22 湖面の夜明け
アデルは、飛び込んだ後、光を追って潜っていく。渦がルティを巻き込んでいく。
思いの外、ルティは早く沈んでいく。
待ってくれ。息が続かず一度アデルは湖面に顔を出した。流星が煌めき続ける。その一つが湖面が落ちた。
ああ、もうなにやってるんだ。俺は。
アデルは力の抜いた立ち泳ぎをしながら、息を吸い込んだ。手が酸欠でびりびりして、肩からシエルにナイフでえぐられた血が滴り落ちた。
湖面で光がゆらゆら揺れている。ルティはあそこだ。アデルは息を吸い込んで、また潜った。
潜っていくと、さきほどの渦は嘘のように、なくなり今は
光の繭のような中にルティと覇王の石が浮いている。
光の中だと、目を瞑っていて紫の瞳が見えないが髪も金色に見える。
光に照らされて、ルティは本当に神々しい。
アデルは手を伸ばして繭の中に手を入れる。アデルが手伸ばすとあっけなく繭に手が入ってしまった。
ルティの手に握られている覇王の石は変わらず光っている。
繭の中に入れた手は水の中とは思えない温かさを感じていた。
もしかしたら…。
アデルは手だけなく、上半身を繭の中に食い込ませた。
やっぱり、息ができる。なんなんだこれ…。
「ルティさん。ルティさん。」
アデルは繭の中のルティに声をかける。アデルが繭の中に入ったためか、繭の中に隙間から水が入ってくる。
ルティは繭の中の中央で丸まっている。後少しで届きそう
なのに。手を伸ばすも届かない。しかもアデルが繭の外側に入ったため水が流れ込んできた。
「ルティさん。起きて!」
ルティは
「う…。」とうめき声を漏らした。
アデルは今度は上半身の穴を切り裂いた。水がどっと入る。
あっという間に繭の中央のルティの体の半分まで水に浸る。
アデルはすっぽり全身繭に入り、その後手を掴むと、手はぐんにゃりと力がない。
「なにやってんだ。早く手を伸ばせ。」
アデルは目の前の覇王の石を見た。
黒い瞳には、ただの石ころ。
アデルは、ルティの手から無理やり石を剥がそうとするがここだけしっかり握られている。
「くそ…。」
ずん…。
水柱がまた下がっていく。
このまま湖底まで引きずられる。
アデルはルティの頬を叩いた。
「バカ。早く起きろ。こんなとこにいられないだろ!ルティ!!」
起きないルティを、無理やり立たすと、覇王の石がたまたまアデルの肩の傷口に当たった。
「いってぇ…。」
アデルが思わず口にしたとき、繭が揺らいだ。
黒の瞳の人には、ただの石ころ。
アデルは覇王の石がなぜルティが離さないか…。その手を凝視する。さっきヒルカとつけた血だ。
そして今アデルの少量の血で、石の効力は若干弱まったように感じる。
ずいぶん差別してくれる…。俺の血は嫌だってことかよ。
アデルは左の指を刀に這わせると赤い血を石にこぼれさせた。
すると繭がだんだんほぐれていく。血を落とせば落とすほど。
アデルは左手で剣を掴んだ。左手が血に染まる。そしてルティが掴む反対側から石を掴んだ。
覇王の石はアデルの手のひらで震えた。ルティの血にアデルの血が混じる。そしてだんだんアデルの血の割合が多くなったころ、繭は一気に解れた。
アデルはルティを右手で抱えた。
途中アデルとルティの手にあった覇王の石が外れ、湖の中に沈んでいった。
手から外れると、覇王の石はゆらゆらと沈んでいく。光はもうない…。
息が続かず、アデルは覇王の石の最後を見ずに、ひたすら湖面を目指す。
こんなところで死んだらみんなに面目がたたない。
アデルはそう思いながら、この人は全く…。と手元の少女を見た。そして、それでも、しょうがないのかと思い直した。
この人のことが気になってしまう自分が悪いのだからと。
湖面にでると、アデルは思い切り空気を貪った。ルティの体を抱きおこし、頬を叩いた。
ルティは少し水を吐いたが息をした。
「いた…。あっ道具屋…。」
ルティがアデルの肩に捕まりながら弱々しく答えた。アデルは心から安堵した。
アデルは体から力を抜き周囲を見ると、まず湖面が通常の高さに戻っていた。ただ、岸までが遠い。
そして空を駆け抜けていた流星がもうない。
これが正解なのか…。わからない…。
ルティがアデルを強く抱き締める。
「どうしたんですか。」
「道具屋、私…。泳げないの。」
ルティはアデルに強くしがみつく。アデルは苦笑した。そういうルティの顔はとても可愛かった。
なんだろう。さっきまではあんなに痛々しかったのに。
「え。困ります。あんまり強く掴まると、俺も溺れるんで、緩く掴まって…。」
と言いかけて、アデルはルティを支えながら、東の空を指差した。
「夜明けです。」
朝日が昇り始めた。日の光が湖を照らす。目の前のルティのことも。
「朝日に包まれるあなたを見るのは…二度目です。」アデルはルティに笑いかけた。ルティもつられて笑った。
「石は…。」
アデルは湖の下を指さした。ルティも安堵したような顔をした。
「これで、あってるかはわかりませんが、誰ももう触れないでしょ…。」
そういうアデルにルティにしがみつきながら、小さな声で言った。
「道具屋。助けてくれてありがとう。」
アデルは思わずルティを抱き締めた。
そう、こんな一言が困るんだよ…。
「あの、頑張って岸までいきましょう。保険も効いたみたいですし。」
アデルは、ルティ達がいた崖の上を指差した。そこには旗が立っていた。
「あれは…。」
ルティが驚いたように言う。旗には青い狼が描かれていた。
この世界で狼を軍旗としているところは一つしかない。
「クラレス王国の…。」
「キースや館の部下たちに追いかけてくるよう伝言しました。」
アデルは手紙を鳥につけたの覚えていますか?と聞いた。ルティは頷いた。
「ああみえて、キースも強いですし、戦わなくてもすむようなものも用意させたので、ちょっと遅かったみたいですけど。」
アデルはルティを抱え、ゆっくりと泳ぎだす。
「なぜ、道具屋が軍旗を?」
「わたしは、クラレスのルーテシア地方に住んでいるんですよ。海千山千の稼業ですから旗くらいは都合つけられます。お金もちなんで。」
アデルは、崖に向かって手をふった。そして一気に岸まで泳いでいく。
「それに、約束したじゃないですか。」
アデルはルティをかかえるように引いて泳いでいく。
「上の人達はわたしがどうにかするって。」
岸にあがったら、二人ともくたくたに疲れて、思わず湖畔に倒れこんだ。
湖畔ではキースが待っていた。
「お二人、ずいぶん無理なさって…。」
キースが手拭いをアデルの顔の前にだした。アデルは上半身だけ起こした。ルティはそのまま湖畔に仰向けになっている。
「ヒルカ枢機卿達は無事か。」
アデルは咳こみながら言う。キースは温かいお茶をアデルに差し出した。
「はい。ベルクート様を取り押さえるのに難儀しましたが、どうにか。ヒルカ様はベルクート様を見張っていただいてます。とりあえずシエル様ですか?お付きの方には手紙の件を、話しました。ご自分でお考えになるでしょう。」
キースは、ルティにもお茶を勧めるも、ルティは首をふったので、タオルを上にかけた。
「首尾よく終わったという理解でよろしいんですか?主。」
石は湖に落ちていった。ただ、あれで正解はわからない。
「多分…。」
アデルはお茶をすすった。香辛料いりのお茶が冷えきった体に染み渡る。
「ルティさんものんで。風邪をひくから。」ルティの体を起こすと無理やりカップを手渡した。
「ありがと…。」
ルティはそう言って疲れが隠せない顔で紅茶をふうふう言いながら口をつける。
「主…。」
キースはその素直な態度にびっくりしたのかアデルに振り向いた。
その時、一騎の馬が湖畔を走ってくるのが見えた。
「主!!キース様!」
馬の人物が手を振る。アデルは、ルティの髪をタオルで拭いていたところだが、手を止めて目を凝らした。
榛色の髪の毛と瞳…。
「あっ。カルロ。」
キースは焚き火を起こしていたところに突っ込むように、カルロが馬から降り立った。
「おまえ…。」
キースが舌打ちすると、カルロははあはあと息をした。
「すいません。主の緊急の笛を聞いたのに、駆けつけるのが遅くなりました。ずいぶんクラレス側に行ってしまっていて、引き返すのが大変で…。。」
「へぇ。そうだったか。カルロは来なくてもよかったんだぞ。」
アデルはルティの髪をあらかた拭き終わったので、手を貸して起こしていると、キースがふと気になることを言った。
「まさかとは思うが、カルロ…。ちゃんとロゼリアをまいて来たんだろうな。」
カルロは、ポリポリと頬をかいた。
「多分…。」
アデルははぁ…とため息をついて、額に手をあてた。間違いなく、つけられてそうだ…。
キースもあきれて物が言えないという感じだ。
その後ルティを見る。ルティは首を振った。
「大丈夫。道具屋。石を捨てられたので、ロゼリアの迎えがきたらおとなしく帰ります。」
「すいません。なんか…。あの、ロゼリアに帰るのでいいんですか?」
アデルの問いに、ルティは頷いた。アデルはその後の言葉をのみこんだ。
「はい。わたしが一旦帰らないと、サラもバルトも殺されてしまいますよ。」
ルティは、怖いことをさらりと言った。
「え…。あなたがよければ、一緒にクラレスに行こうかと誘おうと思ってました。」
アデルは飲み込もうかと思った言葉を敢えて、言う。
「なぜですか?」
「うちは、人材不足なんです。」
アデルは、ルティから空になったコップを受け取った。
「なるほど…。それも楽しかったかもしれない。」
ルティ口元をに手を当てて呟いた。そして、アデルに尋ねた。
「あの、道具屋。聞いてもいいですか?」
「いつもと逆ですね。いいですよ。」
アデルは笑って了解した。ふたりの関係、質疑応答の立場が逆転している。
「ベルクートとシエルにキースは何をしたんですか?」
アデルは一瞬顔を強ばらせたあと、すぐにいつもの柔和な表情に戻った。
「クラレスへの通行手形と、その先の国の滞在許可証です。あとその他もろもろ。あれだけお強いんだから、軍人としてどこかの国のポストを斡旋も可能です。殺さなくてもいいといったのはそうゆうことです。見逃してくれますよね?」
アデルはルティの顔を覗き込んだ。ルティは頷いた。
「ヒルカ元枢機卿はどうしますか?」
「ヒルカは…。ロゼリアでも捕虜にはなりません。ヒルカは戦神の友人ですからね。」
ルティは飄々と言った。アデルはルティの髪を拭いた手拭いで自分の髪を拭く。
「なら、ひと安心です。ヒルカ元枢機卿って気づきませんでしたが、枢機卿のときって軍師もしてませんでした?軍師ヒルカは有名ですからね。私、本持ってますよ。」
アデルはキースをちらりとみて、なぁと同意を促した。キースも頷いた。
「ロゼリアの戦神、アウルの戦神とお知り合いなんて、ルティ様はすごいですね。」
キースはしみじみ言う。言っていると、森から馬の嘶きが聞こえてきた。
「あなたの部下は優秀ですね。ルティさん。私が殺されないよう、ちゃんと口添えしてください。触ったら殺すと先日言われましたので。」
アデルはルティに言った。ルティはそれを聞くと笑った。
「サラらしい脅し文句です。」
森からは、ルティの旗を持ったサラとロゼリア兵が姿を現した。




