3 夜襲の篝火
掠れた笛の音が鳴り響いたと同時に、アウル神皇国夜営中のテントと向けて、木樽のようなものを荷台に乗せた馬が数十頭放たれた。馬は半狂乱状態で見張りの兵団の並列を乱していく。馬のまわりには数頭の犬が並走していく。
「馬が撹乱している」
「はやく止めよ」
兵士たちのわめき声がアデルのところまで風に乗って上がってくる。
馬は、アウル神皇国のものだ。
「なんですかこれは…。」
アデルの隣でキースが青ざめて言った。カルロが口をもぐもぐさせながら、
「馬番の人、あとで怒られますね。これは。」
キースは呑気なカルロに舌打ちした。キースはアデルの隣に来て、
「主…。」と声をかけ、足元の火を見た。
「こちらの小さい火も見えてないと思うが、消せ。こっちが狙われないと思うが…。」
キースはアデルに言われ、足元においていた小さい松明を消した。
「主、樽の中身は…。」
キースがアデルに聞くより早く、複数あるテントのまわりにいくつも立てていた松明が、馬とその荷台によって倒れていく。アウル軍も大あらわで松明を建て直しそうとする。荷台には樽がたくさんあるが、しっかり止めていないのか、荷台から樽がゴロゴロと転がっていき、倒れていく松明がぶつかった。
樽がはじけ、中の液体もまわりに大量に飛び散る。そこに、倒れた松明の火が燃え移る。あちこちで同様のことが起こった。
「油ですね…。」
キースは鼻を歪めた。アデルは頷く。
「ただ、油くらいでは、人をたくさんは殺せない。せいぜいテントを焼いて焼け出されるだけ、まあ法衣長いから油かぶって、焼け死ぬも者もいるだろうが。」
アデルはキースに解説した。カルロはガタガタ震えだした。
「おまえはは臆病だが、感情としては正しい。夜襲は、野蛮で危険も大きいが、兵士にきちんと恐怖を植え付けるからな。」
「え…、これ夜襲なんですか?」
カルロの発言に思わずアデルは笑ってしまう。キースは剣の柄でカルロをひっぱたいた。
「ただ、火遊びしたくてこんなことしたわけではないでしょうね。夜襲が難しいのはこれからですね。」
キースは震えるカルロに小さなパンを差し出した。おまえは、もう静かにパンでも食べてろの意味だ。
パンは、干し葡萄のパンだ。
真っ暗だが、ギリギリ確認できる。
真っ暗なのに?
月夜で星空の明るい日ではある。そうではあるが、手元の火を消したにもかかわらず、アデルはパンだけじゃなく、大きな篝火のおかげでキースの顔は確認できている。
大きな照明…。
キースもはっとしたらしく、下の平野を見た。
火柱のようなものが何箇所もあがっている。
火柱はまるで天まで上る大きな松明だ。
「火を消せ!」
「樽をよけろ」
「おちつけ」
「ただの陽動だ。おちついて…。」
怒鳴り声がけたたましい。
乱れた見張りの兵士達。火はテントにも燃え移り、仮眠していた兵士達も外に飛び出して消火作業に入ろうとする。
「よく見えるな…。こんな上からでも人の動きぐらいまでは」
アデルは火柱に照らされ惑う、アウル軍を見つめた
ピーとまたかすれた笛の音が聞こえた。
シュッ…。
風を切る音が聞こえたかもはやわからない。
あまりにも多くの煌めく弓矢が夜空を跳躍する。
テントからでてきた者、消火活動をしようとした者達に、ある意味平等に、一方的に、矢は降り注いだ。
矢は暗闇から放たれており、しかも強く、狙いも正確だ。首や頭部を中心に狙い、血があたりに飛び散った。
当たらなかったものも、弓矢の雨に震撼し、恐怖の声をあげた。弓矢の雨はアウル軍の悲鳴に比例し、豪雨となる。
「一体どこから…。」
キースはアデルを見ると、アデルは自分の足元を指さした。
小高い丘の上に陣取るアウル軍にやや上の立地を取るために陣の横のキリル山脈の麓の森、キリル平野の南側から射かけている。
「そんな遠くから…。」
キースは驚きの声をあげた。
「弓と弓矢もよく飛ぶものだし、騎乗からも打てるような弓だが…。」
アデルは納品したロゼリアル王国使用の弓を思い出した。
「弓矢をおまけしてよかったな。」
弓矢の中には火矢も混じっていた。火矢は樽の油に燃え移り、テントを焼いていく。テントにいられず、外にでれば、矢の格好の的だ。テントが燃え、照らす明かりは大きくなっていく。
夜襲は灯りが厄介なのだ。敵味方の区別がしづらく、灯りを攻撃するものが持てば、逆に敵に居場所を知られてしまう。
「腕に相当の自信がある弓兵隊だな。」
アデルは弓矢の雨を見ながら呟いた。
灯りさえあれば、打ち漏らしはしない。
指揮官の弓の腕への自信をヒシヒシと感じる。
この弓矢の飛ぶ向きから、南側の地形を利用して、ずいぶんと広範囲に弓兵が配置されていた。
森の木立の中からでも、高さをだすため騎乗して弓を撃っているはずだ。アデルの弓はそのまま撃ってもいいが、騎乗することで遺憾なく力を発揮することを前提としているのだから。
-いつからここにいた?弓自体は一月前には届いているが・・・。
麓に潜んでいることは無理だ。昼間ならアウル軍の神兵にみつかり兼ねない。アデル達にもだ。
「主、この南からまるで囲まれるように撃たれてますね。」
キースも同じことに気づいている。
「剣は使わないんですかね。」
「殺傷能力で勘違いしてはいけないのは、剣と弓では圧倒的に弓のほうが人を多く屠る。剣はよほどの武があれば別だが…、そうゆう意味では神兵は剣では強いはず。」
剣術に関しては、アウル軍の神都軍と1、2を争う強さのはずだ。武力への自信からか、甲冑を身に付けず、神兵達は長い法衣の下に鎖帷子をつけている。弓は帷子で守れない首や頭を狙っている。そして長い法衣は火もつきやすい。
アウル軍は矢の雨の中、必死に北側に後退していく。
「矢はどこまで届きますか…。」
キースは北に後退していく火に照らされたアウル軍を見ながら呟いた。弓矢の雨は止んでないが、飛距離の届かない範囲までアウル軍は下がるはずだ。
火も消火活動まできていない。無傷なのは神殿周辺の北側を残すのみだ。火攻めと弓矢での殺戮は成功だ。アウル軍は恐怖している。馬は北側から放たれ、南に走った。その南側から射かけられ、火攻めを受けだいぶ兵士を減らしたと言える。まったく姿を見せずに、相手を倒したのだから夜襲としては大成功だ。
だが・・・、もうすぐ夜が明ける。もう夜の闇に紛れる方法はもう効かない。灯りは意味を成さなくなる。
どうそこから離脱するのだ。弓兵隊。
いや。百花の王を紋章にもつ遊撃隊のルッティ隊。
どう、見せてくれるんだ?
アデルはぞくぞくしながら、片手に望遠鏡を持った。口元には笑みを浮かべながら。