2 神の国への侵攻
雪解けもさめやらぬ時にロゼリア王国が隣国であるアウル神皇国に侵攻した。周辺諸国は驚きを隠せなかった。
それには理由がある。侵攻の方角がいつもと違うからである。
ロゼリア王国は北西のシルベスタ王国と国境を接しており、雪で阻まれる季節を覗き、数年おきに戦争をしているという具合だ。先般そちらに戦神こと国王セシル一世率いるロゼリア軍が出兵したばかりだ。
対するアウル神皇国はロゼリア王国の南東と国境を接している小国である。ロゼリア王国に西をはさまれ、北東をクラレス王国に囲まれており、南はキリル山脈阻まれたこの国は、戦神と異名を取るセシル一世が隣で3つもの国を併合するのを中立的な立場でみていたと言っていい。
アウル神皇国はロゼリア王国などいくつかの国の宗教の教会の本拠地であり、いまでこそ形骸化しており、よすがもないが、ロゼリア王国の成り立ちはアウル神皇国の諸侯として始まり、独立したというのがわかりやすい。そのため、ロゼリア王家とアウル神皇国は婚姻関係を幾度となく結んできた間柄である。往年の敵であるシルベスタ王国と同時に比較的良好な関係と思われていたアウル神皇国へ侵攻したことは、各国の度肝を抜いた。
また同時に、大陸の半分は信仰している宗教の総本山、聖域と言える神の皇帝の国への侵攻に各国は別の意味で固唾をのんだ。
この世界において、最も高貴な血と言われるのはアウル神皇家であり、その血筋に現れやすい紫の瞳を崇めていた。
そのため、各国こぞってアウル神皇家のものと縁続きになることを渇望していた。そんな中、姻戚相手でアウル神皇国が選んだのは小国の時より隣国として、西の各国の盾となるロゼリア王国であった。
度重なる婚姻の結果なのか戦神セシル一世も青が少し混じるが紫の瞳を有している。各国、戦が始まるキリル平野へ斥候を走らせからの報告をうけながらも、アウル神皇国とロゼリア王国の長い蜜月が終わった理由を思案していた。
「アデルさま~。ロゼリアの使者が来ました。また…あの人ですよ。」
部下のカルロが小さい声で言った。アデルは豪奢な刺繍がされているソファーに行儀わるく足をあげて寝っ転がていたが、しぶしぶ起きあがった。
俺も苦手だよ。とアデルは心の中で思った。
「カルロ。今ここでは俺は星読みの道具屋なんだから、名前はあまり呼ばずに主と呼べよ。」
カルロはアデルより年下の部下で、おっちょこちょいだ。正直一緒にきているキースという優秀な部下と対応にあたりたかったが、止むえない。
「はい、失礼しました。気をつけます。」
恐縮するカルロを尻目にアデルは衣服を改めた。豪奢な金糸の刺繍が施された黒い上着を羽織り、短い髪の前髪を後ろになでつけ、ピアスをつけた。
「さて、きちんとしたいやな武器商人にみえるかな。」
バルトと呼ばれるロゼリア王国の使者男は年の頃20台後半なのだが、美しい銀髪と緑の瞳を持つ貴族特有の色素をもっておりご多分にもれず、庶民…、貴族以外の者に無意識に冷たくしてしまう。
アデルは黒い髪に青をほんのり足らしたような藍色の瞳という貴族ではない、いかにもクラレス王国の南部のルーテシア地方の部族特有の容貌だ。バルトは容貌から星読みの
道具屋の身分を判断し、その部下のカルロにも基本的に冷淡な対応を取る。
しかしながら、アデルに対しての対応についてはバルトは図りかねているとアデル自身感じていた。バルト自身の主がアデルを憎からず贔屓にしているからだ。
「とは言え、この緩衝地帯の屋敷にはあまり入ってほしくないな。せっかくの休暇だしな。カルロ。」
カルロの頭をぽんとはたくと
「はい、主。」
見上げるカルロの榛色の瞳を見てアデルも笑った。
「さっさとすませよう。どうせ受け取りのサインだよ。」
と二人は小走りに応接室に向かった。
バルトは相変わらず仏頂面で革張りのソファーに座っていた。
ソファーの後ろには甲冑を着けた兵士が二人立っている。二の腕にロゼリアの紋章である鷲と月桂樹のが彫られている。
胸元には所属の隊の紋章が彫られていることが多い。胸元には違い枝の牡丹が彫られていた。
牡丹…?
アデルはふとバルトの胸元も確認するとバルトの胸元も同じ牡丹であった。そう言えば、以前冷たい女兵士は百合の紋章だった。百合の紋章は戦神のものだ。過去オーダーメイドで剣を作った際に紋章の図案を確認したのだ。それ以外にも各戦いに密やかに斥候しているアデルは各国の紋章には詳しい方だ。
この違い枝の牡丹は見たことないな?誰の紋章だ?
アデルは思わずバルトの胸元を見てほんの少し考えこむと
「道具屋。私たちは時間がない。」
「お待たせして、申し訳ございません。納入品のサインはこちらです。」
冷たいバルトの声に、アデルはあわてて、迎えのソファに座るとカルロが書類をテーブルに置いていく。書面とサインをする羽根つきペンを差し出すとバルトはスムーズにサインし、押印する。
「ありがとうございます。今回は先払いでお代もいただいております。首都への早馬もご用意しておりますが…。」
バルトは
「早馬は借りていく。」と言い、頷いた。
もうこれで、終わりだと足早にでていくかと思いきや、
「道具屋、ここはおまえの持ち物か?」
バルトは出された紅茶を飲みだした。いささか拍子ぬけしてアデルもソファにもう一度座り直した。
「正確に言うと、私の主のそのまた主です。滞在する期間だけお借りしています。」
「屋敷としては小ぶりだがこんな国境近くに立てるのも酔狂だが、内装も豪奢でいかにも商人らしいな。」
バルトは天井に描かれたモザイク柄を見上げ言う。
主のものというのは嘘だが、豪奢な点は否定はしない。実際に5~6組は泊められるが屋敷と言うには小ぶりなアデルの別荘は、趣味の天体観測と斥候の為に私財で建てたものだ。国境の緩衝地帯と言っていいキリル山脈にぽつんとあるこの別荘は山の中の小さな隠れた湖に面して建てていて、気温の高い夜は寝室のテラスから湖のほとりにでて美しい月と星を見ることができた。内装もルーテシア地方のモザイクやタペストリーなどで装飾し、居心地よく作ったのだ。商人らしいと言うが内装は品よく調えられている。
アデルは、ほんとこんなところで戦なんか始めてくれて…休暇でまた儲けてしまうじゃないかと思っていた。
今回の戦場はたまたま歩いて一時間のキリル平野で行われるが、この山沿いで戦なんてほとんど起こらないのだ。通常は。
静かなところだ。静かなところでゆっくりしたいのに、仕事熱心になってしまわざる得ない。こんなところで戦なんか始められてしまうと。ちょっと行けば、自分の売っている武器の使われ具合がチェックできるなんて・・・。
「ありがとうございます。主の主も商人ですので、褒め言葉でしょう。わたしも過ぎた贅沢をさせていただいております。」
アデルは、自分の分の紅茶にミルクを入れるとそのとなりに置いてある乾燥いちじくを掴むと口にいれた。じんわりと口に甘味がひろがっていく。
バルトは何が、言いたいのか…。
「あの、お時間…。」
「もし、この館に逗留するとなると何名なら入れるか?」
バルトは射るようにアデルを見つめた。今度はアデルが黙る番だ。
「それはどうゆう意味で…。ここは一応クラレス王国領ですよ。」
アデルも本当に、狼狽えて妙な回答をしてしまう。バルトはアデルの狼狽に驚いたのか、目をぱちくりさせる。アデルもそれを見て、この男、意外にかわいいとこがあると思っていると、ただ、自分の別荘に兵士が押しかけられるのはごめんだ。
「万が一の時のために聞いただけだ。ここまでくるのに山道は一時間はゆうにかかるしな。」
「ここは立て籠れませんよ。」
「体は休めるだろう。」
「困ります。」
バルトは、眉を顰め、苛立ちながら
「こちらも、そんなことにはなりたくもないし、万が一聞いただけだ。忘れよ。」
と言い放ち立ち上がった。アデルもほっと胸を撫で下ろし
「バルト様。ご武運を。」
と礼をすると、バルトはため息をもらし、
「そう願いたいよ。」と呟き、2人の兵士を伴い部屋をでた。片方の兵士が、王都に領収書を持っていく係らしいので、バルトに別れをつげ、兵士を厩に案内する。
案内しながら、人のよさそうな年若い兵士にアデルはさりげなく聞いた。
「その、牡丹の紋章の甲冑が素敵ですね。どちらの方の紋章ですか?」
兵士は、屈託のない笑顔で言った。
「はい。戦神の遊撃隊、ルッティ隊の紋章です。すごい倍率で今回はルッティ隊に入れたのに、伝令係で王都といったりきたりでがっかりです。」
兵士は本当にがっかりしているようでアデルが返す言葉もない。
「ルッティ隊…。私たちの弓もルッティ隊が使うのですか?」
黒い駿馬を撫でながらアデルは道具屋らしい質問をした。この兵士、若く気分が戦で高揚しているせいか機嫌よく、よく話す。
「そうです。」
「率いているのは…。」
「あっ、もう行かなくてはバルト様に怒られてしまいます。わたしもこの早馬を往復して戦場に戻らなくては」
兵士はひらりと馬に乗る。ロゼリア王国の兵士は騎乗技術が高い。しっかりと手綱を取るとバランスをとり、
「では、騎乗より、失礼。」
とバルトより礼儀正しく挨拶をして、馬のわき腹をとんとんと叩いて走り去った。
ルッティ?聞いたことない名前だ。遊撃隊を率いる隊長の副隊長を任されたのなら、さっきのバルトのため息もわかるような気がした。あまり聞かない紋章だから隊長は王族のものだろうか。戦場の経験が浅い指揮官の下で副隊長は何かと気を遣うだろうに。
アデルは別れて自室に戻る頃には日が落ちていた。
簡単な夕食を部下と食堂で食べたあと、アデルは寝室からテラスにでた。天体望遠鏡をだし、外用のカウチに寝転びながら、星を眺めた。よく晴れているせいか今日は星が綺麗に見える。静かな夜だともっといいが、ざわめきのような落ち着かない夜だ。星もざわめきを後押しするように瞬いている。
-追加注文の大量の弓。
-遊撃隊。
-知らない紋章
-戦神自身はシルベスタ王国に遠征中
「望むようなものは見えないかもしれない。」
望遠鏡を一時のぞくのを止め、テラスの下の花壇に目をやる。
テラスから、2、3段階段をおりた湖畔の一部に広い花壇を設けてある。芍薬を植えてあるのだが、たくさんの蕾をつけているがまだ花開かない。
再びカウチに横になりながら、望遠鏡で星を見ながらぼんやりとしていたがざわめきが気になり、カウチから体を起こした。
もう納品が終わり、休憩のはずだ。あとは斥候がてら隣国同士の戦いを見てとればいいだけのはずだ。ただでさえ日頃多忙で神経を張りつめて生活しているんだから、隙をみて休むのも大切なのに。このざわめきはなんだ?
ロゼリア王国の王都と隣国ゆえにキリル平野は近い。
さっきの若い兵士はだから、早く帰らなくてはと言ったのだ。帰れるような距離ではあるのだ。
だから、アウル神皇国との戦いは戦神が練兵した直下の王都軍だ。最強の鷲と月桂樹の紋章をいただく王都軍。戦神の名代にて総指揮を取るのは、これまた優秀と名高い戦神のの王太子だ。
王太子は、実質の指揮もとるか…。それもあるだろうが、なんでバルトはあんな、めんどうくさそうな顔をしていたのだろうか。
「キース、松明をもて、出掛けるぞ」
キースと呼ばれた琥珀色の髪の長い髪のアデルと同じ年の頃の青年は「真夜中の出掛ける」の意図を理解し、着替えと武具一式と軽い携帯食と望遠鏡を持ってきた。
「主、望遠鏡の登場はもう少し先。」
幼なじみのキースは砕けた口調で話しかけるとアデルはニヤニヤしながら
「多分な。だが、確実に必要にはなる。」と答えた。
アデルは着替えるとキースとカルロと数人の部下は松明をもって、キリル平野が見える危険な崖に向けて一行は歩いていく。大体1時間ほどの道のりだ。比較的アウル神皇国の陣営よりである。
だいぶ上からだが、そこからはキリル平野が一望できるはずだ。しかも崖の下には神殿があり、真横から神殿のまわりのアウル神皇国側の陣営では見ることができる。
神殿は絶えず松明などの明かりが炊かれている。しかもこの星空と満月で明るい夜だ。朝日が昇るまで、優雅にこちらは頭上から戦い前夜をながめつつ、星でも眺めてもいい。
無言の一行は、目的地まで足早に歩いた。
キリル平野の東側の小高い丘に古く小さい神殿がある。この神殿はアウル神皇国最古の聖地であり、当然アウル神皇国はこの丘に陣をとっている。対するロゼリア王国は西側の平地に陣を張っている。聖地を守るのはマント代わりに法衣を着ている神兵だ。アウル神皇国の神兵は強い。
ロゼリア王国はどこまで攻める気なのか。ここで神兵をたたいた後、馬で半日ほどのアウル神皇国の首都まで攻め上がり、滅ぼす気なんだろうか…。
目的地につく少し前に松明を大きいものから小さいものに切り替え、光が山の下に届かないようにした。
「主、よく見えますね。」
カルロがちょっとはしゃいで笑った。
夜営の松明が炊かれ、アウル神皇国側がよく見れた。
「なんで、夜から来たんですか?」
お腹すいちゃいましたよ。とカルロがバックからパンをとりだすとぱくりと口にいれた。
-確信なんてない。
アデルは何も答えず、折り畳みの木製の椅子に座る。
このざわめきの意味に理由がないが、山が静かではない、ざわめいていると感じたから、ここに来たのだ。
目を閉じてざわめきを、感じとっていると、微かにどこかで笛の音が夜を切り裂いた。
アデルは閉じていた瞳を開ける。
戦の火蓋は思いの外、静かに切り落とされた。