アデルは観念する。

「わかりました。私が答えられる範囲でよろしければ。」

「なんで、アデリード王子に嫁がせるために罷免したなんて思ったの?」

アデルは、手を前に組んで答えた。ただの冗談だったのに。

「傍からみますと、ルナティス様にとったら身内にあたる方を本人に殺させて、罷免…ですよ。でていってほしいのかなぁと。だからクラレスに嫁がせるためにですかと聞いたんですよ。」

そんなことではないなんてアデルは百も承知だ。なぜこの質問にのってくるのか…。レイラを見ると予想外に目を丸くしている。

「なるほど…。それは…。そういう見方もできるな~。」

うんうんと頷きながらアデルを見て微笑む。

「いや…あくまで勝手な見方ですけど。違うんですか?」

アデルは素直に頷くレイラにやんわり言うと、言った瞬間まずいと心の片隅で秘かに思う。


質問してしまった。つい…。


レイラはしてやったりと微笑んだまま、冷たい声で言う。

「浅いね。自分だって本当はそんなこと思ってないでしょ。」

レイラはそのまま紅茶をのカップに口をつけると続ける。

「そんな面白くない理由で第一武功を譲らないよ。じゃなきゃ戦神に怒られるのを覚悟して、めんどくさいクレマチス隊を引き付けて、足止めさせてルナティス達を城内に入れてない。」

レイラはまた射ぬく瞳でアデルを見る。アデルも今度はお愛想笑いもせず、じっとレイラを見返す。


もっと事情を聞いてみたいという欲求が首をもたげる。

なぜ、ルナティスに神殺しをさせたのか。

アデルは首を傾げることもなく、ただレイラを見つめざる得ない。レイラが纏っていた先ほどまでの柔らかな空気は消え、また恐ろしいほどの冷たさが舞い戻る。


「私はね、ルナティスに譲ったんだよ。神殺しを。アウル神皇国に引導を渡す役はルナティス以外であってはならなかった。」


レイラはアデルを見下すように言った。

当たり前のように見下すのは、俺が夜空の瞳だからだろうか。それとも、ルナティスの夫なのにそれを明かさないからだろうか。アデルはゆっくりとレイラを見つめる。


今日彼が俺に会いに来た理由は複数あったはずだ。ひとつ目は戦神とアデルの関係の深さをはかること、2つ目は今後アデルと会うような取り引きをもちかけること、3つ目は?。ないのか?それとも何か話したいのか?自分とルナティスとの関係の特異性を。



こっちはどんな人間かを手探りで知ろうとしていたところでしかないのに。ずいぶん行動に迷いがないよな。この人。

わからない人だ…。


なんで俺が聞きたいことをちらつかせるのか。

ふたりの特異性はさておき、なぜ神殺しをルナティスにさせたのかについては知りたいという欲求がアデルの中で燻る。


知りたいという欲求は相手に優位をもたらす。相手のもつ情報に価値をもたらす。危険な感情だ。

ー知りたがりが過ぎます。

ルナティスのいつぞやの言葉が頭に響く。


「なぜ、ルナティス様にさせなくてはならなかったのですか?」


アデルは、自らのカップに紅茶をつぎながらずっと聞きたかったことを質問した。

「聞きたいの?道具屋?」

レイラの意外そうな声に、しぶしぶ頷く。そして、セルジオに声をかける。

「軽い食べ物とワインをもってきてくれない?」

セルジオが頷くと、アデルは紅茶を飲む。

「もう。観念します。私にルナティス姫に関することを聞かせたいんですよね。聞かなくても避けて通れないなら、聞かせていただくことにします。」

「素直だね。」

アデルはレイラの言葉に頷き、

「私は元来知りたがりなんで、この際、きっちり教えてもらいますよ。」

と唸るように言った。


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